新小児科医のつぶやき

2017-11-16 第3部後日談編:コトリの部屋にて〜コトリの休日

コトリの部屋にて

あぁ、今日も忙しかった。ここのところ出張やら、休日出勤やら、研修会やらでゆっくりできませんでした。やっと明日はまともな休日、ちょっと気分転換したいなぁ。こういう時に山本君がいたら、あっちこっち連れて行ってくれるのに。本当に私と終っちゃったのかなぁ。

それにしてもシオリちゃんの話には圧倒されちゃった。私って山本君のことをなんにも知らなかったんだって。優しくて歴史好きでも十分だったけど、すっごい恋愛遍歴もってたんだ。みいちゃんだってそうだし、あのシオリちゃんもだよ。私はみいちゃんより、シオリちゃんが山本君を好きで付き合ってたって話の方が百倍ビックリしたもん。シオリちゃんって高校のダントツのトップアイドルやん。

たしかに私のことを天使と呼んでた男子もいたけど、シオリちゃんになると女神様だもんね。顔は言うまでもないけど、スタイルも抜群で女の私でも見惚れそうになるぐらいだもん。女優さんでもあそこまでの美人はいないんじゃないかなぁ。山本君も好きだったんだろうな。でもなんで二年も一緒に住んでなかなか手を出さへんかったんやろ。好みじゃなかったのかな。いや、そんなはずはないと思う。シオリちゃんの美しさは好みの問題なんて超越してるもん。山本君のわかんないところやな。

もっと気になったのはシオリちゃんが今でも山本君を好きだってこと。それだけは間違いなく言えるわ。あれって好きなんてもんじゃないね。心の底から惚れてるって感じよ。みいちゃんもそうだけど、なんで山本君にあそこまで入れ込めるんだろう。そりゃ、他人のことは言えないかもしれないけど、そこまでイイ男なのかな。でもみいちゃんはともかく、シオリちゃんまでだから、きっと私のまだ知らない魅力があるのかもしれないね。

そういえばカズ君だったっけ。いいなぁ、私もそう呼ぼう。だってプロポーズまで受けているのに未だに山本君はないもんね。シオリちゃんに悪いけど私もカズ君と呼ぶことにする。だって私は正式の婚約者だもん。その婚約者やけど。本当にまだ婚約者なのかなぁ。でもこの指輪は夢じゃないし、どうみても本気過ぎる指輪だもん。シオリちゃんに見せたらビックリしてたもんね。私だってもらった時は指輪の値打ちどころじゃなかったけど、後でちょっと調べて驚いたもん。完全に特注で間違いないよ。いくらしたんだろう。

それにしてもシオリちゃんはなんとかするって言ってくれたけど、あれから連絡ないなぁ。シオリちゃんも忙しそうだし。また外国への撮影旅行でも行ってるかもしれないね。まさか焼け木杭に火が付いたとか。それでも仕方がないかもしれない。山本君じゃなかった、カズ君の話をする時の目はゾクッとするほど輝いてた。いやメラメラと燃えてたもん。

私、これからどうしたらイイんだろう。なんとなく、みいちゃんだけには渡したくないわ。シオリちゃんならどうだろ。私がシオリちゃんほどカズ君を思っているかどうかと言われると自信なくなっちゃうの。そりゃカズ君はイイ人よ。それだけは間違いないわ。優しいし、親切だし、私のことを大切にしてくれてたのはわかってる。職業だって医者だから親にだって堂々と紹介できるやん。結婚相手として玉の輿って言う人もいるけど、実際そうかもしれないと思うもん。

でもね、カズ君に、みいちゃんどころか、シオリちゃんみたいなライバルがいるとはまさか思わなかった。なんとなく私よりシオリちゃんの方がイイ気がするの。振られて何年も、何年もしても待ち続け、あれだけ想い続けるなんて私には想像できないもん。こればっかりは二年も一緒に暮らしたシオリちゃんだからわかる事がきっとあるんだろうなぁ。それだったら、私も結婚して一緒に住めばわかるんだろうか。そうだったら、やっぱり渡したくないなぁ。知ってみたいもん。

もう寝よう。ここのところ、時間があると同じ事を考えてる気がする。明日はせっかくのお休みなのに、やっぱりカズ君のいない休日はつまらない。


コトリの休日

天気も良いし、家に籠っていても仕方がないからちょっとお出かけ。ただ選んでしまったのは鉢伏山。ここはカズ君と最初にハイキングに行った山。今日はあの時の服装と全く同じ、ハイキングに行くなら山ガールスタイルをばっちり決めようと張り切ってそろえたっけ。カズ君が目を丸くしていたのを覚えてる。

カズ君はと言うとダランとしたジーパンにブカブカのシャツ。カズ君はホントにオシャレのセンスがないの。あの日の服装もよくよくパーツを見ると決して安物じゃないの。私より高いもんじゃないかと思うぐらいだけど、トータルしたら、どうしたらこうなるかわからないぐらいダサイの。逆の意味で天才かもしれない。付き合ってからだいぶアドバイスしてマシになったけど、どう頑張っても最後のところが映えないのよね。たぶん体にピッタリした服が好きでないのが原因だと思うんだけど、どうしても嫌がっちゃうの。嫌がるもんだからそこが締まらないのじゃないかと思ってる。

じゃスタイルはどうかというと、案外なのよね。そりゃ、さすがに細マッチョとは間違ってもよう言わへんけど、腹は締まってるし基本的に筋肉質なんだ。あんだけピッタリした服を嫌がるから体もブヨブヨかと思ってたら、見てみたら意外だったのを覚えてる。

体力もあるんだ。私もマラソンやってるから自信があったんだけど、やっぱり平地と山道はちょっと勝手が違ったの。使う筋肉が違うからと思うんやけど、カズ君さっさと登っちゃうんだ。ついてくのに途中から必死になったのを覚えてる。ちょっと休もうって言ったら、そこからカズ君たら急にこまめに休憩とるようになったんだ。それも息を切らしながらよ。でもカズ君が本当は苦しくなかったのはすぐにわかったの。だって汗かいてないんだもん。なのにさ、

    「いやぁ、コトリちゃんにエエとこ見せようと思って無理したらへばっちゃった」

そんなとこまで気をつかっちゃうんだ。カズ君はいつもそうだった。どんな時でも先回りして気を使って、私が喜んでくれそうなサプライズをしてくれるんだ。でもそうじゃないかっていうと

    「タマタマだよ」

ウソばっかり。これは悪いと思ったけど、カズ君の部屋に行った時に、こっそりカズ君のパソコンを覗いたことがあるの。そこで私のフォルダーを見つけちゃったの。そこにはね、私を喜ばせる計画がいっぱい書いてあったの。今ままでのもあったし、これからのもあったわ。時間がなかったのでチラッと見ただけだけどビックリした。でも大事にしてくれるってこういうことかと思ってジーンときちゃった。

ふう、やっと山頂。あの時はここから展望台でランチにしたっけ。それから旗振山の方に行ったんだけど、その前に私がリフトに乗りたかったって言ったら、後日にキッチリまた連れてってくれたよね。私があれしたい、これしたいって言ったら、なんとかしてくれたよね。それも全部だよ、全部。してくれなかった事を思い出せないもん。

