新小児科医のつぶやき

2018-03-18 天使のコトリ:重役会議

    「予定していた議題は以上だが、今日はもう一つ重要な議題がある。天使の微笑み問題だ」

会議室に緊張が走ります。天使の微笑みが会社の浮沈に連動していることは、嫌と言うほど経験しています。

    「微笑みの輝きが増している原因はやはり恋だった」
    「順調なんですよね」
    「親への紹介とか、結納は済んでますよね」
    「結婚式の日取りは決まってますか。その時には社長も出席されますよね。あれだったら費用は当社持ちでも私は大賛成です」
    「新婚旅行も」
    「いや新居も」

とにかく前回の失恋事件の時に、どれだけ痛い目にあってるか誰もが知っており、天使の恋が問題なく実って欲しいの思いが噴き出します。

    「それが、現在はアプローチ中で、交際にも至っていないようなんだ」
    「でも、あの小島君ですから、すぐにでも相手は『うん』と言うに決まってます」
    「男の方が優柔不断なだけですよね。気後れして告白できていないだけですよ。間違いありません」
    「あの小島君ですよ。あの小島君に迫られて、NOという男が、いるはずがないじゃないですか」

皆の念頭にあるのはただ一つ、もしこの恋が実らなかった時の恐怖が話の先取りをひたすら競わせます。

    「君たち、話の腰をあまり折らんでくれ。小島君はある男性に恋をされているが、それこそ生涯をかけるような大恋愛と見て良さそうだ」

『大恋愛』と聞いて、誰もが衝撃を受けます。

    「それだけじゃないのだ。小島君の恋にはライバルまでいる」
    「小島君にライバル? まさか、いるわけないじゃないですか。もしかしたら、すごく年下とかですか」
    「いや、同い年だ」
    「相手が若ければともかく、同い年で小島君とライバル関係になれるような女性がこの世にいるとは思えません」
    「そうですよ。小島君は入社した時点で当社のダントツのナンバー・ワンですし、今でさえ小島君に並べるような女性は現れていません。いや当社以外でも見たことがありません」
    「ライバルは気にする必要はないんじゃないですか。小島君が相手なら、じきに退き下がりますよ。端から勝負になるわけないじゃありませんか」

争って楽観材料を並べる役員たちに対して、社長が悲壮な表情になり、

    「実はそのライバルも判明している」
    「誰なんですか?」
    「フォトグラファーの加納志織だ」
    「加納志織って、美人フォトグラファーで有名な」
    「そうだ。アイドルや女優より、遥かに美しいと評判のあの加納志織だ。私も改めて写真で確認したが、加納志織の美しさはたしかにタダ者ではない」
    「私も知っていますが、まさか小島君の恋のライバルが選りも選って加納志織とは。加納志織以外なら小島君なら文句なく圧勝のはずなんですが・・・」
    「ちなみに二人は高校の同級生でもあったのだが、小島君の高校の時のあだ名が天使で、加納志織は女神様と呼ばれていたそうだ」
    「天使のライバルが女神様って、なんという三角関係なんだ。正直な話、その男が羨ましすぎる」

重苦しい空気が会議室に漂います。

    「勝てそうなんですか。と言うか、負ける可能性はあるのですか」
    「形勢は互角らしい」
    「それほど微妙なんですか」
    「前回の失恋事件の時からのライバル関係らしくて、この辺の経緯は複雑なので簡単には説明できないが、どちらが勝ってもおかしくないとだけは言える」

これ以上はないぐらい会議室の空気は重くなります。

    「もし小島君が負けたら・・・」
    「まず確実に天使の微笑みは消えうせる。それも長期に渡ってだ。とにかく大恋愛らしいから、年単位だって可能性もあるし、そのままって事さえ危惧される」
    「となると・・・」
    「我が社の経営危機は間違いなく訪れる。倒産してもおかしくない。いや確実に倒産する」
    「前回の時のように、せめて作り笑いぐらいはお願いできないでしょうか」
    「難しい可能性が高い。それぐらいの大恋愛としか判断しようがない」

しんと静まる会議室。そこに悲痛な声で、

    「なんとか事前に回避する手段はないのですか」
    「なんともならない。たとえ社長命令で小島君の恋を中止させることが出来たとしても、それを悲しむことまで中止にできない。恋はもう始まってしまっているのだ」
    「では、悲しんだ時に前もって対策しておくとか」
    「天使の微笑みが絶えた時、どんな対策も無駄だったのはこれまでの経験でわかっている。もちろんそうなれば出来る限りの手を尽くすが・・・」

あちこちで『もし負けたら』の恐怖のささやきが広がります。

    「とにかく小島君が勝つように祈るしかない」
    「ああ、なんてこった。あの小島君に、それも同い年で互角の勝負を挑める女性がこの世にいるなんて。信じられない」
    「でも、加納志織が相手なら小島君が必ず勝つと確かに言いきれない」
    「相手の男性を買収できないですか」
    「恋愛に買収は通用しないと思う」

誰かが思ついたように、

    「恋愛に買収が通用しないのは社長の仰る通りですが、側面援助は可能じゃないでしょうか」
    「具体的にはどういうことかね」
    「当社に引き抜いて、総務部に配属にするのです。恋愛はやはり近くにいる方が有利です。無事結婚されたら、その男性を役職待遇に昇進させて、小島君は円満退職に持ち込むのはどうかと」
    「ユニークな提案だが無理だ。相手の男性の職業は医者らしい。引き抜いて総務部に配属するなんて不可能だ」

