VESTIGIAL TAILS/TALES : akihito aoi’s blog

2018/03/01

戦後空間シンポジウム01民衆・伝統・運動体のレビュー記事3本が『建築討論』誌で公開されています。

日本建築学会〈戦後空間WG〉主催「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」(20171216)続報です。10+1 website 2018年2月号PICKUPに続き、日本建築学会のウェブマガジン『建築討論』にてレビュー記事が出ました。2誌連動企画。特集前言から引用しておきます。

10+1 website ではシンポジウムの枠組みと報告および討議の記録が掲載され、本誌では逆井聡人(日本近代文学表象文化論)、高田雅士(日本近代史)、辻泰岳(建築史・美術史)の3方にシンポジウムに参加のうえレビューを執筆いただいた。これまで建築ジャーナリズム内部の議論としてのみ語り継がれてきた50年代の「民衆論」「伝統論」が、どれほど大きな地図と錯綜した線のなかにあったのか ─── 議論のアリーナが設営し直されたという印象である。

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2018/02/17

戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体(20181216)の内容、10+1 website にて公開

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去る2017年12月16日(土)に建築会館(日本建築学会)ギャラリーにて開かれた「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」の内容が、10+1 website の pick up にて公開されました。

 建築論の1950年代を、冷戦の政治地図のなかに置き、文学等の他ジャンルとつなぐ横軸と、1920年代から今日までの反復強迫の縦軸とから捉え直し、「戦後空間」に走る力の作用線を描き出しています。ぜひお読みください。

主旨説明 青井哲人建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカ建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈輻輳
Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/University of Washington/1965-)

コメント 日埜直彦(建築家/1971-)
討議

 シンポの構成は下記のとおりでしたが、字数等に制約があり、趣旨説明・講演1・講演2・コメントは青井が概要まとめ、討議部分は文字に起こしたが、会場に開いて以降の討議については活字化を見送らざるを得ませんでした。この点、活発かつ鋭いコメントを下さった来場者やWGメンバー各位にお詫びします。

 今回のシンポは2017年1月発足の「戦後空間WG」の公開キックオフでした。今後も大小のシンポジウムが続々企画されますので、みなさま議論にご参加ください!

2017/11/26

【再掲】要申込 「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」12月16日(土)田町の建築会館ギャラリー

戦後とはひとつの空間であった    この空間の存立構造を問う連続シンポの第1回目を行います。近代文学鳥羽耕史さん、建築史のケン・タダシ・オオシマさん(ワシントン大学)が講演(日本語です)、建築家の日埜直彦さんがコメント。なぜ、建築家は「民衆」や「伝統」に向かうのか。1950年代の運動は、私たちの何を決めたのか。民衆論・伝統論をめぐって日本の戦後建築を考える従来の視野が一挙にひろがります!

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このポスターの制作は早稲田大学中谷研究室の重本大地君(ありがとう!)。以下、開催概要です。

1950年代の「民衆論」「伝統論」は、従来あまりに建築ジャーナリズム内的な視野でのみ語られてきましたが、これを、より大きく、うんと立体的な地図を押し広げつつ、捉え直す必要があります。そうでないと、そこに「戦後空間」は見えてきません。たとえば、あれは何か「戦後」的な「新しいリアリズム」をめぐる広範な芸術諸分野の運動のひとつだったのではないか、という視野もそのひとつである。すると、分野横断的に、広大なソヴィエト連邦の西(東欧および西欧)と東(中国および東アジア)にあった左翼芸術家たちにとっての切実な課題と、アメリカとの関係を緊密化させていったモダニストたちの問いの更新への模索とが、実践の時代に差し掛かった50年代に接近し、「民衆」や「伝統」の把握の書き変えというかたちで焦点化されていたのではないか、という見立てができそうに思われてきます。さて。

戦後空間シンポジウム01
民衆・伝統・運動体    1950年代建築文学・日本とアメリカ

日時:2017年12月16 日(土)13:30~18:00
会場:建築会館ギャラリー(東京都港区芝 5-26-20 建築会館 1 階 ギャラリースペース)
主催:日本建築学会 建築歴史・意匠委員会(企画:同委員会 戦後空間WG)

主旨説明 青井哲人建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカ建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈輻輳 Architectural Exchanges between Japan and the United States: Intertwined Perspectives of 'People' and 'Tradition'
ケン・タダシ・オオシマ Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/Japan Studies Program, University of Washington/1965-)
 *日本語で講演されます。
コメント 日埜直彦(建築家/1971-) 討議

参加費:会員 1,500 円、会員外 2,000 円、学生 1,000 円(資料代含む 当日会場でお支払いください)
定 員:60名(申し込み先着順)
申 込:Web 申し込み https://www.aij.or.jp/event/detail.html?productId=610559 よりお申し込みください
問合せ:日本建築学会事務局 事業グループ 一ノ瀬 TEL:03-3456-2051 E-mail:ichinose@aij.or.jp

