須永朝彦の埴科便り

2016-08-18

郡司正勝『鶴屋南北』復刊

 長らく絶版になつてゐた郡司先生晩年の名著『鶴屋南北』(中公新書)が出版書肆を
變へて、此のたび講談社学術文庫より裝ひも新たに刊行されました。
 国立劇場等に於て『櫻姫東文章』1,『阿國御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすが
たみ)』2,『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』3,『貞操花鳥羽恋塚(みさお
のはなとばのこいづか)』4.『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』5,
など上演の絶えてゐた南北の狂言の復活上演にも盡力された先生が南北研究の仕上げと
して書き下ろされた瞠目すべき南北論であります。此の機會に是非お讀み下さいまし。

f:id:a-sunaga:20160818135437j:image:w640

1.〈清玄櫻姫〉の世界。上方の話を江戸に書替へたので外題に東文章と謳つてゐます。
  南座新橋演舞場歌舞伎座メトロポリタン歌劇場でも上演され、坂東玉三郎
  當り狂言となつたのは周知の通りです。
2.〈東山〉の世界。大和國佐々木家の御家騒動,一番目では怨み死にした後室阿國御
  前が美しき亡靈と化して跳梁、二番目には阿國御前の怨みを引き繼ぐ者として累
  (かさね)が登場するといふ作劇、時代世話一本立ての怪談狂言です。原作に無い
  帯解野(おびとけの)の場を設へ、あの六世歌右衛門が宙乘りを演じました。
3.舊(もと)は〈薩摩歌〜小まん源五兵衛〉の世界で、上方狂言五大力戀緘(ごだ
  いりきこいのふうじめ)』の書替ですが、何と『四谷怪談』の後日談の體(てい)。
4.〈源平盛衰記〉の世界に見える戀塚傳説を南北流に書替へたもの。此の復活上演で
  は故團十郎(現・海老藏の父)が崇徳院に扮して宙乘りを見せました。
5.〈祐天記〉の世界。累(かさね)の怪談が織り込まれてゐます。二番目序幕は
  あの淨瑠璃所作事、清元の「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」です。

かぶき 様式と伝承 (ちくま学芸文庫)

かぶき 様式と伝承 (ちくま学芸文庫)

かぶき入門 (岩波現代文庫)

かぶき入門 (岩波現代文庫)

2016-08-14

高原列車で甲斐の國へ

 四年近くもお目にかゝつてゐないので、思ひ立つて先日(8日)石堂藍さんに會ひに
北杜市まで行つてまゐりました。隣縣とは申すものゝ、車を持たぬ身ではローカル線
乘り繼いで行くよりほかに致し方がありません。
 最速で行けるのは、しなの鐵道(昔の國鐵信越本線)とJR小海線の乘り繼ぎですが、
目的地の小淵澤まで3時間餘りかゝります。小海線には全線を走る列車が少ないので、
早朝出發であります。普段通り5時過ぎに起床して支度を調へ、しなの鐵道千曲驛7時
23分發の電車に乘車、8時過ぎに小諸驛にて降り、小海線のホームへ。拍子抜けするほ
ど乘換へは簡單でした。全線2時間10數分かゝる(各驛停車で快速の類は無し)せゐで
せう、二輛編成なのにどちらにもトイレットがありました。此の路線は非電化で、気動
車といふものが走つてゐます。

f:id:a-sunaga:20160814145509j:image:w640

 小諸から十數驛の沿線光景(小諸〜佐久)は、田畑と住宅が混在する、しなの鐵道
沿線と餘り變りませんが、小海驛を過ぎるや俄然高原鐵道らしい光景が展かれました。
更に先の野辺山高原驛(八ケ岳東麓)にはJR鉄道最高地点(1375米)の標識あり、
また此處は〈中央分水界〉でもある由です。此の邊り(海尻甲斐小泉)は標高1000米
を超える高地にて、松原湖海尻佐久海ノ口佐久広瀬信濃川上野辺山清里
甲斐大泉甲斐小泉の9驛がJRの高地驛ベスト10に入る由であります。お天氣は快晴、
單線路の兩側には樹々の葉が迫り、緑陰鐵道とも申すべき趣き、甲州に入ると驛の附近
を除けば人家も見當りません。かゝる次第にて、さして退屈することもなく、10時30分
頃、爽やかなる心地で小淵澤に着きました。驛頭では洋風の綾羅(うすもの)とも申す
べき涼しげな夏衣裳の石堂さんが出迎へて下さいました。

