VESTIGIAL TAILS/TALES : akihito aoi’s blog

2016/04/30

[復刻]AAR Sep.2011, 台湾の都市発生学(聞き手:松島潤平+藤村龍至)

この記事、掲載サイトが事実上消滅してしまったので見れなくなっていました。松島さん、藤村さんの許諾をいただいたのでこの場であらためて公開させていただきます(おかしなところには手を入れました)。

AAR(Art and Architectural Review, Sep.,2011 special issue: Asian Global Cities)

台湾の「都市発生学」青井哲人(聞き手:松島潤平+藤村龍至

建築史家の青井哲人氏は、京都大学布野修司研究室を経てアジア都市史・住居史研究や植民都市・建築研究に携わっており、特に台湾における建築・都市の近現代の成り立ちと展開について詳細な研究を行っている。今回のインタビューでは、アノニマス台湾建築の特徴を教授いただきながら、台湾独特の都市構成とそのグローバルな展開について、都市発生学の見地から様々なお話をうかがった。


列壁都市論 −Wall to Wall Architecture−

松島|まずは台湾建築・都市のタイポロジカルな特徴について教えていただけますでしょうか。

青井|現在も続いている台湾の都市の基本的なあり方として、「壁でできた都市」という点に注目して色々と調査を行っています。都市の特質を「列壁都市」、建築の特質を英語で「Wall to Wall Architecture」と造語で呼んでいます。

tissue_wutiaogang台湾は日本とずいぶん違って、現在も市街地の大部分は町屋型の建物で出来ているんですね。とにかくこの形式の根強いことが台湾の都市の特徴だと思います。町屋ひとつの間口を指して「一間」と数えるのですが、間口サイズは古いもので4,5m、新しいもので5,6mくらい、中庭を挟んで奥まで深く展開していて、平入りの屋根を連ねて延々と並んでいます。奥行は標準的には20-30m、長いものになると100mを超えるものもあります。必ずホールがあって廊下があって部屋があり、中庭を挟んで繰り返し、という形式です。構造は大体木造で、壁はレンガ、屋根は瓦葺です。狭い道を巡るとところどころ広場があって、広場があると廟(びょう)がある。街並は大体そんな構成になっています。

現代の町屋ディベロッパーがたとえば十間などの連棟形式で一気に建てます。このスタイルは1960年代から都市開発の典型としてディベロッパーの基本ツールになっています。郊外でも国道沿いにこれから市街化していくぞっていうところはディベロッパーが安く土地を買って十間とか二十間単位で建てていくんですね。建てたその後は一間単位が持ち主によって様々に更新されていくわけです。

ting_a_kahこれらの町屋はどれも「亭仔脚(ていしきゃく)」というピロティ的な空間を前面道路沿いに備えています。私有地ですが、通行人が往来出来るように解放されていて通り抜けができるようになっているわけです。これは本来、伝統的には無かった形式なんですが、清朝の末期に派遣された官僚台北で実験的にやり始めたことを、日本の植民地政府が引き継いで法制化したものです。市街地の指定地域では規定の奥行と高さの亭仔脚を設けることを義務付ける形態規制が為されて、それが戦後もそのまま受け継がれて現在まで続いています。

1910年くらいまでは平屋、1920年代にはレンガ造で二層のものが増え、1930年代からだんだんとモダンスタイルになってきて三層が出現し、第二次大戦終戦後には四層が一般化します。今でもディベロッパーが作る連棟式町屋の標準はだいたい四層くらいです。プランの原理は基本的に以前と変わらず垂直に面積を増やしながら積み重なっていくので、四層の中庭というと本当にライトウェルという感じで、ズドンと抜ける空間になっています。

「透天」というのは天まで通るという意味で、土地に乗る建物の下から上まで全部をひとりのオーナーが所有する。平面方向は間口ごとに壁で仕切られており、それが所有境界そのものになっています。

藤村|壁は二重になっているのでしょうか。

青井|壁は原則的に1枚の共有壁になります。[補注:開発の単位が違うものが接するところは壁は2枚になるが、接着しているので事実上は1枚。近年では建て替え時に隙間を空けるのが一般的になりつつある。]

松島|建物は四層止まりになるから台湾の都市のスカイラインは低めなんですね。

青井|ビジネス街には高層・超高層が集中して建ちますが、基本的にそれ以外のところは二層〜五層くらいの建物がずっと連続していきますね。

藤村|更に大きなまとまりとして、街区レベルではどのような特徴が見られますか。

青井|基本的には市街地であれば街区は町屋で埋められます。ここではちょっと歴史的な特徴を紹介しましょう。

changhua_dualism台湾中部の彰化という街で、街区ブロックのなかを走る路地が、街区を超えてつながり、ネットワークをなしています。なぜこんなことが起こるのかと最初は不思議に思ったんですけれど、どうっていうことはなくて、本来それが古い道で元々これに町屋が張り付いていた。そこに日本植民地政府が上から重ねるように都市計画をしたんですね。これが市区改正というものですが、計画内容は日本のそれと全然違っています。

changhua_fragmentもともと日本の都市は中世京都以降、街を作っていく計画のシステムが確立していき、基盤整備と都市計画がはっきりとしたパタンを持っていて、江戸でもそういった基本的なパタンがある。東京の市区改正は基本的にはそれを拡幅する形で行われたんですが、台湾の場合は自然発生的に道が出来ては家が立ち並んで廟が建って --- といった状態だったので植民地官僚としてはとてもそれを拡幅してもまともな都市基盤など出来ないと考えたのではないかと思います。それで既存の街路網とはまったく無関係なグリッドをかぶせた。しかし、だからこそ、かつての街路網は「網」としての特性さえ残しているのです。暴力的な改造が、むしろ先行する形態をよく残すという関係に気づいたときはちょっと驚きました。

しかしこういう改造が行われれば、商店は新しい計画道路に面する土地へ移っていくので、都市組織の餡(アン)と皮(カワ)がプログラムレベルでは入れ替わってしまい、内側は居住区として寂れていく、というか安定状態になって残っていくという構図になっています。寺廟も街区の内側にたくさん残されます。破壊されるものに無関心、残るものにも無関心というような改造をしているんですね。最近もほとんど同じことをしていて、上から新たな計画を重ね、切り裂いていくことで都市の組織が出来上がっています。

