本ブログ目次

本ブログ「従軍慰安婦の深層」の目次


こんにちわ!本ブログは以下の慰安婦に関する研究書、参考サイト、研究者の活動、一般市民の活動成果をまとめたものです。特に慰安婦に関する研究書については、2006年末時点でほぼ全ての専門書の結果を反映し、日本人にとって関心の高い部分をダイジェストしたものになっていると自負しておりますので、一度覗いてみてください。


従軍慰安婦についての出典のはっきりした本当の話>
1章.従軍慰安婦とは何か
2章.慰安婦の強制連行はあったのか
3章.河野談話とは何か
4章.慰安婦を研究している人はなんと言っているか
5章.元慰安婦の証言は信用できるのか
6章.従軍慰安婦問題とは何か
(主な研究書からの慰安婦研究のまとめ)
<慰安婦に関する参考書一覧> 
<慰安婦に関するURL一覧>  
<慰安婦に関する意見ブログ一覧>



元従軍慰安婦の証言は信用できるのか?(1)
元従軍慰安婦の証言は信用できるのか?(2)

従軍慰安婦に関する研究者の声明
慰安婦強制連行の新証拠について(2008年5月)


秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の知られていない事実(1)
秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の知られていない事実(2)
秦郁彦が慰安婦は売春婦の根拠にした文書は実在するのか?
茂木弘道氏は「自分の無知を世界に発信する会」の活動をやめてくれ!



沖縄戦「集団自決」について>
沖縄戦とは何か、集団自決の意味とは何か
沖縄戦集団自決を知る上で参考になる本・研究書・証言集


国家神道について>

これはまだ書きかけ、これからの項目ですが・・・
神嘗祭を復活させよう(黒い笑いです)



<番外編>


ネット上には、慰安婦は売春婦に過ぎない等と、歴史を捻じ曲げて嘘をつく人や、それに便乗して騒ぐ人がいますがそれを完全に否定した記事です。前者は自分の書いている事は嘘だと自覚しつつも視聴率など歪んだ動機(歴史修正主義)ゆえに、後者は何も知らないが故に、馬鹿げた妄言を書いているわけです。そして彼らの多くは事実そのものには、非常に知識も少ない状態で、嘘をネット上で撒き散らしているので本当に困ります。

はてな会員にいる困った歴史修正主義者について(キーワード集団自決、富山真順、歴史修正主義を荒らす者)
歴史修正主義者lovelovedog君の集団自決に関する掲示板での宿題(彼がどのように議論に負けごまかして逃亡したか)
歴史修正主義者lovelovedog君の愚行の顛末


ある無知な中学生との対話
歴史修正主義者池田信夫の愚行
戦前そのままの佐藤優の天皇主権にせよと謳う演説

<慰安婦に関する討論の例>

慰安婦に関してテレビなど公開の場で、きちんとした知識のある方と否定派の方が正面から議論した例は非常に少ないでしょう。かつてテレビ朝日の深夜の討論番組「朝まで生テレビ」で吉見義明氏が出演した事があるだけで、全国ネットでは2007年にアメリカ下院での決議があった時も含め、その後はないように思います。しかし関西ネットのローカル局では2005年4月10日という河野談話が出た時期にも行われていました。ここでの議論は番組自体は強い否定論的立場にもかかわらず、登場した識者(高校教師)のしっかりした知識と断固とした態度により「否定派の完全な敗北」に終わった例です。私は最近これを視聴したのでここで紹介したいと思います。


慰安婦は強制だったのか」読売テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」第87回 2005年4月10日放送(視聴率11.8%)
→ネットで視聴可能(http://takajintv.blog101.fc2.com/blog-entry-57.html#more)。またこの放送はDVDとして発売されています「たかじんのそこまで言って委員会SPECIAL EDITION」 発売日2007年4月10日 3500円(再編集DVD特別保存版)「激論!“従軍”慰安婦問題」(約29分)その他を収録)


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以下は番組の討論内容の記録

(出演者)

司会:やしきたかじん辛坊治郎読売テレビ解説委員:ひどい否定論者)
ゲスト:久保井規夫(元教師・アジア民衆歴史センター、慰安婦に関して著作あり)

パネラー:田嶋陽子(すべき・サンフランシスコ条約慰安婦のことが無視されていたのが問題)、三宅久之(ない・日韓基本条約で包括的に解決済だから)、宮崎哲弥(ない・民間の基金でやれ)、橋下徹(ない・戦後賠償は国家間の問題だから)志方俊之(すべき・国の命令で被害を受けたから)、桂ざこば(すべき・納得いくまで話あえば)、松尾貴史(ない・立証されていないから)、山口もえ(すべき・何らかの形で償ってあげて)
ビデオ出演:秦郁彦

*括弧内は「元慰安婦に日本国は賠償すべきか?」という番組設定へのパネラーの答え

(番組のビデオ説明:慰安婦は強制ではない)

(番組が慰安婦に関する説明のため製作したもの。数分に渡り、慰安婦は志願したもので韓国の政治的策動に日本の団体がのっていると解説。これがこの番組の基本的姿勢であり、司会者・番組製作姿勢自体が非常に歴史修正主義的なものになっている)
 河野談話は曖昧なもので、唯一の強制連行の証言者吉田清治氏は嘘をついていた。当時は公娼は合法で、兵士による性病や強姦を防ぐため慰安所が作られていたのは事実で、慰安所経営者に軍が便宜供与していたのも事実だが、強制ではない。などという典型的な否定論を秦郁彦の長いインタビューを含めて提示。


<討論開始>

田嶋陽子による慰安婦説明。他の否定論パネラーの反応)

たかじん慰安婦の定義づけというのは、無理矢理強制的に××させられたのが慰安婦と解釈したらいいんですか?」
田嶋「そうです。」
宮崎「軍や警察が関与したかどうかが大きな論点なのです」
橋下「関与も強制でない関与は管理ということでいくらでもあるわけですよ」
宮崎「警察や軍が 強制的に奴隷狩りのようなやり方で関与したかどうかが論点なのです」
田嶋「奴隷狩りなんです。まず台湾で起きたことは、日本政府と日本軍は台湾総統府と台湾拓殖株式会社を通じて軍需品として慰安婦を集めたんですね。今70人が名乗り出ていて、実際に2000人はいると言われています。それも、警察が来るんですね。お宅の娘さんを労働につかせたい、と言って。
 何で警察が来たのか、それ地元の警察ですよ。それは日本政府が台湾の総統府に命令して地元の警察が娘さんを拉致していくんです。それは騙してです。看護婦にするとか働かせてやるとか言って。それから中国の話」
三宅「事実無根の話をそんなアンタまことしやかに
田嶋「中国で1938年ですが、これは日本が南京を占領したときの話です。残ってる資料の中で、やはり警察が女の人のところに行くんですね。それは日本の内務省警保局というところがちゃんと書類を残していて、支那渡航婦女に関する件のお伺いというので、400人の慰安婦を集めるんですね。
 そのときの集め方が、日本政府は各府県の中国人の知事に命令して地元の警察が女性を集めてくるんですね。インドネシアでもそうなんです」
宮崎「そういうのは歴史学的な検証をしなきゃいけないわけですよ」
ざこば「僕は何もわからんけど、どうしてそんな資料は信用して、秦郁彦さんの言う方を信用しないの?俺は秦さんを信用するよ!」


志方「カンボジアへPKOで行ったときに、各国の軍隊の周りにいわゆる慰安所みたいなのが自然に発生してた。それは自然にできた。でも個人と国家とは違う。個人から見ると貧乏のためいやいやながらでもそこに行く、その人にとってはね、強制されたという気持ちかも。そういう次元の話だ。」
田嶋「(志方を無視して)それからいろんな証言が出てるんですよ、国連人権委員会で」
三宅「それからねってアンタ」
田嶋「そんな一般論だけ言ったって駄目です。事実だけはみなさん知らないとやっぱり恥ですよ。日本人として」
三宅他「勉強してくださいよ・・」「鵜呑みにして・・」「証言だけじゃ駄目なんだったら・・」
辛坊「事実に関して言うと、いろいろ読みましたけれど、田嶋さんが仰ってる事実に関して教科書に載るレベルの事実として確定してることは残念ながら一つもない」
松尾「朝鮮人の女の人がひどい目にあってきたというのは事実かもしれないけど、田嶋さんが読み上げた資料を鵜呑みにできない」
田嶋「これは女性差別よ!」

(久保井氏紹介)

辛坊「ここで田嶋さんの力強い援軍をお招きしています。作る会の教科書を徹底批判して「教科書から消えた歴史」などの本をお書きになっている元大阪の吹田小学校で先生です」(久保井氏登場)「この番組は今までいわゆる左派、リベラルと称する活動家の方、学校の先生とかにいっぱい出演募集したんですが、ことごとく断られてきたんです」
田嶋「すごい右翼だもんね、この番組」
辛坊「さてさきほどからの議論をお聞きになっててどんな印象ですか?」

(強制された慰安婦が大多数)

