VESTIGIAL TAILS/TALES : akihito aoi’s blog

2013/11/10

建築雑誌2013年11月号・特集「「建築家」が問われるとき:自己規定の軌跡と現在 When "Architect" Is Called into Question: Past and Present Self-Definitions」

cover_201310 今号担当は青井と竹内泰さん(宮城大学)だが、日埜直彦さんには、平良敬一氏へのインタビュアー、論考の執筆者というだけでなく、何度か議論の相手になっていただいたり、執筆者を紹介いただいたりと、企画段階から大変お世話になった。今号企画のあらゆる部分に日埜さんとの議論が色濃く反映されている。心から感謝申し上げたい(もちろん、最終的な企画は編集部の責任に帰すものであり、以下の長文も青井が書いたものなのでその点留意願う次第)。

 さて、今号の特集は、現代日本の「建築家」像を歴史的に捉え直し、そのことにより歴史の書き直しも試みる、といった企画だが、たぶん、読者の多くは記事のラインナップがずいぶん偏っているんじゃないかと首を傾げられたのではないか。いや実際、網羅性にはあまり配慮していないからバランスは決してよくないのだが、それも編集上の意図があってのことではある。この点、誌上では分かりづらいと思うので、この場を借りて補いたい。

 まず表紙を見ていただきたい。近代日本の「建築家」像の布置を代表する5つの言説をとりあげている。辰野金吾時代の「建築家」像の未分化な状態から、佐野利器ら構造派=社会工学派による最初の亀裂が入り、堀口らの芸術主義が対立し、マルクス主義勢力が現れ、モダニスト陣営が形成され、というようにして、4つの異なる立場の布置が1930年代までに出来上がる(表紙では、本号への導入になることに配慮して、戦後間もなくの言説状況まで引っ張っているが)。この4つは、日埜さんの論考「複数なる建築家について」で立てられている「四つの指向」と(同じではないが)おおむね対応していると思う。

 さて、「パースペクティブ」において示したように、戦前1910〜30年代、あるいは戦後1950〜70年代は建築家像が揺さぶられる時期である。その激動のプロセスのなかで、同時代的には大きな存在感を持ちながら、のちに「歴史化」されるとその姿がぼんやりしてしまっている(あるいはほとんど消されてしまった)のが、左派である。左派の潮流こそ、(1)社会にとって建築はいかにあるべきか、(2)そのために設計者はいかにあるべきか、というジェネラルな問いが発せられる場であり、1920年代から60年代まで建築運動の原動力はだいたい左派的潮流にあったとも言える。

 (1)は彼らの社会意識・民衆観などとして言説化され、(2)は端的には共同設計という試みとして現れた。後者はやや分かりにくいかもしれないが、社会あるいは民衆のことを考えるならば、一方で個人の名声・権威のために設計プロセスブラックボックス化したり、あるいは観念的・操作的な回路に仕立てたりする芸術家志向性も、また他方で事務所の利益のために標準設計を安易に繰り返すような経済優先の態度も、同様に批判されねばならず、ゆえに設計者間は対等な共同(恊働)関係とし、民衆とも真摯に議論を重ねる、そうした「民主的な設計組織」を獲得しよう、ということになる。

 しかし、ジェネラルな統整的理念を掲げた運動はそうそう簡単に報われるものでない。挫折とともに、人は私性、個別性、局地的な脈絡、ミクロな力学といった回路に「内向」する傾向がある(あくまで傾向的パタンだけど、そういう歴史が十分書かれていないだけで、実際はけっこう多いと思う)。ミクロな場の論理を探求することでしか、マクロな宇宙につながる普遍的論理に至ることはできない、というようなメンタリティもそのとき胚胎しやすい。その最たる例が、68年の闘争の世代が70年以降にみせた振る舞いだろう。

