VESTIGIAL TAILS/TALES : akihito aoi’s blog

2016/04/13

『自分にあわせてまちを変えてみる力』が刊行されましたね。

201604_machi_chikaraこういう本が出ています。

饗庭伸・秋田典子・内田奈芳美・後藤智香子・薬袋奈美子 編著『自分にあわせてまちを変えてみる力 ― 韓国・台湾のまちづくり』(萌文社、2016.03)

目次はこちらを参照。

日本の「まちづくり」、韓国の「マウル・マンドゥルギ」、台湾の「社区総体営造」の比較・交流史的な考察の本、というとちょっと堅苦しい紹介になっちゃうかもしれないが、この三つは互いに学んだり交流したりして育ってきたものであると同時に、ちょっとずつ違う。そのあたりを、活動の現場をフィールドワークを通してカタログ化するといったユルイ感じのアプローチと、各々の社会が辿ってきた政治史文脈で整理するちょっとイカメしいアプローチの、両面から捉えている。というわけで、かわいらしい装丁やタイトルに油断してはいけない。というか、アメリカなんかではまちづくりは実践家と政治学者社会学者が論じ合うものだろうし、台湾なんかでもそういう感じがある。ということからいえば、日本に案外その手の本がないということはたぶん日本の戦後史の「何か」を物語っているはずである。

唐突で恐縮だが、1930年代の日本では、昭和恐慌がもたらす経済的困窮と社会不安のなかで官僚たちが村や町の「協同組合化」というべき社会統治を組み立てようとした。つまり人々が共助的な経済事業体を形成するようにして、分裂しがちな共同体を安定させ、同時に彼らの経済的持続を彼ら自身で経営するようにした。もともと協同組合自由主義資本主義の社会という荒波の海に小さな自律的な島をつくる対抗的な運動だったと思うが、30年代には(自由主義経済の行き詰まりとともに)むしろ国家がそれを活用したのである。70年代だって50〜60年代反体制的な運動のエネルギーを政策的に社会にビルトインしていくことだったと思うし、そこでも共助的なコミュニティが強調されてきた。20→30年代も60→70年代も世界的にそういうことがあった。そんな脈絡を踏まえると、本書のタイトルが「みんな」ではなく「自分」を謳ってアジアを見なおそうと言っているのは、編者らの大事なメッセージである(本書前書きでは、これを民主主義がもたらす全体化という問題との関連で言っている)。つまりタイトルもじつはユルくなかったりするのであった。とにかく色々な意味で、まちづくりを批評的に捉え返し、そこから何かを取り出そうする本だし、読者もここから幾筋もの線を描き出すことができる。

ところで本書のまんなかには石川初、加藤文俊、青井哲人、山代悟へのインタビューがサンドイッチされていて、前半のカタログを、後半の政治論へとつなぐブリッジの役割ということのようだ。インタビューを受けたときはイマイチ分かっていなかった。ナルホド。

2010/08/27

ソウル・レポート

今回は8月23〜26日のソウル滞在だったが、初日と最終日はできるだけソウル市内を歩いたのでその報告を。

R0015069(1) 景福宮:慶北大学の曺在模 CHO JaeMo 先生に案内していただく。まず光化門の再建がちょうど1週間ほど前に竣工したところだった。光化門は植民地期に総督府庁舎建設のため移築され(これが論議を呼んだことは周知のとおり)、朝鮮戦争で焼けたためRCで再建されていたが(1972)、このほど木造のより正確な様式でより正確な位置に再現された。あわせて興礼門も新築が成り、両門のあいだの院も完成した。また宮域全体に舗装などの整備が徐々に進んでいる様子。

R0015155それと今回はシンポジウムを主催された先生方が申し込んでおいていただいたおかげで、慶会楼にあがることもできた。宮廷のバンケット等のパーティに利用された建物。外からはピクチャレスクの極みだが、内部では仮構が露出し、蔀戸・障子などの建具で空間を柔軟に構成できる。そこに同心円状の三段の床構成からんでゆくのでどのように使ったのか想像させてなかなか面白い。

