Hatena::ブログ(Diary)

自転車雑日記

2016-03-26 旅立ち このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

本日はご近所付き合いしていただいてるご家族が、単身赴任だったご主人に帯同して海外へお引っ越しということで、家族総出でお見送りしました。

特に我が家の二男はそのご近所さんの長男と同学年ということもあり非常に仲良くしていただいていて、別れの為に昨晩から泣きじゃくっていたのですが、今朝は出発間際まで一緒に近くの公園サッカーに興じておりました。しかし見送る間際はまた泣いてしまってお別れのあいさつができませんでした。

いつも強気な二男は何故か大人しい友人に、何があってもいつも歯向かわずにこちらが折れるという関係だったようで、そういった仲の良さを聞くと別れ間際の涙に「泣くな」とも言えず、こちらがもらい泣きしそうになった朝の出来事でした。

仕事といえど単身赴任はまだ幼い子を持つ親としては非常につらいので、ご家族で一緒に暮らせるようになる事は、親目線ではご家族皆が幸せに暮せる事だと解っていても、子供目線では次回の一時帰国までの長い長い別れです。つらいでしょうが乗り越えてもらいたいですね。でも幼少時に海外に行けば言葉の壁は越えやすいんでしょうね。大人になってからイタリアに渡った私はもうイタリア語をすっかり忘れてしまいました。鉄は熱いうちに打て!ですか。

2016-03-22 復活の日 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

先日までは入院していたのですが、晴れて退院し元の体力に戻しつつ、あわよくばレースにも出場してしまおうと企む日々。

退院後の週末は店のクラブランでレース前のスプリント練習のお手伝いをした。

スプリントをした訳でもないのに二時間程度の走行で疲労困憊になった。

次の水曜日はコーチングしている練習好きの方を自転車から離れた練習もと、登山を決行。

相当集中しなければ脚が前に出ないし下手をすると縺れる。

それでも槇尾山という大阪南部自転車聖地と言われる鍋谷峠にほど近い参道を二回登ったり降りたり。

当日は疲れて早くに爆睡、翌日は早くも筋肉痛が出て、自分の限界を超えたことを確認した。

良く年取ったから翌日に疲れが出ないとか言いますけれど、単に追い込めてないだけでヤル気さえあれば簡単に翌日に身体は反応します。

運動中に自分ブレーキをかけてしまってるだけなんだと思います。

若ければ若いほど自分の限界を超えて運動できる=筋肉痛の発現が早い。

実際、遅発性筋肉痛の発現するまでの日数と年齢には相関性は無いそうです。

今回は筋肉痛の出やすいと言われる下山の際のエキセントリック運動ですし、それが原因でなくてももう何年か登山はまともにしていない。

あ、昨年正月初日の出を拝みに行ったか振りだ。

さて、何か月ぶりかの筋肉痛を乗り越え、先日は本格的にスプリント練習をしてみた。

たった3本だけだが、直後は酸欠で頭はふらふらするし、脚も自分の脚がこんなにも頼り無いものだったのかと思えるほど、小鹿のように震えそうだった。

自転車ってこんなにも辛いスポーツだったんですね。

来週末4月3日はJBCF舞洲に参加予定です。

復活の日は遠いですがレースを楽しみたいですね。

2016-03-18

続・激闘

06:59 | 続・激闘を含むブックマーク 続・激闘のブックマークコメント

さて、ココからが本題。

ヒトの話ですがもちろんすべてのヒトに当てはまるわけではなく、そもそも闘病と競技を同一線上で考えることが少々不謹慎ともいえるが、一アスリート目線でのトレーニングに対する考え方を考察してみます。

今回の場合、私は幸いにして10日間の闘病に含めて8日間の入院で済んだ。

正直生命に関わる闘病では殆どなかったので、今から考えれば可愛い入院生活だった。

ところがウイルス性のこの手の病気の怖い合併症髄膜炎であり、今回その特徴が多く見られた。

いやいや言いたいのはそういうことではなく、ヒトの身体はウイルスと闘う能力と同様、環境適応する能力を発揮して、免疫同様身体も作り変えていけるということだ。

免疫ウイルスなどの外的(ストレス)から自らを防御する能力を獲得するのだが、同様にトレーニングで身体に負荷をかければそのストレスに見合った能力免疫同様確実に獲得できるようになっている。