引き抜き策は無理なのはハッキリしました。

    「では加納志織の方を買収できないですか。手を引く代わりに仕事を回すぐらいで」
    「加納志織への撮影依頼は殺到している。まともに依頼したら何年先になるかわからない状況だ。そのために企業や芸能事務所は必要な時期に合わせて撮ってもらうために、撮影料の上乗せ合戦をやっている」
    「そんなに・・・」
    「我が社でも加納志織にポスター撮影依頼を考えた事もあったが、加納志織の事務所が設定している特別枠の奪い合いに参戦したものの、あまりの撮影料の高騰に断念した。加納志織に関しては、仕事を回してやる云々は論外で、どうやって撮ってもらうかに誰もが苦心惨憺している状況だ。つまりは買収など不可能だ」

加納志織の買収も不可能です。

    「社長、なにか出来ることはないのですか」
    「ここにいるメンバーは天使の微笑みの威力を認識している」
    「はい」
    「そのために業務で天使の微笑みを遮る行為は厳重に取り締まっている」
    「そうです」
    「しかし恋愛にまでは、いかに社員であっても立ち入ることはできない」
    「そりゃ、そうなんですが・・・」

誰かがヒステリックに

    「いっそ、小島君を解雇すればどうでしょうか。解雇してしまえば、小島君が微笑もうが泣こうが関係なくなるんじゃ・・・」
    「小島君は入職以来、なんの問題もなく勤務されている。仕事は出来るどころじゃないし、後輩の人望も厚い。また上司の信頼も確かなものだ。たしかに小島君の微笑みが我が社の業績と連動しているのはたしかだが、そんなものを解雇理由にすれば世間の笑いものになる」
    「それは私もよく存じていますが、退職金にたとえ一億払ってでも円満退社にするのは」
    「それもリスクは高い。なぜなら、そうした時に我が社がどうなってしまうかの予測は誰にも立てられないからだ。君や私、いやこの会議室にいる全員が責任を背負ったぐらいで済む話ではないのだ」

手詰まり感が会議室を満たします。

    「小島君が恋をするのは誰にも止めることはできない。恋は実ることもあれば、実らないこともある。我々にできることは、小島君の恋が実る事を祈るしかないと思う。ライバルの加納志織はたしかに強敵だが、小島君が負けるとは限らない」
    「そうです、小島君が勝って、その相手の男性と無事結婚されて幸せな家庭を築かれたら、当社の未来は順風満帆になります」
    「そういうことだ。それと小島君がもし負けて、悲しみに沈まれても、今度は以前のような事は起らないかもしれない」
    「それは甘いんじゃ・・・」
    「甘いかもしれんが、我々に出来ること、我々が期待できることは、それぐらいしかないと私は思う」
    「勝ってくれ」
    「小島君が幸せさえつかんでくれたら・・・」
    「負けるとは限ってないんだ」

こうやって底知れぬ恐怖に怯えながら会議は終りました。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20180318

2018-03-17 天使のコトリ:天使の恋

最近のコトリ先輩の笑顔が輝いておられます。そのお蔭か業績も絶好調なんですが、私は総務部長に、

    「ちょっと話しがあるから夕食を付き合ってくれ」

こう言われちゃったのです。鬼瓦部長と食事なんて気づまりで嫌なのですが、部長の様子からして私を口説こうみたいな話でないのは女の勘でわかります。というかそれ以前に、あれであの部長は社内でも有名な愛妻家というより恐妻家なのです。

    「・・・付き合わせてもらって申し訳ないのだが・・・」

聞くとコトリ先輩の笑顔が輝いておられるのが重役会議で深刻な問題になっているとの事です。そうそう部長だって立派な重役だと思うのですが、うちの会社で重役とは部長の上の本部長クラスないし、部長でも執行役員とかの肩書が加わったものらしいです。

    「それがなにか問題なのですか」
    「前の時のことを覚えているだろう」

部長がなにを言いたいか、やっとわかりました。コトリ先輩は以前に恋をされ、こぼれるような笑顔で業績を絶好調にしましたが、その後の失恋のショックで笑顔が無くなり倒産まで心配される状況に追い込まれています。

    「今回の笑顔も恋の可能性が高いと重役会議では考えているようなのだ」
    「コトリ先輩だって恋をしますよ」
    「それはわかっているのだが、どうなっているかの情報が欲しいのだ。なにか聞いていないか」

残念ながら私も何も聞いていません。でも、あのコトリ先輩の輝く笑顔の原因が恋の可能性であることは私も同意見です。

    「そこでだ、結崎君、なんとか聞きだしてくれないか」
    「聞いてどうなされるのですか?」
    「社としては、前回のような失恋で悲痛な顔になる事態をなんとか避けたいのだ」

部長にそこまで頼まれたらNOとも言えないので了承しました。ついでに軍資金までもらっちゃいました。さて、もらったのは良いのですが、どうやって聞きだすかになります。コトリ先輩は後輩を引き連れて食事や、飲みに行くことはしばしばあるのですが、あんまり二人っきりで行くことが少ないのです。どちらかと言うと、大勢でワッと盛り上がるのが好きみたいなのです。もちろん、歴研ともめた時みたいな相談ごとの時は二人で行くこともありますが、さてどうしたものかです。

コトリ先輩と二人で飲む段取りがなかなか思いつかなかったのですが、そうなると部長の目が怖くなってきました。たぶん、部長も重役から尻を叩かれてるんだろうと思いますが、ホント引き受けなきゃ良かったとウジウジ悩んでいたのです。そしたら、