久保井「えー、慰安婦というのは間違いなく実際にあったと」「それから、二者択一的にね、強制か強制でないかといろいろ言われますが、私自身調べたり、また慰安婦と名乗り出た方に話を聞くと、大体名乗り出た方は、ほとんど、騙されたと言うわけですね。そして慰安所へと。あるいは慰安所そのものでなくて軍人の部隊へ、たとえば1991年に一番最初に名乗り出た金さんの場合ですと満州ですね、そちらの部隊の方に連れて行かれてそこで慰安婦をさせられたと」
三宅「軍隊に連れて行かれた慰安婦って駐屯地の中でですか? そんなことありますか馬鹿なこと言っちゃいけませんよアナタ。いくらなんだってね、駐屯地の中で売春行為やってるなんてことありえませんよ!」
田嶋「やってるんだって! 部屋の図まであるんだから」
三宅「ウソ八百! 駐屯地の中でやったなんてことありますか!」
田嶋「あったの!」
辛坊「基本的にね、これからの議論であまり異論のないところは、少なくとも残ってる文書から推定して軍がある程度設置に関与した」
田嶋「ある程度じゃないんだよ!しっかりだよ!政策だったんだから!」
辛坊「いや。ある程度関与して、犯罪防止のためだとか性病防止のために、軍と一緒に行動ないし準行動する、慰安所という売春施設を作ったことは間違いないということか?」
久保井「それは間違いないですね」
辛坊「久保井先生の感覚で、そこで働いていた女性が、強制的に連れてこられた女性と自発的に働きに来た女性の大体の比率みたいなものは」
久保井「実際の兵隊さんとか体験記とか実際に調べたことで出てくる慰安所の場合はやはり強制というのが大多数ですね。」

(軍隊そのものが募集した資料は?)

田嶋「あのね、こうなんです。国が渡航許可を出して、輸送に協力してやるんですね。国が集めるのには女衒と言われる人やプロの人に頼んでるんですね。渡航許可も輸送も国がやるんです」
三宅「あなたね、業者というのはね、頼まなくったってね、自分の商売道具は集めてくるんですよ」
田嶋「国が頼んでるんですよ業者に」
三宅「なんであなたは、無理矢理国が国がと言って、国に責任を押しつけようとするんですか?」
田嶋「押しつけるとかそういうことじゃなくて事実。三宅さんはジャーナリストだったんでしょう?少しは事実を見たら?」
三宅「私はジャーナリストとして調べて言ってる。あなたは無茶とわかってて言ってるんだ」
宮崎「久保井先生、田嶋さんが言うような、国がブローカーや女衒に慰安婦集めろと命令したという、資料とか証拠はあるんですか?」
久保井「軍隊そのものが募集したとか狩り集めたとかそういう証言や資料は今のところないですね」
田嶋「あのね、満州地域の関東軍司令部、梅津美治郎という人が」
橋下「それ自分で書いた資料じゃないですか。それ田嶋先生の筆跡じゃないですか!」「今、久保井先生が証拠無いって言われてるんですよ。」
田嶋「ちゃんと久保井先生の話聞きなさいよ。先生しっかりしてくださいよ。」

(他国にもあったのではないか?)

久保井「日清日露戦争の時には慰安所はなかったと思う。長引く戦争の中で日本軍が作った恥ずべき施設ですよ、そのことはやはり間違いであると日本は述べるべきだ」
三宅「どこの国の軍隊でもある。それを日本という国はこんな悪い国だ、日本人はこんな強姦的で殺人的でなんていうことを義務教育で教えるなんて、教えるんじゃない事実でないことをでっち上げて教えるなんて、恥ずかしいと思わないかと私は聞きたいよ!」
久保井「それは間違ってますね」
三宅「あなたに教育者の良心があれば、事実でもないことを教えてきて恥ずかしいと思うでしょ」
久保井「いいえ。私は戦争は間違っているということを教えている」


橋下「慰安所は日本国だけなのか?、他国で慰安所でなくても同じような形を女性を、あるわけじゃないですか。」
田嶋「だけど、日本政府と軍が直接関与して、集めてこいと、こういうのは滅多にないわけよ」
橋下「じゃあアメリカなどはそういうことはなくて、日本が今問題にされてるのは、軍が関与したということが特徴的なんですか?」
田嶋「そうそう」
橋下「アメリカだって戦争において現地でそういうのはあったわけじゃないですか」
久保井「それはアメリカに対しても非難しなければいけませんね」
橋下「じゃあそれはあったわけですね、世界各国に」
久保井「アメリカはあります」

(なぜ日本人だけが慰安婦問題に答えねばならないか)

橋下「日本だけをね、もちろん事実であれば正当化されることじゃないけれども、ことさら今の問題を日本だけが悪いといってる」
田嶋「違う。それは(被害者が)訴えてきたから。それに対して日本はきちんと対応しないといけないから」「人がやってるからいいってことじゃないんだよ!」
橋下「今は韓国の人たちだけが訴えてきている、他に被害者が何万人といるのだろうに(そういのはどうなんだ)」
田嶋「台湾にもフィリピンにもマレーシアにも東チモールにもインドネシアにも中国にもみんないるの!」
橋下「それはアメリカにもイギリスにもフランスにも同じようにいるんでしょ?(そういのはどうなんだ)」
田嶋「それはそこの人たちがやればいいんだよ。私達は今訴えてきた問題に対して日本人としてきちんと考えなきゃいけないのよ」
橋下「それは世界各国でね、戦争の国家間賠償とかそういうものは、ここはもう訴えるものではない(*1)ということが、全世界の女性たちはそういう風に認識してるんじゃないですか?」(*1:橋下は戦争賠償は国家間で解決済みとパネルに書いている)
田嶋「してないの。今みんな一つづつ整理してるの。」
橋下「他は全然そういう問題起きてないじゃないですか。韓国の従軍慰安婦の問題だけであってね、世界各国でこんな慰安婦問題全然起きてないじゃないですか。」
田嶋「それはあなたが知らないだけ。日本はオランダ人女性も慰安婦にしてる」
久保井「東南アジアの占領地全体で起こってますよ。インドネシアでも起こっています。」
三宅「インドネシアはたきつけにいったヤツがいるんですよ!金になりますよと言って、日本人と思えないようなねヤツがいるんだよ」「悪徳弁護士がいて俺に任せてくれれば、訴えれば金になりますよとね、そういうヤツがいるんだよ不届きなやつ、国賊みたいなヤツが。それでこういうことになるんですよ」
田嶋「どっちみち日本人だよ」

慰安婦に関する日本軍の関与とはどんなものか)

久保井「一番有名な資料だし、私もこの問題についてね存在することに気づいたのは、上海での麻生軍医ですね。(資料写真を見せながら説明)これは軍の組織の正式な軍隊でしょ、そこの資料に載っておる慰安所の形ですね」
久保井「(資料に司令部発の慰安婦に関する指示書を示す)これの司令部というのがありますね、これは軍隊ですよ。慰安所の使い方を述べた、どういう運営をすべきか述べた、これは軍隊が関与してる」
三宅「軍は関与してるよ。関与してるということはちっとも否定してないよ!」
久保井「こういう施設を作れ、更に性病の検査だけでなくね、日本の男どもが喜ぶような大和撫子のサービスとかを指示してる、そういうことを書いてる。(写真を示し)これは明らかに軍医ですよ、衛生兵ですよ、それから看護婦たちですね、このように間違いなく軍の組織が、施設も、場所も、そして利用の仕方も、全部関与している」
たかじん「だから軍の関与はみんな認めてるわけじゃないですか。」


辛坊「じゃあ伺いますが、同じようなことでいいますと、例えばオランダで、公娼制度というのがあって、場所を決めて政府が関与してちゃんと性病の検査もしてここで働きなさいと。その女性たちが、国に賠償しろと言うようなことと、どう違うんですかこれは?」
久保井「そんな公娼制度と軍慰安婦と一緒にしたらいかん」
ざこば「だからそれを聞いてんねん」
辛坊「だからそれを言ってください。全く話が違うと感情的にこの本の中でもたくさん書いてらっしゃるんだけれども、何が全く違うんだかどう読んでもさっぱりわからない!」
田嶋「そりゃ頭悪いよ」(笑い)
橋下「説明しろ」
田嶋「国が関与して騙して連れてきたの。」
宮崎「渡航許可を出したのと無理矢理連れてきたのとは違うでしょうが」
田嶋「同じだよ」
宮崎「何で同じだよ!」
橋下「無理やり暴力を受けて、嫌がるものを働かされていたんですか?軍の方から働け働けと言ってムチを打たれながら働かされていたのか?」
久保井「そういう人もいます」
田嶋「あのね、逃げることもできなかったの」


辛坊「そこが問題なんです。そういう例があったのか、従軍慰安所というものは一般的にそういうもんだったのかについて私は知りたい。」
田嶋「でも戦争中だから国に・・・」
辛坊「田嶋さんじゃない、久保井先生に聞いてる」
久保井「上海で指定の慰安所が置かれたように、業者が経営してる場合もあります。この場合で納得してそこにいる女性もいます。しかしいろいろな証言で出てきて、私が本に書いたように、あくまで自分は納得していなかった、野戦看護婦や普通の仕事と言って連れてこられたけど、実際は慰安所に入れられて出ることができなかった。そして軍隊の兵士の相手をさせられた、ということも述べてますね。」

