新小児科医のつぶやき

2017-09-30 第2部桶狭間編:テキーラ・サンライズで桶狭間に

いつものバーですがお隣は『彼女』になった天使のコトリちゃんです。あのチェリー・ブロッサムの夜から天使が私の『彼女』になった奇跡は続いています。付き合ってからもコトリちゃんの歴女ぶりは変わらず、邪馬台国で盛り上がって箸墓古墳まで行ったり、蘇我大王家仮説に熱中して飛鳥巡りをやったり、源氏物語の話の流れで宇治に行ったりしています。そうそう奥須磨遊園のリフトもちゃんと乗りに行きました。交際は順調に続いているとは言えますが話題がどうしてもガチの歴史談義になりがちで、お出かけもデートというよりフィールド・ワークに傾く部分が多いのが難点といえば難点です。もちろん歴史談義は私も大好きですし、それでコトリちゃんが喜んでくれるのなら満足です。

そんなコトリちゃんが頼んだのがテキーラ・サンライズ。このカクテルはテキーラにオレンジジュースを入れてステアし、縁からグレナディン・シロップを静かに注ぎ込むものです。名前の由来はオレンジを朝焼けの空、底のグレナディン・シロップの赤い部分を太陽に見立てたものとされます。ローリング・ストーンズミック・ジャガーが絶賛し、イーグルスのアルバムにもこのカクテルの名前を冠した曲が入っていたのが世界に広まった原因とされています。登る太陽って今の二人の関係にピッタリと内心喜んでいますが、

コトリちゃんが話題を振る時は準備OKのサインですから気合が入ります。

    「大ネタやね」
    「うん」

桶狭間も以前にかなり熱中して研究した時期があったのですが、かなり手強いお話です。

    「とりあえず桶狭間までの簡単なおさらいをしとこう」
    「えっとね、永禄元年(一五五八年)に浮野の合戦やって尾張上四郡の織田伊勢守家を滅ぼしたんだよね」
    「うん、あれで信長はほぼ尾張を統一したと言っても良いと思うよ」

尾張守護は斯波家ですが、戦国期には上四郡に織田伊勢守家、下四郡に織田大和守家が守護代として君臨し、守護の斯波家は織田大和守家で細々と庇護される状態になります。信長が生まれたのは下四郡守護代大和守家の家老筋の弾正忠家。信長の父の信秀もかなりの英雄で『尾張の虎』の異名をもち、最盛時には尾張の旗頭的な地位になり、西は松平氏を圧迫し西三河を制して安祥城まで進出し、北は『蝮の道三』と激しく争います。そんな信秀が四十四歳で急死したのが天文二一年(一五五二年)とされています。信秀の死は天文二一年の他に天文一八年、天文二〇年説もありますが、信長はまだ十七歳ぐらいだったことになります。

信長は少年期の奇行から『うつけ者』の評判があり、信長が家督を継いでからは同族間も含め血みどろの争いが展開されます。偉大であった父ほどの求心力が信長になかったからぐらいで良いと思います。しかし信長は清州の下四郡守護代の大和守家を滅ぼし、弟の信行(近年では信勝とする事が多い)との争いも稲生の合戦で破り、岩倉城の上四郡守護代の伊勢守家を滅ぼし実力で信秀の後継者の地位を尾張国内に示したと見れます。

    「でもって鳴海城に丹下・善照寺・中島砦、大高城に鷲津・丸根砦を築いたのが浮野の合戦の翌年の永禄二年(一五五九年)やねんけど、理由はなんだと思う」
    「そりゃ、鳴海城・大高城の奪還でしょ」
    「そのままやん。もちろん鳴海城・大高城を奪還することにより尾張の完全統一を目指したんだろうけど、もし桶狭間が起こる前に鳴海城・大高城を奪還できていたら信長は次にどこに進んだやろ」
    「そりゃ、美濃でしょ」
    「当時の信長がどう考えていたかはわからないけど、三河じゃないかと思てる。つまり亡父の信秀路線の踏襲や」
    「いわれてみれば、そうかもね。この時期に義元が尾張に進んだ理由は?」