    「シノブちゃん。この頃、元気ないわよ。悩み事があるなら聞いてあげるよ。今晩でもどう?」

こういうのを怪我の功名というのでしょうか。私がコトリ先輩から恋の進展状況を聞くために、ウジウジ悩んでいたのが、よほどの悩み事で困っているように思われてしまったみたいです。ワインレストランに連れて行ってもらったのですが、後はどうやって聞きだすかです。あれこれ考えたのですが、ここはダイレクトに聞いてみることにしました。

    「コトリ先輩って、もてるんでしょ」
    「そうでもないわよ。そうでもないから未だに独身じゃない」
    「でも、恋人はいらっしゃるのでしょ」
    「今はいないよ。でも好きな人ならいるよ」

これはなんてラッキーな、コトリ先輩から言い出してくれました。やっぱりコトリ先輩は恋をされてるんだ。

    「そうなんですか、コトリ先輩に想われる男の人って幸せですねぇ」
    「それがねぇ、なかなか『うん』と言ってくれないというか、交際すら申し込ませてくれないの」
    「ウソ、信じられない」

これは正直な感想です。コトリ先輩ほどの女性に想われて振り向かないというか、はねのける男性なんているとは思えないからです。

    「どんな人なんですか?」
    「うんとね、世界一イイ男よ」
    「世界一ですか」
    「お世辞抜きでそう思ってるの」

ここまで立ち入った話をコトリ先輩から聞くのは初めてです。こりゃ、部長からの依頼でなくてもぜひ聞きたい。

    「その人はね、私を歴女にしてくれた恩人なの」
    「先輩をですか。じゃあ、今でも詳しいのですか」
    「前に歴研との討論会で桶狭間やったじゃない。あれもその人と一緒に一生懸命ムックして調べたものなのよ。その人の歴史ムックに付いて行くのは本当に大変だったの。でも、楽しかったわ」

ひぇぇぇ、あのレベルでコトリ先輩は歴史を楽しんでいらっしゃるんだ。だから歴女の会に顔を出されなくなったのかも。

    「実はね、コトリから交際を申し込んだし、プロポーズだってしてもらって、それをコトリは受けたんだ」
    「それじゃ、交際どころか、もうすぐ結婚とか」
    「そこまで近づいてたんだけど、捨てられちゃったの」
    「コトリ先輩をですか」
    「そう」

この話って、もしかして前の失恋事件の話と関連するのかな。

    「それじゃ、失恋で終ったのですか」
    「それがね、再びチャンスが回ってきたの」

えっと、えっと、あの失恋事件は二年以上前のはず。まさか、そこからずっと想いつづけてるとか。

    「でもね、ライバルがいるのよ」
    「天使の微笑みのコトリ先輩と競えるライバルなんているのですか」
    「うん、それがいるのよね」
    「ひょっとしてライバルの女の人は私ぐらいの若さの人とか」

どう考えてもコトリ先輩の同年代の女性では勝負にならないとしか思えないのです。もしコトリ先輩と競ってるなら若さを武器にしているぐらいしか思いつきません。

    「ライバルも若くないよ。同い年だもん」
    「同い年の女性でコトリ先輩と競える女性がいるなんて信じられません」
    「そんなことないよ。見てみたい?」

そりゃ、見たい、見たい、ぜひ見たい。

    「ほら、この人」
    「ふぇぇぇ、なんて、なんて綺麗な人・・・」
    「そうでしょ」
    「でもこの人って、フォトグラファーの加納志織じゃないですか」

加納志織は、今人気ナンバーワンの美人フォトグラファーです。私も前にドキュメンタリー番組で見たことがあります。番組では、

    『撮られるアイドルや女優より、撮る加納志織の方が遥かに美しいのが難点』

こんな紹介がありましたが、ホントにそう思いました。それぐらい飛び抜けて美しい人です。コトリ先輩のライバルが加納志織なら、これはどちらが勝つかは私でも予測が難しくなります。

    「綺麗でしょ。シオリちゃんはね、女神様と呼ばれていたのよ」
    「えっ、加納志織とお知り合いなんですか」
    「そうよ、高校の同級生。ちなみにコトリは天使って呼ばれてた」

初めて聞くお話です。コトリ先輩って高校の時からあだ名が天使だったとは。でもそう呼ばれると思います、そうだったと聞いても全然違和感ありませんし、むしろピッタリって感じですから。それにしても、天使と女神様が同時におられたのですから、校内は大騒ぎだったのだろうって思いました。

    「でも性格悪いとか」
    「そうだったら、助かるんだけど、シオリちゃんもとってもイイ人なんだよ。それだけじゃ、ないんだよ。コトリはプロポーズされてるけど、シオリちゃんは同棲してた時期もあったんだ」

いったいどんな男なんだろう。だってコトリ先輩がプロポーズを受けてるだけじゃなく、加納志織と同棲してたって。世の男どもが聞いたら、一斉に石を投げるんじゃないかと女の私でも思うもの。

    「なぜその人は先輩も加納さんも選ばなかったのですか」
    「それはね・・・」

男女の仲ですから別れることもあるのは仕方がないと思うけど、驚かされたのは、その人が最終的に選んだ女性が天使と女神様よりもっと素敵だったってお話。なんかもう、想像するのも大変すぎて。この選ばれた女性は結ばれて間もなく亡くなってしまっているのです。

