ツーリング日和29(第24話)田口プロデューサー

 食事が終わって部屋に戻ると、田口プロデューサーの使いみたいな人が来て、

「お席を御用意させて頂いてます」

 その部屋に案内されると座卓が置いてあって、向こう側は四人か。田口プロデューサーと、池尻ディレクターと、やっぱりいたか、レミと石川ジョージだ。もうレミの顔はウンザリなんだけどな。

 向こう側の四人は千草たちが部屋に入った時から平伏状態だ。まあ、そうなるよね。どう考えたって、あっちがこっちに詫びを入れる話合いだもの。千草たちが床の間の前に用意されていた座布団に座ると、田口プロデューサーと池尻ディレクターがテーブルににじり寄り、レミと石川ジョージがその後ろに位置を変えた。

 ちゃんと謝罪の形式は整えてるか。だってあっちは座布団無しだもの。さてだけど、田口プロデューサーってごっつい体つきだ。学生の時は柔道とか、ラグビーとか、アメフトしてたんじゃないかな。

 それに顔が怖いぞ。容貌魁偉ってやつだろうけど、浮き沈みの激しい業界で、大物とまでされるぐらいのプロデューサーになってるぐらいだから、タダ者じゃないのだけはわかる。海千山千の人物なんだろうな。

 こういう時は、まずは挨拶を兼ねての自己紹介からになるはずだけど、顔を上げた田口プロデューサーの目に驚きが走ってるのがわかったな。なんに驚いたのだろうかって思ったのだけど、

「み、水鳥先生ではありませんか!」

 コータローは、

「田口さん、ご無沙汰しています。こんなところで会うなんて思いもしませんでしたわ」

 田口プロデューサーはもう動揺も隠し切れない様子で、

「こちらは奥様ですよね」
「ああそうや。初めてやったな」

 田口プロデューサーの顔が見る見る真っ赤になるのがわかったよ。そっか、そっか、コータローに仕事を依頼したことがあったのか。それだけじゃなく、コータローの逆鱗がどこにあるのかも知ってるのか。田口プロデューサ―は赤鬼のような顔で後ろに振り向き、

「レミ君、石川君。君たちは、この御婦人に暴言を吐いたのだな」

 怖いよ。あれは怒りに震えてるもの。それなのにレミは、

「千草は学生時代の友人ですから、冗談みたいなものです。千草も気にしてないでしょ」

 どこの世界に面と向かってブス呼ばわりされて喜ぶ女がいるものか。そもそもレミは友人でもなんでもあるものか。それぐらいで答えてやったら、

「二人とも下がって宜しい」

 どうにも拙い様子だけはレミも察したのか、

「千草、なんとかしなさいよ。あんたに取りなさせてあげるって言ったじゃない・・・」

 千草はそっぽを向いたのだけど、田口プロデューサーの怒りが爆発した。

「下がれと言ったのが聞こえないのか」
「これは千草の誤解で、さっきだって・・・」
「黙れ。もう舌を動かすな。そして二度と私の前に現れるな。覚えが悪いようだから言っておく。どこへなりとも消え失せろ」

 すると石川ジョージが、

「えっ、ボクもですか」
「お前には耳も日本語も理解する脳もないのか。出ていけ!」

 部屋中が震えるぐらいの怒鳴り声。その剣幕に転げるように二人は部屋から出て行った。なんとか怒りを鎮めた田口プロデューサーが謝罪の言葉を並べたのだけど、長いよ。短かければ良いとは言わないけど長すぎる。

 やっと終わったか。問題は謝罪を受けてどう返すかだよね。口火を切ったのはコータローだった。

「謝罪の言葉は受け取ったで。オレらの用事はこれで終わりやろ。お暇させてもらうで」

 これに続いて藤島監督も、

「私もそうだ。田口君も聞いてるとは思うが、今は大事な友人の接待中だ。これでお暇させてもらう」

 二人ともあっさりしてるな。ここでゴネたって時間の無駄ぐらいの判断かも。あれかな、責任者である田口プロデューサーの顔を立てたってやつだな。こういう時の定番の、

『責任者出て来い』

 これを果たしたのだから、これぐらいで矛を収めようぐらいか。千草もレミが怒鳴られて部屋から追い出されるのを見れたから、少しは気が晴れたから、この場ではもう良いかな。別にクレーマーやりたい訳じゃないし。

 だけど、それを聞いた田口プロデューサーが慌てだした。謝罪を受け入れてもらったら一件落着のはずなんだけど。

「こうやって席を囲めたのも何かの縁ですし・・・」

 そりゃ、縁と言えば縁にはなるのだろうけど、お互いにあんまり嬉しくない縁じゃないか。田口プロデューサーにしてもトバッチリ喰らったようなものだから、こんな席は早く終わらせたいはずだろ。千草だって正座が辛いんだから。

「そう言わずに、こういう座でお話が出来るのも・・・」

 こういう座って言うけど、お茶が出てるだけじゃない。ここでお酒が出るのはおかしいのはわかるけど、こんな時刻にこんな旅館で、大人がお茶だけで時間を過ごさなくても良いじゃないか。

「おたくが失言して、こっちがその謝罪を受け入れたんや。これ以上、何をしろって言うんや。部屋に戻って寝たいんやけど」
「水鳥先生とは久しぶりに話をしたいのに、こんなところにいつまで居させるつもりだ。これ以上、プライベートの時間を邪魔して欲しくないぞ」

