2004年7月1日 意図的に家賃滞納開始☆

コーションで泣き寝入りしない極意=家賃滞納☆(裏の掟)
毎月1日は家賃を支払う日だった。2件目のアパートの時は自動振込みで行っていたけれど 3件目、4年ほど住んでいたアパートは「自動振込みにはしないで 毎月、宛名は書かない小切手で渡してくれ」と言われていた。(普通は悪用をされないように 渡し主の名前は必ず記載する)事業をしている大家であったので(尿瓶一つでかなり儲かっているご様子。余談だけれど 昨年は 「女性用の尿瓶も開発したんだ!!!」と鼻息荒く説明をされた・・・どうでもいいよ。という感じです☆) 自動振込みや、大家の名前宛小切手を拒否する辺り、ははぁ〜ん、収入を上手くごまかす為にセコイ事しているのねぇ〜って感じで、まあ そんなガメツイ大家であったのですが。
古いアパート。かなりガタのきている箇所があったり、また、ケチな大家で、家具付きは良いけれど 何十年前の家電だよ?ってな、年代物の、扱いにとても注意の必要な(有り難迷惑な)電化製品が付いていたりして 結局それらが原因で問題が勃発したり・・・
具体的な問題的としては・・・冷蔵庫がぶっ壊れる、初めて洗濯機を使った時、ボロイ洗濯機の排水部から水漏れ(2階下まで水が滴った☆イエェ〜イ☆)。それから アロカシヨンの時の日記(5月23日http://d.hatena.ne.jp/a--------a/20050522#p1)に書こうと思っているんだけれど アパート自体が古く、警察庁に“危険建物だから修理をしなさい!!!”という警告文が大家に届いているはずなのに「そんな古く無い!危険じゃない!!!!」と、お上に対して楯突いて修理を頑なに拒否する大家のせいでアロカシオンがもらえなくなったり・・・(危険建物→居住に向かないから修理しなければ人は住んではいけない(警察庁からの命令)→当然、人に貸すなんてもっての外→それでも貸しているのは違反→というわけで 違反で貸している人にはアロカシオンはあげれないって・・・。)

まあ そんなこんなで 色々なトラブルが有ったから 退居時、絶対にコーション(保証金)は返ってこないだろうと 踏んでいた。そして数々のトラブルの時に色々と相談に乗ってくださった信頼の置ける不動産コンサルタントの方、知り合いの会計士、その友達の弁護士、日本人会の弁護士も含め 皆、「あなたの大家は 頭がオカシイから真っ当な事を言っても意味ないしコーションは返ってこないだろう」と異口同音に仰った。
その対策として これまた異口同音に言われた対処策が これだ!!!ジャジャン!!!
「最後2ヶ月は家賃を絶対に払っちゃだめだ!!!」
家賃を踏み倒すって・・・それってやばいじゃん。当事者の私としては 「やばいって、やばいって、だって大家も大家の息子も孫も、下に住んでいるし、だめだってぇ、怖いってぇぇぇー!!!」って 皆の強気なアドバイスに恐々としてしまったけれど、そんな及び腰の私に「怖がる事はない!!どケチなフランス人の大家から自分の権利あるコーションを取り戻すには 皆こうするんだ。そうじゃなければ多くの人の様に泣き寝入りする事になる。相手が相手なら それに合った対応をするべきだ。コーションはあなたの権利なんだから」等々の活を入れ、居直った私は結局実行しましたーーー☆まあ 大家が真下に住んでいる事もあるから 2月だと誤魔化すのがキツイだろう、ということで最後の一月。
7月は家賃を踏み倒す☆ウフッ。
大家に文句を言われたらどうすればいいの???という私の心配にも航空券を買っちゃって 勿論払いたいんだけれど もうお金が無いの〜☆とか引越しの代金を払ってしまって払いたいのも山々なんだけれど払うお金が無いのぉ〜☆とか 丁度親に送金をお願いした所だから もうちょっと待ってください〜☆とか・・・そういう事を言って のらりくらりと1月をやり過ごす、との提言。はぁー。やはり外人&長期在住者は 強いわぁ〜、強くなきゃ、海外では駄目よねぇ、とつくづく感じた瞬間。
これがまた、普通の人のアドバイスではなく、不動産関係に精通していたり、また 法律関係に従事している人達のお墨付き“コーションで泣き寝入りしない極意”だったので ある意味 心強かったけれど。
でもねぇ・・・。
ついでに言うと 毎年1回 物価上昇率に合わせて家賃が上がる。これは大家の性格にも因るけれど 普通は1年に1回上がる。上がらないアパートは何年かに1回ドバッと上がったり・・・。このアパートでは毎年7月に家賃が上がったんだけれど その新家賃のお知らせも 見て見ぬ振り☆
ちなみに 家賃値上げの経緯。

