新小児科医のつぶやき

2007-12-04 強弁に聞こえます

東京女子医大事件があり、その報道を巡って被告の紫色氏が民事訴訟を起し勝訴した事は有名です。有名な割には詳しく無いのですが非常に大雑把に事実関係をまとめれば、

  1. 記事を掲載した新聞社、テレビ局の賠償請求は認められた。
  2. 地方紙に記事を配信した共同通信社の賠償責任は認められなかった

2.については「?」と感じたのですが、医師がマスコミ相手の名誉毀損訴訟で賠償を勝ち取った事は画期的と感じたものです。ところで12/3付の毎日新聞記事はこれに関連する記事のようです。中間管理職様のところで見つけたのですが、さらっと読んでもよく理解できなかったので、エントリーにしてよく読みなおしてみます。ちょっと長めの記事なので、分割しながら引用します。なおタイトルは「東京女子医大・手術事故:配信記事掲載で名誉棄損 責任の所在、どこに!? 」です。

◇11日から控訴審−−1審は地方紙のみに賠償命令

 共同通信社が配信した記事について、掲載した地方紙のみに名誉棄損での賠償を命じる判決が9月に東京地裁であった。定評ある通信社の配信記事を掲載した場合、新聞社は免責されるとの主張を判決は退けた。これに対し、共同や地方紙は、多様な言論を封じ、国民の知る権利を阻むものだとして猛反発している。11日に東京高裁で控訴審が始まり、改めて「配信記事の責任」の所在が問われる。【本橋由紀、北村和巳】

これは冒頭に書いた事で、裁判が控訴されたことを報じています。新聞社側の主張は、

    定評ある通信社の配信記事を掲載した場合、新聞社は免責される

被告の主張ですから、これについての裁判所の判断が展開されるのですが、ここでよく分からないのは一審で賠償責任を負わされた地方紙が反発するのは理解できるとして、賠償責任が無いとされた共同通信が「猛反発」しているのがよくわかりません。

◇地方紙「知る権利大きく損なう」/共同通信「報道の萎縮につながる」/識者「配信制度に理解がない」

 裁判は東京女子医大病院で心臓手術を受けた女児の死亡事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われ、1審無罪(検察側控訴)となった医師が起こした。判決は、医師の基本動作ミスが事故を招いたとする配信記事(02年7月)について「警視庁の記者会見に基づくなどしており、報道内容を真実と信じる相当の理由がある」として、共同の賠償責任を否定した。

 その一方で、

  1. 定評ある通信社からの配信を受けたことだけを理由に、記事が真実と信じる相当の理由があったとはいえない

  2. 共同通信の定款施行細則で、配信記事には配信元の表示(クレジット)を付けると規定されているのに、そのクレジットを付けずに自社が執筆した記事のような形で掲載している

−−として、掲載した上毛新聞社(前橋市)▽静岡新聞社(静岡市)▽秋田魁新報社秋田市)の3紙に計385万円の賠償を命じた。共同によると、この記事をクレジットを付けて掲載した新聞はなかった。

この部分は判決骨子の説明のようです。被告となった地方紙は報道にあたり共同通信配信記事を使ったようです。その記事が名誉毀損に当るとして賠償を課せられた裁判ですが、配信元の共同通信記事自体は、

    「警視庁の記者会見に基づくなどしており、報道内容を真実と信じる相当の理由がある」

共同通信記事は名誉毀損に当らないとしています。ここは説明が短くてわかり難いのですが、後に続く記事との関係から、裁判所は「共同通信が取材した時点では真実と考えても妥当である」と判断したと考えられます。ところが地方紙が掲載した時点になると名誉毀損に該当するとしています。その理由は、

  1. 定評ある通信社からの配信を受けたことだけを理由に、記事が真実と信じる相当の理由があったとはいえない

  2. 共同通信の定款施行細則で、配信記事には配信元の表示(クレジット)を付けると規定されているのに、そのクレジットを付けずに自社が執筆した記事のような形で掲載している

ちょっと判じ物なのですが、地方紙が掲載した時点では名誉毀損記事なると言う判断が裁判所から下されています。この事を前提に考えると、

  1. たとえ共同通信記事であり、共同通信取材時には妥当な記事であっても、その後の情報量の増大により誤報になる事はあり、その真実の確認作業は掲載する新聞社の責任である。
  2. 共同通信取材時点の引用記事である事とするのなら、配信元の表示(クレジット)をつけるべきであり、これは共同通信の定款施行細則に定められている。クレジットが無いのだから、新聞社が掲載された時点での確認責任を負うのが当然である。

だいたいこんな感じの判決と考えられます。

●実情無視と批判

 堀部政男一橋大名誉教授(情報法)は「今回のような形で地方紙が責任を負わされるのであれば萎縮(いしゅく)して、読者の知る権利に応えられなくなる」と話すが、地方紙側はどう受け止めているか。