 千草だって、もうこんなところにいたくないよ。それでも田口プロデューサーはあれこれ話の接ぎ穂を探し回り、切羽詰まった感じで席を下がって土下座をしたのにビックリした。謝罪はもう終わってると思ったのだけど、

「藤島監督にメガホンを取って頂ければ・・・」

 おいおい、いきなりそこに話を飛ばすのかよ。藤島監督は、

「その話は水鳥先生御夫妻には関係がないお話です。私もここで話をしたいとは思いません」

 そう言うとさっと席を立ち、千草たちも続いたのだけど、部屋を出るか出ないかぐらいで、

「池尻、お前はなんてことをしてくれたんだ。この責任をどうやって取る気だ!」

 部屋からビリビリ響き渡る声が聞こえた。

ツーリング日和29(第23話)夕食

「千草、今日は長風呂やったな」

 ゴメン、ゴメン。さてお食事処にGOだ。ここはテーブル席だ。風情なら座敷の方が良いけど、ラクなのはテーブル席かな。あれも座椅子があればまだ良いのだけど、なければ女は正座だもの。

 女が足を崩したって良いようなものだけど、やっぱりそこまで女を捨てられるものじゃないよ。そんな事はともかく、懐石で海鮮だ。湯田温泉は山の中にはなるのだろうけど、海だって遠くないし、なにより県庁所在地だから交通の便も良いはず。

「カンパ~イ」

 ビールが喉越しに沁みる。そうそう藤島監督はビール党。それもかなりどころじゃないほど飲むんだ。うちに日参してた頃は夕食から飲み始めて、そこからだって延々と飲むものだからビールの調達が大変だった。

 千草やコータローもビールを飲むけど、ビール一辺倒じゃないのよね。料理合わせて日本酒やワイン、紹興酒だって飲むし、ウイスキーだって好きだよ。焼酎はそんなに好きじゃないかな。

 そういう状態でバカスカとビールを飲まれたら足りなくなるのよ。最初の頃なんて千草がビールを買いに走ったし、連日来るとわかってからはゴッソリ買って冷やしてた。というか、冷やす場所が足りなくなって二台目の冷蔵庫まで買う羽目になったぐらい。

 二台目の冷蔵庫は今ではお酒専用になって無駄にはならなかったけど、そこまでして招かざる客の歓待が必要なのかって疑問に思ったぐらいだったもの。とにかく飲むのも、食べるのも、アポなし手土産無しで他人の家に訪問するのに遠慮と言うものが無い人だった。

 こうかくと傍若無人と思うだろうし、実際にもそういうところもあるのだけど、話しているとわかるのだよね。あれは本当の映画バカだって。よくもまぁ、あれだけ映画の事だけをエンドレスに話せるものだと呆れ果てるぐらいだったもの。

 藤島監督の頭の中にはホントに映画しか無くて、すべての世界が映画を中心に回っているだけ。だから自分の映画が少しでも良くなるためなら、なんだって出来るのじゃないかと思ったぐらい。あれぐらい純粋に情熱を燃やせるから、あれだけの映画が撮れて、あれだけのヒットを飛ばせるのだろうって。

 藤島監督はコータローを年下なのにあれだけ立てるのだって、藤島監督が望むイラストをコータローが描き上げたからのはず。コータローはその仕事を引き受けるのを渋ってたのよ。だって藤島監督が自ら訪問して来ても門前払いにしそうなぐらいだったもの。

 一日がかりで口説き落とされたのだけど、そこからのコータローも凄かった。あの頃は幾つも仕事が重なっていて、手が回らなかったのも引き受けなかった理由の一つだったのだけど、それらを全部後回しにしただけじゃなく麻酔科医のフリーターの、

「フリーターやのうてフリーランスや」

 似たようなものじゃないの。そっちも全部断って集中してたもの。

「そんなもん付け馬が家に居座ってるようなもんやから、こっちを先に終わらせんと他の仕事が出来へんやんか」

 たしかに。食事代やビール代がひたすらかさむだけじゃなく、夜遅くまで居座られたから愛し合うのもお預け状態にされたものね。

「仕事ぶりに感心させられました」

 さすがは藤島監督だ。コータローは仕事となると鬼になる。マンションにいるだけで鬼気迫るものを感じるぐらい。それぐらい集中するし、息をするのも気を使う状態になるんだよ。出来上がった作品は満足してくれた。

「あれこそ神が作ったマスターピースです」

 おおげさだ。でもこれも後から知ったようなものだけど、この手のもので藤島監督が一発OKのものは無いと言うより、あり得ないそうで、何度も何度もやり直しさせて、たいがいは時間切れになってやむなく妥協の産物みたいなOKが辛うじて出るぐらいらしい。

 あの手の天才って何を考えてるかわかんないところがあるけど、藤島監督のコータローの評価は年下とか、畑が違うなんて気にもしていなくて、単に才能へのリスペクトがすべての基準みたいで良さそうな気がする。ところで津和野であれだけ怒ったのは、

「あんなもの映画人として常識以前のお話です」

 藤島監督の考える映画みたいな話だけど、映画って産業は観客に見てもらい、おカネをもらって食べさせてもらってる商売だそう。これはまた、すんごい割り切りだけど、根本原理はそうなりそうだ。

