少年とボール 推理編

まず7/8付読売新聞を引用します。

校庭ボール遊び、なぜ小5少年側に高額賠償命令

 愛媛県今治市で小学校の校庭から飛び出たサッカーボールをオートバイの80歳代男性が避けようとして転倒、その際のけがが原因で死亡した事故を巡り、大阪府内の遺族が訴えた民事訴訟で、大阪地裁がボールを蹴った当時小学5年の少年(19)の過失を認め、両親に約1500万円の賠償を命じた。校庭でのボール遊びが、高額の賠償命令につながったのはなぜか。

 判決(6月27日)などによると、2004年2月の事故時は放課後で、少年は校庭のサッカーゴールに向け、ボールを蹴っていた。ゴール後方に高さ約1・3メートルの門扉とフェンス、その外側に幅約2メートルの溝があったが、ボールは双方を越え、男性が転倒した道路まで届いた。

 裁判で少年側は「校庭でボールを使って遊ぶのは自然なこと」と主張したが、判決は「蹴り方次第でボールが道路に飛び出し、事故が起きることを予見できた」と過失を認定した。法律上、過失とは「注意を怠り、結果の発生を予測しなかった」場合を指し、これにあたると判断したためだ。さらに、事故から約1年4か月後の男性の死亡との因果関係も認めた。

 判決は、民法の「自分の行為でどんな法的責任が発生するか認識できない未成年者」には責任能力がないとする規定を適用し、当時11歳の少年でなく両親に賠償責任を負わせた。過去には11歳でも責任能力を認めた裁判例もあり、裁判ごとに年齢や行為を勘案して判断されるのが実情だ。

 一方、今回の判決で大きな疑問として残るのは、学校側の責任の有無だ。

 訴訟関係者によると、少年側は他人に損害を与えた場合に備えた保険に加入しており、保険会社と男性の遺族間の示談交渉が折り合わず、裁判に発展した。

 遺族側は「少年側の責任は明らか。学校の責任を問うことで争点を増やし、審理が長期化するのは避けたい」として、裁判の被告を少年と両親に限定。このため、学校設置者の今治市は「利害関係者」として少年側に補助参加したものの、「学校管理下の出来事でなく、監督責任はなかった」との主張は争われず、判決も触れなかった。

これだけの情報からあれこれ考えてみます。


現場を考える

事件が起きたのは2004年2月です。今治市の小学校となっていますが、今治市町村合併が行われたのは2005年であり、舞台となった小学校は旧の今治市内にあったと判断します。それぐらいは絞らないと調査が大変すぎます。季節は2月ですから、体育の授業でもサッカーがメインになっている頃だと考えても良いかと思います。

つまりサッカーの試合が出来るような配置でサッカーゴールが置かれていたと考えます。校庭の形は様々とは言え、一般に長方形です。サッカーゴールが置かれるなら、長い方の両端に配置されると考えます。さて問題のボールの行方なんですが、

    ゴール後方に高さ約1・3メートルの門扉とフェンス、その外側に幅約2メートルの溝があったが、ボールは双方を越え
この表現が正しいと仮定してですが、ゴールの後ろの状況は、
  1. 校門がある
  2. 校門の外側に幅2メートルの溝がある
探したポイントは、長方形の校庭の長い方の中央部付近に校門があり、なおかつその外側に溝がある旧今治市の小学校です。探してみると該当しそうなのは1校だけありました。本当にそこが事件の舞台になった小学校かどうかを確認する術はありませんが、そこであると仮定して調査を進めてみます。舞台と考えられる小学校の校門付近の概略図を示しておきます。
寸法は縮尺から割り出したものなので目安ぐらいに考えて頂ければ良いのですが、校門の右手には倉庫と考えられる建物があります。これが9m弱ぐらいありますから、サッカーゴールはこれより前方に配置されていたと考えるのが妥当です。もう少し言えば倉庫の横には緑地帯の様なものが倉庫の幅に沿ってありますから、サッカーゴールはさらにその後方に配置されていたはずで。

サッカーゴールが校門に余りに近いと出入りに支障を来たしますから、校門から15メートル付近ではないかと推測します。

読売記事ではボールは約2メートルの溝を超えた事を明記してあります。ボールが門扉を越えていたのなら、門扉の前は道ないし暗渠の蓋部分であり、溝の記述が不要かと考えられます。そうなると少年が蹴ったボールは、概略図の校門の左手側を越えたと考えるのが妥当です。そうでないと記事の記述は成立しません。