<主 旨>

建築論・建築的実践が接続すべき人々(people)を呼ぶ日本語は、時代によってさまざまに変転してきた。国民、人民、民衆、人間、大衆、住民・・・。これが底流的に、あるいは反復強迫的に、〈戦後空間〉という磁場のひとつの極をなしてきたといってよいだろう。しかし、なぜそうなったのか。

このシンポジウムでは、1953~57年頃の「民衆論争/伝統論争」の《周辺》を問う。これら論争は、従来、丹下健三/西山夘三(近代主義/マルクス主義の対立)、丹下健三/白井晟一(弥生的洗練/縄文的野蛮)といった対立の図式として知られ、また民衆的エネルギーの建築的表現という問題系においてメタボリズム運動の前史として捉えられることもあった。しかし、これらはあまりにも「建築」(建築ジャーナリズム)内的な論調であり、少し視野を広げるだけで50年代の建築をとりまく状況はかなり違って見えてくる。

ここでは文学をみてみよう。中央・地方の文芸誌の運動、文化サークル運動、生活記録運動、国民的歴史学運動、アヴァンギャルド文学・美術の運動・・・。そこには、戦前と変わらぬ教条的・定型的な抽象的議論をふりはらい、一歩踏み出して、作家(専門家)が民衆・社会にどのように方法的につながるかを模索する「新しいリアリズム」が実践を通して目指されていた。

このような視角から建築1950年代を見直すと、そこにも多数の小さな「運動体」の簇生、建築雑誌編集者たちの「運動」、あるいは農村を目指す「運動」などがあり、やはり「新しいリアリズム」の獲得が目指されていたことがうかがえる。朝鮮特需、ビルブーム。復興から成長へ、民主化から右傾化へ、という時代の趨勢は、進歩的建築家を糾合した戦後間もなくの運動体NAU(新日本建築家集団、1947-)を崩壊させたが、その後にこそむしろ実践の可能性が探索されたのだろう。

一方で興味を引くのは、「民衆」「伝統」をめぐる議論に、特徴的な「世界地図」が見えそうなことである。「新しいリアリズム」を目指す運動は、ソヴィエトの東西両周辺で起きていた。つまり東欧諸国(および西欧の左翼)と、中国(および東アジア・中米の左翼)である。そこには広大な〈国際空間〉がイメージされていた。

そのようにみるとき、他方で、アメリカ合衆国と日本のあいだにつくられた文化・情報の〈交通空間〉の重要性もまた明らかになってくるだろう。この線を通じての日米の人的交流もまた、「新しいモダニズム」という回路において「民衆論/伝統論」を活性化させただろう。

戦後空間シンポジウム01では、以上のように(1)文学の潮流を参照し、(2)アメリカとの人的交流を見ることによって、「民衆/伝統」をめぐる議論と運動についての私たちの見方を立体化し、「戦後空間」のひとつの捉え方の可能性を見出したい。

2017/11/04

要申込・先着順! 「戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体」12月16日(土)田町の建築会館ギャラリー

戦後とはひとつの空間であった    この空間の存立構造を問う連続シンポの第1回目を行います。

1950年代の「民衆論」「伝統論」は、従来あまりに建築ジャーナリズム内的な視野でのみ語られてきましたが、これを、より大きく、うんと立体的な地図を押し広げつつ、捉え直す必要があります。そうでないと、そこに「戦後空間」は見えてきません。たとえば、あれは何か「戦後」的な「新しいリアリズム」をめぐる広範な芸術諸分野の運動のひとつだったのではないか、という視野もそのひとつである。すると、分野横断的に、広大なソヴィエト連邦の西(東欧および西欧)と東(中国および東アジア)にあった左翼芸術家たちにとっての切実な課題と、アメリカとの関係を緊密化させていったモダニストたちの問いの更新への模索とが、実践の時代に差し掛かった50年代に接近し、「民衆」や「伝統」の把握の書き変えというかたちで焦点化されていたのではないか、という見立てができそうに思われてきます。さて。

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このポスターの制作は早稲田大学中谷研究室の重本大地君(ありがとう!)。以下、開催概要です。

戦後空間シンポジウム01
民衆・伝統・運動体    1950年代建築文学・日本とアメリカ

日時:2017年12月16 日(土)13:30~18:00
会場:建築会館ギャラリー(東京都港区芝 5-26-20 建築会館 1 階 ギャラリースペース)
主催:日本建築学会 建築歴史・意匠委員会(企画:同委員会 戦後空間WG)

主旨説明 青井哲人建築史/明治大学

講演1 文化運動のなかの民衆と伝統
鳥羽耕史(日本近代文学・戦後文化運動/早稲田大学/1968-)

