2011-11-14 第13回図書館総合展3日目フォーラム第1会場「矯正施設での学びと支援
メモ
//一部おはなしの順序を変えています。なのであくまでも個人的メモ。
講演者:角谷敏夫(元・松本刑務所松本市立旭町中学校桐分教官)
今回の講演と桐分校について
少年刑務所の中にある中学校分校と図書室の話。
戦後間もない時期、受刑者255名中200名が義務教育未修了という状況。
彼らの更生のために何かできないか。法務省から文部省へ打診。市議会で審議を経て設置へ。
更生という概念は何に基づくか。基本は人間愛。そうしたものを体現するために何をすべきか。
桐分校は一年間で卒業。これまで699人が卒業した。普通の中学校としてみれば少ないが、とても大きな数字だ。
この仕事に携わってからの自分と教え「子」たちのお話をする。
「分校生は受刑者か中学生か」という(やや意地悪な)問いがあった。
私は「どちらでもある(べき)」という答えだ。
罪の償い方はいろいろあるだろうが、私は最も「二度と罪を犯さないこと」を重視している。
私の経歴。大学卒業後、すぐこの仕事に就いた。元は中学校の先生を目指してきた。でも、矯正施設での仕事に意義を感じた。
入学まで
在校生は18才から60才まで。男性のみ。全国の刑務所から入学者を公募する。審査の後、内定を出す。内定者を3月に松本刑務所へ移送して、オリエンテーションを行う。
ここで希望理由を作文をしてもらう。
原稿用紙の上下を知らない人もいた。
ひらがなでいいといっても漢字を聞いてくる。最も聞かれる漢字は「勉強」、次は「努力」、三番目は「一生懸命」。これだけでも彼らの心情を察することができる。
「私はじがよめるようになりたい。いっしょけんめいがんばります」(ママ)。
頑張りたいけど、文字でそれを伝えられない、という気持ちが文に溢れている。一時間かけてこうした(数行だけの)文を書く。
その後、一年間やれるか面接する。
入学後
そして入学式へ。入学式というものが初めての人もいる。
最初に教科書を渡すとき、「匂いを嗅いで」という。
「この教科書を印刷した人は文字が読めない人や、学校をちゃんと卒業できなかった人かもしれない。あなたたちは今日からこの教科書をぼろぼろになるまで使うことができる」と伝える。
贈り物として、禁止されているケーキとか赤飯の代わりに、相田みつをの「いのちの根」という一篇の詩を読む。
なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる
中学の生活
午前午後の15分休憩一回ずつと昼食は40分。一日の休憩はこれだけ。体調不良以外の「子」は、常に机に向かっている。「日本一勉強する中学生」だろう。
志望理由として聞いてきたものの一部。
「国語や数学がわからないと困る」
「人として成長したい」
「国家資格などの受験資格を得たい」
「せめて中学は卒業したい」
「せめて、人並みになりたい」
両親の名や顔を知らない「子」や戸籍のない「子」も。
6−7月には毎年辞めたいという「子」が出てくる。同時に、ちょうど文字が読めたり、算数ができるようになるので、勉強のペースがアップし、ニュースが分かるようになって話題の幅が広がっていく。
彼らは、世界の広さに感動すると同時に、学んでいる自分に、成長している自分に感動する。
諸種の事情で辞めたいといってくる「子」にどう対応するか。しかる、さとす、ほめる……。
例えば、「腰の痛み」でやめたいといったきた「子」。交換ノートに「元の施設に戻れば、その痛みは消えるか?」と。
漢字が読めなかったある「子」の昔話。
駅名が読めないので、一番遠くまでの切符を買って、文字が読めないのを悟られないように見栄をはっていたという話。でも、今ならそんなこともないのだ、と。