 車で5分ほど、近くのリゾナーレといふリゾートホテルにちよつと佳い珈琲店がある
からと、お連れいたゞきました。軽井澤を創業の地とする丸山珈琲の第二店、ホテルの
中央廣場に面してゐて、廣場にも席が設けられてゐたので、日陰で涼風の通る其の席に
腰を下ろしました。普段なら温かいのをいたゞくのですが、列車内での水分補給が出來
なかつたので冷珈琲を註文、其の邊のものと違つて氷も適量で美味、應對も申し分あり
ませんでした。
 まづは久闊を叙して歡談、他聞を憚る話題にも及びましたが、差し障りのないものに
就いて少し觸れておきませう。翌日、石堂さんのツィッターを拜見しましたら『源氏
語』の話が呟かれてゐました。


石堂藍 @PiedraIndigo ・ 8月9日
昨日は須永朝彦さんが小海線を踏破なさって小淵沢までおいでになったので、久しぶ
りにお目にかかって歓談することが出来た。『源氏』をまた読みたい、とおっしゃっ
て、柏木の猫がね〜とお話になる。須永さんは猫好き。あのくだりには確かに異様な
エロティシズムが漂っている。】


 さうわたしは『源氏物語』が大好きで、十代の頃、愛誦歌人與謝野晶子の譯本が呼
び水となり原典に觸れました。その後、谷崎潤一郎円地文子の譯も含めて何度も讀み
返し、素敵な逸話や各巻の登場人物名など空で言へるやうになりました。それでも、
もう一度原文を讀み返したいと思ふところが隨所にあるのです。殊に現代語には替へ
難いといふか、移し難い獨得の修辭など。其の一つ、柏木の猫に關しては、かつて
サライ」誌の《この一冊》といふ欄のインタビューに應へて次のやうに喋つたことが
あります。

 「『若菜』の巻では猫がきっかけとなって柏木という貴公子が、光源氏中年からの
 正室女三宮(おんなさんのみや)と密通します。女三宮形代(かたしろ)として
 件の猫を可愛がる柏木を見て、彼に仕える女房たちが「あやしく、にはかなる猫の、
 時めくかな」と陰口を叩きます。「新参猫が不思議と御寵愛を受けておりますわね」
 となるのでしょうが、現代から顧みても面白く、かつリアリティの観じられる表現
 です。『源氏物語』には、こうした瑣末的な部分から得られる愉しみが沢山あるの
 です。」

 ほかに光源氏の美しさを語る表現にも觸れてをり、其の條(くだり)に就いても石堂
さんに話しましたが、其れに就いては「ビジュアル源氏物語」第85號:野分2にも書い
たことがありますので、そちらから引用しませう(元稿は新假名遣ひ)。

 「物語ゆゑ登場人物の大方は美貌である。ただ、原文で讀むと、形容が簡潔なので、
 容貌を想像するのが聊か難しい。光源氏はもとより欠くる所なき美男として描かれて
 ゐる。六、七歳にして品位と艶(つや)めかしさを兼備した、この世の物とは思はれ
 ぬ美貌(なまめかしう恥づかしげにおはすれば……/この世の物ならず清らかにおよ
 ずけ給へば……)の持主で、弘徽殿腹の皇女(ひめみこ)より遙かに美しかつたとあ
 る。彼の美貌は母譲りに違ひないので、母と酷似する藤壺の宮も源氏とよく似てゐた
 筈であり、〈光る源氏〉と〈かがやく日の宮〉の形容詞は交換可能と思はれる。桐壺
 更衣光源氏藤壺の宮・冷泉帝の四人は同じ顔だと想像しても差閊へないだらう。
  源氏の美貌は元服後も變らず、却つて精彩を増すのだが(あさましう、うつくしげ
 さへ添ひ給へり)、この世の物ならぬ彼の美しさを最も端的に示す描寫は『紅葉賀』
 の試樂の條、後宮の婦人達が見まもる中、御所の庭で十八歳(數へ年ならん)の源氏
 が「愕で函廚鯢颪嫋賁未任△蕕Α
  まづ、共に舞ふ頭中将を「花のかたはらの深山木(みやまぎ)」と形容して差別
 源氏の舞の見事さと容姿の美しさを際立たせる。そして、源氏を仇敵視する弘徽殿
 女御東宮の母)に「神など、空にめでつべきかたちかな。うたて、ゆゆし」と言は
 せるのだが、これは源氏の美貌を逆照射させて實に効果的である。」