(日本人は何をすればいいのか)

ざこば「いやあのね、僕が田嶋先生に言いたいのはね、これまわりの人に怒られるかもわからんが、先生の出してきた資料を肯定するとするやん。ほんなら肯定した場合、それどないせえというわけ?」
田嶋「だから訴えてきた人はこう言ってるんです。例えばアジア平和女性基金というのを国が作ったんです。それは民間からお金を集めて。そして訴えてきた人たちにお金をもらってくれと言ったんです。それでお金をもらった人もいます。
 でも、自分たち(被害者)は腰を振ってついていったんではないんだ、国がやったんなら国が申し訳なかったと(認めてくれ)。強制連行したのであり私たちの貞節がそういうのじゃなかったと、ちゃんと謝ってくれれば自分は世間に向かって私はそういう女じゃなかったと証明できる。そしたら自分の威厳も、尊厳も、人格が取り戻せると言ってるんですよ。」
三宅「強制連行だということにしたいわけね。韓国社会では売春婦やってたというと親族縁者から受け入れられない。強制的にやらされたというとエクスキューズになるわけですよ」

(強制とは何か)

辛坊「議論を進めたい。常識的に考えて、本人が強制的に働かされたということが全くなかったということは多分ありえないだろうと。そういう人たちがいて、名乗り出てきたと。で、そのときに国家賠償はすべきかどうか。日韓協約で賠償は一応全部カタがついたということになってるけれど、その後に申し出があった場合でも、それを賠償すべきかどうかという話がしたいのですけれど」
久保井「待ってくれ、強制連行ということに限定するのでなく強制労働も入れていただきたい。そうしないと始めから慰安婦として朝鮮なり中国なりで集めて人狩りをして連れて行ったという場合以外に、騙して連れて行かれたのがあるわけですよ。」
辛坊「はあ、では強制労働も」
ざこば「そんなもんは微々たるもんやで」
田嶋「ほとんどよ。」
三宅「騙されたと言うけど、誰に騙されたの?」
田嶋「警察よ警察」
久保井「まさに占領軍です」
三宅「主語が抜けてるんだよ。誰に騙されたの? 親に騙されたということもあるわけだよ。わかってますかアナタ。」
田島「国家だよ」
久保井「それと、買う人は誰ですか? 国家組織でしょ?」
三宅「買うのは女衒ですよ。売春宿のオヤジ、女衒が買うんですよ」
久保井「それは斡旋でしょ。誰に斡旋するんですか?軍隊でしょ。女衒は軍隊に斡旋してるわけでしょ」
三宅「彼らが軍についていくわけですよ。大きい町があると、軍の営所に近い所で、いいところを軍が斡旋するんですよ。ここで商売やれって」
久保井「そういうのもあります」

(軍の関与は管理だけなのか?)

辛坊「日本の兵隊が買ったから日本の政府に責任があるという論理でいくと、ベトナム戦争アメリカの軍人相手にベトナムの女性が売春した場合はアメリカ政府が責任を負わなきゃいけないということになるわけですか?」
久保井「アメリカ軍がアメリ慰安所というのを作ってやっていればね」「日本では日本軍が慰安所というのを作ってるんですよ。」
辛坊「いや、あれは管轄だけだ、管轄だけでいうなら、先ほどのカンボジアのPKOの場合に軍の管轄でカンボジア政府が売春宿を作ったとしたら。このときには?」
久保井「それは民間的な組織でしょ」
橋下「久保井先生は管轄=管理をしたから責任を問えという話になってると思うんですけど、風俗業においてはね、有料風俗店ほどキチンと検査や予防をしている。だから僕は管理自体は悪いことではない。そこに暴力や強制があったかだ、先生と僕らの認識の差は、管理したこと自体については我々には責任はないと思ってるわけです。強制と暴力なんです。」
田嶋「あのね現実を知るとね、管理とかそういうのじゃないんですよ、もっとひどいんですよ(暴力と強制なんですよ)」

(強制の明確なインドネシアの例)

久保井「慰安婦は名乗り出る形でしか証言は出ないからなかなか難しいこともありますが客観的に、はっきりと日本軍が犯罪であることを指摘されたのはインドネシアの場合です。抑留していたオランダ人女性を慰安婦にした場合です。
 彼女たちは(普通に)オランダ人の家族がいたわけです。その男性と女性が分けられている、そして分けられた女性たちから今度は日本軍の相手をする慰安婦を集めた。これは兵隊のはっきりした軍機密、軍指令です。これはオランダの女性たちをね、たまたま何かの商売のため集めて慰安所をやった形じゃありません。
 あくまで占領してる日本軍がそういう女性が必要であると、現地のオランダ人女性を慰安婦にしたということです。このこともやはり指摘されてるわけですね。これは1946年段階です、東京裁判にはかからなかった。現地で裁判されてますね。そしてそこで証言と相手も実際おるわけです。オランダのバタビヤ臨時軍法会議判決ではっきりと判決が出ております。」
宮崎「それBC級戦犯になったわけですか? 責任者は処罰されたんですか?」
三宅「1000人の人がBC級で処刑されてるんですよ。なかには無実の人もいっぱいいる。」
久保井「罪状は強制売春のための誘拐、売春の強要、婦女の強姦、死刑1名です」

戦争犯罪と賠償の関係)

辛坊「戦時下における犯罪事件は違うと思う」
田嶋「戦時下だっていろんな条約があったんだから違反してるんですよそれは」
辛坊「戦時下における犯罪事件と、国家が関与して数万人の従軍慰安婦を作ったということとは同列に論じていたら話にならない」
宮崎「責任追及されて断罪されて死刑になってるわけでしょ?」
久保井「それで終わった訳ではないでしょ」
宮崎「は?」
久保井「それは戦争犯罪の責任が問われただけで、相手の被害者のオランダ人女性に対する補償賠償は行われてませんよ」
宮崎「被害者の賠償とかの話になってるのは最近の話であって、それは明らかに個人犯罪じゃないですか」
田嶋「違う!国家犯罪だと説明してる」
久保井「国家組織の軍隊が行ったことは国家が責任を持つべきです」
橋下「賠償責任は終わってるんです。そんな責任問題持ち出すんだったら、日本人だってね戦争に反対しながら死んでいった人たちは山ほどいるじゃないですか。そういう人たちがアメリカに対して訴えを請求できるのかという話になるじゃないですか。それは国民を代表して日本国政府が賠償請求権を放棄したわけだから、日本人はみんなアメリカ政府に請求しないでおこうというのは、国民の良識としてアメリカにそういうことを言ってないわけじゃないですか。日本人の良識ですよそれは!」
田嶋「これは個人個人がレイプされたという話ではないの」

(日本に何が求められているか)

久保井「この問題が提起されて女性基金が出来たときにね、韓国の方でも名乗り出てきて強制と言われた女性に対しては、韓国政府は補償すると言ってますね。そして日本に対しても言った、女性基金なんかは出さなくて結構だと。日韓基本条約があるから賠償請求はしない、私どもで支払うと。
 しかしこの問題が提起された限りは、この軍慰安婦を日本軍がやったことの誤りである、このことは謝罪してほしい。補償は私どもがやります。このように当時の大統領が言ってるんです。
 問題なのは、そんなことはなかったと、そんなのは強制だと言う、言いやすいからだとこちらの方(三宅氏)が言われました。そういうような形で早く言えばレイプされた者にもう一回自分はレイプされたということを述べねばならないという苦しみを(与えているのを)考えない。あるいは、これは金のためにやったのではないの、強制的に労働させられたんだと認めて欲しい(という事)。そしてそれをやったのが日本軍の軍隊であり、日本軍の兵士がやったんだ、このことだけは謝罪しなさいよと言ったのが韓国の大統領です。」
橋下「じゃあ久保井先生も、謝罪は必要だけど国家賠償までは必要ないということですか?」
久保井「賠償そのものはね、個人との問題ですから。国家間はね、条約でやっとるわけでしょ。国家間賠償の問題をもう一回蒸し返すためにこの問題を提起してるんじゃないんです」
宮崎「それは国家というものが責任を取ると言ったり、謝罪するというようなことは国民の大多数がこれは間違いないと、hardなevidence=確証が出てきてないと駄目です!そんなことは国家原則としてありえません」
久保井「日本軍が軍として慰安婦を抱えていたというのが正しい事実でしょうね」

(否定派の反応)

三宅「ナントカ先生あなたね、よほどお人好しか少し頭が足りないかどっちかだ。たとえばね、田嶋先生のように、竹島は日本の領土に決まってるものを、向こうの政権維持のためにワイワイ騒がせているわけですよ。それを尻馬に乗ってだねワーワーとね、あなた日本人じゃないんですか?」
田嶋「情けないよ。私は日本人として恥ずかしいよ。」

