Hatena::ブログ(Diary)

a_matsumotoの日々徒然

2016-07-06

ウェブコミュニティは「共創」と「競争」で物語を紡ぐ

1年以上ぶりの更新です。ブロガーへの道は険しいというか、無理かも。1個前のエントリーは、VAIOスマホ日本通信版)の蹉跌を取り上げましたが、VAIOさんはその後、Windowsフォンとして尖った端末を出してます。注目しております。

さて、今週末ウェブ小説やマンガに関するセミナー渋谷で開催します。comico中の人をお招きしての無料のものですので、お気軽にご参加ください。comicoの解説本も会場限定特別価格で販売します。

再入門も、これからの人も「Re:ゼロから始めるcomico生活

http://peatix.com/event/179130

このイベントは、僕も理事を務めるNPO法人日本独立作家同盟の主催によるものです。そこが発行している「群雛」という機関誌に寄稿したコラムの転載OK頂きましたので、僕がどんな風にウェブ小説・マンガを見ているか、という視点を先に提示しておきたいと思います。

ウェブ小説は文芸誌代替か?

 ウェブ小説は「出版不況」(この言葉も適切なのか議論はあるが)に対する「回答」のように語られることが多い。いわく、文芸誌の休刊が相次ぎ、作品発表の機会が失われた中、ウェブ小説が新たな作品発表の場となっており、既存の枠組みに安住していた出版社はこのムーブメントに乗れなかった、といったものだ。

 一見もっともらしい意見だ。既存の出版業界にいろいろ思うところがある向きには、「よくぞやってくれた」という風に見立てたくなるほど、ウェブ小説は魅力的で強力な輝きを放っている。

 だが、ウェブ小説の歴史を振り返りつつ、調査や取材を続けていると、どうもこういった主張は間違っているように思えてくる。少なくとも建設的ではないとわたしは確信している。では、わたしたちはどのようにウェブ小説をとらえ、作家すなわちクリエイターとして、もしくは編集者のようなビジネスプロデューサーとしてこれと向き合っていけば良いのだろうか? 順を追ってみていこう。

ウェブ小説原作アニメに共通する世界観

 深夜アニメのラインナップを見ていると、ここ数年ウェブ小説──「小説家になろう」などの投稿サイト出自の物語が原作となった作品がほんとうに目に付くようになった。その多くがいわゆる「異世界ファンタジー」や「学園異能力バトル」ものだ。

 ある日突然ファンタジー世界に飛ばされた主人公が、現代の知識や技術を用いながら現地の人々と様々な困難を解決していく。あるいは能力者たちの集う学園に、逆位相の能力を持つ主人公が現れ、偏見のまなざしや彼らからの様々な挑戦を受けながら、試練を克服し仲間を得て自らの立ち位置を確立していく……。

 ただでさえ、1クール(3ヶ月)ごとに大量のアニメが放送される中で、一見ほとんど世界観が同じに思える作品が複数あったりする。「あれ? このヒロインは主人公の妹だったっけ? 恋人だったっけ? 先週はデレてたはずなのに、なんで今週は主人公の命を狙っているの?」と話が追えなくなってしまうのは、おそらく筆者だけではないはずだ。

 そこで描かれる異文化との交流、異なる社会構造との衝突と融和──なにゆえ民族学文化人類学的にど真ん中なアプローチの作品が、これほどまでに支持を拡げたのか? それは、これらの物語がインターネットコミュニティで生まれ、「共創」と「競争」の中から生まれたこととおそらく無関係ではないはずだ。

巨大掲示板から生まれた物語

 ウェブ小説を「ネット空間で発表される物語」と広義に捉えると、それ自体はインターネット登場以前から、電子掲示板などでもその萌芽を見てとれる。「小説家になろう」(以下「なろう」)が開設されたのは2004年。今から10年以上も前にさかのぼる。同じ年、2ちゃんねるに「電車男」が投稿され、その後書籍化・映像化に至ったことも、ウェブ小説の源流の1つと数えることもできるはずだ。

 恋愛とは縁遠いオタク男子が、勇気を振り絞って年上のお嬢さんとのデートに臨む。それを「毒男板」と呼ばれたスレッドのユーザーたちがサポートし、ハッピーエンドへと導いていく。振り返れば「電車男」は、2ちゃんねるでの投稿者とスレ住民たちのポジティブなコメントのやり取りが、感動的な物語を紡ぎ出した希有な例であったかも知れない。

電車男 DVD-BOX

電車男 DVD-BOX

 当時から「これは虚構ではないのか」という指摘もあったが、当事者たちにとってはそれが真実か否かはさほど重要ではなかったはずだ。インターネットコミュニティでの投稿を通じて、自分たちが物語に介入し、えもいわれぬ没入感を味わうという新しいエンターテインメントの原型がそこにはあった。

 一方で、電子掲示板でのコミュニケーションには困難もつきまとう。無粋な煽りや無関係なコメントに対する、コミュニティによる自浄作業にも限界がある。「電車男」以降、2ちゃんねるでこのような「大ヒット」に至る物語は結局生まれていない。