その女性もコトリ先輩が良く知っている女性と言うか、これまた同級生のようで、コトリ先輩は『ユッキー』とか『氷姫』って呼んでいます。コトリ先輩も高校卒業後は会ったことはないそうですが、加納志織は亡くなる少し前に会ったみたいで、大絶賛するほど素敵だったそうです。

    「その方とユッキーさんも大恋愛だったのでしょう」
    「そうよ、籍こそ入れてないものの心の夫婦だっていつも言ってるぐらいよ」
    「他の女性を愛することが出来るのですか」
    「だから、そうなってくれるのを期待して待ってるの。だから、交際も申し込めない状況って言ったでしょ」

聞きながらクラクラ目眩がしています。コトリ先輩はプロポーズを受けたものの捨てられ、さらに別の女性と心の結婚までした男性をひたすら想っているのです。これは加納志織も同じで、同棲までしていたのに捨てられて、ユッキーさんとその男性の関係まで知っていて、一途に想いつづけているってことになります。

二人はユッキーさんを失って傷心の男性を慰め、再び恋が出来る機会をひたすら待ち続け、その時がいつか来るのだけを夢見て恋してるのです。そんな恋が世の中にあっても悪いとは言いませんが、それをやっているのがコトリ先輩と加納志織なのです。

コトリ先輩にしろ、加納志織にしろ、女から見ても綺麗すぎて、素敵すぎる女性です。ですから、男に追っかけられるのが当然で、血相変えて追っかける側に立ってる方が、そもそも不自然です。普通なら、どちらかに声をかけられただけで、どんな男だって舞い上がって落ちるはずです。そこまでの二人が、ここまで想いを傾け切る男ってどうなんってところです。やっぱりどんなイイ男なのか、どうしたって、気になる、気になる。

    「その人の写真はないのですか」
    「あるけど、見せてあげないよ。これ以上、ライバルが増えたら困るから。シオリちゃんだけではなく、シノブちゃんまでライバルになられたら勝てないもんね」
    「私なんか、先輩のライバルになれるはずがありません」
    「あのね、写真で見せて自慢できるようなイイ男じゃないの。ホントにウソじゃなくて外見はイマイチだよ。あのシオリちゃんも惚れてるぐらいだから、物凄いイケメンを想像してると思うけど、見たらきっとガックリするよ。でもね、心というか内面がこれ以上はないほど飛び切りピュアなの」
    「御職業は?」
    「あぁ、お医者さんだよ」

そう話されてるコトリ先輩がまるで夢見てるようでなんです。もう間違いありません。コトリ先輩の笑顔が輝いている理由が恋であるのは。それもタダの恋ではなくて超弩級の大恋愛。さらにそれだけじゃなく、加納志織という強力すぎるライバル付き。

    「でも、コトリ先輩ならきっと勝てます」
    「勝てればイイけどね。とにかくシオリちゃんは手強いんだ」

そこら辺まで話を聞かせてもらってお開き。これだけ情報があれば部長も満足だろ。食事はコトリ先輩に奢ってもらったから、軍資金は丸儲けになっちゃってちょっと嬉しい。なにを買おうかな。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20180317

2018-03-16 天使のコトリ:討論会

歴女の会の代表は私とサキちゃん。これにコトリ先輩が加わります。サキちゃんも尻込みしてましたが、とりあえず歴女の会で一番の信長ミーハーなので、他よりマシだろうと受けてもらっています。私とサキちゃんは及ばずながら桶狭間の勉強をやりました。負けるにしても、あまりにみじめな姿をさらしたくない一心です。

    「でもシノブちゃんさぁ」
    「なにサキちゃん」
    「歴研の人たちはスノブな質問するんでしょうねぇ」
    「う〜ん」

二人でどう考えても勝てる要素がありません。

    「コトリ先輩ってどれぐらい桶狭間知ってるんだろ」
    「私も知らない。でも、ミーハー系の歴女の会を作ったぐらいだから、私たちとあんまり変わらないんじゃないかなぁ」

コトリ先輩が参加してくれるだけで心強いのは確かですが、いかにコトリ先輩でも歴研の連中を一蹴してくれるとは思えません。

    「でもね、歴女の会が公認サークルでなくなっても続けようね」
    「うん。歴研なんかと一緒にやれないもんね」

そして当日。会議室を借りての討論会の会場にはコトリ先輩の言葉通りに、高野常務が現われました。

    「私が司会と審判をやるからよろしく」

高野常務が現われたのは歴研サイドにしたら完全な不意討ちで、

    「わざわざ常務の手を煩わせるような問題では・・・」

こういったのですが、高野常務は、

    「ほほう。この討論会は歴女の会に十分な歴史知識があるかどうかをテストするものと聞いたが」
    「はい、そうです」
    「では、誰が判定するのかね」
    「それは、我々歴研のメンバーが・・・」
    「それはおかしいだろう。こういうジャッジは第三者が行うべきじゃないのかね」
    「でも、その、今回の討論会の取り決めとして・・・」
    「私では第三者のジャッジとして適していないと言うのかね」

ここまで言われたら歴研側も引き下がるしかありません。コトリ先輩は高野常務を口説き落としてジャッジを引き受けてもらっていたのです。次にもめたのがそれぞれの代表です。歴研側はコトリ先輩が歴女の会の代表にコトリ先輩がおられるのにケチをつけてきたのです。

