学期はじめにセキュリティ対策を。

時々書いていますが、私の仕事場は大学です。ここは奇妙なスケジュールで動いています。4月始まりは良いとして、8月と9月が休みで、9月の下旬から授業再開。良く考えたらなんだか変ですよね? ともあれ、今日からなので、正月みたいな気分もちょっと入っています。


で、学期はじめにいつもする事は、休み中に出来なかった研究室のPCメンテナンス。
幸いにも今回も、ウイルスの一匹もいませんでした。(研究室のPCの自主チェックは必要だと思います。学校でもそれなりに管理してくれていますけど、自分の目で安心しておきたい)


セキュリティ対策情報、今簡単にまとめて読めるページということで、別にYahoo!さんの肩を持つわけではありませんが以下を紹介しておきます。10月末までの限定公開です。


ケータイ電話を落としたら、というあたりが大変勉強になりました。確かに、ストラップが切れたら? とか考えると、落としたら大変です。ひも一本で繋がった人脈箱。セキュリティに配慮してどんな工具でも切れないストラップとか、どこかで作っているかもしれませんね。


さて、卒業に向けて、いろいろな学生さんの悪戦苦闘が始まります……。なにをもっても、トラブルに強くなるべし、です。卒業賭けて描きたいことがあるなら、ツマンナイトラブルでくじけちゃいけないのだ。

「Web社会の大変化」講演ログの感想

はてなブックマーク経由。
梅田望夫(id:umedamochio)さんが講演を行ったので、そのログをpekeqさんがお書きになられたそうです。お疲れ様です!
いろいろと機微に富んだログで、非常に勉強になります。気になったところをいくつかコメント。

3.オープンソース

自分がアメリカに渡った後、この11年の経験の中で一番不思議だった
インターネットにソースがおかれると、その向こうにいる人、不特定多数無限大の人が
そういうのを発見して、面白いからいじってみようかなという人がどんどん出てくる
そうするとMSみたいに金かけているものよりもいいものができちゃう

確かにオープンソースとか見ていると、なまじなパッケージ販売のソフトより面白いものが出来てたりする。その端的な例はXoopsとか。サーバに置くタイプのコミュニティサイト構築ツールですが、私が数年前にとある音楽情報サイトをやっていたときはいろんなCGIを組み合わせてサイトそのものや会員管理をせざるを得なかった*1のですが、いまやもっと統合された形のがあって、プラグイン的にどんどん機能を拡張できる。webについて、自学できる程度のいくらかの知識があれば、こういったものを使って超低コストで会員サイトを作れる時代になったんですね。


こういった形で、オープンソースシステムの理屈上は、だれでも自分が中心になって、なんらかの社会を作れる、ということでもあるわけです。
面白いことをやって評判になれば、誰でも人を集められる。権威ではなく内容、名前ではなく質で人を集めることができる時代になってきた。人が集まれば、面白いソフトウェアが出来てきます。集合知の魅力です。


正直、権威主義というのか、大学って場所のそういうところ(なんかするのにやれ院卒じゃないと、とか……)がちょっとアレな気持ちになってきた最近、webのそういうところに惹かれます。大学の大教室的な教育ですと、学ぶことと習うことが不可逆な関係(教授は教壇でしゃべっているだけ、学生はノートを取るだけ)にならざるを得ない。けれども、Webならある意味で寺子屋のマンツーマンな、学ぶことと習うことが可逆な関係の学び(教えながらその人が知っていることを聞いて、こちらも学ぶ。立場は平等)を広く構築できるかも。その中で自然と指導的な立場に立てる人は、相当な実力者ということになるわけで。


私の知っているある高校の校訓に、「生徒と教師は人間として平等であれ」というのがあるんですが、平等な学び文化は、webから始まりつつあるのかもしれません。何らかの形で「教育」に関わっている人は、誰でも、この胎動から学ぶものがあるように思えます。

6.若い人に教わることを忌避するな

若い人に教わること
はてなに入って、どんだけ若い人に教わっただろう
教えることもあるけど、学ぶことの方が多い
前世代は次世代に教わらなくちゃいけない。
でも前世代は絶対にそういうことをしない。


うちの学校でも、学生から学ぶタイプの教授には、非常に優れた方が多いと思います。(ものすっごく実感入ってます。学生から学ぶタイプの先生は教え上手でもあります!)
新しい物事は学生さんが運んできてくれる。もちろん、教員側もしっかり学んでおくということは当たり前だし、学生さんを刺激することも多いわけですが、その逆も多いわけで。面白いことがあるよ、と、ちょっと紹介すると3倍にも4倍にもなって返ってくるとか。Illustratorのイロハ程度を一ヶ月くらいさっと教えただけで、感動的なA3ポスターを作ってこれちゃうんですからねえ。これは学生さんじゃないと創れないなあって表現をいくつも見ました。みんな、良く描けるなあ。


ただ、その表現を学生さん自らから引き出しやすい環境を整えてあげることは、上の世代の(あるいは、教える側の)責任だと感じています。でも、それは教わった側が返してくる『未知なる物』の価値に比べたら、大したコストじゃないはず。今わかっていることを整理して、柔軟にすぐに引き出せるようにしてあげることと、これから生まれてくる未知なるものとを比べたら、貴重さにおいて後者の方がずーっと上であることは言うまでもないことですよね。

質疑応答から:Sさん

質問:
日本的企業に勤めてます
質問なんですけど、シリコンバレーに長くいらっしゃるそうなんですが
ぼく今27歳なんですが
20代くらいのシリコンバレーの若者と、日本の若者の違い
日本人特有の特徴とかありますか?


