君の眼


君が何を見ているか僕はついぞ最後まで理解することができなかった。途中からは諦めていたということもあるし、君は理解を求めてはいなかった、少なくとも僕にはそんな風に見えた。


その眼は気儘に情念を燃やし、ぬらぬらと炎を揺らし続けた。鎮火したらいいのにと思ったことさえある、でもとにかく燃え続けた。何を燃料に燃えているのかと触ろうとして手を引っ込める。君に触れること、君に僕が干渉してしまうこと、それは堪え難いことだ。万が一にでも、僕なんかのせいでその眼が腐り落ちようものなら、僕は自分を恨んでも恨みきれないだろう。この眼をふたつ抉ったとて全然足りない。


僕は君と言葉を交わしたことがない。なぜなら君は、酷く残忍に眼を細めているから。ナイフを渡したら、きっと造作もなくその兎の一羽や二羽くらい屠るだろう。眼の色ひとつ変えないで行われるであろうそれに思いを馳せると、僕は少しだけ心が軽くなった。しかもだ、あろうことに、傲慢なことに、僕はそれが君の本性なんじゃないかとすら感じていたのだ。兎の耳を切っては血に塗れている君。瞼の奥で思い描く。ああ、やっぱり笑っているもの。そういう暴力を強く望みながら、君は退屈そうに情念を燃やす。瞳に映った世界を燃やす。


君の眼球が僕の姿を反射させたことは、あるのだろうか。
僕も、君に、燃やされたことが、あっただろうか。柔らかな髪の毛、君の見ている世界に君はいない。鏡に映っている?それは、だって、君が見たいものじゃないだろう。


君が何を見ているのか知りたくて、同じ方角を向いたりしたけれど、僕の眼はそんな風には光らなかった。だから、理解できなかった。
でも、最後まで理解できなかった。
最後まで。
最後まで、僕は、諦めながらも理解を試みていたのだ。
君はある日忽然と消えた。僕が最後に見た君の姿は、やっぱりいつも通り、鋭く光る眼をふたつはめ込んだ顔を首の上に乗せていた。


ここにはもう君の痕跡は残っていない。
叩きつけられ踏みつけられた肉の塊と、汚く悪臭を放つ二枚の細長い何かが残されているだけだ。あとは血痕。だからたぶん、あれは兎の動体と切断された耳。


最後に酷く非人道的なことをしたね、僕は耳をつまみ上げようとしゃがみ込んだけれど、気持ち悪い亡骸に触れる気になれずにまた立ち上がる。


誰が君にナイフを渡したのだろう。
あれ、もしかしてそれは、僕だったっけ。


君を導く兎はもういないからさ、君は、どんなに憎くてもそれを惨殺してはいけなかったんだ。だから、いま、君はここにいない。
でも、君が暴力する瞬間を、その眼の色を、見たかった。何を燃料にどんな風に一際燃え上がったのだろう。あるいは本当に眼の色ひとつ変わらなかったのだろうか。見たかった、見たかった見たかった。


でも、とにかく君はもういない。新しい兎を探しに行ったのなら、ここに戻ってくることもないだろう。


僕は残念に思って、でも最後まで君の世界を脅かさずに済んだことにほっとした。終幕はこんな風にそよそよと訪れるものなのだもの。
突然、首筋にひたりと冷たいものが当てられて、振り向くこともできずに固まる。



「兎は手足が短いのよ」



初めて聞く声だったが、僕にはきちんとそれが君だとわかった。
ナイフ、のように冷たい君の指がそっと首から解かれる。僕は振り向いた。君はやっぱりぬらぬらと燃える眼を少し眇めて、僕を見た。
僕を。


君の世界に僕がいる。



「兎は私を抱き締めないけど、それくらいの長さがあれば足りるんじゃない」



瞳のなかで僕をうらうらと燃やしながら言った。僕は、ああ、君の燃える情念の、燃料の一端に、いま、触れてしまった。その炎が鎮火することはないと悟ってしまった。


君を抱き締めることなんて、兎じゃなくたって、こんな風に手足が長くたって、不可能だろう。僕の手足が燃えてゆく、君のなかで確実に。僕のなかで燻っていた炎が貰い火をして大きく大きく膨れ上がる。そしてやっぱり末端から燃え落ちてゆく。


僕は君の兎になる。心から安心した、よかった、僕は君の美しい瞳の色を濁らせてしまうことはおろか、干渉することもなかったのだ。


最後まで、君の眼が何を見ているか理解できなかった。ただ、一瞬だけだとしても僕が映ったことがあるのを、知っている。


そして、僕が最後に見たのは君だった。



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ある絵描きの誕生日なので、その方の絵によせて。