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abekojiの日記

2010-11-30

「読書余論」53

兵頭二十八net私塾「読書余論」2010−11月期 53

目次--------------------------------------------------------------------------------

▼豊田有恒『長編歴史小説 北方の夢 近代日本を先駆した風雲児ブラキストン』1999-4

 ボイラーで動く製材工場を箱館港内に建設。日本で最初の蒸気機関工場となる。木っ端を石炭の代用にしたので、常に補給していないと、丸鋸の回転がスローになった。住民の感想。これではエゾの森は数年で禿山になるに違いない、と。


 ギリシャのエウヘメロスは、神話に出てくる神々とは、それ以前に実在した人間の神格化であると主張。これは19世紀の欧州で定説化した。エウヘメリズムという。


 明治2年4月初旬、土方がニコライ神父とともにブラキストンを訪ねた。そして、ロシア政府に軍事介入を働きかけてくれぬかと相談をもちかけた。

▼竹内運平『箱館海戦史話』復刻S55、原S18-7

品川時点では、蝦夷に行くとは決めていなかった。仙台に来て、いろいろ考えさせられた。オプションとして、佐渡をとる、対馬をとって朝鮮を征伐する、ウェンリートという布哇総領事のすすめにしたがって当時独立国のハワイに移住する、などもあった。


また、日付不明だが、津軽藩は、「深浦」に11人、「小泊」には10人からなる隊をそれぞれ派遣し、窮鼠状態の徳川脱籍軍によるゲリラ的なヤケクソの破壊放火撹乱工作や、難民の救恤に備えさせている。


 津軽藩は官軍のために領内から2574人、自藩で使役するためにそれとは別に5261人の軍夫を徴用し、提供した。

 M1-12月時点で、津軽と南部領内に滞在している官軍将兵のために津軽藩が提供しなければならなかった兵粮は、月に1万俵に達した。幸い、津軽藩にはコメの蓄積があったので、のべ数ヶ月におよぶ負担が可能だったのだという。


徳川脱籍軍の中には英語に巧みな人は甚だ多かった。これは開拓使の雇米人、エドウィン・ダンの証言。


 海戦に参加した艦のうち、千代田形をのぞくとすべて外国で建造されたものだった。


千島樺太交換条約にはとうじ、反対意見もあった。が、黒田は北海道開拓が急務なのだと絶叫。樺太に使う費用はぜんぶ北海道に投下すべきだとの信念だった。この黒田の意見を榎本が露国公使となって折衝し、条約を締結した。


新政府は蝦夷防衛を重視していたから、関東奥羽が鎮定しないうちに、箱館裁判所を設け、清水谷公考を戊辰閏4月に箱館へ赴かせた。

 維新の直前、箱館周辺は松前藩領ではなく、幕府領であった。

▼海洋・東アジア研究会編『海上保安庁進化論――海洋国家日本のポリスシーパワー』2009-5

 日本船主協会のHPが便利だ。


 シナと韓国がモメている蘇岩礁。韓国最南の馬羅島から西南150kmにあり、干潮でも露岩しない。水面下4.6m。韓国はこの暗礁を離於島[イオド]、波浪島[バランド]と呼称。2001に韓国はこの島に巨大な鉄筋15階建て相当の建物を建設し、衛星レーダーを置いた。シナ政府は抗議する一方でこの問題を国内で報道せず。ネット市民が怒っている。


 竹島はGHQ覚書のせいで日本の行政権を行使し得なかった。かつまた日本漁船の操業区域を規定した「マッカーサーライン」の外側にあった。韓国はサンフランシスコ条約が締結される前の1952に、李承晩ライン内に含めた。1965の日韓漁業協定までの13年間、日本漁民の死傷44人。韓国は1954-7から竹島に警備隊員を常駐させた。


 2005-6に与那国島付近で、水産庁の漁業監視取締船が台湾漁船7隻により取り囲まれた(p.42)。

▼中田祝夫・校注&訳『日本古典文学全集 6 日本霊異記』S50、小学館

私度僧による自己弁護文学である。

 いつも同じ話では聴衆が飽きるから、決して飽きさせないネタの宝庫として編纂された。

 シナには『冥報記』『金剛般若経集験記』などの仏教霊異譚が先行してあり。それを自土=日本でやってみようと景戒は思った。


今昔物語は、A.D.1100〜1200ごろ成立。霊異記とは72話もの共通がある。しかも霊異記からの直接引用がほとんど。


 僧が外典という場合、それは儒教のこと。


第9話は、鷲にさらわれた嬰児が父と再会する話。南方熊楠の解釈。鷲の巣の中にはよく、石がみつかる。それは安産や育児の呪力があると信じられた。そこからの連想だと。世界中に類話がある、と。


恨みに対して恨みで答えるのは、枯草で火を消すようなものである。

▼篠原昌人『陸軍戦略の先駆者 小川又次』2000-7

鳥尾小弥太は大阪で後方事務を仕切った。藤田伝三(萩出身)の邸宅を事務所代わりにしていた。

 藤田は、元・山城屋の番頭。

 西南戦争が始まると、山田顕義の助言で、軍靴の製造に乗り出した。被服、蚊帳まで納入。

 鹿児島が陥落すると、こんどは凱旋軍の防疫に必要な石炭酸を大量に仕入れて儲けた。※いったい箱館戦争後の凱旋では検疫はやったのだろうか?