 当事者の上毛新聞は「通信社とその加盟社の実情を無視した判決。認められれば配信制度や地方紙の根本にかかわる」と主張する。

 他の加盟社も「覆ると思うが、仮に確定すれば知る権利、言論の多様性への悪影響は計り知れない」(河北新報)▽「加盟社は多くの読者を抱え、世界で起きるニュースを提供する責務があり、仮に確定すれば、表現の自由を大きく侵害する」(信濃毎日新聞)▽「通信社制度の存在意義を否定し、国民の知る権利を大きく損なう」(北海道新聞)▽「報道の自由を制限し容認しがたい」(西日本新聞)など、民主社会の根幹にかかわる問題だと指摘する。

 背景にあるのが、通信社と地方紙など加盟社との密接な関係だ。

 共同は社団法人で、NHKやブロック紙も含め加盟する計57の報道機関は「社員」となっている。運営方針などを決めるのは最高の意思決定機関「社員総会」や社員から選ばれた理事による理事会だ。通信社とは単なる契約関係ではなく、同じ共同体ということになる。

 共同の配信記事に誤りや名誉棄損の部分があった場合の責任について、共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言。加盟社も「責任は配信側にあり、地方紙は免責される」との意見でほぼ一致する。地方紙が中心の米国では、この「配信サービスの抗弁」の法理は一般的だという。

 この考え方に沿い、加盟社は地域の独自ニュースと世界規模、全国規模のニュースを紙面に掲載できる。新聞社間の無用な競争を避け通信のコストを下げながら、多様な言論が保たれ、国民の知る権利にも応えられることになるという。

この部分より下は新聞社側の反論部分です。少々長い文面なのですが、キモは、

    共同の配信記事に誤りや名誉棄損の部分があった場合の責任について、共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言。加盟社も「責任は配信側にあり、地方紙は免責される」との意見でほぼ一致する。

どうやら新聞社の主張は、責任は共同通信にあり地方紙には無いとしているのがわかります。少し興味が惹かれたのは、

    共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言

どうも最終的には配信元の共同通信に賠償責任が無いのなら、当然のように地方紙も責任が無いとの話に結びつくと考えます。

●判決は判例踏襲

 最高裁は「ロス疑惑」をめぐる名誉棄損訴訟で02年1月、「社会の関心を引く私人の犯罪やスキャンダル」報道に関し、「配信サービスの抗弁」を否定した。報道合戦が過熱し、慎重さを欠いた記事があると指摘し、「一定の信頼性を持つとされる通信社の配信記事でも、真実性について高い信頼性が確立しているとは言えない」と結論づけた。今回は、公的な使命を帯びる医師が医療ミスの刑事責任を問われたケースだったが、東京地裁は「社会の関心と興味を引く分野の報道」として、判例を踏襲した。

 さらに今回の判決は、3紙が「配信元の表示(クレジット)」を付けなかった点を重視し、「新聞社自ら執筆した記事と体裁が変わらず、読者は配信記事かどうか判別できない」と指摘。共同と3紙は一定の関係があっても別の責任主体で、共同の「(免責とされる)相当の理由」を3紙は援用できないとした。

 クレジットについてはロス疑惑をめぐる別の訴訟の最高裁判決(02年3月)で意見が分かれた。2人の裁判官は「報道の自由は、どの社の責任で記事が作成されたか認識できて初めて十分に発揮される」として、クレジットを付さない場合は配信を理由にした抗弁は一切主張できないと述べた。だが、別の3人の裁判官は「クレジットの付いていない記事でも、その内容や記事を掲載した加盟社の規模などから、通信社からの配信記事と推認できる可能性があれば、加盟社と通信社が実質的に同一性を持つと考えて差し支えない」「クレジットがないからといって、配信サービスの抗弁を認めないという意見には賛同できない」と意見を述べている。

ここは最高裁判例批判です。最高裁の判例であっても批判して悪いわけではありませんし、最高裁判例であってもその後に広く引用される場合もあれば、そうでない場合もあるとされます。ただし法律関係者の意見では、腐っても最高裁判例であり、これを引用された時には事実上最高裁でもう一度ひっくり返す必要があると聞いた事があります。正確な解釈では無いかもしれませんが、それぐらいの重みはあるとされます。

ここで新聞社側が問題視している最高裁の見解は、

    クレジットを付さない場合は配信を理由にした抗弁は一切主張できない

新聞社側は相当不満があるようですが、最高裁判例です。

●「クレジット」は必要か

 今回の判決も指摘しているように共同の定款施行細則は配信記事の掲載時にクレジットを付けなければならないと規定。だが、現実には国内のニュースには付けないのが長年の慣行で、共同も問題にしてこなかった。原告医師の代理人の喜田村洋一弁護士は「クレジットがなく自分の記事の形で掲載した以上、責任を問われるのは当然。取材を尽くしたかで個別に名誉棄損を判断するのは妥当だ」と話す。