石堂藍 @PiedraIndigo ・ 8月9日 わたくしは「野分」がわりと好き。義理の母との
姦通という前科を持つ父親が、自分も同じ目に遭うのを恐れて、息子に触れさせないよ
うにしていた紫を、息子が垣間見て衝撃を受ける。最終的には夕霧父親の轍を踏まな
いのだが、その危ういところ。遊び人の父を持つ、有能な息子の微妙な雰囲気。】


 當日、此の話は語られませんでしたが、私も此の條は好きです。『源氏』を三度も譯
した(「若菜」まで進んでゐた二度目の譯稿は大正大震災で燒失)與謝野晶子は「雲隱
れ」の巻を除く五十三帖夫々(それぞれ)の趣きを歌に詠んでゐます。
  ☆けざやかにめでたき人ぞいましたる野分が開くる繪巻の奥に
 此れが「野分」の巻に寄せた一首、石堂さんの仰った夕霧隙見(すきみ)の情景を巧
みに詠み込んでゐますね。
  ☆若やかに鶯ぞ鳴く初春の衣(きぬ)配られし一人のごとく    「初音」
  ☆盛りなる御代の后(きさき)に金の蝶しろがねの鳥花たてまつる 「胡蝶」
  ☆身に沁みて物を思へと夏の夜の螢ほのかに悵きて飛ぶ     「螢」
  ☆露置きてくれなゐいとど深けれど思ひ惱める撫子の花      「常夏」
  ☆大きなる檀(まゆみ)の下(もと)に美しく篝火もえて涼風ぞ吹く「篝火」
「初音」「胡蝶」「螢」「常夏」「篝火」、そして「野分」と續く六巻は、其れまで源
一家を覆つてゐた霧(難題や懸案の類)が霽れ、六條院の春夏秋が趣き裕(ゆたか)
に描かれてをり、讀者にとつても穩やかに氣分よく讀み進められる巻々だと思ひます。
 晶子の『源氏五十三首は、『榮華物語』二十一首、『平家物語』六首と共に「繪巻
のために」と題されて、第十九歌集『流星の道』に収められてゐます。
野分」のあとは「行幸」「藤袴」「眞木柱」「梅が枝」と續き、三十九巻目の「藤の
裏葉」で源氏の權勢は絶頂に達するので、物語は此處で幕を閉ぢてもいゝやうなもので
すが、作者は筆を擱きません。源氏紫の上朱雀院、柏木などが憂き思ひに沈む、あ
の長い長い不吉な巻「若菜」が始まるのであります。


石堂藍 @PiedraIndigo ・ 8月9日 須永さんとの古典の話では、ほかに『室町時代
語大成』読めないですよね〜という話題が出た。どこで文章切るんだ?みたいな感じだ
からw 仮名遣い、あるいは正字問題も、須永さんは自分の審美眼で通している。絶対に
正しい旧仮名遣いなんてものは存在しないから。】


