フィリップス曲線について (1)

久しぶりにTwitterの#defleタグを拝見していたら、人気Tweetとして、日本のフィリップス曲線が紹介されていた。

フィリップス曲線はインフレ率と失業率の関係を示したものであり、インフレ率が低いほど失業率が高いことを示すものであったが、1970年代にスタグフレーションが発生したことや、低インフレ化の高成長が(短期的には)成立したこと等により、多くの国でこの相関が成立しなくなった。 但し下図で示すように例外的に日本では成立しているように見える。



一部のリフレ派はこれを根拠に、リフレ政策を実施することによる失業率の改善効果は日本では大きいはずだと主張しているわけである。 

ただ、その主張の背景に「なぜ、日本ではこの関係が成立し続けているのか?」「リフレ政策を実施してもこのトレードオフは維持されるのか?」という疑問にこたえうる理論があるのかどうかは残念ながらうかがい知ることは出来ない。


もちろん筆者自身もそのような理論を持ち合わせているわけではないが、少なくとも英国の例を見ればリフレ派が主張するように「現時点でフィリップス曲線が成立しているからリフレ政策でインフレ率を上げれば失業率を減らせるはずだ」という論理が怪しいことはわかる。


2008年1月以降の英国のインフレ率と失業率の関係を下図に示す (ソースは Trading Economics )。


図と実際に英国経済に起こった事象を照らし合わせて考えると、2008年以降の英国のインフレ率と失業率の関係は以下の3フェーズに分けて理解することができそうである。


フェーズ1. リーマンショックまで(2008年1月から9月)
英国では既に2007年に住宅バブルがピークアウトし、景気は減速局面に入っていた。 
一方で物価上昇は続いており、2007年末には既にインタゲ目標の2%を超えていた。 しかしながら景気減速局面で、金融引き締めに転じることが難しい状況で、逆に1月から3月にかけて2度政策金利の引き下げを行った。結果としてリーマンショック前にはインフレ率は5%を超える水準にまで上昇した。
この期間は失業率も増加しており、フィリップス曲線とは逆のトレンドを見せている。


フェーズ2. リーマンショックから量的緩和実施まで (2008年9月から2009年3月)
リーマンショック後は英国経済を支えてきた金融と不動産が崩壊し、景気の減速が加速した。
インフレ率も下落を続けたため、デフレに陥るリスクを避けるためとして2009年3月に量的緩和政策を開始、同9月には規模を拡大した。
この期間は深刻な不況の影響で、失業率は急上昇。 結果としてインフレ率低下&失業率増となりフィリップス曲線と同じトレンドを見せている。


フェーズ3. 量的緩和実施・拡大後 (2009年4月以降)
量的緩和政策実施後インフレ率は下げ止まり、量的緩和規模の拡大を宣言した2009年9月頃からインフレ率は上昇に転じ、9月の1.1%から、11月1.9%, 12月 2.9%、2010年1月 3.5%とわずか数ヶ月で急上昇。 その後も2010年は常に3%を上回る水準で推移し、12月には3.7%まで上昇した。
しかし依然経済が不安定であることから金融政策によるインフレ率の抑制は行われず、一方で量的緩和とセットで行った財政政策の後始末の為に増税、社会保障カット、公務員の削減等の財政再建政策を実行中である。
失業率は上昇こそ止まったものの約8%の高水準で推移中。 今後、増税や公務員の削減等の影響によっては更なる上昇も懸念されている。


以上の3フェーズを見てわかるのは、英国では2008年以降インフレ率は乱高下したものの、失業率はほぼ一貫して上昇、もしくは停滞しており、結果としてインフレ率の低下フェーズではフィリップス曲線の示すトレードオフが成立しているように見えるが、インフレ率が上昇した局面ではそのフィリップス曲線に沿って失業率が低下することはなかったということである。


そもそも金融政策の効果は国の産業構造や世界経済の動向によっても大きく左右されると考えられるため、他国の例がどこまで日本に適用できるのか評価が難しいわけであるが、フィリップス曲線が直近のデータで成立しているからリフレ政策は失業者対策にも大きな効果があるはずという推測は、量的緩和の実例である英国では(少なくとも1-2年程度の期間で見た場合は)有効ではなかったという事には留意すべきであろう。


(追記)
また英国の例で分かるのは、インタゲを採用していたとしても実際に景気減速下で金融引き締めに踏み切るのは困難であり、2008年、2010年にインフレ率がターゲットを上回った時も、インフレ抑制に殆どなにも手を打てていないという事実である。インタゲを採用しさえすれば将来的にインフレ率が目標を超えた時には迅速に対応できると考えるのはやはり単純すぎる考えと言える。

ちなみに筆者は英国の量的緩和については概ね妥当な判断であったと考えている。

ゼロ金利や量的緩和などの非伝統的な金融政策がバブル崩壊などによる金融危機時に有効である(らしい)ことは日銀を初めとするいくつかの事例によって確認されつつあり、英国のリーマンショック後の状況はどこから見てもザ・金融危機と呼ぶにふさわしいものだったからである。

ただ、英国では未だ金融不安が解消された訳ではないが、インフレ率が急上昇し、生活に悪影響を及ぼし始めたためインフレターゲットを掲げる中央銀行への風当たりが強くなり、今後の金融政策の舵取りはますます難しくなっている。 これは見方によってはインタゲという非裁量的な目標を掲げたことによるデメリットが顕在化しつつあるようにも見える。