「Angel Beats!」人生を追体験する音無の成長が物語を繋ぐ

はじめに

未だ多くの謎を残しながらも、大きく物語が動き出したアニメ「Angel Beats!」。これまで敵対する事でしか語られなかったそれぞれのストーリーが互いに絡み始めたのは、やはり主人公である音無の存在に拠るところが大きい。

  • 自身の理不尽な人生を呪い、神の遣いである(と思われている)天使に抵抗することで神をあぶり出し一発お見舞いしてやろうと考えているゆりとそれに倣うSSSのメンバー。
  • 死後の世界を「神を選ぶ世界」と捉え、悲惨な人生の記憶は神になる為の権利であり、天使に代わり生徒会長の座に就くことで自身が神になったのだと公言する直井文人
  • 自身の謎については未だ語られないものの、SSSからは神への足がかり、直井にしてみれば目の上のたんこぶ(抑止力)と解釈され、一方的に彼らの文脈に巻き込まれる状況を防衛(ガードスキル)することで抵抗する天使(立華奏)

つまり、ゆりらSSSは自らの目的(神をあぶり出す)のために天使を解釈し利用。直井は神になるという目的のために、目下の抑止力となっている天使を失墜させる手段としてSSSの行動を黙認することで利用(生徒会長代理の座に就いた途端、SSSを排除しようとしている事からもわかる)している。そして両者ともにNPCを自己解釈の文脈に当てはめ、目的のための手段として利用(SSSは陽動作戦・直井は超能力)している状況にあった。
彼らは皆一様に自身の文脈に従い、互いに相手を都合よく解釈(その状態をここでは「ステージ」と呼ぶ)し利用するだけで、そこには対話が生まれる余地さえなく、それぞれのステージはただ抗争によってのみ存在を確認する状況にあった。そんな状況を打破し、ゆり・直井・天使それぞれのステージを並列化することで、物語を展開するための下地を作り上げる役割を担ったのが、主人公である音無の成長である。
主人公なのだから当たり前だと言われればそれまでなのだが、今後の展開、また脚本である麻枝准がこのアニメで問いかけている問題意識を探る上でも、音無の役割を再確認しておく必要があるだろう。今回はそんな話。

  1. 音無の獲得したもの それぞれのステージを繋ぐ役割
    • エリクソンの発達課題で紐解く音無の成長と行動」「鍵となるkeyコーヒー」
      • 各話考察
      • 「自律性」を示すキーアイテムとしての「keyコーヒー」
    • まとめ
    • 今後の展望
  2. 音無の成長によって繋がれた、それぞれのステージ
    • 各話を振り返って
  3. おわりに

音無の獲得したもの それぞれのステージを繋ぐ役割

前記した通り、ゆり、直井、そして天使はそれぞれのステージ上から降りることなく、それぞれを都合よく解釈し利用していた。決して交わることのなかったそれぞれのステージを結びつける役割を担ったのが音無である。
音無には生前の記憶がない。自分が何者なのか、どんな理不尽な人生を送り、何故死んだのかさえ彼は覚えていない。謂わば音無は判断するための価値観に縛られた存在ではない。言うなれば、乾いたスポンジのようなに綺麗な水でも汚れた廃油でも吸収するしかない状態にある。現在放送された6話まで音無は未だ記憶を取り戻していない。それでも、ゆり・直井・天使のステージを繋ぐ、ないし三者を同じステージ上に立たせる事が出来たのは、皆が生前の記憶に縛られるこの世界において、記憶のない音無だけが自律的に判断するまでに成長したからに他ならない。つまり、彼はそれこそ無垢な子供が様々な経験を経て自己を獲得するかの如く、死後の世界で人の一生を追体験し、その成長こそが世界の変革の鍵をも担うという物語のプロセスが全編にわたり描かれている。
ここでは、それぞれのステージを再確認すると共に、人が健全な発達を遂げるのに必要とされる発達課題と照らし合わせることで、音無が今どの段階に居て、何故ストーリーが突然動き始めたのか。また、麻枝准の問題意識をカント的な二項対立の言説を借り、本編を振り返ることで今後の展望に繋げる。

