2008-08-30 気持ちはわかるけど複雑
いつも短い文章でシャープに切られるshy1221様が珍しく長めのエントリーをされていたので、一部引用します。
ここで裁判が終結してしまうことは、K先生本人のために良いことであったが、日本の医療にとっては、延命処置を施されただけで、何の解決にもなってはいないだろう。この事件で、一部の人たちは、産科医療の悲惨さ、産科医師の勤務の過酷さなどを理解してくれたけれども、一般の方々のブログなどを読んでも、やっぱり分かってない人たちの方が圧倒的に多いし、日本人は完全に崩壊しないと何も学ばない(いやマスコミなどを見ると崩壊しても学ばないのかも知れないが)ようだ。だから、裁判はキッチリと最高裁までいってケリをつける、実際の医療もキッチリと崩壊して頂く、そうすることで新しい医療が始まるのを見たかったなぁ、というのが正直な感想である。
もちろん「この事件」とは福島大野病院事件の事です。個人的には控訴期限が正式に終わる来週の金曜日(木曜日が期限)を待って確認したいのですが、各種報道では「どうやら」一審判決で確定すると信じられそうな情勢になっています。
私の考えはどうでも良いのですが、shy1221様の御意見は、無罪判決が確定することは、被告であった産科医師にとっては喜ばしい事だが、産科医療、日本の医療にとって果たしてプラスになるかどうかの疑問を発言されています。こういう考え方は起訴から審理中もあったのですが、個人的に思いは非常に複雑です。この裁判は当初、逮捕起訴されることも論外だが、訴訟で有罪になれば日本の医療は崩壊するとの現実的危機感に多くの医師が共鳴しました。
もうちょっと大雑把に言うと「無罪になれば日本の医療は救われる」です。2年半前の時点でも本当に救われるかどうかに疑問を持つものはいましたが、「有罪になれば破滅する」の裏返しとして「無罪なら救われる」の漠然とした考えがあったのは否定しません。しかし2年半は長かったのが実感です。逮捕時は医療崩壊の天王山であったはずのこの裁判が、重要な局地戦ぐらいに変質してしまったのが実感です。
重要な局地戦でもニュアンスに違和感が残る気がしないでもありません。上手い喩えが出て来ないのですが、源平合戦の水島の戦いのような感じがしないでもありません。えらいマイナーな合戦でご存じない方が多いと思いますが、木曽義仲に京都を追い落とされた平家が、追討してきた義仲軍を備前(今の岡山)の水島で打ち破ったという合戦です。
源平合戦で平家が勝ったこともあったんだと思う方もおられるかもしれませんが、平家方にとって重要な局地戦で、水島の勝利により、一の谷まで進出し、大陣地を築く事につながる勝利です。歴史はこの後、宇治川の合戦の義仲敗死、一の谷の逆落としになるのですが、一時的に平家の勢力を盛り返したという意味では、歴史上では扱いが軽くとも、平家にとっては非常に重要な合戦です。
ただ上手い喩えではないと言うのが、医療が平家のように一の谷の大陣地を築くほどに勢力を盛り返せるかの問題があります。平家は水島の勝利により源氏と五分の勝負を挑めるまでに回復しましたが、医療にそんな力があるかどうかです。あれば掛け値無しの重要な局地戦ですが、無ければ徒花の勝利に過ぎなくなります。そうですねナポレオンがワーテルローの前に黄昏の勝利を飾ったリニーの戦いぐらい位置付けでしょうか。
せめて水島ぐらいの価値の勝利であればまだ意味がありますが、リニーでは勝ったという事が後の歴史にほとんど影響しなしものになります。それならばと言う事で、