    「臨時の助っ人は歴研として認められないのだが」

歴女の会を作ったのはコトリ先輩だと言おうとしたら、高野常務が、

    「小島君は歴女の会の初代会長だ。出場資格に問題はないと思うが」

高野常務はそんなことまで知ってるんだ。これは歴研側も知らなかったみたいで、不承不承で先輩を代表として認めざるを得なくなりました。ここで審判兼司会の高野常務から

    「今回の判定基準は歴女の会に歴史知識が十分あるかを歴研が判断するであったが、これを少し変更して、審判である私が判断する。双方に異議はないね」

歴研側は思わぬ展開に不満もあった様子が窺えましたが、試験の判定はあくまでも歴史知識ですし、歴研が提案したテーマである桶狭間に変更がなかった点に満足したのかすべて了承しました。歴女の会側も、もちろん異論はありません。

ただ、それでも圧倒的に不利な状況には変わりありません。高野常務とコトリ先輩の登場によって、絶対に勝てないから、ゼロではない程度にしか状況は良くなっていないからです。基本的な状況設定は、歴研側が圧倒的に有利な状況に変わりないからです。討論会は歴研側の先攻と言うか、歴研側が口火を切って始まりました。

    「お嬢さん方、頑張って勉強していたみたいだね。まずはお手並み拝見といこうか。信長は鳴海城、大高城攻略を目指して付城群を築いたが、どんなものがあるか知っているかい」

私は『いきなり、そのレベル』って感じたものです。頭の中には鷲津砦と丸根砦は浮かびましたが、『他は、他は』って慌てていたら、サキちゃんが答えてくれました。

    「鳴海城には丹下砦、善照寺砦、中島砦。大高城には鷲津砦、丸根砦です」
    「なかなか良く勉強しているようだ」

サキちゃんエライ。さすが歴女の会で一番の信長ミーハーだと喜んでいたら、そこにコトリ先輩が口をはさみました。

    「他はありませんか」
    「他ってどういう意味かな・・・」
    「大高城には正光寺砦、向山砦が確認されています。他にもあったとの説もありますが、御存じありませんか?」
    「あぁ、そんなのもあったな・・・」

コトリ先輩はいつものニコニコ顔なんですが、明らかにワン・ポイント取った感じがします。歴研側もちょっと意外そうな表情になっています。歴研側が次に切り込んで来たのは、

    「梁田政綱について知っているかね」

これは私が答えましたが、

    「義元の居場所を信長に知らせて奇襲を成功させています」
    「それは太閤記だね。でもね、信長記では出撃を反対する重臣たちの中で信長を一人強力に支持したとなってるんだよ。まあ、信長記の原文は漢文なので君たちには読めないだろうけどね」

太閤記ならそれをベースにした歴史小説なら読んだことあるけど、信長記ってなによ、太閤記とどう違うのよってところです。サキちゃんもそんな感じです。とにかくアタフタしていたら、コトリ先輩がニコニコしながら、

    「小瀬甫庵の信長記、太閤記ですよね」
    「そうだが」
    「甫庵信長記が元和二年、甫庵太閤記が寛永三年に出版されてますよね」
    「そうだったかな」
    「同じ作者なのに、たった四年の間に梁田政綱の功績が変わるのは変だと思いませんか」
    「それは、その、まあそうなんだが・・・」
    「私は梁田政綱の桶狭間での活躍自体が甫庵の創作だと考えています」
    「なにを言いだすのだ」

この辺りで、私もサキちゃんもコトリ先輩がなにを話しているのか完全に理解の外になりました。

    「それなら小島課長は梁田政綱が架空の人物とでも言うつもりか」
    「いいえ梁田政綱に該当する人物は確実に存在します。梁田出羽守が九之坪の城主であった証拠は神社の棟札にも残されていますし、後に信長が明智光秀に惟任、丹羽長秀に惟住の姓を与えた時に、梁田左衛門太郎は二人に並んで戸次の姓を与えられています」
    「そう、そうだよな」
    「さらに梁田出羽守は紹巴富士細見記には沓掛城主として記録されています」
    「紹巴って連歌師の里村紹巴だよね・・・」

なんとなくコトリ先輩のニコニコ顔に凄味がさしている気がします。

    「そもそも政綱の諱はどこで確認できますか」
    「そんなものはあちこちに」
    「私の知る限り、三河後風土記に梁田出羽守政綱とあるだけです」
    「そうだったっけ」
    「梁田政綱の業績は甫庵信長記、甫庵太閤記以外に記録はありますか」
    「それは三河後風土記もそうだし、えっと、えっと、山鹿素行の武家事紀にもある」
    「三河後風土記にしろ、山鹿素行の武家事紀にしろ、成立は甫庵信長記、甫庵信長記の後です。そのうえ内容は甫庵信長記、甫庵太閤記に類似しております」
    「えっと、そうだったよな」
    「梁田政綱の桶狭間での活躍は甫庵信長記、甫庵太閤記から受け継いだものと見るのが自然だと考えています」
    「だからと言って大元の甫庵信長記が信じられない理由にならないだろう」
    「甫庵は流行作家として優れていたとは思いますが、正確な歴史記録者とは言えないと考えています」
    「どういうことだ」
    「甫庵が信長記を書くにあたって種本にしたものはなんですか」
    「えっと、えっと、それは・・・信長公記じゃないかな」

歴研の皆さまが固まっている様子がアリアリとわかります。コトリ先輩が何を話しているかの内容はほとんど理解できませんが、どう見たって歴研の知識量を上回っているとしか感じられません。押し黙ってしまった歴研に対しコトリ先輩は、