以前、新しい道路で切断された箇所が具体的に建築レベルでどう解決されているのか、サンプルを集めるサーベイを学生が中心となって台南で行いました。つまり台南も彰化と同じように改造されたわけです。言ってみれば、土地-建物が道路によって切断されたとき、そこにどう継ぎ当て(パッチ)をしているか。切断への反応の様式みたいなものを調べたんですね。たとえば斜めにカットされた町屋では、バルコニーを三角形にしてそのズレを吸収している。どうってことないですが、そういうことに気づくと、この種の「鋭角町屋」は無数に見つかります。それから、道路によって土地が削られたけれども法規的に亭仔脚を取らなければいけないので一階がなくなってしまって二階へ梯子で登る状態のもの、使わなくなった路地をふさいで建てたマイクロ町屋。一階部分が亭仔脚しかないので「純粋亭仔脚」と学生たちは名づけましたが、これも意外にたくさんある。他にもいくつかの反応パタンが見られましたが、どんな切断のされ方をしても、町屋形式を実現することを諦めることはほとんどない。残骸のような土地を町屋に戻すための局地的な解決の痕跡が集積して、都市組織はみごとに再編され、縫合されています。そういう都市組織のダイナミズムのなかでの安定性(平衡)を見ようとしたサーヴェイです。

void_t_lところで町屋は隙間なく建っているので、ひとつ解体されるとそこだけセルの抜けたような風景になります。両側の壁は隣戸との共有癖なので絶対残る。いってみれば間口約5m、奥行き30m程度の立体的なインフラが残った状態になるんですね。そうすると次に行われる建築行為というのは、この立体インフラの中を充填することです。これが日本の都市との決定的な違いで、そもそも隣とのあいだに隙間がないので、基本的に建築は「地面とその上物」という捉え方でなくて、「地面+共有壁」がインフラとして常に残ってその間を充填する、ある種「造作」が建築行為そのものと考えられているのではないかと思うんですね。このために都市組織というのもどこで切断されようとも基本的な原理は保ったまま、パッチをしてみたり、角度を調整してみたり、90度方向転換してみたり、ということで柔軟に対応していくということになります。しかし、立体インフラという意味での共有壁が強固な持続性を持つことで、いわばデザインにあたって考慮しなければならない条件が非常に縮約されていることも重要です。

藤村|建築という単位が都市をつくる、という概念ではないんですね。

青井|日本では「都市型建築を確立しなければいけない」ということがしきりに言われますが、台湾においてはそもそも建物という独立した形の上物ユニットを並べていく発想が全く無い。我々はどうも都市を考える際に「建築」にとらわれすぎているような気がします。台湾都市は、コルビュジエの「これからの建築は機能というものを内側から吹きこんであげて内側から膨らんだものが建築の外形を作るんだ」というシャボン玉建築の概念が全く無意味な世界ですね。コーリン・ロウが批判しているフリー・スタンディング・オブジェクトのような発想は全く無い。

walls既成市街地では稀なことですが、たまたま再開発か何かで面的に廃墟になってしまった地区を見たことがあります。屋根や床が崩れ落ちて何枚もの共有壁が静かに姿を現していました。その「造作部分が抜けた5mピッチの壁が道路に直交して並んでいる」という姿が、台湾都市の原イメージそのものなのではないかとそのとき思いました。それを「列壁都市」と言っているわけです。「Wall to Wall」というのはマックス・ウェーバーの『都市の本質』(The Nature of the City, 1921)という本にそういう言葉が出てくると教えてくれた人がいて、まあウェーバーを引くまでもないありふれた表現だとは思うのですが、「都市は家が密集していて、家はWall to Wall、壁を接して作られている」とありました。これをちょっと読み替えて、「都市では家は“壁から壁までの間に”作られる」、「Wall to Wallに建築が作られる」と考えて、フリースタンディングな建築とは違う「Wall to Wall Architecture」という言葉で都市〜建築を捉えてみようと考えました。

tectonicsこの関係は、さらに構法のレベルで補強されているようにも思います。K.クラプトンの『テクトニック・カルチャー』にならっていえば、伝統的な町屋の場合、壁はステレオトミクス(切石組積術)、造作的な部分は木で出来ていて軸組架構、つまりテクトニクス(結構術)になっている。ステレオトミクス的な壁がインフラとして残り続ける役割をしていて、柔軟に組み替えられる部分がテクトニクス的にできている、と構法的に考えると説明しやすいのではないかと思っています。


都市発生学の構想

青井|台湾の都市を調べていくなかで得た考え方ですが、台湾に限らず東京も、願わくばヨーロッパも含めて「都市発生学」という捉え方で分析していきたいと考えています。ある時間軸の中で都市組織を考える、つまり更新していく時間的なプロセスのなかに構法の問題や土地所有の問題を入れ込んだ形で、都市がどういう振る舞いをするか。都市は自らの何を編集し、何を保存しながら生き続け、変容していくのか。そんなことを実証的かつ理論的に考えたいと思っています。生物学における発生学のように、モノが持っている秩序が時間の中でどう展開して形を生成していくのかを知りたい。何らかの形態秩序がうまく咬み合っていれば都市組織は生命のように柔軟に生き続けられるはずです。そういう観点サーベイしていきたいと考えています。

一般的には都市の調査や集落の調査をして論文を書くと、スタティックな空間構成の分析をモノグラフとして書いたものになりがちで、歴史的に見ていく場合も、ある時期にはこうだった、この時期にはこうだった、と輪切りの時間になってしまうのですが、そうではなくて、「ある時点でこうだったものが微細な時間の中でどう動いていくのか」という連続的展開(デベロップメント)を考えるのが大事だと思っています。生物学では「発生」(デベロップメント)というと、個体が生まれてからたどる構造変化の全プロセスを言うんですが、都市もこのように発生学的に捉えて、モノと時の組成みたいものを見出さないと都市への建築的介入の基礎理論ができないのではないかと考えています。