それは若ければ若いほど、あるいは細胞を作り変える能力が高いヒトほど速やかに適応できるようになる。

もちろん本来はもっともっと複雑で、一概に言えないことも多いのがヒトのカラダというシステムだったり、それこそヒト精神面というものも含めて考えるともっと複雑に構成されていたり。

それでもやはりアスリートとしてそれなりの結果を残そうという目標があるのなら、まず一歩踏み出して実行することが大事だと思う。

単純に考えるなら今回の闘病は

病気の全体の把握

治療計画立案

治療の実行

といった項目に分けられようか。

自転車競技に置き換えると・レース全体の把握

トレーニング計画立案

トレーニングの実行

こう書くと非常に単純・明快。

でもなかなか実行と継続が難しいんですよね。でも治療し続けなければ病気に勝てないように、トレーニングも続けなければ勝利は掴めません。

点滴し続けるようにどれだけ単純なトレーニングを積み重ねられるか?

勝利の分かれ目です。

私もとりあえずは病気を治すところまではきました。

これからは再発防止と強化へ努めます。

2016-03-16 激闘(後) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

体調の変化が現われたのは7日目以降。入院が3日だったので週明けの診察後でやっとのこと汗をかきはじめたのだ。それでも体温は39度前後をさまよい続ける。

波は遥か上方視界を外れてやってきたが、この頃になると波の大きさが判る感覚になってきた。

体温の高さにもなれ頭痛もいつ頃来そうなのか判るので読書なんかも始める。

読みかけの小説筒井康隆の「聖痕」というもので、中学生の頃に友人の影響を受けて読み始めた文豪の文章は少し離れたものの刺激は相変わらず大きい。

入院していなければ時間の無さにかまけて拝読が進まないが、一気に後半を読み終え溜飲が下がった。

次は「ボディ・ナビゲーション。」コーチングも生業にするため、中途半端な知識が多かったところに、20年来レースを通して友人のビンセント・フラ△ガンさんに勧めてもらった本が購入されたままになていたものを差し入れてもらい、通読

この頃になると睡眠不足なのか睡眠過多なのか判らない状態で、頭の痛い時には寝ずに読書、痛くない時には睡眠をとるというパターンを確立できていたし、食事も5分粥を完食しフルーツまで平らげられるようになっていた。数時間おきに着替えなければならないくらいの発汗。発症1日、8日目のことだ。それでも高体温は維持されたまま。身体は闘っている。

9日目。幸いなことに体温が急下降。半日ほどかけていきなり平温へ。それでも通常は低体温気味なので少々の微熱は伴っていたのか。頭痛主体はなくなり、尾を引いている程度にまで改善された。さざ波程度の目に見える波は心地良く、癒やしてくれるほどだ。偉大なり人間の身体。ワクチン無しで遂にウイルスに打ち勝ち、体外への排除をも完了。発汗もほぼストップ。

それまで身体を拭くことも億劫だったが、入院して初めてシャワーを浴びた。

担当医が飛んで来て「速かったですね、もう大丈夫。」と告げるが、そんなことは解ってる。

漢方が良かったかな〜」の一言に少し苛立ちを感じながらも、清々しさはこの上ない。

ただ、立位のフラツキ加減は予想以上で、ばあちゃんの苦しみの一端は理解できた。筋力が無いとはこういうことか。

発症10日目、入院8日目にして退院。もうこんな経験は懲り懲りだが、何事にも代えがたい経験は積ませていただいた。ご迷惑をお掛けした皆様、謝罪とともに感謝を。ありがとうございました。

そしてまだ言葉では伝えてませんが最大限の謝辞をヨメさんに。

2016-03-14 激闘(前) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

こんな題を付けるとあたかも自転車での戦いをイメージするが、今回のお話はもっとヒトの根源的な生命力に関わる闘いについて。また自分への備忘録として記します。

もう先月になりますが、我が家は皆が体調に優れずヨメと三男がほぼ同時に通常生活ができなくなった。

そんな状況の夜半、三男の頭痛を何とかしようと行きつけの総合病院での救急体制病院に尋ねるヨメ。

程なく受診が確定し、こちらも食欲がなったりの四女の面倒見るためヨメは眠れるはずもないが床へ。

私が三男を救急へ連れて行き処置をしてもらう。

処置は熱を下げるための点滴で、他には処置は施しようがない。

さて、そこで入院するかどうかの選択に迫られる。

帰れば「もしも」の時の対処は確実に遅れるし、解熱効果の高い点滴すら受けれない。

出した答えは即入院。もちろん解熱すれば「子供おたふく」は、殆どの場合取るに足らない病気の一つです。我が子の場合は症状自体は軽く、怖かったのは頭痛を伴っていたことで髄膜炎や最悪に近い場合は脳炎ということも合併症として考えられたからで、早めの受診が功を奏して今回は真夜中に受診した後、翌朝には粗方解熱していた。