ここで取り上げるカントの言説

動機(道徳性) 義務 対 傾向性
意思の決定(自由) 自律的 対 他律的
命法(理性) 定言命法 対 仮言明法

※言葉を借りることでその意識を感じ取ってもらう程度に取り上げるので、興味を持ったら自分でカントの著作を読んでみてください。

エリクソンの発達課題で紐解く音無の成長と行動」「鍵となるkeyコーヒー」

エリクソンの提唱する発達課題の各段階とその心理的側面

  1. 乳児期(基本的信頼 対 不信)
  2. 児童期(自律性 対 恥、疑惑)
  3. 遊戯期(積極性 対 罪悪感)
  4. 学童期(勤勉 対 劣等感)
  5. 青年期(自我同一性 対 役割の分散)
  6. 壮年期(親密さ 対 孤立)
  7. 中年期(生殖性 対 自己没頭)
  8. 老年期(統合性 対 絶望)
  • #01 Departure #02 Guild【音無:乳児期(基本的信頼 対 不信)】

1・2話の音無は「乳児期」の段階にあると言える。記憶喪失で突然謎の世界に放り込まれた彼は世界について何も知らず、何を信用していいのかも分からない。さながら赤ん坊のような状況にあると言えるだろう。
世界で初めて出会った人物であるゆりの、「天使は敵」という言葉を信用出来ず自らの判断で天使に近づくが、心臓を突き刺されることでそれを失敗と認めSSSの一員になる(=ゆりの文脈に則り他律的に意思の決定をする)ことを決めた。自律的な判断が出来ず、しかも、ゆりの忠告を無視し失敗を経験したことで、ゆりのバイアスがかかった世界観を受け入れ、それに守られる事を選択したのである。(「ゆり母親説」という意見を見かけた事もあるが、子供にとって母親は絶対的な信頼の存在であり、正しいかは差し置いて自己を形成するまでの価値観を強制(矯正)する存在でもあるとも言えるので、決して無理のある意見ではないことが分かる。)
2話のギルド降下作戦においても、ゆりと共に行動し統率力の高さを目の当たりをすることで、「乳児期」の発達課題の心理的側面の成功といわれる「基本的信頼」を獲得したと思われる。その証拠に2話最後は、「お前凄いよ。みんながついてくる訳だ。立派にリーダー出来てるよ。」という音無のモノローグで終わる。
勿論、「基本的信頼」を得たからといって、負の部分である「不信」が完全に無くなるわけではない。今後、信頼を獲得するのに大きな貢献を果たしたゆりの嘘(勘違い)が判明した場合、「不信」の部分が強化される可能性は大いに残されている。

  • #03 My Song #04Day Game【音無:幼児期[児童期・遊戯期](自律性・積極性 対 恥、疑惑・罪悪感)】

音無は、3話で仲間の岩沢が成仏する(仲間を失う)のを経験し、4話では親友であると思われる日向も居なくなってしまうかもしれない強烈な経験をすることになる。乱暴に要約してしまえば、「児童期」の特徴である「恥、疑惑」をその世界の不思議に向け、岩沢が成仏してしまうという経験から自分で判断する、すなわち「自律性」をもった考えを始め(3話)、岩沢を失ってしまった「罪悪感」から二度と同じ経験をしたくないという意味において「積極性」を得た(4話)と言えるだろう。(発達課題の心理的側面の負の部分をきっかけにし、正の部分強化している。)

    • 「自律性」の獲得、及び「積極性」が垣間見れる音無の言葉
      • 「ここに居る連中は神に抗おうとしているんだ。理不尽な人生を受け入れることに抗おうとしているんだ。」(3話Aパート終わり/岩沢との会話の後)
      • 「消える条件は天使の言いなりになって正しい学生生活を送る、それだけじゃなかったんだ。」(3話終わり/岩沢が成仏してしまったことを経験して)
      • 「お前消えるのか?」(4話終盤/日向に対して)
      • 「捕るな日向。俺はお前に消えてほしくない!」(同上)
  • #05 Favorite Flavor【音無:学童期(勤勉 対 劣等感)】

