VESTIGIAL TAILS/TALES : akihito aoi’s blog

2015/02/12

数年間の共同研究の成果、『明治神宮以前・以後』が刊行されました。

2009年より、藤田・青井・畔上・今泉を中心に、たくさんの方々のご参加・ご協力をいただいて進めてきた分野横断型の共同研究の成果が、鹿島出版会より刊行されました(担当は川尻大介さん)。装丁デザインは中野豪雄さん(nakano design office/本書の紹介ページはこちら)。左の書影(nakano design office 提供)から、全540ページのヴォリューム感と造本の誠実さが伝わることと思います(グラマラスなのに軽い!)。

《近代日本において国家的・公共的存在とされた神社。変貌してゆく都市や地域社会のなかで、それはどのような機能や特質をもつ空間として期待され、いかなる環境・風致・景観が創出されようとしたのか   大正時代明治神宮造営を大きなメルクマールと捉え、神道史、建築史、都市史、地域社会史、造園史などを横断しつつ、神社境内の環境形成をめぐるダイナミックな構造転換を描く。》(本書オビ)

(以下はわたし個人の表現ですが)明治神宮創建というプロジェクトは、近代「日本」の規定そのものに関わるようなナショナルパブリックな空間をいかに組み立てるか、というモメントにおいて、国民、国家、帝国、天皇宗教公共性、都市、資本、技術、学知、美学・・・といったものをひとつの構造とイメージの下に束ねること、そうしてそれらの意味を再定義すること、だったのではないかと考えられます。国家運営を担う政治家資本家官僚有識者技術者らが行ったケーススタディとしての明治神宮プロジェクトがある種の総合的な「科学」の創出運動であったと回想したのは神道学者・内務官僚の宮地直一でした。実際、神社境内は明治神宮「以前」と「以後」とで大きく、構造的な意味での変化を遂げており、今日のわたしたちの眼前の境内環境イメージはその頃の地殻変動の結果がさらに広範に波及し自明化したものだと言えます。また、それはたんに神社境内の問題にはとどまらないでしょう。

 本書はこんなことを考えるための基盤をつくるものです。みなさま是非ご一読いただきご批判いただければと思います。

明治神宮以前・以後 ―近代神社をめぐる環境形成の構造転換
藤田大誠・青井哲人・畔上直樹・今泉宜子 編

鹿島出版会2015年2月12日刊行) amazon  鹿島出版会

序説 近代神社の造営をめぐる人々とその学知(藤田大誠)

◆第1部 神社造営をめぐる環境形成の構造転換
◇第1章 神社における「近代建築」の獲得(青井哲人
◇第2章 戦前日本における「鎮守の森」論(畔上直樹)
◇第3章 帝都東京における「外苑」の創出(藤田大誠)

◆第2部 画期としての明治神宮造営
◇第4章 明治神宮が〈神社〉であることの意義(菅 浩二)
◇第5章 近代天皇像と明治神宮(佐藤一伯)
◇第6章 外苑聖徳記念絵画館にせめぎあう「史実」と「写実」(今泉宜子)
◇第7章 森林美学明治神宮の林苑計画(上田裕文)
◇第8章 明治神宮外苑前史における空間構造の変遷(長谷川香)
◇第9章 明治神宮林苑から伊勢志摩国立公園へ(水内佑輔)

◆第3部 近代における神社境内の変遷と神社行政
◇第10章 神田神社境内の変遷と神田祭(岸川雅範)
◇第11章 明治初年の東京霧島神宮遥拝所(松山 恵)
◇第12章 近代神戸の都市開発と湊川神社吉原大志
◇第13章 法令から見た境内地の公共性(河村忠伸)
◇第14章 近代神社行政の転回と明治神宮の造営(藤本頼生)
◇第15章 近代神社の空間整備と都市計画系譜(永瀬節治)

◆第4部 基礎的史料としての近代神社関係公文書
◇第16章 基礎史料としての東京府神社明細帳(北浦康孝)
◇第17章 「阿蘇郡調洩社堂最寄社堂合併調」一覧解題(柏木亨介)

