2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

古代の年代への模索・雄略扁

■百済三書と百済本紀百済記、百済新撰、百済本記を指しますが現存していません。さらに逸文が残っているのも日本書紀の中のみでwikipediaより、 『日本書紀』で三書が明示的に引用されている個所は、『百済記』が5か所、『百済新撰』が3か所、『百済本記』が…

古代の年代への模索・継体扁

記紀は優れた歴史書ですが、難点は年代にあるのは周知のとおりで考古学的証拠との照合が一筋縄にいかないのにいつも苦労させられます。卑弥呼が誰なのか、邪馬台国がどこなのかも記紀では暗中模索になってしまいます。邪馬台国は何度か触れていますが、たと…

隅田八幡神社人物画像鏡

チイと古代の年代仮説を書こうとしていたのですが、風呂敷を広げ過ぎて挫折。その途中で拾った隅田八幡神社人物画像鏡(隅田鏡)について少し書いてみます。 ■隅田八幡神社隅田八幡神社HPより、 神功皇后が外征後、筑紫路を発し、紀伊衣奈浦を経て大和の都に…

摩耶花壇

摩耶花壇と言っても余程の廃墟通でないと御存じないと思います。もちろん私も見たことも聞いた事もなく、摩耶山にハイキングに行った時にたまたま見つけたものです。とりあえずその時の画像ですが、 壁一枚がなんとか残っている建物 摩耶花壇の看板であった…

続賀古と印南こぼれ話

郷土史家の飯沼博一氏の五ヶ井用水を歩くを読んだのですが、前回の話に補足が必要と判断しました。私は播磨出身の人間ではありますが、加古川市には殆ど行った事がなく、どうにも土地勘が鈍かったので有り難い情報になっています。ここのところ毎回出してい…

伊和大神

伊和大神はwikipediaより、 『風土記』では伊和大神は出雲から来たという。「伊和」の語源について『風土記』では神酒(みわ)から、或いは大己貴神が国作りを終えて「於和(おわ)」と呟いたためとする 『播磨国風土記』の記載では、播磨国の神である伊和大…

賀古と印南のこぼれ話

殆ど郷土史家になっていますが、まあ故郷を贔屓にしたって誰も文句を言わないでしょうから良いとします。 ■素朴な疑問前に出した播磨の旧郡の地図を再掲します。これは応神天皇の播磨巡行にあった地図に夢前川・美嚢川・志染川を書き加えたものです。ここで…

播磨国雑談再考

再考と言うより勉強不足だった事を白状しておきます。つうより部分的に播磨風土記を読んで知ったかぶりをするのではなく、全部まず読んでから考察をすべきだと云う所です(相変わらず読めてない・・・漢文は手強い)。「カモ」と「カコ」の二つの地名表記がある…