 これに対し、上毛新聞は「すべての記事にクレジットを付けると読者の混乱を招く懸念もある。記事の内容ではなく、クレジットの有無を問うのは本質的ではない」と主張。「クレジットを付けたからといって加盟社が免責になる保証はない」(中日新聞)との疑問の声も消えない。

 そのような中、北海道新聞は10月から、話題の人を紹介する囲み記事「ひと2007」について、自社原稿の署名だけでなく、配信記事にも原則としてクレジットを入れることにした。「原稿の出自を明らかにする観点から」と、見直した理由を説明する。

どうもクレジットの有無が責任問題の焦点になっていることがわかります。クレジットの有無で責任問題が左右されるのが新聞社側の不満であると主張している事も分かります。おそらく代表的と考えられる不満の声が紹介されています。

  • 上毛新聞:「すべての記事にクレジットを付けると読者の混乱を招く懸念もある。記事の内容ではなく、クレジットの有無を問うのは本質的ではない」
  • 中日新聞:「クレジットを付けたからといって加盟社が免責になる保証はない」

私は正直なところ、クレジットの有無についてはかつて最高裁まで争い、判例になっているので素直に付ければ良いと思います。付けなければ責任が生じると言う判断が出ているわけですし、新聞以外の出版物では引用元を明らかにするのは常識と考えるからです。

 控訴審では何を訴えるのか。共同は「直接の取材手段を持たない加盟社に配信記事の真実性を証明させようとし、報道を萎縮させる判決の不当性を主張したい。クレジットなど個別の主張については訴訟で明らかにしたい」と話す。

 通信社の歴史に詳しい秀明大総合経営学部の里見脩教授(メディア史)は「メディアがすみ分けることで成り立ってきた配信制度にとってゆゆしき判決だ。最高裁判例の一部を一方的に解釈しているという印象を受けざるを得ない。『赤福』がチョンボしたからといって、みやげ物屋が責任を負いますか? メーカー責任の原則からもはずれている。クレジットの点もおかしい。共同は社団法人で地方紙は社員。地方紙は社説まで共同から配信を受けるような関係だ。配信記事にクレジットを付ければ地方紙は共同のクレジットで埋まってしまう。すべての記事にクレジットを、という実態を理解しない考え方で、民主社会にとって大切なものを犠牲にすべきではない」と断じる。

秀明大総合経営学部の里見脩教授の主張を新聞社側の論拠にしているようです。この主張には比喩が用いられています。

    『赤福』がチョンボしたからといって、みやげ物屋が責任を負いますか?

どうもあまり的を射抜いていないような比喩です。チョンボした赤福の責任は土産物屋は責任を負いません。なぜなら『赤福』というクレジットを土産物屋はつけて売っているからです。これが土産物屋が『赤福』から物だけを仕入れ、『紅福』として販売していれば責任が生じるんじゃないでしょうか。『紅福』は赤福と同じ内容ですが、紅福となった時点で赤福の原料を確認する責任が生じるからです。もうすこし別の例えをすれば、OEMで商品を売り、元のOEMに欠陥が見つかったときに、責任はOEMとして販売した店には全く生じないとは思えません。

どうも強弁の様な気がしてならないのですが、記事にクレジットをつけることが、

    民主社会にとって大切なものを犠牲にすべきではない

それほど拳を振り上げて断じる事とは思えません。

koumekoume 2007/12/04 09:20 土産物屋が赤福を売っていても確かに責任は生じませんが、赤福分の売り上げが減ったり、ほかの品物についても猜疑の目で見られたり、顧客からの「そんなことうちに言われても」的なクレームがきたりと損害は発生します。余りにひどければ土産物屋は赤福に損害賠償請求するかもしれません
地方紙は共同に損害賠償請求すればいいんじゃないですか?矛先が違うと思うのですが
食品業界はトレーサビリティなど、マスコミなんかとは比べものにならないほどクレジット対応してますがね

暴利医暴利医 2007/12/04 09:23 私も中間管理職さまのところで拝見したのですが、内容が少しわかりにくく感じておりました(中間管理職さまのせいではなく、新聞社の主張というか言い分がトンチンカンだからですが)。
いつもながらわかりやすいご説明ご解説、ありがとうございます。引用元を明らかにすることにどうしてそこまで大反対したがるのかと言えば、要するに新聞社は、「情報のたれ流しをして何が悪いんだ!なんで俺サマ達がたれ流した内容に責任を負わなきゃならねーんだよ!」と言っているわけですね。我が国の新聞に署名記事が極端に少ないことも同じ理由なのでしょう。
ネットの良い点の一つは、意見が相互交換されることだと思います。情報の発信元も常に批判にさらされ、勘違いやminor mistakeがあれば随時修正される。一方、新聞やテレビなどの大手マスコミにはそのfeed back機構が悲しいほどに欠落しています。そして、昨日もここで話題となっていたように、少なくとも若いネット世代にはそのことが徐々に認識されてきているように思います。
ですが、彼らは自らの欠点を知りつつそれを修正する能力がないので、自己保身のために政府公報機関ぶりをさらに徹底する方向へ向かうことだろうと、私は悲観的に予想しています。

