幼い頃から「ねつきいいきつね」には慣れなかった。
睡眠は安心でもあり、不安でもある。
眠ることは、とてもとても好きで、でも、世界と離れるには、時間がかかる。
家族が眠ることを確かめて、安心してから、わたし眠りたかった。
みんな、おやすみって。
見守る人だった、わたしの役割は。
家族がみんな眠ってからが、わたしの時間だった。
その時間にしか、たどり着けない感情と空間と自分がいて、
肌に悪くても、朝を手放しても、
暗闇に身を置くことを選ぶ。
選ぶ、という積極的なものというよりは、
もう、習慣だけれども。
それでも、うたたねのような、自然に早い時間に眠りにつくことを幸せに思う。
世界と離れる葛藤や覚悟もないままに、
世界と離れ、幸せに眠る。
そこには意思もなく、感情もなく。
自然に。
うたたね。
ああ、いい響き。
ずっと、その音楽だけを聴き続ける。
わたしには、それが世界のすべてだ、というように。
そして、知っている。
そんなわけはないということも。
そんなわけはない、という安心感が、「それしかない」と思い込む、その頼りない糸を支えているに違いない。
今日は、やっと、卒業アルバムに掲載する卒業生へ向けての文章を仕上げられた。
隣の席の先生に、最後ですよ、と、ずっと言われ続けて。
今年も、最後の一人。
明朝体の詩と、手書のメッセージと、イラストと。
一番落ち着く3種を、B5の用紙に落ち着ける。
あと22日。
1年しかこの子たちとは一緒に過ごさなかったけれど、
5年前、1年生だったこの子たちは、当時受け持っていた6年生とピア・サポート活動で1年・6年のペア活動をしていたため、1年生の頃の様子をよく覚えているので、不思議な愛着がある。
当時の6年生とは、3.11を共に過ごした。
大学院に行く前の混沌と、今に続くクラスづくりの土台になった子どもたちだった。
あの時の1年生が巣立とうとしている。
季節も、時間も、ひとつの時代もめぐろうとしている。
音楽は、先に答えを知っているんだなって思う。
あるいは、音楽が答えを連れてくる。
本当は、擦り切れるまで聴くべきじゃないのだ。
音楽だって、靴だって。
でも、わたしはそうしてしまう。
この店の店主のようでは、ない、と思う。
「雨と休日」このwebsite、見つけたのは、いつだったっけ。
http://shop.ameto.biz/?pid=31513060