「Angel Beats!」弔鐘の音が響くとき

はじめに

本稿は『「Angel Beats!」人生を追体験する音無の成長が物語を繋ぐ』の続編である。
この投稿は『音無の成長は人の乳児期〜老年期への過程と似ている。作中に登場するkeyコーヒーは音無の心境の変化、とりわけゆりとの関係を象徴している。6話でkeyコーヒーを投げ捨てた彼は自分の考えで歩き始めた。それが、ゆり・天使・直井のステージを繋ぐ役割を果たし物語が動き始めた。人の一生を音無の成長とダブらせることで「Angel Beats!」は人生賛歌を描こうとしているのだろうか。』ということをエリクソンの発達課題を参照にすることで物語(1〜6話)を振り返ったものだ。
今回もこれを踏まえて、7〜9話までを加えて検証していくことで今後の展望へと繋げたい。
尚、本稿が筆者による物語の恣意的な捏造に基づくものであることを理解した上でご一読いただければ幸いである。

各話を振り返って

では、おさらいの意味も兼ねて、今一度音無の成長を振り返る。尚、前回と微妙に差異が生じる箇所もあるだろうが、物語が展開したことによる修正なのでこちらを優先していただきたい。
※天使・立華奏の呼称は作中で音無の使ったものに準拠させています。

エリクソンの提唱する発達課題の各段階とその心理的側面

1.乳児期(基本的信頼 対 不信)
2.児童期(自律性 対 恥・疑惑)
3.遊戯期(積極性 対 罪悪感)
4.学童期(勤勉 対 劣等感)
5.青年期(自我同一性 対 役割の分散)
6.壮年期(親密さ 対 孤立)
7.中年期(生殖性 対 自己没頭)
8.老年期(統合性 対 絶望)

#01・02[乳児期]―「基本的信頼」と『大まかな世界観・概念を確立』
  • 主な出来事:死後の世界へ・天使に刺される・SSS入隊/ギルド降下作戦・ゆりと共に天使と交戦・ゆりへの信頼

記憶喪失で突然謎の世界に放り込まれた音無は自分が何者なのか、また世界について何も知らず何を信用していいのかも分からない。判断基準を持たないまっさらな姿は、さながら赤ん坊のような状態にあると言えるだろう。
この段階における重要な対人関係は、「母親的な人物」である。当然この場合においては、世界で始めて出会った人物で今後信頼を置くことになる「ゆり」がそれにあたると言えるだろう。記憶の無い自分を受け入れ、SSSでリーダーシップを如何なく発揮する彼女の姿を見ることで、音無は基本的信頼を獲得することになる。加えて、死の概念の効かない(死んでも生き返る)世界を身をもって経験し、ギルド降下作戦でも仲間のそうした姿を見ることで「この世界のルール」を、自分を受け入れたSSSと攻撃した天使から鑑みて「天使は敵である」という認識を持った。




#03[児童期]―「自律的な考え」と『世界への適応、そこで生きるうえで必要となる概念(成仏条件)の形成』
  • 主な出来事:岩沢の成仏・keyコーヒーの印象的な演出

