三六協定の応用問題

三六協定は今さらの説明になりますが、労基法32条の規定をクリアして労働者に時間外労働をできるようにする労基法36条に基づく労使間の協定の事です。こんな事はさすがに常識なんですが、6/15付のエントリーのコメント欄で極めて興味深い議論がありました。興味深すぎてそれこそ「真相はどこに」みたいな感じです。

発端は私のエントリーからなんですが、三六協定で結ばれる時間外労働の上限についての論争になります。エントリーを書いたときには前に江原朗様から

    三六協定の時間外労働の上限時間に規定は無い
こういうお話を資料付で頂いたことがあるのです。資料は厚労省への疑義解釈の返事でその時に読み直してから書けば良かったのですが、PCを更新した時にデータが飛んでしまったらしく、確認せずに書いた経緯があります。ただ上限が無いと言っても1ヶ月の時間外の過労死ラインが80時間だったと記憶してましたので、

さすがに100時間とか200時間にすれば労基局も締結を認めないとは思いますけどね。

常識的には「そうだろう」ぐらいでこうしたのですが、江原朗様から即座に反論が入りました。

そんなことはありません。受け取ります。
労働省通達では、「延長時間が限度時間を超えている時間外労働協定も直ちに無効とはならない。」(基発169号、平成11年3月31日)とあり、合法的に限度時間を超えた36協定の締結が不可能ではありません。

おそらく江原朗様が準拠された部分は、

<限度時間を超えている協定の効力>

    問 延長時間が限度時間を超えている時間外労働協定の効力如何。
    答 延長時間が限度時間を超えている時間外協定も直ちに無効とはならない。
 なお、当該協定に基づく限度時間を超える時間外労働の業務命令については、合理的な理由がないものとして民事上争い得るものと考えられる。

ここだと考えられるのですが、この解釈を読むと労基法上は32条違反を回避できるが問題は残りそうな印象を抱いてしまいます。ここの解釈のさらに元の通達と言うか告示と考えられるのが、法務業の末席様から

現在の指針は平成10年の告示

こうされていますから、平成10年12月28日・労働省告示第154号「労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」であると考えられます。ここには「一定期間についての延長時間の限度」として、

第3条

 労使当事者は、時間外労働協定において一定期間についての延長時間を定めるに当たっては、当該一定期間についての延長時間は、別表第1の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。ただし、あらかじめ、限度時間以内の時間の一定期間についての延長時間を定め、かつ、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り、一定期間についての延長時間を定めた当該一定期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定める場合は、この限りでない。

まず別表第1なんですが、

期間 限度時間
1週間 15時間
2週間 27時間
4週間 43時間
1箇月 45時間
2箇月 81時間
3箇月 120時間
1年間 360時間


この表の限度時間に対して原則は、
    それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。
「ならない」ですから強い禁止表現と受け取れます。ただしここで例外規定があり、
    限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り
こういう事が起こったときに、、
    労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定める場合は、この限りでない。
つまり「どうしても」の事情が「臨時的」に起こったときに「一定の時間まで労働時間を延長することができる」という項目があります。これの疑義解釈への返答が、
    延長時間が限度時間を超えている時間外協定も直ちに無効とはならない。
個人的には元の告示を読んでも、疑義解釈を読んでも、限度時間を超える時間外労働は実質禁じられているように読めてしまいます。もちろん江原朗様はこの件について入念に研究され、厚労省や労基局に十分な問い合わせをされていると聞いていますので、「可能なんだろう」と信じていますが、文面上は正直なところ「???」なのは白状しています。

法務業の末席様はご紹介の必要は無いと思いますが、99.99%本職の社労士です。こういう事は専門中の専門なのですが、

時間外労働の上限基準を超えた協定については、江原朗先生が仰るように違法ではなく三六協定として有効です。ただし労基署の窓口においては、よっぽどボンクラな職員でない限り協定届の書式(下記アドレスよりダウンロードできます)の「延長することができる時間」の数字をチェックします。そのチェックにより基準オーバーであれば、持ち帰って労働者と協定を結び直して来るように「指導」を受けます。

この労基署窓口での「指導」を拒否して、法的に協定は有効であり受け取らないのであれば行政訴訟も辞さない、などとゴネれば受け取って貰えます。ただし労基署の担当からすれば面白くない話ですので、必ずその事業所に対して徹底的な立入り調査が行なわれ、小さな違反事項も厳しく是正勧告が出されることは覚悟しなければなりません。

さらにですが、

時間外労働の上限時間の基準については、一番古い通達が昭和57年の労働省告示(現在の指針は平成10年の告示)で、それ以前には上限時間の基準がありませんでした。それ故に基準告示が為された昭和57年より前に締結された三六協定には、上限時間をオーバーしているものが見受けられます。そうした古い協定も法律上は一応有効だということであって、現時点で上限を超える三六協定を新たに「労基署に届」すること、並びに締結の相談を労基署に行なうことは実質上不可能です。