一年間ずっと、桐分校通信を発行。毎日夜に持っていく。
学校でのイベント
刑務三大事故に、「火事、自殺、逃走」というのがある。これらだけは起こしてはいけないもの。
でも、私は遠足のときにこう言う。「手錠などは持って行かない。戸錠しない。持っていくのは、今日までの君たちとの信頼だけだ」と。
2月の卒業直前、本校である旭町中学校との交流事業。孫や子の年齢の生徒たちと「子」が校歌や「ふるさと」を歌う。
卒業式
そして訪れる卒業式。入学者全員が揃うことはできない。
犯罪の一因に、「義務教育未修了」というものはあると思う。それは生きる上で非常に「重荷」だ。
卒業証書が渡されるとき、その「重荷」が外れたというのが、彼らの背中からみてとれる喜び。
犯罪を犯した彼らは褒められるべきではないし、自分も厳しく接してきた。だが、学んだことだけは褒めなければならない。
卒業後
届いた卒業生からの手紙たち。OBの訪問。
「知る楽しさに勝るものはない」
図書室について
松本刑務所の施設は狭い。図書も少なく、書架は一人入れる程度。図書カードで出納。
寄贈で蔵書を増やす。
桐文庫の主な蔵書。文学全集や、日本史の本、参考図書。過去の火災ののち、地元から寄贈があったものたち。
文庫の読み聞かせののち、同じ物を読んでもらう。最初は「蜘蛛の糸」。感想を述べ合う。
「足元で糸を切る」「カンダダは自分」
他に必ず読むのは、『名人伝』『恩讐の彼方に』『野麦と家』など。
読書支援が難しい。
文芸コンクールへの継続的応募。
桐分校の図書に関する特殊な考え方。「官本(矯正施設側で選書した本)」と「私本(差し入れによる本)」。「私本」には犯罪の方法を記したもの多くがあり、非常に問題だと感じている。出版者はこうした本が再犯に影響をあたえることも考慮して欲しい。
//『刑務所図書館』だと、私本の重要性があったような。監獄法が改正された件も関係あるのかも
終わりに
(教える仕事は大変だったが)ここが最後の救済の場だと思ってやってきた。
桐分校のような存在が一日も早く、社会からなくなるべきだと思っている。
講師:巡田忠彦(東京放送)
テレビで桐分校を取材したときからの話をする。
最初は27年前。最高検の検事さんから「すごいところ」と聞いて、「学生服着せた程度のもの」と思って行ったらすさまじさに驚いた。
最初にニュース、次にTBS報道特集で一年の様子を放送。2001年に、追跡で「その後」もう一年。
放送後の反響。受刑者ではないのに「うちの子を桐分校に入れたい」と。
角谷先生との出会い。最初は今回のように一時間も講演できるような人ではなかった。先生も変わるのだということがわかった。
放送人として思うこと。ニュース→ドキュメンタリー→ノンフィクションドラマと変わっていく中、一番映像的にいいのはやはりドキュメンタリーだった。
角谷先生の話で、松本市の理解によるものという話があったが、実はかなり反対もあった。
「うちの子と同じ卒業証書を与えるとは何事か」
「犯罪者にそんなことをするな」
けど、昔は官庁や議会などの力が強く、彼らの理解に助けられた面がある。
取材では、上からではない対等な目線だったつもり。でも、「あなたの身内がいるから(支援しているの)ですね」と人から言われたりもした。
質疑
Q.横浜図の方。うちでも横浜刑務所相手にボックス貸出を試みたりしたが、うまくいかなかった。受刑者自身で本を直接選んだりはやはり難しいか。
A.角谷さん。物理的にやはり難しい。
Q.同。開架の刑務所図書館は全国に一箇所(市原)しか無い。(図書の利用者としての)権利制限が厳しい傾向はあるか。
A.角谷さん。あるといっていい。
A.巡田さん。最近の厳罰化の流れに、名古屋の受刑者暴行事件がやや棹差した感じ。