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裁判はキッチリと最高裁までいってケリをつける、実際の医療もキッチリと崩壊して頂く、そうすることで新しい医療が始まるのを見たかったなぁ
こういう感想をshy1221様が抱くのは理解は出来ます。私も焼野原論を唱えた事がありますから、理屈としてはわかるのですが、一方でshy1221様のエントリーにコメントを寄せられた麻酔科医様の意見にも心情として共感してしまうところがあります。
でも、先生、祖父母に聞くと、戦後直後のほうが、配給とか大変で、闇市とか大変だったということを聞いていますから、それと一緒で、終戦したとしても、「これから」が大変なんだろうと思います。
第二次大戦まで持ち出さなくとも、もっと身近に経験した崩壊として阪神大震災があります。あれも正直なところ大変でした。恥ずかしながら、さほどの被害を受けていなくとも大変でした。崩壊から復旧の過程を嫌でも見せ付けられ経験しましたが、もう一度やりたいかと言えば「もう御免」とさせて頂きます。医療崩壊と阪神大震災を同列に論じるのは基本的に無理があるのですが、崩壊体験としてあまりに強烈だったのでどうしても引き合いに出したくなります。
ここで「ほんじゃ、どうするんだ」と問われると苦しいところです。合理的な判断と震災体験による忌避感情が葛藤してしまうのが本音です。
とりあえずですが、私の感情としては、はっきり言って根拠は何も無かったのですが、判決で無罪が出れば、何か新しい展望が生まれるんじゃないかと本当に漠然と期待していました。もちろん判決が出て間が無いですから、まだまだ分かりませんが、無罪判決はこれ以上悪くならなかっただけの様な気がしてきています。医療崩壊は目に見えない部分は手遅れまで進行していますが、これからジワジワと目に見える部分が止め処もなく進んでいきます。底が分からない崩壊の進行と、そこからの復旧過程を嫌でも体験しなければならないようです。正直ウンザリです。
それにしてもですが、自分で書いたので文句は言えませんが、平家もナポレオンも喩えとして良くないですね。どっちも末路は・・・ですから。

長いダラダラした文章を書くより、短い文章に凝縮する方が体力がいるという説があり、そういう点でいつも尊敬させていただいています。そんなshy1221様でも長くなってしまったと言うのが、この問題の複雑さを表しているように感じましたので引用させていただいています。
率いているのがカエサルなら良いのですが。
>事故調戦線
一の谷に見えないことはありませんが、相手に義経がいない事を祈りましょう。
その予測の通り、事故調設置法案の攻防戦が年末までのヤマでしょう。
既に法務大臣は、「医療の萎縮を防ぐために事故についての判断は第三者機関に委ね、刑事司法は抑制的に対応すべき」との考えを記者会見で披瀝しています。
以上は TBS News(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3935758.html)より
「つぶさに検討すると、過失がまったく無いわけではないが、民事で争うならともかく、刑事責任を問えるほどの過失はない」
という判決が、「医療の刑事無過失」の議論につなげていくためには、よかったのかもです。
まったく過失がなかった、と判断することで、司法は、この問題の判断を、先送りしたとも解せられます。
やはり医療側は平家ですかorz