告示や解釈を読む限り、法務業の末席様の言葉の方が「実際はそうだろう」と思ってしまいますし、実務を行なっている専門家の言葉なのでこれを積極的に疑わなければならない理由がありません。ただ江原朗様もこの件については研究調査を行なってらっしゃるので「できる」の言葉を間違いだと切り捨てられません。困っていると法務業の末席様から、

雇用契約というのは使用者と労働者の「私的な契約行為」ですので、労使双方が十分に話し合って納得ずくで合意した内容(雇用契約の締結や労使協定の締結の中身)について、「労基法に定められた最低限度の基準」に違反しない限り、民事訴訟での判決となれば社会的に見て余程酷い内容でない限り(社会的な合理性や相当性の基準に照らして)有効になります。

三六協定での「時間外労働時間の上限」とは、「労基法に定められた最低限度の基準」ではありません。「指導」の目安とするガイドラインです。その為にガイドラインを越える時間数の協定であっても、労働者側も十分に理解して納得しているのであれば、司法の面では合法であり、そのガイドラインを越える協定を「特別条項での協定」と呼んで労基署は容認せざるを得ないのです。先の投稿で「受付けないのであれば行政不服訴訟も辞さないとゴネれば…」とコメントしたのは、労基署には拒否する権限が法律で与えられていない事実を示す例え話なのです。

これは労基法の基本精神と言えるかもしれませんが、労使さえ納得していれば告示があってもそれを踏み越える事は法律上可能だと言う事のようです。協定書が労基局に提出されれば告示を上回る協定であれば是正するようにアドバイスは行なえても、「あえて」となればこれを拒めず、労基局が受け取れば労基法32条はクリアされる事になるようです。

う〜んと唸ってしまいそうですが、こんた様から駄目押しのようなコメントが入っています。

http://homepage2.nifty.com/karousirenrakukai/15-157-0502_Osakanissekibyouin36kyotei(nishiyama).htm
大阪赤十字病院の36協定で、医師だけ時間外を100時間にするという特別条項を作ろうとした問題があったようです。
以下引用
 病院側は、「実態として長時間になっているので、特別条項を入れないと労基署から指導を受ける。実態に合わない協定を結んでも意味がない」と、この特別条項を削除することはできないといいます。
 しかし、月80時間とされている「過労死ライン」をはるかに超える100時間という長時間の時間外労働を三六協定によって容認することはできません。 労基署も、こちらから説明すると、「特別条項になじまない内容であると理解できるが、労働者側が署名して提出されれば問題なく受け取る」ということでした。長時間労働への指導はないということです。

これには補足があって、

また、医師にアンケートをとると、特別条項がないと時間外手当が45時間以上は支払われないのではないかという不安が強く、特別条項を付けておいてほしい、という意見が多くあり、毎日の時間外と特別条項とは違うということが理解されていません。

100時間でも200時間でもの時間外労働を可とする三六協定は労働者が納得すれば締結可能であり、そうはしないように告示がありますが、これに強制力は無いというのが正しい解釈のようです。一般的には法務業の末席様のコメント通り「実質上不可能」は間違いないかと考えますが、医療現場においては「実質上不可能」を越える先例があるようです。これはあくまでも推測ですが、江原朗様が関係機関との問い合わせで得られた情報もこの辺の事を踏まえてのものじゃないかと思っています。

勤務医の労働環境改善のために労基法やさらに三六協定の話を何回も持ち出していますが、労基法はあくまでも労働者がそれを利用しようと言う積極的な意志が無い限り活きてきません。労基法から一歩もはみださない労働環境を即座に実現せよの要求まで口にする医師は多くありません。ただ労基法により規定された労働環境と言うのがまずあり、それを知り、その労働環境に少しでも近づけるように粛々と要求する努力が必要です。使用者側が労基法に基づいて積極的に改善してくれるような法体系もしくは法運用では無いという事です。

最後にssd様の〆のコメントを紹介しておきます。

オタキングのダイエット法ではありませんが、カロリーがどうのこうとか言わずに食事の記録を付けるが如く、残業時間の多い少ないを問題にしないで、まず労働時間をキッチリ付ける運動をするのがいいでしょう。
もし、勝手に時間外を減らすようなら、その事務職員を訴えてやる。

待遇改善の以前にまともな労務管理を要求するのが順序というもの。

労基法は労働者を守ってくれる法律ではありますが阿弥陀様のように、

    善人なおもて往生す、いわんや悪人をや
みたいに「嫌だ」と言っても追っかけてきてくれて守ってくれる存在ではなく、
    天は自ら助くる者を助く
サミュエル・スマイルズの自助伝のようなものだと言う事をよく噛みしめなければなりません。それにしても過労による疾患の治療にもあたる医師が、過労死ラインを超える三六協定の下で働くのが許容される世界はしんどいものです。