講演2 日本とアメリカ建築的交流:「民衆」と「伝統」をめぐる文脈輻輳 Architectural Exchanges between Japan and the United States: Intertwined Perspectives of 'People' and 'Tradition'
ケン・タダシ・オオシマ Ken Tadashi Oshima(Architectural History, Theory and Representation/Japan Studies Program, University of Washington/1965-)
 *日本語で講演されます。
コメント 日埜直彦(建築家/1971-) 討議

参加費:会員 1,500 円、会員外 2,000 円、学生 1,000 円(資料代含む 当日会場でお支払いください)
定 員:60名(申し込み先着順)
申 込:Web 申し込み https://www.aij.or.jp/event/detail.html?productId=610559 よりお申し込みください
問合せ:日本建築学会事務局 事業グループ 一ノ瀬 TEL:03-3456-2051 E-mail:ichinose@aij.or.jp

<主 旨>

建築論・建築的実践が接続すべき人々(people)を呼ぶ日本語は、時代によってさまざまに変転してきた。国民、人民、民衆、人間、大衆、住民・・・。これが底流的に、あるいは反復強迫的に、〈戦後空間〉という磁場のひとつの極をなしてきたといってよいだろう。しかし、なぜそうなったのか。

このシンポジウムでは、1953~57年頃の「民衆論争/伝統論争」の《周辺》を問う。これら論争は、従来、丹下健三/西山夘三(近代主義/マルクス主義の対立)、丹下健三/白井晟一(弥生的洗練/縄文的野蛮)といった対立の図式として知られ、また民衆的エネルギーの建築的表現という問題系においてメタボリズム運動の前史として捉えられることもあった。しかし、これらはあまりにも「建築」(建築ジャーナリズム)内的な論調であり、少し視野を広げるだけで50年代の建築をとりまく状況はかなり違って見えてくる。

ここでは文学をみてみよう。中央・地方の文芸誌の運動、文化サークル運動、生活記録運動、国民的歴史学運動、アヴァンギャルド文学・美術の運動・・・。そこには、戦前と変わらぬ教条的・定型的な抽象的議論をふりはらい、一歩踏み出して、作家(専門家)が民衆・社会にどのように方法的につながるかを模索する「新しいリアリズム」が実践を通して目指されていた。

このような視角から建築1950年代を見直すと、そこにも多数の小さな「運動体」の簇生、建築雑誌編集者たちの「運動」、あるいは農村を目指す「運動」などがあり、やはり「新しいリアリズム」の獲得が目指されていたことがうかがえる。朝鮮特需、ビルブーム。復興から成長へ、民主化から右傾化へ、という時代の趨勢は、進歩的建築家を糾合した戦後間もなくの運動体NAU(新日本建築家集団、1947-)を崩壊させたが、その後にこそむしろ実践の可能性が探索されたのだろう。

一方で興味を引くのは、「民衆」「伝統」をめぐる議論に、特徴的な「世界地図」が見えそうなことである。「新しいリアリズム」を目指す運動は、ソヴィエトの東西両周辺で起きていた。つまり東欧諸国(および西欧の左翼)と、中国(および東アジア・中米の左翼)である。そこには広大な〈国際空間〉がイメージされていた。

そのようにみるとき、他方で、アメリカ合衆国と日本のあいだにつくられた文化・情報の〈交通空間〉の重要性もまた明らかになってくるだろう。この線を通じての日米の人的交流もまた、「新しいモダニズム」という回路において「民衆論/伝統論」を活性化させただろう。

戦後空間シンポジウム01では、以上のように(1)文学の潮流を参照し、(2)アメリカとの人的交流を見ることによって、「民衆/伝統」をめぐる議論と運動についての私たちの見方を立体化し、「戦後空間」のひとつの捉え方の可能性を見出したい。

2016/11/12

20160925「都市としての闇市」・・・もうかなり前になりますが。

闇市研究会主催のこのシンポに、日本近世史の小林信也先生、社会学・都市論の吉見俊哉先生とともにコメンテーターとして参加させていただきました。ほんとはこの研究会のメンバーだったのですが前に足を洗い(笑)、少し時間が経ちました。この間にヤミ市研究会は『盛り場はヤミ市から生まれた』および『同 増補版』を出していますが、さらにその後各メンバーが個別あるいは共同で進めつつある作業群を「闇市研究のフロンティア」として提示する試み。

公開研究会「都市としての闇市 闇市研究のフロンティア」
 2016年9月25日(日)13時〜17時30分
 東京⼤学⼯学部⼀号館3階建築学専攻会議室
 司会:橋本健二
 主旨説明(初田香成・10分)