今日はリフトも展望台も行かない。あそこはカズ君とだけしかもう行きたくないし、行ったら思い出に押し潰されそうになるもん。なのに私はなんで鉢伏山に登ってるのかなぁ。もう下りよう。下り道は義経道。人通りが少ないなぁ。あん時もこんなに少なかったっけ。あん時はカズ君がいたから全然気にならなかったのに今日は凄い気になるよ。こんなに寂しい道じゃなかったはずなのに、カズ君と歩いた時にはあんなにワクワクしたのに。

やっと安徳宮。傍らに皇女和宮の銅像があるんだけど、何気なく由来をカズ君に聞いた時にこれもビックリ仰天させられたのを覚えてる。だってさ、あの時は一の谷合戦の話のために登ったんだよ。それなのにこの像を誰がいつ頃作らせて、誰が作者で、全部で五体あって、その行方がそれぞれどうなってって、サラサラ出てくるんだよ。まるで誰でも知ってる話みたいにさ。なのに、

    「タマタマ調べたことがあるから」

そんなことはないのは後でよくわかったもん。どこに行って、何を聞いても、いつもサラサラと出てくるんだよ。あん時に思ったんだ、これはハイキングじゃなくてフィールドワークだって。そう、カズ君が教授で私が学生って感じ。私も社内では歴女で通ってたけど、カズ君の歴史知識はレベルが違ったわ。カズ君の話についていくのに必死だった。でも楽しかった。歴史の本当の楽しみ方を手取り、足取り教えてくれたもん。おかげで社内の歴女仲間の会話が急に幼稚に思えちゃったの、歴史好きのおじさん連中もね。あんな時間を永遠にカズ君と楽しめると思ったのに。

さすがにお腹も減ったから”toothtooth”でお茶にしようっと。レスカでケーキセット。やだ、あの時と同じ注文しちゃった。でも今日は一人。どうして一人なの、どうしてカズ君はいないの。今日だってヒョットしたらカズ君が来てるかと思ったんだよ。さすがにバーで会うのは気まず過ぎるから、この太陽の下で『偶然』会えないかと思っちゃったの。でも来てるわけないよね。

でもやっとシオリちゃんがカズ君の事を、あんなに想い続けている理由が少しだけわかった気がする。カズ君のあの気づかいを同じ屋根の下で二年間も受け続けたら誰だって好きになるよ。抱きたいはずなのに二年も我慢して待ってくれたら誰でも感動するよ。カズ君が優柔不断だって、そりゃそうかもしれないけど、あそこまでいくと格が違うよ。

やっぱり私、何があっても取り戻したい。みいちゃんにも、シオリちゃんにも譲らない。だってだって私は、カズ君に選んでもらった唯一人の婚約者だもん。ちょっとファイトが湧いてきた気がする。またあの時間をカズ君と過ごすんだ。あの時間を誰にも渡したくない。

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2017-11-15 第3部後日談編:シオリ先生

    「先生、スタンバイできました」

シオリ先生は凄いよな。先生の写真は独特のアングルと光の取り入れ方に特徴があるんだけど、光の使い方がとくに凄いんだ。あれだけは誰にも真似できないんだ。写真雑誌に『光の魔術師』なんて書かれたことがあるけど、あれってホントにマジックだと思う。どういえばいいのかな。シオリ先生みたいな写真は本来は偶然の一枚みたいなもののはずなんだ。誰でも何千枚、何万枚も撮ればタマタマ写ることがあるってやつ。それを『いつも』撮れるのが凄いんだ。シオリ先生が凄いのはそれだけじゃなく、それを自在にコントロールしているのが信じられない。

だって撮影条件が屋外、屋内、昼、夜って変わってもまったく苦にしないんだ。前に半分遊びで動画を撮られていたけど、あれみてみんな仰天したんだよ。だってサッと一回撮っただけだよ。なのに映像の中ではあの光が自由自在に操られてるんだ。誰もがシオリ先生のテクニックを盗もうと必死だけど、シオリ先生は実に無造作に撮るんだ。他の先生なら光の加減のセッティングに神経質になるのが普通だけど、シオリ先生は与えられた光で自由自在に撮れちゃうんだ。

だから売れっ子。いやもう大家の仲間入りしていると思ってる。それでいて気さくなんだよなぁ。オレみたいな下っ端にも本当に気を使ってくれる。そのうえに目もくらむような美人なんだ。オレも含めてシオリ先生に弟子入りした連中は、先生の技術を少しでも盗もうと思ってるのはもちろんだけど、みんな先生に恋しちゃうんだ。これは男だけでなく女だって憧れちゃうんだよ。絶対もてるはずなのに、ホントに男の噂が立たないのが業界の七不思議の一つと言われてる。一説では男嫌いじゃないかと言われてるけど、そんなことはないのは知ってるんだ。

シオリ先生はよく飲んだり、食べたりに連れて行ってくれるんだ。信じられないけど先生の修業時代に食べるのも困った時期があったらしく、口癖のように

    「私の弟子は太らせるのが趣味なの」

こう言って笑わせてくれる。お酒も強くてどんなに飲んでも崩れることはないのですが、一度だけ違った先生を見たことがあるんだ。あの日は朝から先生のテンションがおかしかった。いつもなら冗談飛ばしながら、ハイテンションで撮影を進めていくのに、どうにも乗りが悪い感じなんだ。それでもなんとかその日の仕事が終わり、いつもなら

    「終わった終わった、さあ飲みにいくぞ」

てなノリになるのですが、あの日は

    「今日は疲れたから、帰って寝たい」

体調でも悪いんだとみんな思いましたし、オレもそう思いました。あの日はオレはちょっと居残りの仕事があったんだが、ひょいと通りがかった先生に、

    「ちょっと付き合って」
    「でも、疲れてるんじゃないですか」
    「私とサシで飲むのは嫌なんだ」

かなりどころでないぐらい舞い上がったのは白状しておきます。そりゃシオリ先生とサシで飲めるなんて夢みたいなものだからです。ドキドキしながらついていくと、いつもと全然違う店に行きます。そこでの先生はいつもの先生とは違います。どういえば良いのかなぁ、いつも以上にイイ女なんです。一緒に仕事しているオレが息苦しくなるぐらいです。

    「・・・私ってさぁ、綺麗なんかなぁ」
    「そりゃ、ムチャクチャ綺麗ですよ」
    「でも、もっともっと綺麗になりたかった。悔しいの、どうしたってアイツは振り向いてくれないの」

先生の不調の原因はどうやら失恋だったようです。しかし驚きました。先生に好きな男がいただけでなく、先生を振る男がいるなんてです。

    「どんな相手なんですか」
    「世界一イイ男」

そりゃシオリ先生の相手ですからイイ男に決まってるのですが、

    「先生の師匠とかですか?」

ありきたりの相手を思い浮かべましたが、シオリ先生の師匠の話って聞いたことがありません。

    「私の師匠? あれは最低の男だったよ。私を襲おうとしたから逃げ出したのよ。あんな奴は師匠でもなんでもない人間のクズよ」
    「じゃ、誰ですか」

シオリ先生は遠くを見つめる目をしていました。

    「私の写真どう思う」
    「そりゃ、凄いですよ。あんな写真は誰にも撮れません」
    「あの写真を見つけ出して教えてくれた大恩人なの」
    「有名な写真家ですか?」
    「へたっぴのド素人」