Med_LawMed_Law 2007/12/04 09:48
新聞社の主張がトンチンカンなのは、マスコミvs政府の構図にはマスコミは慣れていても、マスコミvs市民と言う構図で叩かれるのは馴れていないと言うこと

『この判決は報道を萎縮させる』とか言いながら、これは公権力の介入ではなく、民事での私権の争いに過ぎない訳で、トンチンカンな新聞社の主張の中には、報道が私権に及ぼす責任の重さの自覚が全く感じられない

新聞社というのは面白い存在で、規制緩和を訴える一方で、自分たちの新聞販売の再販制度を頑なに保護してもらおうという護送船団方式に固執し、その規制緩和の動きにヒステリックに対応している存在です。
要は、訴えられること、競争することに怯えている存在なのです。
Everydayデマ新聞などは、利益率が極端に低く、競争が起こればあっという間に潰れてしまうか、単なるテレビ局の一部門に過ぎなくなることでしょう。親子逆転というものです

akagamaakagama 2007/12/04 10:25 >>土産物屋が『赤福』から物だけを仕入れ、『紅福』として販売していれば責任が生じるんじゃないでしょうか。『紅福』は赤福と同じ内容ですが、紅福となった時点で赤福の原料を確認する責任が生じるからです。もうすこし別の例えをすれば、OEMで商品を売り、元のOEMに欠陥が見つかったときに、責任はOEMとして販売した店には全く生じないとは思えません。

同感です。
秀明大総合経営学部の里見脩教授、頭わるすぎ。

rijinrijin 2007/12/04 11:25 > 秀明大総合経営学部の里見脩教授、頭わるすぎ。

里見 脩(さとみしゅう)
http://www.tkfd.or.jp/division/research/member/003.shtml

YosyanYosyan 2007/12/04 11:41 この記事だけの内容ですから私に誤認があるかもしれませんが、とりあえず掲載された時点の記事が名誉毀損に当る事は前提として考えてよいと思います。名誉毀損に当るかどうかは別の次元で争われるかもしれませんが、名誉毀損に該当したらどうなるかのケーススタディと見れます。

この件が少し複雑なのは、共同通信が記事にして時点では「名誉毀損に当らない」としている事です。共同通信が配信してから新聞社が掲載するまでに間に新たな情報が判明し、その時点で名誉毀損記事になってしまっている構図です。東京女子医大事件と実際の構図は異なるかもしれませんが、そういう場合の責任の所在の在り方の論議と考えます。

つまり

 配信時(誤報とはいえない)→ 掲載時(誤報となった)

当然ですがどこかが責任を負う必要があります。誤報記事を流し、名誉を毀損したのですから責任問題は確実に生じています。ここはまずしっかり抑えておく必要があると考えます。

記事で引用している最高裁判例はある意味明快で、記事に配信元のクレジットが無ければ掲載した新聞社の責任となるとしています。新聞社の責任の下に配信記事が掲載時でも真実であると判断したとの考えです。後出しジャンケンで「実は通信社の引き写しだから責任は無い」は認めないとの考えです。ここでクレジットをつけていれば、共同通信取材時の判断としてもよいとの判決です。

私が笑ったのは中日新聞の主張で、

 >クレジットを付けたからといって加盟社が免責になる保証はない

当たり前の事で、今回は共同通信配信時から比較的短時間で記事の価値が変わった場合を想定しており、短時間であるが故に何時何分の時点での記事であるかが焦点になっており、その時間確認のためにクレジットの有無が焦点となっています。ところがもう少し長い時間で記事の価値が変わったにも関わらず、誤報記事を流せば、クレジットがあっても新聞社の確認作業の杜撰さの責任は当然問われると考えます。

クレジットの有無は万能の免罪符ではなく、時と場合によっては通信社の責任に帰する事が出来ると考えるのが妥当な判断と考えます。記事に掲載してニュースとして流布させる重大さ、その事が招く結果の重さについての自覚が問われるかと思います。

bb 2007/12/04 12:20 新聞社がクレジットを載せない理由として、
(1)独自の報道・調査などほとんどしていないことがバレる
(2)それにより他のメディア(他の新聞、ネット記事など)と容易に比較され、新聞の価値が下がることが容易に予見される
(3)つまり、新聞社は自分の客の囲い込みをしたい
、という論法が導かれるような気がします・・。