任期があと3ヶ月というところで、メッケルは日本で最初の参謀旅行をやった。M21-2-10から。

 このときの指摘。本土のどこかに敵軍が上陸したら、小部隊ではなく、大部隊を向かわせねばならない。さもないと、軍が住民から怨まれることになるから。


M23の参本から全国6師団への命令。野砲隊が利用できる道路をすべて把握しておけ、と。


M18に農商務相であった谷干城。すでに予備役だが、英国のまねはいかんと主張。英国のように海外領土が広すぎる国は、海軍による「移動防禦」が必要だが、日本は日本列島だけ守ればいいので、「固定防禦」が合理的だと主張。軍艦よりも安い砲台で可いじゃないかと。また戦艦にカネをかけるより、海軍士官の育成にカネをかけろ、と。※小型の水雷艇で行こうよ、と説いたのなら、ジイサン良いこと言うねと首肯もできるが、砲台ではダメですよ。箱館戦争体験者ならこんな勘違いはしない筈。


 曾我が『国民之友』に書いた「談兵代正誤」。進取の力がなければ防禦もできない、という者がいる。攻撃は最大の防禦だという理屈だ。これは戦場では正しい。しかし、国防政策では正しくない。日本は対外侵略する必要はないのだ、と。※これもGood。だれか曾我の伝記をめぐんでくれ。


 輜重科ながら大本営参謀になった大澤界雄・大尉。M26にドイツ留学。M30に欧州長期出張。M31-7に「鉄道の改良に関する意見」をリポート。今日では、軌幅の3倍まで車両の復員を増せるようになっているから、いまさら広軌にする必要はない、と。それよりもむしろ、複線化を進めよ、と。また、曲率や勾配についての全国共通規格を政府が打ち出すべし、と。

 M31-9には、システム統一のために国有化すべしとも主張。「鉄道国有論」。理由。開発資金は外債頼みになるだろうから、もうこれからは民間小企業では信用されない。ポイントの動かし方などは全国共通にしなければならない。保線要員の教育を全国で共通化しなければならない。軍事輸送では下車点は人も貨物も海岸になる。そこでは空になった列車を消毒する設備も必要。逆に石炭の貯蔵所は、内陸に置かれる。つまり民間に分割しておいては、負担が不公平になってしまう。

 西南戦争では、復員と同時にコレラが大流行してしまった。検疫をしなかったため。日清戦争では後藤新平が、内務省衛生局長として似島で頑張った。


西南戦争では、大阪鎮台は最多の犠牲者を出した。歩兵3個聯隊で、戦死1242名。これに次ぐのが東京鎮台の996名。


小川いわく、千早城が陥落しなかったのは、補給が続いたから。


またある人いわく、部下に対して日頃から峻烈であった、と。※だからこそ、隊紀の粛正にもってこいだったのだ。


 このときの第8聯隊長は、能美 成一 大佐。※山口出身で、歩8長となるために陸軍に入ったような軍歴。苦労をしただけで報われずに消えたこうした人材を多数出しているのも、山口県なのである。同郷贔屓人事は、後輩の選り好みを許さないシステムでもある。

▼朝永三十郎『近世に於ける「我」の自覚史』S16repr. 初版大5

これを肯定するのがホブズの政治論。人民行動の標準は、自己の良心ではなく、君主の意志であるべきだ。宗派の是非も君主が一存で決めるべし。人民はそれを拒むことはゆるされない。国家の承認を得ない宗教は迷信だ。そもそも宗教は人民教化の方便に過ぎない。このようにホブズは近世人として露骨に個人の自由を否定した。それほどにクロムウェル革命の混乱が悲惨であった。


理知がこんどは教会に代わる専制君主となってきた。そして人々の感情を圧迫するようになってきた。これに反発したのがまずルソーであり、ドイツのシュトルムウントドラング詩人たちだ。


数学上の根本命題は、先天直覚。ただし、時間空間が先天直覚だから、数学は可能なのだ。


 ヘーゲルいわく、哲学は徹頭徹尾、その時代の拘束に服従す。


 ドイツ唯物論に続いてダーウィンがあらわれ、さらに唯物論は強化された。その結果、人々はただ、成り行くがままの現実に安んずるより外はないと思うようになった。これがロマンティック期。