オレの頭の中には『?』が渦巻くだけでした。

    「あれはね、私の失敗作だったの」
    「どういう意味ですか」
    「あるものを撮ろうとおもったら、変な光線が入っちゃったの。それをアイツが『おもしろい』っていうんだよ」

これは先生の光のマジックの秘密を聞けるチャンスです。

    「そのあるものには不適当な光だけど、他のものに使うと凄い効果的なことがわかったの。アイツが調べ出したんやけど、ある条件になればそうなるんだよ」
    「それはどういう時ですか」
    「こればっかりは口では説明できないの。条件と言っても単純なもんじゃないからね」
    「そりゃそうでしょうが」
    「そうねぇ、たとえれば二階から糸を垂らして、風の吹く中を針の穴を通すようなものだから」

そんなに難しいんだ。そりゃ、そうだろな、簡単なら誰でも撮れちゃうもんな。

    「当時の私はね、スランプのどん底で写真を撮る気力さえ失ってたの。それでもアイツは私がフォトグラファーとして成功するって信じてくれていたの。だからその条件を探し出してくれたのだけど、二か月ぐらい頑張ってもどうしてもモノにできなかったの」

いつも自信満々のシオリ先生でもそんな時期があったんだ。

    「そしたらね、アイツがこう撮るっていうんだよ」
    「まさか、その方は撮れたんですか」
    「そうなのよ、構図とかは素人丸出しなんだけど、あの光の写真が撮れてるの」

ぎょえぇぇ、これこそ驚いた。シオリ先生のあの光の魔術を操れる人間がもう一人いたなんて。

    「そりゃ、驚いたわよ。アイツは私がそのテクニックをどうしてもモノに出来ないのを見て、自分で撮ってみせてくれたのよ」
    「そんな凄い人なんですか・・・いや、素人っていってましたよね」
    「そうド素人。だけど私のためだけに、あのクソ忙しい時期に手間と時間をかけてコツコツと研究してくれてたんだ」
    「クソ忙しい時期って、お仕事が忙しかったんですか。それにしてもあの光が撮れるならプロになったら良かったのに」
    「アイツは医学生だったの。自分の勉強でも手いっぱいのはずなのに、さして興味がない写真を、ただ私を助けるためにわざわざ調べてやってくれたのよ」
    「でもそんな簡単に出来るものなのですか?」
    「アイツがね、えらく苦労して本を読んでたの。私は医学書と思ってたんだけど、いつもならパラパラっと読むのに、辞書を何回も引きながら悪戦苦闘って感じなの。それでね、アイツのいない時に見てみると・・・アンタさぁ、ケルンの赤本って聞いたことある」
    「赤本って、まさかアレですか」

オレも話には聞いたことがあります。ちゃちいトリック撮影の解説書なんですが、巻末の方にトリックじゃない信じられないような高等テクニックが書かれているそうです。これがどうも著者とは別人が書いたとされています。というのも文章が全然違うそうで、一説には製本時の混入じゃないかとされています。ただそのテクニックのいくつかは実現不可能の烙印が押されています。だったら偽書かといえばそうでもなく、ある有名な研究家が実現可能としたものが出てきて評価が変わりました。

この本は日本語訳どころか英語訳もなくドイツ語原文しかないのですが、とりあえず書いてある理論は超が付く難解だそうです。これにさらにがあって、ネイティブが読んでも『文章が下手過ぎて何が書いてあるかわからない』代物でもあるそうです。いわゆる奇書なんですが、とにかく難解で日本のカメラマンでも実際に読んだ者は殆どいないんじゃないかと思います。ただ光の魔術のヒントがそこにあった可能性だけはありますが、英語も相当怪しいオレでは理解するのはもちろん読むのも絶対無理な本です。

気のせいか先生の目に涙が、

    「で、どうなったんですか」
    「素人のアイツが撮れるのにプロの私が撮れないって悔しいでしょ」
    「そりゃ」
    「死に物狂いで頑張ったわよ」
    「撮れるようになったのですか」
    「それでも撮れないのよ。あれはね、微妙過ぎる条件を状況に合わせていかないと撮れないの。そこまではなんとかわかったんだけど、それに合わせようと追っかけると、つかまえたと思った瞬間に逃げちゃうの」
    「それで」
    「そしたらね、アイツが言うのよ、追うんじゃなくて、呼び込むんだって」
    「呼び込む?」
    「そうなの、そこを会得するまで半年はかかったかな。これだってアイツが先にお手本示してくれていたから出来たようなもので、そうじゃなきゃ絶対挫折してた」

あっ、シオリ先生が涙を流してる。

    「私はね、アイツの見つけたテクニックを身に付けようと必死だったの。これを身に付ければ写真で食っていけるんじゃないかって」
    「そして身につけられた」
    「そこからはトントン拍子よ。あなたもテクニックの秘密を知りたいと思ってるだろうけどこればっかりは教えられないの。教えるのがとっても難しいのもあるけど、アイツの見つけたテクニックだから私のものじゃないの」
    「そうなんですね」
    「でもアンタには今夜付き合ってくれたから特別にヒントを教えてあげたよ」
    「えっ」
    「アイツにだって出来たんだから、アンタにもできるよ、それがヒント。技術を盗んで自分の物にするってそういうこと。それとアンタもこれからプロとして食べていきたいのなら、自分のプラスアルファを見つけるのよ。それが成功する秘訣、他人の真似だけじゃ、この業界は食っていけないよ」

そりゃ、理屈でいえば先生のお手本があるのですから、オレにも出来るはずです。でもこれだけ聞いてもオレ程度ではヒントにすらなりません。テクニックの秘密は仕方がないとしてその彼氏はやはり気になります。

    「付き合ってたんですか?」

シオリ先生は本当に遠い遠い目をしていました。どこかに行ってしまいそうな本当に遠い目です。

    「振られたのよ、それもあっさりとね」
    「先生を振る男なんてこの世にいるんですか」
    「そんな大げさな、でも本当のところアイツだけ」
    「そんなにもてる男だったんですか」
    「アイツが? 冗談でしょ、ブサイクとまで言わないけど中の下ってところかな。単なる愚図のお人よしだよ」

そこからは何を聞いても答えてくれませんでした。翌日からはいつものシオリ先生に戻り、二度と見ることはありませんでしたが、あの夜のシオリ先生は、恋する女だったんだと思い返しています。もともと飛び切りの美人なんですが、あの夜はさらに別人、いや美の化身のようでした。あんな綺麗な先生を見たのはあれきりです。たぶん一生忘れないと思います。

それと一つだけわかったこと。シオリ先生に男の噂が立たないのは、先生の中にはその人がいるからだってことです。その人がいる限り、どんな男でも眼中に入る余地など、どこにもないと。そして先生の心の中にはとびきりの物凄いイイ男が永遠に住み続けるんだろうって。

