ブラック企業と部分ゲーム完全均衡

「ニュースの社会科学的な裏側」様と「hamachanブログ」様との間で、ブラック企業に関する興味深いやり取りが行なわれていた。


「ブラック企業は無くならない ─ 社会学者の卵の会話にある無責任」(ニュースの社会科学的な裏側)
http://www.anlyznews.com/2012/06/blog-post_10.html

「労働条件がひどいだけではブラック企業じゃない件について」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-92b2.html

「ブラック企業の存在をゲーム理論で考察する」(ニュースの社会科学的な裏側)
http://www.anlyznews.com/2012/06/blog-post_8858.html


両氏の考察とも非常に興味深いものであり、ブラック企業について改めて考えさせられるものであったが、「ブラック企業の存在をゲーム理論で考察する」 については、「ブラック企業は無くならない ─ 社会学者の卵の会話にある無責任」をゲーム理論で考察されているのかと思ったのだが、hamachan様のコメントに応える形で新たに「不完全情報」に焦点を当てたものになっており、筆者がタイトルから予想したものとはすこし異なる考察になっていたので、本エントリーでは筆者なりのブラック企業の存在に対するゲーム理論での考察を加えてみたい。


「ニュースの社会科学的な裏側」様の2番目のエントリーでは以下のように採用・就職ゲームを整理されている。

プレイヤーは企業と労働者だ。まず、企業が確率αで優良企業、1-αでブラック企業になる。次に、労働者が確率βで就職をし、1-βで就職をしないと決める。企業はα、労働者はβの値を決め、さらにαとβは相互に周知されている。しかし、実際に優良企業なのかブラック企業なのかの情報は、労働者は知る事ができない。濱口氏の言葉を借りて「滅私奉公型」か「使い捨て型」か判別できないと解釈しても良いであろう。
下段に(企業の利得, 労働者の利得)を記したが、企業は優良企業として働かせる(利得1)より、ブラック企業として働かせる方が利得が多い(利得2)。労働者は優良企業で働く利益はあるが(利得2)、ブラック企業では不利益になり生活保護の方がマシだ(利得-1)。


本エントリーではプレイヤーは同じく企業と労働者であるが、ゲームを若干変えて以下のように整理してみた。

変更したのは労働者にとってブラック企業であっても就職しないよりはマシとしたこと((ブラック化・就職)を(2,-1)から(2,0.1)に変更)とゲームツリーを逐次手番ゲームの展開型としたことである。 この場合でも労働者は「ブラック企業と分かったら就職しない(離職する)」という,スタンスを宣言することによって企業にプレッシャーを掛ける事が出来るように見えるが、現実には企業がブラック化を選択した場合、労働者は自己の利益の最大化の為には就職するしかないわけで、(ブラック化・就職)が解となってしまう。


このモデル(・モドキ)が正しいなら全ての企業がブラック化してしまうように見えるが、もちろん現実にはUncorrelated様が最初のエントリーで指摘されていたような様々な考えるべき条件がある。


まず上記モデルでは労働者を一括して扱っているが、多くの企業にとって採用したいのは優秀な人材のはずである。 そして優秀な人材の場合は「ブラック企業と分かったら就職しない(或いは転職する)」というオプションのハードルは低い。 つまり、優秀な人材にとっては(ブラック企業に働き続ける)という選択の価値はマイナスであり、ブラック企業は優秀な人材を採用・維持できない事になる。 

これを逆の視点から捉えれば、市場価値の高い優秀な人材を必要としない市場では企業がブラック化することによって利益を最大化するという選択が行なわれやすいということであり、現実に観察されている現象とある程度一致しているのではないだろうか?


又、この「優秀な人材」の範囲は労働市場の逼迫度にも左右される。 不況下であればブラック企業で働き続けるという選択肢を取っていた人材も、好況下では転職するという選択を行ないやすくなる。 そうするとブラック企業は企業活動の継続に必要な人材を集められなくなり、収益率を下げてでも優良企業化して人材を確保する必要に迫られる事になる。 

これをもう少し進めると、(景気や各個人の市場価値に関わらず)より多くの人に対してブラック企業からの転職のハードルを下げるような施策を行なえば企業にとってブラック化のリスクが上昇する。 例えば失業給付を取りやすくしたり、生活保護の水準を上げれば、(相対的に)より多くの人がブラック企業から逃げ出して一時的に(?)ある種の自発的失業者になり、それがブラック企業にとっての選択的な労働市場の逼迫になるという効果が期待できるかもしれない。

つまりより手厚い失業給付は、より高い失業率と(平均的には)優良化した企業を市場にもたらす可能性があるという事になる。


ただ現実問題としては全てのブラック企業(というか低賃金企業)に優良企業化する体力があるわけではないだろう。 もしその体力がなければブラック企業は市場から退場するしかなくなり、雇用が減り、経済が縮小していってしまうリスクもある。 実際に上記のような施策をとれば恐らく一定数の企業は日本から消滅していってしまうだろう。 その結果生じる高い失業率は経済全体にとっては(少なくとも短期的に見れば)無駄である。 よって低賃金でしかやっていけない企業で、ある種の外部性がある企業については何らかの補助金を入れて、少しでも優良化させつつ事業を継続させるほうが全体としてはプラスという見方もありうる。 日本が近年とってきた中小企業の優遇税制等はこれにあたるのだろうが、一方でこういった施策は長期的に見れば経済の新陳代謝を阻害してきたという意見も根強い。この辺りは簡単にどちらが良いと言えるような問題ではないだろう。 


本エントリーではブラック企業を(一応法律の範囲内で)「労働条件の悪い企業」、或いはもっと単純に「低賃金の企業」として考えたが、「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」様が「労働条件がひどいだけではブラック企業じゃない件について」で指摘されているように本来のブラック企業問題はもっと複雑なもので、「社会構造論的な問題」であるという指摘はその通りだと思う。 ただ、ゲームの理論的な見方を持ち込むことはそれが単純化しすぎたモデルであり、一見リアリティから離れているように見えても問題を整理するうえではそれなりの価値があるのではないかと思うがどうだろうか?


[追記]
上記の例では(企業はブラック化、労働者は仕方なく就職)が解となってしまう状況について示したが、これはブラック企業にとっても、労働者にとってもそれがある種の合理性にかなった選択であることは示しているものの、ブラック企業に社会的意義があるかどうかとは無関係であろう。「ニュースの社会科学的な裏側」様の最初のエントリーにあるように、ブラック企業の社会的意義に見えるものは色々あると思うが、実際には各自がルール内で自己の利益を最大化することだけを目的として行動すればこういう風になる(だろう)、というだけの話でそれ以上でも以下でもないし、もしその自己の利益の追求がルールを無視して行われているとすれば、それは犯罪であって意義を云々する対象ではない。 そしてルール内で行われているとしても、それに意義があるとするか、弊害がある(からルールを変更すべき)とするかの価値判断はこういったモデルの外側で行われるべきものであろう。