クルーグマンのかんたんな「長期停滞」克服法は機能するのか? 

ポール・クルーグマンの「なんで経済学者は人口成長を気にかけるの?」という記事が注目を集めていたが、その中で出てくる「長期停滞」のかんたんな克服法がかなり違和感のあるものだったので、「なぜ人口動態が経済に与える影響が特別なのか?」という点に焦点をあてつつ、すこし考察してみる。


まず、このエントリーでは最初に「長期停滞」について以下のように説明がされている。

経済学者アルヴィン・ハンセンが「長期停滞」(secular stagnation) の概念をはじめて提案したとき,彼は投資需要の低迷に人口増加の鈍化が果たす役割を強調した.

現代の議論は,この強調点をふたたび取り上げるようになっている:日本の労働人口減少は,あの国が抱えるいろんな問題の重要な源泉になっているように見える.また,ヨーロッパとアメリカで人口増加が鈍化しているのは,ぼくらも日本と同様の型にはまりつつあることを示す重要な指標だ.

おおむね完全雇用を達成するには,経済は十分な支出をしてその潜在力を使う必要がある.でも,支出の重要な要素である投資は,「加速効果」に影響を受ける:つまり,新規投資の需要を左右するのは経済の成長率であって,目下の産出水準じゃない.ということは,もし人口増加の鈍化によって成長が鈍れば,投資需要も減少する――そうなれば,経済は永続に近い不況に追い込まれてしまう.

ここで「長期停滞」と訳されている"secular stagnation"は、昨年ラリー・サマーズがIMFの講演で取り上げたころから注目を集めるようになった言葉だと思うが、筆者としては「長期停滞」よりも「趨勢的停滞」或いは「永続的停滞」の方が意味するところを伝えるのではないかと思う。 内容についてはこのクルーグマンの要約で特に違和感はないが、要は「人口増加の鈍化によって成長が鈍れば,投資需要も減少する――そうなれば,経済は永続に近い不況に追い込まれてしまう」というような話であり、もちろん日本の低成長は日銀のデフレ政策のせいであり、人口動態なんて関係ない!と主張する人々には受け入れがたい考えであろう。(そして人口動態を重要視している筆者には非常に受け入れやすい考えでもある。)


これに対し、クルーグマンは一応の逃げ道を用意してくれている。 曰く

さて,これへの対処はかんたんなはずだとは言える.十分に金利を下げてやれば,人口増加が鈍化してても投資需要を維持できる.問題は,必要な実質金利は安全な資産ではマイナスになってしまうかもしれないってこと.すると,十分に金利を下げられるのは,十分なインフレがあるときにかぎられるってことになる――で,そうしようとなると,今度は物価安定に対するイデオロギー的なコミットメントにぶつかるハメになる.


これを見て、「やはり悪かったのは日銀だったんだ!!!」と素直に喜んでいる人々もいるようだが、筆者から見ればまさにこのかんたんな"はず"の対処は本ブログのサブタイトルにもしている「難しい問題には常に簡単な、しかし間違った答が存在する」の類にしか見えない。


人口増加の鈍化による需要への影響は基本的には循環的なものではなく趨勢的なものである。 つまり需要を下支えするための政策は金融政策であれ財政政策であれ長期にわたって打ち続けなければならないことになるが、もともとどちらの政策による景気刺激も従来どおりの方法では趨勢的なトレンドに対応するのは難しい。 これこそが人口動態が他の要因とは決定的に違うところである。


例えば仮にクルーグマンがいうように金融政策で期待インフレ率を上昇させることができたとする。 長期金利が0.5%の時に期待インフレ率を2.0%に押し上げれば、確かに一時的には実質金利は-1.5%になる。しかしながら仮にこれで目先の「投資需要を維持」できたとしても人口増加の鈍化による需要減圧力は引き続き存在し続ける訳であり、ここでめでたしめでたしとはならない。 

では、その先は何が起きるか? 若干のタイムラグはあっても長期金利が上がってくれば「投資需要を維持」する為に必要な「マイナスの実質金利」を維持するためには期待インフレ率を更に上げなければならなくなる。 趨勢的な需要減圧力に対して投資需要を維持する為にマイナスの実質金利を続けるという事は、インフレターゲット政策等によってやや高めの目標を設定すればいいという話とは全く違い、むしろ場合によってはどんどん上がっていくインフレ率を受け入れざる得ないという話になるわけである。 


ではなんらかの特殊な政策で、長期金利を低く抑えたままインフレ率は目標値(例えば2%)を維持することによって実質金利をマイナスに抑え続けるということは可能だろうか? 筆者としてはそもそもそんな都合のよい政策はないと思うが、仮にあったとすれば、今度はそんな特殊な政策をとる日本の国債がこれまで通りさばけるのか疑問になる。