A.?さん。補足。本に挟んだ密書による不正連絡防止の観点から難しい。開架用の検索システムというか、使えるコンピュータが貧弱すぎるという面もある。
Q.?さん。感想。
主催者の矯正と図書館サービス連絡会から
図書の持つ力を信じているなら、NPO法人化のためにもぜひ支援に加わって欲しい。
2011-09-23
博物館のコレクションDB上で作家のデータはいつ更新されるかの定点観測:リチャード・ハミルトン(Richard Hamilton,2011-09-13没)の生没年の場合
Memo | |
Richard Hamilton, the original pop artist, dies at 89 | Art and design | The Guardian
開始:2011-09-14
最終:2011-09-23
国立西洋美術館
未更新
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=168061
http://collection.nmwa.go.jp/G.1968-0002.html
国立国際美術館
未更新
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=53125
横浜美術館
未更新
神奈川県立近代美術館
未更新
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/webmuseum/collect/jp/detail_view.do?data_id=3387
東京藝術大学大学美術館
未更新
2011-09-16
d-laboセミナー「和本リテラシー」のメモ
中野 三敏 氏和本リテラシー
江戸時代における社会全般の事柄を集約した写本・刊本の数は優に百万点を下らない。これはつまり、「江戸に関する知見の凡ては文字メディアに載っていた」ということだ。そしてその文字というのは基本的に漢字と仮名であり、大部分は草書体の漢字と、いわゆる「くずし字」の平仮名である。それを読む能力を備えない限り明治33年以前の書物の内容に通じるチャンスは持ち得ないことになる。
そして、あらゆる領域の書物ほとんどが、いまだ活字化されずに眠っている。外国語の習得が大事なのは言うまでもないが、和本を読むリテラシーを回復することが、我々の祖先の叡智に直接触れることになるのではないだろうか。
日時
2011年 9月 16日(金)19:00〜21:00
( 受付開始 18:45 )
中野 三敏 氏
九州大学名誉教授
1935年福岡県生まれ。早稲田大学大学院日本文学研究科修了後、1982年九州大学学部教授に就任し、文学部長を歴任。退官後は九州大学名誉教授となり、2006年まで福岡大学人文学部教授。1998年紫綬褒章受章、2010年近世文学研究者として初めて文化功労賞を受賞。主な著書に「戯作研究」(中央公論社)、「十八世紀の江戸文芸」(岩波書店)「江戸名物評判記案内」(岩波書店)などがある。
以下、メモ。
このセミナーについて
これまで、こういった話を他の人が言った試しがない。なぜだろう。
学会などでは同業者ばかりなので、違和感が生じなかった。
同業者の業績争いではなく、別の分野の方々にこそ聞いてほしい。
ということで、新聞などにも書いた。配布したのは日経新聞の記事の抜粋*1。
この記事の反響が大きく、他でも書くことになった。
けれど、実のところ、この記事以上書くべきことはほとんど無い。
言いたいのは「古文書を読めない人が多い。活用されないままの文書が多い。それでいいのか? 」ということだけなのだから。
古文書セミナーは各地で開かれている。結構なことである。でも、そういうところに集まる人は、ほとんどが講師と同世代。こういう人たちに教えること自体には何の問題もない。しかし、先がなさすぎるではないか。お孫さんお子さんたちに伝えてもらわないと。
