2008-08-24 日曜閑話4
今日のお題は「走り幅跳び」です。オリンピック競技の中でも「王者」って感じがするのは、あくまでも個人的にですがシンプルな競技です。ごくシンプルに競技者の能力を競い、勝ち負けがはっきりわかる競技です。走り幅跳びもその範疇に入りますし、古代オリンピックからある伝統の競技です。この走り幅跳びなんですが、世界記録更新は非常にユックリしたペースで行なわれています。ユックリの理由はいろいろあるでしょうが、どうも何十年に1人、天才ジャンパーが登場して記録を塗り替えるという感じです。
たしかにシンプルな競技なので、比較的用具の改良の影響は少ないでしょうし、革命的な新技術もそうは出ないとも思われますので、アスリートの生の才能が記録に直接反映される競技なのかもしれません。古くはジェシー・オーエンスが1935年に作った8m13(世界初の8m越え)は1960年まで実にに25年間も破られていません。さすがに8m13の記録映像は残されていませんが、1936年のベルリン五輪の映像があります。
1960年になり新たな天才ジャンパーが出現します。ラルフ・ボストンは25年ぶりにオーエンスの記録を塗り替える8m21を記録、その後も計5回の世界新記録、1回の世界タイ記録を樹立し、1965年までには8m35まで記録を伸ばす事になります。このボストンの記録映像を探したのですが、ニュース映画の中に数秒それらしきものはありましたが、残念ながらそれ以上のものは残されていませんでした。
このボストンも参加したメキシコ五輪で途轍もない記録が生まれます。メキシコシティは標高2300mの高地に位置し、平地に比べ空気が薄いために、短距離や跳躍系は空気抵抗が少なくなって記録が出やすい(逆に長距離系にとっては地獄)ので、幾つかの驚異の記録が生まれましたが、その象徴とも言えるのがボブ・ビーモンの8m90です。ボストンの記録を一挙に55cmも更新する大記録で、「世紀の記録」と言われることになります。その映像ですが、
このボブ・ビーモンの記録は「20世紀中には破る者はいない」とまで言われたのですが、1980年代後半から90年代初頭にかけて、それこそ世紀の天才ジャンパーが続々と現れて脅かし、ついに更新されることになります。後述しますが走り幅跳びの公式記録で8m90を越えたものはわずかに2人、8m80でさえ4人しかいません。ボブ・ビーモンを少し例外とすれば8m80を越える公式記録を持つ天才ジャンパーは3人で、彼らがほぼ同世代である事に驚かされます。
今回の話を調べていて恥ずかしながら初めて知ったのですが、1987年にロベルト・エミアンが8m86の大ジャンプを行なっています。これは現在でも歴代第4位の大記録です。大したものでこれも映像がYouTubeにあります。
公式記録として残されていますから、もちろん公式の競技会なのでしょうが、助走路の様子やスタンド風景を見る限り、かなりマイナーな大会で達成された記録のように見えます。もっともエミアン選手については何にも知りませんが、ローマの世界陸上で2位(8m53)で2位に入っていますし、当時の有力ジャンパーである事は間違いありません。いや有力どころか世界歴代でも屈指の天才ジャンパーになります。
ところでボブ・ビーモンの記録は現在では高地記録に分類されるものです。しかし高地記録と言う規定が出来たのがメキシコ五輪の後ですから、ビーモンの記録は正規の世界記録です。この世界記録の平地での更新に執念を燃やしたのが「天才」カール・ルイスです。陸上は記録が残酷なまでに刻まれる種目なので、カール・ルイスの記録といえども現在の記録と較べると「こんなもの」みたいなところは無いとは言えませんが、私が現役時代を知るアスリートの中では最高峰の選手であることは間違いありません。
カール・ルイスはロス五輪で100m、200m、走り幅跳び、100×4リレーで四冠王になっています。走っても無茶苦茶速かったのですが、もっとも得意としたのは走り幅跳びであったとされ、オリンピック4連覇の偉業を達成しています。当時「今世紀(20世紀)中には破られない」とまで言われたビーモンの記録に一番近かったのはルイスです。1991年の東京世界陸上の頃も短距離ではやや翳りが見える(それでもこの大会で100mの世界記録更新)とされていますが、走り幅跳びではまさに独壇場で、ルイスは当時この種目65連勝を続けています。世界記録まではさておき、優勝はルイス以外に考えられない状態であったと言えます。それぐらいルイスの実力は飛びぬけていました。
