宇多田ヒカルと死ね死ね団

ジュノ・ディアスという作家の『オーロラ』という短編を読むと、なぜか宇多田ヒカルのデビュー曲のPVがフラッシュする。暗闇にいとしい人の影。それが目につく。
で、宇多田ヒカルといえば、死ね死ね団がフラッシュする。『稲中』の死ね死ね団
その後は、原宿駅の竹下口の前にある(今もあるのかな?)Tシャツ屋の稲中Tシャツ。全部、ぼくの脳内活動。
その昔、事務所が原宿にあったとき、ランチに出て、そのTシャツ屋の前を通ると、その稲中Tシャツが目に入る。すると、宇多田ヒカルがフラッシュ。…で、ジュノ・ディアスの『オーロラ』。
こういう過程をいつも踏んでいた。

人間の記憶とか、時間のつながりとかを、そこでよくぼくは思った。でも、残ってるそれは、一応、自分のセンスの範疇に許されたもので、嫌いじゃないんだろうな、とも思った。

特に、その中で、宇多田ヒカルに関して、別にどうと思っていなかったのが、そういう範疇にあるもんなんだと、認識するに至ったというわけ。

それから既に、5年くらいたってるかも。なにをやってるんだ、どいつもこいつも。
4年前のある日、サイケな世界に旅した日があった。そのとき、なぜか死ぬと思った。結局、死ななかったが、それは十数年たったら、巡り会うべく運命にある人と、巡り会うべくして巡り会うという啓示を得たからだ。それがいつくるか、ぼくは待ちわびている。

いま、書きたいことをつらつらと書いてみた。それだけです。