2011-12-17 記者の感覚
12/11付msn産経west関西事件史「附属池田小児童殺傷(7)監禁された先輩記者」
よりです。池田小事件そのものについては今日は置いておきます。注目したいのは記者の感覚です。まず冒頭です。
大阪教育大附属池田小学校の児童殺傷事件からまもなく1年になろうとしていた。平成14年6月某日の夜。私は必死になって、金づちを振りあげる元死刑囚、宅間守の父親の太い腕を押さえていた。
「この野郎、邪魔するな!」
「やめてください!」
最初サラッと読んだ時には事件当時の取材の様子かと思いましたが、よく読むと事件から1年後の取材の様子である事が確認できます。でも何故に元死刑囚の父親が金づちを振り上げる理由がわかりません。理由も明記してあり、
こうなったのには理由がある。2人は事件後、宅間の人物像や生い立ちを追いかける「宅間班」で一緒に取材をしていたが、鈴木が父親から「絶対に書くなよ」と念押しされていたエピソードを記事にしたからだ。
「もう忘れてるやろ」
この
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「もう忘れてるやろ」
は文脈からして記者の言葉と解釈できます。親子関係は色々あったとかもしれませんが、父親にとっても衝撃的な事件であり、決して忘れられない出来事であるのだけは間違いないと普通は考えそうなものです。それでも記者の感覚では1年もすれば忘れているに違いないと確信できるようです。
よく人間は「踏みつけた方は忘れるが、踏みつけられた方は忘れない」と言いますが、記者の感覚としては「踏みつけた方が忘れれば、踏みつけられた方は余裕で忘れる」ないしは「踏みつけた方が忘れたと思えば、踏みつけられた方は忘れなければならない」そういう感覚が記者には不可欠の様に思えます。
次は事件当時の取材の様子です。
まず最初に駆けつけたのが、宅間が住んでいたアパート。事前に聞いてはいたが、報道陣による荒らされ方は想像を絶していた。記者やカメラマンがあふれかえり、道行く人や近所の人に声をかけてもまったく相手にしてくれない。他社の記者にもすでにあきらめムードが漂っていた。宅間がその前に住んでいたアパートもよく似た状況だった。
ごく素直に驚くのですが、
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報道陣による荒らされ方は想像を絶していた
荒らした事に対しては一片の感情も無いように感じます。そりゃ、現行犯逮捕の犯人のアパートであるとは言えますが、だからと言って想像すら絶するような荒らし方をしても良いかは別問題の様に感じます。ちょっと怖い感覚です。そういう事が当然と思うような人々には、
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道行く人や近所の人に声をかけてもまったく相手にしてくれない
こういう反応になってもまったく不思議ないとは思いますが、記事を読む限り単に取材するに当たって「困った」以上のものを読み取るのは困難そうに思います。これぐらい無頓着であるのも記者の感覚として必要な要素だと思います。
次も事件当時の取材風景です。
対応してくれたのは若い男性従業員。当然、「契約者の情報を漏らすわけにはいかない」ときっぱりと断られたが、簡単に引き下がるわけにはいかない。どれほど悲惨な事件で、報道する意味があるのかを必死に訴えると、従業員は「上司に聞いてくる」と言い残し、事務所の奥に入っていった。
私の懇願にほだされたのか、それとも単に不注意だったのかは分からない。テーブルの上に「契約書」と書かれたファイルが置き去りになっていた。この状況で盗み見ない新聞記者なんているのだろうか。どきどきしながらファイルを開くと何ページ目かに宅間の名前が目に飛び込んできた。
住所を丸暗記し、ファイルを閉じてから1分もたたないころ、従業員が戻ってきた。「申し訳ありませんが、やはりお答えできません」。心の中ではお礼を言いながら「そうですか…」と残念そうに装って事務所を後にした。外に出ると、ハイヤーに飛び乗った。
ここは元死刑囚の住所を調べる取材裏話です。不動産会社に住所を聞きだした状況の描写になります。不動産会社と記者のやり取りについて、記者としての取材術としてはアリの内に入るかとは思います。これぐらいはやっているとは想像の内ですが、こういう取材の裏話を公表するセンスが記者の感覚と感じます。
結果的に情報を提供した不動産会社は、記者も感じた様に最大限の好意を示したのかもしれません。であっても顧客情報を流出させる行為は宜しくないのは間違いありません。また盗み見た記者の行為もまた宜しくありません。不動産会社が示した好意への絶対的な交換条件は、そういう阿吽の呼吸の情報漏洩を棺おけまで持っていく事であったと私は考えます。