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2017-11-14 第3部後日談編:独り酒

    「マスター、ホワイト・レディ作って」

それにしても『カズ君』には参ったな。やっぱりシオはイイ女だよ。あんなイイ女があれだけやつれてたら、なんとかしてやろうと思わない男はいないんじゃないかなぁ。それでも転がり込んで来た時にはホントにビックリしたわ。あの時のシオはまさに限界って感じやった。体もそうやけど心がね。ああいうのを心身ともにズタボロっていうんやろな。元気な時のシオに戻るのに半年ぐらいかかったんじゃないのかなぁ、いや一年以上かかったな。体はともかく心が大変だった。

だってさぁ、あのシオがボクの奥さんになって専業主婦になりたいなんて言い出すんだよ。信じられるかい。それだけ限界までいってたんだろうな。ちょっと越えてたかもしれへん。でもそこからよく頑張ったよ。今じゃ売れっ子のフォトグラファーやん。もうちょっと撮ってもらっとけば良かった。あの頃なら練習台でタダで何枚でも撮ってくれたのに。ボクが嫌がったのもあるけど、あの頃の写真は一枚も残ってないんや。まあ売れっ子の苦境時代の冴えない彼氏の写真なんて残ってない方がシオにとっては良かったかもしれへん。

それにしてもシオはますますイイ女になってるわ。さぞもてるんだろうな。でも不思議なもんやなぁ、シオの仕事好きはわかるから独身なのはエエとしても、ほんと男の噂を聞いたことがあらへん。ボクが聞いたことなかっただけかもしれへんけど、前の夜だって独り酒してたやん。よっぽど理想が高いんやろな。それもシオらしくてエエけど。

シオと話するのは楽しいけど、ボクの弱点を知り過ぎてるのがちょっと困る。シオにかかるとなんでも白状させられるもん。だから敬遠してんだけど、『やり直したい』には本当に参ったわ。あれがシオの唯一の弱点かもしれへんなぁ。

    「マスター、マンハッタン作って」

そりゃ世話したんは事実やけど、シオは友達やで。それも小学校からの旧友やん。あれぐらいでホンマに水臭いわ。『あの時はありがとう』で十分やん。それをまあ命の恩人みたいに受け取られてありがた迷惑やわ。命の恩人でもまだエエかもしれへんけど、それを恋愛感情に向けるのは大間違いもエエとこやでホンマ。つい我慢できずに抱いてしまったのは悪いと思てる。それぐらいシオはイイ女や。つうか、シオを抱きたくない男なんているんかいな。

そこから恋人みたいな時期もあったんも事実やけど、他に好きな男が出来たっていうたやん。ちょっと違ったニュアンスやったかもしれんけど、それ聞いて汐時と感じたよ。ボクにシオは合ってないわ。世の中釣り合いちゅうもんがあるやん。シオはもっとイイ男が抱くべきなんや。こんな冴えへん男が抱ける女とちゃうねん。はっきり言わんでも身分違いやな。だからアッサリ身を退いたんや。だから二人の関係はあの時にすべて終わって、今はタダの友達やん。

強いて言うたら、シオが感じてる恩みたいなものは、半年もなかったけど恋人みたいな関係してくれたんですべて支払ってもろたわ。こっちが釣銭払わなあかんほどや。綺麗に清算済みやのになんで蒸し返すかな。やっぱりつい抱いてもたんが拙かったなぁ。もう一か月ほどやったから、あのまま我慢しとけばシオが今さら血迷ってボクなんかに執着することなかったのに。あれでシオの人生狂わしてるみたいでホンマ申し訳ない気分や。うん、抱かんかったらエエ話で終っとったのに。

とりあえず一番エエのは、イイ男が出てくれること。そうなりゃ会えなくなるのはちょっと寂しいけど、それが本来シオが進む道やってん。ボクとの二年間は不要な寄り道だったってこと。また寄り道に進むなんてシオにとっては時間の無駄、人生の浪費にすぎないよ。

それにしてもホンマにシオは男運が悪い。あの時だって、選りも選ってボクやなくて、もっとイイ男に出会って引き取ってもらってたら良かったのに。なんでボクになってもたんやろ。シオならなんぼでも選べたはずなのに。人間あそこまで追い詰められたら、あのシオでもあんな初歩的な間違い起してまうんやと思たわ。とにもかくにも、みいちゃんの問題がややこしい時にシオまで変調してもたら困るねん。とは言うものの、今の調子じゃ当分頼りにならへんなぁ。

でも一つわからへんのが、同じ身分違いでもコトリちゃんの時はなんであんだけ熱中できたんやろ。コトリちゃんもどっちかと言わんでもシオの階級に属してるもんな。シオをつい我慢できずに抱いてしまったのと同じようなものやろか。そう言われると自信がないけど、どっか違った気がしたんやけどなぁ。一緒やってんやろか。まあ一緒やったかもしれへんな。一緒やったから終りも似たようなもんかもしれへん。形の上でプロポーズまでは出来たから舞い上がっていただけやろな。

うんうん、そう考えよ。短かったとはいえ、シオもコトリちゃんも恋人になってくれた時間が持てたんやから、恵まれすぎてるわ。それ以上は高望みも度が過ぎてるわ。そうやもんな、あの頃の同級生にシオも、コトリちゃんも恋人にした時期があるなんて言うたら殴り殺されるかもしれへんもんな。エエ夢見させてもうたと思とこ。夢は醒めるから夢なんや。

    「今日はお一人なんですか」
    「そうやねん、一人になってもたみたい」
    「そうじゃないと思いますよ」
    「そうじゃなかったらエエけどね。なんかロングで作ってくれる、ベースは、そうやなぁ・・・ラムで」
    「かしこまりました」

あかん、シオはともかくコトリちゃんはやっぱり割り切れへん。天使にあそこまで行ってたのになぁ。プロポーズを受けてもらった時には人生最高の瞬間だと思ったもんな。シオのことを男運が悪いって言ったけど、ボクモ女運というか恋愛運が悪いんやろな。失恋ってそんなもんやと思うけど、毎度毎度ショックが辛いわ。シオの時でさえそうだったもんなぁ。あっ、これはシオに悪いか。もうエエ歳になってもたんやから、次から次に新しい恋に時めくのもシンドクなっている気もしないでもあらへん。つうか天使を越える恋なんてもうないやろな。

    「桜モヒートです」
    「マスター、ちょっとこれは」
    「まだこれぐらいだと思いますよ」

そういえば前もマスターはそんなこと言ってたっけ。なんか根拠でもあるのかな。あるはずないよな。とりあえずこれ飲んだら、帰って寝よ。かなり酔っ払てもた、飲み過ぎや。ホンマ独り酒は侘しいわ。

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2017-11-13 第3部後日談編:シェリー・バーにて

食事の後に飲みに行こうとコトリちゃんに誘われたけど『クライアントとの顔合わせ会』があるって断っちゃった。ちょっと独りで飲みたくなったの。行ったのは私にシェリーの美味しさを教えてくれたバー、そう今夜はシェリーの気分。