生物学だと例えば微生物がどう増殖していくかという実験をする場合、それだけを取り出してシャーレの中に置いて理想的な状態にして挙動を観察していくわけですが、都市の場合、例えば戦争でゼロになったとか、台湾の都市であれば市区改正でバサッと切断されたとか、極端な出来事が起こった時点を選んで、それに対して都市がどう動いていったかを歴史的に復元しながら考えていくことは出来るわけで、それをシャーレの中の実験と同じように考えてみようということなんですね。生物学ではガラスの中でということで「イン・ビトロ」と言いますが、それにならえば「イン・ビトロな都市史研究」のようなことが出来ないか思っています。

東京の場合だと関東大震災後の復興について田中傑さんが非常に緻密な研究をしていたり、初田香成さんは闇市の研究で第二次世界大戦焼け野原だった東京から何がわき起こって更新されながら現在に至っているのかを調べていますが、それもイン・ビトロな、微分的な組成の転換みたいなレベルの研究だと思います。さきほどからお話しているのもすべてイン・ビトロ的な台湾都市の観察のつもりです。

もうひとつ、最近考えていかなきゃと思っているのは、「都市は学習する」というテーマです。日本だと区画整理や市街地再開発法というのがあって、もともと持っている権利を違う土地や床に変換できる制度が非常に発達しているんですが、台湾の場合は植民地支配時代の50年間、植民地政権の権力が強いために土地を政府へ差し出させることが出来たので、ややこしい権利変換の手続きを取らずに都市改造が出来たんですね。都市組織が切られると、切られた分がただ無くなる。そして切られた人が個別に応答する。だから権利変換の経験学習がほとんどないかわりに、パッチを当てたり、局所的な修正の作法を集合的に学習してきた。これも列壁都市の原理を保存してきた要因でしょうね。なぜならこういうやり方を続けるかぎり、構造そのものは意識化しないで済むからです。このことがある意味、それぞれの土地所有者のできることの選択肢を狭めてきたわけで、それがマクロで見ると都市組織の安定性というものを確保してきているとも考えられる。

例えば日本の江戸京都ではかつては列壁都市的原理があったと言えるのだろうか、と考えたとき、実際に日本の町家は木造の軸組で全部出来ていて壁が共有されることはありません。隙間がほとんど無いというケースは多いんですけれども、壁は必ず二つ立っているんですね。明治期になると民法の外壁後退義務が出来て、隙間をとることが常識として学習されることで都市組織の安定性が崩壊してきた、という歴史を考えなければいけません。ほかにもヨーロッパの都市は中世以来の都市核はすごく安定性がありますよね。むしろ台湾のように更新すら起こりませんが、戦争で破壊されて再生された都市はドイツにも東欧諸国にもありますし、フランスではペレが全部計画したルアーブルの例があったりします。そういったところではどのように都市を見ればいいのか。うちの研究室から留学生を送りながら都市発生学的に都市を見てみようと考えています。

松島|権利の等価変換が当たり前の我々にとってみると、台湾不動産動産の仕組みがどう成立しているのか、想像が及びません。

青井|そうですね、戦災復興とか都市再組織化の国際比較みたいなものができると基礎的な資料ができるのではないかと思っていますが、不動産の観念や制度、所有や賃借というのは、売買や保証、変換といった「動き」が起きるときに破綻が生じないように作られているはずですよね。つまりスタティックな状態では制度はあまり問題にならないはずで、むしろ何かが動くときに機能するように制度って設計されているはずだし、その背後の思想にダイナミクスが反映されているはずです。だから不動産の考え方とか制度を丹念に見ていくことが都市発生学的な見方の基本的な部分になるはずです。

台湾の場合だと民法上どう規定されているか、例えば一間分だけ壊すという場合、当然共有する壁は壊してはいけないという民法上の規定はあるはずですし、積み増しも隣人と協議して近隣関係の問題を処理しているはずです。それからそもそもの開発の方法については向こうのディベロッパーの戦略を調べればよいはずです。それが台湾の都市空間のマジョリティがどう出来ているかを知るうえで一番手っ取り早いだろうと思っています。

藤村|東京をイン・ビトロ的に見る場合、どのようなところに着目されていますか。

青井|まずは実際の都市の歩みのなかで行われてきた権利返還のドキュメント、空間やモノが組み替えられるドキュメントを豊富化することが大事だと思います。一例ですが、曳屋(ひきや)はとても面白いですね。都市が動くだけじゃなくて建物も結構動かせるんですよね。関東大震災復興の時は建ぺい率を通常よりより少し小さく設定してバラックを建てさせてるんですよ。区画整理の計画が決定したあと、それを曳屋で動かして換地していくんですね。藤森照信さんや田中傑さんも書いてますけど一年半で二十万棟を引越しさせたらしい。そのときのバラックは、形式としては町屋と一緒なんですけれど、簡単な木造で軸も細くてペラペラ。まず「自分たちで勝手に作れ」と誘導しておいて、区画整理ができたらそれを動かして、「区画整理が済んだら各自で更新してください、その時は通常の法律を遵守してください」と進めていくんですね。曳屋という、一般にはインフォーマルと捉えられがちな技術を組み込みながら政策決定がされてきたことは面白い。

別の例ですが、駅施設自体がめちゃくちゃ立体化して複雑化するというのが日本の都市の大きな特徴ですね。都市の中に縦横無尽に線路が入っていって駅を核に都市が膨張して、駅自体は商業施設をたくさん積んで複合していく、というのはグローバルに見ても特徴的だと思うんですが、そういったところもどのようなシステムで出来ているのかを発生学的に調べてみようと思っています。