 そして、歴史のなかではこういう挫折→内向というかたちの転向のパタンが何段階か起こっていて、その都度、つまり転向によって舞台に上った芸術家建築家メディアが支持し、それを学生と教育がフォローし、悪いことにはこの転向後の芸術家の言説・作品を並べて歴史が描かれてしまったりもしている。だから左派は実は多くの建築家にとっては若き日の姿であって、しかも歴史からは消えてしまう、つまり多くの世代が経験した捻れを消すかたちで歴史は書かれる傾向にある、ということなのではないだろうか。単純すぎる見立てだろうか。

 このようなわけで、本号特集では、上に述べた、左派におけるジェネラルな問い、すなわち(1)社会意識(社会にとって建築はいかにあるべきか)と(2)設計組織論(そのために設計者はいかにあるべきか)に焦点を当てている。第1部の平良氏インタビューがあのような内容になっているのもそのためだし、第2部が創宇社、RIA大高正人・・・といったラインナップになり、3.11以後を展望する第3部でも集合知コミュニティが問題にされているのも同じ理由からである。ただ、土居義岳先生には、可能なかぎり最大のパースペクティブで日本の建築家を捉え直していただきたいという乱暴極まりない依頼を差し上げたのだが、その論考のタイトルを「ラスキンの呪い」とされたのにはいささか驚いた。さすが鋭い。

 実際、執筆者の皆さんに原稿をお願いする段では、以上のようなパースペクティブをそれほど明確に示すことができたわけではない。個別記事のイメージに即して依頼をさしあげたというのが実情に近いが、頂いた原稿に目を通しつつ、レファレンス(文献案内)のページをつくるために戦後〜70年代の文献を手当たり次第にかじり散らしていくうちに、少しずつああそういうことなのだなとわたし自身がそれなりの感覚を持てるようになってきた、というのが編集担当者としての偽らざるところである。そういう意味では、ただでさえ依頼が「重い」のに加えて編集部の曖昧なディレクションに執筆者の皆さんは大いに頭を抱えたのではないかと拝察するが、にもかかわらず力のこもった原稿を寄せていただいたことに厚く感謝申し上げる。

 はたしてこの特集のメッセージがどの程度読者に届くものか、正直なところわたしには予想がつかない。繰り返すが、執筆者の皆さんから頂いた原稿は、いずれも力のこもったものばかりだ。ただ、何せこの種の議論が行われなくなって久しいし、編集サイドの力量不足で原稿の魅力が読者に伝わりにくくなってはいまいかと恐れている。それでも、この種の議論を回復する必要はあると信じているし、今号がそのための一歩になればと願う。是非、賛否両論、反応をいただきたい。

(訂正)泥縄の作業であったことが露呈しつつあります。申し訳ありません。
1. 平良さんインタビュー記事 p.9
 聞き手の青井の発言:「55年に朝鮮戦争がはじまり」→ 50年 (恥)
2. レファレンスのページ。p.33
 中谷礼仁明治国学建築家』(1997)→中谷礼仁国学明治建築家』(1993) 大変失礼いたしました。

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 やや内輪の事情だが、「建築家」像の批判的検討をやろう、ということ自体は今期編集委員長を引き受けた直後から考えていたことで、編集部では竹内さんと、(具体的な特集の企画を練るというよりも)ここ40年くらい段階的に補強されてきてしまった感の強い「建築家」のナイーブ   こういってよければ、建築生産構造の否定しがたい変貌に適応して小さな舞台を自ら組み立て、そのやむをえない適応にむしろ居直って社会的な職能意識をどんどん手放し、小粒化してきたのではないかということ    について、かなり議論をしてきた。

 一般にはこれを「内向」的建築家像などと呼んで大きな誤りではないと思うが、この「内向」という言い方も色々誤解を生みやすい気はするので少し注釈しておきたい。第一に、わたしが「内向」というのは、建築家が、私的、個別的なもの、あるいは身体的現実感とか、局所的な文脈の特殊性、ミクロな生成要因やポリティクスなど、「私」自身を取り巻く小さな現実こそが表現を組み立てる上での重要な問題たりえるし、またそれが普遍的な問題たりえる、と信じられるような先述のメンタリティである。第二に、それゆえ、一見したところ内向的に見えず、敷地コンテクストやら制度条件などから表現を組み立てている場合も、それが専ら建築家の表現に回収されていき、都市や社会に対するフィードバックが意図されていなければ、(どんなに一般性があるように見える理屈が語られていようとも)やはり「内向」的とみるべきだ。第三に、ミクロ-マクロ、単独性-普遍性が無媒介に照応する構図を超えるためには、社会や都市に対するジェネラルな問いを愚鈍でも立てることが必要なのだろう。そして、第四に、「私」自身を取り巻く偶有的な諸条件が表現を組み立てる根拠になるのなら、歴史への問いはまったく不要なのだが、逆にジェネラルな社会意識を持つうえでは歴史観は不可欠だろうということ。

