【ガラスの仮面を最新刊まで一気に読もうよテキストライブ】終了!

詳しくは、http://d.hatena.ne.jp/Yuny/20041229#1104293829を見てください。なお、登場人物は敬称略です。テーマは「デバイド」です。
昨夜は12時くらいまで読んで、気がついたら眠ってしまいました。なお、田舎には一泊して帰ってきました。


「ガラスの仮面」月刊13号感想

収録:「今やっと分かった…!」〜「月影先生…!(鼓の音:カ…ポーン)」
紅天女の「風火水土」のエチュード。風(空気)と火と水と土を演技することから、自然界その物を悟り、自然の女神である紅天女の役を掴むというもの。と、まとめると簡単ですが、これ、実際やると大変だとは思います。マヤは感覚で突っ込んでいっているけど、亜弓は理性的理解と感覚の両面で……かな。マヤに言わせた紅天女の生活って、なんか、かなり楽しそうですね。


「ガラスの仮面」月刊14号感想

収録:「(鼓の音)カ…ポーン」〜「マヤ…!!」
さて、ちょっと前までの最新刊分はここまででした。(祝・42巻!)ここではあえて亜弓とマヤの対決には触れないことにして。いよいよ、「紅天女」のあらすじが明らかになりましたね。舞台「紅天女」が大ヒットしたというのは、今でいえば宮崎駿監督作品が、そのテーマが難しいにもかかわらず、空前のヒットをかっ飛ばした、というのに近いものを感じます。(特に雰囲気が近いのは、「もののけ姫」ではないでしょうか?)エンターテインメントとしても第一級のものがあり、かつ、考えさせられるものがある、というのか。この作品のテーマの一つとしては、自然の側から見た人間との対決、の様なものがあるように思い、それがテーマ的に「もののけ姫」と重なるものを感じます。「ガラスの仮面」が完結したら(いつでしょうね?)「もののけ姫」と「紅天女」の比較論を考えてみても面白いかもしれません。次はいよいよ、最新刊です。なんとか2004年中に終われそうだっ!

「ガラスの仮面」花とゆめコミックス42巻感想

さて、とりあえずの最新刊まで、終わりました! 前の巻が重かっただけに(厚さだけのことではありません)今回は伏線にしては長すぎ、たくさんある問題は、なんの解決にもなっていない気がしてちょっと残念。っていうか、桜小路とマヤの仲がいいのは今に始まったことじゃないし…。重要なファクターとして、汐留駅を思わせる場所、再開発中の駅跡地「シアターX」が、「紅天女」再演の場所となりましたが、これってどう考えても小野寺演出より黒沼演出の方がはるかに有利だと思う。黒沼演出は「忘れられた荒野」の時の5日間でチェンジした無限の演出術の実績があるし。小野寺演出はおそらく、亜弓さんの出来次第なんだろーなー、と。「奇跡の人」でもそうだったけど、こっちは困ったら役者任せにする無責任演出家ですからねえ。これは演出力だけなら最初から勝負がついている気がします。あとは、単なるデートだし……。まあ、この一冊のテーマは桜小路とマヤの恋愛なんでしょうねえ。今更ここまでさらわなくてもいい気もしましたが、仕切り直しの一冊かな? いきなりケータイやら写メールを使いこなしてるあたりは、全巻一気読みすると違和感ありすぎますがね。(しかもそれ重大なアイテムになってしまっているのがなんとも……)結論は一つ。さっさと続きを!

2004年の終わりに。

1)「ガラスの仮面」と戦争と災害のこと

さて、なんだかんだで用事が入ってしまい、3日もかかりましたが、「ガラスの仮面」を2004年中に読み終わりました! いやー、なんだかんだ言って、面白かった。


劇中劇としては、やはり、紅天女のセリフ『髪の毛一本 爪一枚 己で造ったものはなにひとつなかろうに(中略)この身を傷つけることが どれほど大きな罪かわからぬか? ましてや人の身を傷つけることが どれほど大きな罪かわからぬか?』というのは、重いセリフだなあと。命を生かすために使い切らず、殺すために使うことの罪は、宗教論などを待たずともおのずから真実であると思っています。いろいろなことがありすぎた2004年の締めくくりに、ふさわしい作品に出会い直せて良かったと思います。


この1年は、命の価値を問われ続けたと感じています。戦争という、人間自らが起こした命のやり取りと、災害という自然と人間の戦いとが、両輪のように世界的に起こり続けた年だった。「風火水土」自然、それすなわち命であること。大地が水をも揺るがして起きたあの災害も、(こういっては何ですが)やはり地球の、自然の一部の活動である事を思うとき、人間はやはり人間だけで生きているのではないと、考えずにはいられませんでした。

起こってしまった災害はしかたが無いことです。でも、それとうまくつきあう力……自然からの学びと人同士の助けあい。その術はあると思っています。でも。戦争は理不尽な理由で人的災害を引き起こすことだと思いますし、地球には人間の戦争というワガママを許す余力はもうほとんどありません。どうか、2005年は、もうこれ以上、人的災害という悲劇は起こらないで欲しいと願っています。

2)はてなダイアリーのこと

はてなダイアリーを始めたことは、自分にとってかなりエポックメイキングな事でした。ネット歴はかなり長い方(始めたのは1996年です)ですが、意見を発表する場所としてのインターネットを、これほど使いこなした事はありません。そして、自分が書き込んだことで、人が動いてくれる場所……すなわち、人力検索など……を知り、上手に使えばこれほど有効なものも無いなと感じました。それをもっとも感じたのが、新潟県中越大震災における、一連の質問でした。特に、チャリティについての質問(question:1101349594)では、あれだけの事を自分一人では絶対に調べきれなかったですね。そして、思いを書き込む習慣的行為から、だんだん、自分が未来に何をしたいのかがはっきりしてきました。考えてみれば、一日に500〜1万字程度は平気で書いているわけで、これが思考回路の整理に役立たないわけが無い。ぜひ、はてなさんにはよろしくお願いしますと申し上げたいところです。

3)創作活動と労働と。

創作活動、2003年の今ごろは「2004年はメディアクリエイターへの地歩となれば」と思っていました。思っていた事をすべて形にはできませんでしたが、楽器製作も演奏もマックもやはり自己実現であることの実感は深まりました。人生に何一つ無駄な事は無いのであるならば、この年はのんびり過ごしていたようで、おそらく5年後などに「良かった」と思える年だったと思っています。特に「はてな」に出会った後半は……。


労働、というか、社会参加については、じっくり固めたい事がいろいろと山積しています。大卒後の4年間で得るものは得た。マイペースで歩み直す感じですが、プロになりたいという気持ちにもうウソはついていられないな、と。デジタルデバイドを埋める仕事のプロになりたい、という、漠然とした結論にやっと辿り着いた所……。どんな道を来年の春以降選ぶことになろうとも、この気持ちにだけはウソをつきたくないと思っています。

4)2004年の最後に。

iMacと竹笛のゆらめき」今年最後の更新です。もうあと20分程度で2005年です。
人と人との間に、真と誠が満ちる一年であることを、強く祈りたいと思っています。
約半年間ありがとうございました。来年も、よろしくお願いいたします。