新小児科医のつぶやき

2017-05-11 古代製鉄のムック4・日本の場合

簡単にダイジェストするだけのつもりだった世界の鉄の歴史が、エラい膨らんでしまったのはいつもの事ですが「まあええ」として、やっと目的の日本のたたら製鉄に取り掛かります。


製鉄技術のおさらい

鉄は酸化鉄を熱により酸化還元することで得られますが、鉄の融点以下の低温でも製鉄可能です。ここは鉄の性質になりますが、

  • 低温で製鉄すると炭素含有量が少ない錬鉄・鋼鉄が得られる(直接製鋼法)
  • 高温で製鉄すると炭素含有量の多い銑鉄になる(間接製鋼法)

さて直接製鋼法で作られた鋼鉄や錬鉄は隙間が多い鉄として出来上がります。そのままでは強度が落ちますから、熱しながら叩く作業が必要になります。叩くことによって隙間を叩き潰し鉄同士をつなぎ合わせ、同時に不純物を叩きだす作業です。それと炭素含有量が低いほど鉄の融点はあがるので、鋼鉄や錬鉄を鋳造するには高温が必要になり古代ではそこまでの高温を得るのが難しいので叩いて形を作っていきます。えらい雑な説明で申し訳ありませんが、こうやって直接製鋼法で得られた鋼鉄や錬鉄を叩く作業を古代の鍛造技術と言っても良いと考えています。

低温で作られた鉄は炭素量が少ない錬鉄(場合によっては鋼鉄)になりますが、低温のため鉄が溶けて固まった訳ではありませんので隙間が多いものになります。まあスポンジみたいなものを想像しても良さそうです。そこで過熱して叩くことで隙間を埋めていきます。この時に隙間が無くなるだけではなく、鉄同士が引っ付きます。これを鍛接ともいうようです。同時にスラッジといわれる不純物も除去できるとなっています。

鉄にはもう一つ叩く作業があります。鉄だけではないのですが、叩くことによって固くなる性質のある金属があるそうです。これは冷えた鉄を叩くので冷間加工と呼ばれます。昔の包丁は錬鉄で出来ていたので、冷間加工で強度を付けていたそうです。これも叩きすぎると展性が落ちて脆くなるのだそうです。

この鍛造ですが銑鉄(= 鋳鉄)には向きません。つうか銑鉄は溶けますから叩く必要がありませんし、炭素含有量が多いので十分な硬度があります。問題は展性が低いことで、そのために焼き鈍しが使われます。

間接製鋼法で得られた銑鉄は融点が低いので古代でも鋳造可能でしたと言いたいところですが、銑鉄でも融点は1200℃になります。ここは銑鉄を作り出すには欧州の高炉で1500℃以上、古代中国の爆風炉でも1300℃(1200℃の記載もあり)と書いてありましたから、銑鉄を作り出す技術があれば鋳造は可能になるとした方が良さそうです。


たたら製鉄の基本

さて長いことムックしていて、たたら製鉄への素朴過ぎる疑問が湧いています。その答えがどこかにあるはずと鉄の歴史をムックしていた側面があるのですが、私には見つけられませんでした。まずまずたたら製鉄には2つの手法があります。

  • ズク押し(間接製鉄法)
  • ケラ押し(直接製鉄法)

日立金属HPにも

たたら製鉄には2つの方法があります。1つは砂鉄からいきなり鋼を作るケラ押し法(直接製鉄法)、もう1つはズク(銑鉄)を作ることを目的とするズク押し法です。

ズク押しで得られた銑鉄は、

ズクは炭素量が高く、溶け易いので鋳物にも用いられますが、大部分は大鍛冶場(おおかじば)に運ばれて炭素を抜き、左下鉄(さげがね)と呼ばれる鋼や、さらに炭素を下げて軟らかくした包丁鉄にされました。

大鍛冶場で左下鉄を作るところを左下場、錬鉄を作るところを本場と呼んでいたそうです。この2つの手法なんですが、

中国地方全体では山陰、山陽にわたってズク押し法のたたらが多く、また中国地方以外で行われた製鉄法もズク押し法でした。

つまりはまずズク押しで銑鉄を作る事からたたら製鉄は始まっています。直接製鉄法によるケラ押しが出てきたのは、17世紀の千種鋼が始めとされ19世紀になって広まったとなっています。もっとも本当の古代となると、