    「辛口でお願い」

カズ君との事を他人に話す日が来るとは本当に思わなかった。カズ君は絶対に話さないから、たぶん聞いたのはコトリちゃんだけやと思う。話した事は後悔しないけど、話すのは途中から本当につらかった。カズ君が辛い思い出を封印している理由がちょっとわかった気がする。嫌だなぁ、カズ君への思いは完全に断ち切ったつもりだったはずなのに、あれだけ昔の話をさせられたら思い出してしまうやん。たしかにカズ君はイイ男じゃないけど、あんなイイ奴はそうそういないんだ。まあ愚図でお人よしだけなんやけど、あんなピュアな奴は二度と出会えないかもしれん。

カズ君と結ばれた夜を思い出しちゃう。なんかお義理で抱いたんじゃないかと思った私は

    『私のことホントに好き』

こう聞いちゃったんだ。だって二年近くも同居していて触れもしてくれなかったんだもん。そしたら、そんな質問は心外って調子で

    『好きに決まってるやん。大事にするよ』

ずっと我慢してたのかなぁ。だから『いつから』って聞いたら焼肉食べた時からだって。その時は鶏ガラっていってたのに。ホントはいつからなんだろう、もっと早くても良かったのに。もっと早かったら違ってたかな。こんなこと何回思ったか数えきれないよ。最近になってやっとあの頃のことを思い出さなくってたんだけど、今夜はダメだ。私も封印が解けちゃったみたい。

    「もっと辛口でお願いします」

カズ君と別れてからも付き合った男はいるけど、どうしても較べちゃうんよね。そりゃ単純に較べりゃ、カズ君より遥かにイイ男のはずなんだけど、何か足りないんよ。その何かが満たされないから続かないんだ。今じゃ男嫌いなんて呼ぶのもいるぐらい。私だって男は欲しいのに。

コトリちゃんは幸せだよな。私に言ってくれたのは『大事にするよ』だけだったじゃん。まあホントに大事にしてくれたのは認めるけど、やっぱあれは愛情じゃなくて同情だったんだろうなぁ。でもそれだけで良かったんだよ。それだけでも私は幸せだったもん。

それにしても凄い婚約指輪だったよなぁ。アイツ生真面目に給料三か月分やったのかな、それ以上かもしれない。アイツならやるやろな。そりゃ、アイツの給料三か月分ならそうなるけど、それをあんなにアッサリ捨てるんかよ。そんだけ本気だったんだろ。

今日一番痛かったのはコトリちゃんに私はどうなのって聞かれた時。答えられないよ、誰にも言えないけど『いつか』って、ずっとずっと思ってたもん。クラス会の時も必死だったもん。ホントはあの日も大事な仕事があったんだけど、カズ君が出席すると直前に聞いて、無理やり断って出席したんだよ。嫌がれるかもしれないけど、このチャンスを逃したら一生会えないと思ったんだ。あの日も嫌がれてる雰囲気はあったけど、なんとか友達に戻れてどれだけ嬉しかったか。

でも本当の私は悪い女。コトリちゃんと付き合ってると聞いて嫉妬したんだ。嫉妬の余り元彼の情報流しちゃった。これだけでカズ君はコトリちゃんと別れるはずと計算してだよ。こんな悪い女どこにいるんだよ、あれだけの恩人にそんなことしちゃうんだもん。

    「すみません、もっと辛いのを」
    「今日はどうかされたんですか」

ここのマスターは女性。いつもは甘い系が好きなので気になったのかも。

    「うん、ちょっと」
    「お仕事、それとも恋」
    「恋」
    「それで辛口ってことはまさか失恋」
    「うん」

今じゃないんだけどね

    「先生みたいな素敵な女性を振る男がいるんですね」

『先生』と呼ばれるのは未だに慣れないの。そんなことはともかく、いたんだよね、この世で一人だけだけど。

    「今じゃないの。ずっとずっと昔の恋を思い出して、おセンチな気分なだけ」
    「先生をそこまで夢中にさせた男って、さぞやイイ男だったんでしょうね。一度お目にかかりたいものです」

何気ないマスターの言葉だったが、妙に気に障った。私のどこかの導火線に火がついたんだ。

そんなもんイイ男に決まってるじゃない。日本一、いや世界一だよ。それもダントツだよ。ケチなんかつけたら殴り倒すよ。会いたい、話したい、抱かれたいよ。アイツには失恋の時効ちゅうものがないんやろか。いや、みいちゃんにも会ったって話やから、私が会ってもイイよね。うん、絶対にイイはずだ。みいちゃんが良くて私が悪い理由なんてあるはずないやん。

    「見せてあげようか、世界一イイ男を。来たらだけどね」

でも来ないだろうなぁ。この時間帯だし、私とは電話はともかく会うのはずっと避けられてるし、

    「私だよん」
    「どうしたん」
    「一緒に飲んでくれへん」
    「ボクも飲みに来てるから、こっちに来る?」
    「いや、今夜はシェリーが飲みたいからこっちに来て」
    「参ったな。なんていう店?」

酔った勢いで呼び出してみたらホントに来るとなって、今度は私が慌てる番になりました。だってあのクラス会以来ですから胸の動悸が止まりません。それにしても拙かった、化粧も、服もコトリちゃんに会うだけのつもりだったので、これじゃあです。

    「どうしよ、どうしよ。ホントに来ちゃうよ、どうしよう」
    「久しぶりなんですか」
    「それなのに、こんな恰好じゃ・・・」
    「そのままでも十分に素敵ですよ」

この日を何年待っていたことか。その日には目一杯着飾って、オシャレしてカズ君の心を鷲掴みにするんだって、何度も何度も思い描いていたのに、なんてこったです。やっぱり断って仕切り直しにしようとウジウジ悩んでいる内に時間だけが過ぎていきます。

    「久しぶり」
    「う、うん」

来ちゃった。どうしよう、なにを話したら良いの、どうしたら。顔さえロクロク見れずにうつむいてしまう自分が情けない、

    「クラス会以来やなぁ。とりあえず乾杯しよ。ボクは甘すぎないのでお願いします」
    「私は甘めで」

私のオーダーを聞いて含み笑いをしているマスターの顔がチラッと見えましたが、それどころではありません。

    「乾杯」

昔と同じだ。こうやって二人で飲みに行ったんだ。

    「どうしたん、飲み過ぎたんか」
    「だいじょうぶ」
    「顔、赤いで」

それは酔いのせいもあるかもしれないけど、アンタに酔ってるからだよ。あのカズ君が隣に座ってるからだよ。私の素振りが異様に感じたのかマスターが、

    「こちらが例の方ですか?」
    「例の方って、シオ、どんな紹介してたんや」

『シオ』って呼ばれた瞬間に、このまま死んでもイイと思った。一緒に暮らした二年足らずの間に『シオ』って呼んでくれたのはあの夜からの短い期間だけやもん。それ以外はすべて『加納』。クラス会の時もそうやった。何かが私の中ではじけた気が