R0015139一方、ピロティ見上げは構造を見せずフラットかつカラフルに仕上げており不思議な浮遊感をかもしている。

いうまでもなく景福宮は李朝の正宮だが、秀吉の侵略、植民地支配との関係はもちろん、建築的には、膨大に展開している建物が、それぞれの性格によって床の処理を違えているところに注目するとかなり面白いと思う。土間床・板床・オンドルの三段階が見事にフォーマル外交儀礼)からドメスティック(生活)へのヒエラルキーに対応づけられている。

R0015271(2) 清渓川沿いの再開発動向:清渓川プロジェクトは知らない人はいないだろうが、清渓川は歩いたがその両岸一帯の街は歩いていない、という人は多いのではないか。でも事業の本質は首都ソウル国際競争力をつけるための地上げなのだから、川が人工だからよくないとかデザインがどうとかいう問題よりも(基本的には都心に好ましい環境をつくり出したことは評価できると思う)、両岸の零細工場・問屋密集地帯に同事業の効果がどのように現れるかをしっかり評価すべきだと思う。3年前に歩いたとき、空地の囲いに完成予想図(パース)が貼ってあった超高層も、もうすぐ竣工の様子。他にもいくつかの高層ビル建設が動いていた。

R0015247(3) 世運商街の再開発再開発の計画もすでに決定し、着工を待つ状態だとか。植民地期の疎開道路を利用した金寿根 KIM SwooGeun 設計の長大な商業施設はいかにも荒涼としているが、再開発計画も決してよいとは思われない。とにかく、いくら景気が悪いとはいえ、ソウル中心部は急激に変わろうとしている。

清渓川プロジェクトに関する僕の意見をシンポジウムのスピーカーのひとり、R・ツェルナー氏に話したら、それはつまりジェントリフィケーションですね、と言っていた。イエス。でもまあ地上げという方がしっくり来るかな。

R0015298(4) 清渓川両岸の零細工場・問屋密集地帯:しかし一方でまだまだ零細工場・問屋密集地帯は広大な面積を占めている。こういう世界がソウルを動かしているというリアリティについて、何か読みやすいルポか何かないだろうか。清渓川の効果は着実にこうした世界をなぎ倒していく力を持っているようだが、こちらはこちらでしぶとい。

重要なのは、前にもどこかで書いたが、商住一体のいわゆる町家建築で都市組織をつくる伝統が朝鮮半島にはなく、かわりに商業空間はすべて市場であり、極小の店舗が広大な海をなして都市内に驚異的な面積を占めるという構造。中国・日本あるいはヨーロッパ的な商工業者による地縁コミュニティ形成、都市の民営といった契機がない。政府がこういうバザール的商業空間をそのまま生かすことを考えているとは思えないのだが、ならば、それを何で置き換えてゆけばよいのか。首都ソウルの今後を考えるとき重要なのはこのバザールの行方なのではないか。

R0015309(5) 東大門アートセンター&パーク:ザハ・ハディド Zaha Hadid がコンペで勝ったプロジェクト。東大門スタジアムの跡地再開発、城壁やその周囲の建築物の復元も組み込みんだ事業。コンクリート表面をさらにコテで直したぬめっとしたグレーの曲面が走る。3割ほどできていて、完成したエリアから開放している。これだけのオープンスペースと建築物をつくり出すプロジェクトが動かせる都市の力量に感心しつつも、韓国の大規模事業では近年ステロタイプになりつつある文化的アリバイの使い方にはやはり違和感もある。ちなみに周囲に聳え立つ商業ビル群は一見すると百貨店外資系ショッピングセンターのように見えるが、実際には東大門市場の零細問屋を収容した再開発ビルであるらしく、内部にはやはり零細な店舗がひしめいているのだそうだ。さっき書いたことを含めて、この辺の経緯も調べればかなり面白い、というか重要だと思う。東京の戦後復興過程における雑居ビルの生成と比較できるんじゃないかな。