 掲示板で面白い物語を紡ぎ出すには、取り上げる主題の面白さや新鮮さ・リアリティの高さという偶発性に、最後まで一定のクオリティを保って投稿を続けるという投稿者の誠実さ、そしてスレッドの住民の自助努力が組み合わされなければならない。あまりにもコストが高すぎた、ということなのだろう。

著者と読者の「共創」環境

 掲示板での物語の創作と消費に入れ替わるような形で支持を拡げていったのが「なろう」に代表される小説投稿サイトだ。そこでは、物語の流れを妨げるような読者による直接的な介入は行われないが、感想・レビューという形でフィードバックを行うことができる。作者は1エピソードごとにそれらのフィードバックを参照しながら、次のエピソードで読者の期待に応えたり、逆に裏切って驚きを与え、またそれに読者が反応を返していく──という電車男でも見られた一種の共犯関係を構築していくことになる。その仕組みはとてもシンプルだが、従来の小説創作にはなかった「共創」環境が生まれた、と見立てることもできるだろう。

 そこで繰り広げられる「共創」の作業は、文化人類学におけるフィールドワークにも通じるものがある。フィールドワークでは異なる文化圏を訪れた研究者が、現地の自然、人々の生活ヒエラルキー経済の在り方などありとあらゆることを記録していく。その記録を研究者同士で評価し合い、彼我との比較も通じてその民族、文化圏に対する理解を深めていく。異世界ファンタジーが異世界という世界観を提示し、そこを訪れた読者とのバーチャルな「対話」を通じて物語を紡いでいく作業は、まさにフィールドワークそのものだ。結果、異世界モノとウェブ小説はとても相性が良い、という状況がこれほどまでに蓄積されたのではないか、と筆者は考えている。

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

物語に影響を与える「競争」環境

 さらにそこでは「競争」も繰り広げられる。言うまでもなくランキングの存在がそれだ。ランキングについては賛否両論あるだろう。異世界モノがこれほどまでに量産される背景には、投稿サイトで人気を獲得できるジャンルがそれだから、という指摘もある。先日はじまったKADOKAWAが運営する小説投稿サイト「カクヨム」では、こうなることを避けるため予め投稿ジャンルをわけ、それぞれにランキングを生成するという工夫を加えている(が、果たして前述のような「共創」との相性の良さがある中でジャンルの多様性が拡がるかは未知数だ)。

 いずれにせよ、読者によるダイレクトかつリアルタイムな選考が行われているのがウェブ小説の世界だ。この「競争」という側面は物語にも影響を与えていると考えるのはいきすぎだろうか? ジャンプでは読者アンケートによるランキングの善し悪しで掲載継続か否かが決まる。投稿サイトではランキング上位に入らないと、なかなか作品を読んでもらうことはできない。そんな緊張感の中で、異能力バトルものが多い、というのはどこか書き手の心象風景と重なる部分があるのではないか。

 結果、たしかに一見似ている作品が増える。しかし、エピソードを重ねると、作者が描きたかった主題と、読者との対話に応じて、物語は多様な姿を見せるようになる。最初はわたしも物語を追うことの難しさに苦労したが、最近ではどのあたりにそれぞれの差異が生じてくるのか、まさに作者の主題が姿を現すその瞬間を心待ちにしながら作品を楽しめるようにはなりつつある。

 さて、このように見ていくと、冒頭で紹介したような「文芸誌の休刊が相次ぎ、発表の機会を失った物語がウェブにその場を得た」──といったような見立てにはどうにも無理があることがわかる。ウェブ小説は、「小説」とは名付けられているものの、実にウェブ的であり、しかも投稿サイトというプラットフォームの機能にその内容も大きく規定されていると考えられるからだ(裏を返せば純粋な創作の自由度という意味ではウェブ小説を選択しない方がその幅は拡がるといえるかも知れない)。

やっぱり「編集者」は必要

 ラノベ最有力レーベル電撃文庫」で数多くのウェブ小説を再構成のうえ文庫化し、数多くヒット作を生みだしてきた三木一馬氏に行ったインタビューでも、「その才能は文芸というよりもPCゲームなどのデジタルコンテンツをもともと志向している全く別のところから出てきたものではないか」と指摘されている。既存の出版社がウェブ小説を無視・軽視していたというよりも、そもそも「商材」としても似て非なるもので、出版社の「商流」にはそのままでは乗らないものだったのだ。

 同様の事象は今、マンガでも起こっている。1000万ダウンロードを突破し注目を集めるcomicoでは、作品を投稿するクリエイターのことを「マンガ家」ではなく「comico作家」と呼んでいる。掲載作品をそのまま出版することはなく、いったん従来の編集のフローに乗せて再構成し刊行するというのも、ウェブ小説からラノベへのパッケージの転換に通じるものがある。