この無敵の天才ルイスの前に立ち塞がったのがマイク・パウエルです。パウエルはソウル五輪の銀メダリストであり、ルイスに挑む一番手であったの確かです。この時のルイスとパウエルの死闘は陸上競技のハイライトシーンとして、見たものに未だに語り継がれています。有名な死闘なんですがさすがに17年前の話なので詳細な記録がどうも完全には残っていないようです。一番詳細そうなのがUNCONVENTIONAL WORLD RECORDSのAthleticsのthe greatest long jump competition in historyなので、そこを中心に引用してみます。
場所はもちろん東京の国立競技場で、競技当日(1991.8.30)は微妙な追い風が吹いており、これも記録と勝負の綾に絡む展開となります。走り幅跳びは6回の試技で行なわれますが、まず1回目です。
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パウエル:7m85
ルイス:8m68
当時のルイスは短距離とのかけもちが多かったので、走り幅跳びは最初の1〜2回の試技でやめてしまうことがよくあったとされます。それでも8m50ぐらいはラクラクと跳んでしまい、他の選手は全く追いつく事が出来なかったのです。ちなみにこの8m68もこの時点の世界陸上新記録になります。ちなみに東京の世界陸上は第3回ですが、第1回(ヘルシンキ)の優勝記録が8m55、第2回(ローマ)が8m67でどちらもルイスの記録です。「もうルイスで決まり」の空気が早くも漂います。続いて2回目、
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パウエル:8m54
ルイス:不明
このルイスの2回目が不明なんです。跳んでファウルだったのか、それとも1回目で優勝するのに十分な記録を残せたのでパスしたのかは分かりません。とにかく記録としては残っていません。しかしここでパウエルがルイスに迫る記録を出してきたので、ルイスが燃えたとも考えられます。そんなルイスの3回目ですが、
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パウエル:8m29
ルイス:8m83(追い風参考)
追い風参考とは言え空前の大ジャンプです。過去にこれを上回るジャンプは上記のエミアンとメキシコ五輪のビーモンしかなく、人類は史上数少ない8m80台のジャンプをこの目にする事になります。この日のルイスは絶好調であったようで、ルイスはこのジャンプの感触から「世界記録を狙える」と感じたのではないでしょうか。そして4回目です。
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パウエル:ファウル
ルイス:8m91(追い風参考)
ファウルになったパウエルのジャンプも凄くて9mは越えていたとされます。しかしルイスのジャンプは追い風参考とは言えビーモンの「世紀の大記録」をついに追い越す事になります。この時点で誰しもルイスの歴史に残る勝利を確信します。「さすがはルイスだ」「さすがはスーパースターだ」と。このルイスの大記録の興奮の余韻が醒めない中、パウエルが運命の5回目に挑みます。
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パウエル:8m95
国立競技場が騒然となりました。ビーモンの世紀の記録はもちろん、ルイスの追い風参考の記録まで塗り替えてしまったのです。この後のパウエルの6回目は不明ですが、ルイスは敢然とパウエルの記録に挑みます。東京世界陸上が名勝負とされるのは、パウエルが5回目で世界新記録を出した後のルイスの跳躍にあると言ってよいと思います。王者のプライドと世界記録をかけて5回目、6回目をルイスは跳びます。
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ルイス5回目:8m87
ルイス6回目:8m84
目を剥くような大ジャンプをルイスは続けますが、ついにルイスはパウエルに届かず東京世界陸上のタイトルはパウエルの手に落ちる事になります。ルイスは生涯で五輪で9個、世界陸上で8個の金メダルを獲得しています。バトンミスがあったソウルのリレーを除くと、1988のソウル五輪200m、1993シュツットガルト世界陸上200mと、この東京世界陸上の走り幅跳びがたった3つの主要大会での敗戦記録になります。
銀メダルとは言えルイスは追い風参考ながら8m91を跳び、正式記録として8m87(ルイスの自己ベスト)を跳んでいます。ルイスは幅跳び史上唯一の8m90を越える跳躍を行ないながら負けた選手として歴史に残る事になります。いや8m80を越えるジャンプで負けた唯一の選手としてもよいかと思います。東京世界陸上から既に17年経ちますが、現在の走り幅跳びの歴代世界10傑は、
| 位 | 距離 | 名前 | 所属 | 日付 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 8m95 | マイク・パウエル | 1991年8月30日 | |
