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a_matsumotoの日々徒然

2012-06-19

「上から目線」は評価の証

フリーランスノマドソーシャルメディア評価経済

最近よく目にする、これらのキーワード

その関係はよく以下のように解説されます。

ソーシャルメディアの一般化によって、フリーランスであっても、スキルのPRが行えるようになり、そこで仕事の依頼を受けることができるようになった。働く上でも、場所に縛られないノマドワーキングが可能に。そこではまずフォロワー数やKloutで数値化されるような影響力が評価のレバレッジを効かせるための重要な要素となる。したがって、貨幣経済の手前に評価を指標とするような経済圏が誕生した」

うん、まあそうなんだと思います。日経ビジネスが定期的に発表しているような企業ブランド力ランキングと同様、個人ブランドの価値がTwitterによって可視化しやすくなったことは間違いない。

会社や国による社会保障に期待が持てない中、個人で生きていくために、ソーシャルメディアを活用しよう!というかけ声は前向きで、就職難の中、学生にとっても魅力に溢れるものにも映るようです。

でも、どうも違和感が否めない。ネット上でも、いわゆるソーシャルノマド礼賛に対する反発が散見されます。その理由はなんなのでしょうか?

▼残念ながら脇が甘い

そんな疑問を持っていたのですが、ネットを介してだけでは分からないこともあるのかなと思い、イケダハヤトさんが登壇するワークショップとイベントに2回連続して参加しました。自分が登壇するイベントとか、議員会館での取材を縫って……もはやファンの域に達しています(笑)

最初に参加させて頂いたのは、ガ島通信藤代裕之さんが代表運営委員をつとめるJCEJ(日本ジャーナリスト教育センター)主催のこちらのイベントです。

それで見えてきたことは、やっぱりイケダさんはまだまだ経験が浅い、ということでした。厳しいようですが、これは自分が実地で感じたことなので、敢えて指摘します。

イベント前半は「分かりやすいデザイン」についての講演でした。そこでイケダさんはAJAX等をフル活用したインタラクティブ奨学金募集サイト と、名前は出しませんが、よく楽天市場にありそうな縦長・情報一杯のページを比較されました。

その上で「言わずもがな前者の方が分かりやすいですよね」として、イケダさんは後半のワークショップにつなげて行かれました。けれども(これは後半に入る前に思わず質問しちゃったんですが)そこに根拠はありませんでした。

楽天市場のページはなぜああいうデザインなのか」という一連の議論をみてもわかりますが、実際コンバージョンが高くなるという根拠があるから、ああいったデザインになるわけで、見た目の美しさやデザインとしての洗練だけでは測れないものがそこにはあります。

つまり、コンバージョンレートのような数字とデザインはセットで語られるべき、という当たり前の話であります。イケダさんは、トライバルメディアハウスにおられたマーケターなので、その点は抑えていると思っていただけに残念でした。

「善し悪し」の基準が明確かつ適切でなければ、後半のワークショップの価値(アウトプット)は曖昧なものになるのでは……という不安は後半現実のものに。*1

後半は、イケダさんが支援しているというNPO法人が、助成金を得るために用意したプレゼン資料を見ながら、参加者でそれを「わかりやすい」ものにするという内容。詳細は開示しない方が良いと思いますが、プレゼンの概要は「鬱、あるいはその兆候のある人を、周囲の人々が傾聴のスキルを磨くことで支える」というもの。(どことなく「うつっぽ」に似る・・・)

改善に向けた題材に選ばれるだけあって、さすがに資料のデザインにも問題があるのですが、そもそもコンセプトとか発想のスタートラインが、相当脇が甘いわけです。

  • 鬱病患者の悩みを聞く、会話をするというのは医療行為にあたらないか?
  • 鬱病患者への接触に問題があり、かえって症状が進行してしまったり、あるいは関与者が悪い影響を受けた場合に誰が責任を取るのか?
  • 資料を見る限り、そのあたりのリスクをヘッジする専門家のアドバイスや監修を受けていない。

うーん微妙と思いながら、そもそもこのピッチって幾らの助成金の獲得を目指しているんだろう?と思い検索したところ、(これも名前を出しませんが)総額100万円で、5プロジェクトが採択されているということが分かりました。

つまり、1プロジェクト20万円程度。採択実績を見ると、子供と野外で遊ぶとか、映画を上映するとかそんな感じ。「鬱病をなんとかしたい」という心意気やよし。でも、20万円では継続的・包括的な取り組みは期待できない。事業計画も、リスクとの向き合い方も全く脇があまい。社会的包摂云々以前の問題です。

イケダさんの言う「問題意識を重視する」には大いに共感しますが、残念ながら、ワークショップに供してデザインを議論する前に、お互いのためにも黙って突き返す(べき)レベル。

イケダさん、ワークショップ参加者の方々の発表を聞いて「すごく助かりました」とコメント。たしかに、これだけダメが出れば、無償のアドバイス業務としては十二分過ぎる成果だと思います。

▼脇の甘さをどう受け止めるか?