古代から中世にかけてのたたら炉の進歩は前述の通りですが、そこでどんな鉄が製造されていたのかは明らかではありません。

主に銑鉄を作り、大鍛冶的製法で脱炭し、鉄や鋼にしていたのか、それともケラ状の錬鉄が作られ、これを精錬鍛冶(ケラを高温で叩いて、中に含まれる鉄滓を絞り出す)して鉄を作ったのか、古刀の製造法が分からないのと同様にまだはっきりしないのです。

ある時期にズク押し一色に染まった時期が「どうやら」あったようで、その後にケラ押しが台頭したぐらいの関係と良く書いてあります。世界の製鉄史を考えると炉の温度の関係もあって直接製鋼から間接製鋼に進むのですが、この点だけをとらえる日本は特異な発達をしていると見えなくもありません。そこら辺の理解がスッキリしないってところです。


直接製鋼と間接製鋼

まず日本で確認されている最古の鉄器は紀元前3〜4世紀、これが弥生時代中期の紀元前後になると急速に鉄器の数が増えるとなっています。製鉄の始まりは遺跡で確認できているのが6世紀ぐらいだそうですが、2世紀ぐらいの鍛冶場の遺跡が確認されているので、紀元前後からの鉄器の増加と合わせて既に製鉄は始まっていたんじゃないかの説も強くなっているようです。

というのも紀元前後には青銅器の国産が始まっており、青銅の精錬技術・鋳造技術が伝わっているのなら製鉄技術もまた伝わっている方が自然だの考え方です。中国では紀元前5世紀には銑鉄の生産が始まっていますから、紀元前後で既に500年は経過しており、半島も紀元前3世紀ぐらいには製鉄が始まっていますから、青銅器の技術だけ伝わって鉄器の技術が鍛造技術だけ先に伝わるのは少々不自然の見方です。西洋や中国の様にステップを踏んで青銅器や鉄器が発達した訳じゃないからです。

ただなんですが製鉄の原型ともいうべき直接製鋼法が日本に伝わっていなかったかどうかは微妙です。製鉄の伝来ルートを日立金属HPより、

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この時期に銑鉄を作る技術があったのは中国系の技術だけと見て良いかと思います(タンザニアにも紀元前後からあったそうですが・・・)。中国も広いですが、漢代には製鉄は官営事業になっていたので中国の鉄は間接製鋼の銑鉄だったと見て良いかと思います。一方で伝来ルートとして中国をスキップしているものもありそうに見えます。中国をスキップしたものは直接製鋼法の可能性はありそうに思えます。無難には古代日本の製鉄初期には直接製鉄もあれば間接製鉄も共存していたぐらいを想像します。それと基本的な疑問としてはズク押しをするには高温の炉が必要です。これについてはキャスタロイ物語より、

古墳時代(西暦300〜600年)の遺跡から鉄製 の刀や斧などが出土していますが、その中の斧の分析結果から炭素や珪素を含んだ鋳鉄製であることが判明し、日本で作られた最も初期の鉄鋳物であると推定されています。

もう少し時代が下ると藤原京にも鋳造施設の跡が確認されています。銑鉄の融点が1200℃、古代中国の爆風炉が1300℃となっていますから、鋳造が出来るのなら銑鉄を作るだけの高温の炉もあっておかしくないってところでしょうか。それとこういう官営の鋳造施設が作っていたものとして仏具が多かったの調査があります。一つの見方ですが、律令体制が整ってくると税として鉄が集められるようになったぐらいは容易に推測できます。でもって集めた鉄は仏具の鋳造に大量に用いられたぐらいはあります。

仏具だけじゃなかったかもしれませんが、官営の鋳造工場のために銑鉄が必要となり、税である銑鉄を作るための製鉄法であるズク押しが発達し広がったはありえるぐらいの想像です。この銑鉄の利用なんですが中国では焼き鈍し技法である可鍛鋳鉄が早くから行われていますが、どうも日本には十分に伝えられなかった気配があります。そのために鋳物では固い代わりに脆いですから、農具や工具、さらには武器に錬鉄や鋼鉄の需要が多かったようです。だから大鍛冶場が成立していったのですが、一方で直接製鋼法であるケラ押しも残っていたかもしれません。

西洋の高炉と中国の爆風炉は英訳すれば blast furnace なんですが、中国の爆風炉は西洋の様に高くならなかったようです。原理としては類似だそうですが、このブログではあえて高炉と爆風炉と分けて書かせて頂いています。