  • 初田香成「全国の闇市の成立と展開」
  • 村上しほり「占領軍と闇市」
  • 中島和也「社寺境内の闇市」
 コメント
  • 初田香成「テキ屋と闇市」
  • 石榑督和「実測(図)からみるマーケット」
  • 橋本健二「闇市からの出発」
  • 逆井聡人「闇市とレイシズム」
  • 井上健一郎「闇市横丁の再生」
 コメント
全体質疑(20分)
まとめ(橋本健二・5分)
コメンテーター
 青井哲人建築史・明治大学理工学部建築学科准教授)
 小林信也(日本史・東京都公文書館)
 吉見俊哉(社会学・東京大学大学院情報学環教授)

「闇市研究」は、共同研究プロジェクトとしては、かなり面白いと思う。色々な分野の研究者が「闇市」という対象を共通項として集まる、ということが面白い。逆にいえば、プロジェクトによって闇市の像が多角的に充実した立体となっていくだけでなく、各々が(プロジェクトにおいて闇市を位置づけている)フレームワークやパースペクティブが更新されていかなくてはあまり意味がないと思うのだ。

そんなことを考えたときに重要な視点となるのは、闇市にまつわる「量」と「政治」なんじゃないかと僕は思う。闇市というのは闇取引の市場であって、それを一般の市場から区別するのは「ヤミ性」だ。したがって通常(というか定義上)それは地下化していて見えないのが当然である。しかし太平洋戦争の敗戦は、本来なら不可視のヤミの空間を、地上に、大量に、出現させた。それゆえに、ある種の空間的・景観的な特質もかたちづくられた。これらが「闇市」(戦後闇市)の基本的な特質だろう。地理的には主要駅だけでなく郊外部にまで分布し、社会経済的には出自の異なる無数の素人を商人に変え、また表象的には統制解除(=ヤミ性の解消)後にも維持・強化されるようなイメージを形成し、そして都市政策的にはこれまた圧倒的な経済復興・成長とぶつかって整理対象とされていった・・・という一連の事情が、私たちの「闇市」理解を強く規定している。これらはいずれも「量」なしには起こり得なかったことだろう。

 次に「政治」である。ヤミが地上化する事態が大量に生じたのは、行政・警察機構がイリーガル・セクターと手を組まざるをえないほどに、通常の経済が麻痺したからだろう。しかも商業者は大量の「素人商人」である。いくつかの部門が抜き差しならない利害関係をもって有機的に協調する、一種のコーポラティズムをそこにみることができる(たとえ消極的な選択であったとしても)。突飛なことをいうと、占領軍が天皇を担ぐ、という構図があらゆる戦後的な協調を吊り支える、象徴的な協調であったという見立てもできそうな気がする。

 逆に、統治者にとって、この種の協調はあくまで社会統治の手段だったのだから、闇市が狂乱状態や暴動・革命の原因になるようなら取り締まらなければならない。それ自体、微妙なバランスの求められる政治的問題だった。そのうえ店主も客も素人だったのだから、闇市は社会一般からみて特殊な領域だったのではなく、ほとんどの国民がその一部だったのだ。闇市の制御は相当に難しい問題だったのではないか。

 しかも、社会の一部には闇市への倫理的な憎悪がみられた。逆井さんによれば、その憎悪が社会的・民族的な周縁性に投影され、闇市を旧植民地・旧外地人(第三国人)に結びつける文化表象が形成される。それは保守的政治家などにも顕著な傾向だったようだし、エリート文化人の場合もそれが大衆憎悪と結びつくかたちで意外に根強かったのではないか。では、左翼の闇市観はどうか。逆井さんに尋ねたところ、それも単純でなかったという。左翼にも、ヤミ性を倫理的に間違ったもの、封建的・旧弊的なものとして嫌悪するグループもあれば、むしろ民衆的リアリティそのものと賞賛し、さらに積極的にオルグ(組織化)の対象として捉えるグループもあったという。占領軍・政府はこの後者の側面に注意を向けざるをえなかっただろう。1947年のゼネスト中止命令以降の、いわゆる“逆コース”のなかで闇市の取締が強化されていったのも当然である。

 そんなわけで、橋本先生の「社会移動」(階層間の移動)の計量分析を歴史研究に応用するアプローチはマクロな社会構造・社会変動のなかに闇市の位置と輪郭を与えており、これは文句なしに素晴らしかったのだが、加えて、表象文化論の立場から闇市の「政治」に切り込んだ逆井さんと、占領軍と闇市との関係に迫るために基礎的な作業を積み上げつつある村上さんに、僕は多くを教えられ、刺激された。また議論しましょう。

2016/10/18

法政大学建築フォーラム「建築と都市と民主主義を考える」20160927〜1206

20160824HUAF2016flyer「民主主義」というレンズを通して建築と都市を捉え直してみよう、という講演シリーズ。時宜を得たテーマですね。コーディネータは橋本純さん。第1回の湯浅誠さん、第2回の僕はもう終わってしまいましたが、今後も面白そうな講演が続くので是非。