2013/10/13

建築雑誌2013年10月号・特集「アフリカ・アトラス:サブサハラと日本の都市・建築 Atlas of Sub-Saharan Africa for Japanese Urbanism and Architecture」

cover_201310 連投ご容赦(このところブログ書けず・・・建築雑誌の報告がたまっておりまして)。10月号は、たぶん建築雑誌はじめてのアフリカ特集。担当は、中島直人(慶応義塾大)。そして、アフリカを専門とする若い研究者志摩憲寿(東京大学)、岡崎瑠美(フランス国立科学研究センター)、清水信宏(慶應義塾大学)の3氏には企画の初期段階から全面的に御協力いただいた。あらためて感謝したい。

 前言(これはいつも編集長が書いている)に書いたとおり、ここでのアフリカとは「サブサハラ」のことで、つまり北部のいわゆるマグレブは除いている。マグレブはまあ地中海世界あるいはアラブイスラーム世界といったかたちで理解可能だが、サブサハラサハラ以南)は正直なところ文化地図のイメージが湧かないし、ましてや建築・都市となると・・・しかしこのサブサハラこそがいまネオリベラリズム資本主義(=帝国主義)の国々による資源獲得の触手が延びている地域。そこでは開発を伴わない成長が進行する傾向にある。資源を売り、その対価を手にした者たちが消費者となることでGDPが上昇していく(にすぎない)からだ。都市化についていえば、中野豪雄さんデザインの表紙に示されるように、極端なメガシティが次々に成長拡大して、極端に高度化したコアと、極端に広大なスラムが生み出される、ということになりがちだ。より踏み込んだサブサハラプロファイリングとしては、編集協力者でもある志摩憲寿・岡崎瑠美・清水信宏の3氏の作成したデータを、中野事務所でゴリゴリと制作していただいた「アフリカルテ」にグラフィカルにまとめられている。

 さて、日本の建築学術はアフリカ(サブサハラ)にどう関わりうるのか?

 現状ではこの問いに対して、決して豊かな質と量をそなえた介入の沃野が開けてくるわけではない。が、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の訳者としても知られる文化人類学者・川田順造氏のインタビューを皮切りとし、最後のウスビ・サコ・松原弘典・山形浩生の3氏による座談会で締めくくられる本特集の全記事を通して、じわじわと日本がどうアフリカに関わりうるのか、そのフィールドの所在と倫理みたいなものが相関的に見えてくる気がした。

 そして(実は担当している2012年1月号から個人的にはずっとある意味で同じことを考えているのだが)日本の建築が培ってきた特質が、ここでも歴史的な批判の眼に晒されているのだろうということが読後に実感される。

2013/10/12

建築雑誌2013年9月号・特集「建築年報2013:Anuual Report of Architecture 2013」

cover_201309 9月号は恒例の年報。今年は小特集として「建築会館手冊 AIJ Building Handbook」をつくった。建築会館の履歴、ファシリティ、書店、あるいは情報発信ライブラリーへの脱皮をはかる図書館、日本独自の建築アーカイブを目指す建築博物館について、ルポとインタビューでまとめた。さらに会館界隈のマップをつくろうということで平塚桂さんにお願いしたところ野口理沙子さんのイラストとあいまった楽しい誌面をつくっていただいた。

 会員にとって、こうした環境はいわば自分たちのコモンズ。そのコモンズをまずは知りませう。

 中野豪雄さんの表紙は・・・、これはもう画像では分からないので実物を見て下さい。シルバーに型押し!