 映画がヒットする要因はあれこれあるだろうけど、その中に宣伝はあるのは間違い無いとは思う。藤島監督のポリシーとしてロケ撮影もまた宣伝の一環としているみたいで、

「当然です。ロケ撮影は客になってくれる可能性の人に見られながら行われます。その見ている人に、どんな映画になるのだろう、これだったら出来上がったら見てみたいと思わせるのがどれだけ重要か」

 どうも藤島監督はこれを徹底しているみたい。ロケ撮影を見ている人は公開後の客だけじゃなく、クチコミ宣伝になってくれる人として大切に扱わなければならないぐらいかな。この辺はSNS時代になっているのも大きいかも。

 SNSってとにかく怖いところなのよね。スマホが日常品になってしまってるから、どこで誰に撮られてるかわからないし、有名人じゃなくて失態を犯せばすぐに上げられてしまう。

 上げられて火でも着こうものならまさに大騒動になる。会社の社長が謝罪記者会見に追い込まれるだって珍しいと言えないし、対応をしくじれば業績だって傾くぐらい。下手すりゃ、倒産なんて事さえありえるぐらいだ。

 個人だって容赦がなくて、勤め先から住所まで特定されて、そうなったら迷惑系ユーチューバーが押し寄せて来るなんて事さえ起こりうる。やり過ぎ批判は常にあるし、千草もそう感じることはあるけど、まさに手が付けられない状況になる時はなってしまう。

 なにより恐ろしいのは情報が瞬時に拡散してしまう点で、法的措置を駆使しても世界中に広がってしまい、イタチごっこでお手上げ状態にもなるって言うものね。デジタルタトゥーとは言いえて妙だと思ったもの。藤島監督はそんなSNSの負の面も良く知ってるぐらいかもしれない。

「映画は偉大な芸術ですが、それを撮っている人が偉いのではありません。そこを勘違いしている輩が多いのに、映画人として常に嘆かわしいと考えています」

 自分の教え子みたいな人が監督しているのに、邪険にされたのに激怒したってことか。映画のロケ現場なんか滅多に見ないからわかんないけど、テレビクルーの態度の悪さは今や定評みたいなもの。池尻って人も藤島監督の下で働いていた人だけど、テレビ業界の態度の悪さを身に着けてしまったのかもしれないな。

「今夜は悪いですが後始末にお付き合いください」

 げっ、田口プロデューサーが挨拶に来るって言うの。千草たちは関係ないから、

「石見銀山の一件も含めて挨拶したいとの事です」

 あちゃ、そっちも知っているんだった。テレビ局どころかメディアグループが総力を挙げて取り組んでいるビッグプロジェクトだから、この場でケジメを付けときたいの趣旨だろうけど、なんか鬱陶しいよ。

 だってさ、千草とコータローのやっているのはツーリングだもの。旅行としても良いけど、どうしてこんな厄介ごとに巻き込まれなくちゃいけないのよ。それもさ、こっちは何にもしていないのに、向こうから絡んで来た貰い事故みたいなものじゃないの。

「面倒やな」
「すみません」

 レミを呪ってやる、祟ってやる。

ツーリング日和29(第22話)湯田温泉

 今日の予定もだいぶ変わってしまったんだよね。本当は津和野を堪能し尽くして、ついで程度に山口市の観光もやっておこうのはずだったんだよ。なのに妙なトラブルに巻き込まれて津和野観光が尻切れトンボになってしまい、代わりに山口市観光をしてたようなものだ。

 どこまでレミは祟りやがるんだ。そりゃさ、山口市なんかそうは来れないところだから観光したって良いのだけど、津和野だってそうだろうが。二泊もかけて延々とモンキーで走って来てやっとたどり着いたのだぞ。

「また来る楽しみが出来たやないか」

 そうとも言えない事ないけど、きっとだぞ。どれだけ津和野を楽しみにしていたことか。そういうことで今日の宿に。山口市って大雑把には亀山公園で東西に分かれてるぐらいの感じかな。

 東は観光で回ったところだけど西には湯田温泉があるんだよ。ここも歴史ある温泉ではあるけど、古湯とは言えないかも。大内氏の二十代目の弘世っていつの時代の人間なんだよ。

「観応の擾乱ぐらい人や」

 余計にわからんだろうが。どうも室町時代初期と言うより南北朝時代の人らしい。湯田温泉では白狐が傷ついた足を治しているのを見たのが発見伝説らしいのだけど、その後に栄えた理由はわかりやすいな。

 室町時代の大内氏は山口を根拠地してただけでなく、ここを西の京とまで呼ばれる都市にまで育て上げてる。その頃の山口は亀山公園の東側が中心街だったと思うけど、湯田温泉ならお隣だもの。雪舟だって入りに来てたはず。

 維新志士の連中だって湯田温泉に来てたはずだ。そんな伝承がこの宿にも残ってるとか、残っていないとか。ついでに言えば今だって山口市は県庁所在地だものね。これで栄えなければウソでしょ。この宿も風格があり過ぎて怖いぐらいなんだけど、どうして付いて来てるの。

「せっかくやから、もうちょっと話をしたいそうや」

 どんだけヒマ人なんだよ。人気どころか、日本映画界の至宝とまで呼ばれてる大監督なのに、どうして一人でほっつき歩いてるんだ。だいたいだぞ、あれだけの大監督ならお付きの人とかがゾロゾロいるものでしょうが。

「なんかそんなイメージあるよな」

 あるんじゃなくて、普通はそうでしょうが。それにケチだ。どこに行ってもきっちり割り勘なんだ。

「あれはそうしてもうてる」

 どういうこと?

