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2008-02-07

[]意志決定に選択肢は必要か

ゲーム性…その微妙な言葉に踊らされますw。

ストーリー要素の多い遊びには、”ゲーム性がない”という批判がしばしば浴びせられます。選択肢がないなら小説にすればよいのでは?とか、そういう言葉もよく聞きます。しかしそれが果たして本当かなぁと常々思っていました。

選択肢の多さがゲームのよさとは関係ないという主張には納得できる方もいると思うのですが、では”選択肢がない遊び”までゲームだといわれるとなかなか賛同しにくいのではないかと思います。

そんな中、 美少女ゲームは「ゲーム」なのか - ITmedia NEWSを読みました。エロとかキャラクター攻略主体のギャルゲーの選択肢ってそんなにおもしろい選択肢を提供していないと僕も思いますが、かといってほぼ一本道のギャルゲに強く”ゲームらしさ”を感じることもあります。

あんまり長く書く気はないので、すぐに答えを言ってしまいます。といっても引用から入るのですがw。

東:ササキバラさんは、ノベルゲームとはプレイヤーが責任という快楽を感じるゲームだと定義していたわけだけど、ここにはそんな高級な快楽は存在しない。

(中略)

疑似的な責任を感じさせる装置には、「自由度」も「ルート分岐」も関係ない。

なぜなら、責任感を感じさせる仕掛けには、パズルや推理は必要ないからだ。

極論するなら、選択肢はたった一つでいい。

「この娘を守りますか? Yes/No」

これで十分だ。無論、Noはバッドエンド直行。

Yesを押すしかない。そんなことはわかりきっている。 それでも、それまでの描写の積み重ねで、ここで「Yes」をクリックする時に、緊張する。「責任という快楽」を感じる。

それこそが、ノベルゲーム(あるいは恋愛ゲー)の本質だ。

2004-09-19 - 東浩紀の文章を批評する日記

まさにこれがギャルゲでたまに感じる強い”ゲームらしさ”の本質を突いていると思いました。

ここでは選択肢がまだありますが、ここで選択肢を排除してYESだけ残してみても同じことだと思います。

ギャルゲ者はそれでもYESを押すのに躊躇することでしょう。NOを選べることが大事なんじゃなくて、ここで僕が強調したいのはYESが選べないという感覚なのです。

葛藤というのはYESかNOかというタイプの葛藤だけではなく、YESを選ばなきゃいけないことが分かっているのに、YESを選びたくないというタイプの葛藤もあります。この葛藤、最近ではリトルバスターズで感じました。PLとしてはこうしなきゃいけないことが分かっているのにPCに感情移入しているため、この選択肢は選べないという状況があったんです。

さてさて、ノベルゲームの話しかしていませんが、TRPGのいわゆる一本道なシナリオでもこういう葛藤を味合わせることは可能ですよね。そして多分このときPLは”大きな決断をした。”と感じてくれるんじゃないかと思うんです。言葉足らずで分かってもらえないかもしれませんが。このとき「なんでそういう決断したの」と聞いてみてください。そのとき「GM的にそういう風にしないと進まないんでしょ?」という答えが帰ってきたら失敗です。まぁそれはその通りであってもこれではPLは何も考えてないですよね。単に空気を読んだだけです。PC的には一見困難な決断ができるようにPLは頭を使う必要があるのです。

さらに、例えばハンドアウトなんかで情報を先出ししなきゃいけない理由はここらへんからきます。決断をいきなり迫られると思考停止してしまうことがありますが、最終的にはこういう風に決断しなきゃいけないということが分かっているなら、そういう風に決断するための準備をすることができるんです。レミングスでは、彼らが直進しかしないからこそゲームになりますよね。先が読めないとゲームにならないこともあるわけです。

一本道シナリオと葛藤との関係、分かってもらえますでしょうか。

コスティキャンの文脈でこそ、ノベルゲームを”ゲーム”と呼ぶことができると思います。この場合〈意志決定〉のあるなしが重要なわけですが、「キャラクターの立場」という〈制限/情報〉を重視することで

