子ども兵の戦争

子ども兵の戦争 P.W.シンガー(著)小林由香利(翻訳) 日本放送出版協会(2006/06)
目次----------------------------------------------------------------
はじめに


第1部 戦場の子どもたち

第1章 子どもと戦争
新たな戦士たち


第2章 世界各地の子ども兵
歴史をふりかえって     現代の子ども兵たち     政府軍の子ども兵     銃を手にした少女たち


第2部 なぜ子ども兵が存在するのか

第3章 根底にある原因
失われた世代     カラシニコフの登場     ポストモダンの戦争     子どもを利用するメリット


第4章 子どもたちはこうして軍隊へ
誘拐され拉致されされる     生きるために銃をとる


第5章 子どもを兵士に変える
教化―「戦闘マシン」への第1歩
訓練―プロ並みの過酷さ
実践―最も従順な兵士たち     子ども兵を使った戦術
逃亡―子どもを引きとめる方法


第6章 子ども兵が意味するもの
戦争の増大     紛争の長期化     イデオロギーなき戦争     子どもたちが招く混乱     安くなる命     出口のない悪循環


第7章 小さなテロリストたち
テロ組織が子どもを使う理由     英雄視されるテロリスト     訓練、そして決行へ     結論


第3部 子ども兵をなくすために

第8章 子どもを兵士にさせない
真に有効な援助を     言うは易し     失われた規範     怒りを行動に変える     間接的でも効果的な対策     結論


第9章 子ども兵と戦う
子ども兵との遭遇に備える     プロの兵士のジレンマ     非致死性武器      子ども兵を使う組織     あとに残る問題


第10章 兵士を子どもに戻す
紛争終結後     武装解除と動員解除     心と体の傷を癒す     安心できる居場所    結論


第11章 未来を見つめて
希望を取り戻す


補遺 武力紛争への子どもの関与に関する子どもの権利条約の選択議定書


訳者あとがき

                                                                                                                              • -

 戦いに加わる少女たちも、かなりの数にのぼっている。1990年代のエチオピアの内戦では、反体制勢力全体の25%が18歳未満の女子だった。トルコのPKKでは、子ども兵の約10%が女の子だ。10%から25%という比率は、ペルーのセンデロ・ルミノソ、コロンビアのFARCウガンダのLRA、それにインドのマニプール紛争にも当てはまる。

 新興の軍閥や紛争企業家の多くは、政治的にも軍事的にも大した背景をもたなかった。ただ、古い規範を打破し、自分たちの目的に見合う戦力を動員しようという意欲だけは際立っていた。シエラレオネのフォデー・サンコーは元カメラマン。リベリアのチャールズ・テイラーは脱獄囚だった。ウガンダのジョセフ・コニーは部族のシャーマンを親戚にもつ、若い失業者にすぎなかった。コンゴ民主共和国のローラン・カビラはそれまで30年間ほとんど無名のゲリラ指導者で地元以外では問題にされていなかった。だが彼らは、そして彼らのような多くの男たちは、子どもに武器をもたせることで軍事力を獲得できると気づいた。その結果、子どもたちが戦争に引きずり込まれたばかりか、内戦や国家の破綻が相次ぎ、そのことが冷戦後の世界政治の大部分を方向付けたのである。
 軍閥などひどく個人化されたり、略奪だけが目当ての武装組織はとくに、資産獲得に専念しており、子どもを戦争に使う新たな慣行に依存している。戦力を動員しにくい―そのため以前なら片隅に追いやられていた―小規模な過激派が、今では子どもたちを使って勢力を大幅に拡大できる。手短にいえば、子どもたちを兵士にして、微々たる戦力をひとかどの軍隊に変えることができるのだ。一例をあげれば、ウガンダの反乱軍「神の抵抗軍(LRA)」の場合、中心となっているのはわずか200の男たちで、民間人にも支持されていなかった。だが1万4千人の子どもたちを誘拐して兵士に仕立て上げることで、LRAはこの10年間まんまとウガンダ軍を血なまぐさい内戦に巻き込んでいる。