この段階で発達の成功を得るために関わってくるのは、本来であれば排泄行為である。上手く排泄できれば親に褒められ、失敗すれば恥ずかしい思いをする。勿論、肉体的には既に完成された年齢なのでこの場合そのまま当てはめることはできない。心的な成長を発達段階と照らし合わせている本稿では、それを「記憶喪失である事実を他人に打ち明けられるか」に対応させて検証する。
皆が人生の理不尽を呪い、それを受け入れることに抗おうとしている死後の世界において、記憶のない音無は神に抗う正当な理由をもたない。つまりそれを吐露することは、共に戦う正当性を否定されるかもしれないリスクの孕んだ行為であり、大っぴらに公言するかひた隠しにするのかは自身で上手くコントロールする必要があるので、排泄と記憶喪失であることを話すのは≒で結ぶことが出来るだろう。
記憶喪失であることを1・2話で主にコミュニケーションを図ったゆりと日向は、それを理由に音無を批難するわけではなかったし、この時点で敵側である天使にすらも記憶喪失はよくある事だと言われた。要は、これまで記憶喪失である自分が恥ずかしいことだと意識する必要性は無かった訳だが、世界を拡げていく上では必ずしもそう言いきれるのかは分からなかった。ここで音無の成長に寄与したのが、それまで自己紹介程度で直接関わりの無かった岩沢との会話であろう。彼女は記憶が無いことを「そりゃ幸せだ」と言ったり「記憶ナシ男」と呼んだりで微塵も気にする様子を見せない。
近しい人物だけでなく、初めて関わる人物にも記憶喪失であることを咎められなかった音無は、それを「ひけらかすのか/内に抱え込むのか」を協調させ、死後の世界での自律的な意思を身につけていったと言えるだろう。その結果がラストカット、岩沢の成仏を受けその条件について自分で考え始めた描写に象徴されたと言える。
この時期は第一次反抗期の頃でもあり、音無が持ち始めた自律的な考えとそれを対応させることも出来るだろう。




#04[遊戯期]―「積極的な行動」と『人とうまく付き合う学習』
  • 主な出来事:ユイのガルデモ加入・日向成仏の危機

この段階の心理的社会的様式は「思い通りにすること」。そこで主張する積極性と、そうすると罰せられるかもしれないという罪悪感のどちらが強化されるかが問われるのだろう。
「お前消えるのか?」「俺はお前に消えてほしくない」の発言は、積極的な自己主張だと考えられるだろうから、この段階で積極性を獲得した音無がその後、天使や直井と積極的に関わっていく(それぞれのステージを繋ぐ)ことになるは至極当然の結果だったといえるだろう。ここでもし日向に「消えるな?お前は記憶が無いからそんなこと言えるんだ。」などと咎められてしまえば、自虐的な性格になる可能性もあっただろう。
この4話は、成仏の危機も神に抗う理由も無い音無がそれに囚われるのではなく、自身の記憶が無いことを受け入れ死後の世界で獲得してきた格率に従い積極的に行動し始めている様子が伺い知れ、野球(チームスポーツ)を通じSSSに必要とされていることを認識していった過程を描いた挿話だったのだろう。




#05・06[学童期]―「勤勉さ生産性の獲得」と『自我の芽生え』
  • 主な出来事:テスト妨害と天使の失墜・交戦を伴わない天使との会話/keyコーヒーを投げる・天使との交流・幽閉・直井の乱と彼を認める抱擁

5話は周囲の承認や目的を一緒に達成する経験を経て、新入りであることや記憶が無いことに打ちひしがれず(劣等感)、必要とされている今の自分でSSSの一員として行動する(勤勉・生産性)を獲得していった段階。また、屋上でのkeyコーヒーを持ってはいるが飲まない描写や、「こんなこと続けて何か変わるんだろうか」というモノローグ、天使との会話や存在に対する自律的な考えは、この時期が『個人的独立の段階的の達成』・『母子分離』・『社会に対する態度の変化の発達』・『第二次反抗期』の時期などと重なることを考えても、学童期という発達段階と符合する部分が多いと考えていいだろう。前回の投稿で、音無が(ゆり=握手・天使=手を繋ぐ・直井=抱擁)をすることでそれぞれのステージが並列化されたことは言及した。改めて見てみると、音無と天使との交流は自律的な考えよりも反抗期的な衝動に基づいた行動だったという側面で捉えることも出来るのかもしれない。
とにかく、立場や振る舞いではなく個としての存在を認めた上での天使との交流や、直井を認め(許し)た一連の流れは、記憶が無いという弱みを持った自分を快く受け入れてくれたSSSと、その上で順調に成長した自身の経験を踏まえれば彼にとって当たり前の行動であったと言えるだろう。





