achickcanaryの日記

2011-08-23

SYNTHESISをみてきた

| 00:37

KOHEI NAWA - SYNTHESIS KOHEI NAWA - SYNTHESIS

昨日帰りに開催期間が終わりに近付いているので急に思い立って行ってみた。

タクシーの飛ばし方が普通じゃなくて久しぶりに恐かった。

今月は月曜日でも休館じゃないのは意外と知られていなかったのか、空いていて良かった。学芸員の方が作品の性質上、お手を触れたりされないようくれぐれもご注意願います、と言っていて、随分厳重だなあと思った。若い人が多いからだろうか。

f:id:achickcanary:20110822171205j:image

こちらの作品は吉岡徳仁さんのめがねのレンズを使ったものなどにも似ていて見てみたいと思った。そういえば平野啓一郎さんと近藤さん京都同期会とかされていたのは何か思い出した。それでも見ているようで見ていないので写真家の方だと思っていた。

作品の展示の仕方なども吉岡さんと似た感じの真っ白い空間で名和さんの場合はもっとウェブに近しい。作品もどこかかわいらしく親しみがある。上のBEADSという作品など未来的であるようで、モチーフの元は現実であったりする。どうなっているのか近寄り過ぎて凝視していたらまた怒られてしまった。(その後も何かで叱られたがなんでだか忘れた)

POLYGONという彫像の作品は情報と身体のずれを表したもので伊藤さんに似ているような人がいたりで彼の場合はふざけていなければずれは少ないのだけれども面白く思えた。BEADSの鹿もずれのあるものがあり、それは最初交尾しているところなのかと思っていた。

未来のはく製化石、遺跡のようにも見える。それが実際そうなるのかどうかについては、通常の一般的なウェブリテラシーが高いと思われている人(けれどもわたしはどこか理想主義なところがあるのでその見方からすると、どこかアニメなどの影響が高く現実離れした部分、またはウェブの時代であるのにPC文化に根差した取りこみ過剰の上でおきる規定による変化の促進に伴うある面では暴力性をもったものの見方)のものに近しい。そういう面でポップアートとして優れているし、表現力はすごいと思った。

DRAWINGという作品はすごく面白くよくできているようにも思えた。しかしこの作品も面白がっている人は少なくわたしは出来のよさに

笑ってしまっていたのだけれども注目されるのが好きな女とでも思われたのか、周りの人に変な顔をされた。興味の対象が違うんだろうと思うことは周りの反応でよくあった。しかもアート系の人が明らかに多いのにわたしは会社帰りの夏仕様のカジュアルなのでういているように思えた。ファッション誌にも掲載されていたのでただのミーハーと思われたのかもしれない。

一周回り終わったところに作品の解説がされたどでかいフライヤーのような案内が置いてあるので、それを見てもう一度回ってみたが、その説明の文を読んでみると、産経主宰であるのに京都学派的な社会批判性があるのでどうなのかなあとは思った。それのせいか、それを持っている人の目線が他の観覧者に対してどこか厳しいものになったりするのか。先程ツイッタ—にも書いたがわたしもそんなにずれは少ない方なのだけれども。

LIQUIDという作品は、それ自体も面白く、見ている人の様子も非常に面白かった。白く光る液面に泡が浮かぶ様子は、こういうとなんだけど、衝緩材のぽつぽつを大きくしたようなものでどうなっているのかなあと思って見ていると規則性のある動きなのに時たまその配列のどこかから現れる音が自分に語りかけてくるような有機体の可能性のように思えるのか。説明を見ると見る者に対し刺激を与えるがある飽和点を過ぎると麻酔のような作用があるとなっていた。最初から柔和な感じしか受け取れなかった。周りの人の様子は説明通りのようであった。それでも自分の感受性と対話しているようでどこか寂しさのようなものが見えていた。一貫してそういう女性が多かった。

だからわたしのように好奇心でおもしろがるのはすこしへんなのか。

MANIFOLDという作品などに至ってはひたすら喜びしか感じなかったのだが、説明文は特に辛辣な問題意識であった。

はてなの人誰か見に行ってた気がするんだけど書かないのかなあ?きっと似てる気がするんだけどなあ見方が。え—誰かリテラシが高そうな人行ってないの?日曜までです。

美術手帖 2011年 08月号 [雑誌]

美術手帖 2011年 08月号 [雑誌]