 「ウェブコンテンツ」のままでは、キャズムを超えマス(一般層)に訴求できない、というのも「電車男」の頃から状況は変わってない。アニメ化されるような人気ウェブ小説も、そのほとんどはまずラノベレーベルによる出版を経ている点には注意が必要だ。「編集者が不要になった」といった、筆者を含めたメディア人がやりがちな短絡的な評価も、この2ステップを踏んでのマスへの訴求というプロセスを冷静に眺めれば誤りであることがわかる。作品が広く世に出る2段階目で編集者のスキルが存分に発揮されていることが見えてくるからだ。

求められるプロデューサースキル

 ただ本稿を読んで頂いている作家(クリエイター)の方々にとっては、いずれにせよ最初の段階──作品を投稿し、できるだけ多くの人に読んでもらい、フィードバックを受けながらランキング上位を目指す段階──では、作品を書く以外の作業をこなしていかなければならない。編集者、言い換えるならば昨今指摘されるように彼らも身につけるべきプロデューサー的なスキルの一部も、使いこなさなければならなくなった、というのも事実だ。創作の技術を磨くと同時に、たとえばソーシャルメディアを通じた作品のPRを行い、まずは作品を知ってもらわなければ、階段の一段目を上がることもできないからだ。

 独立作家同盟で定期的にセミナーを開催し、創作に加えてこういったPRのノウハウも共有しているのはとてもユニークで、意味のあることだと考えている。ウェブを通じた作品の発表の機会と、コミュニティによって作品を錬成する機能はこれからますます進化していくことになるだろう。その新しい環境に適応した才能がここ独立作家同盟から生まれることにわたしは期待しているし、微力ながら協力していきたいと思う。つまりはいつか、「このアニメ、群雛に載っていたあの作品が原作だ。スゲー!」とテレビにかじりつく日が来ることをわたしは夢見ているのだ。

再入門も、これからの人も「Re:ゼロから始めるcomico生活

http://peatix.com/event/179130

2015-03-13

ブランドとマーケティングの狭間で――VAIOスマホは何を間違えたのか?

ほぼ半年ぶりの更新です。ジャーナリストブロガーへの道は遠く険しいものがあります。

さて、昨日すっかり炎上してしまいましたが、当日の記者会見、その後行われたニコ生でも(司会を務められた石野さんはすごく頑張っておられましたが)その本質は明らかになってなかったと思いましたので、簡単に。

記者会見の時、「ど真ん中を狙った」として示された図がこれでした。(週アスPLUSさんのページから引用)

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出典:『VAIO Phone VA-10J』発表! 発売は3月20日 VAIOスマホ発表会 リアルタイム更新【更新終了】 - 週アスPLUS http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/313/313973/

この構図そのものに異論は少ないはずですし、MVNO事業者としての日本通信がこのカテゴリに製品が、それも日本メーカーの製品が欲しかったことは非常に良く分かります。しかし、果たして新生VAIOとしてはどうであったか?

ここでこの図を切り出して、横向きにしてみましょう。

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その上で、マーケティングの世界で頻繁に引き合いに出される例の有名なキャズム理論の図を見てください。(すみません、ちょっと及川さんのブログから孫引き

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出典:はてなFirefox濃度が高いという仮説 - Nothing ventured, nothing gained. http://takoratta.hatenablog.com/entry/20060619/1150676854

で、上の図と下の図を頭の中で重ねあわせてください。

いかがでしょう?日本通信さんが示した図はあくまでSIMフリー市場を示しているので、微妙にまた切り口が異なるのですが、彼らが考えるストライクゾーン=マジョリティを狙って放った球であることは良く分かります。

一方、VAIO社が「ジムからガンダムへ」と究極を目指して開発されたVAIO Zはまさに、イノベーターアーリーアダプターを狙い撃ったものでした。私自身もいまこの記事をZで書いていますが、キータッチの反応も、各種操作の応答速度も、筐体の剛性も何もかも素晴らしいと思います。

Appleマーケティングでもよく指摘されるように、イノベーターアーリーアダプター層が製品を熱心に支持して、あとに続くマジョリティ層に「布教」するからこそ、製品としてのヒットが生まれます。(もちろんマジョリティ層に対する「安心感」の演出は別途必要です=Apple CareやGenius Bar等)デジタル時代にあって、お店の前にあれだけ行列をさせるのも、その構図をよく理解しているからと言えるでしょう。

翻ってVAIOは、改めてこの層へのアピールの第一弾が(おそらく)成功したばかりです。そのことをもって、凡庸なスマホVAIOのロゴを冠したからといって、イノベーターアーリーアダプター層が熱心に布教するはずもありません。むしろ私も含めて彼らはそっぽを向き、マジョリティ層も、「なんだか良い評判があまり聞こえてこないな」という反応しかしようがなくなります。VAIOと名乗った途端に、比較対象はいわゆる格安エントリー機ではなく、販売単価が高いことでも注目*1を集めるハイエンドVAIO PCが比較対象になるのです。(この点には別の商機もあると思いますが、それは今は置いておきます)