 1840年代、ドイツ統一の宿望は空に帰し、大頓挫。人心消沈。向上的努力など無効だと思われた。理想的精神など無意義だと。だったら、理想ではなく現実に安んずればよい。これがドイツ唯物論の下地。

 さらにショーペンハウエルは、現世を厭離して、涅槃を説いた。もちろんインド哲学の影響。


為政の標準は、人民の幸福や安寧ではなくして、その自由でなければならぬ。

 法の起源は自由にあって幸福にはない。治者の擁護せざる可からざるものは幸福でなくして自由である(p.421)。


敗亡すなわち文化の滅亡ではない。ユダヤ国家は亡びたが、一神教は残っている。ギリシャのポリスは滅ぼされたが、科学、技術、芸術は伝えられている。破壊された旧は、高等なる新の中に永久に保存されるのだ。


 唯物史観は、人を動かす根本の力は、ただ物質的欲望であるとする。

 宗教、芸術、学問などの精神活動も、それを動かしている決定力は、じつはすべて経済作用なので、その経済作用以外には何もない、とする。

 この徹頭徹尾現実主義、非理想主義を政治で実現したのが、ビスマルクだった。

 理想の代わりに力が崇拝されるようになった。「文化国家」はどうでもよくなり、強国であることが理想となった。

 領有、そして富を求める。

 この延長にWWIがある。つまりヘーゲルマルクスビスマルクがWWIの種を播いたのだ。


 理想の力は弱いのだろうか? そんなことはない。今次戦争(WWI)ではどの国も、自己を弁護し他を責めるのにあたり、常に正義・人道の如き善の理想に訴えているではないか。

 それは偽善か? 「偽善の行なはるゝといふことが頓て善の力を示すではないか。善に力のないところに偽善の必要はないではないか」(p.457)。


 フムボルトの教育制度改革は、まったく、哲学の体系的見地から企画されている。彼は世紀初めにアメリカを探検して帰って来た。


ヘーゲル左派は1840年代から唯物論を唱え始め、1850年を過ぎるとそれに自然科学の方から擦り寄ってきた。

 厭世観と唯物論とは通底する。どちらも、歴史の意義、歴史の目的を無視する。

 永劫に同様なる反復が人類史であり、それは自然法に近く、それが世界過程を支配している、と見るのが唯物史観。※ギリシャ史学の焼き直しだ。


▼武井群嗣・田中好『土木行政』(自治行政叢書VOL.9)S10-10

軍令で国防事業の土地収用も可能だった。これだと天皇大権だから、行政法規と無関係になる。


▼海軍航空本部『金星発動機五〇型取扱説明書 改訂第一版(51〜54型)』S17-6

▼『タンパク毒素』上・下、S47

▼長野 朗『暗雲ただよふ 満蒙』S6-11

新興工業国は、外国の農民にモノを売りつけられればいちばんGOOD。しかし、米国が脱農業→商国化し、シナは日貨排斥をし、インドも独立をもとめ、かくして日本工業は日本農民に養ってもらうこととなり、農村は疲弊した。


▼永岡慶之助『散華・会津藩の怨念』S52

▼永岡慶之助『会津戦争始末記』S48

蛤御門では、会津兵は危なかったが薩兵300のおかげで撃退できた。助けられていなければ、反省できたのだが。


▼東洋協会調査部ed.『北鮮三港と日満通商関係』S18-8

 商港の繁栄は、後背地の景気が決定する。

▼樋口清策ed.『自然及経済地理概説備考』S12-6

 生糸は米国にしか輸出できない。

 米国で値段が決まる。

 S5から、売れぬ分をフランスに出そうとしたが、ごくわずかのみ売れた。

 S5からはシナ産も売れないので彼らも苦しんでいる。

 絹織物製品として米国が輸入する量は、わずかである。


▼原田二郎『戦闘神技 戦術の常識』S18-12

 ガ島で日本兵が手をあげたので降伏かと思ったらそれは突撃or自決前の万歳であった(pp.14-15)。※これはたぶん元ネタがアメリカの雑誌であろう。その米人記者は現地部隊に取材したのだろう。米軍は、斥候をかなり大胆に前へ出していたことが推定される。

 ※ガダルカナル敗報は国民に届いていたのだ。だからこのような逆宣伝の本が書かれねばならなかったのだろう。


▼榊原平八『代用食 芋と南瓜の上手な食べ方』S20-10

 伊豆七島では、牛乳と陸稲の普及で、逆に島民の腰が曲がるようになったといわれる。唐芋と魚しかなかった昔の方が健康的だった、と。


▼神奈川県食糧営団ed.『決戦食生活工夫集』S19-12

 イモの皮は蒸してから剥け。

 野菜は漬物にするな!