    「それはね、世界一イイ男を今から呼び出すって言ったの」
    「ハハハハ、そりゃエエわ。えっと、私が世界一イイ男です」

これにうけたマスターと二人で笑ってましたが、こうなれば突撃あるのみです。コトリちゃんには悪いけど、私だって未練がタップリ残ってるの

    「本気で世界一イイ男と思ってるの」
    「それはありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
    「お世辞じゃないの!」

笑っていたカズ君がちょっと固まりました。

    「カズ君」
    「その呼び名は堪忍してえな」
    「悪いけど、今夜だけは我慢して」
    「参ったな、まあエエよ」

あれホントにイイの? あれだけ嫌がってたのに。私の剣幕に驚いたのかな、

    「やり直したい」

我ながら突然すぎて愛想もクソもない。ホントはお世話になった時代のお礼をちゃんとして、四方山話の末に切り出せるなら切り出すつもりだったのに。今夜の私はどうかしてる。カズ君が困った顔をしてる。ゴメンナサイ。今夜だけは許して、

    「ボクなんかとやり直さんでも、いくらでもイイ男はおるやん」
    「いないの。あれからずっと探しているけどいないの」
    「そりゃ探し方と男運が悪い」

どうしたら良いの、どうしたら、あせりまくっても頭が混乱するばかり。次は何年先になるかわらないというのに、次の言葉に困ってる。切羽詰まった挙句にようやくひねくり出したのが

    「あの時にどうして私を引き取ったの」
    「その話はエエやん」
    「じゃ、どうして今夜は私のことを『シオ』って呼んだん」
    「それは、つい・・・」
    「じゃ、今夜は『つい』の日だから話して」

あちゃ、私も昔に戻っちゃったみたい。カズ君が話したくない事を聞きだす時に良く使った段取りです。こうされるとカズ君は弱いのは良く知っています。この手で、みいちゃんとの話も聞きだしたんだ。ちょっとずるいけどカズ君許してね。

    「参ったな。今夜だけやで、呼び方間違えただけでエライ目に遭うわ。あん時にシオを引き取ったのは、こんなイイ女が苦しんでいるのを見てられへんかったからやねん。まさかホンマに転がり込んで来るとは思わへんかったけど」
    「ウソ」
    「ウソやない。ウソついてどうする」
    「じゃ、なんですぐに抱いてくれなかったのよ。それぐらいは覚悟してたのよ」
    「アホ抜かせ。いくらイイ女でも好かれてもない女なんて抱くかい」

やっぱりカズ君は世界一イイ男や。溢れそうになる涙をもうどうしようもありません。

    「それだけで二年近くも手を出さへんかったん」
    「当然やろ。シオは恋人である前に、まず大事な旧友やからな。我慢するのはちょっと大変やったけど」
    「そんな我慢なんかしなくても・・・」

あかん。もうしゃべられへん。顔もグシャグシャになってもた

    「こんな話で泣くなよ。ホンマに参ったな。そりゃ抱きたいと思てたよ。ボクだって男やからな。でも言うてたやん、写真の先生に襲われそうになったって。きっとシオにはトラウマになっているはずやから、シオがボクのことを好きになって抱かれたいと言うまで待とうと思ってただけやねん」

それだけの理由で我慢できたの?。同じ屋根の下で襖一つで隣の部屋で毎晩寝ててやで。夏なんかエアコン1台しかなかったから、暑いからって襖も開けてたやん。でもカズ君が襲う素振りも見せなかったので、あの二年間で男性不信は消え去った気がする。気付かなかった、今日の今日までその事に気づかなかった。私を癒すためにずっと我慢してくれてたんだ。

    「なんか変な誤解してるみたいやけど、シオは好きやった。好きやったけど、あん時はシオがボクの事を信用して転がり込んだきた訳やん。信用と愛情は違うから、信用に付けこんだらアカンやろ。弱ってるシオに付けこむなんて最低やん」

ゴメン、カズ君。私そこまで信用してなかったの。体は家賃とか生活費代わりでいつか求められるのは仕方がないと思ってたし拒否もできないと覚悟してた。それしか支払えるものがなかったから。見知らぬ男より、せめて幼馴染のカズ君の方がまだしもあきらめがつくみたいな感じ。

    「ホンマに災難な夜やわ。こんなん話すほどの事やないけど、シオは本当に弱っとってん。触れれば崩れ落ちるぐらいにな。そうじゃなきゃ、ボクんとこなんかに転がり込むかいな。そこまで周囲が見えなくなるぐらい弱ってたんや。このままじゃシオがどこに転落していくか心配で仕方なかったんや。誰かに甘い言葉をかけられたらイチコロみたいって言えば怒るかな」

そうかもしれない、いやそうだった。カズ君の下宿に転がり込んだこと自体が既にイチコロ状態だった。あの時にカズ君じゃなくて他の男であってもそうしたかもしれない。誰かに頼りたくてしょうがなかったんだ。たぶん誰でも良かったんだ、カズ君でなくとも。

    「だから下手に愛情は見せたらアカンと思たんや。そんな事をしたらシオはボクみたいな男に頼り切る女になってまうかもしれへんやん。シオにはそうなって欲しくなかってん」

そんな理由だけで好きな女と同居していても口説きもしなかったの。抱くどころか手を握るのさえあれだけ嫌がったの。私が立ち直るためだけに我慢したの。弱ってるから付けこむんじゃなくて、立ち直らせる方を優先してくれたの。

    「格好エエこと並べてるけど、ボクだって男やから本音はシオが欲しかった。いや欲しくて、欲しくてたまらなかった。でもそれは元気なシオに戻って、それでもボクを好きになってくれたらの時だけと決めてたんや。だからあのプレゼントは本当に感激して有頂天になって受け取ったよ」

うぇ〜ん、うぇ〜ん、もうどうしようもないよ。私を抱いた時にそんなに感激してくれてたんだ。好きで好きでたまらなかった愛しい女を、同じ屋根の下でいつでも抱けるのに二年も待ち続けてたんだ。それも最初に求めた時はまだ立ち直ってないから怒って拒否してるんだよ。

やっとの思いで抱けたって喜んでくれてたんだ。そうなんだ私は愛し抜かれて抱かれたんだ。それなのに、それなのに、それをお義理じゃないかってずっと疑ってた私って・・・

    「あの頃はもうシオは抱けへんと半分諦めとった。二年も一緒に暮らして、こんだけ好きになってるのに抱けへんのは残念やったけど、やりかたかったのは旧友でもあるシオを立ち直らせることで、抱くことやなかったからと自分を慰めとったんや。まあ、冷静に考えりゃ、こんな冴えん男をシオが選ぶはずもないし、選ばへんのが元気になった証拠みたいなもんかと。だから今から思ても夢のような夜やった。元気になってもシオが本当にボクを選んでくれたって」

顔も上げてられへん。カウンターで顔を伏せて号泣にならないようにするのに必死。

二年間も一緒に暮らしていて情けないぐらいなんにも見えてなかったんだ。カズ君が私を最初から愛していたこと、愛しい女を立ち直らせるためにどれほどの事をしてくれていたのか。だからこそ私が立ち直り、その愛に気づいたことをどれほど喜んでくれていたのかを。