一般に政府軍も反体制組織も、子どもたちがおおぜい集まり、かつ襲撃しやすい場所を標的にする。こうした場所は競技場やバスから、モスクや教会まで幅広い。
 とくによく狙われるのが、中学校や孤児院だ。ちょうどいい体格の子どもたちが一か所に集まっているうえ、わが子を取り返そうとする親たちからはなされている。実際、LTTEは孤児だけの精鋭部隊、シラスプーリ(ヒョウ旅団)まで設立した。コンゴのゴマ民主連合(RCD‐ゴマ)やルワンダ愛国戦線(RPA)もほぼ学校だけを標的にしている組織で、誘拐もしくは説得によって子どもたちを引き入れている。市場もやはり狙われやすい。1990年代のエチオピアの紛争では、民兵組織はよく公共の市場を包囲した。男たちを全員座らせ、「適格」とみなした者を無理やりトラックに乗せる。このなかにはしばしば未成年者も含まれていた。
 ホームレスの子どもたちやストリートチルドレンはとくにリスクが高い。最も襲撃されやすく、組織に対する世間の反発も少ないからだ。スーダンを例にとれば、政府はストリートチルドレンの収容所を設け、首都ハルツームを「きれいにする」という名目で子どもたちを駆り集めて収容した。だがこうした収容所は、軍手近な新兵貯蔵庫の役割を果たしたのである。
 そのほか、難民や国内難民もしばしば危険にさらされる。逃げる途中で家族がばらばらになることが多い。独りきりで、いつも以上に無防備になっている子どもたちを、武装組織は標的にする。
 国際社会も自らの慣行に気をつけていないと、知らず知らずのうちに子どもたちの徴集に手を貸してしまいかねない。たとえば、スーダン内戦の際、国連難民高等弁務官事務所の難民キャンプでは独りきりの未成年者はほかの難民とは別のエリアに収容されていた。キャンプには警備がいなかったため、SPLAはすぐに少年たちを標的にした。現に、一部の反体制派指揮官たちは、難民キャンプのそばに自分たちのキャンプを置こうとさえした。人道的な理由からではなく、新兵予備軍を常に手近に置いておくためだ。

 攻撃を受けている社会も、適切な対応がしにくくなる。反体制派に行動計画や政治的要求がない場合は、往々にして交渉による解決の道はない。シエラレオネで戦闘が始まったときの様子を、現地のあるジャーナリストはこう振り返っている。「タクシーの運転手から政府閣僚まで誰ひとり、いったいどういう戦いなのか見当もつかなかったようだった。反体制派が何を求めているのか、誰ひとりわからなかった」
 その結果、子どもたちが存在すれば、戦争を継続するうえで政治的イデオロギーはあまり重要でなくなる。実際、子どもの兵士に支えられている多くの紛争は、個人の欲望に満ちており貴重な鉱物資源の掌握がすべてになっている。プロのカメラマンとしては失敗したフォデー・サンコーは、RUFを掌握するとまず、組織にもともといた政治理論学者を殺し、そのうえで犯罪組織の考え方で組織を運営した。ダイヤモンド鉱山の掌握、村の略奪、保護する代わりに金を受けとることによって資金をつくることに重点が置かれたが、民衆の支持を拡大するとか社会的変化をもたらすといった取組みはほとんどみられなかった。

 こうした組織はさまざまな金銭的誘因を提示する。子どもたちの心をとくに強く動かすのは、家族が受け取る報酬だ。この手の徴集戦術では、組織は貧しい子どもたちに、彼らがいなくなったあともこれまで以上に家族の面倒をみると約束できる。パレスチナでは、自爆テロリストの家族はイラクフセイン政権からとサウジアラビアの個人による寄付金「殉教者基金」から、最高2万5000ドルを受けとる。ハマスの場合は、約5000ドルと、小麦粉、砂糖、衣料品といった必需品が相場だ。スリランカLTTEカシミールのジャマート・イ・イスラミなど、自爆テロを実行した子どもたちの家族をそれまでよりいい家に住まわせたり、いい仕事に優先的に就けるようにする組織もある。わが身を犠牲にすることが、私心を捨てて家族に運が向くようにする手だてであるかのように、子どもたちに思わせるのだ。そうなると、ほかにいい選択肢がなければ、自分を犠牲にしない子どもは、あたかもわがままであるかのように言われる。とくに紛争地域や難民キャンプで育ち、家族を運命から救う方法をほかに思いつかない子どもたちは、組織の申し出に心を揺さぶられる。
 子どもと関係ある機関、とくに教育機関も一役買っているといえよう。