2010/08/26

wall-to-wall architecture/inner-urban sprawl etc

8月24〜25日、"Modernities and Cities of East Asia: the View of the History of Civilization" と題する国際シンポジウムソウル市立大学(University of Seoul)にて開かれました。私は今日25日の午後、"Creating Natural Forest in Modern City:Transformation of Shinto Shrine Precinct in Japan and its Colonies"というタイトルで明治神宮史研究会の成果の一部を紹介しました。忙しいなか建築家のAhn ChamgMoさんが駆けつけてくださいましたし、国史編纂委員会の方は京城神社を、また国立海洋大学(釜山)の方は龍頭神社をそれぞれ研究しているということでわざわざ会いに来てくださいました。ありがとうございます。

さて討論のなかで宋寅豪 Song InHo 先生はじめ4〜5人の方からコメントや質問をいただきましたが、旧知の禹東善 Woo DonSonさんからは『植民地神社と帝国日本』と比べると批判が鈍ったのではないかというような指摘を頂戴しました。いやそんなことはありませんよ。とはいえ、批判のスタンスが変わってきたことは事実なので、よい質問をしていただいたと思います。境内林の問題は、人が不断に介入・管理する自然から、自己再生産しつづける自然への、人為的な移行というとても捩じれた関係にあります。自己再生産(“成る”こと)の肯定(理念への転倒)は日本のナショナリズムの基本的特性だとかねてより言われているわけですが、それを生態学的な学知が支えてしまうという関係です。問題は、こういう話を植民地コンテクストでしようとしても、うまく働かない面があるということです。誤解を招くことを承知であえて言えば、切断的なものが求められるコンテクストでは、込み入った繊細な話はたんにナイーブでしかないのですね。逆に、繊細な話が理解されて当然というようなコンテクストが確保されている場合、そのことの特異性も考える必要がある。

こういう問題をきちんと考えておくことは、むしろ都市組織の自己再生産とか、アノニマスな家屋の変容とかいった問題に対してナイーブにならないために有効だとも考えています。これらも生態学的な視点によって考えざるをえないのですが、それが決してナイーブな理解ではすまないということは、すでに1970年前後の『都市住宅』あたりではすでに明確に意識されていました(→たとえばこれ)。つまり、都市にせよ住まいにせよ、無意識をどう扱うかに戦略的にアプローチしない思考はきわめて射程が狭くならざるをえないのです。

さて、長くなってしまいましたが、今日はじめて知って印象に残った言葉をひとつ。ラインハルト・ツェルナー氏の東アジア都市論のフレームワークに関する報告のなかで出てきたんですが、「wall-to-wall architecture」という表現、これは面白い。wall-to-wall carpet というと部屋いっぱいに敷いたカーペットの意味ですから、wall-to-wall architecture というのは奇妙な射程をもった言葉のように思いました。皆さんも考えてみてください。ちなみにマックス・ウェーバーの都市論からの引用のようだったので要チェック。あと、中国語でいう「侵街」(町家の商業が公道を占拠していくこと)は英語では「inner-urban sprawl」と表現されていました。面白いです。

2008/09/30

『ソウル学研究』に掲載

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ソウル市立大学ソウル学研究所の論文集 “The Journal of Seoul Studies”32号(Autumn,2008)がソウルから届きました。下記の拙論が掲載されています。

Akihito AOI, "Shinto Shrines and Urban Reconstruction of Seoul : Focusing on Chosen Jingu"

昨年12月にソウルで講演させていただいたときに英語で書き下ろしたものがもとになっています。内容は拙著『植民地神社と帝国日本』(吉川弘文館、2005)のうち、ソウルに関する部分をひとまとめにし、伊東忠太のソウルでの足跡に関して若干丁寧な記述を加えたものです。私としては神社境内からみた都市史の研究はもう古い作業に属すのですが、その後に進めている都市や住居に関するまったく異なる視点からの研究が進展すれば、また違った意味をもたせることができるかもしれないとも思っています。

で、その神社関係の研究はまだ一度も英語にしていなかったので、こういう機会をいただいてありがたいなと思います(Song In-ho先生カムサハムニダ)。英語にするってやっぱり重要だと最近強く思います。たとえばアジア地域のフィールドワークを、韓国台湾の研究者は精力的に行うようになってきていますが、それと日本人の研究とがまったく無関係に平行線というのは決して望ましい絵ではないですね(これ前にもちょっと書いたような)。やはり交通可能にしておくことは不可欠です。