そこから丸一日念のため入院して、その翌日に退院する頃にはヨメも通常生活に戻れるくらいには回復していたのだが、次なるハードルはばあちゃんだった。

ちょっと複雑になるが、我が家祖父世代祖母・ばあちゃんが計三名居てる。

一人は二男の私が名前を継ぐことになった阿○家の母。

もう一人はその母の妹に当たる実母、ま、生みの親ですね(いわゆるおかん。)

最後はもちろんヨメの母。大阪からは270キロの彼の地で健在の祖祖父母とつれあいの祖父と暮らし、な何か有ったらいつも馳せ参じてくれる頼もしい存在。

で、近隣に住む母とヨメの母は自活しているので全く問題ないのだが、おかんは最近何故か二男の私たち家族と同居を始め、しかもちょっと物忘れが激しい。アア、ワタシハハハオヤニダッタノカ。それだけなら良いのだが、持ち前の我慢強さとひんまがった根性で、実姉のいうことはそもそも聴かないし、実の我が子(俺)には良い顔ばかりする。板ばさみはいつもヨメさんなのだが、四児の母は我慢強いものでデイケアやらを駆使して対抗する。

こういう時、外で働いてる風の男は肩身が狭いことこの上ない。判断のみで実行ができないのは尚のこと辛いが実行ばかりに比べれば、判断することでいくらかのストレスは免れる。

今回のヨメさんの体調悪化は明らかにこのストレス群との闘いだった。

まず奮闘するヨメが犠牲に。ストレスの少ない男(俺)はもちろんまだ元気。

ヨメと三男の二人は緩やかに回復しつつ次の犠牲者おかん

これまたオヤジの不在時にそのおかん食事中に嘔吐。大惨事である。

救急に手慣れた元医療従事者のヨメが救急車を呼び事なきを得るが、軽い心筋梗塞なども考えられるとのことで検査の為にそのまま入院救急車の後を追って病院に向かう俺。これも店休前日、ある意味幸運。

次は二男。

おそらく三男と同時期に掛かっていたか、あるいは三男のモノを頂いてきっちりムンプスウイルスに罹患

ただこの辺りは絶妙の年齢だったようで、症状は軽微で学校休み得的な感覚認定休。

最後は長男だが、「ほんまに罹ってる?」と疑いたくなるほどで、軽微な熱と耳下腺の痛みのみ。

家族とは別だが実はこの前後にスタッフ塩◯君がインフルエンザに。

日曜日午後から金曜日まではウイルス性ということもあり社会通念上キッチリ休んでもらう。

ああ、やれやれそれでも何とかなった。

ホッとしていると最後のビッグウエイブはそれこそ視界の遥か上方からやってきた。

ある火曜日、翌日は定休日で定休日明けには今月の振込やらを控えていたのでその準備に取り掛かり、新たな会社計画を練るその日の午後にその波は冷淡にもやって来た。

瞬時に砕け散りはじめた波の端は、その波が大き過ぎるが故に音もなくどこからともなく現れた感覚だが、実際にはソコニ居たのだ。

刹那、帰宅の判断をし実行。

店はスタッフ塩◎君へと託すが俺はまだその波のあまりの大きさを想像だにしていない。

二日後には通常業務をこなすそのイメージはあまりにも現実的過ぎリアルだが、正直太古から闘う相手を甘く見過ぎた俺。

帰宅した俺はおたふくで休学して暢気に3DSに興じる長男に一声かけ、傾れ込むように布団へともぐりこんだ。通常なら熱いくらいの厚着をして汗かいて一寝入りすれば、少しは楽に感じて翌朝には水やお粥程度は喉を通り始めるのだが、まったくその気配がない。