台湾独特の都市組織の安定性

藤村|台湾の都市空間の構成・組織が安定しているひとつに、ディベロッパーが用意している透天形式も関係しているのでしょうか。

toutiancuo_taipei青井|もちろんそうですが、ディベロッパーがそれをツール化したのは戦後で、もともと漢人には透天的に所有するのが当然という観念が伝統的にあるんですね。自分の上に人が住んでいるのは好まない。加えて、不動産の所有に対するこだわりが非常に強いです。その背景の一つには相続の問題があって、息子の数だけ分けてあげないといけないというのは未だに根強いんですね。町屋敷地と建物を四層くらい持っていれば下の二層を長男にあげて上の二層を次男に上げるとか、それでも足りない場合はどこかで買ってあげるとか。日本と違って男子に均等に分ける。それとたまたま植民地期に技術的な条件が変わり、かつ土地のポテンシャルが上がったので、二層、三層、とだんだん積層が進んで、それがディベロッパーの基本ツールとして確立しちゃったと思うんですね。

松島|日本も不動産欲望が強いと思いますが「自由に変換できるからこその欲望」と、台湾の「守ることの欲望」と、欲望の色合いが違うんでしょうね。

藤村|文化的な形式が残っていることと、計画がものすごく強く働いたという二点が大きいということでしょうか。

青井|そうでしょうね、植民地支配を受けたことが非常に大きいと思います。日本国内のように地主の権利を尊重しないと議会を運営できない状態であれば、まったく違う状況になったと思いますね。植民地はそうでなかった。

藤村|宮本佳明さんは区画整理をやめて市区改正に戻せば街並は保存されるから、そちらのほうが良いとおっしゃられていました。しかし聞けば聞くほど、台湾は日本人建築家の考える都市論の聖地のようなところですね。

青井|ところが台湾建築家台湾都市が大嫌い。だって造作しかできないんですから(笑)。日本に来ると、日本人建築家が羨ましいといいますね。

藤村|日本は1920年代に震災復興で大々的に区画整理が行われてきて、60年代には再開発が行われるようになりましたよね。経済成長していくと高度利用が出てきてタイポロジーが変化していきますが、台湾の場合はそういう工業化や経済成長という時期を経て、どのような状況にあるのでしょう。

青井|当然ながら町屋で全部押し切るわけにいかなくなってきた状況が高度成長期以降出てきていて、政府の官庁地区とかセントラルビジネス地区を見ていけば、大きな資本が町屋だった場所を買い占めてタワーを建てて公開空地を作っていたりします。そうなるとまったく列壁の街並が無くなることもありますが、タワーを建てても低層部のファサードに亭仔脚をつけたり、4層までは町屋に揃えてそこから上はセットバックして建てたり、と一見した街並を壊さない事例もあります。台北高雄や台中のビジネス地区は公開空地を取ったタワーがかなり増えていますね。それに旧市街地の中心ではここ十五年くらいのあいだに衰退と空洞化が進んでいて、空家率は上がってきていると思います。そういった意味でやはり都市組織は徐々に変わってきていると思いますが、それでも日本と比べるとかなりタイポロジーは安定していると思います。

松島|列壁都市においてまず懸念することは延焼だと思うのですが、そういう恐れはないのでしょうか。東京では家屋の隙間から環状線まで、延焼の防災性を考慮して都市のタイポロジーが作られているわけで、即物的に生成した都市が防災のためにタイポロジーを変化せざるを得ないという事件がこれまでに起こらなかったのは正直不思議でなりません。

藤村|そういう意味で日本の都市はなぜ構造が維持されないかというと、ひとつは経済成長で、もうひとつは防災性と言えますね。

青井|東京のように火事が広がったという話はあまり聞きませんね。一番大きな地震1935年の台中で起こった地震で、台中周辺市街地も相当やられたみたいですが、このときは鉄筋コンクリートが日本で普及していましたので、都市部ではレンガ造に鉄筋を入れたり鉄骨、RCで補強しなさいとか、亭仔脚を支えるフレームだけはRCでつくるとか、そういう規制が出来たようです。構成原理を守るために、より強化するやり方ですね。

藤村|都市建築レベルの話をお聞きましましたが、アイコニックな建築を作るような建築家というのは前に出にくい状況なのでしょうか。

青井|それはあると思います。運良くフリー・スタンディング・オブジェクトみたいなものが出来れば頑張るという感じでしょうか。あと、変な話ですが、高級タワーマンションのモデルルームはある意味では仮設の博覧会建築みたいな側面もあって、デコン風の派手なデザインを競い合う風潮がありますね。

藤村|日本で言うと丹下健三的な、国家を象徴するような建築の政治的な使い方はほとんどしないと。

青井|50年代とか60年代は国家プロジェクトがいくつかありますし、70年代には空港をはじめとするインフラ建設が推進されます(十大建設)。80年代には蒋介石のための慰霊モニュメントとして中正記念堂が建設される。国民党独裁体制下では基本的には中国北方風のデザインがドミナントです。バブル期には台湾ポストモダン・ヒストリシズムみたいな建物が流行しました。そのあたりで活躍したのが李祖原ですが、その後は台湾風から再び中華風の表現に変わっていったりと、表象レベルでのアイデンティティの模索は経済的・政治的状況を反映しているようです。しかし若手の建築家はむしろ比較的に現代の日本を見ている印象があります。

藤村|建築制度に対する民衆の要求みたいなものはあったでしょうか。いわゆる区画整理において、後藤新平台湾で出来て日本で出来なかったようなことがありますよね。台湾的な政治的前提が関係しているんでしょうか。

青井|よく分かりませんが、現在の状況は、独裁体制的なものを引きずりながらも大局的には大衆政治的な構造に移ってきたことは事実で、国民党政治家でも北京語台湾語も交えながら話さなければならない状況なんですよ。都市計画建築にとって良い話かはわかりませんが徐々に規制緩和は進んでいると思います。容積の問題や、最近問題になっているのは農地の転用の問題ですね。

藤村|政治的な状況はリベラルになってきたのに建築システムや都市空間はまだレガシーシステムとして残っているような感じですね。

青井|そうだと思います。不動産の所有に関することなどは歴史的な基盤があることなので政治が変わっても簡単には揺るがないかなと思います。大事なことは、台湾は日本や韓国と違って財閥の力が弱い、ということです。財閥系企業の戦略や状況によって社会が大きく変わるといったことは、少なくともこれまでは起きにくかった。町屋で都市が出来ている理由というのは、ひとつは誰でも小さな社長さんという家業型経済の持続力が強かったということにありますね。

