2012-03-24 人生が楽しくある必要はない
■ 
皆さんの中にも、秀才と秀才でない人がありましょう。けれども大した違いではありません。ナポレオンの大成功は、大革命の時代に世に率先して新しい時代の用兵術の根本義をとらえた結果であります。天才ナポレオンも、もう二十年後に生まれたなら、コルシカの砲兵隊長ぐらいで死んでしまっただろうと思います。諸君のように大きな変化の時代に生まれた人は非常に幸福であります。この幸福を感謝せねばなりません。ヒットラーやナポレオン以上になれる特別な機会に生まれたのです。
特に私の強調したいのは、西洋人が物質文明に耽溺しているのに、われらは数千年来の父祖の伝統によって、心から簡素な生活に安んじ得る点である。日本の一万トン巡洋艦が同じアメリカの甲級巡洋艦に比べて、その戦闘力に大きな差異があるのは、主として日本の海軍軍人の剛健な生活のためである。先日、私は秋田県の石川理紀之助翁の遺跡を訪ねて、無限の感にうたれた。翁は十年の長い年月、草木谷という山中の四畳半ぐらいの草屋に単身起居し、その後、後嗣の死に遇い、やむなく家に帰った後も、極めて狭い庵室で一生を送った。この簡素極まる生活の中に数十万首の歌を詠み、香を薫じ、茶をたてつつ、誠に高い精神生活を営み、且つ農事その他に驚くべく進歩した科学的研究、改善を行なったのである。この東洋的日本的精神を生かし、生活を最大級に簡素化し、すべてを最終戦争の準備に捧げることにより、西洋人の全く思い及ばぬ力を発揮し得るのである。日本主義者は空論するよりも率先してこれを実行せねばならぬ。この簡素生活は目下国民の頭を悩ましつつある困難な防空にも、大きな光明を与えるものと信ずる。
この静かな時間を利用して東洋史の大筋を一度復習して見たい気になり、中学校の教科書程度のものを読んでいる中に突如、一大電撃を食らった。私は大正八年以来、日蓮聖人の信者である。それは日蓮聖人の国体観が私を心から満足せしめた結果であるが、そのためには日蓮聖人が真に人類の思想信仰を統一すべき霊格者であることが絶対的に必要である。仏の予言の適中の妙不可思議が私の日蓮聖人信仰の根底である。難しい法門等は、とうてい私には分かりかねる。しかるに東洋史を読んで知り得たことは、日蓮聖人が末法の最初の五百年に生まれられたものとして信じられているのであるが、実は末法以前の像法に生まれられたことが今日の歴史ではどうも正確らしい。私はこれを知ったとき、真に生まれて余り経験のない大衝撃を受けた。この年代の疑問に対する他の日蓮聖人の信者の解釈を見ても、どうも腑に落ちない。そこで私は日蓮聖人を人格者・先哲として尊敬しても、霊格として信仰することは断然止むべきだと考えたのである。
ドイツの中産以上の家庭には通常、ヒンデンブルグやルーデンドルフの回想録は所有されており、広く読まれている。これらの図書は立派な戦史書である。一家の主婦すら相当に軍事的知識を持っていることは私の実見せるところである。
2012-01-21
■ 
また,本来,プロジェクト遅延の責任は,設計開発担当業者のみに存するわけではなく,発注者側にも原因があった可能性があり,このような問題及び改善方策を特許庁のプロジェクト統括責任者等に対し,具体的かつ率直に指摘したならば,これほどの遅延が発生しなかった可能性もある。
「かもしか」すぎるだろ。
TSOLプロパーは115人程度となった。しかし,下請会社の設計要員を大幅に増員しており,TSOLプロパーは全体(1,100〜1,300人体制)の1割に満たない程度であった。
第3フェーズでは,内部設計が本格化した平成22年1月以降,1,000人体制となり,そのうちTSOLプロパーは約170人であった。
TSOLは,これまで,懸念されるリスクを先取りし,その解決方法を自ら提示するといった積極性に乏しく,顕在化した問題を処理することに終始していた。加えて,プライム・ベンダとしてプロジェクトを自発的に統率,牽引する役割と責任があるという意識が乏しい。
2012-01-12
■ 
昭和十七年に「製造工業原価計算準則」を発表し、これが法制化されたわけです。軍需品の調達価格はこの要綱に基づいて決められたので、この要綱はかなりの強制力を持ちました。太田博士もその制定にはもちろんのこと、その普及についても非常に御尽力なさいました。現在、産業経理協会が淡路町にありますが、あれは日本原価計算協会と称し、太田先生が費用を立てかえてこの協会を設立なさったと承っております
ttp://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai55gou/Genkakeisan_Kanrikaikei.htm
しかし他方においてこの事件は、先生をして、楽しかるべき新婚生活を犠牲にし、必死の勉強へと追いやったのであります。よく先生から承りましたが、当時は、「このまま埋もれてなるものか。」と必死になって、早朝から深更まで書斉に閉じこもり、奥さんをほったらかしで原価計算を勉強されたそうです。
ttp://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai55gou/Genkakeisan_Kanrikaikei.htm
こうして苦心して制定された「改正要綱」も、ごく短命の制度として終わることになったが、しかし敗戦とともに陸軍・海軍は消滅したものの、「改正要綱」にもられた原価計算方式は、戦後殆ど原型のまま「物価庁要綱」として復活するのである。原価計算はまさに不死身といわざるをえない。
2011-12-17
■ 
これら中東イスラム諸国の混乱と問題は、そもそもはイスラム教という宗教の教えに発している。もしイスラム教が人の言うように「平和宗教」であって「良い宗教」であるなら、イスラム諸国の人々がテロリズムなどに走るはずがない。もしイスラム教が人々の権利や自由を尊重し人々の心を豊かにするような宗教であるのなら、イスラム教徒を警戒したり問題視したりする必要は全くない。イスラム教に熱心に帰依すればするほどその人の心が平和と愛情に満たされてゆくような宗教であるなら、イスラム教は良い宗教であるはずである。これらの宗教資質は少なくともキリスト教にはぴたりと当てはまる資質であって、キリスト教の場合には、信仰が深まれば深まるほど、その人の心は平和と愛情に満ち、豊かになり、人間の権利や自由を尊重し民主主義を愛するような人間に成長してゆく。ところが、イスラム教はそうではない。イスラム国においてはむしろ不信心な人の方が寛容で人々の権利や自由を尊重し、平和を愛するようなところがある。イスラム教への信仰を深めれば深めるほど、他の宗教には寛容ではなくなり、人間の権利や自由を尊重せず、アラーのためには命を棄ててもテロリズムに走るようになる。すなわち、イスラム教には、そもそもその教えに根本的な問題が存在することが想像できる訳である。
えっ?