つまり住所を探り当てたのは不動産会社経由の情報漏えいではなく、記者がなんらかの手段で探り当てたにしておいて欲しいです。そういう事に念を押せる状況ではありませんから、口にはしていません。それでも最終的に「申し訳ありませんが、やはりお答えできません」との返答で、それぐらいはわかるだろうの判断であったと思うのですが、記者の感覚ではそうではないようです。
この記事を読みながら思ったのは、記者たるものの感覚として、
- 取材対象に都合の良い忘却力を無条件に期待する
- 自分の行なった行為に無頓着でいられる
- 念を押されようが、違法行為に触れようが、見聞きした事はいつでも平然と手柄記事にする
どれも人としてあまり嬉しい感覚ではありませんが、1.や2.は残念ながら多くの人が多少は持っている感覚と言えるかと思います。後は個人のキャラと職業特性の関係で強く出るか、抑制的に出るかの問題の様にも感じます。記者という職業はかなり強めに出る職種ぐらいの理解で良いのかもしれません。良いとは言えませんが、完璧な人格者なんてそうはいませんから、「そんなもんなんだ」ぐらいで考えないといけないのかもしれません。
しかし3.は嫌ですね。これも記者という職業柄で理解するにしても、人として接するのは避けたい人々になります。別に3.を行ったにしても必ずしも法に触れないのかもしれませんが、人としての信用と言う点において頂けません。単なる口約束、暗示としての約束であったとしても約束は守ってこその信用です。
まあ、それでもこういうタイプの方々は世間には記者以外にもおられます。いわゆる「口の極めて軽い人」です。どれだけ念を押しても、いや念を押されれば押されるほど話して広めたくなるタイプの人です。俗に「歩く拡声器」とか「人間スピーカー」とか揶揄される秘密を絶対に守れないタイプの人々とすれば良いでしょうか。
そういう人々は本人の自覚は別として、周囲の人間は「信用出来ない人」として取り扱われます。漏れてはならない秘密の相談相手として決して選ばれないと言う事です。そりゃ、ウッカリ聞かれたらあっと言う間に隠しておきたい秘密が公然の秘密になり、さらには尾鰭を付けた周知の事実に変わってしまいます。そんな人に秘密を委ねるのなんて愚かな選択は普通はしません。
そういう人々の利用法として、密かに広めたい事実を広める時にのみ利用価値が見出されます。話せば広がるのが約束された人たちなので、その場で「これは内密」の口約束など何の歯止めにもならないからです。利用価値は有るにはあるのですが、扱い難いと言うか、扱いの程度がその程度になってしまうのは致し方ないでしょう。
それでも面白いのはそういう人々自身はそういう扱いになっている事の自覚が非常に乏しいと言うか、殆んどないケースが多い様に感じています。逆に他人からの信用は非常に厚いと信じて疑わないところもあるように思えます。世の中うまく出来ているのかもしれませんねぇ。

というわけで、何かあっても平然と「取材はお受けできません」とするのがデフォルトですね。
特権意識だけは大したものです。
ヘンタイ事件に限らず道義的にやってはならない区別がないのは、今度TBSでドラマになる「運命の人」の件でも明らかです。
記者さんにも寄るとは思いますが。
...こういう、良い取材姿勢もあるのに。
> 朝日新聞「患者を生きる」の取材(1) - ブログ版ききみみずきん - Yahoo!ブログ
> http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65327351.html
昔もあったんだろうけどネットで世界中の人が見れる時代に晒すのはさすがにバカというかなんというか。
政治家のオフレコもそうですが、こういうことやるからマスコミの信用が落ちていくんですが。
共感能力の欠如や責任感の欠如が業務に都合がいいんでしょうね。
医者は大学を出たからまだましかも。
芸者は死に絶えました。柳橋にも日本橋にもいません。実際に確かめました。いや いないんです。この話はおいといてと。
役者は未来の演出家、芸術家 将来の脚本家になり果てました。口先はともかく永遠にだな。
ところが記者は羽織を着た〜〜〜ゴロと言われます、オイラの片田舎ではね。明治時代からそうらしい。
羽織を着て客間にドカッと座るようです 御用聞きでも裏口から来ますが、奴らは玄関から堂々ときやがる。
賤業とは21世紀の現在こいつらのことを言うらしい。ないと習ったはずが、職業には貴賤があるようです。
人の痛みを分かるのが医療ですが 若い人にも分かってほしい。職業の矜持という言葉はあるぞ。
オイラの田舎じゃ ブンヤ、カブヤ、ホケンヤには今でも娘を嫁には出さんぞ、馬鹿もんが!