〈葛藤〉が生まれ、かんたんに一つの選択を選び取れない状況が生じているのです。

これを考えると例え読書であっても簡単にゲームになる場合があります。”このページをめくると、(登場人物の名)は○○しようとする。その結果がみたいならページをめくれ。さもなくはさっさとページを閉じよ。”これを書くだけです。この文言を書くだけで小説がゲームブックになりますよね。しかし、このメタなメッセージは別に消そうと思えば消せます。そういう意味では小説を読むことすら、読者の感覚によってはゲームになるわけです。ゲームって難しい概念だなぁとつくづく思います。

参考記事

コスティキャンのゲーム論と美少女ゲー - k-takahashi’s 雑記

no title

雪だるま雪だるま 2008/02/08 10:42 座布団さんの嗜好回・・・じゃない、思考回路はどうなってるんですかw
いつも難しく考えてるなぁと感心します。

 ところで選択に関してはどこかで読んだ
「選択肢が用意されているか否かが重要なのではない。
参加者が自分は選択をしたと感じることが重要だ。」
だったか。そんな感じの文が端的に表してると思うのです。

acceleratoraccelerator 2008/02/08 21:34 僕の最近の趣味といえばTRPGと読書です。ギャルゲやコンピュータのRPGもわりとやります。そして絵も描くし、音楽も作ります。

こういった趣味のネットワークを自分の中で整理したい気持ちがあるんですよね。最近の興味では読書や即興演劇とTRPGの関係をもっと整理したいなぁと思っています。

こういうこと考えると自分の行動に説明がついて面白いんですよね。僕のノベルゲームに対する感覚は以上のようなものなので、いわゆるご褒美的なシーンに魅力を感じません。制限を与えるでもなく情報を与えるでもなく、葛藤をさせるわけでもないシーンですから。まぁなくても寂しいのであったほうが良いですが。

<選択
一本道かどうか、それは問題ではない
http://www.scoopsrpg.com/contents/mistery/mistery_may03.html
たぶん↑だと思います。
僕はけっこうこの記事が好きなんですが、読まれてるのかなぁ。いい記事なのに、あんまりこの記事を踏まえてない意見が多くて残念なように思います。

雪だるま雪だるま 2008/02/09 00:24 ああ、それです、それです。<選択
選択肢を用意したという自己満足にGMが陥らないためには非常に重要な記事なんですけどねぇ。
そもそもScoop自体が…(げふげふ

acceleratoraccelerator 2008/02/09 07:32 <げふげふ
最近もけっこう盛り上がりを見せているものの…ねぇ。
あんまり気楽な記事が多くないせいでしょうかね。

ggincgginc 2008/02/19 10:26  ベンさんの話でしたね。改めて読んでもいい話だ。ゲーマーの実感に近いですし。

 一本道でも、その選択肢を選ぶ瞬間に〈結果に対する責任〉が感じられれば、それで充分ゲームとして成立しているんですよね。

 ご存知とは思いますが、『沙耶の唄』の選択肢のありかたなど、その典型的な例として論じられるのではないでしょうか。東の言っている文脈とも、通じますね。

 そういえば、私はわりと旧D&Dで遊ぶ機会が多いのですが、とあるキャンペーンで「邪神に勝てるわけがないので、邪神の復活を見捨てて第三国へ逃げる」を選択した数年後、同じGMから「その邪神のせいで滅びた地域」と「邪神の封印儀式のせいで不幸になった三姉妹」という状況に、まったく別のキャラクターで遭遇する機会がありました。

 邪神見捨ててキャンペーン崩壊させたのはもちろんパーティの責任放棄ではあるのですが(笑)、そこまでいたるはもう、キャラクターとしての責任とかじゃなく、過去のキャンペーンプレーヤーとしての〈結果に対する責任〉を感じた瞬間でしたね。うまいなあGM、と思うと共に、「俺はTRPGゲーマーとしてまだまだだな」と思ったりしましたよ。