#06B・07A[青年期]―「自我の確立」と『ゆりとの新たな関係性』
  • 主な出来事:直井の乱と彼を認める抱擁/記憶を一部取り戻す・自身の過去を知り動揺する

学童期での行動とした天使や直井との一件は、自己の世界観を持ち他人と調和しつつ自分の価値体系を作り、行動の指針としての価値や論理を学ぶ青年期における行動とも符合する部分がある。6話は学童期から青年期への移行期間であるとするのが分かりやすいだろうか。
さて、7話で音無は直井の超能力により記憶の一部を取り戻すことになる。青年期で重要となるのは、『自己の生まれ育った環境や社会が提供する価値や規範、行為などから自分の自我同一性に適うものを意識的に再選択し体系化すること。また、この選択と無意識的に獲得していた同一性をいかに統合するか』ということである。「前者(意識的な選択)=死後の世界での自分」、「後者(無意識下)=生前の自分」に対応させるのが自然だろう。つまり、

    • 意識的な選択

・記憶が無くとも様々な経験を経て成長した自分
・ゆりと共に行動した自分
・自分が受け入れられたように、立華奏を受け入れたいと考える自分

    • 無意識に獲得したもの

・自身の理不尽な人生


を、自分の中で決着を付け今後どのように振舞うべきかの選択。つまり、どの様なアイデンティティを確立していくのかの決断が迫られていたのである。この選択に対する猶予期間(モラトリアム)が、ゆりの居る屋上に行くまで一人にしてもらった時間だったと言える。
皆と同じように理不尽な人生を呪い、立花奏を敵と再び捉える可能性も十分あっただろうが、音無は生前の記憶と死後の世界での自身の成長に上手く折り合いをつけ行動していくことを選択する。つまり、神に抗おうというゆりの考えには賛同するが盲目的に信頼するのではなく、自身の成長の結果として培われたもの、とりわけ立華奏とも共に行動していきたいという意思は持ち続ける選択をした。それが彼のアイデンティティ、価値観として確立されたということなのだろう。
母親的な存在であるゆりから情緒的に独立し、互いを異なる個として認めた上で共に行動していくことを象徴する場面として、ゆりから受け取ったkeyコーヒーを思慮深く眺めた後に飲むという描写がなされている。それぞれの立場を踏まえた上での関係構築や、独自の価値観、倫理観の形成は、音無とゆりの関係が所謂「大人の関係」として次の段階に進んでいくことを示している。




#07B・08[壮年期]―『「奏との親密な関係」』
  • 主な出来事:立華を釣りに連れて来る・分裂した天使の誕生と反乱/再びギルドへ・攻撃性の強化された分体の意思が奏に吸収される

keyコーヒーを飲み、ゆりと共に行動することを決意した音無が、釣りに立華を連れてきた所を見ても彼の自我が見て取れるだろう。
この壮年期では、「自己のアイデンティティに裏付けられた友情・愛・性的親密さを得るか否か」が重要になる。つまり、心身の一体感を感じ、異性と仲良くなる期間である。配偶者の選択もこの時期に行われる。「下の名前で呼んでもいいか?」「これからはみんなと一緒に居てほしい」など積極的に関わっていることからも分かることように、この場合は奏がそれにあたるだろう。記憶がなかった頃の自分の気持ちと、天使の役目を負いいつもひとりで居る奏の姿にどこか共感する部分があったのかもしれない。




#09〜[中年期]―「次世代を育むこと」と『奏との信頼関係の構築と密約がもたらすもの』
  • 主な出来事:残りの記憶を取り戻す・報われた気持ちを皆に知ってもらうために奏と協力・奏生徒会長に復帰