神戸の人間なので平家には悪感情が少ないもので・・・なんのかんのと言っても、ほんの一時期でしたが、都が神戸にあったのは清盛のおかげですから。これはあくまでも関西人の視点で、関が原の西軍、大阪の陣の豊臣方を心情的に応援してしまうのと同じ心理です。
負ければほとんどの人(ごく一部のお金とコネがおっそろしく充実した人を除く。)にとって焼け野原なのに。
>まったく誰と戦ってるんでしょうね。
冷静に考えると極めて不思議なんですが、やっぱり「戦っている」としか表現できないです。少なくとも天災では無さそうな気はしています。
いや、なぜカエサルはあの時ルビコン渡河を決断したのかがここでは重要。
今回のは、誤嚥性肺炎に抗生剤が効いてはくれたが、基礎疾患はなんら変わってないってことで。
なんとなく、攻めた側も守った側も確たる展望なく推移した、帝国期ローマのユダヤ戦争めいたグダグダ感が漂います。
ユダヤ人の主観では、存在と信仰の危機でしたが、帝国全域からみれば一つの局地戦で、市民の関心は驚くほど低いものでした。
ちなみに、戦争の結果ユダヤ人はそれまで認められていた自治権を失いますが、ユダヤ側のかたくなさが招いた事態でもあり、現状のたとえとしては不適切かも知れません。
誰が誰と;もそうですが、「何を目的に」もよく分かりません。
このため、この問題がどこに着地するか・・・
一の谷、関ヶ原・・どの戦いも事後に「天下分目」と検証されただけで、その時点で戦略的な意味を深く考えていなかったかもしれません。
この問題「誰が」の悪者探しをやめて、「何を」の問題解決に転換していく事を希求します。
今回のケースを結果的に振り返ると、いちばん収まりが良かったのは、加藤先生が逮捕された時点で、患者遺族が「わたしたちは、担当医が刑事で罰せられるところまでは望んでいない。民事として解決したい。」と意思表明することだったと思います。
ここをよーく噛みしめてください。
医者は人間です。医療行為を行うにあたっては善意ですが、能力には限界があり、ときに過失を起こします。
しかし、憎んではいけません。医者や医療は不完全なものです。これを憎めば、医師は逃散し、医療は崩壊するだけです。
過失を起こした、あるいは、起こしやすい医師や病院は、民事で社会的に制裁しましょう。
病院やその医師の賠償責任保険掛け金は上がって、最終的に、病院存続や医師の仕事を続けられなくなります。
そのような形で淘汰されていくのが望ましい形です。
過失を恨んではいけません。憎しみは、あなたの心の平安も含め、何も解決に導きません。
とくに、医師の過失によって自身あるいは、身内を、被害にあわれた方、その悲しみや、憎しみ・怒りを、乗り越えられた方、そこに至るまでの、心のケアのノウハウを、伝えて欲しい。
これいじょう、医療を崩壊させないために、必要なことです。これからの日本の公的医療の財源では、そういったところまで手が回らない。
だから、ボランティアとして社会に育って欲しいと思います。
ルビコン川を渡ったとなると自ら退路を断ち 決然と政敵に対峙したことになります。
退路を断つとは もう医療は後戻り出来ないことを医療側が認識したのですかね?
オイラの考え方はまだ甘いのかもしれません。まだ何とかなる、医療側のパターナリズムは まだ通用すると つい思っています。
退路を断つといっても成算はあるのでしょうか?
1)財政的になんとかなるか
2)日本人の心がなんとかなるか
って、二つの面があります。
1)は何ともなりません。日本の経済・政治の問題ですから、手が届かない。
2)のほうは、今回の収穫大きかったんじゃないでしょうか?