  • 2001年7月 

Le nouvel indice de l'INSEE qui est de : 1098.00
doit etre compare a l'ancien indice qui etait de:1072.50
(INSEE=Institut National de la Statistique des Etudes Economiques 国立統計経済研究所)
この数値で物価上昇率を出されて この年は前年比で1.024%の物価上昇 だから3485F→3567,86F(家賃のみで計算。管理費は別)

  • 2002年7月 

1.036%(1137.25/1098.00)の物価上昇 だから 543,92E→563,36E

  • 2003年7月

1.025%(1166.00/1137.25)の物価上昇 だから 563,36E→577,60E

  • 2004年7月(完全無視)

1.03%(1200.50/1166.00)の物価上昇  だから 577.60E→594,69E

2件目、パッシーのアパートでは5月が家賃上昇月で 同様にして国立統計経済研究所のはじき出した数値に従って家賃も値上げされました。
余談だけれど この2件目に住んだアパートはパッシーに有るキチンとしたフランスの不動産屋さんを介して借りた、その不動産屋さんが直で管理していた物件。私が住む前のエタデリュー(状況確認)と住んだ後のエタデリュー、むしろ住んだ後の方がキレイになっていたから、なんとコーションは100%返ってきました〜!!!とは言っても 退居後、何度も催促しに直接足を運んだけれども。
“何も問題が無ければ3ヶ月以内に(あれ?2ヶ月以内だったかな?)保証金を返さなくてはいけない”って法律があるらしく、その事を不動産コンサルタントの方に聞いて「だから しっかり取りに行きなさい」と言われたし。
もちろん元々泣き寝入りするつもりは全く無いし、“外人で言葉も覚束ないといってなめるなよ(ニャン←古っ)”と言うスタンスで生活していた気の強い私だから☆ 「もう直ぐ法律で定められた3ヶ月になりますよねぇー。どうなっているんですかぁ???」など 嫌味の一つも言いつつ、しっかりがっちりレキュペった〜!!!!!やったね☆☆☆
ただ私の矢の催促でも 結局 期限を過ぎてからの返金だったけれど・・・。まあ、それはフランスだから、という事で大目に見て☆

2004年7月1日 クレイジーな24時間

同日、というか6月30日の夕方から7月1日の夕方までの24時間、なんとなくクレイジーな時間だった。
昨日の日記でも書いたけれど まず旅行代理店で自分の作品を日本の某有名ファッション雑誌の中に見つけたこと。作品を売ったのはそれより1年も前のことで それだけの時を経て ひょんな所でご対面。ビックリ!ドッキリ!クレイジーだー。(結局1年も売れ残っていたって事なんだけれどね・・・アハハ・・・)
そして日は変わって7月1日。
この日の仕事中 立て続けに2件 個人的な依頼の仕事の電話が入ってきた。帰国1ヶ月を切るこの日に!

