家具はなぜ論じにくいかを皆で考えてみた

 先週のことだが(20110727 wed.)、研究室のサブゼミで家具と建築の違いについて議論してみた。一昨年から家具やインテリアの理論や歴史ができないだろうかと考えはじめて、最近はその方面に興味のある学生も結構いるのでやらせてみているのだが、どうもうまく議論できない。建築の理論や歴史のような厚い先行成果が、家具・インテリアにないことは調べてみればすぐ分かる。それにも必ず理由はあるはずだが・・・、いずれにせよ建築論と同じように家具を論じることは難しい。
 いつもは都市、都市と言っている僕がなぜ家具なぞに興味を持つようになったかというと、最近の建築家が家具的特性を建築に取り込むようなデザインをかなり広範に試みているからで、それはきっと建築になくて家具・インテリアにはある何らかの特性によって建築にある質的な変化がおこせることが発見されたからなのである。塚本由晴のいう治具 jig(『空間の響き/響きの空間』INAX出版)という概念を使えば、家具とは人の身体的振る舞いと建築との関係性を安定させる jig とみなせる(つまり何らかの動的な補完機能を担う中間的な道具)。その jig 的な働きを建築の側に回収してしまえば、半ば建築「外」的でちょっと鬱陶しかった家具を消せるだけでなく、建築もまた自身に欠けていた、ちょうど動物の皮膚を顕微鏡で拡大したときの襞々や凹凸みたいなものを手に入れられるようなのだ(塚本さんは jig の独自のポジションを消すようなことはたぶんしない)。だけど、寝殿造から書院造への展開ってまさにこれだよね(面白いね)。そんなわけで、建築と家具とのそもそもの特質の差異を考えてみないと、家具論の難しさも、建築家による家具取り込みの意義もよく分からなんだろなと思ったのである。
 でまあ愚鈍に家具/建築の違いについて学生たちとディスカッションしてみた。家具は小さい、建築は大きい、みたいな中学生でも言えることからはじめて、家具は身体の振る舞いの形姿を直接的に形態で写しとるが、建築は身体(身体群)を収容したり流したりするように形態を決める、といったぐあいに、差異の束をいろいろ書き出してみた。で、こういった基本的差異が、生産・流通・消費のフレームにまで大きく反映されている。
 生産のなかのデザインという局面を取り出してみると、家具は身体の形姿を直接支えなければならないが、その目的さえ踏み外さなければ実は案外多様な形が許容されてきた。形態導出時に誤ってはならない中心的命題がはっきりしていて、周辺は緩いわけだ。たとえばイスの場合、座面の高さはかなり厳密だが、それが階段のようなカタチであってもよい。逆に建築では、形態導出への決定的根拠は実はほとんどなく(あるいは複合的なために曖昧にされており)、因習が決める範囲(無意識の領域)が大きい(壁は垂直でなくてもよいがそうするとか)。だから建築は家具を取り込むことができるし、それが建築の無意識を浮き彫りにして揺さぶることになるが、その逆はない。
 デザイナーの職能はどうか。家具の場合、産業化以後の生産・流通・消費にほぼ完全に乗っかるし、一般にはそうでなければ生き残れない。形態導出の中心的命題は決まっているのだから、デザイナーは周辺的なデザインに独自性を狙いつつ、しかもそれが材料工学や生産性の観点からも導かれているようにしなければいけない。たとえばイスの座面高さで独自性は出せない以上、形態の生産性はやはり周辺にあり、そうである以上は嗜好によって相対化されやすく、消費のスピードは速い。そして、誰に何処で使われるか分からず、キッチュな風景をつくるのに参加してしまうことだってある。というわけで古典的な芸術の一回生は担保されず、署名はデザインの型(図面)になされ、報酬はその使用料として支払われる。
 建築は(部品はほとんど産業化されたのに、建物としては)いまだに産業的ラインに乗り切らないので、建物そのものに署名がなされ、デザインの使用権などというもの(「窓の開いた壁」とか「列柱」とかは大昔から誰でも使ってきた)はほとんど成立しない。建築は産業化だけでなく、社会構造とか、環境条件とか、歴史性とか、任意のいかなる体系にも回収しきれないありようをしている。つまり色々な説明体系に対して埋めきれないギャップがつねに残るということであって、いずれかのギャップを埋めようとする運動こそがある時代状況のなかで際立った建築論を構築してきたのである。家具的特性の取り込みもまた同様の回路によって建築を活性化させようとする試みだといえる。そうした契機が家具的特性に求められているとすれば、それも今日の時代性の兆候なのだろう。
 ちょっと戻るけど、後半に書いた家具/建築の違いのほとんどは産業化以降の属性。というようなことから近代デザイン史と、それ以前のものづくりのありようとを考え直すこともできそう。そして、1950年代にあのプロダクト・デザイナーがなぜあの建築家に対して従属的な立場にならざるをえなかったのかとかも、丁寧に考えれば答えられそう。