| 2 | 8m90 | ボブ・ビーモン | 1968年10月18日 | |
| 3 | 8m87 | カール・ルイス | 1991年8月30日 | |
| 4 | 8m86 | ロベルト・エミアン | 1987年5月22日 | |
| 5 | 8m74 | ラリー・マイリックス | 1988年7月18日 | |
| 5 | 8m74 | エリック・ウォルダー | 1994年4月2日 | |
| 7 | 8m73 | イルビング・サラディノ | 2008年5月2日 | |
| 8 | 8m71 | イバン・ペドロソ | 1995年7月18日 | |
| 9 | 8m66 | Louis Tsatoumas | 2007年6月2日 | |
| 10 | 8m63 | カリーム=ストリート・トンプソン | 1994年7月4日 |
パウエルの記録は未だに世界記録であり、ルイスの記録も世界歴代3位です。そもそも世界で8m80以上の記録を残している選手はこの時点で4人しかおらず、現在でも4人です。ほんの少し後にイバン・ペドロソが台頭し、幻の8m96を記録していますが、残念ながら正規の記録になっていません。記録を残すにはある程度の運も必要と言うことです。この歴史に残る8m80以上の天才ジャンパーの4人のうち2人が東京でベストの状態で競うと言う奇跡が起こった事が確認できます。走り幅跳びだけではなく陸上競技史上に残るハイライトシーンであるのがよく分かります。
東京でルイスに勝ち世界記録保持者になったパウエルですが、以後はルイスに勝てず、東京世界陸上の前にあったソウルも、東京世界陸上の後のバルセロナも銀メダルに終わります。一方でルイスの走り幅跳びの主要大会の戦績は、
| 年 | 大会 | 記録 | 順位 |
| 1983 | ヘルシンキ世界陸上 | 8m55 | 1位 |
| 1984 | ロサンゼルス五輪 | 8m54 | 1位 |
| 1987 | ローマ世界陸上 | 8m67 | 1位 |
| 1988 | ソウル五輪 | 8m72 | 1位 |
| 1991 | 東京世界陸上 | 8m91 | 2位 |
| 1992 | バルセロナ五輪 | 8m67 | 1位 |
| 1996 | アトランタ五輪 | 8m50 | 1位 |
これを見ても東京世界陸上のレベルの高さが分かりますし、東京世界陸上の時のルイスの好調さが窺われます。またルイスが最後に出場したアトランタ五輪なんて8m50で優勝しています。これもちなみになんですが、アトランタ五輪の後の優勝記録は、
| 大会 | 選手 | 記録 |
| シドニー | イヴァン・ペドロソ | 8m55 |
| アテネ | ドワイト・フィリップス | 8m59 |
| 北京 | アービング・サラディノ | 8m34 |
1991年の東京世界陸上のパウエル、ルイスのレベルは、現代でも見られないハイレベルである事が分かります。
パウエルの事を究極の一発屋と評する向きもあります。ルイスに勝った東京世界陸上でも優勝記録の8m95以外には、8m54、8m29、7m85です。それに対してルイスは記録に残る5回のジャンプで8m80以上を4回跳んでいます。もう1回も8m68です。パウエルの東京以外の記録は見つかりませんが、8m95に次ぐ記録は8m70程度だったとも言われています。
パウエルはその才能でルイスに劣っていたのは間違いありませんが、ルイスさえいなければ十分王者の実力はあります。余りにハイレベルだったので軽視されがちですが、パウエルの8m54はアトランタ、アテネ、北京の優勝記録を上回っています。パウエルが不幸だったのは同世代に絶対のスーパースターであるルイスが君臨していた事で、ルイスの後塵を常に拝してきた男の唯一の優曇華の花が東京世界陸上であり世界記録であったと思っています。
世界世界陸上と言う大舞台、また王者ルイスも生涯最高のジャンプを見せ付けた大会での奇跡の記録。いつの日かパウエルの記録も塗り替えられるでしょうが、パウエルとルイスの東京の伝説はいつまでも語り継がれると思いますし、語り継いで行きたいと思います。
ではでは最後に東京世界陸上のYouTubeをご覧下さい。世界のLong Jump史上に残る驚異の大跳躍の競演と、走り幅跳びの神が降臨したあの東京の夜を・・・


wikiをみると、100は歴代2位、ロングジャンプ日本歴代4位。
陸上400リレーの銅メダルは北京五輪の最大のハイライトシーンかもしれません。アメリカやイギリスがこけた事を指摘する声もあろうかと思いますが、リレーではそういう事も含めて勝負ですからね。大袈裟に言えば二度と見れないシーンとも思えます。
国際的には、フェルプス8冠7個の世界新あたりでしょうか?