 石堂さんは文學辭典の編纂・執筆なども手がけていらつしやるから、かういふ叢書
も目を通してをられるのです。此の『室町時代物語大成』は、大雑把に〈御伽草子〉と
呼ばれてきた室町時代の短篇(此の時代の長篇は『太平記』などの軍記物のみ)を集成
したもので全十五巻、1980年代に角川書店から刊行されました。
 原典は漢字は少なめ、變體假名を多用した毛筆の手書き本で、句讀點も振り假名もあ
りません。變體假名や漢字の草書に通じてゐないかぎり、まづ讀めないでせうね。此の
叢書の編纂者は全てを讀み解いた上で、そつくりそのまゝ現代の活字體(變體假名の活
字といふものは無いので、假名は現行の五十音)で再現させた、つまり研究の基本とな
るテクストを作り上げた譯で、寔(まこと)に立派なお仕事と申さねばなりません。で
研究者でない者には讀めません。此のテクストもまた句讀點・振り假名・改行があり
ません。假名遣ひも中世近世・近代では異なりますから「どこで文章切るんだ?」と
いふ歎きも生ずるのであります。
 明治以降に刊行された古典の活字本は、各作品を擔當した國文學者が校訂(假名に妥
當なる漢字を當て嵌め、ルビを振り、句讀點を打ち、改行を施す)を加へて讀者の便宜
を圖つたものなのです。
 私は曾て《日本古典文学幻想コレクション》といふ三巻本の編譯を擔當した時、參考
にした御伽草子の研究書にヒントを得て「子易(こやす)物語」といふ物語も撰んで
加へたのですが、讀み易い校訂本が出てゐなかつたものですから『室町時代物語大成』
収録のテクストを用ひました。一瞥して暗澹たる心地となりました。漢語(多くは佛教
語)が殆ど假名表記だつたからです。懺法・補陀洛山・迦羅陀山・兵亂・衆生利益・
比翼連理……などが全て假名で表記されてゐて、句讀點なしの棒のやうな文章の中に
紛れ込んでゐました。半日ほど考へた末に、まづ現代語譯用のテクスト(校訂本)を
自分で作ることにしました。短いものなのですが、一週間ぐらゐかゝりましたね。
石堂さんと話してゐて斯樣なことも思ひ出してゐたのでした。

f:id:a-sunaga:20160814145508j:image:w640
f:id:a-sunaga:20160814145507j:image:w640
f:id:a-sunaga:20160814145506j:image:w640

 午後には飯田克比呂さんが東京から見えて合流、石堂さんの御案内で白州といふサン
トリーのウィスキー醸造所へ赴き、レストランで遲めの晝食をいたゞきました。施設は
廣大な自然林の中に點在、試飲も出來るとのことでしたが、私が歸途に乘る豫定の列車
の發車時刻が迫つてをり、今囘は諦めました。比呂さんには新調PCに就いていろいろ
教へを受けるつもりでしたが、これも再たの機會にといふことで、送つていたゞいた小
淵澤驛から3時6分發の小海線に乘車、慌たゞしきことにて、お二人には申譯なく存ぜ
られました。比呂さんは、石堂さんの車で清里や八ケ岳山麓を廻られた由、後から伺つ
てちよつと羨ましく思ひました。
 往路の逆を辿つて3時間餘、6時15分頃、千曲に戻りましたが、往復6時間餘の列車
行は流石に身に應へて、沐浴・夕食もそこそこに就寝致しました。

 此方に引越す際に比呂さんから贈られたデジカメを持參したのに、白州以外の所では
殆ど撮影出來ませんでした。歸路も車窓から撮影を試みたものゝ硝子にいろんなものが
寫り込んで巧くゆきません。奇跡的(大袈裟な……)に一枚だけ、長野側から見た八ケ
岳の山容が撮れたので御覽に供します。

f:id:a-sunaga:20160814145505j:image:w640

 【追補】
 高原列車に乘つてきたのですから、何か其れらしい歌を貼り附けようと思ひながら
打つてゐるうちに忘れてしまひました。昔の歌謡曲には〈高原もの〉といつたやうな
小ジャンルがあつて、私も幼少時に聽いたメロディが幾つか耳に殘つてゐます。 
汽車の窓からハンケチ振れば 牧場の乙女が花束投げる……」といふ出だしで始まる
のは「高原列車は行く」といふ長調の明るい歌ですけど、此の歌詞、ちよつと變ですね。
「しばし別れの夜汽車の窓よ 云はず語らずに心とこころ……」と歌ひ出すのだから、
此れは短調で「高原の驛よさやうなら」といふ演歌です。私がいちばん佳いなと思つた
のは「高原の旅愁」ですが、此れは戰前昭和15年の發賣、昔の唄は長く親しまれたので、
戰後でも聽けたのでせう。伊藤久男の持ち歌ですが、SP盤使用で音があまり良くあり
ません。そこで滅法歌の巧いセミプロみたいな正體不明の男聲のカヴァー歌唱も貼り
附けておきませう。こちらの映像は高峰三枝子佐野周二関口宏の父)共演の松竹
映畫『高原の月』(昭和17年)が使はれてゐます。ちあやんと歌詞にも信濃路といふ
言葉が出てきますよ。因みに、男性が歌つてはゐますが、歌詞は女性の一人稱です。