 魚の骨と頭はフライパンで焼き、擂り鉢で粉にすれば、ふりかけになる。

 腸(わた)は塩辛にせよ。1割の塩で、1週間でできあがる。


及川道子『いばらの道』皇紀2595年刊

 東京音楽学校一ツ橋分教場の入学試験。ピアノ伴奏がわざと、まちがったキーを叩いて聴覚を試す。たったひとり、それに気付いて合格した。


▼神崎照恵ed.『新更論集』S8-7所収、伊東政喜「兵器を中心とせる国防問題」

▼隅部一雄『大陸と科学』S13-10

東京ぜんたいの自動車数が1万3000台ぐらい。

 ベルリンは少ない方だが10万台以上ある。

 ロンドン、NY、パリとは比較にもならん。


▼伊崎浩司『討伐日記』S17-12

中支はマラリア蚊多し。


▼張君約・著、藤田実tr.『支那屯田兵制史』S17-1

 ※圧倒的な「事典」である。斯学に心を留める人の捜書博覧の労を省いてくれようという企画。


シナ人が軍隊を生産化したのは、この制に始まる。

 清代ですたれて、民業と同様になった。

▼日野開三郎『中世支那軍閥――唐と五代の藩鎮の研究』S17-11

 玄宗が置かせた辺境防備用の節度使軍閥化し、安史の乱を呼んでしまった。

 そこで内地に「藩鎮」を列置すると、これまた軍閥化し、恣に官吏を任免、封域を世襲し、宛然独立の一国。


▼北山康夫『北支那の戦争地理』S14-12

北夷の圧力で、晋が揚子江に南移、南の文化を創る。隋〜唐が南北運河を掘ってこれを結ぶ。長安の人口は南方のコメで養われ、大運河が漕運途絶するや、軍民飢死に瀕す。


北京を最初に首都にしたのは女真で1153のこと。その基礎づくりは、契丹がやっていた。その前は唐の節度使の城はあっただろう。

 北に偏しているが、満州と北支の両地を統治するには都合がよい。清もその理由から北京を首都にした。

 明は、対北方防衛の便利から、やはり北京。

 北京の弱点は、通州と結んだ運河にある。元が亡びたのも、清が英国に降ったのも、ここを扼されたため。運漕梗絶。


長安は四塞の国の中央にあって、最も守り易い。

 開封は、四通五達の郊にあって、最も攻め易い。

 洛陽は、この長安と開封をおさめる拠点なのだ。

▼藤村駒蔵『函館図書館叢書 第十一篇 嗚呼瓦全の僕』S10-3

刀(兼氏)で鉄線(鉄条網)を切ったら、刃がめちゃめちゃに欠けた(p.30)。

▼井坂錦江『水滸伝支那民族』S17-5

 山路愛山に「支那支那人を識るには、支那の小説を克く読むに限るよ」といわれて、読んだ。幾度か、吾と我膝を叩いた。

 軽視されている#82〜#120の大遼〜方蝋征伐記が実は資料の宝庫なのだ。特に権謀に関し。


天に代わってする思想「替天行道主義」


服部いわく、シナでは士と農工商は、コンバーチブル


▼日本工業協会ed.『物資動員』S14-4

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とある魔術の禁書目録6話 白井黒子「ジャッジメントですの」

2010-11-01

「読書余論」52

兵頭二十八net私塾「読書余論」2010−10月期 52

目次--------------------------------------------------------------------------------

▼佐藤鋼次郎『日露戦争秘史 旅順を落すまで』大13-5

田村がいたから閥は消えていた。田村が死んで閥は復活した。

兒玉すら田村より軍事は知らない(pp.58-9)。

▼おまけメモ。

国民党とスタ。

孫文コミンテルンに援助要請。

1924、スタは中共をさしおいて国民党支援を明確化。

1925、孫文死んで、モスクワ陸大出の蒋介石は1927、共産主義者を追放する(林『両大戦間の世界』)。北伐後、北京のソ連大使館等にガサ入れ。1927の蘇支断交に至る。

▼『落合博満の超野球学(1)』2003-6

▼『落合博満の超野球学(2)』2004-4

 草野球の投手がまず覚えるべきこと。じぶんの左側(1〜2塁間)にゴロを打たれたら、すぐに1塁ベースカバーに走ること。

▼井上司朗『証言・戦時文壇史』1984-6

戦前の右翼の資金源は、第一に陸軍、ついで海軍、ついで官界の内務省の警察系、つぎに財閥(これはみかじめ料的なもの)だった。軍や警察は、右翼にカネをやって大いに利用したのだ。それゆえ、戦後、軍と内務省が消滅したことで、右翼は大打撃を蒙り、その勢力には昔の面影がないのである(p.20)。