末筆になり恐縮ですが、大事なことを二つ。

まず、本書はこれまで共同研究を組織・牽引してきた藤田大誠さんの無私の努力なしには実現していません。

また、本書の出版にあたって明治神宮国際神道文化研究所の助成を頂戴しました(編者のひとり今泉さんが在籍する同研究所にはこれにとどまらぬ様々な支援をいただいてきました)。

記して感謝します。

2012/08/08

阪神間の神社を巡る。社殿・境内の20世紀を考えるケーススタディ。

7月末に神戸に行ってきた。神社の社殿・境内が経験してきた「近代」を復元的に解明していくうえで、阪神間神社は格好の素材を提供してくれそうだ。下の3枚の写真を見ていただきたい。本殿(見えないけど)の形も違うし、他の社殿の材料(木造もRC造もある)や彩色(朱、素木、白)も違うが、空間構成はほとんど同じと言っていい。

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生田神社神戸市中央区

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住吉神社神戸市東灘区

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西宮神社西宮市

地域性? と言えなくもないが、伝統的な地域性とはちょっと違う。一言でいえば、いずれも戦後復興の社殿(もしくは戦後復興社殿を踏まえた阪神淡路大震災後の復興)であり、その設計思想・体制に強い共通性がある、ということだ。遡れば、大正から昭和初期にかけて、長田神社生田神社湊川神社などの境域改修・社殿改築事業があり、そのときの設計思想・体制もおおむね明らかになる。明治期、近世の様相を踏まえ、また一方では地域の小規模な神社群も視野に入れれば、いかにして20世紀的な社殿・境内が確立波及してきたのかの明瞭なケーススタディが実現しそうである。

2011/07/24

大江新太郎の流れを汲む

 2011.07.23 Sat. 理科大の田中傑氏と2人で町田へ。1917(大正6)年生まれ(現在94才)、戦中期の内務省神社局に奉職し、戦後も神社造営の中枢にいたK氏にインタビューさせていただいた。吉野は上市出身のK氏は、小学生の頃、おがくずの山で遊ぶのが楽しいからと吉野神宮改築(1927年上棟・1928年竣工)の現場に入り込んでいたところ、たぶん入省7〜8年目、40才前後の角南隆(1887-1980)に出会い、おまえ筋がよさそうだからトレースをしてみろと言われ、(遊びで)図面を写したりしていたという。目が点になりそうなエピソードだが、こういうことがあって吉野高等工業学校で建築を学び、東京の稲垣建築事務所に奉職したのち、角南の指示で橿原神宮改築に従事することとなり、入省して角南門下に入った。以下、インタビューの内容というより、お話をうかがった後に少し考えてみたことを書いてみる。

 明治神宮造営工事(1915-20)では、伊東忠太+安藤時蔵の体制で社殿設計が進んだものの、急逝した主任技師安藤のあとを大江新太郎が引き継いだ。その大江は、明治神宮では宝物殿のコンペにも勝っているが、同時に伊勢式年遷宮(-1929)の指揮をとり、以前から日光東照宮修理の責任者であり、また1922年頃からは湊川神社の境内整備や社殿改築にもかかわるなど、明らかにポスト伊東忠太体制の中心人物と見えていただろう。しかしながら大江は1935年に夭逝してしまう。

 大江より8才ほど下の角南は、明治神宮では外苑の仕事をしたが、明治神宮が終わる前、1919年に内務省神社局としては初めて兼務ではない専任の技師に抜擢されている。その辺は誰が差配したのか、やはり佐野利器かと想像するが分からない。いずれにせよ角南の本格的なデビュー作が冒頭にあげた吉野神宮だが、以後、室戸台風(1934)による西日本の官国幣社社殿の復旧工事急増をきっかけとして神社局造営課は肥大化し、民間や植民地も含めた巨大な角南体制ができあがっていく。