藤村|それでは国際的競争力は弱くなりますよね。それを強化したり外資を受け入れようという動きはありますか。

青井|もちろんあります。工場やオフィスを誘致したシリコンバレー的な工業団地もあります。ただ、新興の小財閥企業みたいな組織は林立してきていますが、日本や韓国に比べればまだまだ弱いと思います。

藤村|財閥の弱さがある種の都市空間の安定性を作っているのですね。経済と政治による計画の強弱で台湾、日本、韓国、といったアジア諸国の状態を語ることが出来そうですね。

2016/04/19

研究室ウェブサイトが更新されました。

20160418_lab_web

新年度がはじまり、研究室ウェブサイトが更新された。
2015年修論卒論・卒制(+アーカイブ) →http://www.meiji-aoilab.com/thesis
2015年学会発表(+アーカイブ) →http://www.meiji-aoilab.com/academics/
そして、
2016年度研究室メンバー(+OB・OG) →http://www.meiji-aoilab.com/members/
2016年度サブゼミ(読書ゼミ) →http://www.meiji-aoilab.com/subsemi
サブゼミは5月11日より発表+討議開始。今年も楽しみだ。

2016/04/13

『自分にあわせてまちを変えてみる力』が刊行されましたね。

201604_machi_chikaraこういう本が出ています。

饗庭伸・秋田典子・内田奈芳美・後藤智香子・薬袋奈美子 編著『自分にあわせてまちを変えてみる力 ― 韓国・台湾のまちづくり』(萌文社、2016.03)

目次はこちらを参照。

日本の「まちづくり」、韓国の「マウル・マンドゥルギ」、台湾の「社区総体営造」の比較・交流史的な考察の本、というとちょっと堅苦しい紹介になっちゃうかもしれないが、この三つは互いに学んだり交流したりして育ってきたものであると同時に、ちょっとずつ違う。そのあたりを、活動の現場をフィールドワークを通してカタログ化するといったユルイ感じのアプローチと、各々の社会が辿ってきた政治史の文脈で整理するちょっとイカメしいアプローチの、両面から捉えている。というわけで、かわいらしい装丁やタイトルに油断してはいけない。というか、アメリカなんかではまちづくりは実践家と政治学者社会学者が論じ合うものだろうし、台湾なんかでもそういう感じがある。ということからいえば、日本に案外その手の本がないということはたぶん日本の戦後史の「何か」を物語っているはずである。

唐突で恐縮だが、1930年代の日本では、昭和恐慌がもたらす経済的困窮と社会不安のなかで官僚たちが村や町の「協同組合化」というべき社会統治を組み立てようとした。つまり人々が共助的な経済事業体を形成するようにして、分裂しがちな共同体を安定させ、同時に彼らの経済的持続を彼ら自身で経営するようにした。もともと協同組合自由主義資本主義の社会という荒波の海に小さな自律的な島をつくる対抗的な運動だったと思うが、30年代には(自由主義経済の行き詰まりとともに)むしろ国家がそれを活用したのである。70年代だって50〜60年代反体制的な運動のエネルギーを政策的に社会にビルトインしていくことだったと思うし、そこでも共助的なコミュニティが強調されてきた。20→30年代も60→70年代も世界的にそういうことがあった。そんな脈絡を踏まえると、本書のタイトルが「みんな」ではなく「自分」を謳ってアジアを見なおそうっているのは、編者らの大事なメッセージである(本書前書きでは、これを民主主義がもたらす全体化という問題との関連で言っている)。つまりタイトルもじつはユルくなかったりするのであった。とにかく色々な意味で、まちづくりを批評的に捉え返し、そこから何かを取り出そうする本だし、読者もここから幾筋もの線を描き出すことができる。

ところで本書のまんなかには石川初、加藤文俊、青井哲人、山代悟へのインタビューがサンドイッチされていて、前半のカタログを、後半の政治論へとつなぐブリッジの役割ということのようだ。インタビューを受けたときはイマイチ分かっていなかった。ナルホド。

2016/03/11

3月17日(木)18:00〜 千年村プロジェクト勉強会シリーズ「先達に学ぶ」にて

来る3月17日、千年村プロジェクト先達に学ぶの第2回レクチャをすることに。この機会に僕も色々教えていただこうっと。下の画像は『康熙臺灣輿圖』(部分、オリジナルは536×66mm、作成1699-1704頃)。上が東側(中央山脈)、下が西側(西部平原−台湾海峡)である。幾筋もの河川が流下する。緑深い山々から運ばれた土砂が扇状地をつくり、それらが互いに連接するようにして平野を押し広げてきた。17世紀前半の台南にはじまる漢人入植の動きは次第に北上し、18世紀に入る頃(この絵が描かれた時期)には濁水渓流域(画面中央)にも彼らの活動の場と行政軍事の拠点も生まれつつあるが、まだ原住民たちのテリトリーも併存している。いくつかの都市類型と灌漑農地が固有のリスクを抱え(抑え)つつ明瞭なレイアウト・パタンを描くようになるのは、さらに半世紀、いやもう少し先だろうか    今回の舞台は19世紀。暴れ狂う濁水渓の流域に展開した人間集団の相克を、いささか乱暴ながら仮説的に描き出してみようと思う。

20160317_sennenmura_taiwan

講演者:明治大学 青井哲人准教授http://www.meiji-aoilab.com/
タイトル:都市の不安定性をめぐって 台湾・濁水渓流域の都市と人間集団
日時:2016年3月17日(木)18:00〜20:00
場所:早稲田大学西早稲田キャンパス 55号館S棟 2階 第三会議室
定員:約40名 入場無料

2016/03/10

10+1 website 2016年3月号特集「建築史の中の戦争」公開

2月25日にやった八束さんとの対談が記事になりました。戦争がテーマですね。1930〜60年代の計画主義的な体制の連続性のなかで、帝国−国土から都市・共同体・住宅までがいかに編成されたか、そのなかで思想や言説がどう律されたか、というような構えで議論しています。あれ、そういえばもう1本記事が出るんじゃなかったっけ。