このVAIOスマホ、1月にはこのような報道もありました。例の「箱だけ会見」のときですね。

参考:日本通信VAIOスマホのパッケージを初公開。2月の発売に向け準備は順調 - PC Watch http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20150130_686152.html

これ良く読むと、「設計変更を余儀なくされ」という話のあとに、日本通信としての業績見通しが示されています。おそらくこのあたりがターニングポイントであったのでしょう。

このディール、日本通信としてはあまり失うものがありません。日本の著名メーカーの名を冠したミッドレンジのスマホは、確かに彼らにとってのストライクゾーンど真ん中であったでしょう。「日本メーカー、あのVAIO日本通信と協業した。製品単価も十分に確保している、だから他のメーカーも参加して欲しい」といった趣旨の発言がニコ生でもありました。

しかしVAIO社にとってはどうでしょうか?会見後の囲みでは「これからの取り組みにも注目して欲しい」と苦しい回答が続きましたが、率直にいって、自らのブランド価値を理解していたのか、それをどうすれば育んで行くことができるのか、スマホの分野において本気で考え取り組んでいたのか、大きな疑問が残ります。

ELUGAと変わらない端末を選択せざるを得ないなら、VAIOのブランドは冠せない、ODMになるのはやむを得ないにしても、ブランドの名にふさわしい価値を備えた端末の選定や設計に時間を掛けるべきだ――そう主張できる立場にあったのは、VAIO社の他ありません。あるいは、VAIOのブランドを冠さず、他のブランドを日本通信と協力して仕立て衣装としてまとわせる、といった別の選択肢もあったはずです。

独立して、いろいろと厳しい局面があるのは重々想像ができるのですが、それでもイノベーターアーリーアダプター層とブランドとの信頼関係を大切にして欲しかった。がっかりされるうちが花です。次の一手で真価が問われると思います。

キャズム

キャズム

#2015/03/13 19:51 少し文章を直して自分のTweetを追加しました。

*1VAIO Z、13型ノートで断トツの平均単価に 〜量販店での販売開始も、数量を追わない姿勢は変わらず - PC Watch http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20150310_691995.html

2014-08-07

Twitterでのコミュニケーションのこと、あるいはアイデンティティの拡散のこと。

思い出のマーニー、良かったです。

D

それに触発されたかも知れません。コミュニケーションについて個人的なメモも兼ねて。少々長文で以下マーニーとは(ほぼ)関係がありません。

今でこそ、インタビューや司会・講演のお仕事などもさせて頂くようになりましたが、大学生のころまでは人前で話すことが本当に苦手で、飲み会でも貝になっているクラスタでした。自分が話したことが、相手にどう受止められるのか、とても怖かったんだと思います。

それを変えるきっかけになったのが当時の先輩で、とにかく何か話せ、自分がフォローするからと言ってかなり強引に背中を押してくれたんですね。最初のころは、「僕つまり・・・思う・・・こういう風に」という具合に日本語としてもかなり危なげだったはずなのですが、その都度その先輩が「まつもと、面白い!」ってフォローしてくれて、だんだんと自信がついていったのを覚えています。

当時から文章を書くのは得意な方でした。でも、ブログどころかネットすら無かった当時は文章で自分を表現しても相手に伝えることはとても難しい時代だったと思います。「自分の文章を読んでください」とお願いするのも、まずはリアルな空間で会話を通じてフィジカルに行わざるを得ない、ということが多かったのではないかと。

その後ブログが登場し、いまやTwitterも存在するわけで、文章で自分を表現して相手にそれを伝えるということは格段にハードルが下がりました。たった140文字で自分を世界に表現できるなんて!

しかし、一方でふと違和感を覚えることも増えたのです。Twitterでのコミュニケーションって一体なんなんだろうかと。

TwitterはFacebookのようなSNSではなくメディアだと、Twitter社自身も定義しています。しかし昨年夏に世間を騒がしたバイト先でのイタズラ投稿などを追いかけると、身近な友だちとのやり取りに使っているケースが多いことに気づかされます。また、パソコン時代のフォーラムのように見知らぬ人とのコミュニケーションを楽しむ人もいます。

わたし自身もTwitterを使い始めた当初は、そんな使い方に面白さを感じていました。自分がフォローした人からメンションをもらったり、逆に自分をフォローしてくれている人からコメントをもらったりすると、「おお」と興奮することも多かったと記憶しています。(その経緯は、インプレスさんでの体当たり企画で記事としても纏まっています。フリーランスとして駆け出しだった自分にとって、Twitterはメディアである以上に、コミュニケーションのための道具であったということがよく分かります)

しかし、フォロワー数がある程度増えて、自分の活動領域も広がってくると、首を傾げたくなるようなコメントや、明らかな煽りや炎上狙いのメンションを受け取ることも増えていきました。例えばこれとか。当時、ここで絡んでいた人はTweetの合間に「バカ」など罵倒を含めていたのですが、Togetterにまとめる際にそのTweetは削除して「バカと言ってないのに、罵倒したと言いがかりをつけている」という具合に纏めていたりもします。「微妙なバランス」と言ったものを、タイトルでは「絶妙」と読み替えてあるなど、なるほどそうやって炎上演出するんだなと妙に感心した記憶があります。