翌朝待っていたのはもちろん受診判断で、まずインフルエンザを疑っていた。

ああ、厄介だ。インフルエンザなら前週に罹った塩◎君の手前、自分も5日は仕事を休まねば、、、

などと戯言を脳内リピートしていたのだが、そんな小さな言葉遊びは件の砕け続ける波が跡形もなく飲み込んでいく。

医療テクノロジーは劇的に進んでいて、待つこと数分でインフルエンザの陰陽判定が陰性を持って下された。

先般の言葉のリピートから次は疑問符脳内を駆け巡る。

状況判断すれば簡潔極まりないこの状況でも、自分がムンプスに罹患しているこの事実を波間に漂う貝のごとく眼に入れても無駄と思うようにしているかのような俺。

そもそも俺はおたふくに罹ったことがあるはずだ、という理由なき「重いこんだら」は実は三男の入院時からあり、平気で世話を焼いていた。

ところがここから後の話になるが実際には入院中におかんから宣告があり、「あんたおたふく罹ってないから気いつけや」と。

どちらかというと「安心してください」の方が今回は良かったな〜などと考えつつ「今か〜い!?」とおかんに突っ込みを入れるのであるが、40度を前後する高熱の中では自虐ネタでのうすら笑いにさえならない。

今回は確認しなかった俺の若さゆえの過ちを認めようじゃないか、、、などと言っている場合ではなく、その間にも大波の波頭は砕け続けているのである。40度の高熱と果てしなく続く頭痛

検査後、結果がまだ出ていないので完全なるおたふくの診断はまだ下せませんが、状況から判断するに間違いなく「おたふくです」との診断が無事に言い渡されても、言葉現実味を帯びない感覚を持ったままの諦めの悪い俺は即入院先延ばしにする。

検査の結果は翌日判る。

コカールという鎮痛剤を6時間おきに飲むが、効き始めるまでの20〜30分と、残り2時間からのカウントダウンは痛みと熱との闘いだった。来る波来る波大きいしぶきを上げて砕けていくが、火曜日から始まったそれは結局、翌日の入院の点滴開始後も改善はされたものの続く。しかし翌週の月曜日には担当医の鼻持ちならない面持ちは俺を憐れむかのような表情に変わった。もちろん内科医なのでこれまで嫌というほど同じような症例はあったのだろうが、あまりに憔悴しきった俺を見て週末の声の大きいだけの診断が、他人を思いやるかのような声に変化し、あるいは俺自身が下手なことを言うと何か行動に出かねないかのような表情に豹変していたのだろう。下手に出てきた。まあ、間違いなく俺はあらぬ恨みにも似た感情を眼に宿らせて担当医の話を聞いていたという自負もある。「2〜3週間この状態の場合もある」という診断の一言は俺にある覚悟を生んだといっても過言ではない。自転車家族お金大事なものは沢山あるが、結局は言い古された言葉ではあるが命あっての物種という言葉が当てはまる。とにかく今置かれた現実を乗り越えない限り何も待っているものは無いのだ。

しかも今回の相手は勝つのがほぼわかっている相手で勝利は目前、ただ時間が、、、。

翌日の診断で無事に「おたふく」を言い渡され諦めのついた俺はやっとのことで重い腰を上げて入院を決断。その日はなんと雛祭り

数えで三つになる四女のお祝いはオヤジに見守られる事無く滞りなく終了。

オヤジ無念。

そこからは夢か現実か判らぬ時間を96時間以上過ごす。とにかく頭が痛く身体に熱さをあまり感じない高熱だ。38〜40度をさまよう。汗を全くかかない、かけないのが非常に不快だ。

週が明け月曜日になるとやっと先ほどの猫なで声の診断だ。滞在時間2分。まだ熱がおさまって無いので抗体もできてない。点滴で栄養補給漢方基礎体温を上げ、痛い時はコカールで痛みを抑える。ただそれだけを告げに個室に来た。

発症して丸六日。

七日目、症状に変化が現れた。

痛みと熱に耐えるだけでなく、汗をかき始めたのだ。

やたら喉が渇く。それまでも殆ど食事は喉を通らず、水分補給のみで生活していたのが、それにやっとのことで加速がかかった。

唇もビタミン不足で花が咲いたように荒れ始めていたのだが、水分補給を始めると一旦さらに荒れ、お粥を取り始めることができるようになると蕾んで行った。

いずれにせよ汗をかけることのありがたみを感じつつ、数時間に一度は強制的に着替えなければならなくなった。

代謝が始まったのだ。

ということはリンパ系仕事を終え、免疫を獲得し、今度はそいつらが仕事を始めてムンプスを排除し始めてるのだろう。

ヒトの体はすごい!とまだ高い熱にうなされながら感心するが、もうその頃にはうなされるのにも慣れ、うなされるから寝ないでおこうなどと起きていられもできるほど余裕もでてきた。