 もうずいぶん前になるが、京都のM錺金具(かざりかなぐ)店を訪ねた折、『江流会名簿』という小冊子に出会った(昭和18年度版)。角南隆を筆頭に、本省・地方・植民地の技術者や民間事務所の設計者、工匠などが会員に名を連ねていた。戦中期の最も肥大化したスナミ・マフィアの名簿と言ってよいだろう。「江流会」という名前の意味が分からなかったのだが、昨日K氏に聞いたところ、「読んで字の如く、大江の流れを汲む会、ということだな」と即答いただいた。スナミ・マフィアの神棚にはオオエノミコトが祀られていた、ということか。

 大正から昭和初期にかけての日光修理、伊勢遷宮、明治神宮創建は、近代国家の高等教育機関が輩出した日本建築技術者たちを結集したビッグ・プロジェクトであったが、工事が終了すれば技術者も移動せざるをえない。明治神宮造営局にいた小林福太郎は日光修理に移動し、日光も終わるとついに独立の道を選ぶ。K氏が一時奉職した稲垣事務所の稲垣某は伊勢遷宮後の独立組だという。タイミングは色々だが、とくに若い図工(ドラフトマン)を束ねるような中堅技術者たちが(おそらくは配下の図工たちを抱えて)独立の民間設計事務所を開設する例は大正/昭和の境目あたりに集中している。結局、戦中期の膨大な国家的神社造営は、(本省スタッフも急増したとはいえ)彼ら民間設計者に支えられた面も大きかったのである。だから、マフィアの名簿には当然彼らの名前も含まれるが、彼らの多くはかつて大江の部下でもあったことを、昨日は強く意識させられたのである。

2010/11/21

娘の七五三。大国魂神社の白州にて。

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娘の七五三ってことで武蔵国の「国魂神」を祭る東京府中の古社・大国魂神社へ出かけてきた。拝殿と本殿の間には中門も幣殿や祝詞殿もなく、ただお白州と呼ばれる祭庭だけがある。申込書を書き祈祷料を払った人々がこの祭庭にまとめて案内され、お祓い・祝詞奏上・玉串奉献を済ませて帰ってゆく。お白州には、天に抜けた庭を残して、本殿側に開いたコ字の型平面の幄舍(仮設の小屋)が建てられている。なるほどね。

昭和戦前期の内務省神社局ではまさに拝殿から本殿までの連結こそが課題とされた。新規創建や大幅な改築の場合なら、この仮設建築物に相当するものをあらかじめ建築の一部として設計してしまえばよい。実際、角南隆らはこの部分にいくつかのヴァリエーションを開発した。祭庭を二重・三重に連ねて階層化する例もある。この鉄とアクリル波板の小屋、たんにアドホックとも言いがたい含蓄があるのだ。

もうひとつは数量的問題。家内が試算してみたところ、玉串台が30脚。1脚に子ども4人が割り当てられていたので、一度に案内される子どもの数は120人。同伴の家族等をあわせるとおおむね500人がコ字型の仮設建物の屋根の下に収容されていたことになる。昭和期以降の神社ではこうした空間の量的検討が行われている。

実は各地の神社でこの種のテンポラルな対応や増築例がみられる。そういう事例の観察から神社におけるプランニングの問題が見えてくるものなのです。

2010/10/01

(告知)10月23日(土)・シンポジウム「明治神宮造営をめぐる人々―近代神社における環境形成の転換点―」

20101023MeijiJingu明治神宮は今年で鎮座90周年。これを記念して学術会議を開くことになりました。1年前にはじめた明治神宮史研究会の中間報告となるシンポジウムです。

先週9月25日に第6回研究会があったのですが、これまで同様の濃密かつ刺激的な討議になりました。僕などはちょっと興奮気味だったと思います。だってあの建築家が、モダニズムを獲得すると同時に何があっても作家性・作品性を浮上させない覚悟と戦略をも獲得していたことを、議論のなかで突然に知ったのですから。以前、この建築家が丹下健三と紙一重の存在であることを指摘したことがあるのですが(建築文化2000年1月)、それが正しいこと、かつ、その紙一重がいかに大きいかを思い知ったという感じでした。