中央公論東洋経済は、戦中、発行後2週間くらいで、重慶で全訳されて、情報分析に使われていた。だから井上は、この2誌は廃刊させるよりむしろ宣伝に使えと言った。

大観は、陸海軍へ飛行機や建艦費を何度も寄付したので、戦犯になるのではないかと恐れていた。

これを一瞬、国士のおもかげの退潮、と思ってしまったが、そうではなく、変化におどろく純粋さなのだと、心いたく思い返した。

大仏の実兄は、野尻抱影。早大卒で、星の文学者。日本郵船の支店長だった父は、大仏次郎には外交官になることを望んでいた。本人も大学を出るまではそのつもりだった。

しかし兄の知り合いの編集者から「髷物を書ける人はいないか」と聞かれて、自分で応じたことから、運命が変わった。それが『鞍馬天狗』。

大正末期から昭和初期にかけて、失業インテリが求める社会正義を、剣の超人に代行させた。大衆小説を、一挙に文藝小説のレベルに引き上げた。

▼W・ゲルダート『イギリス法原理・第8版』

▼Arthur.H.Crow著、岡田・武田共訳『クロウ日本内陸紀行』S59-7、原1883

軍楽隊はひどい練度であった。巡回動物園の音楽かと思った。

日本の農業はまさに園芸だ(p.53)。

日本人は就寝中も目を醒ますとキセルで一服する。だから旅館では雁首を叩くおとが一晩中する。

日本の誤りは、働き者たちの仕事を遅らせ、交渉事の回転を妨げようとするばかりの怠惰な役人をふやしすぎたこと。

電信線の架設工事はすでに日本人だけでやっていた。

サムライは最初の一太刀は、抜きざまに上に斬る。初期の英国海軍士官たちは、暗殺から自衛するために、サムライの態度にほんの少しでも敵意が見えたらピストルをかまえるように、いつも言い聞かされていた(pp.210-11)。

8-29、函館港の弁天岬砲台は土の要塞だ。

地形はジブラルタルにいちじるしく似ている。

米国の帆船が、サンフランシスコ向けの硫黄を搭載していた。

この硫黄は岩雄登、跡佐登、恵山、知床、クナシリのシュマノボリ、ラウス山、エトロフのモヨロ、などで採掘されたものである。

ラッコは数がすくなく、獲るのがむずかしい。ウルップ島とエトロフ島に多かったという。その大市場はロンドン。

▼ホフスタッター& デネットe d . 、坂本百大・他t r . 『新装版 マインズ・アイ(上)』1992、原1981

遺伝子は、体から体へと世代ごとに飛び移り、自分のやり方と目的に応じてそれらの体を操りながら、それらの体が老衰や死に陥る前に、次々に死すべき古い体を捨てて生き延びていくのである。※天皇制みたいなもん。

▼東江平之・他ed.『大田昌秀教授退官記念論文集 沖縄を考える』1990

▼丸山静雄『中野学校』S23-4

▼諸岡青人&里深文彦『民具の文化史』1996

▼『倫理学 第7冊』S16-7所収、尾高朝雄「国家哲学」

啓蒙時代には、まず個人主義的に自然法が説かれた。

すなわち、啓蒙期個人主義。近代の初期に、個我の自由を最高理念として掲げた。

人は生まれながらにして自由であると主張された。

ここから国家契約を仮説し、自由と拘束との矛盾を原理的に解決する。

専制主義さえやっつけてしまえば、人々は現実に自由になるのではないかと想像された。

ところがフランス革命の結果は惨憺たる血の海であった。

ここにカント登場。

カントいわく。人間は現実には自由ではあり得ない。道徳の空想においてのみ自由なのだ。その調整役が国家である、と。

国家の決めた義務・法に、個人の行為が「外面的」に適っていれば、OK。それはモラルはなくとも、リーガルだ。

すなわち、法的強制によって、道徳的自由への道が拓かれる。

カントの次のフィヒテは『封鎖商業国家論』をあらわした。1800刊行。説かれたのは、計画統制経済国家。芸術家と学者以外は、海外旅行も禁止。このような国家だけになれば、拡張戦争もなくなるだろう、というわけ。

▼『岩波講座 世界思潮1』1929所収、矢崎美盛「啓蒙思潮」

▼南原茂『国家と宗教』S17-11、S21-1repr.

