ストーリーに関する合意と自由は関係ない

TRPGにおけるコミュニケーションとかを考えているうちに、自由とか倫理とか考えなきゃいけない気がしてきました。これらについて大変な気合で書かれた鏡さんの論考から考えていこうと読み直したんですけど、けっきょく鏡さんの論考は自由とは無関係であるという結論に達してしまいました。自由を考える前にまずはそこから論じてみようと思います。

大事なのは合意の有無

鏡さんの提唱する”自由な遊び方”のうまみはストーリー展開についてあらかじめ合意しないことで、GMにすら予想のつかない、驚くべき展開を生むことです。逆に管理する遊び方というのは、セッション前にストーリー展開についてある程度合意のある遊び方と言い換えていいと思います。

  1. ルールシステムや世界設定の設計は、ゲームデザイナーの「自由」である。
  2. 非プレイヤー用キャラクター(NPC)の行動などシナリオ運用は、ゲームマスターの「自由」である。
  3. プレイヤー用キャラクター(PC)の行動は、それを担当する各プレイヤーの「自由」である。

(中略)
三者の「自由」は相互に影響を与え合うため、「自由」と「自由」との間にしばしば意外な展開を生じ、そして誰も予期せぬ結果に辿り着きます。誰にも予測できない顛末だったとしても、それが参加者の誰一人欠けても生まれ得なかったものならば、それは紛れもなく全員による共同創作の賜物です。
卓上RPGにおける「自由」 - 卓上RPGを考える

自由とは

鏡さんのいう自由とは意思が妨げられないことでしょう。

卓上RPGを「自由」に遊ぶとは、ゲーム参加者が皆、「私はこうしたい、こうすべきだ、こうしよう」といった「自分の決断」によってゲームプレイに関与し、それがそのまま過程や結果に活かされることです。
卓上RPGにおける「自由」 - 卓上RPGを考える

ここまでは僕も納得するのですが、自由とは思いついたことを何でもやっていいことかで僕と意見が分かれます*1

自由についてはいろいろ議論があり、そもそも人間に意思などないという立場もあるのですが*2 *3、納得しやすいだろうと思われる自由の条件は以下の3つに集約されると思います*4

  1. 選択肢があり、それを選択することが何者にも妨げられないこと
  2. 選択肢があることを知っていること
  3. 選択肢を選ぶ能力があること

ここで最後の選択肢を選ぶ能力があることというのが大事です。あんまりにも馬鹿げていたり他の人にとっておもしろくない選択肢を選ぶということは選択肢を選ぶ能力がないということでしょう。思いつきのままに選択肢を選べることが自由なのではなく、熟慮の結果として選択肢が選べることが自由です。

この条件は鏡さんも納得してもらえるはずです。他人の自由を尊重できる能力がない人は自由に行動しているとは言いません。だからこそ、自由に下された決断は尊重する必要があります。

もしあなたが自分の「自由」を守りたいなら、他人の「自由」をも尊重しなくてはなりません。可能な限りすべての「自由」を共存させることを目的として、互いに「自分の決断」を示し合い、必要かつ可能ならば、その再調整を図ることになります。
「自由」と「自由」が争う時 - 卓上RPGを考える

ただ、ここで必要かつ可能ならば再調整するというのはあとの発言と矛盾するような気がしますがw。ストーリー展開については対話して合意しないことが鏡式:自由な遊び方にとって重要なはずですw。GMが誘導するのはダメだけどPLで話し合って一つの方向を目指すのはいいのかなぁ。

ストーリー展開について合意していても自由なことはある

鏡さんのいう管理する遊び方、ストーリーに関する合意がある遊び方にも自由があることを示します。

シナリオの最後に戦闘することが決まっている場合を思い浮かべてください。このときPCの行動に選択肢がないので自由ではないと鏡さんは言っているのでしょうが、そんなことはありません。PCが真剣に戦闘を拒否するなら、GMも考慮できると思います。ただし、よくこういったシナリオ構造をとるダブルクロスや天羅WARやアルシャードガイアといったシステムではそれを回避すると面白くありません。

つまり、選択肢はあるし、選択肢があることは知ってるものの、選択肢を選ぶ能力があるため戦闘回避を選ばないのです。戦闘を回避してもおもしろいかどうかはシステムを選んだ時点でほとんど決まってしまうと思います。システムを選んだ時点で、戦闘があることは折込済みなのです*5。ただしシステムの初心者に関しては別で、システムのコンセプトをちゃんと説明する必要があると思われます*6

ハンドアウトも同様です。ハンドアウトはまず1から4までなどから選択するのが普通ですし、気に入らないポイントがあるならGMに相談してみれば案外あっさり変更されるものだと思います。これも選択肢がない状態だとは思いません。自分と自分達が一番おもしろくなるように選択した結果です。

つまり、自由かどうかとストーリーについて合意を形成するかどうかは別問題なのです。自由とは選択肢を理性的に選ぶことで、それがセッション前になされようとセッション中になされようと、どっちにしろ自由でしょう。

鏡さんの論考を実際の遊びに生かすには

最後に鏡さんの論考の実際の遊びに生きる部分を紹介して終わろうと思います。

ストーリーについての合意があるシナリオでは、そちらに向かっていくわけですからGMから誘導があり、それに乗る形でシナリオが進みます。

いっぽうストーリーについての合意がないシナリオでは、GMも進む方向は知らないので誘導しようがありません。PCを積極的に動かし、誘導を待たないことが求められます。

どっちの遊び方をしているのかは、遊ぶ前や遊び始めの時点で合意があったほうがスムーズに遊べるでしょう。

詳しくは以下の記事を参考にしてください。

(2009/01/22追記)社会学用語のダブルコンティンジェンシーを考えるとこのあたりよく理解できる。→nagaitosiya.com