そんな出来事があってから、うん、やはりTwitterはSNSじゃなくてメディアだなと腑に落ちたのでした。よく「匿名なのは卑怯だ」という批判があったりしますが、そういうことではなく、実名であろうが顕名であろうが、この空間でのコミュニケーションはリアル空間でのフィジカルな濃密さには及ぶべくもなく、あくまでも道具であり、そこになんらかの「目的」(ゴールや理想と言い換えても良いかも知れません)を求めても虚しいことになるな、ということです。

かつてのフォーラムは閉鎖された空間であったために、その場の暗黙のルールや管理者による交通整理が期待出来たわけですが、原則としてオープンな場であるTwitterは、そういった空気や文脈と切り離された形でコミュニケーションの一部が、場合によってはグロテスクに紹介されることもある。そして、それによって受けたダメージというのはなかなか直ぐには回復が難しいわけです。

そこまで大げさな事例でなくても、例えば「いま悩んでいる」というTweetに対して、フォロワーが「よしよし大丈夫だよ」と慰めてくれても、次の瞬間にはまったく別のトピックスに彼・彼女は楽しそうに反応していたりする。フィジカルな空間では窘(とが)められるような行為が、スマホでのアプリの切替え、テレビのザッピングのように普通に(本人には悪気無く)行われている空間でもあります。

あるいは「ブロック」がまた特徴的です。気に入らなければその人の投稿を即座に目に入らないようにすることができる。村上春樹の「風の歌を聴け」に「パチン・・・・・・OFFさ」という印象的なセリフがありますが、まさにそんな感じ。

そんな風に考えていた時に、ある人からこんな記事を教えてもらったのでした。

やる気がわいてくるたった1つの方法:ツイッターじゃ消せないむなしさ - 誠 Biz.ID

ここで紹介されている「アイデンティティの拡散」は、エリクソンの自我同一性拡散と言った方がその筋の人には分かりやすいかも知れません。

ちなみに記事では4つの兆候が紹介されていますが、専門的にはこちらの6つの分類がより詳しいです。

自我同一拡散

例えば、ここに挙げられている「対人的距離の失調=暫定的な形での遊技的な親密さや一時的可逆的なかかわりあいが、本人の対人的融合になってしまう」などは身近な人でも苦労されている例がしばしば見受けられます。

確かにTwitterでのコミュニケーションはアイデンティティがある程度確立されていないと、難しいものがあると感じます。自分自身のスタンスが定まらないままに押し寄せるメンションに応じ、何らかのきっかけでうっかり問題発言を行ってしまい、それがRTされたりした日には、まさに悪い意味での拡散となってしまいます。

いかにも米国発のサービスらしいとも言えそうですが、自由であり、オープンであるということは、応分の責任を負うだけの自我が求められるということかも知れません。(余談でありますが、従って鬱病など精神的に厳しい状況にある人はTwitterからはしばらく距離を置いた方が良く、周囲もそのつもりで対応した方が良いというのが持論です)

さて、この記事で目を引くのは、ここからニーチェを引き合いに「現代人は神話を奪われている」という主張を紹介している点です。神話=物語と自我の形成は密接な関係にあることはフロイトも指摘しているところですが、アイデンティティの拡散と神話の喪失という流れで「Twitterでは消せない虚しさ」を説明するというのは上手いと思いました。(本のタイトルのように「やる気がわいてくる」話かどうかはともかくとして)

やる気がいつの間にかわいてくるたった1つの方法

やる気がいつの間にかわいてくるたった1つの方法

僕は以前から、「ネット依存」という言葉には強い反感を持っています。病気と認められた訳では無いのに「ネット依存症」と「症」を付けるのはもってのほかであるというのはもちろんなのですが、「いつもTwitterやLINEをやっていてけしからん」という意味でその利用を制限する、その際にこの言葉が用いられるのはヘンです。端的に言えば雑な議論だと思っています。インターネットがこれだけ普及し、多様なサービスが存在する中、「ネット=悪」と十把一絡げにした議論をするのは不毛であるばかりか、有害とすら思います。

「お風呂中は使いません」宣言用紙をスマホ契約時に配布、都がネット依存対策 -INTERNET Watch

だから、Twitterへの「依存」が問題であるという主張はしないつもりでいます。そうではなく、先の記事で説明されていた神話、物語の喪失というのが問題の本質だと考えています。「こうありたい、こうあるべき自分」という自我を支える物語が現実空間で得にくいところに、仮想空間で社会を形成しているMMORPG(オンラインRPG)はある種の生きがいを提供し支持を拡げた側面は否定できないはずです。「ネット依存」という言葉を普及させた久里浜医療センターの樋口進院長自らも、ネットの進化によって他のサービスがその原因になり得るかも知れないと前置きした上で「現在までにセンターに寄せられた相談はオンラインゲームが圧倒的に多い」とコメント*1しています。個人的にはそうであれば「ネット依存」という言葉ではなく「オンラインゲーム依存」とした方が、少なくとも現状を表すには適切では無かったのではないかと感じてもいます。