    「そうです。甫庵が種本にしたのは太田牛一の信長公記です。その信長公記に対して甫庵は『愚にして直な』つまり馬鹿正直すぎると評価しています。これは甫庵が、歴史としての真実より、物語の面白さ、創作を優先させている証拠と言えます。ここから考えると太田牛一の信長公記にこそ歴史の真実があると見るべきかと。その信長公記の桶狭間部分には梁田政綱の名は一切出てきません」
    「あぁ・・・」
    「甫庵は政綱の功績は義元の首を取った毛利小平太以上の手柄としていますが、実際に参戦した太田牛一が一言も触れていないのは不自然です。さらにそれだけの手柄の内容がたった四年間で変わるのも不自然すぎます」
    「うぅ・・・」
    「義元の酒盛りについても、信長公記では佐々隼人正、千秋四郎の謎とされる突撃の後に謡があったとは信長公記に記録されていますが、酒盛りとは書かれておりません。言うまでもないかもしれませんが、信長公記では午の刻には義元は『おけはざま山』に本陣を構えたとなっています。桶狭間は後の江戸期東海道、現在の国道一号線ですが、地形的に南北の丘陵地帯の谷間になっております。そういう地形ですから、陣を構えるなら谷間でなく、山というより丘の上が戦術上の常識かと」
    「でも、信長記には・・・」
    「太田牛一は実際に合戦に従軍しています。そして、従軍した者が書いた記録は信長公記のみです。小瀬甫庵は、太田牛一の信長記をベースに脚色と創作を施しただけです。どちらに歴史の真実がより多く含まれるかは、言うまでもないかと」
    「甫庵も信長記や太閤記を書くにあたって取材をしたとなってるが・・・」
    「ではどういうルートを取って信長は義元本陣の襲撃に成功したとお考えですが」
    「だから義元が油断して酒盛りしているところを梁田政綱が発見して・・・」
    「それは太閤記と先ほど仰ったばかりじゃないですか。信長記では重臣が反対する出撃を政綱が支持したのを功績、太閤記では義元が谷間で酒盛りしているのを発見したのを功績。四年間で甫庵の記述が変わったのは、甫庵の脚色と創作の小道具として政綱が使われただけではないかと私は考えます」

ここで高野常務が口を開かれ、

    「もう今日の討議の目的は十分に果たしたと思うので判定を下したい。双方に異議がありますか」

歴研側からは押され気味で終わると不利なので、

    「まだ話は始まったばかりで、小島課長の説が正しいかどうかは・・・」

高野常務は、

    「個人的には小島君の説をもう少し聞いていたい。しかし、今回の討論会の趣旨は説の真否を判定するのではなく、あくまでも説を立てるのに十分な知識量があるかどうかだ。歴研の諸君と、これだけ渡り合える知識があるのは既に証明されたと私は判定する」

歴研の皆さまの顔が悔しそうですが、このまま続けてもコトリ先輩に勝てそうにないと判断したらしく、悔しそうな顔をしながら、

    「高野常務の判断に異議はございません」
    「では歴研と歴女の会の統合話はこれで無かったことになります。このことは私が報告しておきます」

勝っちゃったのです。歴女の会が歴研に勝っちゃったのです。夜は歴女の会のメンバーと祝勝会を挙げました。コトリ先輩も来てくれたのでお礼をして少し話を聞いたのですが、

    「つまんなかった」
    「そうなんですか」
    「あんな入口みたいなところで歴研が詰まっちゃったんだもん」
    「あれが・・・入口ですか」
    「久しぶりに本格的な歴史ムック楽しめると思ったのに」

この時にコトリ先輩が筋金入りの本格派歴女であることが、よ〜くわかりました。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20180316

2018-03-15 天使のコトリ:歴女の会

私は歴史が好きです。いわゆる歴女なんですが、歴女でもミーハー歴女です。歴史上の人物をアイドルに見立ててミーハーして楽しんでるぐらいとすれば、わかってもらえるでしょうか。そういうミーハー歴女が集まって作られたのが歴女の会です。全員がミーハーって訳でもありませんが、会員が集まるとどうしてもミーハー歴史談義になっちゃいますし、それが楽しみで集まってる会ぐらいです。

この歴女の会ですが、単なる同好会ではなく会社の公認のサークルになっています。ちゃんと部室もあり、活動費も会社から補助が出ています。ただ歴史系のサークルとして、もう一つ歴史研究会、通称歴研があります。歴研は歴女の会と違い、本格的に歴史を勉強する会になっています。具体的にはフィールドワークに行ったり、大学の先生を呼んで勉強会とかセミナーも定期的に行っています。私は歴史の楽しみ方は一つじゃないので、性格の違う二つの会があっても全然問題ないと思っていました。

ところが、この二つの歴史サークルを一つにしようの動きが歴研から出て来たのです。なぜにそんな動きが出て来たかですが、まずどちらも公認のサークルなんですが、実は歴女の会の方が歴史が古く、古いがためにちゃんと部室もあり、活動費も歴研に匹敵するほどもらっています。

歴研からすれば、活動拠点の部室も欲しいし、二つが一つになれば活動費も倍増みたいな狙いです。もう一つは、歴女の会は名前の通り女性だけの会なのですが、歴研は男女とも入れます。しかし、女性の歴史好きは歴女の会に入ってしまう傾向が強いので、女性会員を増やしたいと言うのもあったみたいなのです。

歴研のメンバーには重役クラスも名を連ねていますから、歴研からの統合提案は強引で猛烈でした。最初は相談みたいな話でしたが、歴女の会側が難色を示すと、あちこちに根回しされて、会社の意見みたいな感じで統合案が出てくる状況になってしまったのです。私たちも精一杯の抵抗をしましたが、次第にどころかドンドン追い詰められてしまいました。歴研に較べるとメンバーの社員としての格がどうしたって軽いですからね。最終的に提示されたのは、

