走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

テレパシーと携帯電話とテレパ椎

 ツイッターで、「携帯電話の普及とともに、物語におけるテレパシー能力者の出る幕が減った」みたいな意見を見た。確かに遠くの者と意思を疎通させるツールが普及したら、遠感応としてのテレパシーの出る幕はない。

 そういや藤子・F・不二雄の短編に、『テレパ椎』と言うのがあった。読心術としてのテレパシーが使えるようになる椎の実を手にした主人公が、それで人間の裏表を散々見てうんざりし、「もし、人間にテレパシー能力があったら、お互いを信じあえず社会を作る事もなかったろう」と思い、テレパ椎を「もしかしたらこれは、社会の解体を目論む何者かが」仕掛けたのではと推理する。そこで携帯電話の話に戻るが、携帯電話やスマホがネット端末として爆発的に普及したが、それにより社会はますます荒廃していってはいまいか? まるで携帯電話がテレパ椎の役割を果たしているかのように……。6年前この記事で、「願わくば今後藤子Fが描いたダークな未来が、実現しない事を祈る」と書いたが、またひとつダークな未来が実現しちまった……。トホホ。さりとてネットを全否定したのでは、この記事で触れた斎藤貴男の結論と大差ない。どうしたらいいのか……。