初等教育での制度化ができないと先細りをするだろう。
私はこういう姿勢である。今日の話もそう思って話す。話の内容自体は日経新聞の記事に書いたことが骨子。
和本リテラシーの現状について
まず、現状についてお話する。
私自身は、ほとんどの人が古文書を読めないということを全く気づいていなかった。
知識人や読書人なら読めるだろうと思っていた。
ここでの和本リテラシーとして読めることが求められるは、草書体の漢字、くずし字と変体仮名、それだけ。戦前の人は当たり前で読んでいた文字。私の父の手紙にも変体仮名が入っていた。
ところが戦後60年を経た現在はどうか。ほとんどの人が読めなく(書けなく)なった。
読める人はどれくらいるだろうと推定すると、日本人でも5,000人くらいだろうか。
各関係学会の会員数や各分野で江戸以前を扱う研究者数を全て集めてそれくらい。日本の人口比で0.04%。
九大文学部の同僚ではどうだったか。4人だけだった。
みんな外国語は堪能。でも、変体仮名は読めない。
こういうことから、和本リテラシーの必要性を説いている。他にこういうことを説いてくれる先生がいない。日本人全体から問題視されていない。
私が九大に着任した昭和30年代の頃は、医学部の先生でも和本リテラシーがあった。今やそんな人は皆無。
理由は何か。一つは、明治以後の学問の近代化であると思われる。
今の大学の学問、学部名などを考えてみると、ほとんどが西洋の学問。それでも、かつて蓄積された知識の大半は日本語であったので、和本リテラシーは必要だった。
国文学はどうか。これも本居宣長らによって近代化された学問だが、日本人の手によるゆえに西洋を取り入れる必要性がなかった。だから和本リテラシーが残った。
戦後、西洋へのシフトは全分野で加速し、日本語でやる必要がなくなってしまった。
和本で用いられる日本語は、ネイティブ言語となった。
古典の活字化
日本人で古典が大事だという人は多い。でも、そういう人達はどういうテキストで古典を読むか。
活字(本)である。活字で古典を読むのが当たり前になっている。
だが、活字になっている古典はどれくらいあるのか。完全には誰も把握できないだろう。
まず、どれだけの書物が作成されたかわからなければならない。平安以降で、推定二百万件はくだらないと思われる。
日本人はなんでも本にしたがる。諸外国では、本はごく一部の層だけの占有物だった。仏典から料理本、魚釣りの本まで。なんでもあった。
これは紙質の問題もあったのだろう。西洋では紙が高級品だったから、本もそうだった。日本はそうではなかった。
ちょっと話が難しくなるが、国書総目録というのがある。全国図書館の古典の蔵書リスト。これでは公称五十万点。少なくともこれだけはあるといえる。
しかし、我々研究者が調査すると、図書館にはない、国書総目録にない書物が大量にある。これもおそらく五十万点はあるだろう。
そして、庄屋さんや地主さんの蔵の中にある書物たち。これらはいわゆる本としての体裁はなしていないが、古典である。これを加えると、全体で二百万件はある。
このうち、活字化されているのは何件だろうか。
立川の国文学研究資料館は、古典の活字化(翻刻・影印など)を行っている。国書総目録も更新している。
ここが最もどれくらい(古典の活字化された)書物があるかを把握しているといえる。
ここで活字ができているのは、影印本(すなわちコピー)を除いて、二万点程度。二百万のうちの活字化されたのは二万だけ。
古典大好きな日本で、古典の1%しか(和本リテラシーがない人は)読めない。
おそらくみなさんは、大事な古典はみんな活字になっているとお思いだったかもしれない。だが現実は1%。
