新小児科医のつぶやき

2017-09-13 第1部一の谷編:鉄拐山とレスカ

須磨浦公園駅。バーで約束はしたものの本当に彼女は来るのか不安テンコモリでしたが、時刻通りに

    「はぁ〜い」

ぴったりと山ガールスタイルが決まっているのがなんとも眩しい。ハイキングはよく行くのかと聞くと初めてらしく、山ガールスタイルも今日のために用意したようでちょっと驚きました。須磨浦公園駅からはロープーウェイとカーレーターで鉢伏山に登るのがポピュラーなのですが、目的は奥須磨遊園に遊びに行くのではなく歴史ハイキングですから歩いて登ります。鉢伏山は標高二四六メートルと里山程度なのですが、

    「やっぱり登るの?」
    「今日は歴史ハイキングやから、登る事に意味があるんや」

六甲山系はハイキングのメッカの一つで登山道も良く整備されていますが、この山系の特徴として、どこもいきなり急勾配ってのがあります。そのためにハイカーにとって嬉しくない丸太階段が延々と続くのも良く目にする風景です。鉢伏山には丸太階段こそありませんが、須磨浦公園駅から鉢伏山山頂までコンクリートで舗装され随所に階段がありますが、これを登るのはボディブローのように足に堪えます。

    「けっこうキツイねぇ」

鉢伏山は一の谷の合戦の時に麓あたりに西の木戸があり、平景清が鉢伏山に陣取って奮戦したという伝承があります。このあたりは現在でも海岸沿いは狭くなっており、ここに西の木戸があれば守るのに都合は良さそうですが、

    「ホンマに景清はこの山登ったの」
    「ボクは登ってないと思てるねん」
    「どういう事」
    「騎馬武者じゃ登れへんと思う」

騎馬武者は戦国時代でもいますが、源平武者と戦国武者では少し様相が異なります。

    「どっちも同じようなものとちゃうん」
    「似てそうやけどだいぶ違う」

源平武者の時代の主要武器は弓矢で、武者の強さはどれだけの強弓を扱えるかで評価されていました。弓矢が主要武器であったため、防御兵器である鎧兜も弓矢に対応した大鎧に進化します。

    「源平武者の大鎧と戦国武者の鎧は違うの」

弓矢の貫通力に対抗して進化した大鎧は重量化します。戦国武者の鎧は一〇キログラム未満ですが、大鎧は二〇〜三〇.キログラムになっています。

    「かなりの重量級ね」
    「そうなんだ、重すぎて徒歩戦には向かなかったんだ」
    「だよね。そんな重い鎧じゃ走り回るなんて出来ないもんね」
    「だから騎馬である必要があったんだ」

重すぎる大鎧のために自分の足で動き回るのが鈍重になるので、足代わりに馬を使ったのが源平武者です。

    「じゃ、なんで戦国武者の鎧は軽くなったん」

源平合戦の頃は馬を攻撃しない暗黙のルールがありました。ところがこのルールが無視されるようになると、馬が倒されて嫌でも徒歩で戦う必要が出てきます。歩くと亀では困るので、徒歩戦が重視されるようになり、鎧の軽量化が進んでいます。

    「なるほど。源平武者は人馬一体と言うか、馬がなければ動けないって事やったんやね」
    「その点は覚えとったらエエよ」
    「そっか、だから景清は登ってないって言ったのね。源平武者に取って馬は欠かせない足やから、馬を置いて山に登らないってことね」
    「そういうこと」

やがて鉢伏山頂に到着。汗をかき少し息を弾ませている彼女が眩しく感じます。バーで見た彼女も素敵でしたが、太陽の下で見る彼女も健康的で違う魅力があるのを発見しました。鉢伏山頂にはレトロな円形展望台があり1階は休憩所になっているのですが、

    「見て見て、これレコードのジュークボックスやん」
    「ホンマや、かけれる曲は・・・」
    「あは、演歌ばっかりやね」
    「いやムード歌謡もあるけど、真昼間にかけるのはあわへんな」

2階はゲームコーナーなのですが、ここも昭和の香りあふれるゲーム機が並んでいます。

彼女が好奇心旺盛であるのも発見した魅力です。ちなみにエアホッケーは完敗でしたが、やり始めると負けず嫌いというか、真剣になるようで、その表情がまた魅力的です。3階は円形であることを利用した回る軽食・喫茶コーナーです。ここで軽い昼食を取りました。

    「ポートタワーにもこんなんあったね」
    「今でもあるのかなぁ」
    「今度見に行こ」

えっ、と一瞬思いましたが、デートのお誘いなら大歓迎です。でも本気かなぁ。昼食も済んで屋上にあがると、パノラマの絶景が広がります。

    「うわぁ、綺麗。明石大橋があんなに近くに見える」
    「今日は大阪まで良く見えるわ」
    「でも見晴らしは良いけど、こんな山の上じゃ、下を攻撃するには遠すぎるよね」
    「途中も陣取って戦えそうな平地はなかったやろ」
    「なかった」