    『歴女の会が十分な歴史知識を持っていることを示す』

具体的には歴研のメンバーが納得できる歴史知識がないのなら、会社の公認サークルは取り消し、部室は明け渡しです。でもこれは条件と言うより、最後通告と言うか御儀式みたいなものです。だって、あれだけ本格的にやっている歴研と知識で競うのは、歴女の会にとって不利と言うか、最初から結論ありきみたいなものだからです。そこまで追い詰められた歴女の会のメンバーは悔しい思いをしながら、半分はあきらめ顔になっていました。そんなときに、

    「シノブちゃん、なにか悩み事」

コトリ先輩に声をかけられたのです。その日の仕事帰りに居酒屋で飲みながら、私は歴女の会と歴研の統合問題の愚痴を思いっきりコトリ先輩にこぼしちゃったのです。そしたらコトリ先輩は、

    「その歴史知識の証明って、試験でもやるの?」
    「試験と言うか、討論会みたいなものになってます」
    「ディベートみたいな感じ?」
    「わかんないけど、そんな感じみたいです」
    「じゃ、ジャッジは?」

コトリ先輩のアドバイスとしてまずは公平な審判が必要との意見でした。

    「社内で信用できそうなは・・・高野常務に頼んでみるわ」
    「えっ」

私にとっては雲の上の存在ですが、たしかに高野常務なら公平で信用が置ける人物ですし、社内でも歴史通として有名です。でもいくらコトリ先輩でも高野常務にそんな事を頼めるかと少し不安でした。

    「それとテーマは決まってるの」
    「はい、桶狭間の合戦です」
    「それは歴研が持ちだしたの?」
    「そうなんです」

コトリ先輩は少し考えてから、

    「よほど頑張らないと負けるわよ」
    「どういうことですか」
    「歴史好きでも得意分野があるから、相手の得意分野の土俵でやるのは不利なのよ」
    「そういわれても・・・」

たしかに相手が持ちだしたテーマですから、歴研には桶狭間の合戦に詳しい人物が出てくるのは間違いないと思います。ただなのですが、歴女の会の歴史知識はとにかくミーハー系なので、テーマを変えて有利になる分野があるかと言われれば困ります。というか、こういう知識勝負になった時点で歴女の会は歴研に勝てる要素がないのです。

    「でもね、シノブちゃん、これはチャンスかもしれないわ」

タダでも不利な知識勝負の上に、相手の得意分野の勝負にチャンスなんてあるわけがないのですが、

    「それだけ不利な条件で勝てば二度とこの話は蒸し返されないと思うのよ」

そりゃ、そうですが、それはあくまでも『勝てば』のお話です。

    「それにね、勝たなくても良いのよ。条件はあくまでも知識量のお話だよ」
    「そうは言われても・・・」

コトリ先輩はじっと考えてから、

    「コトリも出てもイイかなぁ」
    「えっ、先輩が」
    「えへへへ、こう見えてもコトリも歴女なの。それにね、歴女の会を作ったのもコトリなの。歴研に潰されるのは見て見ぬふりは出来ないよ」

コトリ先輩が歴女であるのはどこかで聞いたことがありますが、歴女の会を作ったのもコトリ先輩だったのは初耳でした。コトリ先輩が参加してくれるのは心強いですが、とにかく相手は歴研です。

    「ところで具体的にどんな形式でやるの?」
    「えっと、えっと、双方が代表を三人ずつ出しての討論です」
    「じゃ、日にちと時刻が決まったら教えてね」

そう言ってコトリ先輩は帰って行かれました。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20180315

2018-03-14 天使のコトリ:渉外の天使

総務の仕事の一つに渉外があります。営業と渉外がどう違うかですが、業種によっても異なりますし、同じ業種でも会社によって微妙に異なります。うちの会社の渉外には、お得意様のフォローアップみたいな役割があります。私も最後のところは未だにつかみきっていない面があるというか、ここのところ渉外の仕事を覚えてるところなんですが、営業の売込みたいものと、取引先の欲しいもの、売りたいもののギャップを調べて調整するみたいなところでしょうか。

業績は好調なのですが、こういう時にしっかりと取引先の不満をフォローしておくのも大事ってところです。実際のところ、そういう営業と取引先との間にギャップが生じて不満が出ているとの情報が、関東方面で出ているとの情報があり出張を命じられました。

出張前に鬼瓦部長から現時点でわかっている情報のレクチャーを受けたのですが、聞いただけで手強そうな感じです。もっとも私が矢面に立つわけじゃなく、単について行くだけなのですが、どうやってこの問題に対応するのかに興味津々ってところです。良い勉強になりそうです。

この出張なのですが、二度ほど延期になっています。どうも問題が深刻化というか複雑化しているみたいで、その対応への準備のためだったようです。これは手強い案件と思っていたら、直前になって担当者が病気で行けなくなってしまったのです。噂では心労のあまり倒れたんじゃないかと言われています。こりゃ、また出張が延期になると思っていたら、なんとコトリ先輩が行くことになりました。行きの新幹線で、

    「先輩、大丈夫でしょうか?」

悔しいですが、こういう世界では女と言うだけで軽く見られるところがあり、若いって言うのも不利な面があります。女の二人連れではバカにしてまともに相手にされない不安がいっぱいでした。