音無が残りの記憶を突然取り戻したのには違和感を覚えたが、今振り返れば3話で岩沢から受け取ったミネラルウォーターBolvicを飲まなかった(飲めなかった)のは、Bolvicが事故現場で一波乱生んでいたことに対する無意識下での逡巡であり、たとえ直井の超能力に頼らずとも自力で記憶を思い出す可能性のあることが、あの時点で暗に示唆されていたのかもしれない。ちなみに3話・9話は共にあおきえい氏が絵コンテを担当している。





とかく、記憶を取り戻し奏と密約を交わした音無は、中年期の段階に突入したと考えるのが妥当だろう。中年期には、「生殖性」(=次の世代を育むこと)と「自己没頭」(=自分にしか興味がない)が対立する。この「生殖性」(=次の世代を育むこと)は、作中においては皆を満足いく形で成仏させ新たな命として現世に転生させることに対応するだろう。音無がこうした広義の天使の役割を担う可能性は、7話までを振り返った投稿でも呈示したものだ。






しかし、真実を隠蔽したまま「報われた気持ちを皆にも知ってもらう為に行動していく」という音無の決意は、あまりに独善的なものだろう。事実これまでもそうしてこなかったから事体が迷走を極めたのだし、真実を秘匿されたまま成仏をむかえるのはSSSの面々にとって、それこそあまりに理不尽な出来事だろう。この独りよがりの行動が「自己没頭」と対応するだろう。音無に真実が明かされた今、それを隠されたまま成仏を迎えるのは本当の意味での成仏とは違うはずだからだ。つまり、彼はこの利己的な矛盾した考えを正す必要がある。
事実と違う箇所があったかもしれないが、世界について自分なりに考えていたゆりはこの変化に気が付くはずだ。ゆり・奏・直井のステージを繋ぐ役割を担った音無が、それによって引き起こった事体によってゆりと対立することになるだろう。『生きて行く上で必要なものは揃っているが、ゆりの考えで成仏を禁じられた閉じた世界』に、列車事故とトンネルの陥落で水も食料もない出口の無い場所』で死を迎えた音無は、強烈な既視感と嫌悪感を抱くだろう。出口を塞いだ巨大な岩石とゆりを重ね合わせ、力ずくでもそこを突破しようとするかもしれない。ゆりの方も音無をSSSから追放しようとするかもしれないし、彼の意見に耳を貸さないことも考えられる。
この音無とゆりの対立は、今や天使としての奏を裏でコントロールする「神の如き存在となった音無」と、「神に抗おうとするゆり」の思いが衝突するという、これまで暗示的にしか描かれて来なかった「神vsゆり」の構図が具現化された、物語の根幹をなす非常に重要な要素になると言える。


音無の独りよがりな行動の暴走を抑え、悔い改めさせることになるのが初音の存在になるだろう。音無は生前、病床の初音を真冬の外に連れ出すというその身勝手な行為により失った。これは、「自分がそうしてあげたいから」という独善的な理由でSSSメンバーを成仏させようとしている現状と完全に合致するものだ。自身の責任で妹を失った生前の後悔と、そこから生きる意味を見出した過去を持ち、記憶を失っていながらも死後の世界で立派に成長してきた音無は「自分がまた同じことをしようとしている」ことの愚かしさに気が付くことが出来るはずだし、その必要性があるだろう。それによって真の意味でゆりと奏のステージが繋がれ、物語がいよいよ終わりに向かうことになる。

#??[老年期]

老年期には、「自分自身の人生を自己の責任として受け入れることが出来るか」が問われることになる。これは、死後の世界における成仏の条件そのものであろう。生前、ドナーカードに署名し生きた証を残そうとした音無は、死後の世界では何を残そうとするのだろうか。
彼は一体どんな選択をするのだろう。幸せなものとして死後の世界での一生を終えることが出来るだろうか。たとえそれが奏との別れを意味することになるとしても。

終わりに

「ひとりで生きることを決めた少女」と「ひとりで生きるしかなかった少女」それぞれの物語が神によって繋がれることで、その終焉を迎えることになるのかもしれない。