YosyanYosyan 2007/12/04 12:30 b様

里見教授の

 >すべての記事にクレジットを、という実態を理解しない考え方で、民主社会にとって大切なものを犠牲にすべきではない

これがどうしても、

>すべての記事にクレジットを、という実態を理解しない考え方で、新聞社の既得権益にとって大切なものを犠牲にすべきではない

こういう風に読めてしまいます。もうちょっとマシな識者を連れて来れなかったか、お得意の編集でなんとかならなかったのか極めて不思議です。かなりの紙面を費やした主張ですが、クレジット問題を民主社会の危機にこじつけるのは相当な無理があると感じます。

とおりすがりとおりすがり 2007/12/04 12:34 Yosyan様
>配信時(誤報とはいえない)→ 掲載時(誤報となった)
上記の流れはちょっとちがうと思います

結果として共同通信社の配信記事は誤報であり、名誉を毀損した記事だったのですが、
共同通信社は配信するにあたり取材活動をしており、
真実として配信するにたりる合理的な根拠があったから無責とされたのに対し、
加盟新聞社は、それらの根拠を独自に得ていない(取材していない)状況で未記名で配信記事を自社の記事と認識しうる形で掲載したので、根拠の無い報道(誤報)で名誉を毀損した・・・という事だったと思いましたが・・・

YosyanYosyan 2007/12/04 12:47 とおりすがり様

私の説明が悪かった事を陳謝します。コメントでの内容は、少しだけ東京女子医大事件と切り離しています。通信社や新聞社も誤報の許容範囲があります。取材した時点で判明している事実で真実であると考えられれば、後から判明した事実により訂正されても罪に基本的に問われません。そういう類の判決はあったかと思います。

つまり通信社が取材した時点で判明している事実から判断すれば誤報と言えなくとも、その後に新たな事実が判明すれば誤報になる事はあると考えます。そういう風に例えを少しmodifyして書かせていただきました。その点に付き要らざる誤解を招いた事をお詫びします。

暴利医暴利医 2007/12/04 12:54 b さま
>新聞社がクレジットを載せない理由として、 (1)独自の報道・調査などほとんどしていないことがバレる

まったく同感です。ついでに政府関連機関の記者クラブネタによる記事もその旨明記すれば、実は新聞社なんて政府報道の代弁者以外の存在意義などほとんど無くなっていることが、ほとんどの人にわかってしまうでしょう。
この記者クラブの排他性は何十年も前から指摘されているのにまったく改善しませんが、それを死守しないと生き残れないと思っているのでしょうね。Med_Lawさまご指摘の通り、「競争することにとことん怯えている」ようです。こんな後ろ向きの姿勢で他業界の批判をやっているかと思うと、まことに滑稽です。

とにかく、こういう従来通りの姿勢が続けば早晩彼らは立ち行かなくなり、結果として先ほど書いたとおり政府公報機関としての立場をより明確にせざるを得なくなると思います。そして、それに愛想を尽かした市民の間で、スウェーデンのフリーペーパー「メトロ」のようなものが我が国でも一気に広まるかもしれません。

暴利医2暴利医2 2007/12/04 13:13 個人的に報道機関に恨みを持っているわけじゃありませんが、ふつうに考えても今や個々人が情報を発信できる時代なのですから、大きな報道機関なんて不要になってきているのは自明でしょう。
例えば医療機関をレポートするにしたって、素人同然の記者がトンチンカンな質問をくり返しながら時間をかけて(多くは的外れな)レポートを書き、それをさらに無知な上司が訂正して記事にするなんて手間取らなくたって、現場の医療従事者がブログかHPに乗っけりゃ済んでしまう時代です。あとはその情報を上手に検索できれば、それでおしまい。質問があればダイレクトに問い合わせられるんだし。
医療関係で一例をあげれば、これは病理医のMLで声を大にして主張されている方がいるので私も詳細を知ったのですが、昨年日本中でヒステリックに病腎移植を行った万波医師叩きをやっていたけれど、実は世界的には彼の業績は非常に高く評価されていて、全米移植外科学会のシンポジウムでは既に万波論文の授賞も決まったそうです。大手新聞は忘れたふりをして一切報道しなくなった。そのうち彼の評価が高まったら時期を見て掌を返したように褒め称えるか、無視を決め込むか、いずれにせよ自分たちの偏向した報道を振り返ることはしないでしょう。

政府報道機関として世論誘導をやる以外に、彼らに生き残る道はあるのでしょうか?