読めない本はゴミ同然だ。古典大好きな日本で、99%がゴミ扱い。
活字化は翻訳である。古典の原文の多くは、静音と濁点の区別がない。句読点も少ない。だから活字化の際、これらをどうするかは人に任されている。
外国語なら翻訳でも仕方ないだろう。でも、古典は日本語なのだから、翻訳で読むのはどうだろう。我々も翻訳で商売してきたが。
和本リテラシーと日本の近代
活字化される作品は選択的にされる。近代的な視点からだ。
我々が子供の頃の時代は「近代」はほめことばだった。
今は違う。特に9.11や3.11以降、そうではなくなってきた。「近代」の歪みだ。
この歪みを超えるためには、活字化されてない99%の古典に答えの一端を見いだすべきではないか、と思う。
江戸以前の日本人の人間性というものを、誰が書いたのかもわからない、日常の記述から見出す。
和本リテラシーが欠如した理由の一つは、学問の西洋化に求められると述べた。
そして、和本リテラシーが欠如されだした理由のもう一点。それは、明治33年(1900年)の法令公布*2。ひらがなは一音一字とするというもの。
ひらがなはかつて、字母となる漢字が複数あり、それぞれ同じ音であっても複数の字で表されていた。
それを統一した。これは大英断。
なぜか。かつては大半が尋常小学校どまりであった。そこで、文字の読み書きを全国民ができるようにするためには、(短い学習期間でも覚えやすくするために)文字数を減らす必要があった。このおかげで、識字率は向上したといえ、近代化にも寄与した。
しかし、現在は義務教育で中学まで、その上ほとんどが高校へ。大学も選ばなければ全入時代へ。当時とは状況が逆転してしまっている。
だから、今こそ、初等教育で変体仮名を教えるべきだと考える。
99%の読まれない本を読めるようにするために、読める人を0.04%から増やしていきたい。
近代以前の日本への視点
文字(言語)の学習は、空間軸と時間軸で考えるべき。
外国語の習得に熱心であること自体は良い。むしろもっと奨めるべき。だが、これは言語の空間軸の広がりに留まる。
時間軸の広がりもまた同様に必要だ。それが和本リテラシー。
言語教育における時間軸の欠如に気づかなければいけない。
我々は戦前(戦中)のことに臆病になりすぎたと思う。
その元凶は坂本龍馬にあるのかもしれない。「日本の夜明け」発言。
その当時では正しかっただろう。
しかし、今現在にそういうのはどうか、この発言を持ち上げるのはどうか。
夜明け以前は夜の闇である。この発言を持ち上げると、江戸時代以前は闇であったというイメージを、固定化してしまうのではないか?
近代は五回変わっていると考えている。明治、大正、昭和(戦前)前期、昭和(戦後)後期、平成。それぞれから近代以前を見てみたい。
明治期からみた江戸以前。明治は反江戸、反近代以前。江戸の頃に生まれて育った人間たちが、江戸を近親憎悪的に否定した。
大正期からみた江戸以前。この頃はほとんどが近代生まれ。しかし、周りには江戸の頃からのものが多く残っている。江戸否定だが、やや郷愁が交じる。江戸懐古主義的な文学。
昭和前期からみた江戸以前。江戸生まれはいない。江戸から残ったものも減ってきた。ようやく客観視が可能に。学問の研究対象としての江戸。昭和二三年頃から江戸研究書が出るようになってきた。当時の業績は現在でも参考になっている。
昭和後期からみた江戸以前。民主主義化。今さら江戸には帰れない。それまでだったら、封建的な体制に戻る可能性があった。より客観視可能に。分析するだけでなく、学べるところを見るようになった。近代化の萌芽を探すようになった。町人文学の再評価など。(近代的な)リアリズムやヒューマニズムの発見。
//ルネサンス以前に対する再評価との相似性は?