帰りにこれは買ったけど、まだざっとしか見てないのだけれども、

実際見ないとわからない部分はありそう。

ブログを通して個人的利益の経済活動する人としない人

| 22:53

先日どうも自慢みたいな昔語りをするなと言われたようだが、自分語り、昔語りに関しては一記事割かないといけないのかなと思いつつやめているのだけれども、ある程度多様な年齢、職業の人がいた方がいいということはある。(様々な人の必要性と言われていることは衆愚ではないのだけれども、どうもユーザーを一気に集める時はそうなりがちだ。)その別の面で記録として書いておかないとならないことはある。

梅田さんのこの本、ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)たぶんウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)から「自己表現」という言葉は多用されている。そこではアメリカ人は自己表現をしてアピールしないと生き残れないということからのようであった。伊藤さんがはてぶを作ったのも何だっけ煽りだったのかギ―クカルチャーだったのかはてなが小さかったからか知りませんが「自己顕示欲」だとか。その一方ではてなは人が書いていることをライターが多く共同作業は良しとしないその割に目立たないブロガーからアイデアは抜けていくという昔の状態で友好な関係を一部では気づきにくいところがあった。コメントを付けるのはどうでもいい見方によっては性的な魅力を感じるかどうかなどに偏りがちだったり。それはいまだにそうだったりする。友好な関係よりも人の肉をあらわにすることがよしとされてきた。どのぐらい取引先から注文があったのか知らないが5年前だと今と比べ物にならないぐらい風当たりは強かったように思う。それでも何度でもいうがここの人たちは偽善的なところがある。自分たちで振り返れなければ信用は戻らない。のろのろしてないでさっさとやればいいのに。昔はこうでした、結婚してとか子供ができて変わりましたとかそういうところで普通の人のように共感を求める姿勢はおかしく思える。それだとメタ認知がおかしいままで通る事態になる。迷惑なんだし実際どんな理由があろうと大量のネガコメ書く人は。

人の肉をとることが目的になっていた部分で穿って見ることがカルチャーとして定着していた。そこでうるさいのでつきつめればそういう「自己表現」だとか「自己顕示欲」として片づけられちゃうこともあるんだろう。(後キリスト教が少し入りこむ余地がなかったように思う。人の肉を優先するために友好な関係は人の個性を見つけることよりもSNSの観測において何かが違ったこともあり魅力の請求が未だにおかしい部分はある。)

たぶんアメブロでもそういうところはあったように思う。それでもなじまないところはなじまないですんだ。その変わり外から見ると、何をどこで書いているのかよくわからなかったりしていた。かといって不特定多数の目に触れなくて言論が偏る(ある面で進み過ぎたことなどは偏りといえばそうかもしれないが)ことはなかった。わたしの過去の記事は「自己表現」みたいなもので落書きを書いていたと思われている。昨日も書けと言われたので書いた。その効果についてはすごくよくわかっている。書き方によってはある種のバカな部分で楽観的になれるということはある。バカなことは本当にそうなのでそれでいいはずなのだけれども、今の設定のウェブだと常識の悪い意味でない人が多すぎてそれを理由に文句や評価を下げられることは多々ある。

それもほんとうは、特段気にしていない。けれども確実におかしな捉え方で、おかしな自滅への道を進む人が多いのでたまにこういうことをしないといけなくなる。くどくど相当丁寧に書かないと、間違える。

無償でありながらそれなりにほんとうに苦労しているので書きたくない。全員とは言わないが経済的にどうにかめどがつくと、大抵何故か話を合わせる都合などで成長が止まる。見込みのない事業主は評判の悪さの冗長なので消えてほしい。

日本のウェブメディアは二度死ぬ: やまもといちろうBLOG(ブログ) 日本のウェブメディアは二度死ぬ: やまもといちろうBLOG(ブログ)

この記事のような事態になっている。衆愚的なものが多いのはたぶんアメブロだ。それとソーシャルメディア界隈。CAはブログどころか社員ですらソーシャルの使い方もよくわかっていないように思われる。

しかもはてなのまねをして普段誰も手伝わないどころか商業都合優先で評価したり振り回す、最近になるまで星もなにもつかない、それはもとからそうなので気にしていないが、コンテンツに流れる部分での蔑視と強要が人格否定や人格障害を生むようなやり方をしていたし、実際に見る人の種類や受け取り方以上に失礼なことを書きたがる。それでも何故そんなことを書く必要があるのかわからないからそれを考えるのに時間がかかる。