2013/10/10

建築雑誌2013年8月号・特集「アジアン・ハウジング・ナウ:Asian Housing Now」

cover_201308 報告遅くなりすみません! 8月号はアジアのハウジングの現在をまとめる特集で、担当は寺川誠司(近畿大学)・初田香成(東京大学)。

 前言にも書いたが、おおむね1980年代、あるいは1990年代はじめくらいまでは、何人かの著者によってアジアのハウジングの状況は日本に伝えられていた。座談会への登壇をお願いした、ホルヘ・アンソレーナ氏(『スラム民衆生活誌―アジア・ラテンアメリカの貧困』明石書店、1984 他)、穂坂光彦氏(『アジアの街 わたしの住まい』明石書店、1994 他)はその代表。布野修司『カンポンの世界』(Parco出版局、1991)もハウジングが主題。また、1982年創刊の雑誌『群居』は、そもそもアジアのハウジングネットワークをつくる媒体たることをひとつの主眼としたもので、いくつかの関連特集も組まれており、セルフヘルプ系のアプローチと、これにかかわる技術の問題群が扱われていた。セルフヘルプ系は一方で『都市住宅』誌のひとつの底流でもあったように思う。こうした主題群は、1970年代にはじまる。

 1970年代にはじまり、1980年代まではそれなりの関心や期待とともに日本にも伝えられていた思想と実践の系が、その後、どのように継承されているのか、あるいは忘却されているのか。それがよく分からない。

 『建築雑誌』では、前編集委員会で制作された、特集「未来のスラム」(2011年1月号)があり、主題はアジアだけでもハウジングだけでもなかったが、マイク・デイヴィスによる『Planet of Slum』 (2006)の邦訳出版(酒井隆史・篠原雅武・丸山里美訳『スラムの惑星』明石書店、2010)のインパクトを受けた特集として記憶に新しい。ターナーらの1970年代のセルフ・ヘルプ・アプローチが、むしろ(帝国主義的な)ネオリベラリズムとの親和性を持っていくことが指摘されたこの本には僕も大いに興味を惹かれた。はたして、70年代的問題系はいまどのように組み替えられているのだろうか。

 近年の動向のなかで、東南アジア・南アジア等のメガシティではスラムの肥大化が起きる一方で、中間所得層の人口も大きくなり、従来、富裕層か低所得層(スラム)かに二極化していた問題構成の「中間」が見えている。一方で日本、韓国、台湾などでは低所得層(若年層と高齢層)のハウジングがいよいよ課題として浮上しており、それが市場原理のなかで不動産を細分化させるような適応を生んでいる。つまり、アジアのハウジングは私たちにとって、「先進国」の高みから見下ろすような対象ではなくなり、グローバル経済とその局地的顕在化という共通の枠組みのなかで、互いに交錯するヴェクトルを見据えながら、互いに学び合うようなものになりつつあるのではないか。そんなことを編集部では考えた。

 今回の特集は、しかし何といっても主担当の寺川さんが構築してきた広いネットワーク(アジア全域に広がるハウジング+まちづくり専門家のつながり)がなければ成立しなかった。ま、おかげで完成までホントにハラハラさせられたわけだけど(笑)。寺川さん作成の「アジアン・ハウジングと Young Professional の挑戦」は、マニラで開かれたCommunity Architects Network への参加報告でもあり、豊富なヴィジュアルも交えた生き生きとしたページ。

2013/07/14

建築雑誌2013年7月号・特集「建築系学会大集合/Assembling All Academic Societies around Architecture」

1307_cover_3どうです、この表紙デザインの強烈なこと。「建築」系学会の生態系を描き出してみよう、というのが今回の特集ですが、これはある種の宇宙図、変相図、マンダラというべきか。中野豪雄さんとしてはちょっと珍しい嗜好では? 否、編集委員から提示されたデータを最も合理的に読者が読解可能なグラフィックに変換する、という意味ではいつもと変わらず一貫してますネ。今回の場合、建築学会の会員がどんな「他学会」に所属しているかを、その所属分野別との相関で表現するために、極座標系が採用されているのです。

