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克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

『エロマンガノゲンバ』読了

 この記事で少し触れた、『エロマンガノゲンバ』(以下、同書)を読了。前回はうたたねひろゆき氏の話からネットの「寄り道」のしづらさについて書いたが、今回は同書の内容自体について触れてみる。

 エロマンガと言う題材ではあるが、帯に書いていた「禁断のマンガ史」と言うより、「もうひとつのマンガ史」と言う方がより実態に近い。ダーティ・松本氏が「年を取って、一気に線を引くのがしんどい」みたく語っていたのは、魔夜峰央氏も言っていた事だし、島本晴海氏の闘病は、マンガ家と健康と言う大きなテーマ足りうるし。

 そして感じたのは、80年代の「美少女コミック」誌からの出身の人は、当時の出版界が今より「余裕」があった事を暗に語っている事や、宮崎勤の事件(同書では「宮崎事件」と呼称)などの大きな事件が、ダイレクトに表現規制に影響している事。同書のインタビューを受けた作家のうち山咲梅太郎氏は自身がよく描く近親相姦に対するタブーに、有馬○太郎(有馬啓太郎)氏はエロに対する表現規制そのものに、ある程度は理解出来ると言っていた。オレは表現規制に関しては「官製のえこひいき」になるのでまずいと思っていたが、両氏の言葉は傾聴せざるを得ない。山咲氏は表現規制により、表現の「グレーゾーン」が失われる事に懸念を表明していたけど。

 あと、読んでて、かつて松沢呉一氏があるラブホテルの創業者にインタビューした時、「下半身にまつわる仕事をしている人は、人間を愛している事が多い」みたく言ってたのを思い出した。それは田中ユタカ氏のインタビューに特に如実なんだが。松沢氏の言葉は正確な引用ではないし、そこからまた自分は下半身込みで人間を愛しているかとか、ツイッターで暴れているエロ嫌いの者は人間嫌いでもあるのではないかとか考えるが、それは今はいらん事か。

 話を戻して。同書でインタビューを受けた多くの作家が、最近のエロマンガに苦言を呈していたのに対し、山咲氏はかつて「美少女コミック」誌がやっていた事を、メジャーな出版社が(エロマンガ的なエロ抜きで)やれるようになった故の細分化ではないかみたく言っていたのが興味深かった。それは言えまる。

 同書においては異色のハガキ職人三峯徹氏へのインタビューもある。すみません今白状しますと、むかし三峯氏をあるエロマンガ誌の読者コーナーで見かけた時、「オレはこんな絵しか描けないようにはなりたくねえ」と思ってしまいました。それが間違いであった事に気付くのは、さらにあとの事でしたけど。

 しかし情報量や内容が濃密で、読むのにはエネルギーがいった。脚注も読みやすかったし。拙文を見た『エロマンガノゲンバ』未読の方は、是非買って読むようにな。そっちの方がわかりやすい。

3月1日追記:山咲梅太郎氏は、『エロマンガノゲンバ』では、「近親相姦を表現規制したいと考えるのは、凄くわかる」と言っていました。本人からの指摘が入りましたので追記致します。また、山咲氏は、表現規制に長らく反対されている事も追記します。

オレの流され人生

 この記事でも触れた『エロマンガノゲンバ』について、田中ユタカ氏のインタビューの中から気になった話を。書評ではないので、別記事にする。

 田中氏は「生きよう」(収入を得て食べて行こうと言うような意味)と思い、自分に出来る仕事としてマンガ家を選んだ。最初は上手く行かなかったが、他人にダメ出しされたくらいで生きるのをやめるわけには行かないと描き続け、マンガ家になれた。……オレと真逆な生き方やな。オレは周りに言われるがままに流されて生きて、ダメ出しされても何がダメなのか分からないから直す事も出来ず、「君、死んだ方がいいよ」と言われたり殺されかかったり、行く先々でバカにされ、今も他人の助けなしでは生きて行けない有り様。なんかなー。

 田中氏のように「他人にダメ出しされたくらいで生きるのをやめるわけには行かない」と思えていれば、オレも人生の出目が違っていたんだろうなー。家庭も学校も宗教も勤め先も、それを教えてくれんかった……。嗚呼。