marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『博物館の裏庭で』 ケイト・アトキンソン

博物館の裏庭で (新潮クレスト・ブックス)
イングランド北部に位置する古都ヨーク。時は1951年。今しも、一人の女の子が母親の子宮に着床しようとしている。ユーモアたっぷりに語るのは、なんとその産まれてくる赤ん坊で名前はルビー。母親はバンティという家事に追われる主婦。父親のジョージは一階でペット屋を営んでいるが、店番を妻にまかせては、しょっちゅう家をあけている。肉屋のウォルターと飲んでいるというのだが、女好きでバンティにも色目を使うウォルターといっしょでは、何をしていることやら。そのせいもあって、この夫婦の仲は険悪。産まれてくるルビーも気が気でない。

同郷の大先輩である、スターンの『トリストラム・シャンディ』に敬意を表してか、有名な書き出しに倣って語りだされた物語は、ルビー・レノックスという女の子の半生を、時間の順序に従って物語る自伝だ。一方、各章の後につけた「補注」では、ルビーの母バンティ、祖母のネル、曾祖母のアリス、と女系一族四代の歴史を、こちらは時間順ではなく出来事に沿って紹介する。こうすることで、二つの大戦をはさんだ時代、一族を襲った運命の悲喜劇を、枝を張り巡らし葉を生い茂らせた家系図を織り上げた綴れ織りのごとき、一大叙事詩としてみせる。

そうはいっても、『戦争と平和』とはちがって、そこは庶民。大舞踏会も名誉をかけた戦いも用意されはしない。戦場に出た男たちは、突然の砲弾に吹っ飛ばされたり、死の予感にさいなまれながら生きのびたり、とロマンティックなところなどまるでない。人はやたらとあっけなく死ぬ。そのとことん非情な筆致がかえって印象的なほど。あたかも、死など人間のあずかり知らぬことであるかのようで、主人公の姉のジリアンはクリスマス・イブの夜、車に轢かれて死ぬし、父のジョージは結婚式の披露宴の最中、ウェイトレスの上に負いかぶさって腹上死する始末。

ファルス(笑劇)のような大騒ぎのドタバタがレノックス一家の休暇旅行や結婚式にはついて回るが、その底に家族の秘密が隠されている。夢遊病に悩むルビーには長姉のパトリシア、次姉のジリアンという二人の姉がいる。ルビーはしっかり者のパトリシアは信じられるが、美人だが意地悪なジリアンは信じない。母親はなぜか、子どもたちに厳しくあたる。バンティが家出した休暇旅行では、ジョージは愛人のドリーンに子どもたちの面倒を見させ、一人家で店番をするなど、家族の仲はバラバラだ。

英国には「どの家の戸棚のなかにも骸骨が隠されている」ということわざがある。どうやらその骸骨が悪さをしているようなのだが、語りを任されているルビーはそれを知らない(ことになっている)ので、冒頭から、なんか変だ、どこか引っかかるといったところが度々顔を出す。それは、作者による仄めかしであって、信用できない語り手であるルビーとともに、読者は最後までつき合うことでしか、その秘密を知ることはできない仕掛けになっている。もっとも、注意深い読者なら冒頭に記された一族の系図を見るだけで分かるようになっている。この辺りは、実にフェアでミステリ通の読者なら骸骨の正体を見破れるかもしれない。

ただし、物語を読む楽しみは単なる謎解き興味にあるわけではない。四代の女主人公それぞれの女としての生き方に焦点をあててみるとき、「間違いの人生」というテーマがそこに宿っていることがわかる。戦争や病気その他によって、男たちは女の前から姿を消してしまう時代。愛した男は戦場から帰って来ず、女はあてがいぶちの男で我慢するしかなかった。また、その男たちがどれもこれも仕方がない奴ばかりで、女を手に入れるまではそれなりの男に見せていても、自分のものにしたら、賭け事狂いだったり、飲んだくれだったり、女に手を挙げる男だったり、と化けの皮が剥げる。

女がそんな人生が間違いだと知って、逃げ出したり、不倫に走ったりすれば、そこにはまた別の苦しみが待っていた。四代の女の人生は、「間違いの人生」という一点で重なる。特に、主人公ルビーと、その母バンティの二人の人生は、二人が共有する「秘密」によって、決定的にボタンを掛け違えたまま時が過ぎる。その二人を見守る位置にありながら、利発で自意識の強いパトリシアは、母親を挑発し、自分に似て賢くなりつつある妹を横目に見やりながら、60年代を自立した女性へと駆け抜けて行ってしまう。

エリザベス二世の戴冠式からフォークランド紛争に至るまでの英国を背景にしながら、当時流行した音楽や映画、文学をためらいを見せずにたっぷりと引用したところが楽しい。因みに、パトリシアが夢中になる対象はエルヴィスからビートルズに移り、ローリング・ストーンズに変化するが、最後は仏教徒として禅の瞑想に耽るようになる。その間、ルビーは、『失われた時を求めて』をはじめ文学書を読み漁り、自分の葬式には、レナード・コーエンテレンス・スタンプマリア・カラスが参列する夢を見る。同時代を生きた者としてはニヤリとしたくなるセレクトである。

系図上に登場する多くの人物と、周縁の知人を含めると信じられないくらい多くの人名が登場する。しかも、ゆかりの名前をもらった同名異人も少なくないので、一読して理解するのは難しいかもしれない。しかし、よく読んでいくと、とんでもないところで既知の人物ゆかりの人物とめぐりあったりするので、あっさり読み飛ばすのは惜しい。昔、「一粒で二度おいしい」というキャラメルのコピーがあったが、一冊の本も再読することで、読書の楽しみが倍加することがある。これはその種の本である。

個人的には、ペット・ショップの火事を生き抜いたラッグズ(ボロ布)という名の犬と、ハンドラーであるジャックを慕って、戦場を飛び交う砲弾の間を搔い潜り、最後に被弾してしまうベップの運命が胸を打った。傷ついて塹壕に戻れなくなった犬を救いに飛び出し、自分の命をちぢめてしまうジャックと、バンティに動物愛護協会送りにされそうになったラッグズをすんでのところでポケット・マネーで買い戻したパトリシアに共感した。あまり本を読んで泣くことはないが、ここのところでは鼻がツーンとなった。本作はサルマン・ラシュディらを抑え95年、栄えあるウィットブレッド賞を受賞した作者初の長篇である。