もっとみんな、喜んでもいいと思うんだけどな・・なんだか不思議です。わたしは嬉しい。
たぶん、気が付くと「そういえば、少し変わったな」ってくらいのことなんでしょう。
だけど、意味はありますよ。
取り除いただけでは良くならないかもしれませんが、取り除かないと病状がますます進行する時がありますし、取り除かないと主病の治療に取りかかれないこともあります。問題は取り除き方で、主病と一緒に治ってくれるものもあるでしょうし、増悪因子だけに別立ての治療戦略を考える必要がある時もあります。外科的に根治術を行なうにも、根治術を行なうだけの条件整備を行なう必要があるとも考えられます。手術さえすれば治るものではありませんからね。
医療崩壊は病気に喩えると非常な難病です。いくつも合併症があり、その合併症が主病の増悪に複雑に絡んでいます。さらに合併症一つ一つが難病の上に、主病に至っては明確な治療法さえ確立されていません。治療法は高価な治療薬を金に糸目を付けずにとなれば、ある程度の効果を期待する方法はありますが、保険診療の縛りでそれが使いにくい状態になっています。
今回の判決は厄介な合併症の一つがようやくなんとかなったと言うところでしょうか。もし放置していれば、この合併症だけで死命を制する可能性がありましたが、なんとかしのぎきったと言う感じです。合併症が一つ減ったので患者への負担は少し軽くなりましたが、主病自体はまだまだ手強く前途は厳しいというぐらいに考えます。
医療も、崩壊するっていったって、国と同じで、目に見えて無くなるわけではなくて、どんな悲惨な状況になったところで、ゼロにはならない。
ある意味、日本も医療も、すでに崩壊してしまってます。ゆでガエルってやつで、気が付いてないだけ。
私が今回の件を通して得た大きな収穫(と自分で思っているの)は、この八方塞がりな医療社会の情勢を真剣に憂え、マスコミ共の誘導にのらず、自分で考えて支援を表明してくださった非医療者の方々がこんなにいる、という事実でした。実は私、自分の患者さん達に対しては精一杯やろうと思う一方、「世間」に対してはちょっと絶望的認識だったんですが、少し持ち直しました。
焼け野原待望論の言わんとすることは恐らく真実でしょう。マスとしての「日本国民」には。でも私は、今回支援に賛同してくださった方々が必要な医療を受けられない社会は、やっぱり見たくありません(マスコミ系の奴らとかは別にどうでもいい)。
これからどうなるのかはさっぱり解りませんが、結局の所、「わかる」人達と「わかんない」人達とに大きな乖離ができ、両者は例えば受けられる医療などのQOLが違うという形に帰結するんだろうなぁ、とぼんやり思っています。
事故調で、ありとあらゆる死亡例に調査要望が殺到すれば次の加藤先生の悲劇は避けられない
医療事故被害者を率いて事故調を誘導しているのが、カトー先生であるとは、偶然の一致とはいえ、象徴的だ。
医療崩壊への道は、”被害者”感情慰撫という美辞麗句で敷き詰められるが、直ぐに医療にアクセスできない人の怨嗟の声で、たちまち血みどろになることだろう
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http://www.isenp.co.jp/news/20080830/news09.htm
「伊賀市上野車坂町の整形外科診療所「谷本整形」(谷本廣道院長)は二十九日、点滴治療を受けた患者二十九人が体調を崩した院内感染に伴う、改善報告書を伊賀保健所に提出した。再発防止策として医療安全管理対策委員会の院内設置や衛生管理の指針・マニュアル作成を盛り込んだ。県は計画書の内容を精査、立ち入り調査なども踏まえ、六月から診療所に要請を続けている営業自粛の解除を検討する。」
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http://www.47news.jp/news/2008/08/post_76.html
「谷本廣道院長は、県に二十九日提出した改善報告書を『スタッフみんなで意見を出し合って検討した』と胸を張った」
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うーん・・
過失を責めると医療は崩壊する、医者も医療も不完全なものだ、という私の前言に照らすと、これでいいのだろうか?・・
すごく複雑な気分。
だけど、たぶん、(地域)社会がこれでいいと認めれば、これでいいのだろうな。。。
なんだかめまいしてきた。。
