明大建築シンポ/建築学会復旧復興支援部会シンポにて災害復興について議論。建築家って何だろう。

最近二つのシンポジウムで議論に参加した。
(1) 2012.11.03 Sat. 明治大学建築学科シンポジウム「震災・復興と向き合う」
(2) 2012.11.09 Fri. 日本建築学会 復旧・復興支援部会主催 第4回復旧復興支援部会連続シンポジウム「復興の原理としての「建築」:コミュニティ・アーキテクト制をめぐって」
 前者では明治大学教員の震災へのかかわりの報告に続けて(青井もその1人として報告)、吉村靖孝・福屋粧子・西田亮介の3方が門脇耕三先生の司会でディスカッション。新しい社会システム、新しい公共とそこに関わる建築家について議論。学生にはハイブロー過ぎたけどマジでした。
 後者は、伊東豊雄氏の基調講演の後、陶器浩一・森傑・杉本洋文・芳賀沼整・石原健也・竹内泰・福屋粧子・手塚貴晴・ヨコミゾマコトの各氏から被災地での活動報告。それを受けて山本理顕小嶋一浩塚本由晴青井哲人・姥浦道生・伊東豊雄の6名が、宇野求先生の司会で討議。みなさん大変真摯に活動しておられ感銘を受けたが、議論の性質というのかな、届いていく先というのかな、実に様々である。
 私としては、以下のことを喋ろうと思ってシンポジウムにのぞんだ
1) 20世紀後半型災害復興スキームが有効に機能せず、地域の矛盾に根ざすダイナミズムが行き場を失っている。だからこそ建築家はそのスキームの内で奮闘しながら、そのスキームから半歩出るような仕事の仕方を。硬直した枠組みが一気に清算されることはないので、制度にフィードバックされうる小さな新しい実績をたくさんつくることが重要。
2) ハウジングの考え方がどれほど変わるか。応急仮設住宅が関心を集めやすいが、その枠組みへの実践的批判が伴わなければあまり意味がない。復旧復興のプロセスをどうマネジするか、そのなかで住宅再建のフェーズをどう描くか。それに応じて各段階の住まいに相応のスペックを与える、と考えるのが本来だろう(応急仮設は場合によってはスキップできるし、場合によっては長期に使用しながら復興住宅化するなど)。
3) コミュニティ・アーキテクトは重要な話題だが、コミュニティはむろん一枚岩ではないしきわめて流動的。明治三陸津波では集落全滅の事例も多いが比較的短期間のうちに漁業権を求めて流入した人々によって集落は復元された(人口の総入替)。コミュニティはすさまじいものだ。それでもプロの技術者としてそのダイナミズムを後押しする、一方で、長い目で「場所」を受け継ぐ、ってのがコミュニティアーキテクトなのかもしれない。
 時間切れで 3)は喋れなかった。その後の飲み会でも色々考えさせられた(姥浦さんサイコーであった)。
 建築家とは何か、というのがこの日の本当の主題だったのだが、被災地の現場で建築家がその職能を発揮できる場はいくつかあったし、今もあるのだろうと思う。基本的に復旧復興はマッシブな体制(制度と金、国家と資本)が大勢を支配するし、そうでしか動かないものがあることは認めざるをえないが、(a)そのマッシブなものが機械的に生み出したものをコンテクスチャルにカスタマイズすること、(b)マッシブなものがカバーしない領域を支えること、(c)マッシブな体制の内側に入ってその体制が期待するスタンダードからズレる特殊解を導き出すこと。ジェネラルな条件からスペシフィックな解を生み出すのは建築家のオハコといってよい能力だよね。実は官僚だって新しい法律にフィードバックできる特殊解を期待していたりもする。
 パネリストの建築家のひとりが、3.11はそれまでの建築家像を全否定した、と言ったが、「否定」はだめですよ。心理的・内面的な受容をそのように表現することは自由かもしれないけど、近代あるいは20世紀が培って来たものを正当に地域や大地にランディングさせるために多くの努力が払われてきたことを無視すべきではないし、大半の現実的条件は20世紀後半的なもので出来ていてそれと接続しなければ何もできないんだから。