ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-07-29

[]TRPGにおける不能性の取り扱い〜セカイ系の視点から〜

最近TRPGにおける感動に関していくつかの論考が書かれています*1。これは今まであまり話あわれていなかった話題だと思うので、みなさんの意見を楽しく拝読しました。途中から玄兎さんが悲劇とPCの能力の話をし始めたのですが、実は偶然にも社会は存在しないという論文集を読んでいて同じようなことを考えていたので特に面白かったです。みなさんの意見と同じところも違うところもありますが、僕は僕で一つ考えてみたいと思います。

3タイプのストーリー展開

最近、社会は存在しない――セカイ系文化論*2を読んでいます*3。そこに収録された論文の中では比較的簡単に読める長谷川壌の「セカイ系ライトノベルにおける恋愛構造論」はイリヤの空、UFOの夏から灼眼のシャナ、さらにはとらドラ!あたりまでの恋愛構造を包括的に議論したもので、創作にも生かせるようなアイデアがつまっていました。

セカイ系の物語ではよく世界の危機に立ち向かう恋愛関係にある二人が描かれますが、セカイ系に限らずとも主人公とヒロインのうち誰が立ち向かうのかによって、以下のような3タイプのストーリー展開が考えられます。

  1. 主人公が戦いヒロインを守る
  2. ヒロインが戦い主人公を守る
  3. 主人公もヒロインも戦う

まず、最初のタイプの物語は古くから数あるオーソドックスな英雄譚ですね。それに対して二番目のヒロインが戦い、主人公や世界を守るというのがセカイ系でもっともよく見られる展開です。イリヤシャナもそうですね。一般に戦闘美少女ものはこういった構造でしょう。3番目の共闘するケースの代表例はエヴァンゲリオンです。

今回のテーマである悲劇と感動をを取り扱うには、二番目のヒロインが戦い主人公を守るタイプのお話を例に、その”ヒロインは戦っているのに俺は無事を祈るこことしかできない”という不能性を軸に考えていくとわかりやすいと思います*4 *5 *6

不能性と感動

感動にもいろいろありますが、ここでは”かわいそう”という感情を取り扱います。”泣ける話”とか、”全米が涙した”とかいう文句がCMに踊ることから考えても、感動の中でもわかりやすくメジャーなものです。例としてはフランダースの犬でネロとパトラッシュが冷たくなっていくのがまさにかわいそうの極みとしてあげられます。

そんなかわいそうな話が成立するためには、自分で回避できないし、周りの人も手助けできないという構造が必要です。逆に考えてみましょう、自分の力や周囲の人の助けで助かってしまう話はかわいそうな話になるでしょうか。困難が解決されてしまっては悲劇が成立しません。

最終兵器彼女ほしのこえイリヤなど、ヒロインが戦い主人公を守るタイプのお話では、主人公が無力であるという設定が感動する要素として非常に重要な役割を果たしています。戦闘で傷つく彼女を助けたいのに自分は無力でヒロインの無事を祈るぐらいしかできない、ヒロインを強引に戦闘から引き離すような力もない、この悲劇が成立するためには主人公が有能であってはまずいのです。

もう一つ泣ける要素として”自己犠牲”というのもあるのですが、”ヒロインが戦い主人公を守る”タイプの話ではヒロインが主人公や世界のために犠牲になるという構図となっており、二重に泣ける話になっていうことにご注意ください。

さて、こうした”無力感”・”不能性”を効果的に使ったシナリオと称されるのが、泣きゲーというジャンルを築きあげたkeyの名作、Airです。この手の話ではよく例に挙げられるのでご存知の方も多いと思いますが、本作品の後半にてプレイヤーはとある病で弱っていく少女を無力なカラスとしてただ見ているしかありません。ここではノベルゲームとして選択肢を握ってきたプレイヤーがただの観客のように悲劇をみているしかない存在になっています。

この節をまとめますと、人が”かわいそう”という感情を抱くためには、”その悲劇を止められない”、プレイヤーや観客を不能にする構造が必要で、それをうまく制御することが感動する話を作るコツだということです。