「オレと監督は友だちや。友だちの間でカネの貸し借りはせえへんのがマナーや」

 それはわかるけどさ。徹底し過ぎだよ。一円まで割りそうじゃない。それにさ、山口の観光では先導してもらったけど、さすがに時間がかかり過ぎてるじゃない。

「ああ、それか。なんか乙女峠の構想がちょっと変わったらしくて・・・」

 どう撮っても宗教臭くなるとのコータローの指摘を素直に・・・受け入れるのかよ。世界的大監督だろうが。プライドちゅうもんが無いのかよ。だからみたいだけど、津和野とか山口ぐらいを舞台にしたラブロマンスに変更って・・・根本的に違う映画じゃないか。それで、あれだけ熱心に見て回って収穫はあったの?

「山口は、なんか使い難そうとか言うとった」

 まあね。地方ロケをメインにする時は、その地方の色を押し出すのが基本のはず。山口も良いところだとは思うけど、ラブロマンスの舞台としたらどうかはあるかも。この辺はロケ地への思い入がどれだけのものかもあるはずだよね。

 それはさておき、この旅館は新館と本館があって、本館の方は明治どころか幕末の頃からあって、維新志士も湯治や密談に使ったとか、なんとか。そんな建物が今でも残ってるぐらいだからバリバリの高級宿。

 一方の新館はぐっとリーズナブル。昭和の頃に団体客対応で作ったとかで、ごくごく普通の宿。もっとも最近リニューアルしたみたいで、その分だけ高級感の演出が入ったぐらいかな。千草たちはもちろんリーズナブルな新館だ。でもさぁ、でもさぁ、藤島監督なら、

「ああそやったな」

 どうも泊ったことがあると言うか、かつて良く使っていた時期もあったみたいで、宿の人が新館って知って慌てていたもの。そうだよ、あれほどの有名人なら次の間付きの豪華客室でふんぞり返るもんだ。なのにだよ、どうして千草たちの部屋に割り込みなんだよ。

「急やったから、ちゃうか」

 急なのはそうだけど、旅館の人もすぐにでも部屋を用意しそうな勢いだったじゃない。こっちは夫婦旅行なんだから、ちいとは気を使えよな。こうなってしまっては仕方ないから風呂だ。

 さすがは温泉だから気持ち良いな。日本人なら旅行と言えば温泉が黄金コンビみたいなものだものね。それにさ、温泉ってたいがいは美人の湯じゃないか。少しでも美人になりたいのが女心ってもんだ。

「おい、ブスの千草」

 この声はレミ。なんだよ、湯田温泉の旅館まで一緒なのかよ。太鼓谷稲成で厄除祈願したのにな。それと今の千草にブスは禁句だって石見銀山で学習しただろうに・・・ああそっか、ここは女風呂だからコータローはいないの計算か。アホだろ、どうして千草が告げ口しないと信じ切ってるんだ。

「どうして千草みたいな人間除外のブスが藤島監督と知り合いなんだ」

 ホント性格悪いよ。千草が人間除外ならレミは人間失格だろうが。よくこれまで生きて来れたものだ。そこから聞きたくもないのに一方的に捲し立てられたんだけど、津和野の後は大変なことになったみたいだな。

 あれはテレビのミステリー番組の撮影だったみたいで、その責任者が池尻って人で良いみたいだ。ここのとこもわかりにくいのだけど、テレビでは現場で撮影にあたる人をディレクターとすることも多いけど、これを演出と呼ぶことも多いとか。

 ディレクターと演出は同じような役割だけど、番組の性格によって使い分けたり、時にディレクターと演出が別にいたりもあるとか、ないとか。じゃあ、監督と呼ぶことはないのかと言えばそうでもないぐらいかな。

 池尻って人が監督と呼ばれていたのは映画畑出身だからで良いみたいだ。それも津和野トラブルでわかるのだけど、藤島監督のスタッフとして働いた事のある人なのは間違いない。助監督ぐらいをしてたのかな。

 とにかく池尻って人と藤島監督は師弟関係にあって、池尻って人は藤島監督に頭が上がらないのだけは見てるだけでわかるよ。そんな藤島監督からの頭ごなしの叱責を喰らったのだから、あれだけ大慌てになったはず。

 千草たちが津和野を出た後も撮影は続けられたみたいだけど、そこに事態をさらに悪化させる人物が登場したのか。

「田口プロデューサーがいらっしゃたのよ」

 レミの口調だけでわかると思うけど、テレビ局のとにかく大物プロデューサーとされる人。千草だって名前ぐらいは聞いたことがある。プロデューサーが現場まで顔を出すのは多くないそうなんだけど、なんで来たんだろ。

 その辺はわからないけど、田口プロデューサーは藤島監督とのトラブルを聞いて烈火のごとく怒ったのだとか。撮影中のトラブルは良くないし、それを注意するのはわかるけど、そこまで怒ったのは。