休日に菖蒲が見ごろの公園で見ていたら、カメラクルーがやってきて
「どいてもらえませんか」と言って自分たちがとりたい画像だけとって
さっさと帰っていきました。
あまりのことに、「失礼やないの」という声も出ませんでした。
(同じ人種だと思えなかった…)
大阪のゴミうりテレビです。
「失礼します」とか「ありがとうございました」とか一言もなくて
、職業の貴賎以前に人間失格、下劣です。
今度橋下さんが記者クラブ廃止をやるそうですが、応援します。
自分たちが広めたいことがあるときだけ利用すればいいんですよね。
新聞もとっていないし、テレビもない生活ですが、とても快適!おすすめです。
言論の自由の基礎となる「正しい情報」を得るためにメディアは欠かせないと思うのだけれど、「正しい情報」も「正しい判断能力」が無ければ何の意味もない
>自分たちが広めたいことがあるときだけ利用すればいいんですよね。
これは一種危険なことでもあることの認識が欠けていると思えます
もちろん、今のようなゴミ売レベルの偏向報道が続けば、仕方ない部分があるのですが、、、
行政のチェックは、本来は高い見識を持った議員が行う(間接民主主義)が当然なのですが、メディア以上に見識が欠ける行動が見られるのは残念で、その議員を選ぶ国民が更に短視眼であるので、残念至極です。
もっと学校で政治学の教育すべきなのかもしれません
1、記者クラブ加盟以外の記者にも定例記者会見に参加させる
2、記者クラブに、水光熱費など相応の利用料を負担させる(役所の一室を我が物顔に使わせない)
この2つを是非やってほしいです
報道倫理は、普及すらしていません。
「ペンは剣よりも強し」という言葉を自己に都合のよいように解釈しているようです。
情報源の秘匿すらできないジャーナリストは当然追放ものです。
取材される側としては、ジャーナリズムに名前が載ることで自尊心がくすぐられる弱さを自戒し、そういう意識につけ込まれないことです(製薬会社の大規模治験に乗っかったり、何とかサイトで製薬会社の広告ビデオに出たりしたら、利益相反となるのでその薬を患者に勧めることにバイアスが生じます。そういうことに鈍感な医師が多すぎます)。それと、絶対に校閲権を譲らないことです。
最も忌むべきは、「自分には特別に相談にのってもらえる医師がいる」みたいな特権を自慢するジャーナリスト。
取材先と癒着している、ということが、ジャーナリスムの根幹を揺るがすことだということがわかっていない。こんな記者の書く医療記事は、提灯記事でしかないことはすぐ想像されます。まともな医療記事が書けるわけないでしょう。
そもそも、政治の世界では、記者クラブの存在自体が世界中の笑いものです。
日本のジャーナリストの皆さん、医者に倫理を説く前に、自ら報道倫理を守ってください。
さらに、ふと奈良大淀事件の新聞記者さんのことが頭によぎりました。
たぶん、大部分の記者は大学を出られているのでは
医者と医師をどう区別しているか私的にはよくわからないのですが、医者の中にも色々な方がおられるように、また科によって違うように
記者でも政治部・社会部と科学部・文化部では大部違うように思います。
>記者さんにも寄るとは思いますが。
>...こういう、良い取材姿勢もあるのに。
> 朝日新聞「患者を生きる」の取材(1) - ブログ版ききみみずきん - Yahoo!ブログ
> http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/65327351.html
ここはいわゆる科学部では・・・