このシリーズ、学部3年生向けの授業として位置づけられているようですが、公開講座でもあって、学生・院生から教員・社会人まで大勢聴講されてます。ポスターには書かれていますが、法政の専任教員がディスカッションの相手役をつとめるかたちになっています。そうそう、終了後はワンコインパーティもありますよ。

左の画像、クリックで拡大(法政大のページ)。


法政大学建築フォーラム:「建築と都市と民主主義を考える」
モデレーター:橋本 純(編集者)

第1回  9月27日(火)湯浅 誠(社会活動家・法政大学教授)「都市はだれのものか--公共性について」
第2回 10月11日(火)青井哲人建築史家・明治大学准教授)「「民主主義」を建築はいかに翻訳してきたか--戦後史の見直しから」
第3回 10月25日(火)吉良森子(建築家・神戸芸術工科大学客員教授)「今、ヨーロッパで起こっていること--社会的空間を形成する主体から考える」
第4回 11月8日(火)饗庭 伸(都市計画家・首都大学東京准教授)「超民主主義社会における縮小都市」
第5回 11月15日(火)青木 淳(建築家・東京藝術大学客員教授)「建築の都市性について」
第6回 11月22日(火)内藤 廣(建築家・東京大学名誉教授)「3.11以後の日本社会と都市と建築の行方」
第7回 12月6日(火)水野和夫(経済学者・法政大学教授)「ポスト資本主義社会のイメージ」

 僕は「「民主主義」を建築はいかに翻訳してきたか    戦後史の見直しから」と題して話をしました。45年〜50年頃の文学建築などでの文化運動(民主人民戦線)、50年代の民衆論・伝統論の構図、CIAM批判から出てくる個と全体の問題、それらの延長上に展開する60年代、そして70年前後のパラダイム・シフト、近年の50-60年代回顧ブームと70年代的問題設定の広範な微温的回帰といったところでしょうか。

 「時宜を得たテーマですね」なんて書きましたが、正直いうと、僕は「民主主義」×「建築」などという厄介なお題について、学部3年生からプロまでを含む聴衆に向けて60分で話せ、などという無理難題をいただいて頭を抱えました(抱えないはずがない)。そもそも「民主主義」が説明できそうにないのに、そこに「建築」というまたよく分からないものを掛け算して・・・ややこしすぎる! でも、逆に考えると、「建築」というあやふやなものが、「民主主義」というもうひとつの漠たる正しさによってその定義さえも規定される、あるいは少なくともどこに向かうと正しいとされるのかが規範化される状況があったのだと考えると、腑に落ちてくる気もしたわけです。

 今回、戦後建築史の主だった言説をざっと点検してみたところ、建築人の言説には、予想に反して「民主主義」という言葉はあまり出てこないことがわかりました(あくまで、ざっとですけどね)。浜口隆一『ヒューマニズムの建築』(1947)なんて「民主主義」を連呼していると思い込んでいましたが、じつは全然出てこない。興味深い発見でした。彼らは民主主義という「正しさ」の負荷を強烈に感じていたはずですが、それを直接言説化していないのです。おそらく、建築人たちはそれを、現実的な社会構築の問題というよりは、エリートたる建築人(とそのコミュニティ)が民衆との関係において自身をいかに正当に構えうるかというモラルの問題として受け取ったのです。まず、その翻訳の構図自体が問われるべきです。「人民のための建築(家)とは何か」という受け止め方ですね。

 今回、1948〜53年に中学・高校の社会科の教科書として広く使われた文部省編『民主主義』という本があることを知って、読んでみました。当時の中学校はレベルが高かったんですね。興味ある方、是非読んでみてください。この本で何よりも強調されているのは、民主主義は狭義の政治の問題というよりも、自律した個人としてのひとりひとりが、自己と他者とを尊重し、自由と平等を価値として生きる、そういう「精神」の問題である、ということです。やはりモラルの問題ですね。そして、そうしたモラルを個人と社会が共有できないと、独裁や全体主義を招き、「戦争と破滅」に至るのだと断言されています。

 「人民の建築」「民衆的建築」などといった内実のよく分からない言葉も、当時の認識のコードにおいては、たとえば国家や資本という「権力」への建築家の奉仕を反対側(悪)に置いて、人民・民衆への奉仕を正義(善)とするモラル問題であったことが理解できます。そういった回路において、こうした標語は、民主主義の建築的翻訳だったのでしょう。繰り返しますが、こういった翻訳の回路自体がまずは問われるべきです。戦後すぐから、リベラリスト(モダニスト)とマルキストの間で、どちらが「人民の建築」の正しい理解かを争うディベートがありますが、それはたとえ当人たちにとっては切実な問いであったとしても、彼らが「人民」「民衆」と呼んだ人々が関知するはずもない抽象論でした。