個人的にも、陸上400リレー、フェンシングの銀は興奮しました。陸上400リレーは予選の結果の時点で、wktkでした・・・www
>陸上400リレーは予選の結果の時点で、wktkでした・
ちょっと不謹慎ですが、「なんとラッキーな」と思ったのは確かです。メダルを取る時はそんなもんなんでしょうね。
ルイスの2回目はパスです。これははっきり覚えています。
100x4Rですが、ジャマイカが37秒10の世界記録で優勝しましたよね。その前の記録が
37秒40で、これアンカーがルイスだったんです。ジャマイカが記録を破ったことで、
陸上の世界記録からルイスの名が消えたことも象徴的でしたね。
続)
うーん、死因は、これは、出血死で、疑いようないのじゃないでしょうか?麻酔科の先生としても、最初帝切予定で、硬膜外+脊麻はじめたのも、普通のことだし、術中、輸血が届かなければ、この状況だと、補液だけして血液薄まって止血しなくなっても、と、補液不足ぎみになるのも、それが正しかったか否かは別として、解る気がする・・
産科の先生はもちろん、限られた医療資源の状況下で、手は尽くされたわけですしね。。
しかし、あえていうと、これはもう、手術室麻酔のレベルではなく、外傷の初期救急の管理に近いわけだから、もっと思い切って、ルートも追加してとって、どんどん補液入れてもよかったかも・・と思います。
まあ、皮膚科あがりの美容外科医の感想です。笑って読み飛ばしてください。突っ込んでいただけるご親切なかたいらっしゃったら、ご教示感謝です。
私の子供時代は、まだ、日本の三段跳びがかつて金メダルを連続して取っていたことや、友情のメダルで有名な、棒高跳びでも日本人が活躍していたことを知っていました。
ちょっとWikipediaで調べてみたのですが、幅跳びでも南部忠平が31年に当時の世界記録7m78を出しているのですね。翌年32年のロサンゼルスオリンピックでは三段跳びで金、幅跳びで銅を取っています。次の36年ベルリンでは田島直人が三段跳びで金(世界新16.00m)幅跳びで銅。ちなみに三段跳びは28年アムステルダムの織田幹雄以来、日本人が三連覇です。走り幅跳びでも、かつては日本人が世界記録を持っていたなんて信じがたいですね。
北京では、陸上400リレーの銅メダル、平泳ぎの北島康介の2連覇が話題ですが、かつて戦前の日本は陸上でも活躍していましたし、フジヤマのトビウオで有名なように、水泳日本とも言われていました。200m平泳ぎもアムステルダム、ロス、ベルリンと連覇しています(アムステルダム、ロスは鶴田義行の2連覇、ベルリンは葉室鐵夫、ベルリンの女子は有名な前畑秀子)。北島康介の偉業も、戦前からの歴史の上につながっているのです。
今でも、陸上は欧米の白人と、アフリカの黒人ばかり、競泳はほとんど白人ばかり、その中で数少ない東洋人として、日本人が活躍しているのはちょっとうれしいです。でも、それは、100年近く前から続いていることも知って欲しいです。
すみません、計算してみると、5時間で15Lの補液だから、時間3L平均ですね。
平均で3Lということは、急速投与時には、もっと速かっただろうから、これ以上は無理なのかなあ。。
ルート一本全開で、1L15分くらいでしょうか?血管細ければそんなに入らないですよね?