    「シノブちゃん、だいじょうぶだって。前にも行ったことがあるから」

コトリ先輩が渉外に出られたことを見たことがないのですが、いつも通りのニコニコ顔です。コトリ先輩と一緒なのはそれだけで心強いのですが、今回の問題の深刻さ、複雑さは知っていますから、そうとう緊張していました。

こういう渉外は何度か行っているのでわかるのですが、順調なところへのフォローは和気藹々で楽しいぐらいです。しかしトラブっているところは、手間とヒマと時間がかかって大変です。今回の出張ではそういうトラブルのところばかり回ることになるので、気が重すぎるってところでしょうか。


いざ仕事が始まると、私は信じられないものを見せられることになります。相手の担当者は最初こそ、あれこれと不満や問題を並べてくるのですが、コトリ先輩はいつものニコニコ顔で聞くだけです。そうやっているうちに、相手の担当者の顔も笑顔に変わってしまい、そこでコトリ先輩が、

    「問題の解消については、後日また提案を持ってお伺いします」

これで終ってしまいます。コトリ先輩の顔見知りの担当者もおられたのですが、

    「小島さんがいらっしゃるとはなんと光栄なことか。本日は社長が不在で十分な挨拶もできずに残念です」

トラブル処理もなにもなくて、歓迎だけされてオシマイです。さらに訪問が進むとこんな事がありました。最初は担当者が対応していたのですが、途中から血相を変えた重役クラス、さらには社長が現われ、

    「これは小島さん。わざわざ弊社を御訪問して頂いているのに、こんなむさくるしいところで不快な思いをさせて失礼しました。どうぞ、どうぞ、どうか、こちらに」

呆気に取られている担当者を置き去りにして、会議室なり、社長室で交渉ならぬ歓迎会みたいになってしまうのです。最後の方になると玄関に社長以下の幹部役員がずらりと待ち構えておられて、一直線に歓迎会ってところです。それだけでなく、どこの取引先も争って接待したがるのです。何軒か回らないといけないのでお断りすると、

    「なんて残念な。せっかく小島さんがいらっしゃっているのに、なんのおもてなしも出来ないなんて・・・」

コトリ先輩も出来るだけ断っていましたが、旧知の方らしい人の熱心すぎるお誘いに断り切れずに食事に行ったこともあります。そこでも、コトリ先輩は社長並、いや社長どころでない下へも置かない歓迎を受けられます。

そこで聞いたお話ですが、コトリ先輩は私が入社する前ぐらいに渉外を担当されていた時期があったようです。その時にコトリ先輩を若いとか女だからってバカにしたり、相手にしなかった取引先は、ほぼ例外なく業績が悪化し、倒産して無くなってしまったところさえあるそうです。逆にコトリ先輩をまともというか、ちゃんとした担当者として扱ったところの業績は必ず好転したらしいのです。うちの会社の天使の微笑み伝説みたいなお話ですが、この噂が業界に広がり、コトリ先輩は取引先の間で、

    『渉外の天使』
    『クレイエールの天使』
    『幸せをもたらす天使』

と呼ばれたそうです。とにかくコトリ先輩が訪問されて、ニコニコして帰るだけで業績が間違いなく好転するのですから、どこの取引先も争って先輩の訪問を希望し、来られたら来られたで、ひたすら歓迎していたぐらいです。当時のコトリ先輩の人気はすさまじくて、訪問のためのアポ電話が入った瞬間から取引先は大騒ぎの状態になり、コトリ先輩が通りそうなところ、目につきそうなところは徹底的に磨き上げられ、約束の一時間前から社長以下幹部役員が総出で玄関で待ち受けていたなんて話が残されています。そんなコトリ先輩が渉外から外れたのは、先輩以外が渉外に行かれるとガッカリというか、

    「我が社との取引を中止にされるおつもりか!」
    「我が社を潰すおつもりか!」

どの取引先からも猛烈な苦情が舞い込み続けたからとされます。コトリ先輩がすべての取引先の渉外担当をこなすのなどは無理ですから、渉外担当自体から外れてもらったぐらいでしょうか。そういえば出張に出る前に鬼瓦部長から、

    「今回の出張は、君にとって勉強にはならないと思う」

この時はなにを言っているのかサッパリわからなかったのですが、渉外担当のジョーカーみたいな存在で、行くだけでなにもしなくても問題は解決してしまうぐらいです。今回はありませんでしたが、コトリ先輩に無理難題を吹っかけて困らせてしまうような会社は、相手にしなくても良いのも暗黙のルールみたいなものもあるようです。この辺のこともコトリ先輩に聞いたのですが、

    「コトリの機嫌を損なったぐらいで、取引先の会社がどうにかなるはずないじゃないの」

そりゃ、そうなんですが、うちの会社の微笑み伝説と同様に社外でもコトリ先輩の微笑みの威力が絶大なのが、本当に良くわかりました。私も最初のうちは緊張でガチガチでしたが、最後はかなりリラックスして楽しめました。会社に帰って出張の報告を行うと、鬼瓦部長は、

    「小島君、手間をかけさせて悪かった」
    「とんでもありません。ところで渉外担当にまた戻るのですか」
    「いや、今回は例外だ。担当が倒れてしまったから、やむを得ずの応急措置だった。明日からはいつもの業務をよろしく頼む」

鬼瓦部長は私に、

    「結崎君、凄いものを見たと思うが、あれは参考にならないから、そのつもりでいたまえ」

帰りにコトリ先輩は、

    「シノブちゃん、無事仕事が終わって良かったね」

二人でささやかな慰労会をやりました。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20180314