今の今まで私に向けられていたのは同情で、同情の延長線の上の愛情と思ってた。よほどカズ君の好みのタイプじゃなかったと信じ込んでた。なんにも、なにひとつ私はわかっていなかったんだ。カズ君は本当に私を愛してくれてたんだ。

そこまで愛し抜かれていた私がカズ君にやった仕打ちはまさに最低。たった三ヶ月だよ、たった三ヶ月別れて暮らしただけでカズ君を疑ったんだ。それもなんの証拠もなくだよ。ただちょっと寂しかっただけの理由で心を試したんだよ。

カズ君は私が選んだと言ってるが、それは違う。あの焼肉の時に私はカズ君に選んでもらったんだよ。選ばれて大事に大事に、これ以上はないぐらい大事に愛してもらったんだ。私がその愛に気づいて受け入れてくれる日だけをひたすら夢見て。

今になって、やっとわかった自分が本当に情けない。わからなかった自分が悲しすぎる。あの時にわかっていれば、せめてもう少し見えていれば、あんな仕打ちは思いつきもしなかったのに、あの仕打ちでカズ君を悲しませることもなかったのに、

    「でもまあ、済んだ事やし。シオがこれだけ元気に活躍してくれてることで、ボクのやったこともちょっとぐらい役に立ったと思って嬉しいわ。それで十分恩返してもらってると思てるよ。そやから気にせんといてや。

    そやそや、最後につい抱いてもたんはホンマに悪かった。あれさえ我慢してたら、シオにこんな思いさせへんかったし、普通の友達のままでいられたにと思うと反省してる。今思い出しても、ホンマに情けなかったわ。さっきは格好エエこというたけど、やっぱり家賃とか生活費代わりに無理強いしたみたいなもんやん。でもな、あんな場面であんなこと言われたら、ボクも男やん。見境つかんようになってもてん。許してな」

違う、違う、抱かれたかったのは私なの。プレゼントを受け取ってくれて本当に嬉しかったのよ。あれは心からのプレゼントだったの、それだけは信じてお願い。もっと早く抱かれたかったの。もっと、もっと抱かれたかったの。今だって抱いてほしいのよ。いや別れた時からずっと抱いてほしいと想いつづけてたのよ。あのプレゼントは今だってそのままなの。私の心も体もカズ君の物なのよ。あの結ばれた夜からずっとずっとそのままなの。なんにも変ってないの。

言葉にしたい、今言わなきゃいけないのに声にならない。ちょっと落ち着くまでカズ君待って、お願いだから待って、どうしても言わないといけないの。カズ君席を立たないで、お願いだから、私をこのまま置いてかないで、席を立つなら一緒に連れてってお願い、お願い・・・抱いて、今夜だけでも、

    「変な夜になってもたな。でも久しぶりに会えて嬉しかったわ。話するだけやったらシオが最高や。二年もダテに暮らしてないもんな。ボクもシオって呼ぶから、カズ君でもエエわ。でも知り合いの前では呼ばんといてね。また飲みに行こ」

そういってカズ君は万札をカウンターに置いて、

    「足らん分は奢っといてね。ほんじゃ」

もう号泣状態の私は顔も上げられませんでした。やっと私が落ち着いた頃にマスターがポツリと、

    「たしかに世界一イイ男ですねぇ」

だからそう言うたやん。あんな奴は世界中探してもおらへん。きっと私が他の男じゃどうしても物足りなくなっちゃうのはそこよ。

あれだけの事を当たり前のように、まるでパンでも食べるようにやれるのが本当のイイ男よ。誰がなんて言おうとカズ君は私にとって世界一イイ男よ。でもお持ち帰りはしてくれないのね。やっぱりカズ君が今大事なのは私じゃなくてコトリちゃんなんだ。私じゃダメなんだ。

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2017-11-12 第3部後日談編:シオリの引きずる過去

今日はコトリちゃんが会いたいとの事でお食事会。

    「ところでみいちゃんは何か言ってた」
    「えっと、会えて嬉しかったって」
    「他には」
    「うんと、うんと、次に返事をもらうんだって」

あちゃ、みいちゃん、やっぱり本気だ。

    「返事ってやっぱり・・・」
    「うん、それしか考えられへん」

たぶん返事の時期は離婚が正式に成立してからになると思うから、もう少し時間があるだろうで二人の意見は一致しました。では次の一手をどうするかを話している内に

    「ちょっと思ったんやけど」
    「なに?」
    「シオリちゃんて、もしかして」
    「もしかして何よ」
    「好きだったんじゃない、いや付き合ってたんじゃない。だって知り過ぎてるもん」

これは参った。えらいところに話が飛び火してもた。ここまで首突っ込んだら、隠してもしょうがないか。

    「あれはねぇ、もう何年前になるかなぁ。写真の勉強のために、ある先生のところの弟子になったんやけど、襲われそうになって飛び出しちゃったのよ。そのうえもう一人でも出来るとも思ったのよねぇ。思えば若かった」
    「で、どうなったの」
    「飛び出してはみたものの、仕事が殆どこなくて、1年もしないうちに食うにも困るようになってもてん」
    「やっぱり厳しいのね」
    「なんとかありつけた仕事をしてる時に山本君とたまたま会ったのよ」
    「へぇ、そうなんだ」
    「ゴメン、ちょっと話を飾っちゃった。ホントはね、タマタマだったのは山本君の通ってた大学での仕事だっただけで、私は一生懸命になって山本君を探したの」
    「好きだったから?」
    「それも違うの。できたら御飯ぐらい御馳走してもらおうと思ってたの。それぐらい切羽詰まってたの」

あの頃はサラ金にこそ手を出していなかったものの、家賃も払えず『これ以上は待てないから出て行ってくれ』とはっきり言われてた。親や親戚への無心も限界で、持ち物は仕事に必要なもの以外は売れるだけ売ってしまっていたんだ。大学の仕事も、これも仕事に必要な電話代と光熱費を払ったら綺麗に消える程度の小さなものだった。今から思えばバイトでもすりゃ良かったのですが、どうしても写真だけで食べてやるんだと意地張ってたんだよねぇ。とにかくカネがなかったので食費を削り倒していたんだけど、おかげで慢性的な空腹状態で、なんとか山本に会えたら御飯を奢ってもらおうと必死でした。

    「で、会えたんだ」
    「仕事も終り、もうあきらめて帰る途中にタマタマ通りがかったんよ」

ヒョイと目をあげたときに視線が合って、私は一目散に駆け寄ったのでした。久しぶりにまともな食事がとれるかもしれないの一心です。あの時の山本の顔がブタマンに見えたのは私の棺桶まで持っていく秘密です。

    「御馳走してくれたん」
    「うん、焼肉やった」

そこであれこれ話をしていると、

    「そんなに困ってるんやったら、うちに一緒に住まへんかって。家賃も光熱費もいらんし、食費だって一人も二人もあんまりかわらへんし。でも、まあ男と暮らすのは嫌やろけどってなって」
    「そんなこと言ったんだ」
    「そう。さすがに迷ったけど、このままじゃどうしようもなくなるから・・・」
    「同棲したんだ」
    「うん」