おそらくこの問題は、その当事者がいま置かれている状態――つまり「物語」を喪失して生きづらい状況にあるのか、現実社会の延長線上にある場でのコミュニケーションツール(既にある物語を補完する)としてネットと向き合っているのか、はたまたスティグマを抱えたもの同士が互いを理解し、良くも悪くも慰め合う(新しい物語を紡ぎ出す)場となっているのか――といった場合ごとに事情や、注意すべき点などが異なってくるはずです。

そういった辺りを気に留めながら、ネットをコミュニケーションの「経路」として利用しながら、本質的には現実空間で向き合い、時にはぶつかり合うことで互いの、あるいは社会の物語を共有していく他ないのだろうなと、改めて思う次第です。マーニーにはネットは登場しませんが(スマホすら出てこなかった?)、バーチャルな空間での交流の背景にあるものが、やがて現実世界との関係で解き明かされていく終盤の展開は見事だと思いました。

#2014/08/08 14:50 自我同一性拡散についてのリンクと例を追記しました。

*1:記者の眼 - 子供のネット依存、治療に当たる久里浜医療センター院長が「生易しい問題ではない」と警告:ITpro http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20130720/492762/

2011-06-26

「スマートデバイスが生む商機」セミナーを行いました

前回の記事でその概要をご紹介した新著に関連したセミナーを行いました。

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『スマートデバイスが生む商機』出版記念セミナー 〜iPad 2、Android Honeycomb で変わるタブレットコンピューティングとクリエイティブビジネスの世界

書籍の執筆のため取材も行ったバンダイナムコゲームスの山田大輔さん、WWDC、E3の現地取材から戻ったばかりのフリージャーナリストの西田宗千佳さんをお招きして、スマートデバイスがゲームをどう変えるのか?というテーマを起点に、ゲームビジネスの未来について考える1時間半となりました。

Twitterでは呟いたことがあるのですが、昨年末にNHKで放送された「世界ゲーム革命」という番組で、モバイルやソーシャルゲームが全く取り上げられなかったことが、ずっと気になっていました。たしかに、任天堂・SCEはハードウェアの進歩を牽引していますが、肝心のソフト(コンテンツ)において、日本のプレイヤーの存在感が薄くなっています。

一方で、DeNAがNGMOCOを買収したり、レベルファイブと提携したりと明らかに「ゲーム」業界・市場の様子が一変しつつあります。

そんな問題意識がある中で、Engadgetのこの記事を読んで、これはもっと掘り下げないと、と考えたわけです。

興味深いのはこの記事で紹介されているAppleTVとiPadを組み合わせてゲームをするイメージ図と、WiiUの利用イメージがきわめて似たコンセプトになっていることです。

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ソフトウェアにおいては、据え置き型・PC・スマートデバイス間のコンテンツの垣根がきわめて曖昧になり、且つハードウェアにおいてもかつてはその性能差から自然に生まれていた「棲み分け」が過去のものになりつつあるということが改めて明らかになっています。

且つ日本において海外と事情が異なるのは、2000年代前半のiモードとそのエコシステムにおける成功体験があるという点です。この成功体験をポジティブに活用できるのか、それともネガティブに作用してしまうのか、いまその分岐点にゲーム業界も立っていると言えます。(この辺りの歴史的経緯と、現状のアップストアの「産業化できない」という問題点については、夏野剛さんが「iPhone vs. Android」で詳しく語っています」)

ゲストにお招きしたバンダイナムコゲームスの山田大輔さんには、バンダイネットワークス(バンダイナムコグループにおいて、携帯電話向けコンテンツを担当していた会社。2009年4月にバンダイナムコゲームスが吸収)での経験から、現在の「スマホ」ブームをどう捉えているかを端的に語っていただくことができました。

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このスライドにも書かれているように、AppStoreをはじめとするアプリマーケットは、「デパ地下の『巨大な』食料品売り場→試食だけでお腹いっぱい」という指摘は腑に落ちるものがあります。山田さんは、バンダイネットワークスの前は、フランスの携帯電話メーカーに勤めていた経歴の持ち主で、海外から見て当時は先端を走っていた日本の携帯コンテンツ市場と、現在のスマホブームを極めて冷静に捉えている様子が伺えました。

本著の取材後、独自マーケット「バナドロイド」を発表したのも、プラットフォーム オン プラットフォームへの布石と捉えるべきでしょう。

書籍の中では「なかなか儲からないよね、と中途半端な姿勢を続けていたら、2012年に我々は「緩やかな死」を迎えるでしょう」と刺激的なメッセージでインタビューを締めくった氏ならではの、とても濃いコメントも連発で会場をわかせていました。