通るすがる通るすがる 2007/12/04 14:29 >大手新聞は忘れたふりをして一切報道しなくなった。
産経はオンライン上の記事ですが、続報として取り上げているようです。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071121/edc0711211113002-n1.htm

私も病理医見習いですが、病腎移植(腎移植でのextended donor criteria)の話と、万波医師がかかわった症例での手続きの問題点は別だと思っています。
マスメディアは病腎移植という技術・試みの是非と、移植医療従事者の倫理面の問題とをごちゃごちゃにしていた点では罪が重いと思いますが、万波医師を強く擁護する方々の意見を見ても、あくまで病腎移植の医学的正当性を言うだけ(『断じて人体実験などではない』)であったように思います。


そもそも万波移植が移植業界以外の世間に知られることになったきっかけがドナーとレシピエントの間での臓器売買(こちらは臓器移植法違反で結審している)の案件だったのが不幸でしたね。

pierrepierre 2007/12/04 14:42 「新聞は、ほとんどの記事の末尾に(共同)と入れることになって、カッコ悪くて困ります」と素直に書けばいいのに
無理にカッコつけて報道の自由が・・・、とか書くからややこしくなるんです。

rijinrijin 2007/12/04 15:49 全国紙には存在価値がなくなりつつありますが、地方紙の値打ちって、むしろこれからと思います。

 全国ニュースが時事や共同のクレジット付でも良いじゃありませんか。

 地方紙で読みたい記事はローカルな話題です。政治なら市議会・県議会、経済なら市町村の景気、身近な学校やご近所の話題は全国ニュースにはなりません。また、暇人ばかりというわけにもいかず、ブログでも扱いが難しいでしょう。

ssd666ssd666 2007/12/04 19:06 うちも地方紙ですよ。いやチラシが一番たくさん入るからなんですが。

YosyanYosyan 2007/12/04 19:47 地方紙はもちろんのこと全国紙だって海外ニュースにはクレジットは入っているかと思います。それを見てそんなに違和感は感じません。うちも地方紙ですが、アメリカぐらいならいざ知らず、中東やアフリカの紛争地帯にまで記者を送っているとは到底思えませんし、アメリカだって独自で取材できる能力があるとは思っていません。

それに海外ニュースではロイターが多いように思いますが、里見教授の主張する、

 >配信記事にクレジットを付ければ地方紙は共同のクレジットで埋まってしまう

だから?と思います。海外ニュースは「ロイター=共同」で既に相当埋っていると思います。

記事を買ってくるという行為自体は責める気はサラサラありませんが、その事を伏せて自分のところの記事の様に出す掲載する行為は、新聞社が「叩く」ときに使う常套句である「隠蔽」とか「偽装」そのものだと思うのですが、新聞村の狭い常識の中にいる人々はそうは絶対感じないようです。

773773 2007/12/04 23:42 新聞、テレビなど前世代のメディアがネットをおそれるのには理由があります。
メディアの話題ということでちょっと脱線しますが、地上デジタル放送というものが始まりまして、まもなく従来の地上波テレビ放送は終了します。
この際に従来の受信設備では視聴できなくなるわけですが、最大の目的は放送利権の囲い込みといわれています。
放送する地域を細かく制限してセグメントごとに広告を売ろうとしているようも見えます。
ところが、笛吹けど踊らずでなかなか移行は進みません。このままだと、放送電波停止までに新しいテレビに買い替えてくれない世帯が多そうです。本来不要な買い替えを強要されてもね。
従来のテレビでは放送を見られなくなるのを機会に、テレビを見なくなるのを一番恐れているようです。
Internet 利用の普及で、テレビなんて見なくてもいいということに気づいている人も増えています。
テレビにせよ、新聞にせよ、質の高い取材と分析に基づく報道などを行う方向へ進めばよいのですが、そちらへ進もうとしないように見えるのが残念でなりません。

暇人28号暇人28号 2007/12/05 08:25 報道機関の存在価値は未だ非常に大きいと思います。決して無視できないし、今後も何らかの形で残るはずです。

報道機関の存在意義は記事を並べて一般人に周知することです。ネットでは検索をしない限りその情報にたどり着くことはありません。存在を知らなければそれで終わりなのです。一つの情報を深く掘り下げようとすればネットのほうが圧倒的に有利ですが。

報道機関などは「調べるきっかけ」程度の存在として生き残るでしょう。しかし、その程度の存在ならこんなに新聞社は必要とされませんので、淘汰が起こるでしょう。実際にアメリカやイギリスの新聞社は今後の対策を採り始めていると聞きます。

YosyanYosyan 2007/12/05 08:34 報道機関の存在価値は認めています。これからも永遠に必要な機関と言っても良いぐらいです。しかし必要なのは情報を提供してくれる機関であって、情報の価値を独断と偏見で操作する機関は不要です。報道機関が論評を行なうことまでは禁止せよとまで言いませんが、これを絶対視させてはならないと考えます。

絶対視させないためには報道機関を監視する機関が必要です。それも国家機関でないものが必要です。報道機関の真の役割は国家権力の暴走の監視であると考えます。そして市民の役割は報道機関の暴走の監視にあると考えます。国民主権とはよく言ったもので、最後は市民が監視しなければならないと言う事かと考えています。