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2016/03/09

2015年度 研究室の学生諸君の成果

今年度の研究室諸君の成果です。どれも立派でした。今後の奮闘にも期待してます。

修士論文

  • 神埼竜之介関東大震災東京に建てられた銅板貼り建物に関する研究:看板建築の発生と災害・生産・制度・意匠
  • 平場晶子「私・共・公のせめぎ合いから見る日本橋銀座の路上空間の変遷:庇下と露店を中心に」
  • 吉田郁子「中山間集落・千葉県市原市月出の展開過程:〈中山間集落−中核都市−大都市〉にわたる戦後人口移動の構造的特質」
  • 吉永ほのみ「近世江戸内海猟師町の展開と近代における維持・変容:東京臨海部の形成過程の解明に向けて」

卒業論文

卒業設計:
  • 芦谷龍征「地域と使う学校:宇都宮市立中央小学校でのケース・スタディ」
  • 池田薫「層状都市を起こす/貫く:二子玉川における駅−都市の再編成」★次点
  • 大谷剛「かつて、そこに「」があった。」★堀口賞
  • 佐川芳孝「生きることの交差:多民族が暮らす地域社会の領域性と脱領域化」
  • 富山大樹「舞台に楽屋と袖を:Kiyomizu-dera Museum Project」★建築学科賞
  • 西恭平「国立国会公園:対話余暇としての直接行動」★佳作(10選入選)

2016/02/29

『明治神宮以前・以後』の書評会、丸一日。

 藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』(鹿島出版会、2005)に関する書評がいくつか出ていることは前に当ブログこの記事)でまとめた。今後もまだ出るようで、ありがたい。

 で、昨日は2日にわたる第1回 宗教とナショナリズム 研究会(2月27〜28日)の一貫として、この本の公開書評会が催された。企画は藤田大誠さん(御苦労さまでした、感謝!)。そしてお迎えした錚々たる批評者は下記4方。9時から17時まで、批評と応答で丸一日(懇親会は23時まで)。

批評者:
 土居義岳(九州大学芸術工学研究院教授 西洋建築史)
 平山 昇(九州産業大学商学部講師 日本近代史
 小島伸之(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授 憲法・近代日本法史・宗教社会学
 山口輝臣(九州大学人文科学研究院准教授 日本近代史

 平山さん、小島さん、山口さんからも鋭い批評をいただいたが各々書評記事として出版された(される)ので、ここでは建築を中心に振り返る。建築分野では私から是非土居義岳先生をお招きしたいと推薦し、土居先生にも快くお引き受けいただいた。稀有な批判建築史家にしてフランスを中心とする西洋建築研究者たる立場から、日本の「建築宗教」をめぐる歴史過程について比較史的な見通しを鮮やかに開いてくださるだろうと考えたからだ。そしてまさにそのような批評をいただいた。これまでメールでやり取りすることはあったが、昨日はたくさんお話できて率直に楽しかったし、僕の頭もクリアになった。それにしても先生が仮説的整理を組み上げる速度には正直びびった・・・などと思い出していたらさっそく土居先生がブログで昨日のことを書いてくださっている。→「國學院大學たまプラーザキャンパスにて」土居義岳の建築ブログ

 ブログには書いておられないが、土居先生は僕が担当した「第1章 神社における「近代建築」の獲得」について、いかにも曖昧で不自由な(あるいは端的に幻想というべき)「近代建築」の獲得・達成というプロットをとることの問題性(そういうのはやめようよということ)を書評会ではご指摘くださった。8年前に明治大学に来て、まもなく旧知の友人を含む神道史、宗教社会史、地域史、造園学などなどの皆さんと研究会をはじめた頃、神社建築の辿った思想史的軌跡をテコに、日本近代建築史を書き換えられるはずだと漠然と思っていたのだから、「近代建築」を所与の達成目標とするかのような従来型建築史の書き方に見えてしまってはダメなので大いに反省したのだが、著者としてはいちおうアイロニカルではある。神社も、いわば学校や病院と同じく社会政策的枠組のなかで制度としての「近代建築」になったのである。様式表象)を後退させ、身体・行為の社会的意義が主題化され、経験主義的フィードバックを通して量産に適合的な一定の標準型がテクノクラートたちによってつくられていったわけだから。

 一方で神社の空間は建物だけでない。明治神宮以後ははっきりと森+社殿を一体的に捉える理論(アーキテクチャ)によって整序されていった。明治期には神社といえば社殿のことを指していたのに、昭和期には明らかに森の認識がドミナントになっていく。人為から自然へ。人為を排した有機的 organic な世界の生成の奥深さとして自然をロマン主義的に理解するモードさえできれば、森はある種の全体性のモデルを与えるか、機械的=力学的 mechanical な世俗界を補完するか、あるいはそもそも理解以前に美的降伏を欲望させる(西行の歌「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに・・」の常套句化)ようになるらしい。つまり宗教性を持ちはじめる。

 土居先生が昨日前提とされたのは「政教分離後の聖性の再構築」というような枠組みで、では日本の場合、神社の場合、それはいかなるシナリオで理解可能か、ということであり、それを建築に引き付けるとどうなのか、ということであった。カトリックの後退は、たとえば自然科学主義思想やそれと絡みあう一群の宗教運動的な動きを生み出したりしたことも知られているし、いずれにせよ哲学歴史学普遍史)や社会学生物学や・・・あるいは芸術が、交錯しながら聖性を練り上げていく。もちろん、それは近代産業社会をどう編成するかという問題でもあった。

 そこでぼくは「生成的なものの技術化」というようなコンセプトを考える(考えてきた)。たとえば王権の崩壊によって顕わになったバラバラな人々の集合(ゲゼルシャフト)を理論化したのが社会学で、つまり「社会」はバラバラ性からなぜだかそれなりの全体がたちあがる生成の謎として発見された。心理とか無意識のような謎も教会の衰退のなかで対象化された。生物の生長・進化も、神が制御しない無目的な過程として捉え返された。こうした生成的なものの発見と理論化が19世紀を通じて進み、20世紀、とりわけ1930年前後の自由主義から計画主義への転換のなかでそれが技術化された。そんなわけで神社では森がやはり重要なのである。それは「生成的なもの」だからこそ聖性をもち(ダジャレじゃなく)、しかしすでに「技術化」されてもいたのである。