荷物をまとめて転がり込んだ夜にも、体を求められるのは覚悟してたんやけど、そんな素振りはまったくなくて、逆にガッカリしたのを覚えてる。後から聞いたら、あまりにもヤセギスすぎて『鶏ガラに性欲が湧かなかった』って言われて笑った。

    「一緒に暮らしてみてわかったんやけど、かなり無理して私を引き取ってくれてたの」
    「狭かったの?」
    「下宿は古かったけど、間取りは2DKで一部屋を使わしてくれたの。広さは良かったんだけど、問題は時期ね。五年生だったから勉強が大変だったのよ」
    「そんなに」
    「うん、実際に横で見てると、こっちが息苦しくなるぐらい」
    「炊事とか洗濯は」
    「掃除と洗濯はやったけど、炊事はね」
    「シオリちゃん料理得意やん。料理教室もやってたぐらいやし」
    「今はそうなんやけど、エヘヘヘ、当時はさっぱりで実は山本君に教えてもらった」
    「山本君って料理作れるんだ」
    「そんなレベルじゃないよ、本当にレストランみたいやった」

味に関しては記憶として美化される部分もあると思うけど、食うや食わず状態が長かった私には信じられないような立派な食事でした。料理に関しては『気分転換だから』って作ってもらっていましたが、勉強時間に一緒にいるのは息苦しくて、ひたすら申し訳ないと思う毎日でした。

    「で、どうなったの」
    「どうにもならないよ。たまに舞い込んでくる仕事の日はともかく、近くに友達はいないしカネはないし、服だって。家事っていっても洗濯も掃除もしれてるからね」
    「同棲気分とかは?」
    「それがね、友達の一線を絶対に崩さないのよ。下着を洗わしてもらうのに半年かかったもん。『友達に洗わすもんじゃない』って」
    「ふふふ、山本君らしいね」
    「そうでしょう」

若かったし、私を引き取るからにはエッチは仕方ないと思ってましたが、手も握ってくれないとはまさにあんな状態です。途中から女として見てくれてないんかと、かえって腹が立ったぐらいです。

    「それでもでしょ」
    「うん、だって一緒に暮らせば情が湧くやん。このまま専業主婦になってもイイって思たぐらいやもん」
    「ほんで、ほんで」
    「そう言ってみたの。そしたらね、思いっきり怒られた」
    「山本君でも怒るんや」
    「専業主婦にするために居てもらってわけじゃないって、サッサと自立してもらうために居てもらってるんやって」
    「格好イイやん」
    「ちょっとしびれた。そこからガムシャラに頑張ってなんとかなったんよ」
    「そんなところもあるんや、でもやっぱり気になるの」
    「あったわよ、二年近くしてからやっとね」

あれは山本の国家試験の終わった夜だった。それなりに仕事が増え始めたので、同居して初めてお祝いに御馳走したんだ。試験の出来も良かった山本も上機嫌で喜んでくれた。食事も終って下宿に帰った後に、もう一つプレゼントがあるけど受け取って欲しいって言ったんだ。この時に本当はモノを用意してたんだけど、思い切って『プレゼントは私なんだけど』と言ってみたんだ。また怒られるかと思ったけど、なんと山本は素直に受け取ってしまったんだよ。もう女として見られていないと思ってたからビックリした、ビックリした。でも無性に嬉しかった。

    「なんで別れたん」

国家試験の発表まで一か月ぐらい時間があり、それまではまさに新婚気分でルンルンだった。ただ合格が決まると下宿を引き払い、就職先の病院の官舎に引っ越す予定だったんだ。実はこの時に私も自立を決めてたの。『そうしろ』って山本もずっと言ってた。このまま同居したかったけど、研修医の薄給じゃ無理だと言われ、それよりなにより仕事をまずがんばれって言われたの。たしかにドンドン仕事が舞い込むようになって、そっちが楽しくなっていたのは本音だったわ。結婚するなら山本が一人前の医者になってからでも遅くないって思った。

    「・・・・それでも離れたら寂しくなったの。それまで当たり前のように山本君が一緒の生活だったもんね。だからついやっちゃったの、心を試したの」
    「わかる、わかるけど、その流れって・・・」
    「そう、終わっちゃったの」

あれは今でも悔やんでも悔やみきれない大失敗だった。理由は大間抜けなことに山本が去ってからようやく気が付いた。みいちゃんとの別れの時の傷が深すぎたんだって。それを知っていたし、それを癒せるのは私しかいないと自惚れてたのに、うっかり触れちゃったことを。死ぬほど落ち込んで泣き暮らしたけど後の祭りにしかならなかった。

    「それっきり?」
    「次に会ったのは中学のクラス会」
    「そこでは」
    「私の記憶も封印されててすごい悲しかったよ。だってさ、あの苦しい時にあんなに無理してくれたんよ。なんとか恩返ししたいやん。でもさぁ、なんとか友達には戻れたけど、あの時の話は絶対に触れさせてくれないの」
    「なんか悲しいね」
    「でもさぁ、コトリちゃんの件で相談してくれた時には本当に嬉しかったの。やっと私にも恩返しのチャンスが回ってきたと思ったのよ。それがプロポーズまで行ったって聞いて超ビックリ。私には言ってくれなかったもん。それだけじゃなくて、私にはそこまで甘い言葉かけてくれなかったなぁ。私へのはたぶん愛情じゃなくて同情だったと思ってる」
    「そんなことないよ。もしさぁ、シオリちゃんが試さなかったら結婚してたかもしれないやん」
    「うん。結婚してたかもしれない。カズ君は優しいし義理堅いからね」
    「あれっ、カズ君って呼んでたの」

しまったやっちゃった。これはあの短い甘かった時代に私が付けていた呼び名。本当は『和雄』かせめて『和雄君』と呼びたかったんだけど、それだけはやめてくれって言われてカズ君にした。なんでも願い事を受け入れてくれた山本にしたら珍しかった。でもこれも今はもう呼べないから山本やけど。

    「でもやっとわかった気がする。だから、みいちゃんじゃダメなんだ。ひょっとしてシオリちゃんってダイエットを勧めた彼女じゃない」
    「あははは、そんなことまで話してんだ。そうだよ、あれもやりだしたら徹底してて驚かされたよ」
    「最後に聞いてもイイ。シオリちゃんはどうなの?」

ここまでコトリちゃんに話す気はなかったんやけど、結局ほとんど話しちゃった。まあイイか、これもカズ君の、いや山本のためってわかってね。後で知ってもいつものように『参ったな』って許してくれるよね。これを知ってもらわないとコトリちゃんをまた取り逃がしてしまうやん。今だって半分以上そうなってるし。それにしても、もう心の中だけでもカズ君と呼んでもイイかなぁ。

    「コトリちゃんこそが正式の婚約者やん。私は友達でいられるだけで十分。またシャシャリ出て横取りする気は全然ないよ。山本君は優しいけど、ハンサムでも格好良くもないから、あれ以上のもっとイイ男を見つけてみせるわ。それぐらい幾らでもいるやん・・・・・・」

なんで涙が出てくるの、コトリちゃんが羨ましいから。絶対そんなことないはずなのに。

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