片腕に補液全開、片腕に輸血として、あと、足とかからもう一本補液全開、ってわけにはいかんかったのかな?・・
変なこと書いてたらごめんなさい。こんな修羅場経験したことないんで、見当がつきません。
細かな訂正申し訳ありません。南部忠平の記録は7m98のはずです。記録したのは御指摘の通り1931年で当時の世界記録です。実はってほどの事はないのですが、今日のエントリーを書くに当たって、走り幅跳びの世界記録の変遷を書こうと思ったのですが、これが見つからないのです。普段はマイナーな種目ですからそれまでと言えば、それまでなんですが、世界記録保持者が少ないのもあるようです。
おそらくですが世界記録の変遷は、
1931 南部忠平 7m98
1935 ジェシー・オーエンス 8m13
1960〜1965 ラルフ・ボストン 8m21→8m35
1968 ボブ・ビーモン 8m90
1991 マイク・パウエル 8m95
南部の前になるとサッパリわからなくなります。
走り幅跳びはエントリーの冒頭でシンプルな競技としましたが、一点だけ非常に高度なテクニックが必要になります。一点だけなんて書くと走り幅跳びの選手に怒られるかもしれませんが、踏み切り板からの跳躍距離が記録であり、踏み切り板を越えたらファウルになる事です。
9m以上の幻の大跳躍はパウエルの東京世界陸上の4回目もそうですし、ルイスにもあると言われていますし、ペドロソにもまたあります。人類は9mを跳ぶ能力はありますから、ルイス、パウエルに匹敵する才能の持ち主が再び現れ、ファウルにならなければ世界記録は更新可能のはずです。ルイス、パウエル時代から既に17年、次の五輪には21年になりますから、そろそろ21世紀の天才ジャンパーが出現する頃だとは思っています。
幅跳びは確かに走って跳ぶだけの競技です。ですが奥は深いです。
まず助走ですが、これは距離がまず問題になります。踏み切り板に足が会う距離を練習で
ある程度つかみますが、短すぎるとスピードに乗れないし、長すぎると踏切前に疲れて減速
してしまいます。さらに本番での調子や風の状態、グラウンドのコンディションで微調整が
必要です。調子がよくて体が軽いときや追い風の時、あとグラウンドが固い時は距離を長めに
取らないとストライドが伸びてファウルになったり、踏切が合わなくなってしまいます。
踏切は幅跳びの技術の粋です。前方に推進する力を斜め上方に変えなければいけません。
理論上は45度が理想ですが、人間の脚力の関係でそんな角度では飛べません。だいたい
経験のない方だと10〜15度くらいです。練習を積めば18度くらいに上がります。理想は
22〜23度くらいと言われていて、23度で上がれれば理論上は100m11秒くらいの人でも9m
ジャンプは可能だと言われています。ちなみに東京の時のルイスは19.7度、パウエルは
20.5度という結果が映像解析から得られていて、この差を生んだパウエルの踏切技術が
ルイスのスピードを凌駕したといえます。
踏切の最大のポイントは、上への跳躍力を得るために踏切の2〜3歩前から重心を落として
足を屈曲させ「ため」を作ることにあります。ちょうどバネを押し縮めるのと同じ感覚
です。ルイスはスピードはありますが踏切の前に重心を沈み込ませすぎて(動画で見れば
体が沈んでいるのがはっきりわかります)せっかくのスピードを殺してしまっています。
パウエルは重心の移行がスムーズでパッと見には重心が下がっているように見えません。
非常に高い技術です。
あと空中姿勢です。ポイントは着地を安定させるために上体をなるべく早く直立させ、
重心を安定させることです。人間は頭が重いので幅跳びをするとどうしても体より
頭が遅れてしまいます。すると頚が後屈して重心が後ろになり、着地の際に尻もちを
つく原因になります。昔の反り跳びは体を反らせて復元させることで頭を前に持って行く
考え方ですが、体を反らすためのエネルギーがジャンプの距離を妨げることになります。
はさみ跳びは足を前後に動かすと上体が自然に直立してくる人間の解剖学的な生理を
利用したものです。手を回すのはバランスを取るためです。
着地も難しく、足をそろえれば距離は稼げますが尻もちをつきやすくなります。
足を広げれば安定しますが距離はロスします。