 ★伊藤久男
 https://www.youtube.com/watch?v=dkTzsHlTZBI&nohtml5=False

 ★SU SU(男女數人から成る歌唱集團か?)
 https://www.youtube.com/watch?v=lIBQxdm-ZvY&nohtml5=False

2016-08-02

八月朔日 MY FAVORITE SONGS

★「サマー・ワインナンシー・シナトラ/リー・ヘイズルウッド
〈Summer WineNancy Sinatra with Lee Hazlewood (1967)

 八月になつたので、暑氣拂ひに涼しげな歌をアップ致しませう。
 ナンシーは言はずと知れたフランク・シナトラの娘さん。デュエットの相手
一聽「何だ、此の聲は」と迫るハスキーな低音の聲の持主リー・ヘイゼルウッド
ソングライターで然もプロデューサーださうです。もともとはB面で、日本でのみ
A面發賣でありました。
 今聽いても、やはりナンシーよりもリーの聲の方が耳に殘りますね。
f:id:a-sunaga:20160803001627j:image:w360
f:id:a-sunaga:20160803001626j:image:w360
f:id:a-sunaga:20160803001625j:image:w360

https://www.youtube.com/watch?v=IBOTlIrt368

2016-07-28

「ユリイカ」8月号▽特集《新しい短歌、ここにあります》

f:id:a-sunaga:20160728173951j:image:w640
 久しぶりに短歌に就いて記しました。
 題して「歌文半世紀〜幻の夢をうつゝに見る人は☆序章」
 イケメン特集の時に聲をかけて下さつた、それこそイケメン藝能人のやうな
お名前の明石陽介さんから「須永さまご自身のご経験としての短歌と時代との
関係、そこからさらに幻想文学とのかかわり、絢爛にしてしかし、そればかり
ではない短歌の時代についてお書きいただけないかと考えております。特に幻
文学短歌、あるいは創作それ自体のつながりには、個人的にも大いに興味
を惹かれるところでもありますし、ご助力いただければうれしく存じます。」
といふメールをいたゞきました。
「お申し越しの件、何とか書いてみませう。私も到頭七十歳に達し、強靱と思
つてゐた記憶の帶の其處此處に蟲喰ひの痕が目立つやうになりましたので、
此の邊で確認しておかうと考へる次第であります。私は1966年、廿歳の春に
塚本邦雄先生から師事する事を許され、以後六年間、短歌のみならず文藝全般、
また音樂・映畫・美術等々に亙つて筆舌に盡せぬほどの教へを賜はりました。
結局私は歌壇なるものに馴染めず、先生の許を去り、散文に途を求めて今日に
至つた譯ですが、先生の御紹介で識ることを得た先輩、歌人俳人詩人・作
家・畫家たちも、今や皆さん逝かれて、お元氣なのは四谷シモンさん、相澤啓
三さん、高橋睦郎さんぐらゐでせうか。金子國義さんや中井英夫さんに就いて
は機會を得て記すことを得ましたが、個々にではなく一つの時代(1965〜75年)
群像として捉へてみたいですね」云々といふ返信を送りました。
 冷靜に考へれば、今の私の能力では斯樣な事を僅か十數枚に纏めるなどは
出來ない相談であり、此の時は恐らく正氣を失つてゐたのだらうと思はれます。
押入にぎつしりと詰まつた段ボール箱を片端から開けて其の昔の資料を捜して
ゐたら熱中症に罹つてしまひ、締切を前にして焦りも加はつて、兎も角も打ち
始めたのですが、案の定、發端から幾程も進まぬところで指定枚數に達して
しまつたのであります。打ち直す時間は無いので、タイトルの末に「序章」と
附すことで明石さんに収めていたゞきました。
 續きは此のブログにでも連載するか、または書き下ろし(現在6點も抱へて
ゐるのによく言ふよ)で纏めるか、自信はありませんが、左樣なことも考へて
をります。