 神社の建物(社殿建築)は、つまりその人為性・構築性ゆえに後退を余儀なくされた。とはいえ、上にも書いたように、社殿建築でも「社会」は主題化されている。バラバラの人々がどのように流れ寄り、手を合わせ、祭儀に参加し、去ってゆくのか、それはどのように社会統治とかかわりうるのか・・・。これもまた生成的なものの技術化であり、社会的な身体に建築を適合させる方向性もつ。だがやはり建築が自然であることは難しい。昭和戦中期の神社量産時代の造営の頂点にいた角南隆は、1940年頃から地域主義的な思想を部下たちに吹き込みはじめたらしいのだが、それはどうやら生成論の建築版(あるいは建築がいかに自然的でありうるかという問いへの回答)だったと思われる。つまり個々の場所がもつ固有の生成力が自然に顕在化したものとして神社はあるべきだというのが角南の「国魂神」論だったのだし、その角南神学は、戦後は汎神論的な傾きを増して、ざっくりいえば生気論によって宇宙から日常までも説き切るような宗教思想へとまとめられていったようなのだ(どことなく19世紀末から20世紀初頭のヘッケルを思い出させる)。

 書評会が終わって懇親会へ移動するとき、土居先生と、神社論の延長上に丹下健三のことも話し合った。丹下は量産時代の神社が備えるロマン主義的な聖性を、モダン建築造形でもっと力強く上手に再現できると思っただろう。戦中のコンペはもちろんのこと、広島の、これ以上ない公共的=宗教的可能性をもった建築プロジェクトを彼は神社以上の「神社」としてつくったのであった。

2016/01/30

橋本健二・初田香成編著『盛り場はヤミ市から生まれた』増補版が出ました。

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橋本健二・初田香成編著『盛り場はヤミ市から生まれた』増補版、青弓社、2016.01

「敗戦直後、非公式に流通する食料や雑貨などが集積し、人や金が行き来していたヤミ市は、戦後の都市商業を担う人々を育て、その後に続く新たな商業地や盛り場を形成した。フィールドワークや資料調査から、ヤミ市が戦後日本に与えたインパクトを描く。」

出版社ページはこちら(目次等詳細あり)

厚香苗さんの「ヤミ市テキヤ」、中島和也/石榑督和/初田香成/村上しほり「地方史誌から見た全国ヤミ市の概要」を新たに収載。たんなる増刷じゃないですよ。決定版です。

2016/01/25

東京藝大の講義「建築論II」終了。

今日は最終回。事前に履修生の皆さんがメールで送ってくれたレポートを読んだが、講義の骨組みをきわめて整然と跡付けてくれたものもあれば(全文掲載したいくらいである!)、僕の話のひとつひとつが実はかなり単純であることを指摘しながら、それがどんな連関を描き出すためであったかを鋭敏に捉えたものもあった(感度がよい!)。今日のディスカッションは、レポートから学生さんたちが抱いた素朴な疑問を取り出し、その疑問集をネタにテーブルを囲んで議論。学生さんたちがものを考え、語り合い、自分たちの居場所を模索するための道具として講義中の言葉をすでに使いはじめていること、そして何か足りないものがある、といった欲求を持ちはじめていることがよく伝わってきて、率直に嬉しかった。

以下は、講義各回の主題・キーワードと言及した文献のリスト。大雑把にいえば前近代的な「無自覚な文化」(アレグザンダー)の世界における、動的な平衡系としての生きた組織の成り立ちをどう読むかという問題からはじめ、それを突き破って変異を強いる近代以降の複雑化・大規模化・高速化が立ち上げざるをえなかった「自覚的な文化」における建築論の分裂を描いてきた。僕たちもその分裂の後にいるが、なぜそうであった(ある)のかを考え、明らかにし、引き受けながら、同時にある種のアーカイブ(知的ストック)として転用できる時代が来つつあるようにも思う。

あ、来年度もやります。

東京藝術大学 大学院 建築専攻 特論 建築論II 2015
主題・キーワード+文献一覧

[1] イントロダクション

第1部 アノニマスな環境世界を読む
[2] タイポロジー
建物類型論, 都市組織論イタリアのムラトーリ学派、タイポモルフォロジー)・・・ティシュー、タイプ/トークン、連続/不連続(アナログ/デジタル)、タイプの普遍性と個別性、地形・サーキュレーション・構法、介入(者)=修復(者)、層化
陣内秀信『都市を読む:イタリア』(法政大学出版会、1988)
・黒田泰介『ルッカ一八三四年』(アセテート、2006)
中谷礼仁『セヴェラルネス:事物連鎖と人間』(鹿島出版会、2005)

[3] テクトニクス
構法類型論、環境構成の文化(ゼムパー、山本学治、フランプトン)・・・テクトニック/ステレオトミック、軸組的/組積的、囲いと覆い、ウィトルウィウス、ロジェ、ゼムパー、近代建築(テクトニクスの消去→空間)、建物の進化(置換、加算、再解釈etc)、テクトニクスと環境
・K・フランプトン『テクトニック・カルチャー:19-20世紀の構法の詩学』1995(松畑強・山本想太郎訳、TOTO出版、2002)
・山本学治『山本学治建築論集:造型と構造と』(鹿島出版会、1980/SD選書244、2007)
・太田邦夫『エスノアーキテクチュア』(鹿島出版会SD選書253、2010)

[4] ダイナミクス
動的平衡とその破壊・・・系と外力、反応、持続/変化、自己複製、テクトニクス、所有(制度・観念)、相隣関係(慣習法→近代法)、スキマ、タイプの冗長性
・Stewart Brand, How buildings learn?, 1994
・N. John Habraken, Support, 1972
・清水重敦「都市に生まれたスキマ」(新建築住宅特集、2009)
・『すまいろん』2010年夏号 特集「動くすまい:流動的都市の原風景と未来」

