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実験と娯楽

2011-11-24

ちぐはぐな身体―ファッションって何?

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

ひとは連続的な存在のなかに<意味>という不連続の切れ目を入れて、差異の体系として秩序をかたちづくる。男/女、おとな/子ども、内部/外部、自己/非自己、親族/他人、正常なこと/異常なこと、食べられるもの/食べられないもの、有害なもの/無害なもの……いろんな区切りを世界のうちに設定していき、そうした意味の体系によってじぶんたちの生活に一定の安定したかたちを与えているのだ。だからそれが崩れる気配にはとても敏感である。

文化とはまずは自然の加工であり、その加工している事実をあたかも自然であるかのように錯覚させること、つまり人為を「第二の自然」に変換することだということなのである。自然の加工、ぼくらにとってそれはまず身体という、もっとも近くにある自然の加工となって現われる。

要するに衣服とは、「ほんとうに隠されるべきものはなにもない」ということ、秩序に最終的な根拠はないということ、そういう真に隠されるべきことを隠蔽する装置だということだ。

子どもたちは<子ども>という制服を着せられるのであって、ファッションの愉しみはこの場合、着るがわにはない。

だから、服を着るというのは、与えられた服をわざと、ちぐはぐに、だらしなく着くずすことからはじまるしかない。ぼくらの国では、変形の学生服というのがたぶん最初のファッションであるはずだ。

じぶんの固有性にこだわるというより、むしろじぶんを適度にゆるめておくことのできる服。そういう服をぼくらは制服というものにひそかに求めだしているのかもしれない。制服を着ると、ひとの存在がその(社会的な)<属性>に還元されてしまう。そうすることで、ひとは「だれ」としても現れなくてもすむ。

日本の着物は、単純に身体にとって機能的であることをめざしてはいない。それはむしろ、(身体をではなく)ふるまいを演出するもの、運動としての身体に固有のヴォリュームを与える服としてある。言いかえると、肉塊としての身体ではなく運動や強度としての流動的な身体、その見えない身体にそのつど見える形を与えるものとしてある。

ファッションというのは、規定の何かを外すことであり、ずらすことであり、くずすことであり、つまりは、共同生活の軸とでも呼べるいろいろな標準や規範から一貫して外れているその感覚のことだからだ。

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