「永遠の閃光をどうしてくれるんだって大変だったんだから」

 永遠の閃光は社会的現象を起こすほどのベストセラー。そこまでヒットしたら映画化の話が出てくる。つうか映画化権の激しい争奪戦があったとか、なかったとか。獲得したメディアグループは、それこそ社運を懸けてのビッグプロジェクトにすると宣言してたのは知ってる。

 その責任者が田口プロデューサーで良さそうだ。社運を懸けるぐらいだから莫大な資金が投入されるのだけど、コケたらどれだけの責任を負わされるかなんか誰でも想像できるものね。左遷で済めばラッキーぐらいで最悪クビになっておかしくないぐらい。

 そこで監督として白羽の矢を立てたのが藤島監督みたいだ。日本でこれ以上確実なヒットメーカーはいないと思う。だけど交渉はスムーズとは言いにくい状態で良さそうだ。だって未だに誰が監督をするかの発表がないものね。

 交渉が難航してる理由もわかったかな。だってさ、藤島監督はどう見ても永遠の閃光の映画化に興味がありそうに感じなかったもの。そりゃ、シナリオハンティング兼ロケハンで乙女峠の悲劇とか、津和野とか山口を舞台にしたラブロマンスに熱中してるとしか見えなかったものね。

「あんたのお蔭でこっちまでトバッチリ喰らったんだから」

 田口プロデューサーはスタッフから情報を取ると言うより尋問状態になったみたいで、藤島監督が大事な人を接待中であることを知り、その大事な人をレミや石川ジョージが石見銀山で侮辱した事まで聞き出したようなんだ。

 レミも石川ジョージも大目玉を喰らったぐらいかな。でもそれはトバッチリじゃなくて自業自得だ。余計な事に自分からクビを突っ込んだからそうなっただけだ。それでも番組に穴を空けるわけには行かないから、お通夜のような状態で津和野から山口にロケ撮影をして今に至るぐらいかな。

「千草に藤島監督をとりなさせてあげる。ブスだってそれぐらい出来るでしょ。感謝しなさい」

 てめえは日本語を小学校からやり直して来い。ついでに禅寺で躾直されろ。頼みごとをしてるのはレミだろうが。頼む方がふんぞり返ってどうするんだよ。なにが『あげる』だ、なにが『感謝』だ。やなこったよ。

「友だちでしょ」

 アホか。レミは短大こそ一緒だったけど、断じて友だちじゃない。どこの世界に友だちのヴァージンを罰ゲームの罠にかけて散らすやつがいるって言うんだよ。てめえの尻はてめえが拭きやがれ。

「見捨てるって言うの」

 見捨てるもクソも最初から見てないよ。

「ブスがエラそうに。何様のつもりだ」

 そっくりそのまま返してやる。いつまで学生時代の女王様気取りなんだよ。

「覚えてろ、このブス。タダでは置かないんだから」

 レミは怒りまくって出て行ったけど、千草も上がろう。思わぬ長風呂になってしまって茹だりそうだよ。さて晩御飯、晩御飯。千草たちはツーリングに来てるだけで、レミなんかに関わる義理はこれっぽっちもないよ。

ツーリング日和29(第21話)山口観光

 藤島監督が邪魔するなと言ったのに、監督とか撮影スタッフがまつわりついて来るのにウンザリしながらバイクに戻り出発。もう少し津和野を見てランチも食べたかったのに散々な目に遭ったものだ。ところでさ、どうして藤島監督も一緒にマスツーしてるの?

「山口に行くと言ったら一緒に行くってさ」

 コータローの推測は、山口市で中国縦貫道と山陽自動車道が合流してるから、どっちかから帰るつもりじゃないかって。なるほど高速は無縁の道と思って気にもしてなかったけどそうなってたのか。

 津和野から国道九号で山口まで五十キロぐらいだけど、これはこれで快走路だ。一時間ぐらいで山口に着いたけど、山口と津和野ってこんなに近かったのか。というか、山口県の県庁所在地の山口市ってこんなところにあったんだ。

 なるほどね。山口から津和野、それから益田に繋がる山陰街道はだから成立したで良さそう。だってさ、益田から西に海岸線沿いに行ったって、

「江戸時代なら萩があるけど、萩からかってまず山陽道に南下するやろな」

 そうだよ。毛利家が中国地方の覇者の時代ならともかく、山口県に押し込められたら、島根の方に用事はないもの。でもどうして山口じゃなくて萩だったの?

「家康の意向らしいわ」

 陰険だ。まるでコータローみたい。毛利家も萩じゃさすがに不便だったらしくて、山口にも支所みたいなものを置いていたそうだけど、これも幕府の目があるから大っぴらにしにくかったとか、なんとか。敗戦国は辛いよな。

 それでも山口は歴史の街で大内氏の時代は西の京とまで呼ばれていたとか。応仁の乱で荒廃した京都からお公家さんを呼び寄せて華やかな文化を花開かせてたぐらいかな。それはそうとだ。

「監督が知り合いの店に案内してくれるって」

 コータローが後ろを振り返って手招きすると藤島監督のトライアンフが前に出て来たのは良いけど、あのね、こっちはモンキーなのよ。そこで飛ばすなバカ野郎。

「マスツー慣れてへんって言うとった」

 バックミラーを見ろよな。流れに任せて走る分にはモンキーでもなんとかなるけど、その気でトライアンフなんかに加速されたら迷惑だよ。山口市街に入りトンネルを抜けたところで左折か。上竪小路ってなってるけどなんて読むのかな。