宮崎「話を聞いていてね、少し分かってきたことがあって、軍が管理してたわけ、ひょっとするとその偶発的であれ管理責任に不備があったかもしれないという事。その部分というのはもうちょっと日本政府はきちんと調べた方がいいんじゃないかなと。そういう気がしました。」
橋下「どちらかというと強制とか暴行とかじゃなくて、どちらかというと、管理責任の問題」
宮崎「そうそう。そう思った」
橋下「それはまた田嶋先生とは違うわけですね。」
田嶋「ホントに男の論理だよね。弱い人の立場に立つイマジネーションがない人たちの話だよね。女買ってる人たちのそういう物の言い方だよ。」
宮崎「俺は女買ったことねえよ!」

(当時の朝鮮・台湾が軍政である意味)

久保井「もう一つ言っておきたいのですが、日本内地の場合は内閣というものがあった。植民地(朝鮮・台湾)と占領地(中国)は軍政ですね、そしてその軍隊がこのような形で人を集めたりあるいは抑留者に強制してやったり。まさに自分たちの支配の中でやってる」
三宅「ナントカ先生! 朝鮮はね朝鮮総督府というのがあってそれが統治してたんで、軍政じゃありませんよ」
久保井「いや、総督府の総督は陸軍大将ですよ、海軍大将が台湾総督ですよ」
三宅「たまたま軍人がやったけど、最初は伊藤博文がやってる」
田嶋「あはは、たまたまだって」
久保井「あなたは朝鮮に日本の議会制度があったと仰るんですか?」(皮肉っぽく)
三宅「軍政とかね、既成の事実みたいに言っちゃいけませんよ」
久保井「軍政です」
田嶋「台湾の総督府だって日本の言いなりだったでしょう。それと同じことですよ」
三宅「仮に言いなりだろうがなんだろうが総督府というのがあって統治してたのは間違いないんでね、軍がやってたわけじゃありませんよ。そんな事実を曲げて歴史をねじ曲げてね、キミのような反日活動家がそういうようなことをやってね、人を貶めるなんてね、恥ずかしいと思え!」
久保井「いや日本の内閣の指揮下にはない、軍政です」
田嶋「こっちが恥ずかしいよ」
久保井「私は間違いは間違いと指摘してるだけです。慰安婦を抱えるような日本の軍隊はそれこそ恥ずべきですね。」
田嶋「そうだよ。」
三宅「何を言っておるんだ!」

(番組司会者のまとめ)

たかじん「まあまあ、あのーどちらの意見も採用する事にしてるんで」
辛坊「そうですか?」
たかじん「一方の意見を抹殺するのは簡単です。だから今日はこうして先生に来ていただいたわけで」
三宅「でもね一方的にならなかった。私はねどんなに頓珍漢な意見でもね、意見は意見として聞いた方がいいと思う」(笑い)
辛坊「まとめたったわ」
(終了:次のテーマへ)


(番組への右翼の感想)=いわゆる暴力的な強制連行の有無だけにこだわった間違った認識の典型例となっている
右翼の感想1「インドネシアのオランダ人慰安婦、これは個人的な犯罪で、加害者側の日本軍兵士は処罰されているのに、それを持ち出して日本の国家犯罪のように言っていたので、あ〜やっぱダメだこりゃ〜でしたね」(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/6112/nikkiokoshi-0504.html

右翼の感想2「この先生、最初の方ですでに「日本軍による強制があったという資料はない」って認めちゃって、その後も是が非でも日本が悪かったことにしたいというこじつけ論ばかり。本来なら「強制連行はなかった」となった時点で、この議論は終わりのはずなんですけどね(^_^;」(http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid280.html

逐次テキストの例→(http://www.geocities.jp/aic251/zyuu.html

国家神道は何かを理解するために(島薗進)

島薗進氏論文:「国家神道はどのようにして国民生活を形づくったのか?―明治後期の天皇崇敬・国体思想・神社神道」(所収、京都仏教会監修『国家と宗教―宗教から見る近代日本』上巻、法蔵館、2008年7月、243−284ページ。)


この論文は島薗進氏が「国家神道」論の混乱を克服するために書いたものですが、未だ国会図書館にも収納されておらず、読むのが難しいため転載しておきます。これは島薗進氏のブログ(http://free.jinbunshakai.net/shimazono/index.php?itemid=82)に掲載されたものです。


概要:国家神道とは何かが混乱している。従来参照されてきた村上重良の考え方はおおむね妥当だが国家に支えられた神社神道との見方に傾きがちで、国民が自らそれを担った点が見過ごされており、又その影響力を大きく見積もりしすぎだ。これに対し新田均など(右翼的な)神社神道系の学者から批判があり、彼らはその影響力の大きさと期間についてはるかに小さく見積もっており、一部には国家神道GHQの作った幻であるとするような意見もある。


 これらに対し島薗進は両者の間違いを、(1)宗教とは教義や教団組織を持つ明確な輪郭のある文化体系とする近代西洋的な考え方に捉われすぎている、(2)国家神道の中核を神社神道と考えるべきではないと指摘している。つまり、神道を含む宗教とは土俗的・原始的な曖昧な文化体系として考えるべきであり、国家神道の重要な要素とは神社神道も含むが、皇室祭祀こそ重要であると指摘している。


つまり神道は日本の土地と結びついた神々を信仰する土着的・民族的な宗教であり、その神道を背景にした国家神道とは、天皇崇敬や国体の理念を中核としたものである。即ち、国家神道とは、万世一系による聖なる天皇を尊び、神武天皇以来続けられてきた国体を維持し発展させようとする信仰や実践の体系であるとしている。
−−−−(以下転載、太字はabesinzouによる)−−−−−−−−−


一、 国家神道の歴史像(国家神道はどんなものだったのか、何が国家神道なのか)

(従来の説明:村上重良)

  「国家神道とは何か」の理解が混乱すれば、国家神道の歴史の全体像が不明確になるのは当然であろう(島薗 二〇〇一a、二〇〇六a,b)。たぶん逆も真だ。では、これまで国家神道の歴史はどのように描き出されてきたのだろうか。
 国家神道の全体像をコンパクトに描き出し、今なお参照されることが多い村上重良の『国家神道』(一九七〇年)では、明治維新から一九四五年までの国家神道の歩みを「形成期」、「教義的完成期」、「制度的完成期」、「ファシズム的国教期」の四期に区分している。
 「形成期」は明治維新(一八六八年)〜明治二〇年代初頭(一八八〇年代末)で、神社が宗教とは別の国家機関となる体制が決まったこと、宮中祭祀が確立したこと、伊勢神宮を本宗とする全神社の再編成が行われたことが主な特徴としてあげられ、「内容はなお流動的だった」とされる。次の「教義的完成期」は、帝国憲法発布(一八八九年)〜日露戦争(一九〇五年)で、帝国憲法により国家神道は超宗教の国家祭祀として信教の自由と両立するかに装われたが、実際は「神仏基の公認宗教に君臨する国家神道体制が成立した」。また、教育勅語が発布され、国家神道イデオロギー的基礎となり、国家神道の教義が完成したという。


 第三期の「制度的完成期」は、明治三〇年代末(一九〇〇年代後半)〜昭和初期(一九三〇年代)で、国家による神社の統制と財政的支援が強められ、政府は神社をイデオロギー的拠点として動員し、諸宗教との間での緊張が強まったとされる。最後の「ファシズム的国教期」は、満州事変(一九三一年)〜太平洋戦争期(一九四五年)で、国家神道が国教としての地歩を「再確立」し、諸宗教への統制が強化され戦争協力に動員された。国家神道の教義である国体論が侵略を支え、八紘一宇の思想がその根幹とされたという。
 四つの時期は世界史や日本史の時期区分を参照し、政治体制や神社制度や国体思想の影響力の変化に関わる諸事象を踏まえて示されており、おおよそ妥当なように見える。しかし、各時期の特徴づけには理解しにくいところが多い。その主な理由は次の二点である。

(村上重良への疑問)

 (1)国家神道をまずは神社神道に関わること、また、神社神道と他の諸宗教との関係に関わることと捉えるとともに、他方で「皇室神道」や「国体の教義」に関わることと理解しており、それらの関係が明らかにされていない。村上の別の著書、『天皇の祭祀』では、『国家神道』で「皇室神道」とされているものの詳細な叙述がある。だが、それが神社神道や国体イデオロギーとどのような関わりにあり、国民生活にどのような影響を及ぼしたかについての論述はどちらの書物を見てもあまり見られない。また、「国体の教義」がどのような意味で、国家神道の重要な構成要素であるのか、国家神道の構成要素としての「国体の教義」はどのような形で国民生活に根づいていったかについての叙述も乏しいのである。


 (2)国家神道をもっぱら政府が国民に強制したものと捉えていて、国民こそが国家神道の担い手だったという側面についてあまり触れられていない。村上は「国家神道」という語を主に「国家が主体となって国民に広め、押しつけた神道」という意味で用いているきらいがあるが、この語は、「国家と国家の主体である天皇の聖性を信仰の主題とする神道」という意味をも含んでいる。後者の意味での「国家神道」はさまざまな層の国民が担い手となって、それを支え、もり立てていった側面があるが、村上はそうした側面にふれようとしない。これは、(1)で述べたように、「皇室神道」や「国体の教義」が国民生活とどのように関わっていたのかが明確にされていないこととも密接に関わっている。 