5話で突然、普通の学園生活(テスト)を描いたのも、「学童期」を印象付けた要因である。1話の最後に「俺には記憶がない」と音無自身が語ったように、彼はそのことに対し、強く「劣等感」を抱いているかもしれない。ただ、テストでわざと間違うなどゆりに言われたように行動しているし、その点では「勤勉」であるとも言える。
この段階において音無がどちらの心理的側面に強化されたのかを伺い知ることはできないが、ここで言う「勤勉」とは、「一生懸命励むこと」なので、4話の球技大会でピッチャーを務めたり、SSSのメンバーとしての役割を全うし自身を成長に導いている姿を見るにつけ、健全にこの時期を過ごしているように見える。ご存知のように、発達課題の心理的側面は、成功・失敗がどちらか一方に取捨されるわけではないので特に問題ないことなのかもしれない。
とにかく5話以降の音無は、天使と「積極的」に関わろうとしているし、彼女の存在をゆりの文脈ではなく「自律的」に考えようとしている。この自分で考え行動する姿は丁度「反抗期」を迎える子供のそれに似ている(学童期は丁度、小学生〜中学生位の年齢)。もちろん、ここでは「ゆりが母親だ」と言っているわけではなく、「彼女の文脈で世界を捉える必要があった」というこの世界における「母親的役割」としての話をしているので誤解が無いように補足しておく。ゆりは音無の自己形成期間においては、それこそ母親のような役割を負っていたかもしれないが、彼が持ち始めた「自律的」な考えに対し、例えば「今の天使なら俺たちの仲間になれるんじゃないか」という発言を否定しないばかりか、「個」としての可能性を見出しているといえるだろう(6話のトランシーバーを授ける場面に顕著:後述)。

  • #06 Family Affair【音無:青年期(自我同一性 対 役割の分散)】

青年期」は大体15〜25歳(近年では、〜35歳までとも言われている)。多くの人が人生の変革・転換期を迎える時期と言えるだろう。「マージナル=マン(境界人)」というレヴィンの言葉を一度は目にしたことがあるだろう。ゲーテによれば「疾風怒濤の時代」、ルソーに言わせれば「第二の誕生」と「個」の確立において物語が生まれやすい時期とも言える。
6話で音無は天使、そして直井に対しても心を開く。「敵らしい」という「傾向性」でなく、誰に対しても自己が意欲する善いと思われる行為、それこそカントの『義務論』を実践するかの如く振舞っているのだ。
さて、この「青年期」を迎えた音無が次に獲得しようとしているのが、上記したとおり「自我同一性」である。記憶を失っている彼が、これまでこの世界で健全に成長してきたこと、また結果としての有用性に重きを置く「功利主義」とは対にあるカント的な思想に基づいて行動してきた事実と、いずれ明かされる彼の本来の記憶との相違。この辺りが今後の展開における鍵となってくるだろう。

  • 「自律性」を示すキーアイテムとしての「keyコーヒー」

本編で音無がどのステージで生きているか、自律的な判断をする「自己」を獲得出来たのか、その象徴として描かれているのがkeyコーヒーだ。実に6話中4話に登場し印象的に扱われている。keyコーヒーが登場した1・3・5・6話を参照し上記したことをより分かりやすく、そして堅固なものにしたい。


・keyコーヒーが初めて登場するのは1話。飲んでいるのはゆりである。この場面、音無の「それなんだ?」という質問に、彼女は「keyコーヒー。美味しいわよ。」と返答する。この段階で自分の判断基準を持っていない音無は、ひとまず「ゆりのステージ」で世界を捉え生きることを選んでいる。すなわち、『keyコーヒー=ゆりのステージ』の象徴なのだ。


・次にkeyコーヒーが登場するのが3話。2話の降下作戦でゆりへの絶対的な信頼を覚え、彼女のステージで生きる決意をより強固なものにしていることを印象付けるためなのか、この挿話だけで実に3回も缶コーヒーは描かれる。





時系列に沿って説明すると、左は「最初の印象ほど悪い奴らじゃないよな。あいつら。」というセリフの後の場面。中央がユイとの会話の後、岩沢(ガルデモ)の練習を見に行く前である。右は岩沢の成仏後、この挿話のラストカットのもの。このときの音無のセリフは「消える条件は天使の言いなりになって正しい学生生活を送る、それだけじゃなかったんだ。」というもの。音無が世界を「自律的」に捉え始めていることが分かる。表情も左の2枚と比べ、変化している。つまり、「ゆりのステージ」を否定はしないが、それを踏まえた上で自分なりに世界を捉え始めようとしている状態にあるといえるだろう。