TRPGと感動話の相性の悪さ

さて、ここまで読まれた方は予感しているかもしれませんが(あるいは最初から分かっていたことかもしれませんが)、感動する話はなかなかにTRPGと相性が悪いです。TRPGのキャラクターというのは問題解決の能力を与えられているので、解決できない問題とか選択権の剥奪という”不能性”をTRPGの枠組みに単純に収めることはできません。

TRPGで泣ける話を作る前に、こうした構造的な困難を把握する必要があります。

ゲームシステムの中にこうした不可能性を織り込んだ例は番長学園の目標値が無限大で絶対失敗とかがありますが、あまり一般的ではないですね。この不能性という課題に真正面から向かい合ったリプレイもありますが*7、なかなか真似できないアクロバティックなシナリオとなっています。

余談:日常観察系アニメのTRPG化の難しさ

余談になりますが、最近わりと人気なジャンルとなっている変わった少女達の日常観察系アニメも上記したのと同じ理由でTRPGの枠に収めるのが難しくなります。日常観察系アニメとはここであずまんが大王ぱにぽにひだまりスケッチ、GA、けいおんなんかをさしていると思ってください。

こういうアニメパッシブに少女達の日常を眺めて楽しむのが流儀ですから、少女達がなんらかなの課題を抱えていたとしても、”この場面は俺だったらああするなっ!”とかいうアクティブな欲望が湧いてこないと思われます。泣ける話と同様、読者・視聴者が舞台で当事者をやるよりも観客的ななスタンスをとっていることに注意してください。

とはいえTRPGも懐の深い遊びですから、こうしたものをゲーム化できる可能性も秘めています。CLAMP学園やマジシャンズアカデミーは行動選択そのものよりも行動の結果起きるドタバタをメインに楽しむことができるシステムです。こうしたシステムを真似るとうまくゲーム化できる可能性もあります。課題解決をゲームの中心からずらすといろいろ可能性が見えてきますね。

ところで余談の余談となりますが、涼宮ハルヒの第二期のアニメに関して一言。涼宮ハルヒの第二期ではエンドレスエイトと銘打たれた一つのストーリーが同じ内容で演出を変えて何度も何度も何度も繰り返し放映されています。このエンドレスエイトのループを終わらせるためにはハルヒが感じている夏休みの心残りをキョンが解決する必要があるのですが、なんどやってもキョンへたれて話が進みません。視聴者の方はきっと”おれがキョンだったらもうハルヒに告るよ、終わらせるにはそれしかねー”とか思っているかたも多いと思います。僕もその一人です。話がすすまなくてあまりにじれったいため、ほんとお話に介入したい気持ちになりましたねw。


TRPGで不能性を取り扱うには

感動する話を作るためには、問題解決のために作られたPCを不能な状態にしなければならず、そこには構造的な問題があるわけですが、この節ではそれをどう乗り越えるかに話を移します。

問題解決/演出

現状、もっとも良く使われているのは”演出として済ます”という方法でしょう。キャラクターの問題解決能力は置いておいて、物語上の要請である悲劇を描いてしまうことにしまう方法です。GMは演出で済ませたいのにPLはPCの問題解決能力を使いたい場合など意思の齟齬が発生するとあまり良くないので気をつけてください。


PCたちの能力を一時的に奪う

PCを不能にする方法として一番ストレートフォワードなのは、設定や状況によりPCを無力化することでしょう。

君主の処刑を牢から眺める騎士とかドラマチックな感じです。ここでは牢をつかって騎士を無力化しています。

少し特殊といえば特殊ですが、無力な一般人が能力者へ変わるところをセッションで行うという手もあります。ダブルクロスリプレイでそういう話がありますね。ダブルクロスの場合、オーヴァードになるということが毎日続くと思っていた平穏な日常の終了なので、このあたりをもう少し悲劇的に取り扱っても良いような気がします。灼眼のシャナのおいての坂井悠二のように自由に動けはするが実際には死んでいていろんなものを失っているというのもちょっと工夫するとうまく使えるかもしれませんね。