 村上の国家神道理解では、国家に支えられた神社神道、つまりは神職層が国体の教義や軍国主義・侵略主義の主たる担い手だったかのように見えてしまう。また、その影響力についても大きく見積もられすぎている。明治維新の当初から国家神道はある程度整った形をもっており、「明治維新から太平洋戦争の敗戦にいたる約八〇年間にわたって、日本人を精神的に支配した」(村上 一九七〇、一ページ)とされ、近代史の始まりに遡って長期にわたり、ひじょうに大きな力をふるい続けたかに見えることになる。

(現在言われている異論)

 こうした見方に激しく反発して、異なる国家神道像、国家神道の歴史像を描き出そうとしたのが、葦津珍彦、阪本是丸、新田均第二次世界大戦後の、また現在も活発に発言を続けている神社神道系の学者たちである(葦津 一九八七、阪本 一九九三、九四、二〇〇五、新田 一九九七、二〇〇三)。彼らは神社神道と国体論を掲げる軍国主義膨張主義全体主義のイデオローグとは必ずしも一致しないとし、神社神道と国体論や天皇崇敬に基づく実践体系とを分けた上で、神社神道国家神道がさほど優遇されていなかった時期のこと、またそうしたことを示す出来事の意義を強調する。


 この立場に立って宗教制度史、神社神道史の研究を進めてきた阪本是丸によると、国家神道の歴史はもっと短いものになり、さらに国家神道イデオロギー的側面も備えた十全な意味での「国家神道体制」はわずか数年だけ存在したということになる(阪本 一九九三、一九九四)。阪本によると国家神道(体制)の成立は一九〇〇年に内務省に神社局が設けられ、それまでの社寺局が宗教局となった時となる。神社と他の諸宗教(仏教・キリスト教教派神道)が行政体系のなかで別のセクションとなり、国家が宗教ではない神社を直接に管轄する体制が整えられた。神社局と全国の神社支援者はその後、一方は他勢力との力関係の調整のために、他方は神社の地位の向上のために、それぞれに努力する。ここで神社局の管理下に置かれた神社神道国家神道である。事実、制度上の用語としての「国家神道」もこの行政枠組みを前提として用いられるようになった。


 だが、神社局が設けられたとはいえ、国家機関となった神社に対する財政的支えはなお薄いものであり、神社の地位を高めるためにより高い地位の官庁として神祇官(「特別官衙」)を設立するよう求める神社界や地域社会からの運動が起こる。これが十全に実現するのは、一九四〇年一一月に神祇院が設立されるのを待たなければならなかった。この神祇院の官制第一条に神祇院が担当すべき職掌として、「敬神思想ノ普及ニ関スル事項」とある。国家神道としての神社神道はそれまで国家次元での思想・イデオロギーにはタッチしてこなかった。神祇院が設立されたこのとき、「純然たる機構・制度としての「国家神道」にはじめてイデオロギー・思想が附加され、いわゆる神道指令の内容に見られる「国家神道」の理解が可能」な事態が現出したことになる。とはいえ、その神祇院さえもたいへん貧弱な体制だったという(阪本 一九九三、一九三ページ)。


 阪本によれば、国家神道の歴史は一九〇〇年から数えれば四五年であるが、その大半はイデオロギーや思想内容には関与しない弱体なものだった。「祭祀の執行と神社の維持以外は何もできなかった神社局・神祇院の官僚と神官・神職。これが制度としての国家神道の本姿であった」(同、一九五ページ)。イデオロギー・思想をもあわせもった国家神道の歴史は四年余りにすぎないが、それも弱体なものだった。「神祇院官僚および神官・神職からただの一人も公職追放者がっでなかったという事実こそ、いかに制度としての国家神道が「超国家主義」「侵略主義」「軍国主義」等の様々なイデオロギーと縁の薄いものであったかの証明であろう」(同上)ということになる。


 葦津、阪本、新田らは国家神道という語を使うのなら、国家制度のなかに位置づけられた神社神道という堅固な制度史的概念に基づいて用いるべきだという。葦津、新田と異なり、阪本の場合は国家神道イデオロギー的側面も考えなければならないとしているが、とりあえずは「制度としての国家神道」の綿密な研究を尊ぶべきだという。こうした考え方は、神社神道こそが国家神道の主要な担い手であるという考えに基づいている。これは地域社会の神社の神職たちが主要な担い手である戦後の神社神道の、教学者的な立場からの歴史像としては理解できるところがある。神道の本流は神職と氏子からなる地域神社にこそあり、国家と密接な関係にあった近代神道の歴史は、何よりもまず神社神道の歴史として考察すべきだという考えがその前提となっている。


 一見奇妙なことだが、実は村上重良も同じように国家神道神社神道が主体だと見なしている。有史以来、続いてきた日本の「民族宗教」が神道であり、それが神社神道に発展し、近代に国家神道の中核となったと捉えているのだ。また、近代の神道は長い歴史をもつ神社神道こそが代表すると見ている。したがって、もし「国家神道」とよべるものがあるとすれば、神社神道こそがその主役だととらえている。これに似た「神道」理解、「国家神道」理解は安丸良夫宮地正人、中島三千男らのマルクス主義近代主義構築主義の系譜を引く歴史学者(広い意味での「啓蒙主義歴史学」とよんでよいだろう)も継承している(安丸・宮地 一九八八、中島 一九七二)。


 昨今はそもそも「民族」というようなものは新しく形成されたものであるから、「神道」も新しく形成されたもので、古代以来、あるいは考古学的時代以来のものなどではない。中世以降に日本の神々を信仰の中心に掲げる集団が成立して以来のものであり、それが神社神道国家神道に発展していったのだと理解されることが多い(井上 二〇〇六)。構築主義の影響下で、近代の「伝統の創造」をあばき、古代以来の民族文化であるとされてきたものが、実は古い伝統であることを装って新たにつくりだされたものであることを示そうとする潮流にのった立場である。ところが、神道神社神道中心に考えるのは、この立場の人々も同様である。宮廷祭祀(皇室神道)が神道の重要な表れであり、神道史を考察する場合に欠くことができない位置をもつことなど、こうした議論ではまったく念頭に置かれていない(島薗 二〇〇六b)

島薗進国家神道説明)

 以上、いくつかの潮流の国家神道理解を概観してきたが、神道学系統の議論にしろ啓蒙主義歴史学の系統の議論にしろ、神道を神社や神職からなる独自の宗教組織を中心にして考えるという点では前提が共有されている。神道という語を用いる時、宮廷祭祀(皇室神道)が念頭に置かれない傾向があるのが、その重要な特徴である。村上重良はこうした前提に引きずられつつも、皇室神道の重要性を理解していたが、国家神道の歴史像を組み立てる際には、なおその利点を生かすことができなかった。このように神社神道に引きずられた神道観が支配的になったのは、「宗教」とは教義や教団組織を備えた輪郭鮮明な文化体系を指すという前提が受け入れてきたことと関連している。このように「宗教」とは他の社会集団と区別され独自の制度領域であり、しかも礼拝施設や専門家(「聖職者」「宗教者」)がその中核に位置するという理解は、キリスト教の前提を負っており、西洋から輸入された近代宗教制度の基礎をなす概念枠組みである。


 しかし、イスラームにしろ、ユダヤ教にしろ、ヒンドゥー教にしろ、このような「宗教」理解からははみ出してしまうところが大きい。これらの宗教文化では、「宗教」と他の制度領域が相互浸透しており、「宗教」組織が「宗教」を代表しているわけではない。もちろん神道もそうした「宗教」に近い。むりやり宗教組織を中心に神道を考えることは、キリスト教キリスト教文化圏の概念枠組みの鋳型にむりやり合わせるようなものである。また、教派や学派に基づく神道集団ではなく、地域社会の神社を構成員としながら神社神道のようにある組織性をもった神道教団が形成されたのは、近代国家形成の作用によるものであることも軽視されている。神道学系統の学者も啓蒙主義歴史学の系統の学者も、近代的な「宗教」概念の偏り(島薗・鶴岡 二〇〇四、深澤 二〇〇六、アサド 二〇〇四、二〇〇六)に無自覚なままに「国家神道」像を描きだそうとしてきたように思える。



 では、「神道」や「国家神道」をどのようなものと見なせば、より実情に即した歴史像が描けるだろうか。宗教とは聖なるものに関する人々の観念やそうした観念にまつわる行為・実践をひとまとまりのものと捉えて指し示す語である。宗教の単位としてキリスト教、仏教、イスラームヒンドゥー教ユダヤ教シーク教ゾロアスター教道教神道などがあげられるが、これらは他と特別されるようなあるまとまりをもった宗教的観念・実践体系を指す語である。神道もそのようなあるまとまりをもった宗教的観念・実践の体系として定義できる。日本の土地と結びついた神々を信仰するのが神道の特徴だ。その神道の一部が国家を中核とする観念・実践体系として新たなまとまりをもったものとして発展していったとすれば、それを国家神道とよぶのが適切だろう。


