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2009-01-08

これがホントの三台目

■Hothotレビュー ソニー「VAIO type P」〜小型モバイルの新たなスタイルを提案

■ソニー初のAtomマシンが登場:これは理想の低価格ミニノートPCなのか!?――「VAIO type P」徹底検証(前編) (1/4) - ITmedia +D PC USER

■VAIO type P -Sony Style

ソニーがCESで発表した“ポケットスタイルPC”「VAIO type P」が非常に魅力的だ。

約245×120×19.8mmというサイズは大きすぎず小さすぎず、1,600×768ドットの変態解像度液晶、スティック型ポインティングデバイス、ドコモWAN機能、GPSなどの様々な特徴がその美麗なデザインと相まって、毎日持ち歩こうという気になるモバイルPCである。

内部に目を向けても、旧Centrino AtomことMenlowプラットフォームを採用しており、100円で投げ売られている安さだけが取り柄のNetbookとは一線を画す製品である。

MenlowといえばWILLCOM D4が採用していたが、Netbookの波に呑まれ折角のプレミアムを訴求しきることなく存在感を埋没させていったことが思い出される。

そして、この「VAIO type P」はD4の弱点を徹底的にカバーしていると言える。何より、バッテリの持続時間がD4とは比べものにならず、標準バッテリで4.5時間(D4は1.5時間)、大容量バッテリで9時間(同じくD4は4.5時間)のカタログ値になっている。

ガジェットを外に持ち出す時、現在は5つのセグメントが考えられる。

最もヘビーな作業を要求する場合、ノートPCが必要となるだろう。

逆に、最も軽い用途を考えると携帯電話となる。

その中間を、ネットブックスマートフォンが埋めるわけだが、更にその両者の中間に存在するのが、超小型かつフルWindowsを搭載したデバイスであろう。

古くはVAIO U、最近ではWILLCOM D4が位置しており、今回の「VAIO type P」もこのセグメントの製品と考えられる。その中でも、ここまで洗練され、常に持ち歩くことと作業のしやすさを両立したデバイスを作り上げたソニーの技術力とセンスを純粋に賞賛したい。

少なくとも、「個人的にはモバイルPCThinkPadが最強でそれ以外はクズ」と考える、私のような狂信者に対して購買意欲を抱かせたというだけの価値はあろう。

デスクトップ、ノートPCと併用可能な三台目のPCという存在を、本機は完成の域に到達させたと言える。

2008-12-15

「詩羽のいる街」 山本弘 2008

僕くらいの年齢の読書人なら、と学会の成立より前に山本弘の名を目にした事はあろう。僕が彼の名を知ったのは、――後年明らかになる話だが――彼がディードリット中の人だった頃だと思う。

そこ、冬馬由美とか無粋な事は言いなさんな。

山本弘は作家である。最近の彼を知っている人ならそんな事は当然なのだろう。しかし、僕にとって山本弘TRPGGMなのだ。それが理由ではないが、彼がSNEから独立してからの著作には触れてこなかった。

コンテクストがあまりにも自分の立ち位置とかけ離れていたということだろうか。大学生の自分は、女の子が可愛ければそれで良いという原理主義的な価値観で生きていたから、SFを無意識のうちに避けていたきらいがある。

そんな折、mixiに知人が掲載したレビューで本書を見かけた。

山本弘の名。そして書評に書かれた詩羽というヒロインの存在。

知人のレビューには、彼女が市場だと書かれていた。まさにその通りだと思う。マーケットを作り出し、維持する人間こそ、この消費社会の生存者である。

彼女が作中で発揮する引力の正体は、そうした社会のしくみそのものと等号な存在であるということであろう。

それでいて、貨幣という単純な量ではなく、善意というベクトルを通貨とする優しさ。

この、嫌らしくも心地よい感覚、確かに山本弘だと思える。もっとも、僕の知っている彼の表現はもうすこし攻撃的だったのだが、50を過ぎた今だから書ける文章なのかもしれない。

嫌味にならないSFガジェットトンデモ本の世界で見せた彼独特の社会観、近年のものまで広範にフォローするサブカルへのオマージュ

一見すると社会に対して異を唱えるように思えるが、所詮ライトノベルの中で為される自慰行為に過ぎない(それがいけないとは言わない)露骨なメタフィクションすら貪欲に取り込みながらも、そこに見え隠れする深いメタファーにただたた感嘆するしかない。

ほぼほぼライトノベル、それでなくても若い作家の著作ばかり読み散らかしてきた最近の自分にとって、本作はその限りない懐の大きさで、読書というものの面白さを再認識させてくれた。

そして、いつも自分の手の届かないところに居る女の子に恋をしていた昔のことを思い出した。

詩羽のいる街

詩羽のいる街

余談だが、作中でとある人物が語る「高田」という地名が大和高田の事だろうなと思ったら、参考図書でやはり大和高田の名を見かけて思わずほくそ笑んでしまった。正直悔しいが、これも自分にとっての醍醐味だと思うことにした。