梅田さん:
いきなり難しい質問でーー
シリコンバレーにいる人と日本の人の一番の違いは、
シリコンバレーの人の方がものはあんまり知らないかもしれないけど積極的に何かやろうとする
日本の人は全部勉強しないと何かやっちゃいけないと思ってる


シリコンバレーの人は、全て知らないと自分を表現できないとは思っていなくて、
面白いと思ったらどんどんやってく
日本の人は、欠点をなくしてからその上に表現しないきゃいけないと思ってる
表に向かって発信しない、バカって言われたら恥ずかしいと思ってる


ポテンシャルは変わらないと思ってます


シリコンバレーのひととか、表現していることは実はたいしたことがないことも多いんだけど
どんどん出す
日本の人はまじめで、全部勉強しないといけないとおもってる

これ、自分がまんまそういうところあるなと反省しきり。
考えてみれば、webのことをすべてわかっていてwebの仕事をしている人なんてほんの一握り。出来るところから仕事にしてお金にしたほうがずっと効率的なわけですよね。もともと失うものなんてないんだし……。


ところで、ソフトウェアというものの面白いところは、バージョンって考え方なんですよね。未完成版(アルファ版、ベータ版とか)一応の完成版が1.0だとすると、そのあとどんどん機能追加されて2.0とか2.5とか、3.0とかが出来てくる。数字は作り手の判断で自由につけてしまっていいと聞きました。(何か法律とかで数字のつけ方にルールがあるわけではない)究極の話、ソフトウエアには完成はあるようで、ない。出るたびに完成品といわれつづけているのだそうなAdobePhotoshopですら、毎年のように新機能を載せて出てくる。


webにおける技術の発信地、シリコンバレーでそういった気風がある(完成と言い切れなくてもある程度安全に使えるところまで詰められたら製品にする。仕事の発想や実行力といった気質もしかり)のは当然なのかも。


なんてことをつらつら考えていたら、なぜか日本の歌舞伎文化が思い浮かびました。歌舞伎って、演目によって、セリフとかある形とかがあって、それを弟子(次世代の歌舞伎継承者)はまず物にする。先代が「完成」とした形をまず学ぶ。学ぶんだけど、弟子はそれで演じたあと、次に演じる機会の時には、自分なりの形に組替えたり、アレンジしたりして、伝統がありながら新しい形のものとして創作しなおすようなところがあるらしい。たしか、高校のときの歌舞伎教室でちょっと聞いた話でうろおぼえなのですが。


永遠に完成を目指しつつも、まずできる未完成品で勝負するシリコンバレー
前世代の完成品がありながら、そこから未完成としてあえて組替え、新しい完成品を目指す日本の歌舞伎。


なんか、並べて見てみると面白く感じますね。
質では日本のが勝ちそうですが、量と斬新さではシリコンバレーの勝ちかな? そしてこの「量と斬新さ」というのは、web文化のある特徴なのかもしれませんね。

*1:より正確に言うと、会員システムや動的コンテンツはいろんなCGIの寄せ集め組み合わせで、本コンテンツの更新はホームページビルダーでやってました。個々のスタッフからの原稿集めからWebページへの組み上げが死ぬほど大変でした。趣味の領域でやれる部分越えてた……。ビルダーよりもXoopsの方がずっと楽ですよ。ほんとに。まあ、今はそのサイト自体閉鎖してますけれども。

で、ともあれ、タイトル変更。『Yunyの鉄は、熱いうちに打て。』

で、上記エントリの講演ログでちょびっと勇気をもらったので、何はともあれ、鉄は熱いうちに打て。梅田さんは『Never Too Late』なんてかぁっこよくおっしゃってますが、ワタシ、そこまでかっこよくは生きられませんて。職人気質とか、泥臭いのが好きだしね。
感動した気持ちを忘れないために、タイトルを平凡な『はてなダイアリー - Yunyの日記』から、とっても泥臭いことわざより『Yunyの鉄は、熱いうちに打て。』に変更します。ハイ。変なタイトルって言わんといてください。
やりたいこと、思い立ったら泥臭くてもやってみよ! です。打つべき鉄は大量に持っていますからね! 時々、鉄を打っている音が聞こえる日記として、改めて始めたい気持ちです。今日は大学的正月ですからね!