暴利医暴利医 2007/12/05 09:37 > 報道機関の真の役割は国家権力の暴走の監視であると考えます。そして市民の役割は報道機関の暴走の監視にあると考えます。

まさに正論ですが、しかし彼らに対して権限を持たない一般市民にその役が果たせるのでしょうか(よほどの大株主なら別ですが、多くが外資というのが実情ですし)。権力側は諸々の規制を用いて彼らを自由にコントロールできますが、市民には何ら権限がありません。彼らの状態が苦しくなればなるほどこちら側ではなくあちら側にすり寄ると思いますし、昨今の政府報道機関ぶりなどはまさにその彼らの窮状を示していると思うのですが。

もはや我々一般市民は報道機関が政府公報だということを認識して、その上で別の場でそれを論ずるというスタンスしかないんじゃないでしょうか。その点でネットというのは素晴らしい発明だったと思います。むろんゴミもいっぱい散らばっていますが、それは一般社会と同じこと。むしろ一見クリーンでゴミがないように見える世界の方が、本質的には異常でしょう。

bb 2007/12/05 12:10 pierre様

>「新聞は、ほとんどの記事の末尾に(共同)と入れることになって、カッコ悪くて困ります」と素直に書けばいいのに

いや〜、メディアリテラシーのない一般市民は「ここの新聞社には共同という名前の人が多いわね〜」という洒落にならない笑い話で済む話しですのにね!w

紫色の顔の友達紫色の顔の友達 2007/12/11 01:46 「なな」先生からYosyan先生のブログに記事があることを御教示いただき、遅ればせながら参加させていただきます。「配信サービスの抗弁」に関する賛成反対意見は、法律家以外の方々の意見も出そろった様子ですので、法律家からの意見を引用させていただきます。本邦における「配信サービスの抗弁」が認められないことになった最高裁判決二つで勝訴した喜田村先生からです。これを読むと、メディアやメディアよりの学者の本件に関する意見がいかにレベルが低いものかが理解できますl
「1 控訴人らは、第一次的「責任主体」(記者)と第二次的「責任主体」(通信社ないし新聞社)という区分を強調するが、本件における新聞社の責任の有無を考えるにあたってこの区分が妥当な概念となるとは考えられない。控訴人(新聞社)らは、自らの紙面で本件各記事を掲載したのであるから、端的に控訴人らに故意又は過失が認められるかを判断すれば足りる。
2 その点を措くとしても、控訴人らが主張する「控訴人新聞社らが共同通信社からの配信記事を紙面に掲載頒布したことに関する一連の業務」(控訴理由書14頁)は、通信社からの配信記事が控訴人らの紙面に掲載されるにあたっての控訴人自身の関与を故意に無視するもので不当である。
控訴人らは、「一連の業務」の中で、
?記事の配信(共同通信社→控訴人新聞社)
?整理部による紙面割付(控訴人新聞社)
とするが、これは、恰も共同通信社の配信記事は直ちに控訴人新聞社の整理部によって紙面割付が決まるとするようである。
しかし、実際には、共同通信社から配信された記事がすべて新聞社に掲載されるなどということはありえない。配信される記事の分量からいってもそうであるし、各新聞社は、配信される大量の記事の中から、記事の重要性やそれぞれの地方に存する読者の関心などに配慮しながら、自社の紙面に掲載する記事を決定するのである。したがって、仮に「一連の業務」を問題とするのであれば、
? 記事の配信(共同通信社→控訴人新聞社)
? 掲載する記事の選択、決定(控訴人新聞社)
?整理部による紙面割付(控訴人新聞社)
となるべきものである。控訴人らは、「自社スタッフによる掲載記事の決定」という重要なプロセスを故意に省略している。
3 控訴人らの紙面で取り上げることを決めたこのスタッフは、当然のことながら、配信された記事が真実であると判断したから掲載を決定したのである。どれほど重要であろうとも、どれほど読者の関心が強かろうとも、記事の内容が誤っているのであれば、自社の紙面に掲載すると判断することはありえない。およそ、人の社会的評価を低下させる内容の記事を自らの紙面でとりあげる以上、「真実ではないかもしれないが、共同通信社が配信する以上は、相当性が認められるだけの取材を共同通信社はしているであろう」といった無責任な判断によって、名誉を毀損される第三者との関係で新聞社が免責されるものではない。
ところで、控訴人新聞社の上記スタッフは、配信された記事が真実であると判断するについて、何の裏づけもとっしていない。「共同通信社から配信されたから」というだけの理由で、その記事が真実であると考えたのである。
しかし、名誉毀損訴訟における相当性は、主観的に記事内容を真実と信じたというだけでは足りず、そのように信じたことが客観的に合理的であると判断されなければ認められないものである。
そして、共同通信社の配信記事が常に真実であると信じることが合理的であるとされる経験則は存在しない。共同通信社は定評ある通信社かもしれないが、その記事が常に真実であるなどということはありえないのである。たとえば朝日新聞の記事に誤りがあるように、共同通信社の配信記事にも誤りがあるのである。