ところで、ここで気をつけて欲しいのは、一般人から能力者に目覚めるストーリー展開にすると前にした3分類では主人公もヒロインも戦うパターンになってしまうことに注意してください。セカイ系でよくみられるような主人公が純然たる意味で無力な話というのはやはりTRPGではやりにくいですね。


PCの解決能力と違う方向性の問題にする

いろんなTRPGを無視してるような気もしますが、PCたちは戦闘能力を持っていることが多いですね。戦闘能力で解決できない悲劇を与えればその問題に対してはPCを不能にすることができます。

簡単な例では、信念に従い説得に応じないとか、そういうのは悲劇になりやすいかと。


まとめ

この論考ではTRPGにおいて、感動する話を作るにはどうすればいいのかという問題を考えました。感動する話では悲劇へと向かわせるために、その当事者をある意味不能にする必要がありますが、問題解決能力あふれる人物を操る場合には困難が生じることを指摘し、その技術的な回避法をいくつか述べました。

最後に玄兎さんや紙魚砂さんとのスタンスの違いを述べたいと思います。

これらに書かれていることと、僕が言っていることは大まかには一致していますが、逆のことを言っているように見える部分もあります。たぶんそれは、紙魚砂さんが自分の経験上TRPGで発生した感動について語っているのに対し、僕はセカイ系でよく用いられる不能性による感動をTRPGに持ち込もうとしていることに起因していたり、また玄兎さんが”TRPGとはこういうものだ”というポリシーから話を進めているのに対し、僕は”TRPGっていうのはそういうものだろうけど、技術的にうまいことすれば、ポリシーに反する要素も取り込めるかも”というスタンスをとっていることから生じているんだと思います。

だらだらとした長文にお付き合い頂き感謝します。今日はこのあたりで止めておきますね。

*1セッションでの感動 - きまぐれTRPGニュース - trpgnewsグループ

*2

*3:僕はこの本のサブタイトルのほうをすっかり見落としていまして、おもしろそうな本だけど僕が読むには難しい本に違いないと思ってスルーしていました。最近何度かみる機会があって、「ああセカイ系の話ね」と興味をもちまして購入した次第です。たぶん三十路前の僕あたりの世代がもっともセカイ系に感受性があるんだと思います。まだ全然読んでいませんが、 笠井潔が面白いことを言っていますし、買ってよかったです。

*4:ところで、ちょっと気をつけて欲しいのは、セカイ系の不能性と感動に着目するのは”社会は存在しない”の論調ではなく、むしろ動物化するポストモダン2とかゼロ年代の想像力の論調に近いです。不能性が気持ち良い→不能になることを自ら選択する→引きこもりというロジックです。社会は存在しないの論調では不本意にも不能であるとか、不能であることしか選べないというそういった立場で書かれている論文が多いように思いました。以上、社会は存在しないの内容そのものに興味を持つ方への注です。お気をつけ下さい。

*5PCの死の一回性(動物化するポストモダン2を読んで) - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

*6ゼロ年代の想像力 宇野常寛 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

*7

ローズトゥロード リプレイ ソングシーカー (Role&Roll Books)

ローズトゥロード リプレイ ソングシーカー (Role&Roll Books)

gensouyugigensouyugi 2009/07/30 20:55 質問です「セカイ系でよくみられるような主人公が純然たる意味で無力な話」というのは例をあげると、どんな有名作品あるでしょうか? 現代異能バトルなラノベだと、ほぼ皆無な気がするんですが?

acceleratoraccelerator 2009/07/31 00:21 僕がジャンルを表す曖昧な言葉をあんまり気を使わず使っているせいで、混乱させてしまってすみません。

僕は現代異能って言葉をTRPGの1ジャンル的な意味で使っていまして、アルシャードガイア、シルバーレイン、デモンパラサイト、ダブルクロス、ナイトウィザードとかをイメージしています。

セカイ系って言葉を漠然と使ったときに何をイメージしているのかは文脈しだいなのですが、灼眼のシャナだったり涼宮ハルヒだったりエヴァンゲリオンだったりします。

現代異能はセカイ系を再現できそう=アルシャードガイアは灼眼のシャナ(ゆうじが強くなったあと)を再現できそう 程度の意味です。

でもそんな裾野の広いセカイ系というジャンルでもっともそれらしい作品はどれかと言われたら、新海誠の「ほしのこえ」、高橋しん「最終兵器彼女」、秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』あたりを挙げます。