続いて、ASCII.JPで「Beyond the Mobile」を連載し、「iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏」(エンターブレイン)など著書も多数持つ西田宗千佳さん。

西田さんからは「タブレット/スマートフォンのビジネス構造」と銘打って、E3・WWDCの様子も交えながら解説を頂いています。

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長年モバイルシーンを追ってきた西田さんは、従来型の携帯電話とスマホの相違点は「UIと通信構造(特にパケットの上限規制の撤廃)」であると定義した上で、コンテンツとそのビジネスモデルが大きく異なっている点を指摘しています。山田さんの指摘していたARPUでのリクープを狙うモデルが、コンテンツの表現力とネットとの親和性の高さを活かしながら図られていくことを改めて確認できました。

また、「ゲーム開発者が常に統計(マーケティングデータ)を参照しながら、ゲームのバージョンアップを行っている」というのも、ゲームの本質である面白さのとらえ方が変化しているという観点から大変興味深いと感じました。ファームビルでは「草むしりの回数が増えている=この作業への関心は高い」と判断して、ゲームアイテムを投入するといった例も。

最後に、デジタルハリウッド大学院で学ぶ学生(掛端俊希さん)も交え、スマートデバイスでどうゲームビジネスは変わるのか?そこをこれから目指す学生は、何を学び・身につければ良いのか、といたテーマでディスカッションを行いました。

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「オリジナルの作品作りを目指したい」という掛端さんに対して、山田さんからは「ゲームビジネスもハリウッド型に転換してきている」という指摘があったのも注目しておくべきポイントです。スマホ向けの小品からスタートして人気のあるものをパッケージ向けにリバイスを掛けていくといった動きもこれから拡がっていくと考えられます。「もしもし」などとゲーム業界からは否定的に捉えられることもあった携帯電話・スマートホン向けアプリに対する認識が改められ、伝統的なパッケージゲームメーカーが、スマホ向けアプリやブラウザゲーム開発会社を買収するといった動きも加速していくでしょう。私も引き続きこの分野にも注目しておきたいと思います。

なお、7月下旬には西田宗千佳さんとセミナー(電子書籍とスマートデバイスを中心に・有料)を行う予定です。

決まり次第サイトの方でも告知させていただきます。

2011-05-27

新刊ちょっとだけ紹介「スマートデバイスが生む商機」

「スマートデバイスが生む商機 見えてきたiPhone/iPad/Android時代のビジネスアプローチ」という本を出しました。本から幾つかの箇所を抜粋して内容をご紹介したいと思います。

スマートデバイスが生む商機  見えてきたiPhone/iPad/Android時代のビジネスアプローチ

スマートデバイスが生む商機 見えてきたiPhone/iPad/Android時代のビジネスアプローチ

スマートデバイスとは、スマートフォン(スマホという略称を耳にすることも多くなりました)やタブレット端末などを指します。

iPad2が発売されたり、Android搭載のスマートフォンが多数発売され、その活用方法に注目が集まっているところです。

パソコンと異なり、薄く軽量で、起動が速くバッテリーの持続時間が長いこれらのデバイスは個人の生活を便利にすることはもちろんなのですが、ビジネスの在り方も大きく転換しようとしています。

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実はこの本、「iPadでプレゼンを行う際のワザを紹介する」とか「タブレット端末で変わるコミュニケーションの事例を紹介しよう」とか、企画が二転三転しました。既に「○○活用術」といった本は沢山出ています。しかし、どうビジネスを変えるのか、ぶっちゃけ儲かるのか(笑)についてはまだまとまった論考がそう多くはありません。そこに集中して取り組みました。

まず書籍の中で最初に取り上げたのが、ドワンゴ取締役・慶応大学SFC教授の夏野剛さんです。

夏野さんには昨年から色んなテーマでたびたびお話を伺っているのですが、外でお会いするときにもiPadだけ抱えて登場されることが多いのです。

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私のように、鞄にPCが入っていないと不安な人間からすると、「ホントに大丈夫なのか」と思えて仕方なく、今回の書籍の取材にかこつけて、ものすごく素朴な疑問をぶつけてみたわけです。

結論からいうと、「かなりの場面で何とかなる」ことと「でも一方でできないことも明確にある」と思えたインタビューでした。

その「できること/できないこと」の境界線をうまく取り払っているのが、次に取り上げたソフトバンクテレコムさんの事例です。

まだまだビジネスの現場では、Windowsが主流であり、いきなりタブレット端末に移行してしまっては、既存の業務システムと連携がとれなくなってしまいます。

そこに「仮想化」の仕組みを上手く取り入れ、簡単に言えば「iPadでWindows環境にアクセスして、そのまま仕事が継続できる」仕組みを整えています。個人のレベルではリモートデスクトップでWindowsにアクセスできることはよく知られていますが、支給する機器の第一候補からノートパソコンを取り払ったというのは、やはり革新的な動きだと言えるでしょう。