 こういう話を例に論じたほうがいいのかなあ。いやはや。
 またTRPGにおいては、ノベルゲームよりもさらに「リセット」(による繰り返しプレイ)がしにくい、という点も取り上げられそうですね。

ggincgginc 2008/02/19 10:45 あと聞いた話によれば、キャラクター・ロールプレイングを説いた俵ねずみさんは、かつて京大RPG研で
「ああ、このキャラクターにはこの選択肢は選べんのや」
と言っていたそうです(確か、mallionさんがBlogで教えてくださった)。
このときの俵ねずみさんはきっと、今acceleratorさんが言う

>「キャラクターの立場」という〈制限/情報〉を重視することで〈葛藤〉が生まれ、かんたんに一つの選択を選び取れない状況が生じているのです。

を切実に感じていたのじゃないかな、と思います。
私は以前、TRPGにおけるゲーム的楽しみの原因を「ゲーム的目標」と「文芸的解釈」の2つに分けましたが、「キャラクターのあり方を解釈したら、この選択肢は(たとえ有利であっても)選べない」と思わせるためには、「文芸的解釈」の対象となる〈背景世界〉がしっかりしていないと、成立しませんよね。
 今回のエントリは、とても鋭い名エントリじゃないかと思います。今度言及させていただくかもしれません。

ggincgginc 2008/02/19 12:17  余談ですが、引用元の人のBlog、なんというか、志が……(汗)
 まあ、言っていることの一部に光るものがあるなら、いいか。

acceleratoraccelerator 2008/02/20 00:30 ○ノベルゲーム
『沙耶の唄』は明らかにPL視点のPC視点のギャップを狙ったものでしたね。はい、確かにこれは分かりやすい例です。本作のシナリオライターの虚淵玄はTRPGとしてのクトゥルフ好き(だったような。多分。美少女ゲームの臨界点+1より)ですが、PLが世界観を良く知っている場合、クトゥルフによく現れてくる構図かも。

○リセット
そういえばボードゲームはリセットできないため、教育に良いとかいう話もありましたね。http://homepage3.nifty.com/fuwa/game/kouyou/kouyou.htm
まぁ教育によいからゲームで遊ぶっていうのも変な気がしますが、教育に悪いとか、暴力的なゲームは犯罪に繋がるとかそういう意見の反論としては知っておくとよいかもって思っています。

○邪神
いいGMですね〜。PLの行動によって引き起こされたことをシナリオとしてもってくるテクニックはいいテクニックだと思いました。今度使ってみようと思います。
依頼でも巻き込まれでもない導入、”自分が引き起こしたことの後始末”ってのは強いひきだと思いました。まぁこの場合、自分がPCじゃなくてPLなところがトリッキーですけどw。

○背景世界
最近背景世界って2種類あるんじゃないかと思えてきました。
ダブルクロスのステージをみてなんですが、ダブルクロスって背景のステージが変わっても、あんまり行動原理が変化しないように思うのです。だからこそああやって簡単に世界がとっかえひっかえできる。
PCの死に安さとかルールで固定されているところからくる動かしがたい背景世界と、ガジェット的…な見かけの世界観があると思うのですが、そんなにはっきり分けることができず、このあたりあんまりすっきりしていません。

行動選択に影響してくるような背景世界があることは、確かにこの文脈では重要だと思います。

○引用元の志w
まぁその辺は少々時代的なことを差し引かなければならないかと。
引用元は2003年から2005年に積極的に活動していますが、このあたりは東の言説が急激に市民権を得ていった年だったんじゃないでしょうか(根拠は無し)。
東にかなり勢いがありまして、ネットのオタクたちは、自分と東の理論との間の距離を模索せざるを得ない時期だったのではないかと。
僕は東のいっていることが自分の実感にあまりにあてはまったため、かなりべったり東よりでしたけど、この批判日記も当時は楽しく読んでおりました。

今は、東のいっていることがあるいみ”当然”となってしまって、東自体にもそんなに勢いがないですから、東を批判するってことのモティベーションは今となっては理解されがたいかもしれませんw。

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