「この南に下る道が『たてこうじ』でほれ、そこの交差点をクロスしているのは伊勢大路や」

 室町時代から戦国期に中国地方の覇者となった大内氏は京都を似せて山口の街づくりをしたから西の京なのか。地名も京都風だし、碁盤の目の街づくりも京都風ってことみたい。萩山口信用金庫のオレンジの看板のところで右折するみたいだけど、げぇ、こんなところに入ろうって言うのかよ。

「錦小路でエエはずや」

 小路って細い道の意味だろうけど、これって路地に毛が生えた程度だぞ。橋があるけどここを左か。川岸が並木になっていて感じは良いけど、ここも路地程度じゃないか。

「あれは一の坂川やねんけど、鴨川に見立てたそうや」

 いやいや、京都の鴨川は市街の東側になっていてもっと大きいぞ。そりゃ、夏になれば川床の店が軒を並べるぐらいだもの。それにくらべたらこの川は用水路に毛が生えた程度じゃないの。

 川にかかってる橋は石橋風で良い感じだけど、街並みは・・・普通の田舎町ぐらいかな。伝統的なんちゃらには程遠くて、昭和の遺物って感じもする。

「ここみたいだ」

 えっ、ここ。それは良いのだけどどこに停めるの。おいおい、店の前に路駐かよ。モンキーはまだマシだけど藤島監督のトライアンフは問題だぞ。ここでは瓦そばを食べるって言ってたけど、瓦そばってなんだ。

 瓦に盛り付けたそばの事なのかな。もしそうだったら普通にザルとか出石みたいに皿に盛り付けたら良いと思うのだけど。待つことしばしで出て来たけど、やっぱり瓦の上に盛り付けてある。

 これは茶そばだけど、えっ、えっ、なんかジュージューと音がするぞ。この瓦って熱いみたい、これってもしかして茶そばの瓦焼きってこと。これは変わってると言うか、初めて見るけど、さすがは西の京の雅な食べ方だ。

「瓦そばは西の京のもんやないで・・・」

 もっともっと新しいもので、西南戦争の時に戦地で瓦を熱して肉とか野菜とかを焼いて食べたのが始まりだとか。雅とは無縁の料理の始まりだけど、どうして茶そばなんだろ。西南戦争で兵糧として大量に運び込まれていたのかな。

 だからって訳じゃないだろうけど、山口市の郷土料理じゃなくて、山口県の郷土料理だとか、なんとか。瓦そばを食べ終わったら、そこから一の坂川をそのまま下り、途轍もなく広い道に出て、

「四車線道路に出ただけやろ」

 市民会館の角を右折ってザビエル記念聖堂に行くみたいだ。消防署を越えたところで右折ってなんにも案内がないぞ。ここで良いのかよ。少し登ると広い駐車場が見えて来て、ここみたいだ。山口と言えばザビエルが教科書に出て来るぐらい有名だけど、どうしてなの。

「一番成果があったからちゃうか」

 ザビエルは鹿児島に上陸してその次に平戸で布教して、そこから京都を目指したぐらいで良さそう。ただ京都は室町将軍義輝の時代で、つまりはもう戦国時代の真っただ中。京都でなんの成果も得られなかったザビエルは山口の大内義隆に取り入る事が出来て、

「二か月の布教活動で五百人の信者を得たとなっとる」

 二か月頑張って五百人か。これが最大の成果とは微妙過ぎる気がする。もっともザビエルが蒔いた種は、

「島原の乱になる」

 なんだよね。この辺は歴史でもタブーみたいなところもあるみたいで、欧米列強がキリスト教の布教に熱心だったのは宗教的情熱だけじゃないのよね。布教を尖兵として植民地獲得が連動していたもの。

「あんまり触れるとうるさいから、その辺にしとき」

 でもね、面白いと思うのよね。日本人って外国文化を直輸入するのじゃなく、日本流にアレンジして受け入れるところがあると思うのよ。キリスト教って一神教だから拒否反応も強かったはずだけど、

「そこんとこはどうしてもな。そやから、あんなパッチワークみたいな取り入れ方になったんちゃうか」

 日本にはキリスト教系の学校は割とあるのよ。いわゆるミッションスクールってやつ。高校にも大学にも名門校はたくさんあるじゃない。そこではミサなんかもやってるはずだけど、

「信者になるやつなんか殆どおらへん」

 千草だってミッションスクールに漠然とした憧れがあったし、ミサなんかも参加して見たかった気はあるのよね。でもあれって、ファッションと言うか、エキゾチック趣味以上のものは無いのよね。

「結婚式もそうやんか。オレらチャペル式でやったけど、オレは真宗やし」

 千草は曹洞宗だものね。

「そんなんが日本人が受け入れたキリスト教ちゃうか」

 そんな気がする。ザビエル記念聖堂は亀山公園の麓というか西側にあるのだけど、この亀山ってのが西の京の西山って感じかな。京都なら鴨川の東が東山になるけど、反転してるぐらいかも。