カントの「断言命令」。汝の意志の格率が同時に普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ。

自然の人間は神聖ではない。しかし、人格としての人間は神聖だぞ。

中村光夫『近代への疑惑』S22-7

欧米人にとり、近代とは自作品である。東洋人にとり、近代とは輸入品である。

今年は特に海水浴が盛んであったそうだ。維新の開国からわずか80年で、女子が水着で砂浜を闊歩するようになった。西洋で〈これが当然だ〉と思われるまでに5世紀かかった生活全般の根本的変化を、80年で成就させている、この変化の急激さこそが、日本の近代の一特徴だ。

以上、『文學界』S17-7月号初出。S22-2の後記にいわく。「近代への疑惑」は、文学界が「近代の超克」という座談会をやったときに、提出論文のひとつとして書いた。この程度の常識を公刊するのにも、政府の統制に気兼ねして苦労する必要のある時代だった。常識を常識として世に通用させる仕事に精力を奪われて、あたらしいものを作り出す余力などなかったのが、あの時勢を悪い時勢とする所以である。

フランス自然主義は、極限まで社会化されていたのだ。それを模倣しながら、身辺小説や、心境小説になってしまったのだから呆れる。※社会に何も問題提起をしていないということ。

日本社会に個人主義が普及すれば、私小説作家どもの実生活が読者を動かすはずもなくなる。つまり私小説は御用済みとなる。

旧社会の良識を逃れたとき、人間とは何物であるかが自問される。近代文学也。

自然主義は、ロマン派とは違い、社会を支配する良識の根深さを意識したにすぎない。

『マダム・ボヴァリイ』は、フロオベルと社会の対決の場所に外ならない。

江戸文学の伝統の重圧が、二葉亭をして、浮雲を中断させ、彼を文学の圏外に投げ出した。

そしてしばらくは、鴎外を除けば、明治文学は封建文学の復活でしかない。

西鶴も三馬も、江戸文学は、女子供からすら理解された。超一流の芸術なのに、社会と完全に調和していたのだ。社会と個人の対立がまったくありえない時代の芸術。その完成品に耽溺して育った明治前半の文人には、フランス流自然主義はとうてい理解などできもしなかった。

江戸時代、人間の情熱は、木偶によって表現され得た。江戸期の人間とは、肉体を供えた木偶にすぎなかったからだ。

江戸文学が新しい権力者を嘲笑するときは、彼らの洗練された趣味に反するときだった。

硯友社の空疎をきわめた類型的作品群。社会が、それを欲したのだ。文学と社会は明治においても調和していた。かかるとき、文学は人間を描く必要を認めないのだ。

日本に私小説が誕生すると、しだいに、文学と社会の素朴な調和は壊れた。個室趣味文学、ひきこもらー文学が萌芽した。

わが国の近代文学は、社会との対決の裡にではなく、隔離の裡に成長した。その非社会性、無思想性は、すべてここにもとづく。

異様な時代に生きる異様な姿を捕えることに失敗する作家など一人もいない。

40を過ぎてフランスに渡り、数年パリに滞在して新しいものを探した島崎藤村は、ついに西洋文明には新しさよりもむしろ鞏固な伝統があることを発見した。彼はその発見を執拗に書いている。たとえば『新生』。

そして『夜明け前』では、開花の風潮の一犠牲者を主人公にした。

以上、S16-10の『知性』初出。

明治は、最初の30年は、まだ近代社会ではなかった。江戸時代の延長だった。佐藤春夫いわく、新しい社会のなかで、人々は封建時代の生活を営んでいたのだ。

藤村は告白している。若いころに芭蕉の求めたものを求めようと思い、どんどんさかのぼって古い歌集や詩集を読むようになり、25歳までは、古人の足跡をひたすら追いかけた、と。