 50年代に入り、朝鮮戦争の特需のおかげもあって都市復興が動きはじめ、実際に建物がたつようになると、40年代の形式ばった党派的な論議が、実践とそのターゲットの問題へと書き換えられ、活気づきます。民衆論争・伝統論争がそれですね。これらは「民衆+伝統」論争として一体的に理解すべきものと思いますが、その読み直しはとっても重要な課題だなとあらためて思いました。あれはたんに狭義のデザインにおける国際的標準と伝統との接続の問題ではない。巨視的には、アメリカ占領政策の保守化(いわゆる逆コース)の線と、ソビエトが各国共産党に指示した民族独立戦線の方向性とが交差したところに、戦後数年のあいだタブーとして抑制されていた戦前以来の「伝統」の議論が、50年代に「民衆」とくっついて噴出する背景があった。そして、広くとると1953〜57年の数年間に及んだこの論争は、「民衆+伝統」に対してどう構えるかという問いを突きつけ、あるいは少なくともそのような効果を持ちました。建築家だけでなく多くの建築専門家がどの線に自分の身を置くのかの選択を迫られ、急速に分裂・分岐していったように見えるのです。それは他ならぬ論争を仕掛けたジャーナリストたちも例外ではありませんでしたし、また戦前派の一部の人たちはこのとき決定的に時代遅れとなりました。それが、60年代の動きの背景的構図をなし、そしてパラダイムの変わる1970年頃(68年といってもよいですが)の断面にも大きな影を落としている。

 「民衆+伝統」は今日でも決して死んだ主題ではないでしょう。「民衆」はもちろんですが(たとえば「みんな」という言葉はすでに50年代後半には「建築界の民主化」や「人民の建築」を歌うなかで使われています)、「伝統」も各時代に思わぬかたちで回帰してきた(いる)のでしょう。それらは何だかんだ言っても知識層である建築人たちが何らかの時代状況と自分らの職能が置かれた環境のなかから、勝手に言挙げして自縄自縛に陥ることが多いのです。それは民主主義とほとんど何の関係もないでしょう。いま言いたいのは、自分の都合で立ち上げた命題を民主主義と混同しても捻れていくだけ、ということです。では建築専門家がまともな社会運営に果たすべき役割は何でしょう。新国立、豊洲あたりはその辺を問うてますよね。

2016/09/27

ISAIA 2016@Sendai has been Closed with a Great Success!

2016年9月20日〜23日にわたって開催された11th ISAIA 2016@Sendaiが大成功のうちに閉幕しました。中国・韓国・日本の3建築学会が2年に1度持ち回りで開催している国際会議です。今回は Student Competition、Sendai Declaration、そして Indonesian Built Environment Research Institute のゲスト参加といった新しい試みもありました。

↓フェアウェル・パーティで上映されたムービー

実行委員会の一員として振り返ると、小野田・渡辺両委員長、委員の皆さん、事務局の方々、学生ヴォランティア・・・がチームでつくりあげた会議でした。フェアウェル・パーティの随所にそのことが現れていたように思います。

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↑実行委員会プログラム班の隊長3連射。

青井もプログラム班の一員でして、決して真面目な委員ではありませんでしたが、本番は4日間にわたり駆けずり回りました。主な仕事のひとつは、牧紀男さんとTheme Session A: A World Beyond Borders, the Wisdom Shared by People: Our Future Cities and Regions under Risksの企画・進行を担当したこと。パネリストの皆さん、ありがとうございました。4時間を超える充実のセッションでした。

Theme Session A: Risk Management, Disaster Prevention, Mitigation and Recovery
A World Beyond Borders, the Wisdom Shared by People: Our Future Cities and Regions under Risks

Part1 Strategy for Our Future City Management

  • Yumiko Noda (Partner, PwC Advisory LLC, Japan)
  • Lee, Kyung Hoon (Professor, Korea University, Korea)
  • Yao Dong (Associate Professor, Dongji University, China)

Part2 Toward Establishment of an Asian Disaster Recovery Cooperation Network
  • Norihito Nakatani (Professor, Waseda University, Japan)
  • Osamu Murao (Professor, International Research Institute of Disaster Science, Tohoku University, Japan)
  • Ikaputra (Associate Professor, Universitas Gadjah Mada, Yogyakarta, Indonesia)
  • Song Bo (Director, China Architecture Design Group, China)
  • Seo, Soo-Yeon (Professor, Korea National University of Transportation, Korea)

Moderator:
  • Norio MAKI (Professor, Disaster Prevention Research Institute, Kyoto University, Japan)
  • Akihito AOI (Associate Professor, Meiji University, Japan)