「専門的解説」ありがとうございます。とくに反り跳びと挟み跳びの優劣は興味深かったです。専門的にはどうやら「反り跳び < 挟み跳び」みたいなようですが、そうなると反り跳びで8m86を跳んだロベルト・エミアンは凄いという事になります。エントリーにも書いたようにエミアンは今回初めて聞く名前で、ネット上でもさほど情報はありません。少ない情報の中に
「エミアンの跳躍は高かった」
との評価が有ります。「高かった」との比較の対象は並のジャンパーではなく、ルイス、パウエルクラスと比較してのものと考えるのが妥当で、飛び出し角度で非常に優れていたのかも知れません。空中姿勢で劣る分をカバーするために、飛び出し角度の向上を磨き、8m86の大記録を残したのかもしれません。もっともあのビデオ1本では本当はなんとも言えないのですけどね。
さて、Bob Beamon の世界記録ですが、現在でもオリンピック記録ですね。
今年で40周年ということで、北京オリンッピック中に、オリンピック委員会主催の
セレモニーがあったようです。もちろんご本人も参加されたとのこと。
世界記録の変遷は、こちらをご参考ください。
http://www.athletix.org/statistics/wrLJmen.html
織田幹雄の名前が出ていましたが、学生時代にアムステルダムまで旧オリンピック
スタジアムを見に行ったことを思い出しました。
とっても悔しい思いをしています。「あれだけ探したのに!」てなところです。でもありがとうございます。歴代の記録保持者を見れば、ラルフ・ボストンとしのぎを削ったソ連選手がいるようですね。ただスペルからじゃ発音が思い浮かばないのが悲しいところです。
ラルフ・ボストンと争っていたのは,イゴール・テルオバネシアンです.連続写真を見ると,非常にまとまったはさみ跳びをする選手だったようです.
オリンピックはローマ・東京2大会で銅メダル,メキシコで4位に入っています.
さて,ロベルト・エミアンの跳躍は,東京の世界選手権で見ました.確かに高い跳躍で,豪快な反り跳びでした.この時は確か8mを越えた(8m04だったか?)のですが,予選通過記録(記憶では8m10)にわずかに及ばず予選敗退でした.彼は’87年に8m86を跳び,翌年のソウル五輪で5位になっていますがその年にあったアルメニア大地震で負傷し,しばらく競技会に出てきませんでした.
東京の世界選手権は久々の世界大会復帰で注目していたのですが,残念に思ったことを思い出しました.
>イゴール・テルオバネシアン
そう読むんですか、ありがとうございます。
>ロベルト・エミアンの跳躍は,東京の世界選手権で見ました
エミアン選手は東京世界陸上にも参加していたのですね、ちょっと驚きました。17年も前の話なので、1位パウエル、2位ルイスは誰でも覚えているのですが、3位が誰であったかもなかなか見つからないぐらいです。ましてやその他の参加選手になると調べてもチョットと言うところです。
>その年にあったアルメニア大地震で負傷
そうだったのですか!エミアンも80年代後半から90年代前半にかけて輩出した超人ジャンパーの1人ですから、体調万全なら、パウエル、ルイスに加えてエミアンが加わった超「夢の競演」になる可能性もあったわけです。そこまで求めるのは贅沢が過ぎるかも知れませんけどね〜。
エミアンが出ていたこと,予選落ちしたことは間違っていませんでしたが,予選通過記録は8m05の設定されていて,エミアンの記録は8m00でした.フィールド競技の予選は通過記録を越えた選手は無条件に決勝ラウンドに進めますが,通過者が12名未満の時には記録順に12番目まで拾って行きます.この時の12番目の記録は8m01.エミアンは1cm差で決勝進出を逃していました.しかも,記録順に予選通過した選手の記録は8m04,8m04,8m03,8m02,8m01,8m01で,予選でも熾烈な争いがあったのです.
ちなみに決勝のトップ8の最低線は7m99です.
決勝で3位になったのは,アメリカのラリー・マイリックス(8m42)でした.北京五輪の優勝記録よりも良い記録です.マイリックスは1979年のワールドカップ陸上で8m52の当時平地世界最高を出し,ベストは1988年の8m74(世界歴代5位).非常にスピードのある選手で,200mのベストが20秒03(末續選手の日本記録とタイ)です.東京の年は35歳で,この年は8m50を跳んでいました.これはカール・ルイスとともに35歳以上の世界最高です.美しい3歩半のはさみ跳びを見せた選手でした.