一つは 同級生だった友達から。その友達は以前、なんちゃって就職活動の時に書いた(6月17日の日記http://d.hatena.ne.jp/a--------a/20050617#p1)同じクラスの優等生。その彼の勤め先は 今 クチュール界では珍しく上手く行っているメゾン。そこのデザイナーの右腕として 彼は優秀な手腕を発揮していた。
「7月のコレクション直前で、超超超忙しい。だからと言って他の人には頼みたくない。でも○○(私)だけは信頼しているんだ。だから出来る事なら1週間ほど働きに来て欲しい。お金は応相談だけれど いくらでやってくれるか?」との事。(ごめんなさい、彼の言った言葉なので、はい。自分を買いかぶっているつもりは全く無いです。はい。でも 感じ悪くてすみません・・・)
帰国まであと僅か、「もうパリのコレクションも体験できないのかぁー」とぼんやりと虚無感を感じていた所に その電話!!!「お金なんてどうでもいいからやるよ〜。手伝うよ〜!!!ただ、日中は自分の仕事があるからそれが終わった夕方からしか行けないというのと、帰国まで僅かだからその点で時間があけられない事があるかもしれない。それと働いた証明を文書で出して欲しい。(←これ、重要)その条件でそっちのボスがOKなら 明日からでも行くよ☆」と快諾した。
いや〜ん。最後の最後に 他のメゾンも経験できるなんて、なんてラッキーな誘い☆☆☆友達に激烈感謝。 
そしてその後 別の知り合いから電話。
一つ、オーダーを頼みたいんだけれど、という仕事のお話。その方にはフランス滞在中 色々とお世話になりっぱなしだったから ここは是非恩返しをしたいと思いお引き受けをした。
帰国カウントダウンを始めた日。その24時間が 5年以上のパリ滞在の中で一番クレイジーな時間だった気がする。
大波到来。
仕事、引越し、帰国売り、諸々の帰国に向けた事務処理に加えて 2つの仕事を引き受けた為に 飛行機に乗るまでビックリするほど時間に追われた生活をしていたけれど、そのお陰で他の人が感じるようなフランスを後にする時のセンチメンタルな気分には ただの1回もならなかったし、飛行機に乗って 即爆睡(酔でも有るなぁ)、うん、こんなドタバタな帰国も 有りかも☆と思ったけれど、うん。
激務・多忙・神経過敏な1ヶ月始まり始まり〜☆

2000年7月1日 エタデリュー(3件目のアパート)

前述の家賃滞納で触れた、そのアパートの入居日。10時半よりエタデリュー。
エタデリューは滞りなく終わって書類にサインをして、大家が出て行って数秒経った その時!!!
“ピキッ”とどこからか割れる音が聞こえた。
何だ???何だ?????と部屋を見渡すと 全面が鏡で出来ているクロゼットの取っ手の部分から 横方向に向かって割れ目が入っているではないか!!!
たった今 エタデリューをしたばかり、おお、これはエタデリューの契約書に直ぐ書き加えてもらわなくては私のせいになってしまう!!!!!!と思って 大家を呼びに行こうとするちょっとの間に“ミリミリミリミリーーー”という不快な音と共に その割れ目が徐々に横に伸びていった・・・
目が点になって その様子を見ていると その割れはピキピキとどんどん伸びていき「あ!!!」と思った瞬間
“パンッ!”
といって 真っ二つに割れてしまった・・・!!!!!!!!!
コワッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
でも 怖がる前に 先ずはエタデリューの書類に書いてもらうために大家を呼びにいこう、と 急いで階段を駆け下りる。
3分と経たずに呼びに来られた大家は「なに??」と怪訝そうな顔をしていたけれど、見てもらった方が早いと思って 兎に角部屋に連れて行き、見せる。
「おかしいなぁ。この間は割れていなかったのに。おかしい、おかしい・・・」という大家に「いや、なんか、割れていたみたいですよ。エタデリューの時は気付かなかったけれど今割れているのに気付いたから 今、書類に明記してください。」とお願い。
「おかしいなぁ」といいながらエタデリュー書類中の...2 portes miroirs bronze ...の箇所に線を引っ張って"fente niveau du bouton"と書き加え、首をかしげながら戻って行ったけれど。
初日から 超怖〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
鏡が割れるって 縁起悪いぃぃぃ〜(しかもこの後、2年ほどしてお風呂場の鏡も落ちて割れた☆きゃ〜)


(私は霊感は全く無い。けれど 確かに 部屋に入った時に 嫌〜な圧迫感があったんだよねぇ・・・ そして この家に入居してから 色んな問題続き。あ〜あ〜。迷信とか全然信じないけれど やっぱり よくなかったのかなぁ、あのアパート・・・)