さて少年がゴールに向かって蹴っていたのは間違いありません。ゴールからどれほど離れて蹴っていたかですが、ペナルティ・キックの位置ならゴールから約11メートルです。ゴール自体が上記で考察した通り、校門から約15メートルですから、合わせると25メートル以上あります。さらに溝の2メートルがあり、フェンスを越える時にはフェンスの高さの約1.3メートルより高い必要があります。

またゴールの高さは2.44メートルであり、道路幅はあまり広くなさそうで、5メートル程度が精々ではないかと見ます。この辺の立体関係を図にして見ます。



こうやって考えるとかなりのキック力が少年にあった事がわかります。ゴールを越えた後にバウンドした可能性も否定は出来ませんが、バウンドしても1.3メートルのフェンスを越え、さらにフェンスの外側の2メートルの溝を飛び越えた事になっているからです。そうなるとなんですが、道路に達したボールはかなりの勢いがまだあったとするのが妥当です。

ここで2メートルの溝ですが、記事情報から溝の道路側には柵のようなものの存在の記述はありません。溝の深さにもよりますが、無くとも不自然ではありませんから、ここは無かったと仮定します。校庭からの飛び出したボールはその後はどうなったかを考えて見ます。フェンスから道路側の様子を図にして見ます。



校庭から飛び出したボールは、その勢いからして民家にまで届くと考えるのが妥当です。道路幅からして民家に衝突するまで1秒もないと考えてよいでしょう。この飛び出した直後のボールに対して老人はバイクで回避運動を行ったのでしょうか。可能性は否定しませんが、時間的にどうかの疑問は残ります。

むしろ民家から跳ね返ったボールを回避しようとしたと考える方が妥当です。ここで民家側がコンクリートの壁のようなものであれば、跳ね返ったボールは溝に速やかに落ちます。校庭から出るときよりはユックリでしょうが、それでも2秒程度ではないかと考えられます。これを老人が回避しようとして転倒したのもありえます。

もう一つ可能性としてあるのは、民家側が生垣等であり、跳ね返った時には「コロコロ」状態であったと言うのもありえます。実はこれが一番可能性が高そうに思います。道幅が本当に5m程度かどうかは自信がありませんが、校庭から飛び出た時、または民家側から強く跳ね返った時には、回避する余裕さえないように思えます。

道は広くないとは言え直線ですから、それなりに前方にボールが見えれば回避運動の必要はありません(せいぜいブレーキで減速する程度)し、目の前で突然ボールが横切れば、何も出来ずにそのまま通り過ぎてしまうだろうからです。校庭から飛び出たボールに反応して回避運動を行うのは非常に限られたタイミングになるからです。

一方でコロコロ状態であれば、これを避けようとするのがドライバー心理かと思います。そこで運転操作を誤って転倒した可能性が高そうに感じます。通常なら、その程度で転倒する可能性は低いのですが、当時85歳とか86歳と推定されますから、ボールの動きを読み損なっての転倒はありえます。

長々と推理推測を重ねましたが、前提としている仮定が正しければ、老人がボールを回避しようと時期は、

  1. 勢い良く校庭からボールが飛び出て民家に当たるまでの間
  2. 道路の対側にある民家に跳ね返った後、


    • 勢い良く跳ね返っていれば、これが溝に落ちるまでの間
    • 跳ね返る時に勢いが減殺されれば、道路にコロコロ転がる状態の時
どれかの傍証なんですが、6/28付朝日新聞6/28付読売新聞もタマタマかもしれませんが「転がり出た」と言う表現を使っています。この一致している「転がり出る」は判決にあった表現ではないかと推測します。

現場の状況からして「転がり出る」可能性はなく本来なら「飛び出る」です。それが「転がりで出る」となったのは、老人がボールを確認した時にはボールは「転がっていた」状態であったためではないかの推理は成立するかもしれません。そうなると校庭からボールが飛び出た後にコロコロと転がっていたボールを避けようとして運転操作を誤った可能性が高くなります。


