ソウル・レポート

今回は8月23〜26日のソウル滞在だったが、初日と最終日はできるだけソウル市内を歩いたのでその報告を。
R0015069(1) 景福宮:慶北大学の曺在模 CHO JaeMo 先生に案内していただく。まず光化門の再建がちょうど1週間ほど前に竣工したところだった。光化門は植民地期に総督府庁舎建設のため移築され(これが論議を呼んだことは周知のとおり)、朝鮮戦争で焼けたためRCで再建されていたが(1972)、このほど木造のより正確な様式でより正確な位置に再現された。あわせて興礼門も新築が成り、両門のあいだの院も完成した。また宮域全体に舗装などの整備が徐々に進んでいる様子。

R0015155それと今回はシンポジウムを主催された先生方が申し込んでおいていただいたおかげで、慶会楼にあがることもできた。宮廷のバンケット等のパーティに利用された建物。外からはピクチャレスクの極みだが、内部では仮構が露出し、蔀戸・障子などの建具で空間を柔軟に構成できる。そこに同心円状の三段の床構成からんでゆくのでどのように使ったのか想像させてなかなか面白い。

R0015139一方、ピロティ見上げは構造を見せずフラットかつカラフルに仕上げており不思議な浮遊感をかもしている。
いうまでもなく景福宮李朝の正宮だが、秀吉の侵略、植民地支配との関係はもちろん、建築的には、膨大に展開している建物が、それぞれの性格によって床の処理を違えているところに注目するとかなり面白いと思う。土間床・板床・オンドルの三段階が見事にフォーマル(外交・儀礼)からドメスティック(生活)へのヒエラルキーに対応づけられている。

R0015271(2) 清渓川沿いの再開発動向:清渓川プロジェクトは知らない人はいないだろうが、清渓川は歩いたがその両岸一帯の街は歩いていない、という人は多いのではないか。でも事業の本質は首都ソウルに国際競争力をつけるための地上げなのだから、川が人工だからよくないとかデザインがどうとかいう問題よりも(基本的には都心に好ましい環境をつくり出したことは評価できると思う)、両岸の零細工場・問屋密集地帯に同事業の効果がどのように現れるかをしっかり評価すべきだと思う。3年前に歩いたとき、空地の囲いに完成予想図(パース)が貼ってあった超高層も、もうすぐ竣工の様子。他にもいくつかの高層ビル建設が動いていた。

R0015247(3) 世運商街の再開発:再開発の計画もすでに決定し、着工を待つ状態だとか。植民地期の疎開道路を利用した金寿根 KIM SwooGeun 設計の長大な商業施設はいかにも荒涼としているが、再開発計画も決してよいとは思われない。とにかく、いくら景気が悪いとはいえ、ソウル中心部は急激に変わろうとしている。
清渓川プロジェクトに関する僕の意見をシンポジウムのスピーカーのひとり、R・ツェルナー氏に話したら、それはつまりジェントリフィケーションですね、と言っていた。イエス。でもまあ地上げという方がしっくり来るかな。

R0015298(4) 清渓川両岸の零細工場・問屋密集地帯:しかし一方でまだまだ零細工場・問屋密集地帯は広大な面積を占めている。こういう世界がソウルを動かしているというリアリティについて、何か読みやすいルポか何かないだろうか。清渓川の効果は着実にこうした世界をなぎ倒していく力を持っているようだが、こちらはこちらでしぶとい。
重要なのは、前にもどこかで書いたが、商住一体のいわゆる町家型建築で都市組織をつくる伝統が朝鮮半島にはなく、かわりに商業空間はすべて市場であり、極小の店舗が広大な海をなして都市内に驚異的な面積を占めるという構造。中国・日本あるいはヨーロッパ的な商工業者による地縁コミュニティ形成、都市の民営といった契機がない。政府がこういうバザール的商業空間をそのまま生かすことを考えているとは思えないのだが、ならば、それを何で置き換えてゆけばよいのか。首都ソウルの今後を考えるとき重要なのはこのバザールの行方なのではないか。

R0015309(5) 東大門アートセンター&パーク:ザハ・ハディド Zaha Hadid がコンペで勝ったプロジェクト。東大門スタジアムの跡地再開発、城壁やその周囲の建築物の復元も組み込みんだ事業。コンクリート表面をさらにコテで直したぬめっとしたグレーの曲面が走る。3割ほどできていて、完成したエリアから開放している。これだけのオープンスペースと建築物をつくり出すプロジェクトが動かせる都市の力量に感心しつつも、韓国の大規模事業では近年ステロタイプになりつつある文化的アリバイの使い方にはやはり違和感もある。ちなみに周囲に聳え立つ商業ビル群は一見すると百貨店か外資系ショッピングセンターのように見えるが、実際には東大門市場の零細問屋を収容した再開発ビルであるらしく、内部にはやはり零細な店舗がひしめいているのだそうだ。さっき書いたことを含めて、この辺の経緯も調べればかなり面白い、というか重要だと思う。東京の戦後復興過程における雑居ビルの生成と比較できるんじゃないかな。