[5] ディスカッション
日本都市の歴史的な流動性・・・植え付けと再組織化(privatization)、都市の移動、建物の移動、解体移築、バラック(段階的再生)、動産不動産、近代のインパクト(都市の資本論
・三好登『土地・建物間の法的構成』(成文堂、2002)
塚本由晴「ヴォイド・メタボリズム試論」(SD 2007)


第2部 近現代建築論の基礎
[6] モダニズム
機能主義と表象論の系譜、F-S問題(形式-内容の結合の恣意性)・・・未来派、社会意識、生産論・・・古典主義(アカデミズム)、要素主義(構成主義
・R・バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』1960 (石原達二・増成隆士訳、原広司校閲鹿島出版会、1976)
・土居義岳『言葉と建築建築批評の史的地平と諸概念』 (建築技術、1997)

[7] ディスカッション
無自覚な文化/自覚的な文化、フラーの位置、国際様式、ダック/デコレーテド・シェド、中世主義、ルネサンスマニエリスムバロックピクチャレスクユートピア
・C・アレグザンダー(稲葉武司+押野見邦英訳)『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』(SD選書、2013/前者の原著は1964)
ル・コルビュジエ建築をめざして』1923(吉阪隆正訳、鹿島出版会、1967)
・B・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築:アドル フ・ロースとル・コルビュジエ』1994(松畑強訳、鹿島出版会、1996)
・H・R・ヒッチコック+P・ジョンソンインターナショナル・スタイル』1932(武沢秀一訳、鹿島出版会1978)
・R・ヴェンチューリラスヴェガス』1972(石井和紘, 伊藤公文訳、鹿島出版会、1978)
・S・ギーディオン『空間・時間・建築』1941(大田實訳、丸善、1955)
・C・グリーンバーググリーンバーグ批評選集』(藤枝晃雄・上田高弘他訳、勁草書房、2005)

[8] リアリズム
コンテクスチャリズムの3つの磁場
イェール(ヴェンチューリ)、コーネル(ロウ)、イタリア都市建築派(タイポモルフィスト)・・・意味伝達の多義性、形態知覚の多義性、類型(タイプ)と集合的記憶
・秋元馨『現代建築のコンテクスチュアリズム入門:環境のなかの建築/環境をつくる建築』(彰国社、2002)
・『SD1977年10月号/1978年3月号 特集「フォルマリズム・リアリズム・コンテクス チュアリズム」1, 2
・八束はじめ編『建築文脈 都市の文脈』(彰国社、1979)
・R・ヴェンチューリ建築多様性対立』1966(伊藤公文訳、鹿島出版会、1982)
・R・ヴェンチューリラスベガス』1972(石井和紘・伊藤公文訳、鹿島出版会、1978)
・C・ロウ『マニエリスムと近代建築』1976(伊東豊雄・松永安光訳、彰国社、1981)
・C・ロウ+F・コッター『コラージュ・シティ』1978(渡邉真理訳、鹿島出版会、1992)
・A・ロッシ『都市の建築』1987(大島哲蔵・福田晴虔訳、大龍堂、1991)

[9] ディスカッション
リアリズム建築論の分裂・・・中世主義、地域主義、身体論、参加論、ダーティ・リアリズム・・・
神代雄一郎研究室『日本のコミュニティ』(SD別冊、鹿島出版会、1977)
・元倉真琴『アーバン・ファサー ド』(住まいの図書館出版局、1992)
磯崎新+日埜直彦『磯崎新 interviews』(LIXIL出版、2014)
八田利也『現代建築愚策論』(彰国社、1961/2011)
・都市デザイン研究体『日本の都市空間』(彰国社、1968)
・R・コールハース(鈴木圭介訳)『錯乱のニューヨーク』1978(筑摩書房、1995/ちくま学芸文庫、1999)
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977/朝日出版社、2014)

[10] エコロジー
生きた系、動的平衡、系の進化、ミューテーション(変異)、・・・
・G・ベイトソン『精神と自然:生きた世界の認識論』1979(佐藤良明訳、思索社、1982/新思索社、2006)
・R. Banham, Los Angeles: The Architecture of Four Ecologies, 1971
・R・コールハース『ミューテーション』2001(TNProbe、2001)
・饗庭伸『都市をたたむ:人口減少時代をデザインする都市計画』(家伝社、2015)

[11]ディスカッション
レポートを踏まえて議論

2016/01/22

BankARTスクール201602-03受講生募集中

201602-03_BankART_school


バンカート(BankART1929)が主催するBankARTスクールの、2016年2-3月のプログラムが受講生を募集しています。青井は毎週月曜日のレクチャー(19:30〜)を担当。3/21のみゲストとして石榑督和さんが登壇。興味ある方、是非お申込ください。

アノニマスな世界をつくるアート(わざ・すべ):台湾の都市・建築を読む

[1] 2月1日(月)層化するエスニシティ台湾の歴史と人
[2] 2月8日(月)入植と土着化:土と竹の世界
[3] 2月15日(月)19世紀東アジア海域世界のなかへ:亭仔脚をめぐって
[4] 2月22日(月)寝床の植民地
[5] 3月7日(月)家屋の類型学:コルテ・スキエラ・トーレ
[6] 3月14日(月)都市建築の時間学:テクトニクスとシェア
[7] 3月21日(月)ゲスト:石榑督和 都市建築リダンダンシー:切断と反応
[8] 3月28日(月)ディスカッション

私たちの生きる世界はどのように組み立てられているのだろうか? 人は集団をなし、また別れる。強いられ、求め、動く。異世界に降り立つ。見慣れぬ環境に取り付いたかと思えば、まもなくその環境をつくる物質の配列を組み換えはじめる。先に来た人々との間に摩擦と融合がある。新たな居住世界が組み立てられる。   台湾の人々はそうして彼らの世界をつくってきた。無名性の世界にも、それをつくる「art=わざ・すべ」がある。それを読み解くことから、私たちがいかに世界をつくりうるかを考え直したい。