そこで確信した。古いものはいらなくなれば自然に壊れる。意図して破壊する必要はないのだ。

以上、S12-8『俳句研究』初出。

岸田國士が昨年の春の随筆で書いている。人が寄ればかならず戦争の話になる。だが、案外、おたがいに人の知らないことをしっているのに驚く、と。

▼Barry Plyner『デザインは犯罪を防ぐ』1991訳刊、原1983

▼近藤康雄、梶井功『日本漁村の過剰人口』1956

▼木村正一『土幕民の生活・衛生』S17-8

松山義雄『山村動物誌』S18-7

▼教学局ed.『教学叢書 第10輯』S16-4

▼アナンダ・クーマラスワミ著、蘇武&岩崎tr.『印度美術史』大5-9

紙は、A.D.10世紀まで、インドには無かった。※だからインド仏典にはそもそもオリジナルがあり得ない。

▼石川順『中國苗族考』大12-1

▼スミス&クリスチャン著、鈴木他tr.『パンと塩――ロシア食生活の社会経済史』1999、原1984

▼防研戦史部『戦史研究年報 第5号』H14-3-31

湾岸のときは3日以内にバクダッドの発電所を吹っ飛ばしたが、コソヴォでは、最後の2週間になって、発電所を攻撃した。つまり開始から4週間目。つごう79日目に停戦。

コソヴォの教訓は、エアレイドは逐次投入すべからず、ということ。

目的が判明していないのに漫然と飛行機を送り出し、「何か手を打っている」外見を示そうとする政治は間違いである。

▼竹村文祥『戦争と医学』S16-6

※他にも病死データてんこもり。

▼松野博『満洲国開拓と北海道農業』S16

ガラス窓なくして、北海道入植は不可能だった。

しかし、燃料木が無尽蔵にあったおかげで、ペチカ+煉瓦造りでなくとも、ストーブだけで冬を凌ぐことが出来た。

▼吉岡金市『日本農業の機械化』S14-4

▼吉岡金市『農業機械化の基本問題』S16-1

岡山県では、耕耘機はむしろ、小作地60%以上の「自小作」農家に普及している。これは、小作条件が小作者に有利になっているから、「富農小作」化しているのである。※GHQが「解放」する必要などまるでなかったわけ。

▼吉岡金市『農業機械化圖説』S18-3

ところがS16秋に石油の消費統制が強まって、暗雲が……。

そこでしかたなく、耕耘機を路面電車式に電気化することまで試みられた。

統制経済さえなければ、日本は民間から機械化していたのだ。愚かな能吏帝国が、その目を潰してしまった。

▼尾高豊作『都市と農村』S17-10

耕耘機は、馬の2〜5倍、人の12〜25倍の能率である。

反当たりの経費も、馬の6〜8割、人の2〜4割で済む。※人より馬が高価。

田植えと稲刈りが、最後に残っている。※田植え機は日本のロボット史上で忘れてはならぬアイテムである。だれか詳しい人はいないか?

▼菅原亀五郎『理想郷の建設者と百姓太閤』S5-8、兵用図書(株)pub.

▼玉城 哲『水紀行――むらを訪ねて』S56

今は農業用水は地下パイプライン化し、蛇口を捻れば冠水する。

ここ十数年来の「圃場整備事業」で、それができた。

これがまた、兼業化を可能にし、また、水のムダ使いに。

▼ブラハト&ブルクハルト著、日本写真測量学会tr.『写真測量の歴史』S63

▼佐久間律堂・著『戊辰白河口戦争記』S16-9

官軍は、砲声を聞くや、寝床から直行する。後から握り飯を持ってこさせるのだ。対して奥羽勢は、宿舎主人に飯を炊かせ、十分腹を拵え、握飯をもって出かけようとするから、出遅ればかり(p.72)。

▼『野戦重砲兵第十二連隊史』H6

▼『わかりやすい真菌(かび)検査法と汚染防止対策』1988

▼J・W・ディーコン『現代真菌学入門』tr.S57

▼『微生物の生態 9』1981

▼マンゴールド&ゴールドバーグ著、上野元美tr.『細菌戦争の世紀』2000、原1999“PlagueWars”

▼宮治誠『カビと病気』1986

 米軍はWWII中に、コクシジオイデス防疫を国家的に進めてきた。

 地域を芝生か舗装かプールにすると、発生率は激減する。

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パンティ&ストッキングwithガーターベルト5回10話の感想「・・・」

世の中そんなことばっかし 

スターは凄い

2010-09-27

「読書余論」51

兵頭二十八net私塾「読書余論」2010−9月期 51

目次--------------------------------------------------------------------------------

▼尾上正男『独ソ不可侵条約論』S37-11

1937 における、戦争潜在力。世界全体を100 とした場合、アメリカが41.7、ドイツ14.4、ソ連14.0、英国10.2、フランス4.2、日本3.5、イタリア2.5。※どうして日本はWWII でイタリアより少数の戦車しかつくれなかったか。ほとんど鉄を船に回していたからだ。

▼広瀬彦太ed.『榎本武揚 西比利亞日記』S18-7

クンヌイ〔国縫〕や十勝の砂金洗いを思い出した(p.78)。

ロシアの現場監督は、わざと金の多量に混じった砂を用意して榎本を騙そうとした。山師が人を騙すという態度ではない。旦那の機嫌はとらねばならぬという精神らしい。

▼富樫敏『日本の別荘地』1973

▼離求庵『さらり〜まんに別荘が建つ』1993-10

▼古島敏雄・校注『百姓伝記』上下、1977 イワブン

▼三枝博音『復刻 日本科学古典全書 5』S53repr. 原S19

▼木下桂風『釜の歴史と鑑賞』S54repr. 原S27

▼須藤隆仙ed.『箱館戦争史料集』1996-8

7つ半時頃には官軍は一本木に攻めかかった。

徳川兵はかなわず、津軽陣屋まで逃げた。逃げる途中で関門役所の茶屋すべてに放火した。山の上からじぶんの家作が焼けるのを見ている避難民はただ念仏を唱えるのみ。その夜はずっと津軽陣屋を攻めたが、落ちず。