 編集手法の特色としては、読者へのアンケートを実施し、そのデータのまとめを誌面の主体としたこと。アンケートはメールで呼びかけてウェブ上で回答するかたちをとりましたが、ネットを使わない会員には会誌上に告知を出してファックス送信もできるように配慮。正確には記憶してませんが、アンケートを開始してから最初の1〜2週間の間に500件ほどの回答があったんじゃないかな。記名(寄稿)のアンケートにご回答いただいた方々も含め、ご協力いただいた皆様に感謝します。

 これらデータ編を「日本建築学会会員から見た学会界」「建築系学会総覧」としてまとめ、これらを、福島真人×村松伸、紺野登×南一誠の、二つの対談(面白い!)が前後よりサンドイッチ。

 今回の編集担当は、饗庭伸(首都大学東京)・竹内泰(宮城大学)・蜷川利彦(九州大学)。主担当の饗庭先生はじめ皆様ご苦労さまでした。

 さて、本当に重要なのは、「日本建築学会」の生きる道、今後の理念と組織体制。それを今回の特集コンテンツをもとに皆さんに議論していただくことです。関連分野の300〜400もある中小学会と比べたとき、やはり3万5千人という会員数と、「建築」の拡がりに即応した包括性は特異で、このこと自体が独自性なのですが・・・隅々にまで惰性的・慢性的に徹底された縦割り組織(これが実態)なんて、この独自性を生かすのとまったく逆の方向性なんだと思いますけどね(会誌編集委員会はあらゆる分野の委員の皆さんと横断的に酒が飲める、刺激的でクリエイティブな委員会です!)。トップダウン的に何らかの意志を働かせるというのがひとつ。だけど、その前に各常置委員会レベルで学会って何?という理念問題を議論すること、大きな目標を決めて段階的な再構築を進めること、そのとき組織に柔軟性・冗長性を残すようにすること、といったあたりを主体的に進めるタイミングに来ているのじゃないかなー。私見です。

2013/06/16

第25回編集委員会(最終回)が終わりました。

2013年6月10日(月)18:00〜20:30、会誌編集委員会の最後の回でした。皆様ほんとうにお疲れさまでした。委員の皆様はもちろん、関係するあらゆる皆さんに、あらゆる面で感謝しております。これで公式には編集委員会の任期終わりです。といっても、12月号までは出し続けないといけないので相当へヴィーな残務がつづくんです。引き続きよろしくお願いいたします。

12月号出し終えたら、ホンマモンの打ち上げをしましょう。

会誌編集委員会は日本建築学会の一機関ですが、その上で私どもの委員会の仕事をどう総括するか、これについてもそのときに。

打ち上げ1次会後に、こんなことしていただいた。嬉しかったけど、めちゃ怖かった。だって下はコンクリート、投げ上げている人たちは酔っぱらい。

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写真:中野豪雄氏撮影

2013/06/13

建築雑誌2013年6月号・特集「拡張する大学院:全入時代の学部と縮小する市場の間で/Expanding Graduate School: Between Today’s Easy-Access Undergraduate Schools and Shrinking Job Markets」

cover_2013066月号は建築教育特集です。編集担当は、生田京子(名城大学)・樫本信隆(日建設計)・砂本文彦(広島国際大学)・田村和夫(千葉工業大学)・渡邉浩文(東北工業大学)の5名の皆さん。なかなか面白い、生き生きした特集になりましたので皆さん是非ご覧ください。

 知らなかったんですが、「ゆとり教育」って「pressure-free education」ていうんですね、まあ「so-called」が付かないと「?」となる感じかもしれませんが。「ゆとり」が、(学力低下はダメだとして、それ以外では)よかったのか悪かったのかはまだ評価できないのでしょうが、それでもうちの子の先生など見てると少なくとも教師に「ゆとり」はなさそうです。