 神道はかなりの程度、七世紀末までに形成された宮廷祭祀体系に淵源している(二〇〇六b)。次第に仏教に触発されながら民間の神々の祭祀(民俗宗教)も別途、他と特別されるまとまりをもつようになる。中世には仏教の影響を受けつつ、古代宮廷祭祀に関わる象徴・実践群を用いながらまとまった思想や儀礼を掲げて結合する集団が成立してくる。古代の宮廷祭祀と中世以来の神道思想集団がもとになって、江戸時代には天皇の祭祀としての神道を国家祭祀の支柱としようとする思想が力を得る。儒教の影響を強く受けながら、国体理念や宮廷祭祀に重い意義を付与し、政治的目標を掲げる運動が次第に力をもつようになる。国学、水戸学など国体論の担い手が、キリスト教的西洋に対抗できる様な国家神道を構想し、やがて祭政一致(祭政教一致)の理想が尊皇攘夷運動の中核に位置づけられていく。


 明治維新の際には国体の復興による祭政一致(祭政教一致)国家の理念が、近代国家日本の中核をなすべきものとして承認されていった。天皇が自ら神々の祭祀を行い、先祖である天照皇太神、および歴代天皇の神霊の加護のもとに統治し、国民と聖なる天皇とが精神的一体性を保ち続けることで理想的な国家が打ち立てられると信じられた。「祭政一致の布告」(一八六八年)、「皇道興隆の御下問」(六九年)、「大教宣布の詔」(七〇年)などはそうした理念を宣言したものとして、その後の諸政策を方向づける役割を果たした)。明治維新期には国体思想を民衆の天皇崇敬を通して具体化しようとする構想が有力になっていった。「大教」「皇道」はそうした理念を代表する用語だが、私たちが国家神道とよぶものとほぼ同じ内容の体系を指し示している(島薗 二〇〇一b、二〇〇七。

島薗進氏の結論部分)

 国家神道とは、神々の中心に位置する天照皇太神を先祖とする聖なる天皇を尊び、そのようにして神武天皇以来続けられてきた国体を維持し発展させようとする信仰や実践の体系である。短く言うなら、神道は日本の土地と結びついた神々への信仰であり、国家神道とは天皇崇敬や国体の理念を中核とした神道である。神社が神社神道として組織化されていくのは国家神道の形成・確立のきわめて重要な局面をなしている。しかし、国家神道すなわち天皇崇敬や国体の理念を中核とした神道は、皇室神道の形成とその国民生活との関連づけ、あるいは天皇崇敬や国体理念の形成と普及という観点からも見ていく必要がある。神祇(日本の土地と結びついた神々)に関わる従来の諸信仰文化を組み立てて、明治維新以降に形成されていく神社神道は、この意味での国家神道のきわめて重要な構成要素である。しかし、神社神道こそが国家神道を代表するなどということはない。


 このような意味での国家神道は、明治維新の初期から形をなしていたが、当初は少数の人々の信仰や実践として、また彼らが目指す理想国家のビジョンとして存在していた。明治政府は近代国家を形成してくとともに、国家神道が具体化されるような舵取りを課せられたと言える。しかし、当初、構想された国家神道と近代国家のビジョンとの間には齟齬を来すことがあり、さまざまな紆余曲折を経つつ国家神道に関わる諸制度が定められ、広く国民の間に国家神道の観念と実践が根づいていく。国家神道の歴史はそのような観点から時期区分をなされるべきである。

(参考文献)

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同 「国家神道とメシアニズム――「天皇の神格化」からみた大本教安丸良夫他編『岩波講座 天皇と王権を考える4 宗教と権威』岩波書店、二〇〇二年
同 「戦後の国家神道と宗教集団としての神社」圭室文雄編『日本人の宗教と庶民信仰』吉川弘文館、二〇〇六年a
同 「神道国家神道・試論――成立への問いと歴史的展望」『明治聖徳記念学会紀要』復刊第四十三号、二〇〇六年b
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同  「フェルディナン・ビュイッソンにおける「道徳」と「宗教」、あるいは「人類」の逆説」『宗教研究』三四〇号、二〇〇四年六月
中島三千男「大教宣布運動と祭神論争――国家神道体制の確立と近代天皇制国家の支配イデオロギー」『日本史研究』一二六号、一九七二年一一月
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自衛隊は国民を守るものなのか?

国を守るとはどういうことか?

憲法9条についての議論では必ず、軍隊がなくて国を守れるかという話になります。しかし国を守るとはどういうことでしょうか?普通の市民は、自分たちの生命財産を守ってくれることを想像するでしょう。


しかしそれは違うようです。
栗栖弘臣という自衛隊制服組のトップははっきり違うと言っています。この人はいわゆる「超法規発言」というものをして、当時の防衛庁長官から解任されています。その栗栖氏は2000年、小学館文庫から本を出して、「国を守る」ということについて、次のように述べています。

今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。政治家やマスコミも往々(しばしば)この言葉を使う。しかし、国民の生命、財産を守るのは警察の使命であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。


 自衛隊は国の独立と平和を守るのである警察法自衛隊法に書いてある。


この場合の国とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国が、天皇制を中心とする一体感を共有する民族家族意識である。決して個々の国民を意味しない

栗栖弘臣、「日本国防軍を創設せよ 」小学館文庫、2000)


これについて高橋哲哉氏はこう解説しています

これは要するに、「国体護持」っていうことですよね。天皇制を中心とする「国柄」ですから。「国柄」というのは戦前、戦中の文献を見ると、あきらかに「国体」と同じ意味で使われています。


 日本の国柄、国体というのは、もちろん国民体育大会ではありませんよ。天皇制国家という意味です。戦前戦中、かつての旧帝国軍隊は、皇軍天皇の軍隊であり、天皇制国家という国体を守るための軍隊だった。だからいざとなったときには、国民を犠牲にした。旧満州でそうだった。そして沖縄戦でそうだった。ということがずっと言われてきたわけですけれども、


 その旧帝国軍隊。「国体護持」の軍隊という考え方が、はたして戦後の自衛隊においてどこまで清算されたのかということが実ははっきりしない。少なくとも2000年の段階で、自衛隊の制服組のトップだった人は、まだ「国体護持」という使命感を持っていたわけです。そのことがここであきらかになります。

2000年の時点でも自衛隊高官は、国を守るとは天皇制を守ることだと明言している!恐ろしいことです。


以上は高橋哲也氏の講演「心と戦争」〜今、私たちはどんな時代に生きているのか〜(2004年)の講演録から抜粋しました。この講演は全文読めますが非常に示唆に富んでいて面白いですね。

建国記念日について

建国記念日紀元節)についてメモ
日本では2月11日。これは戦前の紀元節を1966年に復活させたものである。


 戦前の紀元節とは、明治5年(1872年)、神話に基づいて神武天皇の即位日を祝日に定めたもので、その後1930年以降の国家神道天皇は日本建国の神の子孫である現人神である、など)の強調の流れの中で、次第に天皇神格化の象徴的な日となっていった。

 戦後、天皇の神格の否定・政教分離を意図するGHQ神道指令に伴い、この祝日は廃止された。しかし1951年のサンフランシスコ講和条約直後から、神社本庁遺族会などを中心に復活の動きが始まった。にもかかわらず天皇神格化の象徴的なこの日を建国記念日にすることは抵抗が多く、国会では1958年から1964年まで6回にわたって法案の提出と廃案が繰り返された。1966年成立。(若宮啓文、「靖国参拝が壊したアジアとの和解」朝日新聞、2006年)


天皇研究者である明治学院大の原武史は、皮肉でこの日を紀元節に改名すべきだとコメントしている。

教育勅語(教育ニ関シテ下シ給ヘル勅語)

国家神道の教義は教育勅語であるといわれています。いわゆる救済宗教に親しんだ現代人の感覚からは不思議に思われるでしょう。しかし、国家神道がその成立の初めから国家が意図的に設置したものであり、その基軸が複雑な観念体系でなどではなく、天皇への崇敬を柱とするものであった為、こうした現われ方をしたようです。
 逆に言えば国家神道とは、国民に「ある道徳観念」を植えつけようとする教育そのものともいえましょう。ではその道徳とは何か?です。以下に教育勅語の現代語訳とその原文を示します。

教育勅語の現代語・私訳>

私、天皇は、以下のように国民に道徳を与える。わが天皇家の祖先ははるか以前から日本国を支配してきており、その中で国民が守るべき意味深い規範を、次のようなものとして示してきているのだ。すなわち