銑鉄の意味

世界の製鉄史をムックした知見として、

    銑鉄生産 ≒ 量産技術

こうみても良いような気がします。西洋の高炉は銑鉄を作りますが、当時の鉄需要からして銑鉄自体はあんまり欲しい鉄ではなかったはずです。ですから脱炭素の工夫をあれこれ重ねるのですが、直接製鋼に決して後戻りしなかったのは鉄が量産できるメリットは何物にも代えがたいほど大きかったと判断して良さそうです。

一方の日本ですが、中国から銑鉄を作る技術が非常に早い時期に伝わっていますが、江戸期に入る頃には直接製鋼法にある意味逆戻りしています。これがどういう事かの意味を考えると、日本の銑鉄製造技術は必ずしも量産を意味しなかったんじゃないだろうかです。つまりズク押しで銑鉄を作ろうが、ケラ押しで錬鉄や鋼鉄を作ろうが、作る手間も生産量も大差なかったぐらいの見方です。鉄需要としては錬鉄や鋼鉄(ある時期から鋼鉄の需要が高まったの記録がありました)が大きいので、わざわざ銑鉄を作って大鍛冶場で鋼鉄や錬鉄に精錬するより、直接作った方が手間が減って経済的みたいな経緯です。

そうなると日本には中国の爆風炉、西洋の高炉みたいなものなしで銑鉄を作れる特異な技術があった・・・ここが調べても見つからないというか、わからなかった点なのですが、技術的には爆風炉の原理を基にたたら製鉄のズク押しが開発されたと考えるのが妥当なんですが、日本で定着した銑鉄製造法は量産には向かなかったぐらいしか想像しようがありません。技術の発展にはしばしばそういう事があり、ある時点で発展性の無い技術として西洋や中国の様な量産技術に発展しなかったぐらいでしょうか。

日本のたたら製鉄の特異性はあれこれと書かれていましたが、早期に銑鉄製造法を得ながら、これを量産技術に出来なかった(つうか中国の出来上がった技術を導入できなかった)のが一番特異な気がした次第です。

JSJJSJ 2017/05/11 22:51 >早期に銑鉄製造法を得ながら、これを量産技術に出来なかった
おそらく爆風炉にはそれなりの設備投資が必要で、それに見合う需要がなかったのだろうと想像します。
(資本がないから需要を喚起できなかった、という見方もできますが)
ヨーロッパは、産業革命期に入り鉄の需要はうなぎ登りだっただろうと想像がつきますが、
古代中国は鉄を大量生産して何に使っていたのでしょうねぇ?まさか鉄獅子みたいなのばっかり作っていたとは思い難いです。
何らかの鉄の構造物を作っていたのだろう、とは想像しますが。

ああ、でも、日本では大きな構造物というとむしろ銅製ですね、奈良の大仏とか。
そういう意味では日本は一点豪華主義というか贅沢だったのかも。

なんか収拾のつかないコメントになってしまいましたが、今回の鉄の話、面白かったです。
やっぱり知ってるつもりで知らなかったことがたくさんありました。

YosyanYosyan 2017/05/12 07:55 JSJ様

 >それに見合う需要がなかった

御意です。だいぶ前に律令制の軍団で徴収された兵士が大刀の持参を義務付けられていた話を思い出しました。あくまでも延喜式からの試算ですが、20万人ぐらいの規模ですから20万本の大刀が必要だったわけです。どうやって調達していたのか、そもそも本当に調達していたのか疑問だったのですが、ヒョットしたら鋳鉄製の大刀だったかもしれません。それぐらいの製鉄規模が古代日本にあったのかもしれません。

軍団は桓武天皇の時に極端に縮小されますが、この時に鉄需要がガクンと下がったぐらいは想像されます。まだまだ民需の規模が小さい時代ですから、縮小された規模に応じた量産技術に変わったぐらいはあっても良さそうな気がします。つまり元来は大量生産技術であったはずの銑鉄製造が、マーケットの縮小により少量生産技術に変質してしまったぐらいです。これも想像に過ぎませんが、中国伝来の進んだ焼きなまし技術も失われた可能性もあります。もっともそんな経緯を証拠立てる遺跡の発掘があるわけではありませんので御注意を。

もうちょっと別の側面でいうと、日本では鉄鉱石を豊富に含む鉄山が存在しません。だから鉄鉱石ではなく、比較的豊富にあった砂鉄からの製鉄にシフトしたぐらいを想像していますが、鉄鉱石に較べると砂鉄からの製鉄は量産と言う点で不利な材料があった可能性も考えています。しかし残念ながら、その辺を説明してくれる資料を探し出せませんでした。