鉢伏山からはリフトを使って奥須磨遊園に行けるのですが、今日はそっちが目的でないのでパスと言ったら、

    「え〜、行かへんの、リフト楽しみにしとったのに」
    「そこかよ」

鉢伏山から旗振茶屋を経由して鉄拐山に向かいます。尾根道尾伝いの林間コースで気持ちの良い山道です。

    「こういう道好きやねん」
    「ここは良く整備されから」

鉄拐山に行ったのは鉄拐山への登り道を見てもらうためです。

    「ここを義経は登ってきたん?」
    「鉄拐山の麓が一の谷ならそうなるねん」
    「ここは登れへんなぁ」

下りはしませんでしたが、歩いて登るのも大変そうな急坂です。ここから引き返して

    「次は義経道を下るね」
    「さっきのとこやね」

旗振茶屋と鉄拐山の間に義経が鵯越を下ったとされる道があり、そこを下っていきます。この道は最初はなだらかで、

    「これぐらいやったら、頑張って鉄拐山登ったら行けるんちゃうん」
    「この辺はね」

段々と急になるのですが、最後の最後に急を越えて三〇メートルはあろうかと見える急斜面というより崖になります。今は丸太階段が整備されていますが、

    「ここ馬に乗って下ったん」
    「そうなるねん」
    「絶対死ぬで」

山道を下りたところは住宅街が広がっており、やがて安徳宮につきます。安徳宮は住宅街に囲まれたこじんまりした神社です。

    「こっちの女の人の銅像は」

ここに皇女和宮の銅像があり、これについての謂れを説明しながら、

    「実はここは一の谷ではないんや」
    「違うの?」
    「だって周りを見てみ、ここが谷に見える」
    「見えへん」

安徳宮のあるあたりは山腹の台地状になっています。海の方からみると丘の上です。平らだから住宅街が広がっているわけですが、一の谷といわれているところはこの住宅街の東側にある赤旗谷です。

    「ここ?」
    「そういう事」
    「ここを下ったの?」
    「ここに一の谷があれば下らないと逆落としにならへん」
    「絶対死ぬわ」

今は道が付いていますが、安徳宮のある台地から見下ろすと完全な絶壁です。とくに見るものはないので、ここから須磨浦公園を散歩しながら須磨浦公園駅を目指します。

    「えらい狭苦しい谷やねぇ」
    「そうやろ」
    「もし鉄拐山を越えて行こうと思えば、あの急坂の鉄拐山をなんとかよじ登り、そこからあんな崖を二回も命がけで下らんとあかんことになるんやね」
    「そうやねん」
    「それとあの谷やけど、袋小路やん。あんなとこにおったら逃げ場があらへんやん」

須磨浦公園を歩いているとハイキングではなくすっかりデート気分です。

    「奥須磨遊園のリフト乗りたかった」
    「そんなに」
    「また連れってね、今度はロープーウェイからカーレーター乗っていこ」
    「今度ね」

これはもう次回のデートの約束と受け取って良いのでしょうか。彼女の真意がもう一つ、つかめませんでしたが、誘われて悪い気はしませんし、少なくとも今度のハイキングを楽しんでくれたようです。須磨浦公園駅前でお茶でもしようという話になり toothtooth へ、彼女はレスカとケーキセット、私はアイスコーヒーです。

    「実際に行って良くわかったけど、あんなところを騎馬武者が駆け下るのは絶対無理やね」
    「ボクも現地を見て絶対に違うと思てん。そんでホンマの一の谷はどこかを考えてるんや」
    「鉄拐山の麓じゃなかったら他になるもんね」
    「その前に鉄拐山の麓が一の谷やない他の証拠も押さえておきたいんや」
    「証拠って、犯罪捜査みたい」
    「とりあえず今日歩いた地形図を見てくれる

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    起伏を陰影でつけた地図やねん」

点線で示した山道はおそらく源平時代から基本的変わっていないと考えられます。というか地形的に他に道の取りようがありません。

    「鉄拐山やけど尾根伝いに来た可能性は」
    「それも考えないとアカンけど、尾根伝いで義経が来たのならあんなところを攻めないと思うんや」
    「どういう意味」
    「これも口で説明するには難しいんやけど。とりあえず国道2号線あるやん。あれって江戸時代の西国街道の跡って知ってるよね」
    「うん。西国街道が山陽道の跡ってのも知ってる」
    「その山陽道やねんけど、出来た頃は須磨浦公園と塩屋の間の海岸が狭くて通れなかったんだ」
    「そうやったの」
    「そのために須磨から多井畑に一度登って塩屋に下ってたんだ。これも地図作ってあるから見てくれる