さて、シンポジウム当日は、畔上直樹氏が内苑の森について林学・造園学が獲得した意外なモダニズム的構造とともにその環境モデルがローカライズされてゆく裾野にも照明を当て、藤田大誠氏が外苑とは何であったのかという問いを通して明治神宮で初めて全面的に自覚されることになった神社公共性の問題を考察されるでしょう。私は明治神宮における建築の「沈黙」の意味に踏み込んでみる予定です。3人の提起はたぶん互いに重なり合い、交錯すると思いますが、さらにコメンテーターとして『明治神宮の出現』の著者山口輝臣氏が切り結んでくださるはずです。

参加無料・席数限定のため早めにお申し込みください。詳細は下記参照いただければ幸いです。

明治神宮鎮座90年記念・明治神宮国際神道文化研究所公開学術シンポジウム

明治神宮造営をめぐる人々―近代神社における環境形成の転換点―」

開催趣旨

 本年は、大正9年(1920)11月1日に斎行された明治神宮鎮座祭より90年の記念すべき年に当たる。本シンポジウムでは、明治神宮造営に携わった人々の構想や実践に焦点を当てて、神社史のみならず、建築史や造園史などの様々な複合的視点による議論を行い、今後の明治神宮史に関する学際的・総合的研究のための出発点を見定めることを目的とする。今回、3人の発題者は、近代において法的・空間的・社会的に形成されてくる一般的な神社境内(社殿等建築物、境内林、林苑、神苑などを含む)を、人為構築的環境かつ自然的環境という両義性を伴うものとして捉え、未曾有の国家的・国民的大事業であった明治神宮内外苑の造営という経験が、近代神社の環境形成における展開や変容、さらにはその定着や新たな学知形成をもたらした大きな転換点だったのではないか、という問題提起を行う。これらの発題を踏まえ、討議では、コメンテーターやフロアの参加者とともに濃密な学術的議論を行いたい。

日程 平成22年10月23日(土) 13時30分〜16時30分

会場 明治神宮社務所講堂

主催 明治神宮国際神道文化研究所

共催 國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター

    明治神宮史研究会

    科学研究費補助金基盤研究(C)「帝都東京における神社境内と「公共空間」に関する基礎的研究」

発題者

青井 哲人 (明治大学理工学部准教授)

 「明治神宮創建から復興まで:神社建築設計の系譜

畔上 直樹 (上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)

 「明治神宮内苑造営と「その後」:近代林学・造園学の「鎮守の森」論」

藤田 大誠 (國學院大學人間開発学部准教授)

 「近代神苑の展開と明治神宮内外苑の造営:「公共空間」としての神社境内」

 

コメンテーター

山口 輝臣 (九州大学大学院人文科学研究院准教授)

 

司会

今泉 宜子 (明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)

 

【お申込方法】

 参加費無料

 参加ご希望の方は、催事名・住所・氏名・連絡先を明記の上、葉書またはFAX、電子メールにてお申し込み下さい。

 受付完了後、受講票をお送りします。

 《お申込先》 明治神宮国際神道文化研究所

   〒151-8557 東京都渋谷区代々木神園町1-1

   TEL: 03-3379-9338

   FAX: 03-3379-9374

   E-mail: center_mj@so.meijijingu.or.jp 

2010/05/31

神社漬けの2日間:歴史学会月例会報告/明治神宮鎮座90年連続セミナー/明治神宮史研究会

28日(金)は「ティンバライズ建築展」を見たその足で本郷へ移動し、歴史学会月例会へ。今年の同会は「都市と自然環境」という年間テーマを掲げておられるそうで、5月の月例会は私にお声をかけていただいた次第。「都市と神社境内の近代:「自然」が析出されるまで」という題で1時間ほど話させていただいた。「自然」という観念の歴史にもかかわる問題なのでけっこう深くて難しい。懇親会盛り上がって帰宅。