かつての江戸文学に関する教育。これをわたしはルーペとピンセットの文学史と読んでいる。近代化の芽をピックアップして張り合わせたもの。近代からの、近代以前にあった近代的な評価の視点。
平成からみた江戸以前。今でも近代的な評価が続く。封建制や身分制はなかなか評価されない。江戸ブームもそうした流れ。江戸の中の近代を探す視点。
//戦国ブームとかいうのはどうなのでしょ。無双とかBASARAは結構、身分制にやおったり、萌えたりしてそうな気がする。知らんけど。
自分たちに似たものを評価する視点が植えつけられてしまったのは、間違いではないか。
封建制といって思いつくイメージ。西洋・中国のもの。支配するとされる側。搾取する側される側。例えばいま美術館になっているような豪奢な屋敷。
一方、日本は。江戸の君主であれほどのものをつくったのはいるか? 江戸モデルはもう少しマイルドではなかったか。
//へうげもの的にどうかしらねと思いましたけど、あれは戦国か。
これからの江戸以前を見る視点。江戸の中の近代を見つけようとしない。江戸と近代は違うのだということ。相似点ではなく相違点を見るということを訴えたい。
//うーん。日本は近代ってか、「民主主義」とか「市民」の概念が根付かなかったから、近代がなくてポモったという論もあるわけで
活字化されていない古典から、近代ではないものを見出すために、和本リテラシーが必要なのだ。
例えば武士という存在。威張り散らす存在というイメージ。その再評価。例えば、新渡戸稲造の「武士道」。本当の武士はあんなに理想的ではないという批判。江戸以前はたしかにそうであったろう。しかし、江戸時代の武士は戦闘要員ではない。今での政治家と官僚にあたるもの。子供の頃から武士道精神、倫理を叩きこまれて育つものだった。変な武士は、というか変な人はいっぱいいた。今も変な人はいっぱいいる。だけど、大半は理想的な武士道に準じていた。
武士道は自己犠牲→切腹。大半の武士が自己犠牲の精神に準じていたのなら、そのことについては支配される側も、ある程度の信頼をもっていたのではないか。
例えば、明治維新では、戦死者よりも、責任をとって切腹で死んだ人間のほうが多い。
//それは責任をとったのかよくわかりません
武士らしくない武士はいっぱいいた。そういう武士ばかり批判されている。武士らしい武士を批判した文献を読んだことはない。
これには別の解釈がある。「天下(人)の(元にある)町人」。天下人たちに従う町人としての矜持、という読み方。江戸っ子は徳川家の「お膝元」。支配される側からの尊敬の念。
何故それが生じたか。支配する側がきちんとしていたからだろう。自己犠牲の精神を発揮していた。
こうした考えを持つに至るには、和本リテラシーが不可欠。庶民がどう武士を見ていたか、武士がどう振舞っていたかを、庶民の活字化されていない書物から読み取ってほしい。
とはいえ、いい年した大人が一から勉強するのは大変。だから、子供や孫に。
配布された目付合せ絵図。これは子供の学習用。
福澤諭吉の『学問のすゝめ』*3と『世界国尽』*4の記述。『学問のすゝめ』の有名な一行目との齟齬。『学問のすゝめ』二行目。
和本リテラシーの学び方と和本
和本リテラシーの段階的習得例。
古文書は手書き。同じ内容でもみんな違う。いきなりはきつい。だから段階をふもう。
初級は百人一首。
中級は東海道中膝栗毛。
上級は奥の細道。
それぞれの書き下し付き。
角川で三段階で出してもらうようにしたら、東海道中膝栗毛は売れないからと後回しにされてしまった。
身の回りには変体仮名が残っている。江戸時代の本を何か一つを読んで、慣れて、覚えれば、それ以外の何でも読めるようになる。一番いいのは福澤諭吉の学問のすゝめのような明治期の教科書。読みやすく書かれている。
江戸時代のほとんどの本は、読める人がいないから安い。例えば神田の即売会では、一冊がスターバックス一回分程度。
//あとは近デジとか。
有名でなければ誰も読まないので、売れないから安い。売れない本は捨てられる。
//ワナビは和本からパクれば絶対にばれないんじゃないかしらとか思ったり思わなかったり。著作権切れてるだろうし。
和本は壊れること前提。粗末に扱っていい。現代の本は壊れたら個人ではほとんど直せない。
図書館では糸が切れるのでコピーをいやがるが、そもそも糸は切れるようにしてある。糸が切れるのは紙を守るため。切れたら自分で直す。
//ルリユールの話に通じる
各家庭に何冊かこういう本があるようになってほしい。
d-laboからの最後の質問
Q.夢は?
A.日本人全員が和本リテラシーを身につけること。
前提として、子供たちに。その前に、国語教員にそれを教える素養を。今日ここへ来る前に某所でそれをいったら感触が鈍かった。