 その「ゆとり教育」世代を迎え入れている大学の学部教育も、文科省やら国交省やらJABEEやら様々な外的「pressure」によって教育内容を平準化せざるをえなくなっているようです。だいたい、戦後体制あるいは1970年代以降の社会・経済体制のなかで整備されてきた建築教育の枠組みが、まさにその社会・経済体制が解体していくなかで、社会から遊離しつつ硬直化してきたわけですが、それを論じたり変えたりするだけの「ゆとり」は必ずしも大学にはありません。大学こそいまや官僚機構みたいなもの、という声も日常的に聞かれます。かといって教員一人一人にだってそれほどダイナミックな再構築への構想力も実行力もあるわけではない・・・という状況のなかで、これまでの象牙の塔にはなかった多様な価値軸や実践性は大学院が担うしかなくなっている。たぶん、大学院は2年間だから学生の回転も早く、カリキュラムのスクラップ&ビルドもしやすいし、研究室等の単位で専門化を前提とした枠組みになっているから、それほど足並みを揃える必要もなく、意欲ある教員が動かせば色々できる、ということなのでしょう。そういうわけで、「拡張」しつつある大学院のダイナミズムを捉えてみようというのが今号の特集です。

 もっとも、いま大学院で展開されている多様な教育研究が、それほど目新しいものでもないかもしれません。むしろ前例はいくらもあるでしょう。でも、それを学生たちが大学の外にカウンター的な価値として探索しつつ世界を押し広げていく、そういう時代ではなく、むしろ大学が当然取り組むべき正しい課題として内部に必死に取り込もうとしている姿が、今日的な状況をよく物語るのかもしれません。今回はそういうなかで理念をもって意欲的な活動を展開している方々で6つの対談を組みました。

 他方で、こうして大学院の研究教育が社会・経済との直接的関係を求める方向に雪崩を打ったように向かいすぎるのも問題で、大学は基本的に社会に役立ちつつ、同時に、役に立たないことをやっていなければ存在理由がないのでしょうね。あるいは、その関係を問い続けるのが大学でしょう。近視眼的な社会順応型の取組みが間違っていると言うつもりはむろんありませんが、しかし社会を遠くから見るような視座と、それを裏付けるような長期の見通しと理念がないと、そのうち学生に愛想をつかされ、大学はへたばっちゃうんじゃ? そのあたり、外部(就職市場サイド)から大学院(大学)への忌憚ないご意見を募りました。読み応えあります。

2013/05/15

建築雑誌2013年5月号・特集「建築評価の現在形:脱中心化・断片化・ローコンテクスト化する言説環境とそのゆくえ/Evaluating Architectural Designs: Prospects for a Decentralized, Segmented, and Low-Context Discourse Environment」

cover_201305表記の特集が出ております。特集担当は吉村靖孝さんを中心に、曽我部昌史・末廣宣子・生田京子・竹内泰の皆さん。

 特集タイトルでは「建築評価」という言葉を使いました。サブタイトル「言説環境」、前言のタイトル「建築は今どんな場所で言説化されているか」というのが特集主旨を示すのに分かりやすいかもしれません。つまり建築はつねに「言説化」を介して成立しているわけですが、言説が生産される環境が今どういう特質を持ち、それはなぜなのか、それでよいのか、どこへ行くのか、といった問いを発する特集を意図しました。40年前あるいは20年前なら「批評を問う」という言い方でよかったでしょうが、それは批評は雑誌で特定の人々によって行われるものという前提があった時代のことで、今では様々な媒体で(定期的に、だけでなく)日常的に言葉が紡がれ、誰もがそれに参加できるようになり、批評不在と言われて久しい。「評価」「言説化」「環境」といった言葉を使ったのはこういった状況と関連しています。

 この十数年の顕著な状況の変化として、もちろん雑誌(紙媒体)の衰退がありますが、必ずしも雑誌が少なくなったことが批評を衰退させているわけではないということは、巻頭の五十嵐太郎×日埜直彦対談で日埜氏が指摘しておられる通りです。これは重要な指摘ですね。もし、建築生産、そのなかでの建築設計者の位置、メディアの機能、教育のあり方、これらすべてが絡んだ歴史過程が、ある意味で必然的に批評を後退させていくような構造とプロセスを含んでいた、とみるならば、安易な因果論は有害だということに気づきます。