 己の事ばかり記しましたが、特集の内容は下にコピペして御覽に供します。
 執筆者は殆ど面識の無い方ばかり、岡井さんには一度お目にかゝつた記憶が
あります。井辻さんには舊著『ルートヴィヒ鏡ぁ拏紘の折に御助力をいたゞ
きましたが、當時から大変な才媛でいらつしやいました。
 黒瀬さんには『黒耀宮』を上梓された頃に何度か會つてをります。築地明石
町の舊居に見えたこともありました。お召しになるものも獨得で、美しい方で
したね。特にプロフィールが素敵で後に
「所在なき夜に偶(ふ)と憶ふ横貌の美しかりし珂爛よいづこ」
などと詠んだことがございます。

***********************************

ユリイカ2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります
定価本体1300円+税/発売日2016年7月27日/ISBN978-4-7917-0312-8

■対談
ささやかな人生と不自由なことば/穂村 弘 最果タヒ

短歌/イラスト
愛たいとれいん/雪舟えま

■新作5首
舟の尾/俵 万智
あんぐり五首/巻上公一
平成私事/戸川 純
ミヤネ屋を見る/斉藤斎藤
解散主義/瀬戸夏子
蕩児/結崎 剛
共喰いする鳩/井上敏樹
書物物語/福永
胸ときめいて/木下古栗
記憶を浚うとふと底にざらつく、日々の澱/ミムラ
世田谷の善き友たち/壇蜜
片目で語れ/DARTHREIDER a.k.a.Rei Wordup
花を枯らさないための暮らし/澤部 渡
生きていないわたし雨宮まみ
双極卍解わたしはくたばりたくない/ルネッサンス吉田

■共作
あの声とあの恋/木下龍也+尾崎世界観

■ある歳月の記憶
短歌と非短歌の歌合 詠むことの永遠と新しさについて/
  岡井 隆 聞き手=東直子
歌文半世紀 幻の夢をうつゝに見る人は☆序章/須永朝彦
マルシェとしての『かばん』 遊びをせんとや/井辻朱美
短歌の新しさ/加藤治郎
インターネット短歌荻原裕幸

■うたびとたちの現在地
共感は時空を超えて/鳥居 聞き手=編集部
比較の詩型 そして比較できないもの/吉川宏志
カラスウリの花と顕微鏡/永田 紅
〈それ以後〉の空/井上法子
またいつかはるかかなたですれちがうだれかの歌を僕が歌った/
 枡野浩一 佐々木あらら
そのオモチャ箱には念力家族が入っていた/佐東みどり
僕が「君」のことを詠う理由/鈴掛 真
純粋病者のための韻律/梅実奈

■受肉する詩歌
□街のみる夢 『月に吠えらんねえ』の世界/清家雪子 聞き手=黒瀬珂瀾

■三十一文字のポエティクス
タブーのない短歌の世界を 「歌会始」を通して考える/内野光子
現代詩と短歌 翡翠少年/藤井貞和
《教養》としての《性愛》/石井辰彦
文体は、あなたである。  主に正漢字を巡って/黒瀬珂瀾
現代短歌フランス文学 抒情詩の〈私〉をめぐって/吉田隼人
たたたたたたた魂の走る部屋 歌会とコミュニケーションについて/石井僚一

■資料
あたらしい短歌キーワード15/石川美南+山田 航

2016-07-21

受贈本紹介

 頂戴した書籍はもつと澤山あつたと思ふのですが、何處に隱れたのか、
見つかりません。 取り敢へず、目についたものだけでも紹介しておきます。

★ヴァーノン・リー幻想小説集『教皇ヒュアキントス』中野善夫:譯*国書刊行会
f:id:a-sunaga:20160719115257j:image:w640
 一年以上も前のものなので、最早新刊とは申せませんが、佳き書ゆゑ載せて
おきます。 柳川貴代さんの裝丁、林由紀子さんの裝畫、美しき書物であります。

