シナリオクラフトのゲーム性
この記事では”物語志向のゲーム”を特にシナリオクラフトで遊ぶとき、意思決定という概念でそのゲーム性を明らかに出来るかどうかを確かめてみます。できるのなら、ちょっと考え方を変えれば前のゲームと同じ感覚で遊べるし、できないのなら意思決定っていう概念はこういったゲームを定義するには狭すぎるということになります。
ちょっと読者を選ぶ記事ですね。
これを書く動機は高橋*1さんがhttp://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.htmlをせっかく書いてくれたので使ってみたくなったのが1点、比較的新しい遊び方であるシナリオクラフトがこの理論ではどこに位置づけられるのか、もしくは位置づけられないのかを確かめたくなったのが1点です。
ちょっと小難しい記事ですよ。読む人は覚悟あれ。
ゲーム性のあるなし
ここではゲーム性があるのかないのかは、意思決定が可能かどうかで判断したいと思います。
〈意志決定〉 Decision Making
〈ゲーム〉における〈参加者〉が、〈目標〉〈障害〉〈管理資源〉〈ゲームトークン〉〈制限/情報〉といったゲームの諸要素を与えられた上で、〈葛藤〉〈アカウンタビリティ〉〈結果に対する責任〉の3つの条件を考慮しつつ、有限の〈選択肢〉の中から可能な限り最良と思われる〈選択/決断〉を下そうとする行為のこと。
http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.html#decisionmaking
〈目標〉〈障害〉〈管理資源〉〈ゲームトークン〉〈制限/情報〉といったゲームの諸要素が与えられているか
シナリオクラフトの場合、上記5つの要素をちゃんと満たしているようですね。障害…が少々微妙かもしれませんが。
目標
ラスボスへの戦いに向けてPCたちの動機を構築・強化すること 及び 他のPCとの結びつきを深めること
障害
ダイスを振って表から得たイベントをうまく使ってシーンを構成すること。
ゲームトークン
PCそのもの。
〈葛藤〉〈アカウンタビリティ〉〈結果に対する責任〉が考慮されているか
この3つの項は無意味な決断をするのはゲームではないと主張するものですね。
葛藤
要するにPCの行動を決めるのが困難かどうかということだと思います。
今回は選択肢は示されておらず、自分で考えなくてはいけません。これは困難だといえると思います。
アカウンタビリティ
根拠をもってその選択をしているかということです。目標が分かっているなら、根拠を持って選択していると思います。
結果に対する責任
PCのする決定の利害をそのPCがかぶるかということですが、シーンプレイヤーを決めている以上、責任の所在は明らかでしょう。
シナリオクラフトの意思決定でないところ?
”ラスボスと戦うのか交渉するのかやり過ごすのか”をPLが決められない。
ここが決まっていないと上記の目標があいまいになります。最終的にどうしたいのか決まってないのにその動機を構築したり強化したりはしづらいでしょう。
別に戦わなくてもいいんですけど、戦闘はルールが細かく決まっていて資源管理で楽しめる部分なのでそれを素直に楽しむためにとりあえず戦うこと方向にしておくのが無難ですね。
シーン制でプレイヤーが順に行動する
シーンプレイヤーをつくり、結果に対する責任を定めているのと同時に、プレイヤー間の機会の均等を成立させている。
雑感
なんか変な記事ですが、http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.htmlのすごさやまずさが少しでも浮かびあがればいいかなぁと思います。
自由度云々の話にも関わってきますが、TRPGでほめ言葉としての自由度の高さっていうのは”選択肢を発想できるかいなか”で言ったほうが良いと思いますね。単なる選択肢の多さはあまりおもしろさを生まないってことは合意に至っているような…。この選択肢を用意するまでの過程について、http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.htmlは何も言っておらず、最初から用意されていようが自分で考えようが区別がありません*2、自由度と選択肢の関係もうまく言語化できるといいですね。
*2:定義集みたいな静的なデータ構造は一般に時間変化の記述に弱いものです。