このように、控訴人新聞社には、配信された記事を紙面に掲載することを決めたスタッフが存在するのであり、控訴人らの言い方で言えば、このスタッフこそが、控訴人新聞社における第一次的な「責任主体」である。そして、この第一次的な「責任主体」が配信記事は真実であると考えたことについて合理性が認められないのであるから、控訴人新聞社は名誉毀損記事を掲載したことについて責任を負うのである。
4 控訴人は、民事不法行為である名誉毀損における相当性は責任の問題ではなく、違法性の問題であると縷々主張する。しかし、この主張は、一連の最高裁判決に反するものであり、成立する余地がない。
比較的最近の判決でみても、最高裁は、「摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由が行為者に認められるかどうかについて判断する際には、名誉毀損行為当時における行為者の認識内容が問題になるため、行為時に存在した資料に基づいて検討することが必要となるが、真実性の立証は、このような相当の理由についての判断とは趣を異にするものである」と述べている(最高裁2002年1月29日第三小法廷判決・判例時報1778号49頁。下線被控訴人代理人)。このように、真実性は報じられた記事が客観的な事実と合致しているかの問題であるのに対し、相当性は行為者の認識した内容、すなわち主観を問題にするものである。控訴人らの主張は、真実性と相当性の区別を無視するものであって、誤りである。
5 控訴人らは、最高裁1969年6月25日大法廷判決が「確実な資料、根拠」という表現を用いたことをもって、相当性は客観的に判定されるべきであると主張するが(控訴理由書32頁)、この判決は刑事名誉毀損に関するものである。刑事名誉毀損の成立を阻却するためには故意が否定されれば十分であるが、民事不法行為である名誉毀損の責任を負わないとされるためには、故意だけでなく過失の存在も否定されなければならない。この点を明らかにしているのは、最高裁1966年6月23日第一小法廷判決であり、民事名誉毀損についての先例はこの1966年判決である。そして、そこでは「確実な資料、根拠」という語は用いられていない。
さらに、最高裁が「確実な資料、根拠」に照らして判定されるべきであるとしたのは、故意という人の主観を判断するにあたって客観的な資料を参照すべきことを明らかにしただけであり、証明の対象はあくまで「故意」という行為者の認識である。また、民事名誉毀損について、相当性が認められるかどうかは、「故意もしくは過失」が存するかどうかによって定まるのであり、ここでも証明の対象となるのは行為者の認識である。最高裁は、このような行為者の認識を判断するにあたって客観的な資料の有無を考慮すべきであるとしているだけであり、「確実な資料、根拠」という言葉を用いたことによって相当性の有無が客観的な判断となるものではない。控訴人らの主張は、証明の対象が何かということと、これを証明するにあたって何を参照すべきかという証明の方法を混同するものである。
6 なお、控訴人らは、原判決の考え方では地方新聞社は共同通信社の配信記事を載せられなくなるとの意見を肯定的に引用しているが(控訴理由書2頁)。しかし、共同通信社の配信記事が真実でさえあれば、地方新聞社は、自ら取材を行わなかった場合であっても法的責任を負わされることはないのであるから、仮に新聞社が共同通信社の配信記事を掲載するのをためらうことになるとすれば、それは共同通信社の配信記事に誤りが多いということに他ならない。
共同通信社の配信記事が殆ど正確であるというのであれば、ごく稀にしか発生しない誤報を恐れることはないはずである。そのような事態については、社団法人共同通信社の会員でもある控訴人ら地方新聞社と共同通信社自身が損害分担の方式を定めておけば済むだけのことである。責任の有無は行為者ごとに個別に判断されるという不法行為法の大原則を曲げてまで、報道被害者に救済を与えないでよいという理屈は存在しない。
さらに、控訴人らは、当審では主張を放棄するようであるが、配信サービスの抗弁について、これが成立するためにはクレジットを附すことが前提となると、最高裁第二小法廷の2人の裁判官から2002年に指摘されたにもかかわらず、現在に至るまでそのクレジットを附さないという慣行を改めようとしていない。これを附さないのは、もっぱら地方新聞社が、これまで自社記事のように取り扱ってきた多くの記事が実は共同通信社の配信記事であるということを読者に知られたくないという身勝手な論理に基づくものである。控訴人新聞社らが、自らの記事であるとの外観を装って本件各記事を報じたのであれば、それについて各新聞社の責任の有無が各社ごとに判定されるのは当然である。記事上では無関係な第三者でしかない共同通信社の責任阻却事由を援用できるはずはないのである。
7 以上のように、控訴人らのそれぞれについて故意又は過失が認められるかを判断し、これが認められるとして控訴人らに賠償を命じた原判決は正当である。
したがって、本件各控訴はいずれも棄却されるべきである。
以上」