さて、イベントが終わってから、主催者の藤代さんと立ち話をしていたのですが、そこでの藤代さんのコメントがとても印象的でした。ご本人のご了承得てご紹介します。

「色々批判があることは知っているけれど、直接話を聞いてみないと分からないこともある。不十分な点はあるだろうけど、若いけれど考えていることは分かったし、JCEJはチャレンジを応援する場でもあるから」

僕はこれを聞いて、なるほど!と思いました。この文章の前半で書いたように、プロジェクトを評価するという観点でいえば、もう全然ダメ、お帰りください、というレベル。けれども、一人の若者としてみると、真面目だし、悪いことを考えているわけではないし、よく事例を研究しているし、地頭も良い、何よりも物腰が柔らかい(←ここ重要)。

ところが、仮に対等なビジネスパートナーとしてみると落第点で、高広伯彦さんが色々仰る批判に僕もまったく同感です。でも、藤代さんは、JCEJに集う若者たちを見るのと同じ視座にたっている。そういう目線だと「がんばれよ」となる。

つまり、イケダさんの嫌う「上から目線」とは、実は彼を「応援」している年長者の視線=暖かく見守る視線、なんですね。逆に、イケダさんを対等な立場に置くと「評価」して、彼が表明する「社会を変えてやる」という思いを「正面」から受け止めると、その脇の甘さ、結果を伴わない言動を指摘・批判をせざるを得なくなる。立ち位置を評価しているからこその厳しさになるわけです。

こんな具合に、ご本人の認識とおそらく180度異なる構図が見えた、というだけでもこのイベントに参加した価値があったなあ、と思いました。

▼結局は世代間の話に

そして月曜日、衆議院議員会館著作隣接権に関する勉強会に出たあとで、こちらのイベントへ。

リアル経済知財をどう結びつけようかという地上戦を目の当たりにしたあとに、ふわふわした話を聞くことになるんじゃないかなと心配したのですが、東さんがそこは的確な指摘をされていました。そのコメント(お話しを伺いながらのTwitter投稿の引用につき、一字一句このとおりではありません)をご紹介してこのエントリーを締めたいと思います。

東「個人についてこうなった方がいい、というのと社会についてのことを混ぜてはいけない。自己啓発と同じで全員が勝ってしまったら勝者はいなくなる。カリスマは希少財。個人の価値で生き残っていけない人をどうするか、が重要。評価経済社会保障の破綻を乗り切る、というのは言語矛盾に等しい」

このコメントがイベント冒頭すぐ出て、もう結論が出てしまった感がありました。東さんはさらに続けます。

東「例えば(津田くんのように)政治メディアを作って、政策に影響を与えるために人を雇う、人を育てるためにはおカネが必要。自由人が集ってフラットな関係で物事にあたっても、そこにはコミットメントはない。月収20万とかじゃ無理。ハチロク世代の主張は『若いから』としか言いようがない」

この2つめの指摘は、東さんも15年前はそうだった(一人で出来る範囲でやればいいし、フラットな仲間で集まって取り組めばなんとかなると思っていた)ということを受けての発言でしたが、僕はそれを聞いてこう思い、呟きました。

まあ、しかし東さん世代と違って、皮肉にもイケダさんが仰るように社会保障に余裕がないなかで、フリーハンドで社会に放り出されて、「残酷な」評価経済に身を投じる若者、という構図。俯瞰すると笑えない話だなあと。自殺者増えている、という記事をみると尚更。

15年前の我彼は「若さ」と「技術(=当時はネット、いまはソーシャルメディア)に後押しされた感覚」では共通するものの、社会の厳しさは現実問題として深刻さを増しています。突き詰めていくと世代間に共通するものもありつつ、そこには乗り越えがたい断絶があるわけです。

東さんからの問いかけに対して、家入さん・イケダさんからは明確な反論はありませんでした。個人にフォーカスを当てている(?)家入さんはそれでも良いかもしれませんが、社会貢献、社会変革に取り組むというイケダさんにとっては行動原理の根幹に関わる問題です。東さんからの指摘を受けて「いずれは100人規模の会社をつくりたい」とイケダさんは応じていましたが、それはBLOGで雇われない生き方を推奨されることと矛盾しませんか、というのが率直な感想です。

ぜひイケダさんには諸々咀嚼した上での感想や思いを聞きたいと思いました。僕自身も苦い経験がありますが、このあたりのボタンの掛け違いは、やがて自己欺瞞に変わって、しんどくなりますので。

以上、上から目線というよりも、イベントへの一参加者という下からの目線でまとめてみました。

*1:ここで念のためJCEJさんの企画や運営は素晴らしいものでした。また、個人的にはなぜイケダハヤトさんに象徴されるフリーランス評価経済論に批判が集まるのか、実際に確認できたという意味で大変貴重な機会を得られたことを感謝しています。

このはこのは 2012/07/04 14:32 検索から来ました。
上から目線という感覚が意味不明だったので。

どうも私はよく上から目線と言われます。改善点を指摘すると言われて、なんでそうなる、と不思議に思っていたので、謎が解けました。
私自身は、誰かを上から目線と思ったことがありません。自分自身、欠点があると認めていたからだと思います。
それは正しい感覚だったんだ、とほっとしたと同時に納得しました。
ありがとうございました。

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