 亀山公園は山口市内を一望ってとこなんだけど、この馬に乗ってる銅像の人は誰なんだ。毛利敬親ってなってるけど、

「最後の長州藩主や」

 あ、そう、ぐらいでバイクに戻り、今度は瑠璃光寺に。ここは京都にたとえると北山なんだろうな。延暦寺にしたら近すぎる。ここはさっきの毛利敬親って人のお墓もあって香山公園ってなってる。

 メインは瑠璃光寺なんだけど、なかなか立派なお寺だよ。それも見どころになるのだろうけど、ここには山口観光の目玉である五重塔があるんだよ。これは大内氏が建てたものだけど日本三大名塔の一つで国宝。ちなみに後の二つは京都の醍醐寺の五重塔と、奈良の法隆寺の五重塔だとか。立派だし綺麗な五重塔なんだけど、

「オレらは醍醐寺や法隆寺もそうやけど、東寺とか興福寺の五重塔とかも知ってるからな」

 どうしてもね。ここからさらに東に走り常栄寺。ここには雪舟庭が名物なんだけど、雪舟ってあの雪舟よね。

「大内氏がパトロンやったでエエやろ」

 常栄寺の雪舟庭を堪能したら龍福寺。これはこれで大きくて立派なお寺なんだけど、ここって大内氏が栄えていたころのお屋敷の跡なんだって。それこそ京都なら御所だ。お寺の一角には大内氏時代の庭園も復元されてた。

 なんかさ、名所旧跡巡りやってると山口市って大内氏の香りが残ってるのよ。大内氏は毛利氏が台頭して取って代わられてるし、毛利氏は江戸時代もずっと山口市を領地にしてたのにだ。

「なんか毛利敬親が無理やり割り込んでる気がしたな」

 毛利氏の遺物としては通りがかりに見えただけだけど、山口藩庁門があったのはあった。けど、なんか存在感が薄いんだ。

「今かって県庁所在地やけど、山口市のホンマの全盛期は大内氏時代やってんやろな」

 山口市に毛利氏の存在感が中途半端なのは、江戸時代は萩にいたからなのだけど、幕末の動乱期の文久三年っていつなんだ、

「蛤御門の変のあった元治の前や。文久三年には薩英戦争もあったで」

 その文久三年に毛利氏は本拠地を山口市に移すのだけど、そこから明治二年の版籍奉還だとか、廃藩置県が起こるまでしかいなかったからだろうな。だってさ、山口に本拠地こそ移したものの、それから毛利藩は戦争ばっかりやってたようなものじゃない。

「六年ほどしかおらへんかったもんな」

 戦争ってとにかくカネがかかるから、毛利氏が本拠地を置いたからって、ドでかい神社仏閣とか、豪華なお屋敷なんか作ってる余力はなかった気がするよ。

「武家屋敷みたいなものあんまり出来へんかったかもな」

 萩にあるものね。遺物を遺すより大砲とか鉄砲にカネは消えてい行ったんだろうな。

ツーリング日和29(第20話)乙女峠

 胸を揉まれたら即座にお目覚めだ。あそこでグズグズしてたら、朝のお勤めOKサインになってしまってるからね。それにしても男の朝の生理現象って何歳まであるんだろ。だからと言って見せつけるな。

「朝風呂行くで」

 展望露天風呂で昨夜のドロドロを落として朝の爽やかな津和野の風景を見て朝食に。こういうリッチな朝食はまさに旅行ならではだから嬉しいな。藤島監督も一緒になって今日のツーリングに出発。

 向かったのは乙女峠。麓から歩いて行くのだけど、ここなのか。ここもキリスト教徒受難の地になってる。時は幕末になるのだけど元治っていつなんだ。

「元治は慶応の前や」

 それも二年までしかなかったのだけど、幕末も良いところで元治年間には池田屋事件とか、蛤御門の変とか、四か国連合艦隊による下関砲撃事件が起こってる時代だってさ。一方で開国条約も結ばれて長崎に欧米人のために浦上天主堂も建てられてる。

 その教会に隠れキリシタンが訪ねて来るのよね。江戸時代はキリスト教が禁教になってたから信徒発見としてカソリック史にも記録される大発見だったとか、なんとか。これが元治二年の話だそうだけど、まだ江戸時代なのよね。

 慶応三年に信者の大規模な摘発が行われ、三千四百人の信者が捕まり、慶応四年に津和野にも百五十三人が送られ棄教を迫る拷問が繰り返されたそう。その苛酷な拷問のために子どもを含む三十七人が死んだとなってる。でもさぁ、慶応四年って、

「ああそうや、慶応三年末に大政奉還があって、慶応四年初めに鳥羽伏見や」

 政権は幕府から朝廷に移っていた時代になるのだけど、明治新政府も幕府のキリスト教を禁じる政策を受け継いでいたんだって。だけど欧米列強からの激しい抗議を受けて明治六年に禁教が解かれることになりやっと解放されたとか。

 藤島監督はこの乙女峠の悲劇を題材にした映画を撮る構想を練ってるのか。たしかに題材としては悪くないと思うけど、どうなんだろ。取り上げても悪い話じゃないと思うのは思うけど、どうにも話が暗すぎる気がする。

 とりあえず千草は出演したくないな。あんな三尺牢に裸で閉じ込められたり、氷の張った池に放り込まれるんだよ。藤島監督なら本当に氷の張った池に放り込みそうじゃないか。そうしておいて、