ハマスの中核地域であるガザ地区では、約130万人の難民が36平方㎞の半永久的な避難区域に暮らしている。そのうち70%が無職、80%が極貧状態にある。このように、イスラエルによる占領は、パレスチナ人を2世代にわたって2級難民として扱ったあげく、過去10年間の暴力によってパレスチナ人はおじけづくどころか、おおぜいの若者たちがインティファーダ自爆テロといった暴力をとおして怒りを表現するようになった。暴力に加わることは、多くの若者に使命感と自分の生き方は自分で決めるという意識を与えてきた。永遠に続くかに思われる惨めな難民キャンプ暮らしでは、普通は感じることのできないものだ。自爆テロリストはこうした若者たちのなかからいくらでも集められると、ハマスのある指導者は言う。「最大の問題は、おおぜいの若者たちがハマスのドアを叩いて、自分を行かせてくれと要求することだ。一握りだけを選ぶのはむずかしい。えらばれなかった者たちは何度もやってきては、受け入れてくれと懇願する」
 こうした社会的な動機付けは、家族を介して行われる場合もある。スリランカLTTEカシミールのジャマート・イ・イスラミといった組織は、テロを実行した子どもの家族が地域社会で一目置かれ、称えられるようにする。パレスチナハマスは子どもの「殉教」をまるで結婚式のように扱い、祝いさえする。子どもの死は結婚式の案内でもするように新聞で告知される。遺族の家には何百人もの客が祝いにやってくる。死んだ子どもの遺書に従って甘いデザートやジュースがふるまわれる。こうした楽しげな光景や、自分も生まれ育った村で同じように名を上げられるかもしれないという思いが、ほかの子どもたちやその家族の心を揺さぶる。多くの親たちは、わが子が自爆テロで死んだことを誇りに思っている。母親が小躍りして喜ぶことさえある。一方、わが子を差し出すことをためらう親は、軽いいじめから地元紙での非難まで、どんな目に遭うかわからない。

テロ組織は、混乱した統治状態の悪い無法地帯に拠点にしてはびこる。現に、そうした背景こそが、バーダー・マインホフ(左翼過激派組織。1960年代末に旧西ドイツで結成)やオクラホマシティで爆破テロを実行した組織など、消えていった組織とは対照的に、アルカイダのように増幅され継続する脅威を生む組織取り囲み、はぐくみ、庇護する。成果を上げている過激派組織は、若くて無学な「歩兵たち」と思想訓練を受けて資金も十分に与えられているエリートの工作員との分業の上に成り立っている。アルカイダがこの構造を利用していることは、2003年にモロッコで起きた一連の爆破テロでいっそう明らかになった。テロに関与したのは、地元のスラム街から徴集された、最年少は17歳という若者たちだった。要するに、エリートたちがテロに関与しているのは確かだが、テロというものはより広範で公的な問題なのだ。

 介入もしくは平和維持の任務ではとくに、士気が低下するおそれがある。関与の論理的根拠が通常より複雑で、期間が決まってないことも多いからだ。たとえば、1980年代前半のスリランカに対する和平目的の介入の際、インド軍はLTTEの中核をなす子どもたちとの遭遇でひどく消耗し、軍全体の安定が懸念される事態になった。そこで軍指導部は、政治指導者に圧力をかけて任務を終了させた。2001年に西アフリカで軍事行動中だった英軍部隊も、深刻な問題に直面した。子どもの兵士に遭遇した兵士たちに重い鬱病心的外傷後ストレス障害PTSD)がみられたのである。