安全資産に対する実質利子率が長期にわたってマイナスに抑えつづけられるのだと人々が本当に信じたのなら、日本の長期国債はどう評価されるだろうか? たとえば米国では(長期金利>インフレ率)なのに日本では(長期金利<インフレ率)であり、しかもこれが長期にわたって続くと信じるなら筆者なら日本国債を買わない。米国債を買っていれば少なくとも購買力で見た資産の価値が維持されるが、日本国債を買えばその資産の価値が毀損する恐れが高いからである。 


まあ上記では「かんたんなはず」の対処が仮に可能だった場合について考えたが、現実にはこの「かんたんなはず」の対処によって実質金利を長期に渡ってマイナスに維持し続けた場合の弊害についてはさほど気にする必要は無いかもしれない。 

足元で既に需要が減り始めており、将来的にも(少なくとも量的な意味で)需要が減る事も明らかで、更に労働力まで減少していく事が見えているような社会で実質金利を少しくらいマイナスにしたからといってクルーグマンが期待するように投資需要が簡単に刺激されるとは考えにくい。 そしてそれでも金融緩和を継続すれば人口増加の鈍化による投資需要減を先に埋めるのは資産価格の上昇による資産効果とその先にある金融バブルだろう。バブルになれば少なくとも短期的には人口動態による需要への圧力などふっとばす程の押し上げ効果があり、実質金利が上昇しても高い成長率が達成できる。しかしながらいうまでも無くバブルはバブルであり、その効果は一時的で、結局いつかはじけて経済に大きな爪痕を残すことになるわけである。

尚、このバブルのケースではインフレ率が目標とする水準に到達しないケースも十分に考えられる。 円安による一過性のインフレは別として、デマンドプルインフレを起こすには文字通り需要が増加する必要があるが、いくら名目金利をゼロに抑えつつ市場に資金をばら撒いても、最終的には賃金の上昇を含むスパイラルが成立しないと望ましい形での持続的なインフレにはならない(スタグフレーションの場合はその限りではないが、)。 一方、金融バブルは必ずしも実質金利が均衡実質金利(自然利子率)にまで下がらなくても発生する。 実際に近年の先進国で生じた金融バブルは低インフレ下で拡大しており、インフレターゲット等の政策でインフレの高進さえ気をつければ避けられるという訳でないことは明らかである。


結局の所、人口動態による趨勢的な潜在成長率への下方圧力は本質的には生産性を向上させる事によってしか対応できないが、そもそも社会資本が既に十分に整備されている先進国では生産性の向上は金融・財政政策などで簡単に後押しできるものではなく、また需要コントロールと称して生産性の向上に直結しないような金融・財政政策を乱発しても趨勢的な下方圧力に対して抗し続ける事は難しく、逆に金融バブルや財政危機を引き起こして事態を破滅的なものにしてしまいかねない。 難しい問題にかんたんな答を求めるのは解けない事を認めるよりも悪い結果を生みかねない、というのが筆者の理解という事になる。


[追記]
じゃあ人口減少するにしたがって貧しくなりつづけないといけないのか?という問題については残念ながら少なくとも短中期的にはそのとおりと言わざる得ない。むしろこれだけ高い確度で長期的な予測が可能なマイナス要因が存在するのに、金融政策で適切に対応すれば他の国と同じ成長率を達成し続けられるはずだ、と予測している人がいるのが個人的には驚きである。 もしそんな便利な政策があるならマイナス要因の無い他の国はもっとかんたんに完全雇用と高い成長率を続けられるだろうし、通常の循環的な不況などは既に全く問題になっていないはずである。 金融政策は万能とは程遠く、他国と比べて明らかなマイナス要因があるなら、その分だけパフォーマンスが劣るというのは当たり前の事であろう。

ただ、貧しくなるといってもあくまで相対的な問題であり、絶対的な比較をすれば子供や孫の世代が筆者の世代よりも貧しい生活をしている可能性は低い。筆者は仕事や旅行でかなり多くの国を訪れたことがあるが、先進国グループに入っている国ならGDP等の数字でみれば大きな差はあっても中流と思わしき人々の暮らしが大きく変わるわけではない。 既に先進国グループに入っているというアドバンテージは非常に大きく、余程のことでもない限り世界経済における生産性の向上の恩恵を受けれなくなるほど落ちぶれることはないはずで、別に今と大きく変わる生活が待っているわけではない。 むしろ悲惨なのはただでさえ期待されるパフォーマンスが冴えない時期にバブルや金融危機による余分な負荷を掛ける事で、全体のパイが増えにくい時期に格差まで拡大するようなことになれば中流以下の人にはかなりきついことになるだろう。