2016/03/11

3月17日(木)18:00〜 千年村プロジェクト勉強会シリーズ「先達に学ぶ」にて

来る3月17日、千年村プロジェクト先達に学ぶの第2回レクチャをすることに。この機会に僕も色々教えていただこうっと。下の画像は『康熙臺灣輿圖』(部分、オリジナルは536×66mm、作成1699-1704頃)。上が東側(中央山脈)、下が西側(西部平原−台湾海峡)である。幾筋もの河川が流下する。緑深い山々から運ばれた土砂が扇状地をつくり、それらが互いに連接するようにして平野を押し広げてきた。17世紀前半の台南にはじまる漢人入植の動きは次第に北上し、18世紀に入る頃(この絵が描かれた時期)には濁水渓流域(画面中央)にも彼らの活動の場と行政や軍事の拠点も生まれつつあるが、まだ原住民たちのテリトリーも併存している。いくつかの都市類型と灌漑農地が固有のリスクを抱え(抑え)つつ明瞭なレイアウト・パタンを描くようになるのは、さらに半世紀、いやもう少し先だろうか    今回の舞台は19世紀。暴れ狂う濁水渓の流域に展開した人間集団の相克を、いささか乱暴ながら仮説的に描き出してみようと思う。

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講演者:明治大学 青井哲人准教授(http://www.meiji-aoilab.com/
タイトル:都市の不安定性をめぐって 台湾・濁水渓流域の都市と人間集団
日時:2016年3月17日(木)18:00〜20:00
場所:早稲田大学西早稲田キャンパス 55号館S棟 2階 第三会議室
定員:約40名 入場無料

2016/02/29

『明治神宮以前・以後』の書評会、丸一日。

 藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子編『明治神宮以前・以後―近代神社をめぐる環境形成の構造転換―』(鹿島出版会、2005)に関する書評がいくつか出ていることは前に当ブログ(この記事)でまとめた。今後もまだ出るようで、ありがたい。

 で、昨日は2日にわたる第1回 宗教とナショナリズム 研究会(2月27〜28日)の一貫として、この本の公開書評会が催された。企画は藤田大誠さん(御苦労さまでした、感謝!)。そしてお迎えした錚々たる批評者は下記4方。9時から17時まで、批評と応答で丸一日(懇親会は23時まで)。

批評者:
 土居義岳(九州大学芸術工学研究院教授 西洋建築史)
 平山 昇(九州産業大学商学部講師 日本近代史
 小島伸之(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授 憲法・近代日本法史・宗教社会学)
 山口輝臣(九州大学人文科学研究院准教授 日本近代史

 平山さん、小島さん、山口さんからも鋭い批評をいただいたが各々書評記事として出版された(される)ので、ここでは建築を中心に振り返る。建築分野では私から是非土居義岳先生をお招きしたいと推薦し、土居先生にも快くお引き受けいただいた。稀有な批判的建築史家にしてフランスを中心とする西洋建築史研究者たる立場から、日本の「建築と宗教」をめぐる歴史過程について比較史的な見通しを鮮やかに開いてくださるだろうと考えたからだ。そしてまさにそのような批評をいただいた。これまでメールでやり取りすることはあったが、昨日はたくさんお話できて率直に楽しかったし、僕の頭もクリアになった。それにしても先生が仮説的整理を組み上げる速度には正直びびった・・・などと思い出していたらさっそく土居先生がブログで昨日のことを書いてくださっている。→「國學院大學たまプラーザキャンパスにて」土居義岳の建築ブログ

 ブログには書いておられないが、土居先生は僕が担当した「第1章 神社における「近代建築」の獲得」について、いかにも曖昧で不自由な(あるいは端的に幻想というべき)「近代建築」の獲得・達成というプロットをとることの問題性(そういうのはやめようよということ)を書評会ではご指摘くださった。8年前に明治大学に来て、まもなく旧知の友人を含む神道史、宗教社会史、地域史、造園学などなどの皆さんと研究会をはじめた頃、神社建築の辿った思想史的軌跡をテコに、日本近代建築史を書き換えられるはずだと漠然と思っていたのだから、「近代建築」を所与の達成目標とするかのような従来型建築史の書き方に見えてしまってはダメなので大いに反省したのだが、著者としてはいちおうアイロニカルではある。神社も、いわば学校や病院と同じく社会政策的枠組のなかで制度としての「近代建築」になったのである。様式(表象)を後退させ、身体・行為の社会的意義が主題化され、経験主義的フィードバックを通して量産に適合的な一定の標準型がテクノクラートたちによってつくられていったわけだから。

 一方で神社の空間は建物だけでない。明治神宮以後ははっきりと森+社殿を一体的に捉える理論(アーキテクチャ)によって整序されていった。明治期には神社といえば社殿のことを指していたのに、昭和期には明らかに森の認識がドミナントになっていく。人為から自然へ。人為を排した有機的 organic な世界の生成の奥深さとして自然をロマン主義的に理解するモードさえできれば、森はある種の全体性のモデルを与えるか、機械的=力学的 mechanical な世俗界を補完するか、あるいはそもそも理解以前に美的な降伏を欲望させる(西行の歌「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに・・」の常套句化)ようになるらしい。つまり宗教性を持ちはじめる。