こりゃ人治主義ですな。詳しい事はよくわからないのですが、この整形外科には「懲らしめてやる」との民の声が乏しかったからこの程度の処分で済み、福島では「懲らしめろ」の声が高かったから刑事裁判まで発展したと。医療事故のウォッチャーとしては頭が痛い展開なのは確かです。
今日は早く寝て頭をリフレッシュしましょう。整合性を煮詰めて考え出すと熱が出てきそうです。
>わたしはむしろ、こっちのニュース見つけて複雑。
再開したところで患者来ねぇだろ!?と普通は思うところなんですが、確か他に医療機関なくて野戦病院状態だったんですよねここ。
…まあ世の中ってこんなもんなんでしょうねえ。どうか、と思うような診療やってるのに流行ってるトコ、私ここ以外に具体的に4つ程知ってます。
私は、医療とは無関係の人間ですが、加藤先生の無罪確定、おめでとうございます。と言わせて頂きます。
もし、有罪判決が出たら、医療崩壊がさらに進むだろうと、心配していました。
患者になるかもしれない私にとっては、医療崩壊は困りますから。
これで、医療崩壊が止まり、さらに、医療従事者の労働環境が改善されれば、モット良いんですけど。
今回の裁判と直接関係する訳ではないですが、この騒ぎを境に、勤務医の労働環境の実態を、一般人が理解できれば良いんですけどね。
マスコミが最近少しだけ、勤務医の過酷な労働環境の実態を取り上げていますが、一般人には、あまり認識されていないみたいです。
マスコミがあまり取り上げないなら、ネットを使って、地道に現状アピールを続けて行くしかないでしょう。
私はネットを徘徊して、勤務医の過酷な労働環境の実態を知りました。
厚労省の現状認識も、少しずつ変わってきている様ですね。
平成18年7月28日の『「医師の需給に関する検討会報告書」の公表について』では、医師の偏在は認めている様ですが、それでも現状とかけ離れた認識でした。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/07/s0728-9.html
僻地の産科医さんが、紹介している『「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化に関する検討会』では、相当、医療現場の実態を反映した内容になっていますね。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/08/post-1341-68.html
この中で、「中間取りまとめ」(案)では、
>・OECDの人口10万対の平均医師数がわが国の約1.5倍であることも考慮し、将来的には50%程度の医師養成数の増加を目指す。
と、ありますが、こんな事できるんだろうか?、と思っちゃうんですが、これ位しないと勤務医の労働環境は人並みにならないですよね。
私の老後に、安心して医者に診てもらえる環境になってほしいと思います。
そのためにも、医者の労働環境が改善される事を、願っています。
医師数の増加は必要と私も何回か書きましたが、勤務医の労働環境の改善のためには必要条件ですが、十分条件ではありません。やはり増えた分の予算の裏付けが伴って初めて有効な策になります。医師増加に関して精力的に運動を重ねている先生方もおられますが、現在のところ増やす事に力点を置きすぎて、予算の裏付けに関しては二の次になっていると見方が出ています。
問題は医師の給与上の待遇がどれほどであるかが望ましいかです。これもまともに論じると異論がテンコモリ出てきます。議論の原点は現在の給与で十分か否かにまで行き着きます。論者の中には「今の半分、いや1/3にしろ」までの意見があります。そりゃ減らした方が医療費は安上がりになります。
ただ医療には質の問題があります。「給与=質」でない例はいくらでも列挙は可能ですが、マスで考えれば「給与=質」の関係は成立すると考えています。建前で「医療は金儲けのために行なうものではない」は美しいですが、医師になっても貧乏生活しか望めないのであれば、志望者の全体の質は必然的に下がります。これは医師に限らず他の専門職にも該当するかと思います。
給与が下がっても質の良い医師は出てきますが、質の悪い医師の比率は高くなると考えるのが妥当です。いわゆる「でもしか」医師の誕生です。医療で目立つのは「神の手医師」ではありますが、実際の現場を支えているのはその他の「並みの医者」です。「並みの医者」のレベルが医療の質を大きく左右します。待遇悪化により「並みの医者」のレベル低下は避けられないと考えています。