訴訟経過

遺族と学校側、少年側の争いは少々複雑な経過を取っているようです。事情はどうあれ、結果として在校生である少年が蹴ったボールが原因で老人が負傷したわけですから、学校の管理責任はどうしても問われます。ここについて、前回取り上げた時には学校の傷害保険で先に話は付いていたのではないかの推測がありました。しかし事実は、

    訴訟関係者によると、少年側は他人に損害を与えた場合に備えた保険に加入しており、保険会社と男性の遺族間の示談交渉が折り合わず
折り合わなかった事情を推測しておくと、老人の負傷は、
  1. バイク転倒時の骨折
  2. 治療中の認知症発症
  3. 認知症によると考えられる誤嚥性肺炎による死亡
保険会社もバイク転倒による骨折治療については容認したかと思われますが、その後の認知症やましてや誤嚥性肺炎による死亡までは補償できないとしたかと思われます。もっともバイク転倒による骨折も認めなかった可能性も残りますが、その点については不明です。

いずれにせよ保険会社との示談が成立しなかった事は窺えますが、それならば保険会社なり、学校(つうより今治市)を相手に訴訟を起しそうなものですが、そうはならなかったのは周知の通りです。

    遺族側は「少年側の責任は明らか。学校の責任を問うことで争点を増やし、審理が長期化するのは避けたい」として、裁判の被告を少年と両親に限定。
事は訴訟ですから遺族側が「少年側の責任は明らか」と主張するは当然と言うか、そうしないと訴訟にならないので置いといて、学校側と切り離しての訴訟戦術を取っています。一審の判決結果は出ていますが、少年の家族側は控訴したようです。

この訴訟で少しだけ面白いのは、マスコミ側(とくに読売)が原告側でなく被告側に加担している点です。通常は「高齢者」とか「負傷から死亡」なんてキーワードがあれば、原告側に傾きそうなものですが、「小学生」のキーワードはこれを凌ぐようです。被告側原告側がマスコミを敵に回されたのは、それはそれでお気の毒です。

マスコミを敵に回すとどれだけ大変かは、医療関係者なら骨身にしみていますからね。その点だけは深く同情しておきます。2審の判断が待たれるところです。とくに認知症から誤嚥性肺炎に至るまでの因果関係がどうなるかです。


話は飛びます

話の見る角度を変えてみます。この事件で引っかかるのは、加害者とされる少年が学校保険の契約者である点です。学校保険の詳細は存じませんが、一種の傷害保険であるぐらいの理解で良いかと思います。

傷害保険で有名なものに自動車保険があります。あれも契約により変わるのですが、契約の種類によっては示談交渉もすべて請け負う形態のものがあります。今回も保険会社が示談交渉を行っていたと記事にあります。この示談がまとまらなかったのも記事にある通りなんですが、訴訟になった段階で保険会社の立場はどうなったのでしょうか。

たとえば医賠責なら訴訟になって賠償の支払いの必要が生じた時には、契約範囲内で契約者に賠償金が支払われます。今回も同様なんでしょうか。なんと言っても保険は契約内容により、支払条件が非常に複雑で、契約者にしても実際に事が起こらないと、どういう支払いが行なわれるのかチンプンカンプンなのは良くあることです。

今回のケースでは、訴訟で学校側が切り離されています。判決もそれに沿って行われています。あくまでも仮にですが、医療訴訟で医師個人と病院を切り離されて起されたものみたいでしょうか。そういう場合に、医師個人に賠償責任が認定されればどうなるかみたいな応用問題です。勤務医個人も医賠責に加入していれば問題は生じませんが、加入していなければどうなるです。

保険会社は契約者である病院にのみ補償するが、個人は別みたいな事が生じるかどうかです。これも契約内容により変わるとは思いますが、今回もやや似ているような気がします。私はそういう点では素人ですから、考えられそうなケースとして、

  1. 傷害に対する賠償は終了したとして保険会社の役割は終了する
  2. 保険会社は賠償として支払われた1500万円を少年の家族に支払う
  3. 少年の家族の賠償とは別に、保険会社にも判決に従った補償の支払いを遺族から要求される
  4. 保険会社は少年の家族に賠償分の1500万円を払い、さらに遺族から補償の支払いを要求される
さてどうなんだろうと考え込んでいますが、御存知の方はレクチャーお願いします。