29日(土)は明治神宮へ。まず13時30分スタートの明治神宮鎮座90周年連続セミナー第2回・藤岡洋保「伝統と近代化の体現:伊東忠太と佐野利器」(於:社務所講堂)を拝聴。それから境内を歩いて国際神道文化研究所に会場を移し、第4回明治神宮史研究会(明治神宮に関心を寄せる諸分野のアラフォー研究者の集まり?)。今回から東大都市工の永瀬節治さんにも加わっていただくことに。近代の神社境内・参道などの空間の変容を、「参詣」・「地域振興」といった視角から追った博士学位論文をまとめられた。僕は明治神宮建築についてちょっと重要なことに思い至ったのでそのことを報告した。つまり近代創建神社としてははじめて国民的規模で大真面目な議論が行われ、あげくに三間社流造という「特徴のない様式」が選び取られたということの意味。議論されたのは様式の選択だったが、結果は正確にいえば様式が選択されたのではなくて、様式論の無効を確認したようなものかもしれない。でもまあ深めないとお話にならんわな。研究会はいつもどおり濃密な討議が展開され、終わってみれば何と22時過ぎ。建物を出ると、あの常緑広葉樹林の何と深く暗いこと。みなさん代々木方面に帰られるというので独り原宿方面へと境内を歩くがいかにも心細い。山手線がちらちら見えるのが救い。しかし小動物がカサカサ音を立てるたびに震え上がる。ともあれ漆黒の闇のような明治神宮の森を歩くのは得難い経験であった。

というわけで神社漬けの2日間でもうヘロヘロ。日曜日は使い物にならない重い肉だけの私になりました。

2010/03/23

新しい神社?

『新しい神社・寺院 New Shrine and Temple』(建築写真文庫71、彰国社、1958)より

讃岐金刀比羅宮鳥羽分社01 讃岐金刀比羅宮鳥羽分社02

讃岐金刀比羅宮鳥羽分社 Kompira-Sanuki, Toba Branch Shrine (三重県鳥羽市、1956年竣工)。設計者は坂本鹿名夫(1911-87)。知る人ぞ知る“円形校舎”シリーズの設計者。興味ある方は梅宮弘光氏のこの論文を参照されたい。

左は「原案」で、放物線アーチ(ヴォールト)を用いているあたり時代を感じさせるが、しかし神社としてはたいへん珍しい提案である。結果的には(経緯は不明だが)RC造ながら右のような形態で実施された。左の模型にあった四周を取り巻くフラットな軒が実施案にも(そのままではないが)残っていて、一見すると屋根の下に蔀戸をはね上げたように見えている。「珍しい」と書いたのは、実際に近代建築的な神社社殿の提案は珍しいから。戦後復興でRCを採用した神社はかなりの数にのぼるが、それでも(木造ではなおさら)昭和初期に確立したいわゆる「内務省様式」がむしろ戦後も全国の神社をますます覆っていったと目される。実際、モダニスト坂本のこの原案でも、プランはまさに標準的な内務省プランであり、そのプラン自体は彼には批判しようもなかったのであろう。彼にとってこの設計はチャレンジだったかもしれないが、同一のプランに異なる屋根が載りうるという折衷主義の古典的問題が皮肉にも繰り返されてしまっている。しかし、にもかかわらずこの提案にある種の開放性を感じさせるほどに、神社の設計は定型的になってしまっている。

「昭和」を貫く神社の歴史過程とは、社殿のみならず、それを支える祭式(=プログラム)の定型化、境内の林相を含む環境設計の定型化なども含めて、神社そのものが多様性を失い、我々の神社イメージも画一化されていくプロセスであったと私は見ている。といっても・・・、近代の神社建築史はほとんど未開拓であり、こういう議論を伝えようにも基盤的知識すらないというのは、建築史研究が爛熟し閉塞しているようにみえる今日にあって、きわめて異様な事態だと言ってよい。