★相澤啓三歌集『音叉の森』書肆山田
f:id:a-sunaga:20160719114854j:image:w640
 詩人の三冊目の歌集、大患を乘り越えられた前後の詠草が収められてゐます。
相澤さんが此れまでに詠まれた首數は、歌人と稱へ乍ら長らく無詠の私の其れを
はるかに上囘るのではないかと思ひます。
  〇ぬばたまの他界にわたる貌鳥は音なく来居てわれに見入れり
  〇シャルリスに拐されてオー・シャルのクロークにわが預けし時間
  〇美しき星滅びむといたまざれ若きらになほ美しき時
  〇わが性(さが)を手鎖にして書かざりし重きことども闇に沈めり

大井学歌集『サンクチュアリ角川書店
f:id:a-sunaga:20160621160909j:image:w640
  〇十本の指ににほんの名無し指ありて冷たき水掬ぶかな
  〇楽器持つひとを眼で追うわが癖のとりわけバイオリン背負う少年
  〇死ののちも聴覚しばし活きいるとわれならぬもの音をきくもの

★「Fukujin」No18*特集:追悼 松山俊太郎
f:id:a-sunaga:20160719114855j:image:w640
 松山さんに初めてお目にかゝつたのは新宿花園神社社務所にて催された
加藤郁乎さんの出版記念會(1971年頃)であつたと思ひます。其の後、
相澤啓三さんのお宅で偶々同席の折、俳句の雜誌に執筆してゐた連作小説を
指して「文章に妖氣がある」と仰つて下さいましたが、まさか松山さんに
褒められるなど思ひもよらなかつたので、其の時は揶揄(からか)はれた
のだと思ふことにして、遣り過しました。然し其の後は一種gallantlyを
以て應接をたまはるやうになり、「藏書を見たい」とか仰つて築地明石町
舊居に見えられた時は膽を冷やしたといふ想ひ出があります。
 此の特集號では寄稿者が敬愛の念を以て稀世の梵文學者の〈人となり〉を
語つてをられ、拜讀してゐて目頭が熱くなりました。殊に、松山さんの
最期を看取られた丹羽蒼一郎さんの「蓮の臺に乗るまでに――(病院での
日々)」と「松山俊太郎年譜」には感銘を受けました。
「Fukujin」は日蓮宗系の先鋭的かつ甚だユニックな佛教研究誌にて、
表紙誌名の下に〈漬物から憑物まで〉と謳つてゐます。バックナンバーの
問ひ合せ先は下記の通りです。
 ◎福神研究所『福神』編集部=Tel:0545-52-0059

★「パルナッソス」創刊號
f:id:a-sunaga:20160621160908j:image:w640
 池袋池三商店街の古本屋さんの創刊になる同人誌同人の益岡和郎さんが
送つて下さいました。創作欄もありますが、巻頭の座談會《池袋書店今昔 
書店文化の発信地としての池袋》が面白い。私は若かりし頃、新宿牛込の
矢來下、すぐ傍の神田川江戸川橋を渡つた文京區側の水道二丁目に15年間ほど
住んだことがあります。有樂町線が通じてからは時々買物に出かけましたが、
たいていの用事は二つの百貨店パルコで濟ませて町中には殆ど出なかつた
ので、此の座談會記録を讀んで些か悔んでをります。
 ◎千年画廊=Tel:03-5956-8186、Meil:shion_kanzaki@yahoo.co.jp

★「幽」yoo/Vol.24
 特集:リアルか、フェイクか
f:id:a-sunaga:20160719114856j:image

★「幽」yoo/Vol.25
 特集:人形/ヒトカタ
f:id:a-sunaga:20160719114857j:image:w640

音叉の森

音叉の森

歌集 サンクチュアリ (新かりん百番 86)

歌集 サンクチュアリ (新かりん百番 86)