2008-12-08

「さよならピアノソナタ」 杉井光 全4巻 2007-2008

 僕は、本を読むとき過程を楽しまない。同時に、結末で満足するわけでもない。

 いびつな読書法だとわかっているが、僕は本を読むとき、文字を読まず活字に視線を漂わせ、文章を理解せず字面を追う。当然、精読とはほど遠い。内容の理解は異常に浅く、印象だけが残る。僕の読書はいつもそんな感じだから、学術書を読むのには不向きだ。物語だって、固いのはだめだ。しかし、その浅薄さの裏で、速読には遠く及ばないまでも、速度を手に入れたのも事実である。

 そうやって、過程を頭に入れないから楽しむこともなく、速度があるから結末を気にする必要もない。

 しかし、このシリーズを読むときは、毎回、ページを繰る手がもどかしく、何度も本を閉じてしまった。

 このまま最後のページを開ければどんなに良いだろうか。

 矜恃も何もないただ活字を消費するだけの低俗な人間とはいえ、読書人としてそんなことはできなかった。

 それが、「さよならピアノソナタ」である。

 電撃文庫お得意のボーイ・ミーツ・ガールだが、珍妙な現象は出てこない。今すぐに嘘臭い映画にできてしまいそうな程に澄んだ空の様な物語。

 主人公、音楽評論家の息子桧川直巳と天才ピアニスト蛯沢真冬の出会いから、物語は始まる。真冬のピアノに惹かれる直巳だったが、同時に彼女が弾くギターにも惚れ込んでしまう。幼なじみの相原千晶、謎多き民音部部長神楽坂響子の勢いに流されるまま、直巳はベーシストとしてバンド活動をはじめる。

 という導入部。

 僕が多用する言葉に「青少年の青臭いセンチメンタリズム」があるが、著者の杉井光は、この「青少年の〜」を大変上手く描く作家で、僕がしばしば「青少年の〜」に対して抱く嫌悪感を感じさせることなく、青臭い高校生の物語が綴られてゆく。

 当然のごとく、直巳は悩む。痛みを感じる。それを僕らは共有する。

 刺すような綺麗な痛みではない。真夏のアスファルトを引きずられた擦過傷のような、グチャグチャの、熱い痛み。自分のことをニートと称する杉井だから描くことの出来る、温室育ちではない高校生の痛み。そして、それをオブラートのように包むライトノベルという記号。

 それは、直巳の父哲朗の振る舞いであったり、真冬の幼なじみユーリの容姿や女装癖であったり……

 他の著作にも現れているが、独特のバランス感覚は杉井ならではの上手さだと思う。

 そんなあざとくも優しいフィクションの裏で、杉井の描写は力強く胸をうつ。

 たとえば2巻のあるシーン。自身をジョン・レノンになぞらえて、自分だけのポールを見つけたと言う響子に対し、鈍感な直巳は真冬のことかと問う。そんな直巳に対して響子が言った、「ポール・マッカートニーベーシストだよ?」というひと言。さすがの直巳も、自分がベーシストだという事実からは逃れられない。

 「ばけらの!」で会話文が下手くそだと自嘲する杉井だが、こんなにもフィクションじみて、それでいて人間臭い文章を下手と言ったら、僕らが現実で交わす言葉なんて屁の音以下だ。

 杉井はしかし、最終巻で響子にこう言わせる。

「なぜならね、本質的に、言葉だけでは人の心に届かないからなんだ。言葉をほんとうに魂の底にまで至らせる方法は、たった二つしかない。血を流すか、歌を流すか、だ」

 たとえ血を流して、この言葉を紡いだにしろ、そんな悲しいことは言わないでくれ。僕だって同じことを何度も思ったけれど、それでも、貴方の言葉に胸を熱くしたのだから。

■杉井光・公式サイト NEET TEEN

さよならピアノソナタ (電撃文庫)さよならピアノソナタ〈2〉 (電撃文庫)さよならピアノソナタ〈3〉 (電撃文庫)さよならピアノソナタ〈4〉 (電撃文庫)

2008-12-04

ようやく登場した「普通」のWindowsMobile

■携帯電話 Dual Diamond(S22HT) | イー・モバイル

■イー・モバイル、テンキーとフルキーを装備した「Dual Diamond」

■ダイヤルキー+QWERTYキー、幅43ミリのスリムスマートフォン──「Dual Diamond(S22HT)」 - ITmedia +D モバイル


イー・モバイルから、テンキーQWERTYキーを搭載したWindowsMobileスマートフォン「Dual Diamond」が発表となった。元となったのはHTCの「S740」。

43.4×116.3×17.0mm、140gとスマートフォンの鈍重なイメージを払拭するには十分。「Touch Diamond」は確かにフットワークは軽いが物理キーがないため、どうしてもWILLCOM 03iPhoneと同じくキワモノに映る。WILLCOM 03発表時にも「普通のスマートフォン」というフレーズを使ったが、03の発売から2ヶ月後に発表されたS740はハードウェアだけ提示されればアドエスの小型版に見える、とくに心惹かれることのないプロダクトだった。