今川氏が西に勢力を伸ばすのは地政学的な必然です。北の甲斐は武田氏が頑張っているだけでなく、甲斐自体が魅力に欠ける国です。富士山越えてまで占領したいという気が起こらなかったと考えています。東は北条です。ここに正面から合戦を挑むのは、巨大すぎてシンドイ。そうなると比較的大勢力の少ない遠江から三河に進出し次は尾張になります。ここで東国の情勢なんですが、甲斐の信玄は信濃を北上したところで謙信と川中島で争わざるを得なくなります。小田原の氏康は山内上杉氏を上野から追い落としましたが、上杉憲房に泣きつかれた謙信は関東出陣を決意します。この謙信と氏康の関東での抗争が駿河の義元の戦略に尾張進出を決意させたと考えています。謙信は軍神とまでいわれた戦上手の上に戦好きという厄介な人物ですが、義元に出現した状況は、

  • 信玄は川中島で手いっぱい
  • 氏康は対謙信戦で手いっぱい
  • 信玄・氏康は背後に当たる義元との同盟は重要

とくに氏康が対謙信戦に専念せざるを得ない状況は義元に西に向かう決断をさせたと考えています。今川と北条は義元が家督を継いだ直後から河東の乱で長く直接対決を行っており、この事を義元は絶対忘れないはずです。義元の脳裡には常に北条の脅威があり、これがある限り主力を西に向けられないぐらいです。

    「・・・そういう状況になったので義元は尾張に進んだのよね。だから大高城や鳴海城に付城を作られてもすぐに動けなかったんだよね」
    「この辺は義元と信長の微妙な駆け引きもあったかもしれへん」
    「そういう説もあるよね。信長は付城を作る事で義元を桶狭間に誘ったって」
    「その説に関してはなんとも言えないと思てるけど、もしそうであれば義元は信長の裏をかいた事にならへん」
    「どういう意味?」
    「信長が誘ったのは義元が救援のための部隊を差し向ける事やけど、信長が予想していたのはせいぜい多くて五千人までだったと思うよ」
    「なるほど。でもそうよね、現実の桶狭間みたいな大軍が来たら話にならないものね」
    「信長は局所決戦を予想していたところに義元が主力を率いて押し寄せてきた」
    「さて大変ってところよね」

今日は桶狭間の導入編で終りました。どうも久しぶりの大ネタになりそうで私も気合が入ります。帰りは駅まで恋人つなぎで手を握ってお見送り。幸せだなぁ。

BugsyBugsy 2017/10/03 15:01 うーんと最初の恋愛部分が歴史部分のどういう意味合いがあるのか分かりません。

YosyanYosyan 2017/10/03 21:34 えっと重要な伏線です。第2部では第1部よりラブロマンスと歴史篇の関わりはうまく書いたつもりです。

Bugsy Bugsy 2017/10/04 17:32 自分はジャラジャラと余計なものをつけた水商売の女のような文章を全く評価しません。オシャレな人間は皆シンプルで姿勢がいいです。この文章もそういった理由でオシャレだと思います。文章と服装は人間の内面が如実に出る点でよく似ていますね。

Bugsy Bugsy 2017/10/19 10:56 自分が桶狭間を読む時いつも思うのは、軍事衝突で滅んだ国はありません。いろんな理由で税収が減り政権が維持出来なくなり放り出すからです。国は興隆し滅亡しますが理由は同じで国によって違うだけです。だからローマ帝国史は五賢帝まで読めば十分でそこで止めたギボンは慧眼でした。ゲルマン民族の侵略で滅んだというのは日本人だけが考える全くの嘘で 帝国初期から頻繁にありました。あれは食い詰めた流民が押し寄せただけです。母国パンノニアで十分食えたアッティラはローマを劫掠していません。ローマ市民になるメリットがあれば興隆し、無くなれば自然消滅しただけです。この点は織田政権の解体と一緒です。

中国がひどいのは歴史書が現政権の正統性を主張するために、前王朝が滅んだのは天命だと言うだけで詳細な検討をしていません。歴史に学ばないので過ちを繰り返しています。例えば清朝の間接統治を知らないので現政権は帝国としての存在を確立出来得ません。信長はこの点でもよく分かっていました。とは言っても簡単で、現地採用すればいいだけです。世界帝国は皆コレです。

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