YosyanYosyan 2017/05/12 08:33 もうひとつ資本規模の話ですが、欧州では産業革命期に入り商資本の蓄積があり、鉄の需要を喚起した結果、高炉による大量生産を行っても作れば作るほど儲かり、さらに大きな産業に育っていったはあると思います。中国でも類似の現象が漢代には起こりかけたようですが、中国ではこれをすべて官営化することにより、大規模な投資が継続されたぐらいに見えます。

日本では産業基盤も、商資本の蓄積もないところに中国の大量生産技術を持ち込まれたので、律令期の初期ぐらいは準官営ぐらいで成立しても、以後の平安政府はそういう官営事業からは撤退してしまったので、製鉄事業は地元需要が中心の地場産業化してしまった側面はある気がします。遠距離輸送のための手段も時代が下る方がプアになってましたし。そこに技術だけは銑鉄製造・鋳造技術だけはある程度残ったので、たたら製鉄も銑鉄製造になったものの、量産技術を少量生産技術に縮小させてしまったぐらいはある気がします。

JSJJSJ 2017/05/12 12:28 >それぐらいの製鉄規模が古代日本にあったのかもしれません。
それはないんじゃないでしょうか。
軍団といっても各国に分散していたわけですから、その装備も各国で生産する方が理にかなっています。
原料も製品も重いですから。
平安時代に鉄年貢はありますが、瀬戸内海水運が利用できる地域に限られるようです。http://www.ranhaku.com/web04/c5/1_04tokusan_map.html
何十万という兵を動員して実戦に投入していた中国とは、そこは違うと思います。

日本の鉄製品というと、灯炉供御人の名にもなった灯炉、それから鍋・釜・鎌・鋤・鍬・刀・矢尻・鎧の札・兜・・・
大きなものは思いつかないんですよね。鐘が大きい部類に入るくらいですか(それも現存する鉄鐘は小振りな物のようです)。
で鋳物師というと廻船とか、鎌を背負って行商するとか、行った先でかけつぎしているイメージ。
少量生産で全然困らない印象。

軍とか都とか巨大な需要があればひとつひとつの製品は小さくても大量生産のメリットもあるかと思う一方、
銑鉄をどうしても一ヶ所で大量生産しなければならない場面というのは、やはり鉄獅子のような巨大な製品を作る時だと思うのです。
で、鉄像というのは日本人の美意識には合わないだろうな、と思います。
銅製品は錆びても美しいですが、鉄は錆びるときたないですから。

日本は鉄原料が砂鉄だから大量生産に向かなかったのでは、という仮説は面白いと思います。

YosyanYosyan 2017/05/12 13:16 JSJ様

なんとなく思っているだけですが、鉄の大量生産には社会的インフラみたいなものがある程度必要な気がします。西洋がわかりやすくて、段々に鉄需要が大きくなり、これに応えるために製鉄技術が進歩して高炉による銑鉄の量産にたどり着いたみたいな経緯です。ここで中国が非常に早期に銑鉄製造になったのが世界的にも特異な現象と結論しても良いと考えています。日本は当然ですが中国の銑鉄技術が入ってくるのですが、そんな先進技術を受け入れるには早すぎたぐらいです。

製鉄技術だけは銑鉄が作れましたが、製鉄規模は需要に応じたものに矮小化した感じです。さらに需要に対して供給が過剰になる事は起こらず、起こらなかったから鉄器でなくても良いものは鉄器以外の材料で補ったぐらいです。供給が過剰状態になって初めて、鉄器がたとえば陶器製のものと置き換わる現象が促進される気がします。鉄瓶より陶器製の瓶が廉ければ、あえて鉄製のものを使わず、使わないから需要も増えなかったぐらいでしょうか。これは結果論で語っているだけですが、最後のところはよくわかりません。

YosyanYosyan 2017/05/12 17:45  >日本は鉄原料が砂鉄だから大量生産に向かなかったのでは、という仮説

基本のwikipediaを見落としていました。

 >ただし、不純物のチタンのため高炉による製鉄には不向きである。かつて製鉄所などで、原料の国産化を図るため高炉で製鉄する実験が行われたが、出銑口に詰まりが多発し、近代製鉄原料には不向きなことが知られている。

砂鉄だから量産しにくいのも一因だったようです。

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