これはだけど誰かがわたしに考えさせている部分もある。その量が普通じゃない。自分のしたいことというかコミュニティにおいてウェブにおいて考えるべきようなこと、したほうがいいであろうことは全く進まない。

結局これも誰かのよくわからない計画によるものだ。どうも失敗しているけれども。誰だか知らないし、いつ誰に貸していたのか知らないが、大筋としてその投資に関しては同意でその辺のこともご自身のブログ運営、無理な事業育成のこと、それとどうせブコメブログ記事を書いて苦労をされているわけでもない人もごたごたと書くのが目に見えていたので文句を書いたら反応があった。昔からいていろんな事業を見ていると質が悪い面もよくわかったりする。


何を個性として尊重するか(この点において自分語りについて簡単に消すのもおかしい部分がある。バイヤスの判断はどうするのだろうとか。)、共同体において何を優先するべきなのかそれはここのところ話題の利益も含めてもう少し明示した方が良いとも思うしけれどもそれも結局他罰的になっていくことが多い。経験によるところもあるし、その点について努力差は結構サービスの持続性には現れる部分でなかなか明らかにならない。利益を上げやすい会社がその辺の経験を都合よくとっていく(上の記事のブコメに何だかんだ書かれている方の中には情報収集と称して人のアイデアを自分なら出来るかもと思われたりする場合などもある)ことがある。

帰属と承認などについて

| 19:36

VoCE (ヴォーチェ) 2011年 10月号 [雑誌]

まだ全然読んでないのだけれどもマダムOのコーナーは読んだ。震災後結婚願望が強くなったし結婚指輪も売れたらしい。どの地域に多かったとかは書かれていないのだけれども、一時的に音信不通になる効果はどのぐらいあったのかなあとか。ええと一般的に男性の方が収入が少ないことで結婚願望が弱くてそれに女性の方が萎えてしまうとかなのだけれどもそれはそうかなと。自分の生活に精いっぱいだとかで。そこで「オトコデ」の必要性が実感としてあるとかいう話だけれども、中村うさぎゲイのご主人との関係について「オトコデ」はありがたいというようなことを書かれていた気がするのだけれども、周りで言う人って父親が物凄く面倒み見がいいとか、女姉妹が多い気がしたなあ。

一方こちらも博報堂出身の方なのでこう書かれているが

地震と不倫と自己実現。 - from_NY 地震と不倫と自己実現。 - from_NY

そもそも、自己実現というのは80年代後半あたりから、大安売りされた言葉なので、本来の意味は全然違うのだけど、日本では「自分らしさ全開で、ああ満足」レベルの意味筋だと思う。

一方で、不倫というのは帰属も承認もされない関係である。それを明らかにしようとすると、当然修羅場が訪れる。つまり、帰属や承認欲求が満たされないまま「この人といれば幸せ」ということで一気に「自己実現的な思い込み」に向かっていく状態なのだろう。

むろん、マズロー先生もこの事態は予測していない。

まあ、不倫は一つの象徴なのだけれど、この震災を境に下手な自己実現モドキはようやく収まっていくかもしれない。

つまり、仕事でも私生活でも「帰属と承認」という当たり前の欲求をなめていた日本人が多かったということで。

先日のルミネの件などを見ると収まる気配がない。

こちらのCAの須田伸さんも博報堂出身だったりする。

広告は、ラブレターからデートへ進化する (Web2.0(笑)の広告学):NBonline(日経ビジネス オンライン) 広告は、ラブレターからデートへ進化する (Web2.0(笑)の広告学):NBonline(日経ビジネス オンライン)

ルミネブコメにつけたようにわたしの我儘だか何だかよくわからないものでも考えてくださった結果に思う。それについて須田さんがこうなのはわたしのおかげだとかいうつもりは全くない。むしろ気づかない人の方が多いように思うからだ。そのことはこちらの企画や何かを見ればわかると思う。藤田晋に罵倒された企画、通称「フジバト」怒涛の第2弾!! (Web2.0(笑)の広告学):NBonline(日経ビジネス オンライン) 藤田晋に罵倒された企画、通称「フジバト」怒涛の第2弾!! (Web2.0(笑)の広告学):NBonline(日経ビジネス オンライン)

それでもCAの子どもはそれを聞かない。勝手にやってわからないことだけてきとうに聞いたりしてるようだ。

つづく

2011年08月22日のツイート

13:00