    20170912083957

    源平合戦の頃には海岸の幅が広がって山陽道も海岸沿いにルート変更されたんやけど、旧の山陽道も姫街道として使われていて、江戸時代にも古道越と呼ばれて使われていたんだ」
    「へぇ、知らんかった。須磨から多井畑に抜ける道って今の離宮公園の横を通る道ね。でも古道越えがあるんやったら、そこから尾根道伝いに鉄拐山に行った可能性もあるんじゃない」
    「そうなんやけど、明治期の地図があるから見てくれる」
    「なんでも持ってるんやねぇ」

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    「黄色の線が古道越やけど、ほぼ現在の道路と一致するんや。ただ多井畑峠はポートアイランド作る時に削り倒したからかなり低くなってる」
    「多井畑峠から高倉山って一〇〇メートルほど登るんやね」
    「そうやねんけど、地図上の点線は明治期の山道だったと見てエエと思うねん」
    「鉄拐山のあたりは今もそんな感じやねぇ」
    「しかし多井畑峠からの尾根道はないんや」
    「でも六甲山縦走コースってあるやん」
    「それは当時はなかったと思うんや。六甲山縦走ルートは当時の生活道路やないからね」

明治期の地図が示す山道と一の谷合戦当時の山道が同じかどうかは確認しようがありませんが、平地と違って山は道が出来るところの地形的な制約が多く、そんなには変わらないはずです。それと江戸時代以前に山登りを楽しむ趣味は存在していなかったで良いと考えられます。あえて山を登るのであれば生活道路か、信仰のためです。六甲山縦走ルートはどちらにもあてはまりません。もちろん杣道程度はあったかもしれませんが、そこを軍勢、ましてや源平期の騎馬武者が通るのはまず無理になります。

    「それと山陽道が海岸寄りに変更になった後に古道越はかなり荒れていたとの話もあるんや」
    「そうやろなぁ。一八〇メートルもある峠を越えて塩屋に行くより平地の海岸線沿いの道を行くよねぇ」
    「そうなんや。それよりなにより多井畑峠まで義経軍が登れるんやったら、鉄拐山を目指すより、そのまま須磨に下ったらエエやろ」
    「そっか、一の谷を東西から挟み撃ちに出来るんや」

須磨に抜ける古道越に関しては平家物語にも該当しそうな記述はありません。もし須磨に抜ける古道越が軍勢の通行が可能なら平家もこれを阻止すべく軍勢の配置が必要になったはずです。しかしそういう伝承もないので、ここは軍勢の通行が出来ない状態であったと考えられます。

    「証拠やったらもう一つある」
    「なに?」
    「一の谷が落ちた時に平家はどこに逃げた」
    「えっと、大輪田の泊」
    「そうなんや。鉄拐山の麓では大輪田の泊には遠すぎるんや」
    「言われて見ればそうね。じゃ、なんでここが一の谷になったの?」
    「江戸時代にも観光ブームが起こって、ガイドブックみたいなものが作られたんや」
    「摂津名所図会みたいなやつ」
    「そう。その時に『一の谷はどこ』って探したみたいなんや。その時に兵庫津の船乗りがここを一の谷と答えたからじゃないかと言われてる」
    「じゃ、やっぱりここが一の谷?」
    「違うよ、兵庫津の船乗りのいった一の谷とは、兵庫津に入港する時の目印だったんだ」

傍から見れば恋人同士が甘い会話をしていると思われたかもしれませんが、やっていたのはガチンコの歴史談義です。かなりスノブなレベルと思うのですが、彼女は飽きもせず面白そうに聞いてくれます。これだけの聞き手は滅多にいませんので私も熱が入りました。参考になる資料はあるかと聞かれたので平家物語延慶本をあげたのですが、

    「私も延慶本読んでみる」
    「ネットに転がってるけど・・・読むのは大変やで」
    「もしかして崩し字とか」
    「それやったらボクも読めへん。テキスト・ベースやから字は読めるけど。ま、読んでみ」
    「じゃ、頑張る」

そうそう、彼女がレスカを飲むのを見ているとなぜか私の口にも甘酸っぱい味が広がる気がします。これはどう言いつくろっても私は彼女に恋してます。そりゃ、これだけ素敵な女性を前にして恋しない男なんていないでしょうけど。一体どういうルートをたどれば彼女により近づけるのか、いやそんなルートが果たしてあるのか、それより彼女は何者なんだ。

    「今日は楽しかった。また来ようね。それとこの続きを絶対にしようね。どこに一の谷が本当にあったかなんて調べるのは本物の歴史ロマンって感じやもん」
    「本当の一の谷がどこやったかは、ボクも研究中やから一緒に考えよ」
    「今度は絶対最後まで付き合って結論一緒に出そうね。約束やで」

『今度』ってことは以前もあった? それとも私以外の人の話? まあ私じゃないと思いますが、少々引っかかる感じがしたのは間違いありません。そこの疑問はとりあえず置いといて、このハイキングで確認出来たことは、彼女はしばらく歴史談義に付き合ってくれることです。それが確認出来ただけでハッピーです。

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