しかし、本邦にて発売されるということで再度見直してみると、WMのEdhitionがStandardなためタッチパネルに対応しないが、それゆえ物理キーを生かしたインターフェイスとなっており、操作性が通常の携帯電話ライクなところに好感が持てることがわかった。

アドエスWILLCOM 03も、正直、お世辞にもソフトウェアが使いやすいとは言えない。WMはいわば裸の状態であり、その上に何を乗せるかはベンダーのセンス次第である。その点において、僕がハイスクールの時期を過ごした大和郡山の住人は、残念ながら最低のセンスだったようである。まあ、奈良だし。


とはいえ、夏に見たときにガッカリしたように、Dual Diamondにも残念な点はある。

画面の解像度QVGAクラスなため、競合するWMスマートフォンとでは情報量に差が出てしまう。アドエス劣化版と言われてしまいかねない。あと、解像度ではないが、海外ではまだワイドサイズの液晶はトレンドではないのだろうか。

もう一点、本家HTC S740では搭載されていたGPS機能はS22HTでは非搭載となっている。昨今、GPSなどの位置情報を利用したアプリケーションはオモチャとして楽しむだけでもそれなりのレベルであるため、GPSをオミットしてしまったのは悔やまれる。


とはいえ、W-ZERO3発売から3年、待ち望んだ「普通」の電話としてのWMスマートフォンを選べる時代になったことを素直に喜びたい。

2008-10-08

本当のお荷物は何なのか

■WILLCOM ウィルコム 総合 296 - 6 (携帯PHS@2ch掲示板)

詳しく言及は避けるが、移動体通信業界は厳しい状況が続いているという、10/8付日経新聞に掲載された記事の結びの一節。

カーライルがどうとかウィルコムがどうとかではなく、苦しいのは移動体なのか固定なのか、ということ。山田社長の就任以来ドコモが体質改善を迫られているという話を軸に、移動体通信とNTTがおかれた状況を説明する、といった内容。

この話、単純に考えるなら、「ドコモですら先行き不透明で、堅実な固定網こそ通信の本流ですよ」という話に見える。つまり、無線通信網お荷物論である。

しかし、固定網は、ユニバーサルサービスを維持するため、他の事業者を通じて利用者から金をまきあげている始末で、どっちがお荷物だかわかったものではないというのが実情。

日経新聞がしばしば専門家に苦い顔をされる原因である、「今現在」の状況だけしか見ずに書かれた記事。日経は専門家が思いもよらない、極めて経済的な視点から書かれた秀逸な記事が存在する一方で、こういった、「流行に流される」ことに警鐘を鳴らしつつ、実は流行の事象しか見えていない記事もあり、非常に残念である。殊、通信分野においてそれが顕著に感じられるのは、携帯オタの被害妄想だろうか。


とはいえ、色々と考えさせられる。

カーライルとNTTの話の真偽はともかく、固定と移動体のどちらが苦境なのか。

実際、NGNを見据えて、NTT東西は光を売るために躍起になっている。しかし、成果は思うように出ていない。

一方で、発端となった記事が取り上げるように、移動体通信業界は飽和状態といって差し支えない。


回線設備のリプレースが比較的ロングタームで考えられる固定網は、長くても10年周期で足回りを入れ替えねばならない無線通信と比べると、非常に安定した資産なのは事実だと思う。

移動体も固定も、今やくまなく網を張り巡らせねばならないのは同じだとしたら、明らかに固定の方が経営的な安心感はある。

とはいえ、その回線を流すサービスが音楽や動画なのでは、NGNと言っても現在の回線の容量を増やせば済むだけの話であり、たいしたことはない。事業者は土管屋で終わってしまう。

無線網は、先述したように、ネットワークの更改周期、つまり無線規格の入れ替わりが激しい。

これは、回線を束ねて敷設すれば回線容量の増やせる固定網と違い、無線網において回線容量を増やすには、無線規格を根本的に入れ替えるしかないという事情がある。

とはいえ、ネットワークではない部分で、移動体通信には固定にはないメリットがある。

それは、移動体通信端末、つまり携帯電話が、個々人に紐付きはじめているということである。

携帯を所有する個々人の生活に密着したサービスの提供は、単なる土管屋ではないNTTグループからすれば、固定網だけではなし得ない、土管の中を流れる物での商売につながることになる。


単純に考えれば、両者を掛け合わせればいい。

その発想が、FMCの元だった筈だ。

土管はあれども中を流れる物が見えない固定網と、中を流す物の準備は出来ているのに土管が不安な無線網。これらが相互に補い合う仕組みは、実は、もう存在している。

フェムトセルが代表的だが、いまいち日本では流行っていないFONだってそうだと言える。


結局、何がお荷物とかいうのは、無線だとか固定だとかそういったものではなく、硬直した経営者の発想なのではないかと思う。


……と、ネタになりそうなニュースを見つけたけれど、それだけだとしょぼいので、偉そうに語ってみた、というだけの話。