・次に5話。屋上で昼食をとっている場面だ。テストの妨害やこれまでの行動を振り返り、「こんなことで何かが変わるんだろうか。」という疑問を語る音無は、缶コーヒーを持ってこそいるものの口にはしない。この世界で様々な経験をし成長した音無が、自らの格率をもって世界を捉え始める、つまり「ゆりのステージ」から降りる可能性があることが、この時点で示されているのである。


・6話で音無は完全に「自律的」な考えを持ち行動を始めることになる。その結果、彼は「ゆりのステージ」から降りる事を決めたのである。




一目瞭然だろうが、「ゆりのステージ」の象徴であるkeyコーヒーを苦々しい顔で飲み、「こんなこと続けて意味あんのかよ!」というセリフの後に空き缶を投げ捨て、教室に居る天使のところへ一人向かう。5話で示唆された「ゆりのステージ」から降り「自律的」な考えでもって世界を捉える選択を、空き缶を捨てることで達成したと言えよう。勿論、捨てる=否定ではないので誤解無きよう。あくまでこの場面は、ゆりの考えに完全に従うのではなく自分自身で考えようとすることの象徴として描かれている(「千と千尋の神隠し」ハクのおむすびをイメージすると分かりやすい)。
※この後、缶コーヒーを捨てる(「ゆりのステージ」から降りる)ことになる音無へ、その直前にゆりはトランシーバーを託している。ひょっとすると彼女は今後の展開を予期していたのかもしれない。トランシーバーは距離を繋ぐ道具だが、この場合は音無とゆりのステージを、そして心を繋ぐ缶コーヒーの替わりとして機能している。*1


  • まとめ
Episode 段階 主な出来事 心情の変化(発達課題/批判哲学的認識)
#01 Departure 乳児期 死後の世界に・天使に刺される・SSSに入隊 無垢/「他律的」に世界を捉える
#02 Guild 乳児〜児童期 ギルドへ・ゆりの記憶を聞き、共に天使と戦う ゆりへの「信頼」/SSSの「傾向性」に従う
#03 My Song 児童〜遊戯期 岩沢の成仏 経験を経て「自律的」に物事を考え始める
#04 Day Game 遊戯〜学童期 日向の記憶を聞く・日向成仏の危機 世界の仕組みへの「積極的」な疑問/「格率」に従い行動
#05 Favorite Flavor 学童期 テストで妨害を図る・天使の失脚 SSSでの役目を全う/天使の存在を「自律的」に解釈
#06 Family Affair 学童〜青年期 授業の妨害・天使と共に幽閉・直井の反乱 天使との「積極的」な交流・仲間を救いたい/敵に対しても主観的な格率で接する(定言命法
  • 今後の展望

以上のように音無は、死後の世界において発達課題を順調に経験・達成し、ゆり・直井の考え(自分で選んだわけでない・傾向性)によってでなく、「自律的」な判断によって行動し、自分を排除しようとする天使や直井であっても、主観的に妥当と思われる原理に従う定言命法)というカントの哲学(人間の認識が現象を構成する)に基づいて行動していることになる。
つまり、音無が今後直面し得る問題は、記憶を取り戻すことによって起こる「自我同一性」への悩みと、外部にある対象(例えばそれは「世界の秘密」や「生前の記憶」)を受け入れた上で、どう行動を送るかを選択するという問題であろう。言い換えるなら、記憶が無かったからこそ実践し獲得することが出来たものが全て否定された時に、それでも彼は自分を信じることが出来るかが問われることになるだろう。

音無の成長によって繋がれた、それぞれのステージ

ここまで作中における音無の成長過程をエリクソンの発達課題を参照することで振り返ってきた。ここではそれを踏まえ、彼の成長が物語にどう作用したのか、彼の成長がどのようにゆり・天使・直井のステージを結び付けたのかを、1〜6話においてそれぞれのステージを感じさせる場面、また音無の行動を紹介しつつ検証していく。


【1話】(音無=「ゆりのステージ」を選択)

  • ゆりの目線で語られる天使の存在(左上:ゆりのスコープを通じて)。
  • 信用できず天使のもとへ行き心臓を突き刺される(右上)。
  • 自らの失敗を認め、SSSに入隊することを決意し握手(左中)、ゆりのステージ(同じ目線)で世界を捉えることを決意(右中)。
  • 畏怖の対象である天使(左下)と同じレベルで対立することへの恐怖を感じ逃げ出す(右下)。