 土居先生が昨日前提とされたのは「政教分離後の聖性の再構築」というような枠組みで、では日本の場合、神社の場合、それはいかなるシナリオで理解可能か、ということであり、それを建築に引き付けるとどうなのか、ということであった。カトリックの後退は、たとえば自然科学主義思想やそれと絡みあう一群の宗教運動的な動きを生み出したりしたことも知られているし、いずれにせよ哲学や歴史学(普遍史)や社会学や生物学や・・・あるいは芸術が、交錯しながら聖性を練り上げていく。もちろん、それは近代産業社会をどう編成するかという問題でもあった。

 そこでぼくは「生成的なものの技術化」というようなコンセプトを考える(考えてきた)。たとえば王権の崩壊によって顕わになったバラバラな人々の集合(ゲゼルシャフト)を理論化したのが社会学で、つまり「社会」はバラバラ性からなぜだかそれなりの全体がたちあがる生成の謎として発見された。心理とか無意識のような謎も教会の衰退のなかで対象化された。生物の生長・進化も、神が制御しない無目的な過程として捉え返された。こうした生成的なものの発見と理論化が19世紀を通じて進み、20世紀、とりわけ1930年前後の自由主義から計画主義への転換のなかでそれが技術化された。そんなわけで神社では森がやはり重要なのである。それは「生成的なもの」だからこそ聖性をもち(ダジャレじゃなく)、しかしすでに「技術化」されてもいたのである。

 神社の建物(社殿建築)は、つまりその人為性・構築性ゆえに後退を余儀なくされた。とはいえ、上にも書いたように、社殿建築でも「社会」は主題化されている。バラバラの人々がどのように流れ寄り、手を合わせ、祭儀に参加し、去ってゆくのか、それはどのように社会統治とかかわりうるのか・・・。これもまた生成的なものの技術化であり、社会的な身体に建築を適合させる方向性をもつ。だがやはり建築が自然であることは難しい。昭和戦中期の神社量産時代の造営の頂点にいた角南隆は、1940年頃から地域主義的な思想を部下たちに吹き込みはじめたらしいのだが、それはどうやら生成論の建築版(あるいは建築がいかに自然的でありうるかという問いへの回答)だったと思われる。つまり個々の場所がもつ固有の生成力が自然に顕在化したものとして神社はあるべきだというのが角南の「国魂神」論だったのだし、その角南神学は、戦後は汎神論的な傾きを増して、ざっくりいえば生気論によって宇宙から日常までも説き切るような宗教思想へとまとめられていったようなのだ(どことなく19世紀末から20世紀初頭のヘッケルを思い出させる)。

 書評会が終わって懇親会へ移動するとき、土居先生と、神社論の延長上に丹下健三のことも話し合った。丹下は量産時代の神社が備えるロマン主義的な聖性を、モダンな建築造形でもっと力強く上手に再現できると思っただろう。戦中のコンペはもちろんのこと、広島の、これ以上ない公共的=宗教的可能性をもった建築プロジェクトを彼は神社以上の「神社」としてつくったのであった。

2016/01/22

BankARTスクール201602-03受講生募集中

201602-03_BankART_school


バンカート(BankART1929)が主催するBankARTスクールの、2016年2-3月のプログラムが受講生を募集しています。青井は毎週月曜日のレクチャー(19:30〜)を担当。3/21のみゲストとして石榑督和さんが登壇。興味ある方、是非お申込ください。

アノニマスな世界をつくるアート(わざ・すべ):台湾の都市・建築を読む

[1] 2月1日(月)層化するエスニシティ:台湾の歴史と人
[2] 2月8日(月)入植と土着化:土と竹の世界
[3] 2月15日(月)19世紀東アジア海域世界のなかへ:亭仔脚をめぐって
[4] 2月22日(月)寝床の植民地史
[5] 3月7日(月)家屋の類型学:コルテ・スキエラ・トーレ
[6] 3月14日(月)都市建築の時間学:テクトニクスとシェア
[7] 3月21日(月)ゲスト:石榑督和 都市建築のリダンダンシー:切断と反応
[8] 3月28日(月)ディスカッション

私たちの生きる世界はどのように組み立てられているのだろうか? 人は集団をなし、また別れる。強いられ、求め、動く。異世界に降り立つ。見慣れぬ環境に取り付いたかと思えば、まもなくその環境をつくる物質の配列を組み換えはじめる。先に来た人々との間に摩擦と融合がある。新たな居住世界が組み立てられる。   台湾の人々はそうして彼らの世界をつくってきた。無名性の世界にも、それをつくる「art=わざ・すべ」がある。それを読み解くことから、私たちがいかに世界をつくりうるかを考え直したい。