『カット。ダメダメ全然ダメ。撮り直し』

 これを何日も何日も続けられのは堪忍してくれよな。それはどうせ出演しないからともかく、

「監督はオチをどう付ける気や。人のやることにオレは文句を付けん。それでも助言を求めるんやったらやめとけや」

 ストーリーとしては残酷な拷問に耐え抜いた末に信仰が勝利するぐらいになるのだろうけど、なんかひたすら救いのない話になる気がする。言ったら悪いけど、この結果として日本がキリスト教国になっていたら見てる人だって素直に共感するだろうけど、

「日本人的な宗教観からしたら、そこまで宗教に命をかけれるやつは嫌われるで」

 うわぁ、そこまで言うのは拙いだろ。だけど千草もそんな気がする。だってさ、棄教するって口先で答えたら逃げられるじゃない。信心なんて内心の問題で、そうだな、宗派が違っても当たり前のように葬式に参列するようなもの。それさえ口にできない宗教って重過ぎるよ。

 だいたいだぞ、なんかマリアが現れて拷問に苦しむ人を励ましたって言うけど、マリアも神様の一人ぐらいのはずだから励ますぐらいなら助けてやれよだ。なにしに現れたんだって思ったぐらい。

「コータローさんもそこが気になりますか」
「悪いことは言わん。キリスト教はクリスマスとハローウィンとバレンタインデーで十分や。宗教に手を出したら仕事が狭なるだけや」

 キリスト禁教ではなくなり乙女峠に監禁されていた人々は救われたのだけど、結果としてキリスト教は広がらなかったとしか言いようがないかな。あくまでも公称信者数だけどカソリック信者って円応教の信者より少ないのよ。

「オレの意見なんか気にせんといてな。やりたい事をやるのもアートの仕事やからな。監督が撮りたいなら勝手や。オレやったらこんな宗教物は手を出さん」

 誇りある小市民のコータローに意見を求めたらそうなるだろうな。

「死んだら仏が日本人の考え方やけど、こいつらどうなってんやろ。それでも手を合わせといて悪いことなないやろ。はな、行こか」

 乙女峠に来たのは監督の仕事のためもあるけど、旅行としては時刻が早すぎるのよね。そう、まだ店が開いてないのよ。だから次は太鼓谷稲成に。ここは三千本の鳥居を潜り抜けて登って行く。

 この赤い鳥居が延々と続くのはいかにもお稲荷さって感じだ。やっとこさ登り詰めると、これは立派と言うか華麗な社殿だよ。境内から津和野の町が見下ろせるのだけど、なんか違うな。

「あれは石州瓦やからやろ」

 関西は黒い瓦だから上から見た印象が違ったのか。だってさ、なんか朱色の街並みなんだもの。さてこの神社の御利益は五穀豊穰、産業発展、商売繁昌、開運厄除、福徳円満、願望成就か。願望成就と福徳円満はそこそこ叶ってるから開運厄除を祈っとこう。

 レミに石見銀山で出会ったのは災難だったもの。二度と関わり合いになりたくないよ。関りさえしなければ、こっちだって害がない。それこそあっちに行け、シッシだ。まだ時間があるから森鴎外の旧宅に。

「五十石取の藩の御殿医の家やったそうやけど」

 残っているのは大したものだけど、津和野藩ぐらいで五十石取なら中の上ぐらいの家格だって。でもさぁ、角館のお屋敷は、

「そやったな。リッチやったもんな」

 そしてついに津和野観光の目玉の殿町だ。石畳になっていて、道の両側には掘割があり、鯉が本当に泳いでるよ。これが見たかったんだ。他にも似たようなところもあるけど、これこそが本家の津和野だ。さ~て、源氏巻でしょ、焼アイスも珍しいな。そしたら、

「退いて、退いて。撮影があるからあんたら邪魔なんだよ」

 なんか撮影してるみたいだけど、あそこにいるのはレミと石川ジョージじゃない。あいつらここでもロケやってやがったのか。それにしてもだよ、いくら撮影のためだと言っても邪魔者扱いは酷いだろうが。

 撮影許可を受けてるだろうし、撮影に協力したって構わないけど、物は言いようって言うじゃない。こっちだってはるばる神戸から来た観光客だぞ、コータローも嫌な顔をしてるけど藤島監督は怒ってるぞ。いきなりスタッフの首根っこをひっつかんで。

「責任者は誰だ」

 ドスの利き過ぎた声だ。

「ひぇぇぇ、池尻監督ですが・・・」
「挨拶させてもらおう」

 首根っこをひっつかんだままノッシノッシと行っちゃったよ。ディレクターズチェアに座ってる人の前でそのスタッフをほっぽり出して、

「オレはお前にロケ撮影のイロハを教えたつもりだったが、もう忘れたようだな。こいつは返しておく」

 それだけ言ってスタスタと。呆気にとられていたたぶん監督以下が大慌てになって追いかけたけど、

「今日は大事な友人の接待をしてる。これ以上は邪魔しないでくれ。わかったな」

 ビビり上がるぐらいの迫力で吐き捨てると。

「先生と奥様。醜いものをお見せして申し訳ありませんでした。挨拶は終わりましたから行きましょう」

 接待だったら源氏巻ぐらい奢ってくれよな。焼アイスだってコータローの奢りだったじゃないか。レミは本当に祟るよ。せっかくの津和野が台無しだ。恨んでやる、呪ってやる。