音無の天使に向ける目線はゆりのバイアスがかかった「他律的」なもので、それぞれのステージは抗争によってしか交わることが無い

【2話】(音無=「ゆりのステージ」への信頼)


全編において顕著に見られることだが、それぞれの立場(ステージ)の差異を表現するのに「高さ」を意識させる構図を用いている。天使の侵攻は天井の揺れ(左)、それに立ち向かうゆりは階段を駆け上がり天使のもとに赴く。1話で天使に恐怖を感じた音無も、全面的な「信頼」を置くゆりと共に対峙することで凛々しい顔になっている。

【3話】【4話】(「ステージ」を感じさせる構図・ゆりの神への視点)

左が3話、右が4話。共に「高さ」を感じさせる構図が採られている。

  • 3話は岩沢成仏に際し、ゆりが死後の世界への疑問、神の存在について考えている場面であるが、それぞれの立場(ステージ)を表現するのと他に、ゆりが神・天使について考えを巡らせるときにも「高さ」の構図が描かれているので、気になった方は是非探してみて欲しい。
  • 4話は、球技大会の行われているグラウンドをゆりが監視している場面。「武器を持っていない場合、天使はどう対抗してくるのか」を観察している。つまり、ゆりのステージで天使を利用する場面なので「高さ」を描いたと思われる。

【5話】(音無の「自律」がステージを繋ぐ)

上記したことの集大成。

  • 「天使は人間なのかもしれない」と思慮を巡らせるゆりの画は「高さ」を感じさせるもの(上中)。
  • 「自律的」に考え始めている(上記した様に缶コーヒーを飲まない、ゆりの洗礼から解かれた状態の)音無は、廊下で天使とすれ違っても以前のような恐怖は感じない(上右)。
  • ゆりと音無の考えの相違=音無の「自律性」の獲得を印象付ける、視線の交わらない構図(下左)も印象的だ。
  • 1話の対称として描かれる、スコープ越しの画。天使の存在を自分で考えた音無は、攻撃するのを止める様SSSのメンバーに伝える(下中・右)。
  • 下右の写真は傷心の天使とSSSを対比する「高さ」をもった画で描かれている。


それぞれのステージは「高さ」をもった構図で描かれ、印象的に作用しながら未だ繋がることがない。ステージが繋がれ(並列化され)、物語を進める下地が完全に整ったのが6話である。


【6話】(音無によって並列化されたステージ)

  • 缶コーヒーを投げ捨てたことからも分かるように、「自律的」に考え始めた音無は、格率に従い天使と「積極的」に関わる(左上)。
  • 幽閉された牢獄から脱出した音無は天使の手を取り走り出す(右上・左下)。この「手を取る」行為が、ゆりと天使のステージが繋げる作用をはらんでいる(音無は、1話でゆりと握手することで彼女のステージを受け入れた)。
  • その後、音無は直井を抱擁し彼の人生を肯定する(右下)ことで直井のステージを他のステージと繋げる役割を担った。


以上のように、この世界で様々な経験を経た音無が成長(人生を追体験)したことで獲得したものそれ自体が、決して交わることの無かったゆり・天使・直井、それぞれのステージを繋ぐパイプの役割を担ったのである。その象徴として描かれたのが、「ゆりとの握手」「天使と手を繋ぐ」「直井との抱擁」である。


おわりに

Angel Beats!」は人生賛歌であると脚本の麻枝准は語る。記憶を失った主人公・音無が死後の世界で成長する姿は人生を追体験しているように見える。また、自らの意思でなく他人に流され人やモノを判断・評価する風潮は現代社会においても顕著に見られるものであるだろう。
いよいよ物語が動き始めたアニメ「Angel Beats!」には、麻枝の「現代社会に対する問題意識」と「そこに生きる人々へのメッセージ」が隠されている。


※岩沢・直井の過去は回想によって描かれたもので、直接、音無に語られたものではないので修正しました。(5月12日)

*1:今後、天使や直井が仲間になるような展開があるかもしれませんが、その時は「缶コーヒー=同じステージに立って行動していくことの象徴」として解釈出来るかもしれません。天使が「私コーヒー飲めないの。」なんて展開になったら面白いですね。