しかし、このどれもが主人公が純然たる意味で無力な話なので、
現代異能はセカイ系を再現できなそう = アルシャードガイアでイリヤは(テーマ的な意味で)再現できなそうということになります。

要はセカイ系の裾野が広すぎて、セカイ系はこれこれですって言ったときに思い浮かべている作品によって意味が通じない場合があるわけですね。幻想遊戯さんと僕で現代異能バトルで思い浮かべているものが同じかどうかも不安なところです。

といったわけで質問の意図を汲み取れているかどうかわかりませんが、質問にお答えします。

まず、主人公が純然たる意味で無力なライトノベルは先ほど挙げた秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』に加えて有川浩の『塩の街(ヒロインと主人公が逆転しているが)』、十文字青の『ANGEL+DIVE(これは最新作読んでないし自信がない)』、『灼眼のシャナ(物語の最初のほう)』このあたりがぱっと思いつきます。
あと『我が家のお稲荷様』はアニメしかみてないのでわかりませんが一応主人公は無力な感じに映りますね。セカイ系かといわれるとちと違うような気もしますが。おとなしい少年+戦闘能力のあるヒロインという組み合わせはわりとよく見るような気もするんですが、ヒロインが絶望的な戦いに身をおいているようなハードかつシリアスな話と思うと案外浮かばないものですね。

現代異能はTRPGと親和性あるものをイメージするので、主人公とヒロインで共闘するものが主流でしょうか。ラノベで言うならとある魔術の禁書目録(鎌池和馬)、鬼切り夜鳥子(桝田省治)、中期の灼眼のシャナとか。

これでよろしいでしょうか。

gensouyugigensouyugi 2009/07/31 01:09 なるほど。
セカイ系の定義によりますが、セカイ系で現代異能バトルなラノベというのも結構存在するので、かなり違和感を感じると思うのです。
個人的には、シャナのような学園異能系は、セカイ系に通じると思うので、そう考えると、セカイ系でもTRPGができそうな作品はいっぱいあるような気がします。
というか、異能の少女と知り合った無力な少年が、それをきっかけに変わっていくというのは、ラノベでは定番じゃないかと思いますので、なんだか、現代異能バトルを中心に呼んでいる僕としては、なんというか、凄く違和感を感じます。

acceleratoraccelerator 2009/07/31 06:52 おっしゃるとおりだと思います。

1 主人公が戦いヒロインを守る
2 ヒロインが戦い主人公を守る
3 主人公もヒロインも戦う

と書きましたが、3、あるいは初期は2で中盤3という展開がもっとも多いですね。

言葉としては狭義のセカイ系というとイリヤあたりを示すらしいのですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB
狭義のセカイ系という言葉で示される作品すら、だいぶ曖昧だと思われますw。

上の社会は存在しないでは、2で終わる作品というのは構造上ハッピーエンドとならないので、ラブコメにすることでハッピーエンドを獲得していると指摘しています。イリヤの段階ではセカイの危機の中での恋愛だったのが、それ以降作品では恋愛を盛り上げるための機構としての世界の危機となり、恋愛を盛り上げる機構としてはそんなに大げささ世界の危機などそこまで必要じゃないみたいに変化していったのですかね。

なんにしろ、セカイ系の話をするときには必ず定義でもめるのに、そのへんを曖昧にしてしまったのは不親切でしたね。すみません。

koutyalemonkoutyalemon 2009/07/31 11:12 =w=っ[横レス失礼ー]
補足というか拝見した印象というかー。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BB%A5%AB%A5%A4%B7%CF
セカイ系って言葉には狭い意味で使われる場合と広い意味で使われる場合がありまして、もともとの狭い意味だと『ほしのこえ』『最終兵器彼女』『イリヤの空、 UFOの夏』あたりまでが範囲と言われています。狭い意味でセカイ系って言葉を読むと、acceleratorさんが本文でお書きの通り不能性(あるいは不可能性)が共通項になります。

gensouyugiさんは広い意味でのセカイ系で読んでらっしゃるかなーと考えます。
広い意味でのセカイ系で読んだ場合は、

主人公たちの学園生活といった日常、すなわち想像界と、世界破滅の危機といった無限遠の彼方にある現実界とがいきなり結びつけられがちであることを指摘する。そこには「中景」にあたる「社会」や「イデオロギー」が存在しない。
<内面>と<世界>とをつなぐ橋渡しとしての<社会>を嫌がる態度(で描かれた作品)
が定義と言われています。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html