医療は社会資本であり、これにどれほどの予算をつぎ込み、どれほどの質と量を提供するかは国策になります。予算と質と量は明らかに連動しており、予算を削って質と量を高めるのは事実上不可能です。いくらスローガンを並べられても物理的限界はありますし、物理的限界が出ているのが現在の医療崩壊現象です。
厚労省の「数だけ増やす」路線も本当は小手先です。予算を削って数だけ増やしても質は下がります。質が下がるというのは個々の医師の質が下がる点も問題ですが、個々の医師の質が下がると、同じ頭数でも従来よりこなせる仕事の量も低下します。
理想的には医療の未来像を明瞭に描き、それに向かって整備充実を粛々と進めていくべきなのですが、未来像を描く時点で様々な思惑が入り込んで、すぐに神学論争になってしまう難点があります。また医療側からも明瞭な未来像を提示すべきなのですが、それを担う役割であるはずの医師会(日医)はひたすら迷走を続けています。
今回の訴訟は医療側にとって明るい話題であるのは認めますが、この訴訟の影響がどれだけ今後の医療政策に反映するかは不明と言ったところです。
財源が無いという議論には参加致しません。医療には一定のコストが必要。出せないなら破綻するだけ。そもそも財源を探すのは医師や医療業界ではなく財務省や厚生労働省の仕事であります。財源論議に引き込まれたら終わりです。敵の土俵では戦わないこと、それだけです。
消費税増税何それって感じでいきたいです。
医師増加と給与水準の維持の両立は難しいですね。
医師が増えても給与水準を下げたら、医療の質に影響が出るのは当然の事ですから、給与水準は現状を維持するべきでしょう。
確かに、一般に比べれば、医師の給与は高いかもしれませんが、1年365日24時間拘束状態なら、現在の医師の給与水準が高いとは思えないんですけどね。
私なら、同じ給料を貰えても、そんな状況には耐えられないです。
>医療は社会資本であり、これにどれほどの予算をつぎ込み、どれほどの質と量を提供するかは国策になります。
その通りだと思います。
今まで、厚労省は診療報酬を下げ続けて来たけど、医師の数を増やすためにも、診療報酬を引き上げる必要があるんじゃないでしょうか。
それには、保険料をアップするか、税金(消費税)を上げて対応するしかないように思います。
(他に良い方法思いつかないので)
1970年代のオイルショック以降、医療費は増え続けていますが、社会保障費はその2倍の伸び率です。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2796.html
今以上に社会保障費の負担が増えて良いのか、という問題がありますが、欧州に比べれば負担率は低いです。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5100.html
これについては、国民がどう判断するか、ですね。
その前に 医学部の教員を増やして下せえ。
教育施設を増やして下せえ。
医学部の教育とはおっしゃいますがねえ(涙)。
学部学生、大学院生、前期研修医、後期研修医 それぞれに専属のスタッフはいません。
それを同じスタッフでやれってか?教授が当直をせざるをえない診療科もボチボチみかけます。
自分たちが学生だったころと違って 仕事量は激増です。大学院生、前期研修医もマンツーマン、後期もネーベンですからねえ、泣く泣く面倒見てますよ。別々に。
おまけに研究費は自分で調達しろって。それが大学院生の研究費用に直行です。
医学部の定員を増やしてやるぞ、あとはお前らがお金も時間も工夫しろっていう風にしかきこえません。もう鼻血もでません。
これでまた大学病院から中堅医師が居なくなるなあ。
> 医師になっても貧乏生活しか望めないのであれば、志望者の全体の質は必然的に
> 下がります。これは医師に限らず他の専門職にも該当するかと思います。
天下りがなければ優秀な官僚が集まらないと公言して憚らない政府与党ですから、おそらくそれは理解してくれると思います。もちろん理解することと実現することは違うわけですが…
医療と教育はどちらも国家の一大事だと思いますが、どうにもおざなりにされている気がします。そして双方ともに現在になって問題が噴出してきているように感じます。
有権者の意識がそちらを向いてこなかったということでしょうか。高度なサービスがあって当然という時代が長く続いたために、意識すらされなかったということかもしれませんね。
無罪判決はもちろん喜ばしいことではありましたが、この事件がトリガとなって(ネットメインではありましたが)情報展開・議論が行われ、多くの人々に医療問題が意識されるようになったということが、この局地戦の意義というか戦果ではなかったか、と思っています。