5-13 頃は外国人も見物。日本の戦争は丸裸でやっているからおそろしい、と感想を述べていた。

M2-3-20 に、津軽から間諜が戻った。宮古湾襲撃で直前まで他国旗を掲げたのは、南北戦争で南軍の『アラバマ』がやったことあり。朝の5時にアメリカ国旗を揚げて突入した

二股口では敵は多くスペンサー銃を用いたらしく、ドースの殻が、おびただしく樹の下などに撒布されていた。

※二股口の薩摩軍に対して善戦したことが、「オレたちが任されていたなら鳥羽伏見や上野のようなことはなかった」という証明に。よって気が済んだわけである。

清水谷についてきた役人どもは頽廃していた。しかしわれわれはその下で働くしかなかったのである。

回天は10-11 に折浜を出て、気仙に着いた。そこで海賊船になっていた千秋を奪回し、回天は15 日にそれを曳航して出帆、16 日に宮古に来た。

このとき罰則をつくった。敵と対陣しているとき、番兵が眠った場合、銃火によって死罪たるべし。半隊司令以上は、銃を持たざること。敵の首級、取るにおよばざること。など。

11-13 に額兵隊は原口(江良町の1日行程先にあり)に進んだ。敵の間者が食物に毒を入れたのを知らず、三田村徳太郎など十数人が、悉く苦しんで食物を吐いた。その家の者を訊問したが何も知らないという。そこで、同じ、蛸の酢味噌あえを家の者たちにも食わせたら、皆、苦しんでこれを吐いた。徳川軍の下僕になりすまして兵粮の周旋をした者の仕業と見当がついた。医官の伊東友賢いわく、砒石だろう。悉く吐かせてその毒を払え、と。※これだけで治ったのは、要するに量が少なかったのである。

箱館府が流通させようとした紙幣50 万円があったのが、市民の眼前で焼却した。

逃亡者は、会津遊撃隊と陸軍隊に多かった。陸軍隊の隊長はさすがに逃亡しなかったが。先に逃亡した仲間が、次々に誘うのである。

ストライクウィッチーズ2 CM 「第2次『パンツじゃないから恥ずかしくないもん!』キャンペーン実施中です!!」

リーネちゃんは最終回もやっぱりかわいかった。

2010-08-30

「読書余論」50

兵頭二十八net私塾「読書余論」2010-8月期50

▼小島直記『洋上の点――森恪[つとむ]という存在』S53-4

恪は正確にはツトムなのだが、NY支店時代にサインが楽なのでカクにした。いらい、カクで通した。

森恪の伝記としては、山浦貫一『森恪』S18 がある。この内容が不審なので、小島はじぶんで伝記を書くことにした。

生徒会役員共9話 生徒会で小冊子を出すことに。 「レイアウトはこんな感じでどうでしょう?」と、まぁ無難に作ったものを萩村がシノ会長さんにみせるが、次々ダメを出される、萩村「会長、あんり細かいこと気にしすぎると、はげちゃいますよ」 シノ会長さん「下の毛なら歓迎だ」 あっさりな萩村「そうですか」

2010-07-26

「読書余論」49

兵頭二十八net私塾「読書余論」2010-7月期49

▼渡辺銕蔵『反戦反共四十年』S31-5、自由アジア社pub.

いま日本でいちばん収入が多いのは、エロ小説家。

大学教授がエロ随筆を書いてゆるされ、ベストセラーになるのは日本ぐらい。欧州ならば即、大学追放だ。

S5〜6 年は青年が就職難だった。

クリーンな選挙をはじめて唱えたのも渡辺なのだ。それは大11 の東京市政粛清運動。

これを実現するためには、選挙直前だけでなく、日常たえず国民が、候補者に対して求めるのではなくて、逆に、みずから代表者のために犠牲を払う責任があるのだと自覚せぬかぎり、無理。

選挙民が、じぶんの好む政党と候補者に、票と同時に賽銭をあげる、そのようなシステムができなければ、理想選挙もありえず、良い議員の選出もできにくいだろう(p.486)。

普選で、婦人参政権があり、4000 万人が投票権を行使でき、それでもよい議員が選出できぬとあれば、それは罪は90%まで国民にある。

議員には、大図書館、資料室が必要である。それを議員のために寄付してやる金持ちも必要である。……このような主張を文藝春秋のS 11-11月号に寄稿したこともある。

マッカーサー草案では、土地資源国有の規定があった。松本烝治が削除させた。

生徒会役員共4話 畑部長さんが修学旅行の写真を持ってきて見せてもらうタカトシ「ん?会長が寝てる」 シノ会長さん「こらっ!人の寝姿を勝手にみるな!!」 畑部長さん「そうよ。それは有料よ」