 戦後復興計画や和平調停に子どもの兵士を含めるうえで、重要な障害となっているのは、往々にして、現地の当事者が明らかな証拠を前にして、自分たちの部隊に子どもの兵士がいることさえ認めようとしないことである。たとえばモザンビークでは、戦争に加わっている部隊全体の4分の1以上が子どもの兵士であるにもかかわらず、当事者はいずれもそのことを認めなかった。残念ながら、国連はこうした見せかけを黙認。そのため、子どもの兵士は正式な動員解除プログラムの対象にならず、おおぜいの子どもたちがなんの支援もない状態で民間人の生活に戻っていった。その結果、モザンビークではその後10年間、強盗の発生率が極度に高くなるなど、長期にわたって社会的影響がみられた。アンゴラでも、政府の動員解除プログラムは、7千人近い元子ども兵に給付金を与える経済的コストを回避しようとしていた。政府は政府軍に子どもの兵士が存在することをけっして認めず、子どもたちは基本的に自分でなんとかせざるをえない状況に置かれてきた。
 とくにひどいのは、組織が戦闘終結後も少女兵たちを解放しないケースだ。指導者である大人たちが、「妻」もしくは使用人という少女たちの付加価値を往々にして手放したがらないからである。たとえばシエラレオネでは、革命統一戦線(RUF)に誘拐され、のちに解放された子どもたちのうち、少女の割合はごく小さかった。誘拐されていた子ども591人が解放されたケースでは、少女はわずか10人。実際には、はるかにおおぜいの少女たちがいることを考えれば、明らかに少なすぎる。モザンビークでも、戦争中にモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)のキャンプを訪れた国際監視団によれば、RENAMOの子ども兵の約40%が少女たちだった。だが、戦後、復員した少女たちの数はこれに遠く及ばなかった。

 地元の社会が子どもたちを受け入れたがらない場合、西アフリカでの経験からすると、帰る所のない子どもたちの施設の場所は、兵士だったころの活動地域以外にするべきだ。こうすることで、社会に受け入れられやすくなり、再徴集の危険性も減る。そうした孤児たちを前向きな形で地域社会に復帰させるため、追加の支援プログラムも必要になる。根本的に、子どもたちにいい意味での自信が生まれるようなプログラムづくりをめざすべきだ。自信をもつことで、子どもたちは再入隊や犯罪行為の誘惑に負けなくなる。

パト2 おやっさん家で今回の騒動について おやっさん「で、どうなんだい」 後藤「そりゃまあ、不平や不満はあるでしょうけど。今この国で反乱を起こさなきゃならんような理由が、たとえ一部であれ自衛隊の中にあると思いますか。しかもこれだけの行動を起こしておきながら、中枢の占拠も政治的要求もなし、そんなクーデターがあるもんですか。政治的要求がでないのは、そんなものがもともと存在しないからだ、情報を中断し混乱させる、それが手段ではなく目的だったんですよ。これはクーデターを偽装したテロにすぎない、それもある種の思想を実現するための確信犯の犯行だ、戦争状況を作り出すこと、いや、首都を舞台に戦争をという時間を演出すること、犯人の狙いはこの一点にある。犯人を探し出して逮捕する以外にこの状況を終わらせる方法はない」 おやっさん「しかし、わからねえな、いったいなんのために」 後藤「想像はできますが、捕まえて聞くのが一番でしょうね。じゃ、でかけますんで」


GA 芸術科アートデザインクラス エンディングテーマ「ココロいろ palettes」
「いつも同じ瞬間、同じ場所から見ていた、ひとつの空。 ありふれた日常がめくるめく変わっていく あの日出会って過ごした毎日は 何度も失敗ばかり慌てても すぐそばにみんなが居てくれたね、いつも笑っていたんだ。今日はゆるやかな風が吹いている 青空は変わらない 芸術のいろはたくさん重ね塗りしてカタチ変えてくパレット ココロ染めていく♪」


魔法少女まどか☆マギカ第9話「そんなの、あたしが許さない」
さやかちゃんが魔女化して一時安全な場所に退避したまどか達、魔法少女についてとうとうと語るほむらちゃんの胸倉をつかみ杏子「てめえわっ・・・ 何様のつもりだっ、事情通ですって自慢したいのか? なんでそう得意げにしゃべってられるんだ、こいつはさやかの・・さやかの親友なんだぞ!」


テロは貧困から生まれないなんて事情通ですって自慢したいのか?・・・やっぱり杏子が良い子すぎて生きるのがつらい。


エヴァが日常回だけで映画やってたら見に行くわ。昨日Aチャンネル見てて、カラオケで困ってるトオルンにるんちゃんが一緒に歌ったたげたのが、もうるんちゃん良い子すぎて生きるのがつらい、大好きなるんちゃんが歌ってる〜、なトオルンもなんかぐっときた。毎回Aちゃんは成仏しそうになるわ。