もともとは夏目漱石に草枕って小説があるのですが
http://www.libe.nara-k.ac.jp/~takeda/ronbun/kusamakura.html
「世間普通にいふ小説」とは、「人生の真相を味はせる」ために「汚ないもの」をも平気で写すような小説のことであり、漱石は、自分の『草枕』は「人生の苦を忘れて、慰藉する」ことに重きをおいた「美を生命とする」作品だ、と強調するのである。

ラノベとかは夏目漱石とかから続いている娯楽小説の流れにのっているわけで、「人生の苦を忘れて、慰藉する」ことに重きをおいた「美を生命とする」作品に近いと思うのですよ。「人生の真相を味はせる」ために「汚ないもの」をも平気で写すような小説、いわゆる純文学とは目指す目的が違うわけで、よって"社会"とかイデオロギーとかの「汚いもの」は比較的に描かれにくいわけですよね。

なので広い意味でセカイ系って言葉を読んだ場合だと、gensouyugiさんのお言葉にあるように、学園異能とかのラノベはほとんどセカイ系に含まれてしまいますから、この視点からだと違和感を感じる文章ではあると思います。

出先なのでまずは本線だけで失礼。

acceleratoraccelerator 2009/08/01 09:44 紅茶さんがマジメなことを言うの、ひさしぶりに聞きましたw

細かいところはいくつかひっかかりますが、紅茶さんと僕はだいたい同じことを言っているかと思いますね。

以下でその細かいところを少し埋めておきます、

不能性って辞書に載ってない単語かもしれませんね。僕は東浩紀のAIRの評論からとってきて使っています。ちょっと下品な話になりますけど、不能って言葉はインポテンツを連想させます。ギャルゲーで一時期?流行った主人公たちのあのパッシブでフェミニンな態度と不能っていうのがイメージ的によく結びつきますので、僕はこの不能性って言葉、好きですね。

想像界とか現実界とかって心理学者のラカンの文脈ですね。むずかしw僕は想像界、象徴界、現実界の話はけっこう好きでまぁまぁ納得できると考えていますが、この話を常識としたり前提にするのはちょっとはばかられますね。

娯楽小説が「人生の苦を忘れて、慰藉する」ことに重きをおいた「美を生命とする」作品だというのはいい言葉ですね。ただ、漱石の文章にそのまま首肯するわけにはいかなくて、”人生の真相”なんてものがあるのかとか、あるとしても娯楽小説にもそれは含まれるのではないかとかそういう疑問を覚えますね。
まぁ僕が前のコメントでハッピーエンドにするには〜〜といっているのと同じことを紅茶さんは説明したいのだと思いますから、あんまりここに噛み付いてもしょうがないですしあんまり気にしないでくださいw。

餅 2009/08/08 17:39 >TRPGと感動話の相性の悪さ
「解決するのが楽しい」タイプのプレイヤーの存在が想定される点でも相性が悪いですよね。

acceleratoraccelerator 2009/08/09 08:42 ご意見どうもありがとうございます。まぁたぶんそうだと思います。

ただ、シナリオ構造のレベルで”何が問題があってPLがそれを解決する”シナリオが標準なのは手堅いのに対し、プレイヤーの趣向のレベルで”何かを解決するのが好きな人がTRPGをしてる”というのは、反論もあるでしょう。というのもプレイヤーの趣向のレベルでは、”物語で感動するのが好きな人がTRPGをしている”のも確かだからです。後者の意味ではTRPGと感動話は相性が良いはずです。

GNS理論的なお話に繋がると思います。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

Connection: close