 たとえば、なぜ80年代には冗長ともいえる歴史的レファレンスに満ちた文化論的言説が風靡したか、そして、なぜ95年頃以降の建築的言説ではそれが消えるのか。これは60-70年代の建築生産全体の転回、あるいは明治維新にまで遡る議論になっていくでしょう。巻末対談にはこのあたりへの示唆が多く含まれます。近年の雑誌の衰退は、ネット技術が登場したから、というだけでなく、むしろ雑誌というパッケージングを支えていたような種類の言説が近年の情勢では社会的リアリティを失ったからであり、なおかつ容易に洗い流されてしまうほどに思想的にもアカデミックな意味でも知的基盤が弱くなっていたからだとも言えるのではないか。

 もうひとつ。「脱中心化」「断片化」「ローコンテクスト化」といったキーワードで把握できる建築的言説の今日的兆候は、それ自体として決して頭ごなしに否定すべきことではないし、むしろ従来は抑圧されてきたような言説のありよう、あるいは言説の連鎖による知的生産といった可能性が新たに開けてくることに期待してもよい。しかし、情報技術は道具であり、それを使って設計されたコミュニケーション・ツールも、その実際の使われ方も、やはり既存の社会構造というかコミュニケーションの特質と擦り合せられ、馴染まされていくし、馴染ませる余地がなければその社会には浸透しないはず。このプロセスが結果的にコミュニケーションのあり方を変えていくということはありうるが、現実にはそうでもないように見える。小さな微温的コミュニティの明滅的な形成にも、ドメスティックなコミュニケーションが形を変えて温存される傾向が目につくし(実は他者には入り込みづらいハイコンテクストなコミュニケーションが多い)、批判を組み立てる言葉は醸成されにくく、むしろ弱まっていく。

 この特集では、巻頭対談と巻末座談にはこうした疑問とかかわる示唆がたくさん含まれているのですが、全体を通読すると、今日的状況への批判的視座が決して広く共有されているわけではないことが分かる結果となりました。もちろん、編集サイドの戦略が十分でなかったということは重々承知しつつ、深刻な状況だなと思わざるをえません。危機感はつねに歴史意識から立ち現れて来るものだとしたら、歴史(歴史教育を含めて)の立て直しこそが重要な課題なのだということを再認識しました。

2013/05/06

日本タイポグラフィ年鑑グランプリの賞状が届いた。

201304_JapanTypography_certificate先日もお伝えしましたが、『建築雑誌』の表紙デザインを含むアートディレクションをお願いしている中野豪雄さんが日本タイポグラフィ年鑑グランプリを受賞されたのですが、その賞状(写真)を、クライアントである編集委員会(代表して私のところ)と事務局にも送ってくださいました。

あらためまして、おめでとうございます。

12月号まで、引き続きどうぞよろしくお願いします。

2013/04/22

中野デザイン事務所の中野豪雄さんが『建築雑誌』の表紙+エディトリアルデザインで日本タイポグラフィ年鑑グランプリを獲得され、その表彰式に、クライアントってことで学会副会長とともに行ってきた。

P4190131 4月19日、堀口・神代展の設営日、途中抜けて日本タイポグラフィ年鑑受賞式へ。

 編集委員会を代表して青井、事務局担当者として片寄さん、そして建築学会長の代理として副会長の布野修司先生が臨席。ええっナニその組み合せ?・・そうです、布野はぼくの師匠です。まあ偶然の必然です。

 授賞式はとてもキチンとしていて、受賞者としてマイクの前に立った中野さんの言葉もほんとにキチンとしていた。キチンとした仕事が評価されるのは嬉しいものですね。

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 授賞式は6時前に終了し、布野・片寄・青井で明大横のナポリへ。堀口・神代展の設営を終えた学生たちも合流。布野先生は、宮内康らとの同時代建築研究会の活動を通して神代先生と何度か議論を交わしている。そのあたりの話をいろいろうかがいつつ飲んだ。