日本の国民たるものは、代々、皆一致団結して、天皇に忠孝をつくすべきである。これが天皇支配国家である日本国を支える真髄であり、日本国民が教育で学ぶべきことである。


お前ら国民は、まず父母に孝行し、次に兄弟と仲良くし、その次に夫婦仲良くし、そして友人と信じあい仲良くせよ。慎みをもって人に接し、他人には博愛で接し、よく学び仕事を覚えて自己啓発につとめ、良い行いをなして優れた才能を発揮しなさい。
 そしてひいては日本国家のためにつくしなさい。すなわち国民の義務をよくはたして、皇室典範大日本帝国憲法を大事にして法律を守り、戦争など非常事態になれば、天皇を中心とする支配体制の運命のために、すなわち天皇制国家のために、義務を勇気を持ってはたして国家の為につくしなさい。
 上記はお前ら国民が、私天皇に忠孝をつくすというだけではなく、お前らの祖先の美風を明らかにすることにもなるのだ。


これが天皇の祖先の家訓であり、その子孫たる私やお前ら国民の守るべきことだ。これは古今にわたって過ちのないものであり、また外国(例えば朝鮮やアメリカ)で言っても間違いのないものだ。私、天皇はお前ら国民が私と一緒にこれを大切に守って、皆この道を体得し実践することを望むものである。

教育勅語 原文(明治20年)>

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン


斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ


明治二十三年十月三十日 御名御璽


(参考:読み)
朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
 我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス
 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。
 斯(こ)ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。

教育勅語に関する全文通釈(文部省図書局、1930年)

朕がおもうに、我がご祖先の方々が国をおはじめになったことは、きわめて宏遠であり、徳をお立てになったことはきわめて深く厚くあらせられ、また、我が臣民は、よく忠に励みよく孝を尽くし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。


之は我が国柄の精髄であって、教育のもとずくところも、また、実にここにある。汝臣民は、父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦は互いにむつみ合い、朋友互いに信義をもって交わり、へりくだって気ままの振る舞いをせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って、知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め、世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を初め諸々の法令を遵守し、万一危急の大事が起きたならば、大義にもとずいて勇気をふるい、一身を捧げて皇室国家のためにつくせ。


こうして、神勅のまにまにてんちとともに、窮まりなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。このようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの、祖先の残した美風をはっきりあらわすことになる。


ここに示した道は、実に我がご先祖のお残しになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者および臣民たる者が、ともに従い守るべきところである。この道は古今を貫いて永久に間違いがなく、また我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。


朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得、実践することを切に望む。
http://www.ne.jp/asahi/shonan/bv/new_page_36.htm


教育勅語に関する全文通釈(国民道徳協会、?年)

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 


  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。


  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html

教育勅語に関する権威たる解釈

勅語衍義」(井上哲次郎集 第1巻、第9巻 クレス出版 所収)
以下、続く

集団自決の強制の意味は何か?どんな本が参考になるの

<住民の視点からの沖縄戦に関する研究書>
沖縄戦に関して参考になる本を上げます、皆さん読んでみて下さい。

(研究者著作)

安仁屋政昭(沖縄国際大・歴史学

  1. 裁かれた沖縄戦 / 安仁屋政昭. -- 晩声社, 1989
  2. 家永教科書裁判 第3次訴訟 地裁編 第5巻:沖縄戦の実相 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会. -- 2版. -- ロング出版, 1995
  3. 沖縄戦と教科書 / 安仁屋政昭,徳武敏夫. -- 草の根出版会, 2000
  4. 「沖縄魂」が語る日本 / 安仁屋政昭,高嶋伸欣. -- 黙出版, 2000
  5. 沖縄戦のはなし / 安仁屋政昭. -- 沖縄文化社, 1997
  6. 沖縄戦学習のために / 安仁屋政昭. -- 平和文化, 1997.8
  7. 沖縄と天皇 安仁屋政昭/〔ほか〕編著 あけぼの出版 1987
  8. 沖縄戦再体験 / 安仁屋政昭. -- 平和文化, 1983
  9. 日本近現代史を問う / 山田敬男. -- 学習の友社, 2002

2石原昌家(沖縄国際大・歴史学

  1. 沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕 / 石原昌家 (集英社新書) 2000:アブチラガマと轟の壕に関する分かり易い話、悉皆調査の必要性、最新の見解あり、住民死亡14万人
  2. 虐殺の島 / 石原昌家. -- 晩声社(ルポルタージュ叢書) 1978 :アブチラガマ他の調査書+争点・沖縄戦の記憶 / 石原昌家. -- 社会評論社, 2002.3
  3. 家永教科書裁判 第3次訴訟 高裁編 第3巻:沖縄戦・草莽隊・教育現場 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会 民衆社, 1996
  4. 証言・沖縄戦:戦場の光景 / 石原昌家. -- 青木書店, 1984.11 :短いが証言をまとめる+沖縄戦における日本軍と住民犠牲:教科書裁判(第三次訴訟控訴審)の証言「意見書」 石原昌家. -- 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会, 1992

大田昌秀(元県知事・社会学

  1. 総史沖縄戦 / 大田昌秀. -- 岩波書店, 1982.8 =厚い・写真多し、住民虐殺の過激な証言、
  2. 沖縄戦とは何か / 大田昌秀. -- 久米書房, 1985.4 =コンパクトな本、ベスト本
  3. 沖縄健児隊 / 大田昌秀,外間守善. -- 日本出版協同, 1953
  4. 鉄血勤皇隊 / 大田昌秀. -- ひるぎ社, 1977.6
  5. これが沖縄戦だ / 大田昌秀. -- 琉球新報社, 1977.10 =写真記録
  6. 那覇10.10大空襲 / 大田昌秀. -- 久米書房, 1984.6
  7. 沖縄戦戦没者を祀る慰霊の塔 / 大田昌秀. -- 那覇出版社, 1985.6
  8. 沖縄戦:写真集 / 大田昌秀. -- 那覇出版社, 1990.3
  9. 人間が人間でなくなるとき / 大田昌秀. -- 沖縄タイムス社, 1991.9 :反戦写真集
  10. 沖縄戦下の米日心理作戦 / 大田昌秀. -- 岩波書店, 2004.12

4大城将保=嶋津与志(沖縄国際大講師・歴史学

  1. 沖縄戦の真実と歪曲 大城将保 著 高文研 2007年08:住民虐殺と「集団自決」の意図欄表、利用された大城証言への抗弁
  2. 沖縄戦:民衆の眼でとらえる「戦争」 / 大城将保. -- 高文研, 1985:短いが貴重な証言あり
  3. 沖縄戦を考える / 嶋津与志著. -- ひるぎ社(おきなわ文庫), 1983:問題となった書
  4. 沖縄戦・ある母の記録 / 安里要江,大城将保. -- 高文研, 1995.6

藤原彰歴史学

  1. 沖縄戦+国土が戦場になったとき / 藤原彰他. -- 青木書店, 1987:本土研究者グループでの結果
  2. 沖縄戦天皇藤原彰林博史、江口圭一、山田朗、高島伸欣、纐纈厚 立風書房, 1987

林博史歴史学

  1. 沖縄戦と民衆 / 林博史著. -- 大月書店, 2001:「集団自決」について最新成果

7他

  1. 「沖縄魂」が語る日本 / 安仁屋政昭,高嶋伸欣. -- 黙出版, 2000
  2. 教科書はこう書き直された! / 高嶋伸欣. -- 講談社, 1994.高島伸欣(教育学)
  3. 教科書検定の実態と『新編日本史』の問題点 / 江口圭一. -- 沖縄県高等学校教職員組合, 1987(歴史学・教科書執筆者)
  4. 沖縄戦記の現在 / 仲程 昌徳 (論座.2007年1月号 収録]):2006=最近の沖縄戦戦記の状況


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(証言集)

  1. 沖縄戦新聞、琉球新報社、2005
  2. 証言記録、2005年?
  3. 秘録・沖縄戦記 / 山川泰邦 読売新聞社 1969 (1958、沖縄グラフ社
  4. 証言沖縄戦:戦禍を掘る / [琉球新報社]. -- 琉球新報社, 1995.4 :新聞に集まった証言、
  5. 市民の戦争体験記、具志川市
  6. ひめゆりの少女 / 宮城喜久子. -- 高文研, 1995.6 :自決した14人に同伴、最後の様子を記述
  7. ひめゆり沖縄戦  伊波園子 岩波ジュニア新書 1992
  8. 私のひめゆり戦記 宮良ルリ ニライ社 1986
  9. ひめゆりの塔:学徒隊長の手記 西平英夫 雄山閣出版 1995:引率した教師の自伝、つまらぬ
  10. 沖縄の悲劇:ひめゆりの塔をめぐる人々の手記 仲宗根政善 東邦書房 1974
  11. ひめゆりと生きて 仲宗根政善 琉球新報社 2002
  12. 南風の吹く日:沖縄読谷村集団自決 / 下嶋哲朗. -- 童心社, 1984.7:チビチリガマについて詳しい
  13. 沖縄・チビチリガマの“集団自決" / 下嶋哲朗. 岩波ブックレット 1992:薄いが要点をついた本
  14. 読谷村http://www.k0001.jp/sonsi/index.htm
  15. 読谷村史. 第5巻 [1] / 読谷村編集委員会. -- 読谷村, 2002.3 =明確に記述
  16. 北谷町史. 第1巻(通史編) / 北谷町編集委員会. -- 北谷町教育委員会, 2005.3