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そして、スマートデバイスとソーシャルメディアとの相性の良さを最大限活用したのが、セールスフォースのChatter。もともとは、セールスフォースの製品群の一環だったシステムが、Twitterの一般化と伴い、独立したソリューションとして歩き出す様子を語っていただきました。ビジネスモデルがフリーミアムに移行していったのも興味深いところです。

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「ユニクロック」で一躍有名となったビルコムさんにもお話を伺っています。実はタブレット端末を活用した施策が、事業領域の1つとして成立しつつあるというのは取材してはじめて知りました。「メディア」としてもスマートデバイスが成立しつつある、その端緒を知ることができます。

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ゲームの分野ではバンダイナムコゲームスさんに、既存のパッケージメディアとの相違点を聞き、その価格差をどう捉えているのか、またグループ内でどのようなシナジーを図っているのかをかなりねちっこく聞きました。数千円の商品と、無料〜数百円のアプリとでは戦い方が全く異なること、従来の組織をそれにどう適合させようとしているのか、がある程度明らかになったと感じています。

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そして「教育」。タブレットPCではなかなか進まなかった教育のデジタル化がiPadなどのスマートデバイスの登場によって急速に進むかも知れません。価格、バッテリーの保ちの良さ、コミュニケーションの取りやすさなど、その利点についてデジタル教科書教材協議会副会長でもある中村伊知哉さんや、携帯研究家としても知られる武蔵野学院大学准教授 木暮祐一さんにも語っていただいています。日本のデジタル教育、アジア各国に比べても本当に遅れていて、正直焦りを感じる取材でもありました。

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そして、本書の構成とは前後してしまうのですが、シャープさんにGALAPAGOSの戦略を掘り下げて伺えたのも収穫でした。私もあちこちで書いているようにサービス、特にコンテンツのラインナップではまだまだ課題が残るGALAPAGOSですが、ハード面でAndroidベースのOSが果たした役割の大きさを知ることができました。

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他にも、日本Androidの会会長の丸山不二夫さんにお話を伺ったり、iPadを回転寿司の注文端末として活用する狙いを聞いたり、スマートデバイスにまさに商機を見いだした若手企業家の想いを語ってもらったりと、てんこ盛りな内容になっています。

Chapter 1

「スマートデバイス」登場のインパクト

〜iPhone/iPad/Androidで何が起こったか?

1-1 iPadで具現化したスマートデバイスの存在感

1-2 スマートデバイスに至る系譜とiPhone/iPad/Androidの上陸

1-3 個人による使いこなし術から相次ぐ企業導入へ

1-4 iPadでたいていの仕事は片付く――夏野剛氏インタビュー

Chapter 2

業務改革を実現する端末としてのスマートデバイス

〜クラウド化・ソーシャル化に向かうオフィス

2-1 【ソフトバンクテレコム】iPad&シンクライアントで社員1人月4万3000円を削減

2-2 【セールスフォース・ドットコム】スマートデバイスで加速する社内コラボレーションの価値

2-3 スマートデバイス「+α」が業務改革を成功させる

COLUMN 【丸山不二夫氏】「クラウドの恩恵」で開花するスマートデバイス

Chapter 3

対話・対面端末としてのスマートデバイス

コミュニケーション・チャネルの新たな選択

3-1 【ビルコム】売上全体の10%に成長した「ブランドマガジン」戦略

3-2 【クロスドリーム】決め手はコストパフォーマンス、注文端末としてのiPad

3-3 強力なマーケティングツールは顧客の手の中に

COLUMN 【ユビレジ】iPadが「月々0円からのPOSレジ」に

Chapter 4

エンターテインメント端末としてのスマートデバイス

〜メーカーに求められる「サービス」への対応

4-1 【バンダイナムコゲームス】アプリストアで始まった「経験したことのない戦い」

4-2 【シャープ】自らサービスまで手がけるハードウェアメーカーの挑戦

4-3 メーカーに「真のネット対応」を迫るスマートデバイス

COLUMN 【NEXT FUN】「百花繚乱」Androidタブレット

Chapter 5

デジタル教科書・教材としてのスマートデバイス

〜学びのデジタル化が生む新たな市場

5-1 急がれる魅力的な教材作り――中村伊知哉氏インタビュー

5-2 【武蔵野学院大学】先行する韓国、日本の大学におけるデジタル教育の今

5-3 学びの場にも訪れるクラウド化・ソーシャル化の波

COLUMN 【リンドック】「ソーシャルラーニング」を大学教科書で目指す

Chapter 6

スマートデバイス導入期に向けて

〜イノベーションの本質とプラットフォームへの対処

6-1 商機の源泉はコンピューティングの「拡張」

6-2 発展途上のプラットフォームとの向き合い方

6-3 競争と協調の中からビジネスを発展させるために

正直タイトルからは、ちょっとこの中身が想像しづらい本ではありますが、よろしければ手に取ってみていただければ幸いです。また、近々この本に関するイベントも予定しています。