(住民虐殺、特に久米島に関する証言)

  1. 証言記録・沖縄住民虐殺 / 佐木隆三. -- 新人物往来社, 1976 :最初期の証言、
  2. 久米島虐殺事件「これでも日本国民か!」文藝春秋1971年新年特別号、山根安昇
  3. 十五年戦争重要文献シリーズ. 第18集:久米島住民虐殺事件資料 -- 不二出版, 1994:資料集当時の通達など
  4. これが日本軍だ:沖縄戦における残虐行為 沖縄県職員組合戦争犯罪追求委員会 沖縄県職員組合 1975
  5. 村と戦争:喜如嘉の昭和史 福地曠昭 牧志町(沖縄県) 「村と戦争」刊行会 1975
  6. ぶっそうげの花ゆれて:沖縄戦と女教師 沖縄県退職教職員の会婦人部 ドメス出版, 1984:かなりよい証言集


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(2007年3月文科省が教科書「歪曲」検定の際に集団自決について参考としたものとしてメディアに提示した資料)

  1. 鉄の暴風、沖縄タイムス社、朝日新聞社沖縄タイムス社) 1950:初めての証言集、詳しい
  2. 太平洋戦争 / 家永三郎. -- 岩波書店(日本歴史叢書) 1968
  3. 沖縄ノート大江健三郎岩波書店(岩波新書) 1970 :出来事には簡単にしか触れていない
  4. 沖縄県史. 第8巻、各論編7、琉球政府琉球政府, 1971
  5. ある神話の背景、曽野綾子文芸春秋, 1973:島での訪問取材記、意図的な歪曲目的で書かれている
  6. 写真記録・これが沖縄戦だ(改訂版) / 大田昌秀. -- 琉球新報社, 1977
  7. 隠された沖縄戦記 / 富村順一他著. -- JCA出版, 1979
  8. 沖縄の戦記 / 仲程昌徳著. -- 朝日新聞社(朝日選書), 1982
  9. 総史沖縄戦:写真記録、大田昌秀編著、岩波書店 1982:写真を収録した、かなり大部の歴史書、記録書
  10. 沖縄戦を考える / 嶋津与志著. -- ひるぎ社(おきなわ文庫), 1983
  11. 証言・沖縄戦:戦場の光景 / 石原昌家著. -- 青木書店, 1984:証言主体、
  12. 沖縄戦とは何か / 大田昌秀著. -- 久米書房, 1985:コンパクトだがよく本質を捉えた小史
  13. 沖縄戦:民衆の眼でとらえる「戦争」 / 大城将保著. -- 高文研, 1985
  14. 沖縄資料編集所紀要、第11号、沖縄県沖縄史料編集所、1986
  15. 太平洋戦争 第2版 / 家永三郎. 岩波書店(日本歴史叢書), 1986:沖縄戦にもかなり記述
  16. 沖縄戦+国土が戦場になったとき / 藤原彰編著. -- 青木書店, 1987:歴史学者による沖縄戦記述
  17. 沖縄・チビチリガマの“集団自決" 下嶋哲朗 岩波書店(岩波ブックレット) 1992
  18. 母の遺したもの:沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言、宮城晴美 高文研 2000:問題となった書、貴重な証言
  19. 沖縄戦と民衆 / 林博史著. -- 大月書店, 2001
  20. 争点・沖縄戦の記憶 石原昌家 [ほか]著 -- 社会評論社, 2002:1982年の教科書検定1984年の家永裁判、1999年の記念館、?年の新祈念館展示など、歴史認識争点、良い本


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(家永教科書裁判資料)

〔地裁での陳述〕

  1. 家永教科書裁判 第3次訴訟 地裁編 第1巻:主張の応酬 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会. -- ロング出版, 1995
  2. 家永教科書裁判 第3次訴訟 地裁編 第5巻:沖縄戦の実相 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会. -- 2版. -- ロング出版, 1995
  3. 家永教科書裁判 第3次訴訟 地裁編 第8巻:判決全文・国側最終書面 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会. -- ロング出版, 1995

〔高裁での陳述〕

  1. 家永教科書裁判 第3次訴訟 高裁編 第3巻:沖縄戦・草莽隊・教育現場 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会 民衆社, 1996
  2. 家永教科書裁判 第3次訴訟 高裁編 第6巻:国家と教育・国側主張・判決 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会 民衆社, 1996
  3. 家永教科書裁判 高裁篇 第9巻:意見書 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会. -- 文一総合出版, 1985

最高裁での記録〕

  1. 家永教科書裁判 高裁・最高裁篇 第13巻:第一次訴訟上告理由書・最高裁判決 教科書検定訴訟記録刊行委員会 龍書房, 2004
  2. 検定に違法あり!:家永教科書裁判最高裁判決・判決全文 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会 青木書店(教科書裁判ブックレット) 1997 (第3次訴訟の判決文)短いがよくまとまっている

(裁判関係その他)

  1. 家永教科書裁判:32年にわたる弁護団活動の総括 家永教科書訴訟弁護団 日本評論社 1998:弁護士によるまとめ、証人一覧、公判一覧あり
  2. 歴史の法廷:家永教科書裁判と歴史学 教科書検定訴訟を支援する歴史学関係者の会 大月書店 1998
  3. 家永教科書裁判と南京事件:文部省担当者は証言する 時野谷滋 日本教文社, 1989:家永および江口への教科書調査官の抗弁=愚痴にすぎない
  4. 家永教科書裁判のすべて:32年の運動とこれから 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会. -- 民衆社, 1998:内容なし


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沖縄県史)

  1. 沖縄県史 第8巻:各論編7(沖縄戦通史)/ 琉球政府琉球政府, 1971 :通史
  2. 沖縄県史 第9巻:各論編8(沖縄戦記録1)/ 琉球政府琉球政府, 1971 :証言集1
  3. 沖縄県史 第10巻:各論編9(沖縄戦記録2)/ 沖縄県教育委員会沖縄県教育委員会 1974:証言集2
  4. 沖縄県史 資料編1:民事ハンドブック(沖縄戦1) / 沖縄県立図書館史料編集室、沖縄県教育委員会, 1995
  5. 沖縄県史 資料編2:琉球列島の沖縄人・他(沖縄戦2) / 沖縄県立図書館史料編集室、沖縄県教育委員会, 1996
  6. 沖縄県史 資料編3:米国新聞にみる沖縄戦報道(沖縄戦3) / 沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室、沖縄県教育委員会, 1997
  7. 沖縄県史 資料編4 原文編:10th Army Operation Iceberg(沖縄戦4) / 沖縄県文化振興会公文書館管理部史料編集室、沖縄県教育委員会, 1997(英文)
  8. 沖縄県史 資料編12:アイスバーグ作戦 和訳編 (沖縄戦 5) / 沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室、沖縄県教育委員会, 2001


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(参考:沖縄戦史書全体の変遷)

1940年代・・・少ない

  1. 沖縄の最後、古川成美、中央社, 1947
  2. ひめゆりの塔 / 石野徑一郎著. -- 山雅房, 1950

1950年代・・鉄の暴風での衝撃、戦記ブームに

  1. 鉄の暴風、沖縄タイムス社、朝日新聞社沖縄タイムス社) 1950:初めての証言集、詳
  2. 沖縄の悲劇:姫百合の塔をめぐる人々の手記 / 仲宗根政善 華頂書房, 1951
  3. 沖縄健児隊 / 大田昌秀, 外間守善共編. -- 日本出版協同, 1953

1950〜60年代・・米軍戦記、防衛庁記録などが多数出回る、いわゆるミリオタのいう沖縄戦記録が出る。これらが軍の視点での記録であり、従って軍に押しつぶされ無理に従わせられた住民の事は書いていない。しかし書いていないから「なかった」訳ではないのはこの後の詳細な聞き取り記録が証明している。

1970年ころ(復帰前後)・・聞き取りによる住民視点の歴史書の編纂開始

  1. 沖縄県史. 全20巻(沖縄戦は第8〜10巻、資料編1〜4巻、琉球政府, 1971
  2. 那覇市史 / 那覇市企画部市史編集室編 那覇市企画部市史編集室, 1966

1980年代・・県史など充実、家永裁判で専門家の見解明確に

  1. 那覇市
  2. 浦添市史 / 浦添市編集委員会編、浦添市役所、1981.3
  3. 西原町史 / 西原町史編纂委員会編. -- 西原町, 1984
  4. 新県史

最近

  1. 死者たちは、いまだ眠れず:「慰霊」の意味を問う / 大田昌秀. -- 新泉社, 2006
  2. 私の沖縄戦記:前田高地・六十年目の証言 / 外間守善. -- 角川学芸出版, 2006
  3. 沖縄戦の全女子学徒隊:次世代に遺すものそれは平和 / 青春を語る会 フォレスト 2006
  4. ざわわざわわの沖縄戦:サトウキビ畑の慟哭 / 田村洋三. -- 光人社, 2006
  5. 平和は「退屈」ですか:元ひめゆり学徒と若者たちの五〇〇日 下嶋哲朗 岩波書店 2006